梗 概
宇宙船〈姥捨山行き〉ハイジャック
とある辺境恒星系の鄙びた惑星、通称〈姥捨山〉。そこへ向かう宇宙船がハイジャックされた。乗船は無料、但し「片道切符」でしかない特殊さが、ハイジャックするに当たって狙われた要因らしい。ハイジャック犯は新興宗教の信徒で、刑務所に収監されている仲間の解放を要求し、叶えられない場合は宇宙船を近くにある衛星の幾つかある資源採掘場のいずれかへ突っ込ませるという。若い操縦士達や乗務員達は犯人の言いなりに宇宙警察と交渉を続けるが、長時間の拘束に不満を募らせた乗客達は独自の動きを見せ始める。乗客の一人、ドゥルーヴは、強靱な肉体を持ち、髭を蓄えた百八歳。警察官として長年勤務した経験があり、自分が率先して犯人を捕まえるべきだと内心で結論を下していた。ただ、一人での犯人制圧は危険が大きい。犯人は気化する毒を肌身離さず所持していた。ドゥルーヴは協力相手として、通路を挟んで隣の席に座るキティに目を付けた。ハイジャックされる前、幾らか話をしたキティは、金髪を腰まで伸ばした外見年齢こそ十代後半だが、実年齢は百五歳らしい。この宇宙船〈姥捨山行き〉に乗っているのは、そういった高年齢で身寄りのない、しかも身体改造に関する法律が現在より緩かった時代に生まれた者ばかりだ。なぜなら〈姥捨山〉は開拓惑星で、入植者はドーム内で自分ができる仕事に従事して生活し、最期を迎えれば、その遺体まで全て資源サイクルに還元される代わり、生活費は無料という、ある意味気楽な人生の終着点だからである。大学で社会心理学を研究していたキティは、犯人と乗客、船員達の心理分析をしながら、協力者がもう一人は必要と言い、宇宙船の整備士として長くやってきた九十八歳のケンに声をかける。ケンは三人の仲間と一緒に来ており、協力者は一気に増えた。犯人は単独犯に見えたが、ドゥルーヴは経験から、キティは心理学の観点から、乗客に紛れているもう一人の犯人に気づく。更にキティは犯人の性格の傾向や成長過程なども予測してみせた。一方ケン達は、脳内に埋め込んだマイクロチップを使って互いに遣り取りができ、船内の機械類にも接続可能な能力を生かして、情報収集をしていた。ドゥルーヴは船外壁の進路灯を操作して、単純な明滅でハイジャックの状況や犯人の情報を宇宙警察に知らせるようケン達に頼む。キティのほうは子どもを装って乗客に紛れている犯人に声をかけ、犯人達の注意を引きつけた上で、探りを入れていく。やがて彼らが新興宗教に入信した事情を知ったキティは、改心するよう説得を試みる。進路灯の明滅を読み取った宇宙警察は、〈姥捨山行き〉への突入準備を進めているはずとドゥルーヴは推測。その推測から大きく外れることなく宇宙警察の突入があり、犯人の一人に傷つけられそうになったキティのこともドゥルーヴが助けて一件は落着した。主犯と乗客達との間に、いつか〈姥捨山〉でともに暮らそうという約束を残して。
文字数:1200
内容に関するアピール
ワンシチュエーションで一万字以上書くと考えた時、幾つか思いついたシチュエーションの中で一番面白く書けると思ったのが、ハイジャックという状況でした。そして、乗客達が個性に富んでいて、さまざまな過去を持ち、人生を達観したつもりのお年寄り達だったら更に面白いのではないかと想像し、この話を作りました。SFらしく、宇宙船や身体改造といった要素も生かしながら、詳細を詰めていきたいと思います。最後に乗客達と約束を交わす主犯は、乗客達に紛れているほうにしようと考えています。
文字数:231
宇宙船〈姥捨山行き〉ハイジャック
ふと気づけば、今どこにいるのか何をしているのか、また分からなくなっている。百歳を越えた頃から頻繁にあることだ。見たところ、自分は飛行機か宇宙船の客席にいるらしい。並んだ円形の窓は全て閉まっていて外は見えない。動いているらしい微かな振動だけが伝わってくる。しかしドゥルーヴが不安に思う前に、涼やかな声が頭に流れた。
