梗 概
その手は粛清を
占い館で働くレアの元に、常連客の男Bが訪れる。彼はアパレル企業専属の中堅デザイナーで、レアがタッチングセラピーと称する、手や腕に触れる占いを好んでいた。いつも差し出される紅茶を飲んで占ってもらうと、Bに恨みを持つ女達の顔が見えたと告げられるが、彼は一笑に付す。自分はカミングアウト済みのゲイで、異性との色恋沙汰には無縁だと。
手相を見る前にマッサージをと、レアが手をほぐす内にBは急激な眠気に襲われる。紅茶に入れられた睡眠薬のせいだった。身動きできなくなった様子を見て、レアが軽蔑の眼差しで言う。「本当はゲイじゃないくせに」
Bの両手首に手錠をかけるように占いの数珠をはめると、レアはSNSに一件の文章と画像を投稿する。
【こういう人は粛正に値する? イエスなら、いいねを】
Bにはめた数珠には特殊なワイヤー(※内容PR欄)が仕込まれてあり、「いいね」が押されるたびに縮んで手首を締め付ける構造だった。Bは朦朧としながらも痛みに苦悶する。
件の投稿の画像は、何でも屋のレアを占い館に送り込んだ薫による、Bの「セクハラ」に関する手記だった。Bの元助手でデザイナーを夢見ていた薫は、型紙作りの参考にと自身の下着姿を撮影される。その画像がBの個人用スマホに保存されたこと、「女子」同士の馴れ合いと称する過剰なボディタッチ等から、Bはゲイの振りをしているのだと勘づく。マイノリティーを目立つ個性として利用し、ファッション業界で生き残るためではないかと。
Bは公には尻尾を出さず、企業の人事には相談しても却下されて、薫はストレスで仕事にも集中できなくなる。Bが触れようとした手を払い除けようとして引っ掻いてしまい、「大事な手によくも」と怒りを買って異動させられたことへの怨恨まで書かれていた。
薫は退職後にBへの素行調査で行きつけの占い館を特定し、裏工作で今の状況に至る。
眠るBのスマホ(指紋認証で解除)をレアが調べると、隠しアプリの中にこれまで撮影した女達の下着姿の写真を見つける。明らかに未成年と思われる若い女の、ほぼ裸体の画像まであった。モデルに憧れる気持ちと、撮影を拒否することの罪悪感につけこんだのではと推測する。画像の羞恥の表情にレアは胸を痛くする。その他、Bが異性愛者だと分かる嗜好も確認する。
受付の女が占い部屋に来たが、それはベールと濃いメイクで変装した薫だった。「ひどい状況でも仕事で結果を出せるような強さが、私にあれば良かったのに」薫はBと自分の手を交互に見て内省する。レアが問う。「こんなやつ更生できると思わないけど、警察にチクる?」本当の同性愛者であるレアは薫の味方だった。
薫はBの両手首の数珠を一旦外すと、その首にはめ直した。「粛正は世相の手に委ねよう」
二人は占い部屋から出て行く。臨時休業にすると言い、薫がカーテンを閉めた。投稿の「いいね」の数は増え続け、Bの首の数珠はきつく締め付けられていく。
文字数:1200
内容に関するアピール
※数珠のワイヤーは「手で見る」ように的確な触覚センサや遠隔操作機能等を用いて、対象物をしっかりと固定して巻き付く。(取材先の技術を参考)
・梗概の「ゲイのふりをして」のエピソードは、過去の職場での実体験です。当事者は何も責められず。本当のマイノリティーの人々をも傷つけることにつながるのに。
勿論、欲望自体は否定しません(創作活動の源にもなる)。偽のアイデンティティで人の共感につけいってでも欲を満たしたい所に、生理的嫌悪を覚えます。Bの死を不明にしたのは、根絶できると思えないからです。
・産業用ロボット製造企業の方に取材した際:
Q.御社の開発した技術が、復讐目的とはいえ、人を傷つける話の道具に使われたらどう思うか?
