小型怪獣現る
七月の酷暑日だった。新宿伊勢丹前に、初めてミニ――小型怪獣が現れたのは。
例のウ号が、世界各地で話題になる三年前の夏である。
警備員の老人が発見したのは、日の出まもない朝五時過ぎのことだったという。すでに暑い新宿通りの伊勢丹寄り片側二車線を塞いで、小型怪獣が直立したまま動かず、新宿駅のほうを向いていた。全長十五メートル足らず。愛嬌があるとも愚鈍ともとれる顔をして、尻尾のある、二足歩行の着ぐるみ然とした怪獣が、そこにいたのだ。
あの巨大怪獣ならば良かった。震災後の海底プレートの歪みのためか、温暖化による異常気象が原因なのかは不明ながら、三年に一度の頻度で東京に上陸し、その度に暴れては海に戻っていくことを繰り返していた。警視庁も自衛隊も政府も、対応については手慣れたものだった。米軍との連携も成熟していた。他国からは東京トリエンナーレと呼ばれるほど、メジャーな現象となっていた。
しかし、想定外の小型怪獣となると別だ。
初めての小型怪獣は不審歩行物体ミ号、通称ミ号と命名された。
東京都は前例なき対応を迫られた。ニホンザルや猪を二十三区内でも頻繁に見かける時代である。鹿や熊すら多摩川の河原を大田区あたりまで歩いてきていた。捕獲して山に返すノウハウは警視庁に蓄積されていたが、コトは簡単には進まなかった。四谷署に集められた特別班の会議では、様々な議論があった。
「捕獲したら山に返す? 山から来たわけでもないのにおかしいだろう」
「帝都大学の生物学の教授によると、麻酔銃をどれだけ撃てば良いか見当がつかないし、凶暴化や巨大化のリスクがあるとのことです」
予定外の巨大怪獣が暴れたら、防衛予算も装備の準備もままならない。議会で責任を追及されても困る。猟銃会も警視庁も自衛隊も、迂闊に手出しできなくなった。
第一発見者の警備員は長年伊勢丹で働いている古老であったが、足腰は頑強で胆力は誰にも負けていない。お客様が来店されたら守るつもりでいたが、新宿周辺の店舗は全て臨時休業を余儀なくされていた。
いつもならば開店時間の午前十時、ミ号は瞼を開き、ゆっくりと動き出して誰もいない新宿通りを新宿駅の方へ向かう。駅前で右へ曲がり、靖国通り、明治通りと巡回し、新宿三丁目の交差点を経て伊勢丹前に戻ってくる。建物の中を覗くように、腰をかがめて顔を近づける。
「店に入りたいのでしょうか」
「動物はお断りしている」
そういうことではないのでは。
その日、ミ号はほとんど何も破壊することなくただ歩き、深夜、森へ帰って行った。新宿御苑である。
公道を歩行中は複数の警察車両とドローンで周囲を遠巻きにしていたが、寝床で監視を続けるとストレスを与えて凶暴化するリスクがあるとされ、警察も自衛隊も御苑の周囲を静かに取り囲むだけだった。
翌日からも毎朝、ミ号は伊勢丹前に現れた。新宿駅から皇居の東側までは、侵入禁止となった。鉄道各線も運休した。都内の交通、物流は麻痺した。
やがてミ号の行動分析が進むと、交通規制は解除された。残った立ち入り禁止区域は、自衛隊が取り囲む新宿御苑だけとなった。そして、伊勢丹も営業を再開した。ミ号がいなくなったわけではない。毎日のように現れる。今や共存だ。しかも、二頭に増えた。
どういうことなのか、国の対応に憤り、古老は御苑に忍び込むことにした。
都内の地下は洪水対策のために巨大な貯水槽があり、地下水路となっている。そこから忍び込むルートを彼は心得ていた。深夜、伊勢丹地下から新宿御苑へ。御苑の庭の池よりもはるかに水を湛えた貯水槽に何艘もボートが停泊しているのを気にしながら、非常階段を登った。
地上の森に出た。いくつもの木の根元に白い楕円形のものが見えた。近づいてみれば両腕で抱えるほどの大きさの卵である。ミ号の卵だろうか。もしや森全体が産卵場になっているのではないか。
呆然と立ち尽くしていると、自衛隊員に見つかってしまった。問い質すと気軽に答えてくれた。
「孵化したらどうするんだ。割っちまったほうが良いのじゃないか」
「破壊に気づき、ショックでミ号が暴れたり巨大化するリスクがある。孵化もやむを得ないという判断だ」
「これが一斉に孵化したら同じだろ」
「そうならないように、対策はとっている。一箇所に固まったままだと、孵化の同期現象が生じる可能性が高い。そこで、別々の場所に……」
「貯水槽のボートか」
「そうだ、船で東京湾の外へ運び、太平洋に流す。ミ号に気づかれない程度に、少しづつな」
未確認卵形物体ウ号、通称ウ号は、こうして東京の地下から運ばれ太平洋へ放出された。世界各地で浜辺に漂着したウ号がニュースになっているが、一方でミ号は都内を歩き回っている。その数は、三十九頭を数え、山手線内全域に行動範囲を広げていた。
やがて世界中でウ号が孵化するだろう。そして話題になるのだ。
小型怪獣現る、と。
文字数:2000
内容に関するアピール
巨大怪獣ならば対応万全でも、想定外の小型怪獣が現れると何もできなかったりする、ちょっと脱力系の話を書こうと思いました。下手に手を出すとヤバそうだからと遠巻きにしているうちに、小型怪獣はゆっくりと勢力を広げていきます。小説の構成としては、最初に一頭だけの「ありえない」を出し、経緯を追っているうちにもっと「ありえない」状況になっていく、というエスカレーションを意識して作りました。
ちなみに、なぜ新宿伊勢丹前が舞台なのかといえば、半世紀前に虎が人を襲った場所であるという故事に倣ったためでした。その辺の小ネタは作中には入れる余裕がなく削ってしまいましたが。
文字数:305