形状記憶カフェ

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梗 概

形状記憶カフェ

気が付けば椅子に座っていた。目の前には丸いテーブル、向かいの席には男が座っている。
「おい、何ぼーっとしてんだよ」男が言う。「せっかく学生ぶりに会ったってのに、近況とか何か聞くことないわけ」そうだった、この男は十年以上ぶりに会った学生時代の友人で、久しぶりに再会したのだった。「ここは?」「お前が疲れたどこかで座ってコーヒーでも飲もうって言うから、俺が案内してやったんだろ」そうだった、ここは、この友人に連れて来られたカフェだった。「飲み物こないね」「バカ、まだ頼んでないだろ」「そうだった。メニューはどこだろう」見渡してみるが、薄暗い店内の様子はほとんどわからない。友人がテーブルの上に手のひらを乗せた。「今日は寒いな。確か変態点が、いや何度だったかな……おい、カイロとか持ってない?」ポケットをまさぐると、カイロが入っていた。受け取った友人がそれを軽く振ってテーブルに当てる。しばらくすると薄ぼんやりとメニュー表が現れ、次第に明瞭なものになっていく。友人がパラパラとそれを捲った。「店員さんを呼ぼうか」「この時期は乾燥してるからなあ。都合よく雨が降るかが問題だな」友人は応えず独り言を言う。すみませんと薄暗い空間に向かって声をかける。何も返ってこない。「忙しいのかな」「湿気がないからまだ立ち上がらないんだ、悪いな」やはり友人は意味の通らないことを言う。店員はあらわれそうにない。「じゃあ、せっかくだし近況とか教えてよ」僕の問いかけに友人は語り出した。
「俺、いくつか喫茶店やってるんだけどさ、そこでは雨が降り出すと必ず赤い女が入店してくるんだ。ホラーじゃないって、赤い女ってのは別に幽霊とかじゃない。絶対に持ち物のどこかが赤いんだ。赤い鞄、赤いコート、赤い手帳。その女が入って来ると、喫茶店の連中が生き生きとする。店員だってそうだ。だから怖いものとかじゃなくて、元気の象徴みたいなさ。見たいだろお前も。ラッキーだぜ、ちょうど雨が降り始めた」
 ぽつりぽつりと雨音がする。友人が促す先を見ると、先ほどよりくっきりと入口の扉が見える。揺らぎのような物体が扉のガラス越しに見えていると思っていたが、その揺らぎは人の形を確かにすることなく入店してきた。
 友人は、実はこのカフェは3Dプリンターで出力した構造物なのだと告げる。ここの構造体は形状記憶を持ち、温度や光、湿度などの刺激によって、プログラムされた形や動きを再現するらしい。店員も、赤い女も、条件が合えば滑らかに動き出すはずだと言う。人類が地球以外の場所を居住地とした場合でもいち早くカフェ事業を展開するために試作を繰り返しており、ここもその一つなのだということだ。
「すごいや、出来上がったら招待してくれよ」「招待もなにも、お前はこのカフェの備品だよ」
 実は主人公はカフェと一緒に出力された構造物で、主人公の意識も過去も、そのとき生成されたものだった。

文字数:1200

内容に関するアピール

形状記憶を持つ3D構造物として3Dプリンターから出力されたカフェが、温度、光、酸性度、湿度などの環境パラメーターが変化することによってプログラムされた形になろうとしている過程を、ちょっと不気味に、でもコミカルさのある様子で書きたいです。主人公には3Dプリンターによって印刷された3Dプリンターが内蔵されているので、主人公のポケットからは何でも出てきます。
 登場人物は人間や意識や人格についてもこの印刷技術で立ち上げようとしていますが、テレポーテーションの話にはしないつもりです。
 ワンシチュエーションでイメージしたのがラーメンズのコントだったので、ラーメンズのコントにありそうな話を目指して作りました。実作もそのような雰囲気で書きたいと思います。