A.執筆に真摯に取り組むのであれば、全く構わない。そういうものを逆に読んでみたい。
→この一言に背中を押されました。ガジェットとSNSの連携も含めて、緻密な描写でリアルさを高めたいです。
文字数:399
協力:濃野 友紀様(FingerVision代表取締役)、今岡 仁様(NECフェロー)
文字数:449
その手は粛清を
「お待ちの方どうぞ」という一言が終わらぬうちに、占い館の部屋のカーテンがはためき、その波間から男がひょろい首をのぞかせた。雰囲気作りのシェードランプで、色白の肌が薄いカスタード色にぼやけて見える。担当の占い師であるレアの視線が、その輪郭を睨みつけるようになぞった。部屋の机を挟んで座る彼女は、下まぶたに力を入れて蠱惑的に微笑む。口角を高く上げて、しっとりした声を匂わすように発した。
「新年はとっくに過ぎましたけど、今年もよろしくお願いしますね。周防様」
「うん、こちらこそ。てゆうか、痩せた?」
周防と呼ばれた男は、レアの顔から肩を素早く見回した。星座の星と星をつなぐような目の動きで、その焦点はレアのうなじや喉元といった、素肌の露わになった箇所に当てられていた。占い師用のアラビアンな衣装ではあるものの、レアは頭や顔をベールでは覆わず、二の腕の半分までが隠れる程度に袖を短くしている。
「そんな訳ないでしょう。正月太りからまだ元に戻れてなくて」
「ハハ、僕の職場でもよく聞くなあ。みんなマネキン並みに細いのに」
綺麗に剃られた顎に手を添えると、周防が首をかしげて何かを思い出す目つきをした。小指につけたリングと同じプラチナのピアスが耳元で鈍く光る。襟ぐりの開いた臙脂色のセーターの胸元には、彼の勤務先メーカーのロゴが刺繍されており、痩せた胸板にのっぺりと貼りついていた。背骨が前の方にせり出しがちなのは、大手アパレル企業で中堅デザイナーとして勤める彼の職業病と言えるだろう。スケッチブックやCGのみに頼らず、型紙を作ってまで細部にこだわる徹底ぶり。そんな彼のデザインを元に作られた服飾品のうち幾つかは、大流行とまでは行かないものの、スマッシュヒットと呼べる売上高を企業にもたらしてきた。
「ダイエットに効くお茶も飲んでるんですよ」
「今だせる? 僕も飲んでみたい」
周防がウエストに軽く手を当てて苦笑いしたが、どちらかと言えば引き締まっている方だ。美意識の高さを思わせるような、整った白い歯並びをのぞかせる。レアもにこやかに応じて茶を出した。ティーカップを大きな二つの手が包みこむ。
「香りがお気に召せばいいんですけど」「悪くはないね、ルイボスティーに似てる」
会話に織り交ぜられる湯気が、周防の顔周りを撫でては立ちのぼった。なだめられていく神経に比例して、彼の表情も弛緩する。余裕のある口調で、愚痴には聞こえない軽快さで、茶を飲む間に近況報告がなされていく--オシャレ女子の画像を見つけて「いいね」したら、パパ活狙いだろってブロックされてさ--そこまで言った周防の上唇が、皮肉そうにめくれた。レアは冷静に分析する。前回ここに来た時よりもヒアルロン酸が溶けて、かつてあった厚みの半分程度に薄くなっている。自己投資する余裕が無くなってきたのなら、その手腕がふるわずにいるのかもしれない。周防の“キャラ作り”も新鮮味を無くしてきたということか。
「僕に限って言えば、パパ活とか絶対無いから」
その言葉でレアが目を見張り、眉尻が僅かに吊り上がった。周防の白さよりはトーンダウンした象牙色の前歯を、うなずきとともに見せる。その手はすでにタロットカードを切り始めていた。
「確かに、周防様にはありえませんよね」
それは自動音声を思わせる無機質さだったが、周防は気にも留めなかった。バレリーナのシューズに似たネイルが舞い、てきぱきとカードの束を作る。それらは手の内で幾度かのシャッフルを経て、卓上で整えられた。
