トリの子

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トリの子

本の中身を見た俺は、手にしていたそれを迷わず床に叩きつけた。
「あのジジイ、図りやがったな!」
 近所の古本屋の店主が、宝石でも扱うような手つきで保管していた一冊の本。淡黄色の和紙の表紙には艶があり、常に古びた紐で十字に縛られていた。そこで希少本と見込んでくすねてきたのだが、いざ紐解いてみると、どの頁にも結婚や大学合格等の人生目標ばかり書かれてあった。ただの雑記帳か。
「金になると思ったのに」
 ゴミ箱に捨てようと本をつかむと、ふいに手の中から声が聞こえてきた。
「お金がほしいなら、叶えてあげるよ」
「うわっ!」
 生意気そうなガキの口調に、俺は驚いて本を取り落とした。慌てて見回したが、一人暮らしの部屋には勿論誰もいない。空耳かと思ったそのとき、
「……嘘だろ」
 床に落ちた本が風もないのにズリズリと這い始めた。表紙の底を支点に、地面から垂直方向へ起き上がっていく。やがて起立すると、紙全体がトランプのシャッフルのように波立った。
 信じられない状況に頭が混乱していると、また本からさっきの声がした。
「ありがとう、封印解いてくれて」
「いや、これ、夢?」
 何度も頬をつねる俺を見たのか、本が紙擦れの音の合間にクックッと笑い声をもらした。
「これは全部現実だし、君の望む夢も現実にできるよ。だって僕、『トリの子』だから」

トリの子と名乗る本はこう語った。自分の祖先は今とは全く異なる容姿だったが、ある世代から「とり子紙こし」――平安時代の貴族社会で主に使われ始めた和紙の一種――との交配を重ねた結果、現在の形状に進化して神通力を宿すようになった。己の体である本に書かれた願いを叶える力だ。
「書けば何でも現実に?」ペンを手に俺は聞いた。
「単に書けばいいってもんじゃないよ。ストーリーのない願いは嫌だね、やる気なくしちゃう」
「いきなり宝くじで一等当てた、とか?」
「そう。それと僕は文字通りまだ子どもだから、書いた紙が生え変わって消えることもある」
「生え変わりって、歯かよ」
「正確には歯の紙バージョンで、乳紙にゅうしが抜けて永久紙えいきゅうしが生えるんだ。永久紙に願いを書けば消えないけど、僕が大人になったとき――」
 本は突然黙り込むと、ぶるぶる震えだした。
「どうした?」
「生え変わりが来る。紐に封じられてた分の」
 すると一枚の紙面が根元からよじれたり伸びたりを繰り返した後、刀が鞘から抜けるようにはらりと本から離れた。手書きの文字びっしりの頁は、たちまち細かな粒子となって空中に消えた。すぐに新しい頁の端が生えて、白く四角い顔が徐々に引き伸ばされていく。
「あはは、くすぐったい」
 笑う本がパタンと倒れて表紙がめくれた。その裏面には太字で一言、【人間は考える葦である】とあった。
「それは誰が?」
「生まれつきだよ、蒙古斑みたいなものさ」
「お前の献辞ってことか」
「まあね。だからよく考えて書いてよ」
 それから俺は思いついた願いを本に書き込んでは、ひたすらトリの子からダメ出しをくらった。負けじと他の頁にある人生目標を参考にし、読書で知識を増やし想像力を養う。すると少しだが琴線に触れるものもあったようで、部分的な願いなら何度か叶えられた。こいつの神通力は本物だ。俺は望みの人生を手に入れるために努力し続けた結果、ついに渾身の自信作を下書き用にしたためた。
 部屋にいたトリの子は、ちょうど永久紙に生え変わるところだったのだが。
「紙づまりか?」
 乳紙が抜けた後の隙間から、いつもの永久紙とは違うギザついた輪郭が出てきたのだ。表紙の淡黄色とは逆にくすんだ岩肌模様で、それは本の枠を超えて煙のように膨らんでいった。
 やがて灰色の塊が輪郭のすべてをさらけ出したとき、俺は思わず叫んだ。
「トリ……ケラトプス!」
 顔に生えた巨大な三本の角に、襟巻トカゲのような扇状のフリル。映画でよく見る恐竜が4Dよりもリアルな迫力で俺の視界いっぱいに広がった。自分が蟻になったような威圧感だ。
「大人はやっぱり格が違うね。ありがとう、君のおかげで全部生え変われたよ」
 ませたガキの口調だが、声は鼻先の角を彷彿とさせる野太さだった。俺の喉元に突きつけられた角の下で、鳥に似たメガサイズのくちばしからよだれが垂れる。脳がフル回転した。
「なあ、トリケラトプスって草食だろ? 人間は食わないよな?」
 手で首をかばおうとした俺は、目に入った光景に唖然とした。自分の両腕から、青みがかった緑色の草が伸びて頼りなげに揺れている。
「人間は考える葦であるって、表紙の裏に書いてあったでしょ。あれも永久紙になったから叶えたんだ。君も食べ頃になったしね」
 鋭いくちばしに腕をついばまれたが、葦になった体に痛覚はなかった。
「まだまだ知は薄いけど、まあ合格点かな。よく頑張ったね」
 モシャモシャと俺の腕を咀嚼する音は、本の紙を指でめくる音とどこか似ていた。

文字数:1998

内容に関するアピール

考えたSFネタは総じて「ありえない」要素に乏しく、今回はファンタジー系を選びました。SFネタは次回以降に活かしたいです。
 フラッシュフィクション対策として初回講義での「小説作法書リスト」の主な6冊と、小説すばる様の過去一年分の「千字一話」、SF短編集等を拝読して試行錯誤しました。表現力など足りない点が多いので、ジャンル問わず多読を続けて上手な見せ方を学んでいきたいです。 

ゲンロンカフェ様のボブ・ディランについて語るイベントにて、東浩紀先生の「彼は自分で自分を訂正できる人であり、未来で自分のパフォーマンスがどう扱われるかを、現時点で推測した上で過去の自作品への印象を『上書き』できる人」とのお話(個人的解釈)を拝聴しました。この「上書き」の概念から、乳紙から永久紙に生え変わることで過去の「願い」の紙面がリセットされて、別の人が新たに「未来への願い」を書き込める話を思いつきました。

文字数:393

課題提出者一覧