文字数:323

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形状記憶カフェ

音がしたから顔を上げた。目の前にある丸いテーブルを挟んだ向かいで、男が椅子に座っていた。長いことそうしていたのかもしれない、少し機嫌が悪そうだ。
「おい、何ぼーっとしてんだよ」
 男が言う。
「せっかく学生ぶりに会ったってのに、近況とか何か聞くことないわけ」
 そうだった、この男は学生時代の友人で、久しぶりに再会したのだった。
「ここは?」
「お前が、疲れたからどこかで座ってコーヒーでも飲もうって言うから、俺が案内してやったんだろ」
 そうだった、ここは、この友人に連れて来られたカフェだった。
「飲み物こないね」
「バカ、まだ頼んでないだろ」
「そうだった。メニューはどこだろう」
 見渡してみるが、薄暗い店内の様子はほとんどわからない。友人がテーブルの上に手のひらを乗せた。
「今日は気温が低いな。確か変態点が、いや何度だったかな……おい、カイロとか持ってない?」
 どうかな、と相槌を打つための言葉を探すよりも先に手が動いた。フロントポケットに手を入れると、カイロが入っている。受け取った友人がそれを軽く振ってテーブルに当てた。しばらくすると、薄ぼんやりと模様が浮かび上がってきた。それが次第に一枚の小さなアクリル板となり、テーブル面と垂直になるように起き上がって来る。どうやらそこにメニューが書かれているようだ。
「何とかなったな」
「じゃあ店員さんを呼ぼうか」
「この時期は乾燥してるからなあ。都合よく雨が降るかが問題だな」
 友人は応えず独り言を言う。僕はそんな友人の言葉には取り合わず、すみませんと薄暗い空間に向かって声をかけた。何も返ってこない。
「忙しいのかな」
「湿気がないからまだ立ち上がらないんだ、悪いな」
 やはり友人は意味の通らないことを言う。店員はあらわれそうにない。
「じゃあ、せっかくだし近況とか教えてよ」
 僕の問いかけに一つうなずくと、友人は語り出した。
「俺、ここの他にもいくつか喫茶店やってるんだけどさ、そこでは雨が降り出すと必ず赤い女が入店してくるんだ」
「赤い女?何だか怖いなあ」
「ホラーじゃないって。赤い女ってのは、別に幽霊とかじゃない。絶対に持ち物のどこかが赤いんだ。赤い鞄、赤いコート、赤い手帳。その女が入って来ると、喫茶店の連中が生き生きとする。店員だってそうだ。だから怖いものとかじゃなくて、なんていうか、元気の象徴みたいなさ。見たいだろお前も。お、ラッキーだぜ、ちょうど雨が降り始めた」
 確かに、ぽつりぽつりと雨音がする。友人が促す先を見ると、先ほどよりくっきりと入口の扉が見える。揺らぎのような物体が扉のガラス越しに見えていると思っていたが、その揺らぎは、人の形を確かにすることなく入店してきた。それは入口にほど近い、窓際の席に着座する。ぼやけたようにはっきりとしないのは、店内が暗いせいばかりではない。
「あれが、赤い女?」
「そう。ほら、靴が赤いだろ?」
 確かに足元には鮮やかな赤が配色されている。けれど靴と言ってしまえるほどには、靴にも、それから伸びる何かが足であるようにも見えなかった。
「よーし、これから面白くなるぞ。見てみろ、今から店員が来る」
 あれだけ大きな声で叫んでも気配すら寄越さなかったのに、店の奥から何かがゆらりと揺らめいて、ホールに出てこようとしているのがわかる。
「赤い女が来たからってこと?」
「そうだよ。言ったろ、店が元気になるんだって」
 店の奥から現れたのは、これまた人の形とは言い難い何かだった。舞台上の背景パネルのようにするすると移動してきて、赤い女の傍で止まり、お辞儀するように姿勢を前傾に変えた。不気味だ。
「うまくいけば音楽も流れ始めるんだけどな」
 確かに何か、鳴り響くでもなく固い何かをつま弾いたような音が数回したような気がする。