レアがカードの塊から一枚ずつとっては横に並べていくのを前に、周防の頭がわずかに左右に揺れている。ハッとして顔を上げると、レアの瞳とかち合った。
「お疲れですか?」
「人員削減のお、しわ寄せ」アクビ混じりに返される。
「サバイブするのも、楽じゃないよ」
「周防様には運気も味方してるのでしょう。さて」
二人の間に並べられたカードは、どれも吉兆を思わせるデザインだった。豊穣な麦畑を背景に、女帝が日の出のような珠のクリスタルワンドを掲げて威風堂々と座している。レアは悪くないという風にうなずいた。ドロップシェイプのイヤリングが軽く揺れるのを、周防が鼻で長い息を吐きながら目で追った。催眠術にでもかかったかのような、曇った瞳で。
「今年も多くの人を引きつける運勢が出ています……けど、恨みも買いやすいかと」
「恨み……仕事?」
重たげにまばたきをする周防の手を、レアの両手が優しく挟み込んだ。「タッチングセラピー」と称する、いつものマッサージの始まりだった。血流をほぐして、停滞しがちな運気の流れを良くするからという主張に、周防は毎回喜んで応じている。
「女性が絡んでいる、とタロットは伝えています」細い指の間で、ずんぐりと太い指がやんわりと締め付けられる。
「恋愛事とか、例えばですが」
「ふあ、ありえないなあ」
大きな手をレアに委ねて、周防の体は椅子から前にせり出し、うつむき加減になった。手とは対照的な薄い背中が小さくなる。
「前にも言っただろう? 僕は……」声も体も力が抜けていく。
「ゲイだから?」
その問いに周防の顔が一瞬、へらりと返事の代わりに笑んだ。テーブルに突っ伏せた拍子に、片腕だけにゅうっと伸ばされて袖がめくれる。手首に巻かれた虹色のカラフルなリストバンドが露わになった。顔半分が卓上で崩れたまま、木枯らしのようないびきをかき始める。周防の飲み干した茶のカップに、レアの冷たい視線が注がれた。予想よりもあっさりと飲んでくれたと、拍子抜けして首を鳴らす。
「夢の中でも演じてるのかな」
レアの細くて長い指が、周防の肩や腕をつついたり揺らしたりして反応を見る。それでも眠り続ける姿を確認すると、コードレスイヤフォンに意識を向けてささやき、今度は自らの手首にはめていた数珠を外した。蜜を細く巻いたような模様の水晶が、飴色の球状となって連なっている。数珠の内側には微細な突起が無数に散らばり、透明な数珠の中心を丈夫なワイヤーが通っている。間近で見れば、近未来のチューブ型車両のジオラマを彷彿とさせただろう。
数珠は伸縮性が高いらしく、レアが両手で引っ張ると、彼女の手首周りの尺よりも随分長めに伸びて大きな輪を作った。輪の向こうには、先程までつかんでいた周防の手がある。輪から外れた方の手を、レアは強めにつかんで引き寄せた。
「本当はゲイじゃないくせに」
怒気というよりも哀れみに近い声だったが、つかんだ手は緩まなかった。大きな両手をクロスさせて重ねた格好で、数珠は数連に巻かれていき、鈴なりに両手首と密着する。文字通りがんじがらめの状態にして、レアは一度手を離した。取り押さえられた犯人が顔を隠している風に思えて、頬がひくつく。アイロニカルな状況に不謹慎な笑いと緊張が呼び起こされそうだった。占いの通り、これから彼女のすることが、多くの人を引きつけることになる。周防の過去の罪がネットで裁かれて、彼に「粛清」を--末端冷え性のはずが、手だけは熱くなっていた。復讐代行はレアにとって、都合の良い正義感をたぎらせるのに格好の仕事だった。
「入ります」
分厚いカーテン越しに小さく声が聞こえた。レアの柔和な声に比べると、いくぶん棘を含む響きだった。出入り口にレアが近づくのと、ほぼ同じタイミングでカーテンが揺れて新たに別の女が顔を出す。周防の来訪時に受付にいたのだが、その正体は悟られずじまいだった。素顔の造形が読み取れないほど派手な化粧、特に目の周りの濃い縁取りが生来の涼やかな目元を暗く塗り込めていた。
