ハナミズキの下で

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ハナミズキの下で

「ソウヤ、修学旅行いくの?」
 カナミが捕虫網を掃除用具入れから取り出して、言った。やめとけ、と僕。
「ビビってんの? 学校の周りにいるポケモンはみんな除染済みだし」
 そういう問題か? まあテクニカルに言えばそういう問題だ。僕は口を噤む。四年ぶりに復活した修学旅行。正直行きたいけど、父さんや母さんが許すかどうか。
「みんな今日のニュース見てから決めるんじゃん?」と、自信なさげに言う僕を、カナミは蔑むように見た。
「磁気キョーメー……とかいうやつ?」
磁気共鳴思念波解析MRTWA
 ポケモンを対象にした国連の実験結果が、今日の夕方のトップニュースになるはずだ。国連標準名は地球外不明生物ETUCだが、その呼称で彼らを呼ぶ者はいない。最初にそいつらが現れたときは某ゲーム会社の仕込みだと思われていたが、正真正銘の地球外生命体だと判ったとき、ゲーム会社の株は爆上がりした。もっとも、翌週ポケモンが放射能というおまけつきだと判明すると株は暴落した。
「そんなんで何かわかんの?」
「わからないから皆待ってるんじゃないかな」
 カナミは僕の言葉を無視すると、捕虫網を振り回して校庭に出て行った。二〇二三年、僕が中学三年の時にポケモンが現れた当初、子供たちは狂喜して今のカナミみたいに捕虫網を携え、野を駆け回った。ポケモンとより多く接触した子供は大量に被曝し、癌になり、死んだ。弟のタクヤもその一人だ。一攫千金を狙ってレアポケモンを求め、捕獲しまくった大人たちも似たような悲劇に見舞われた。やっとこさコロナ禍が明けて普通の生活に戻れると思った矢先、僕たちは再び外出を禁止された。学校はリモート授業に逆戻り。修学旅行を始めとする屋外イベントはすべて中止になった。ポケモンのARゲームは被曝のリスクを高めるとして配信停止になった。
 幸いポケモン自体が放射線を発しているわけではないと判ったため、世界中でポケモンの捕獲と除染が行われ、今では新たに地球にやって来るポケモン以外はほぼ安全だ。
 教室の窓から見下ろすと、カナミが校庭のハナミズキの下でピカチュウを追いかけている。捕虫網は空しく宙を切り、イーブイを諦めたらしいカナミはもっと動きの遅いナゾノクサにターゲットを変えた。その動きに三歳下だったタクヤの姿を重ねてみる。教室に設置された線量計はここ半年くらい、振れたことがない。

「おかえり、ソウヤ」
「ただいま」
 玄関ドアを閉めながら、通気用のスリットに目をやる。自宅の通気口という通気口はすべてポケモン禍の間ずっと目張りされていたが、先週やっと父さんが剥がした。養生テープの跡が汚らしい。
「母さん、修学旅行の案内読んだ?」
「うん、読んだよ」
 その後に続く言葉を待ったが、母さんは何も言わない。
「行っていいよね?」
 訊きながら、釈然としなかった。僕だって今年で十八歳になる。もう大人なんだから、自分のことは自分で決めていいはずだ。
「お父さんが帰ってきたら話そうね」
 母さんは大事なことには絶対に結論を出さない。全部、父さんに決断させる。そうすれば責任を取らなくて済むからだ。タクヤが急性骨髄性白血病になって治療方針を決めるときもそうだった。
 言いたいことはあったけど、ニュースの時間になったので僕はテレビをつけた。キャスターの質問に、コメンテーターが淀みなく答えている。
「ご存知の通りETUCは磁気を発して互いにコミュニケーションをとっていると思われます。今回の実験は大量のETUCを一箇所に集め、単体では微弱すぎて検出できない磁気、すなわち彼らの『言葉』を増幅して観測しようというものです。彼らが何処からやって来たのか、どうしてポケモンの姿をしているのか、判明するかも知れない画期的な実験です」
 その後は専門用語だらけでよく分からなかった。いよいよ記者会見となり、国連の中継画面に切り替わる。マイクを握っているのは日本人の科学者だ。ポケモン関連の会見ではよく見る人だった。英語の会見を、たどたどしい同時通訳が追いかける。
「本日、半年間にわたる磁気共鳴思念波解析が完了しました。我々はちょうどMRIのような仕組みで、ポケモンの『言葉』を映像化することに成功しました」
 国連の科学者なのにETUCではなくポケモンと自然に呼んでいるのは、その人がポケモン世代だからだろう。
 解析された映像が始まる。世界中の人が固唾を呑んで見守っている。はずだ。
 地球ではない何処かの惑星。爬虫類っぽい人類に愛玩されている無脊椎動物。彼らはその姿をとっていた。また別の惑星には、引かれ合い交配を繰り返す二つの種族がいた。その一方に扮する彼らは、他方の種族に溺愛される。
 最初は映像の意味がよくわからなかった。そのうち閃いた。映像は、彼らの記憶なんだ。
 ETUCはたどり着く先々で、「当地でもっとも愛されているもの」に化けるのだ。

文字数:1995

内容に関するアピール

「野生のポケモンがそこらじゅうにいる」というありえない状況を描いてみました。なるべく説明的にならないよう、描写の積み重ねで背景を染め出すよう腐心しました。
 もちろん、ポケモンに関する予備知識がなくても問題なく読めるようになっています。
 地球外不明生物がどうやって地球に来たのかとか、他の生物に擬態する仕組みはどうなっているのかとか、そのあたりは敢えて触れていませんが、あくまでこの話の肝は「どうして彼らはポケモンの姿をしているのか」なのでこれでいいのだと思っています。逆にそれらに触れると別の話になってしまうでしょう。

文字数:259

課題提出者一覧