「ま、今回は音が鳴っただけでも成功か。あとはコーヒーの匂いが漂い出すっていうのと……あ、お前、揺れてるぞ。お前も赤い女に会えて浮かれてんのかあ?」
 友人がわざとらしく顎を引き、目を細めて笑った。確かに首元を引っ張られる感じがして、僕は先ほどからしきりに首をかしげている。
「揺れてるんじゃないよ、何か違和感があって」
「それも湿気のせいだろうな。でもいいじゃん、楽し気で。俺なんか雨の日はとにかくアホ毛が立ちまくるからさあ」
 友人は顔をしかめながら立ち上がったアホ毛を摘まんでいる。
「そうだ、お前、櫛とか持ってない?」
「そんな都合よく持っている、か、なあ」
 ぱちと静電気のような小さな刺激があって、僕は導かれるようにパーカーのフロントポケットに手を入れた。
「あったあった。はい」
「お、サンキュー! お前は本当に何でも出せるな!」
 友人は手にした櫛を満足そうに眺めてから、それを自分のポケットにしまった。
「いやしかし、なかなかうまくいかないなあ。湿度によって変化するもの、他にもいくつか仕込んであるはずなんだけど」
「どうしてそんなことをするの?」
 僕がたずねると、友人は、待ってましたとばかりに何度もうなずいた。
「実は、このカフェは3Dプリンターで出力したものなんだよ。建物だけじゃないぜ、内装も設備も何もかも、全部含めて印刷されたものなんだ」
「そうなんだ、でも壁以外は横縞が目立たないね」
「綺麗なもんだろ。おまけにここの構造体は形状記憶を持っていて、温度や光、湿度なんかの刺激によってプログラムされた形や動きを再現するんだよ。赤い女も、店員も、そうやってプログラムされた物質でできているんだ。条件が合えば滑らかに動き出すはずなんだぜ」
「何でまた、そんなことを?」
 僕は視界の端で不気味に曲がり続けている店員と、自分の揺れ続ける頭を持て余しながら、友人を見つめた。
「これまでに、いくつもカフェを立ち上げてきてさ。成功の秘訣に気がついたんだよ」
 それはな、と友人はもったいぶって十分な間を置いた。
「立地と、話題性だ」
 要は同じことなんだけど、と友人は頭を掻いた。
「立地は、便利であればあるほどいいというものでもない。行くこと自体が目的になるような場所であれば、それはそれで人が来る。なぜこんな山奥に、とかでも人はやって来るんだ。3Dプリンターで建てれば、通常では売り上げが見込めないようなところででも、安価にカフェを始められる」
「赤い女は?」
「スタンプラリーじゃないけどさ。全部制覇したいと思うような工夫として、赤い女がいるんだ。ここのカフェでは帽子が赤かったとか、手帳が赤かったとか、そういう情報交換がなされるわけ。話題性は抜群だろ?」
 ただなあ、と友人は店員と赤い女を振り返った。
「今はまだ不明瞭なんだ。たぶん湿度が十分でないのに入店してきてしまったからだな。赤い女は雨が降ると店に入ってきて、乾くと帰っていくんだが、赤い女をプログラムした人の形に戻すのと、店内に入るよう動き出すのと、応答性の差がうまく設定できていないんだろう。一度戻れば変化する必要のないものなら、わりと精巧なものが作れるみたいなんだけどな」
 そういって友人はじっと僕を見つめた。
「いくら僕の手を見ても、参考にはならないと思うよ」
「そりゃそうだ」
 友人は大きなため息をついてから、僕に笑みを向けた。
「なんでそんな苦労までして形状記憶物質で作る必要があるのかって思うだろ。それはな、人手や道具が足りなくても、勝手に組みあがるようにしたいからなんだ。自己修復も期待したいし、環境に適応して変化することがなにがしかの動力になる可能性があれば、それも使いたい」
 実はさ、と友人は声を潜めた。
「ゆくゆくは、地球外でもこのカフェをオープンできるようにしたいんだよ」
 夢があるだろ? と友人が笑った。