「お客様は他にいないし、臨時休業の札もかけました」
真顔で女が言うと、「デザイナーとは思えないお化けメイク」と茶化された。
「今はもう何もデザインしてないのに」
「これだって薫さんのオートクチュールじゃん」
レアに薫と呼ばれた女は、痛いのをごまかすように半端な笑みを見せた。これと指されたのは、二人の間で不自然な寝息を立てる周防の手に巻かれた、例の数珠だった。薫の脳裏にラフスケッチを描いたときの記憶が映える。木星の縞模様を見て閃いたのだった。「その縞模様の中では、常に台風が起きている状態で渦巻いている」ネットの解説文を読み、描きたい気持ちが久々にかき立てられた。この不穏さを数珠の珠一つ一つに閉じ込めようと思ったのは、不気味な喜びだった。
ここにいる自分と、記憶の中の自分、そして復讐の準備を進めていこうとする自分が、この占い館の閉じられた一室で、それぞれ同時に存在している気がする。淡く照るランプが、レアと薫の影を幻想的に交差させるせいだろうか。
「最終チェックよろしく」
薫にかけられた声が現実に揺り戻す。レアから渡されたスマホの画面をタップし、拡大された画像を視線が左から右になぞっては、ジグザグに下降してまた次の画像に移る。筆跡不明を意図して印字された文章で、全ての画像分を合わせればA4サイズ一枚もいかない程度の長さだった。薫が周防を陥れるに至った経緯が、個人情報を除いて事細かに書かれてあった。レアの属する何でも屋に復讐代行の依頼をしてから、綿密な打ち合わせを経て、薫が書き上げたものだ。
何度も読み返したはずが、読み進めると眉間に皺が寄り、薫の表情はけわしさを増していく。
「大丈夫?」
「ごめんなさい、ちょっと」思わずため息をつけば、ハアッとくっきりした形で響いた。
「強力な睡眠薬が効いてるとは言っても、やるなら早くして。他の投稿がバズったら、埋もれちゃうよ」
少ししびれを切らしたのか、レアが指先を軽く震わせた。空咳をして言う。
「油断させるために、何度も通ってくるコイツの指揉んだりしたけどさ、本当は」
「知ってます。反吐が出そうだったでしょう。私も嫌だった」
薫は読んでいた文面の画像から、きりりと目を上げた。スマホがレアの手に戻る。
「OKです。お願いします」
その台詞を皮切りに、レアはSNSに薫が見た画像を投稿した。利用したのは大手ではなく、サービス開始から1年未満の新参アプリだ。投稿に「いいね」を押すとお礼ポイントが溜まり、一定数溜まればオンラインゲームの課金に使えるのが大きな魅力で、若年層を中心に堅調に広まりつつあった。
アップした画像の上には、一言こう添えられていた。
【こういう人は粛清に値する? イエスなら、いいねを】
5分もしないうちに、短くリズミカルな重低音がレアの掌中で鳴った。スマホに来た「いいね」の通知バイブだった。続けざまに数回同じ音が鳴ると、二人の視線は周防の手首に注がれた。巻かれた数珠がミリ単位だが確実に縮んでいく。その動きは通知の振動と同期していた。
「めざといな、暇な奴らが多くて助かるよ」レアは本来の粗野な口調に戻っていた。
「何かと話題になってますから、タグ付けして正解だったんでしょうね」
タグの一つ、「#セクハラ」に薫の記憶が紐付けられる。周防の職場でデザイナーの見習いとして働き始めたときの自分。20代半ばを過ぎての中途採用に、やっと成功への道が開けたと思った。直属の上司となる周防のデザインしたアパレルの何点かは、薫も気に入って購入したことがある。代表コレクションの「KAMURO」は、服の袖で揺れる五色の紐リボンが当時は真新しく、ファッション雑誌にも多数取り上げられていた。名前の由来となる禿とは、吉原遊郭の遊女の付き添いとなる少女のことだ。姉遊女に合わせて着飾る慣習があり、香蝶楼国貞の絵に描かれていた禿の末広の紐にヒントを得たのだと、知識を披露する周防に薫は純粋に憧れた。世間の目を恐れずに自身のカミングアウトをし、アンチにもめげずに新作に取りかかる姿を応援したいとさえ思った。