【ドゥルーヴ、ここは宇宙船β一一一〇四号、通称〈姨捨山行き〉の客席です。あなたはこの船で惑星〈姨捨山〉へ行こうとしています。惑星〈姨捨山〉は、旅費を全て負担して人々を入植させる代わりに、一生をその開発に捧げるよう強制する制度を設けており、あなたはそれを利用して移住しようとしています。以上、脳内埋め込み型補佐人工知能のハヌマーンがお伝えしました。他に何か知りたいことは?】
ドゥルーヴは微かに首を横に振った。そうだ、思い出した。八十歳の定年退職まで警察官として勤続した自分は、未だ体力筋力には恵まれているが、この人工知能ハヌマーンの補佐で何とか日常生活を送れている危うい認知症状態だ。このまま社会の荷物となっていくよりは、惑星開発の役に立って一生を終えようと考えたのだ。〈姨捨山〉は、入植者それぞれの特性を考慮して仕事を割り振ってくれる。体力が衰えようと、医療措置を無料で施しながら最後の最後まででき得る限りの仕事を与えてくれるのだ。離れて暮らしている一人娘からは「使い潰される」と反対されたが、ドゥルーヴは最後まで社会の役に立ちたいのだと主張して、集合住宅の部屋を引き払ってきたのだった。
「落ちましたよ」
不意に声を掛けられて、ドゥルーヴは通路を挟んで隣の席を見た。長い金髪を襟足で束ねた小柄な少女がこちらを見ている。その華奢な手には、ドゥルーヴが愛用してきた古いペンがあった。筒袴のポケットから落ちたらしい。
「ああ、ありがとう」
受け取りつつ、ドゥルーヴはつい少女の容貌を観察してしまう。どう見ても十代半ばくらいだ。まさかその歳から、惑星開発に一生を捧げようというのだろうか。
「誤解なさっているようなので訂正しておきます」
少女は翡翠色の双眸でドゥルーヴを見据えてくる。
「わたしは百五歳です。見た目が若いのは、遺伝子操作をされて生まれたからに過ぎません」
乗客達のざわめきに紛れる小声でなされた告白に、ドゥルーヴは目を見張った。確かにそういう技術はあるだろうが、十代半ばの見た目で百五歳などという人間に出会ったのは初めてだ。
「勿論、今では違法です。ただ、当時は身体改造に関する法律が甘かったので、わたしの母は、違法すれすれで、わたしを作ったんですよ」
少女ではないという女性は、冷笑を浮かべる。
「名前もキティです。子猫だなんて、百五歳になった今では名乗ることすら恥ずかしい。母としては、全財産を注ぎ込んで、娘に若いままの素晴らしい人生を与えたつもりでしょうがね……」
「それでも、お体が若いままなのは嬉しいことでは?」
ドゥルーヴが微笑むと、キティは肩を竦めた。
「そう完璧な技術でもないのですよ。百歳を過ぎた辺りから気力が落ちる一方で、仕事に打ち込めなくなり、病気にも罹りやすくなりました。それで、余生は〈姨捨山〉で過ごそうと思ったのです」
「失礼ですが、お仕事は何をなさっていたのですか?」
ドゥルーヴは好奇心に駆られて尋ねた。外見十代の百五歳が就いていた職業とは何だろう。
「如何わしい店で働いていたーー訳ではありませんよ? 誘われることは多かったですが」
くすりと笑ってからキティは答える。
「わたしは大学で長く心理学を研究していました。社会心理学が専門ですが、色彩心理学や犯罪心理学も齧っています。ただ、正式任用の定年はどこも同じ八十歳ですし、臨時任用でも暫く働きましたが、もう論文を書いたり教鞭を取ったりする気力がないので、〈姨捨山〉で一生を終えることにしたのです。母のようになってしまうのが嫌で、子どもも持たずじまいでしたし」
歳若い外見の老女は、そこで背凭れに深く体を預け、ふうと息をついた。この程度の会話でも疲れたらしい。
「わたしには娘が一人だけおりますが」
ドゥルーヴは白くなった顎髭を扱きながら応じる。
「退職して二十八年間、同居はしていなくても、ずっと迷惑をかけ通しだったんですよ。特に最近はわたしの認知症がひどくなってきましてね。それで、もういいからと娘を説得して、この船に乗ったんです」
キティは美しい両眼を瞬いた。
「認知症? そうは見えませんが?」
「実は」
ハヌマーンのことをドゥルーヴが説明しようとした時、急にチャイムが鳴り、放送が入った。
〈本船はハイジャックされました。本船はハイジャックされました。御乗船の皆様には、自席を離れず、落ち着いて指示に従って頂きますよう、お願い申し上げます〉