「そのうち別の惑星にも人が暮らすようになるだろうからさ、その時、このカフェをいろんなところで展開するんだ。だからいろんな環境パラメーターで可能となる仕掛けをたくさん試したいんだよ」
 友人が体を反らし、窓の外を指さした。
「ああほら、日が暮れてきた。この天井は昼間は閉じているんだけど、紫外線によって硬化した樹脂がスイッチになっていて、太陽が沈んで夜になると天井が開くんだ。晴れていれば星空が見られるぞ」
 その言葉通り、ゆっくりと天井が開いてきた。当然ながら、分厚い雲に遮られて星などの光はひとつも入って来ない。代わりに、赤い女が入って来た時から降り続けている雨が、カフェのそこら中を濡らしていく。
「それじゃあ、夜の間はずっと雨が降りこむの?」
「この機能は、地球以外で実装する予定なんだよ」
 やっぱ最初は火星になるのかなあ、そう呟いて友人は幸せに満ちた顔をした。
「地球に似た環境って言われてるもんな。岩石惑星だし、自転周期も近い。一年が長すぎるけど季節もあるし。大気が薄くて気圧が低すぎるのが一番問題なのかなあ、住むとしたら。早く試作じゃなくて、長いこと開いていられる場所に行きたいよな」
 友人は一人でうんうんとうなずいている。
「こういうこと考えてる時がいちばん楽しいんだよなあ。その場所場所に適応できるスマート素材が見つかればいいのに。火星や金星の地表にカフェを建てるとしたら、二酸化炭素濃度とか酸性雨とかに反応して組みあがるとかさ」
「でも酸性雨が降ったら、すぐに傷んでしまうんじゃない?」
「お前は本当に賢いなー!」
 友人がことさら嬉しそうに言った。
「月だったらさ、地下にある巨大空洞に人工的な空気を充填させて都市にするとかいう案があるらしいじゃん。そこでこの形状記憶カフェを作っておいて、十分な酸素に触れたら展開するとかさ」
「わくわくするね」
「そうだろそうだろ。赤い女にはさ、環境パラメーター的な役割も付けられたらいいなって思うんだよな。もし酸素濃度で変化する物質とかが作られたりしたら、例えば酸素の供給が不安定な環境で、酸素が充填されたら帰っていくとか、酸素濃度が薄くなったら来店するとか設計できるんじゃないかと思って。赤い女がいるうちはカフェの外に出ない方がいいとか、そういう生活に役立つカフェに出来るかもしれないし」
 友人は、びしょびょに濡れているにも関わらず相変わらず逆立っているアホ毛を触りながら笑った。
「まあまだ全然、夢物語で試作段階なんだけどな。ずっと先のことになるかもしれないけど、きっとそんなカフェが誕生する。楽しみにしていようぜ」
「うん。君は本当にすごいや。出来上がったら僕もぜひ招待してくれよ」
 僕は楽しみだと続けようとしたけれど、急に変わった友人の表情がそれを許さなかった。
「なに言ってんだ、招待もなにも、お前はこのカフェの備品だよ」
 友人はすと目を細め、これまで醸し出していた親しみをすべて剥落させた。別人のように冷たい顔で僕を見ている。
「ほら、早くこのカフェの最終形態予想の模型をくれよ」
「そんなもの、僕が持っているはずがないじゃ、ない、か」
 指示を受け取り、口が重たくなった。自分の動きがひどく緩慢になったのがわかる。
「相変わらず、印刷中は意識が継続しないな。会話できなくなるのはやっぱり難点だな」
 友人が席を立ったのがわかった。雨音に混じって、友人の足が水たまりを踏みしめる音がする。
「友人だって、言ったじゃないか」
 すべての景色が遠のく中、僕の絞り出した音は声にはならなかったけれど、友人は足を止めた。
「友達だよ。次のカフェでも、その次のカフェでも、お前は俺の唯一の仲間だ。何十年後でも、何百年後でも……」
 微かに聞こえる甲高い機械音に混じって、頭のどこかで友人の声がしていた。

文字数:4671

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