「スマホは?」
レアの手が周防のズボンのポケットに伸びる。左右と調べて中をまさぐるうちに、自分が周防から触れられた場面が、ポケットの中から引きずられてきそうで、ぎりぎりと何かが体内でねじ切れる嫌悪感が湧いた。馴れ合いのつもりでも、たとえ女性同士でも、薫は過度な接触を苦手としてきた。肩への手の置き方や腕の取り方が、周防の場合はフレンドリーさを強調とするものであったとしても同じ事だった。でもそれを面と向かって言うのはためらわれた--あの人は誰にでもそうだから。別に下心があるわけじゃない--仕事のできる人間に企業は優しかったと、人事に訴えた時のことを薫は思い出した。マイノリティの人を傷つけることもしたくないと、自分に言い聞かせるようにして、周防の元で働き続けたのだった。
「あ、こっちにありました」
周防の鞄の中から、薫はすぐに本人のスマホを取り出した。
「よく分かったね」
「内ポケットが定位置だったから」
あの写真を撮った後も、周防は同じように収納していたから。そう言いかけて止めた。半年前に会社を辞めるはめになった、その転落の序章になった問題の写真。それが今もスマホに入っているのかと思うと、早く削除したい気持ちに駆られて息詰まる。画面に映っていた自分は、なぜか悪いことをごまかすように薄く笑っていた。そのとき身に付けていた下着は、帰るなりすぐに捨てたのに。泣きながら。
「んぐぐ……」
薫の胸の内を代弁するように、周防がうめいた。数珠は最初に巻かれたときよりも、ゆうに10センチ以上は収縮している。肌に密着するように皮膚は数珠に締め付けられて、細かい縮緬皺がうっすらと赤みを帯びていた。
「ほんとに『いいね』が押されるたびに縮むんですね。すごいなあ」
わざと明るい口調で薫が言い、周防のスマホからレアのスマホに視線を移した。
「アプリにもちょっとした仕込みはしてる。専門外だから、私は詳しくないけど」
レアも一員である何でも屋のメンバーには、新興アプリへのハッキングなど朝飯前の優秀なプログラマーもいる。今回は運営のトラブルシューティング用AIを騙すことで、「いいね」が押されたら数珠の表面を覆う触覚センサのプログラムに情報が伝達されるよう、システムに一時的なバグを作った。「いいね」の数だけ、すべてのトラブルが周防に降りかかるように。
「デザインしたついでに、私も入れてもらおうかな。何でも屋に」
「薫さんは無理だね、優しすぎるもん」
「そうでもないですけど」
レアは返事をせずに本音を隠した。何でも屋には、本当によろずの頼み事が来るからだ。薫のような弱者の仇討ちだけではない。もだえ苦しむ人の姿や声を見たいという後ろめたい内容も、報酬次第では引き受ける。
触覚センサの研究はすでに半世紀近く国内外で行われてきて種類も豊富だが、レアの用意したこのデバイスの最大の特徴は、滑りを分布として捉えられる点にある。景品を釣るクレーンゲームを引き合いに出せば分かりやすいだろう。どれほど正確に対象物を掴んだとしても、動かした拍子に物が滑ってアームから外れがちだ。その点、この触覚センサは、触れる物の動きも逐一捉えることができる。人の触覚はおよそ2ミリ前後と言われているが、これには十分の一ミリ以下の感知ポイントが満遍なくドット状に散らばっているため、人間以上に細やかな察知が可能で、それはつまり、何でも手に取るように絞められるということだった。
レアのスマホのカメラが周防のつむじ辺りを映している。手首の位置から触覚センサによって撮影されたものだ。