ざわざわと乗客達が騒ぎ始める。だが、さすが〈姨捨山行き〉に乗る人々だった。
「わしらに人質の価値なんぞあるんかいな」
前の座席に座る禿頭の男性が呟けば、隣に座る、細君らしい白髪の女性が手を振った。
「ある訳ないでしょ。随分とお馬鹿さんなハイジャック犯ねえ。わたしらの命なんてお構いなく、警察船が強制連結してくるわよ」
「それすら面倒臭がって、撃墜されるんじゃないか」
面白がるように、通路を挟んで更に隣の白髪の男性が言った。
「いえいえ、警察はそんなことはしませんよ」
ドゥルーヴは穏やかに口を挟む。
「とりあえず、今は大人しく座席に座っていましょう。それが一番安全です」
「あなたは、元警察官ですか?」
キティが問うてきた時、またチャイムが鳴り、放送が入った。
〈御乗船の皆様にお願い申し上げます。どうか声は出さず、お静かに自席にてお待ち下さい。これより、皆様に目隠しをして参ります。何卒御協力頂きますよう、お願い申し上げます〉
「犯人は賢いですね」
キティが囁いてくる。
「目隠しをすると、人間の行動や意欲をかなり制限することができます。大勢を統制するには巧い手です」
乗客は、ざっと見て五百人ほどはいる。この宇宙船は中型らしい。
「犯人の狙いは分かりますか?」
ドゥルーヴは心理学者に囁き返した。こんな現場に居合わせてしまうと、どうしても昔の血が騒いでしまう。だが三歳年下の心理学者は冷めたものだった。
「まずは、単独犯か複数犯かで、犯人の心理も違ってきます。その辺り、情報収集お願いしますね。わたしは少し休みます」
口と同時に目も閉じてしまったキティから、ドゥルーヴは乗務員達や他の乗客達へと視線を転じた。キティの言うことは尤もだ。警察が突入するためにも、犯人の人数は重要な情報である。乗務員達は、乗客達にアイマスクを配って、目隠しをさせていっている。ドゥルーヴのところまで来るには、まだ時間が掛かりそうだった。
とんとん、と座席越しに背中に振動を感じて、ドゥルーヴは少し振り向いた。すると、肩のところに後ろから手が伸びてきて、小さな紙切れを落としたのだ。咄嗟にその紙切れを受け取めて、ドゥルーヴはそっと開いた。
[協力する。われわれはキティさんの教え子で宇宙船の整備士で三人一組だ]
少々理解しづらい文面に眉をひそめ、ドゥルーヴは再度少し振り向いた。後ろの座席の揃いのニット帽を被った男性二人と、キティの後ろの座席に座った一人が微かに手を振り、にやりと笑いかけてくる。宇宙船整備士とは心強いが、「三人一組」には何か深い意味があるのだろうか。
【ドゥルーヴ、彼らは脳内に、わたしに似たマイクロチップを有しています。それを用いて三人で互いに通信し合っていますが、わたしには彼らの通信内容は理解できません。高度に暗号化されています】
ハヌマーンの声が頭に響いた。ハヌマーンは、ドゥルーヴが不安や疑問を感じれば、可能な限り応答するのだ。
「つまり、それで『三人一組』なのか」
口の中で呟いてハヌマーンに了解を伝え、ドゥルーヴは先ほどの紙切れの裏に、愛用の多機能ペンで、さっと書きつけて丸め、通路とは反対側の自分の肩越しに後ろの座席へ、そっと突き出した。紙切れはすぐに受け取られる。ドゥルーヴは手を肘掛けへ戻し、近づいてくる乗務員達へ目を遣った。ドゥルーヴのところまで後十列ほどに迫っている。気づかれない、ぎりぎりの距離だった。ふと隣を見ると、いつの間に起きたのか、キティが目を開き、長い金髪を括り直している。一つに束ねていたものを、何故か二つに分けて括り直しているようだ。そうすると、より一層幼く見えるから不思議だ。
「おじいちゃん」
唐突にキティが小声で呼びかけてくる。その続きは、ただ唇の動きのみで紡がれた。「ということで宜しく」。聞き返す間もなく、乗務員達が近づいてくる。
「申し訳ありませんが、このアイマスクを両目の上に正しく装着して下さい」
憔悴した顔で丁寧に頼んでくる乗務員に頷き、ドゥルーヴがアイマスクを受け取った時、隣で聞き慣れない声が響いた。
「嫌だよ、怖いよぉ、そんなの着けたくない……」