「複眼レンズで3D状に読み取って、遠隔でカメラにデータを送ってる。うちで開発したAIが、カメラの画像処理と『いいね』のカウントを同時に行ってて、締め付けが緩くなったりずれたりするのを防止してくれるから」
「ドル札の表面の凸凹も読み取れるんでしょ。布の手触りも区別つきますよね、きっと」
ほんとデザイナーなんて、消えて無くなっちゃうかもなあと、薫が感慨深げに数珠とスマホを交互に見てつぶやいた。その姿がレアの心にチクリと刺さる。一番外側に該当する相互作用層の表面を透明化しているのは、モジュールとして組み込まれたスマホのカメラになるべく解像度の高い映像を送り込むためだ。悪趣味な「依頼人」の娯楽満足度を高めるために。
薫に最初に数珠を見せた際、美しいと好感をもたれたベーシックデザインの本当の理由を、レアは謙遜する形であいまいにぼかした。復讐する側の苦しみも構成要素に利用されていることに、見てみない振りをした。
「薫さん、周防のスマホここに置いて」
持ち主の人差し指をスマホのロック画面に押し当てると、指紋認証で難なく待ち受け画面に切り替わった。自身の用意周到な下調べに、レアは少し得意になる。この数ヶ月でかけてきた手間--周防への尾行により行きつけの占い館を割り出したこと、担当占い師になるために行った様々な呼び水作戦--を振り返れば、罪悪感を頭から振り払える気もした。
「レアさん?」
薫の呼びかけは、狭い個室の宙に吸い込まれた。スマホのディスプレイをいじっていたレアの指が、数回スワイプしたまま動かない。怪しいと睨んだ隠しアプリを起動させて、フォルダ内の画像が表示されたところだった。
「型紙を作るため? じゃないよね、絶対ちがう」
首の後ろの筋肉が怒りで盛り上がっているのを自覚した。ディスプレイを映す瞳にみるみる憎悪が燃え広がり、目の内側が痛い。都合の良い正義感だった感情が、もっと我が身に迫る生々しさでレアの呼吸を荒くさせる。
「やっぱり、私以外にもいたんですね」
言葉の端が尖っていた。薫の見つめ続ける先で、レアの指が画面をスワイプすると、下着姿の若い女の画像が現れては消え、その上半身や下半身のアップの画像があとに続いた。二、三十枚単位で別の女に変わっても、また同様の画像が流れていく。終わりがなさそうで分割画面に切り替えると、一面の半分以上が肌色で埋め尽くされた。
周防がゲイではないと裏付けられるような、男性向けのアダルト動画の購入履歴や該当データも確認できた。風俗サービス専用のアプリも出てきて、レアが汚物でも払うように指を弾いた。
「こんな卑怯なことしてきた奴の手からも、可愛いは作れるんだね」
「型紙作りのためには、モデルとなる人の体格がすべて見えていないとダメだからって、私の時は言われました。ランウェイだとモデルがスタイリストの前で裸で着替えるのが当たり前だって、引き合いに出されて」
「みんな、何で断らなかったのかな」
一般人にしては容姿の整った女が、上下セットの下着のみでポージングの姿勢で立っている。その画像に目を留めた薫には、女の同意した背景が透けて見えた。
「雑誌の掲載をチラつかせたんでしょう。数少ないパイを奪い合う業界だから」
「夢を叶えたいっていう、足下を見られたか」
「でも、私も人のことは言えませんね」
画像の中の一人一人の顔と、画面にうっすらと映る自分の顔が、ベン図のように輪郭を重ねる。「いいね」の通知音がまた一つ、腹の底に響くように鳴った。いつの間にかペースを上げている。レアが自分のスマホを見て目を見開いた。
「X経由でも来てる! 炎上したら手首ヤバいな」
そのテンションの高さに追従するように、眠る周防が顔をしかめて、泣くように唸った。薫もつられて早口で言う。
「私、自分のを探さないと」
レアから周防のスマホを受け取って分割画面をスクロールする。私の時は何色の下着だったっけ。思い出そうとすると、撮影当時の光景が無意識に頭に浮かんだ。周防はスマホを仕事用だと言い張り、一眼レフカメラとは別でシャッターを切っていた。「もっと堂々としなよ、モデルになりきってさ」そう言われて無理に笑おうとして--ああ、そっか。記憶の中の写真と事実がつながる。だから自分はばつの悪そうな顔で笑っていたんだ。
いきなり冷たい場所に放り出されて震えるみたいに、心臓が硬直して痛くなる。悲しさがざばりと頭から降りかかった。憤りよりも怒りよりも肺を圧迫する、重たいドロドロした雨だった。
結局私も、仕事で「いいね」が欲しかっただけだ。真に気遣われるべきは、本当にマイノリティで苦しんでいる人だったのに。周防がそうではないと知りつつ、気遣いを装って私は声を上げなかった。悩んで良いアイディアが出せなくなって、周防から触れられることで余計に追い詰められて、最後は腰に伸びてきた手を振り払って異動になった。職場を去ると同時に会社を去った。私は周防ほど、握り続ける力が強くなかったから。
でも今、この人の弱みは握った。薫はスマホを大切に両手で持つ。
「スマホだけ回収して、もう、外してもいいかもしれませんね」
リングをはめた周防の小指が紫なのは、ランプの光加減のせいか、血色が悪くなっているのか。
またばきをして画面に視線を戻した薫は、一枚の画像にサッと青ざめた。もしやと思って拡大する。視線は長方形の枠内で何度も同じ所を巡り、確証を得た。
「見つけた?」
薫に手のスマホを傾けられて、レアが顔を寄せた。二人の瞳は眩しい物でも見るように細められ、悲壮が眉に浮かぶ。
「まだ少女だよ、この子」
どちらの声だったのか分からないほど小さくて、かすれていた。画像の中の少女が発したようにも聞こえた。これから成長期かと思えるほど脂肪の少ない手足や首筋、化粧気はないが弾力を孕む顔の肌、すっきりと細い太ももに、薄くなだらかな胸。そのすべてが露わになっていた。かろうじて腰回りだけ隠れていたが、軽量の布を巻き付けただけで、下着とはほど遠い代物だった。角度によっては着衣とも呼べない様だったに違いない。
「ひどい客はたくさん見てきたけど、コイツも同類だわ」
レアが靴の先で周防のスネを蹴って、顔の歪みに一筋また深いものが加わる。薫は手を出さずにスマホに視線を落とし続けた。自分と同じで、やっぱり変な笑顔をしているのが余計にいたたまれなかった。
自分以上に哀れな存在を見つけて、様々な感情が九頭竜のようにそれぞれの頭をもたげた。どれも複雑に絡み合って薫の胸を熱くさせる。憐憫だったり憎しみだったり、迷いだったりした。周防の手首から枷を外すことへの疑義でもあり、はめたままで二度と使い物にさせなくすることへの躊躇いも飛び込んできて、部屋の四方を囲むカーテンがぐるぐると回り出しそうに思えた。
「こんなやつ更生できると思わないけどさ、警察にチクる? 児童ポルノなのは確実だし」
レアが髪を搔きむしった拍子に、耳のドロップ型のイヤリングが揺れた。画像の女たちの涙をぎゅっと凝結させたような濃紺色に、薫の目は吸い寄せられた。しばし無言で、やがて口を開いた。
「この人の趣味が占いなのは、女性に触れられるからだけじゃなかったのかも」
「え?」
「分からないことや不安なことも勿論あったから、ここに来てた。レアさんに、占いに答えを導いてもらうために」
周防もまた、「いいね」を求めてありとあらゆる手を尽くしてきたのだろう。薫は自分が優位な状況になって初めて、周防の心境を冷静に見ることができつつあった。実の両親とは疎遠で金銭的にも苦労した過去があったと、彼の生い立ちに考えが及ぶ。SNSに投稿した画像には、薫が就職して辞めるまでの経緯しか書かれておらず、周防の「側」の事情は一切言及されていない。もし書いていたら、ここまでの共感は得られていたのだろうか。ネットの民は周防に情状酌量の余地を見いだしていただろうか--投稿の文面を書き直すべきかとまで思いかけて、即座に却下した。少女の画像の罪にはどんな不遇も歯が立たない。ゲイだと嘘をついたことも、普段から傷つきやすい人たちの心をえぐる重罪だ。世相はそれを許さない。
そこまで思い至って、薫は大きく唾を飲み込んだ。何かを決心した音だった。
「いきなり何のことかアレだけど、」とレアが言いかけると、
「一度、外しますね」
細い手が周防の手首に伸びて、数珠がだらりと解かれた。赤紫色の軌跡が両方の手首に色濃く残る。
「粛清、しないの?」
「粛清は、世相の手に委ねます」
言った台詞だけはタロットカードの女帝のようで、でも自分にはなりきれないと薫は悟った。一人で周防にトドメを刺せないけど、許したくもない。だから、ネット社会を共犯者に巻き込むことにしたのだ。
数珠を持つ手が、今度は周防の白くてなよやかな首に伸びた。レアに使い方を教わっていたこともあり、淀みない手さばきで首に数珠が巻かれていった。留め金のグリップが、しっかりとつなぎ目を固定する。数珠は「いいね」の通知に合わせて、収縮を再開した。首周りと数珠との距離が、目に見える速さで狭まっていく。
「審判は、投稿を見た人の手に」
独りごちたレアの耳に周防の台詞がこだまする。「サバイブするのも、楽じゃないよ」周防にとってはマイノリティのふりをするのも、決して許されるものではないが、生き延びるための苦肉の策だったのだろう。その上で実力でキャリアを積み上げてきた彼の、そのガッツさは目を見張るものではあるし、例えどん底に落とされたとしても今後の活力にもなるに違いない。今回も生き延びればの話だが。
じっと待っているのが辛そうな薫を見て、レアは部屋から出ることを提案した。数珠からスマホに届くカメラの映像で、何か異常があればすぐに確認できる。占い館には臨時休業のプレートがかけられてあるから、鍵をかけて出れば完璧な密室になる。
バグに気づいたサイトの運営によって投稿は削除されるかもしれない。一人の男の運命がどうなるのかは、神のみぞ知るところだ。
「どこか食べに行く?」
レアの問いに薫は首を振ったものの、喉の渇きを覚えた。風邪の引きかけに似た、妙な苦みも一緒に。
「飲み物が欲しいです」「お茶あるよ、睡眠薬たっぷりの」
意地の悪い笑みが、なぜか薫の目には清々しく映った。笑うと喉の奥が引きつれる。周防の首が締まるのと連携している気分だった。復讐とは、相手の首と同時に自分の首を絞めることだと、泣きたくもなった。
数珠に塗られた木星の縞模様が、亡霊のように白く淡く浮かんで見える。今すぐ逃げ出したいのに、それから目を離せなかった。一方で、頭が冴えていることにも嫌な予感を覚えた。でも思考は止まらない。
「似たもの同士、だったのかも」
薫は喉に手を当てて言った。何かが出てくるのを抑えていないとだめだった。自ら描いた数珠の模様は、KAMUROの、復讐相手のデザインした紐リボンの揺らぎ方と非常によく似ていた。由来となった禿の、あどけない幼女の白い肌のイメージに、口腔内の苦みが増す。自分はそこから無意識のうちに着想を得たのでは、よりにもよって憎い相手の模倣をしていたのかと、静かな狂気を呼びそうで、それでも視線を剥がせなかった。
「誰と誰が?」
レアの声にすがって薫は目を閉じた。ごくりと唾を飲み込む音と、カーテンを開く音がほぼ同じに耳朶を挟んだ。自分の中の嵐を嚥下する。手の中のスマホを握りしめると、平静をまとって振り返った。
「いえ、何でも。行きましょうか」
「薫さん、そのお化けメイク落とさないと出れないよ」
笑い合う二人は残された男に目を向けることなく、揃って部屋を後にした。カーテンの揺れが収まったあとも、数珠はただ「審判」の数だけ忠実に、眠る男の綺麗な首を締め付けていく。
(了)
文字数:11058