しんとした船内に「少女」の泣き声が響き渡る。振り向いたドゥルーヴは、呆気に取られて目を瞬いた。キティが目を潤ませて首を左右に振り、嫌々をしている。そもそも幼げな外見なので、十歳くらいにしか見えなくなってしまう。
「ごめんなさい、でも、ちょっと頑張って着けてみましょう」
乗務員は困った口調で、何とかアイマスクをキティに着けさせようとしている。キティがこちらを見た。
「おじいちゃん……」
請われて、ドゥルーヴは乗務員に目を向ける。娘が幼かった頃を懸命に思い出しながら言った。
「こんな小さい子にも、着けさせにゃならんのでしょうか。目隠しすると、余計に不安がって泣いたり騒いだりしそうなんだが」
「分かりました。確認してから、また参ります」
その乗務員は持っていたアイマスクの束を傍の乗務員に渡して、船首のほうへ戻っていった。そちらにハイジャック犯が、少なくとも一人いるらしい。そこまで確認して、ドゥルーヴは眼前の乗務員に促され、アイマスクを装着した。視界が閉ざされると、途端に聴覚が冴える。黙っていることを強いられている乗客達の密やかな囁き声や物音、乗務員達の声や足音が耳に入ってくる。これだけの人数が乗った中型宇宙船をハイジャックした犯人の狙いは何だろう。ハイジャックの事例から考えられることは二つ。一つは、この人数の人質を盾に、仲間の犯罪者の釈放など何らかの要求を通すこと。もう一つは、この宇宙船を、どこかの標的に突っ込ませることだ。可能性としては、どちらもあり得る。乗客達は、自分達に人質の価値はないと嘯いていたが、警察という組織が人命を軽んじる訳にはいかない。いつもいつも、人命を守り救うために自分達は身を危険に晒して奔走してきたのだーー。
前方から足音が近づいてくる。しかし何故か視界が暗い。両眼を何かが覆っている。ドゥルーヴは両手を上げて、目を覆う何かを取り除こうとした。
「お客様、どうされましたか? どうか、アイマスクを装着したままでお願い致します」
女性の声に請われて、ドゥルーヴは顔をしかめた。
「わたしは警察官です。何故アイマスクを外してはいけないのですか。これでは仕事に支障を来たしてしまう」
言いながらアイマスクだというものを額へずらすと、紺色の制服を着た女性が困った顔をして、こちらへ身を屈めていた。
「申し訳ございません、お客様。ですが、これは犯人からの指示でして、どうかお願い致します」
「犯人?」
ドゥルーヴは俄に緊張した。自分は仕事中だったのだ。しかも、潜入捜査中だったらしい。ドゥルーヴが焦った途端、頭の中に涼やかな声が響いた。
【ドゥルーヴ、ここは宇宙船β一一一〇四号、通称〈姨捨山行き〉の客席です。あなたは既に警察官を退職しており、この船で惑星〈姨捨山〉へ行こうとしていますが、現在この船はハイジャックされているのです。アイマスク装着は、その犯人からの指示です。以上、脳内埋め込み型補佐人工知能のハヌマーンがお伝えしました。他に何か知りたいことは?】
ドゥルーヴは霞がかかったような頭を横に振り、両眼の上にアイマスクを戻しながら問うた。
「犯人の目的は何だ?」
「それは、分かりません。申し訳ございません」
乗務員らしき女性は低姿勢で詫びてきたが、ハヌマーンと名乗った脳内埋め込み型人工知能は、さらさらと答えた。
【現時点で犯人の目的は不明です。しかし、緊急事態における所持者救護法が適用され、現在わたしには必要な機器へのハッキングが許可されています。鋭意、情報収集中ですので、犯人の目的について判明したことがあれば、すぐにお知らせ致します。因みに、犯人一名は現在ここから四十八列前の、Bの〇一席に座っています。乗務員一名の行動より、そう推測しました】
「お嬢ちゃんも、申し訳ないけれど、アイマスクを着けてくれないかしら。ほら、おじいさんもアイマスクを着けて下さっているわ」
先ほどの乗務員が、すぐ傍で誰かに話しかけている。
「アイマスクしないといけないなら、おじいちゃんの隣に行くぅ。あっち、窓際の」
涙ぐんだような子どもの声が訴えた。
【ドゥルーヴ、通路を挟んで右隣に座っている女性は、外見は少女ですが、百五歳で以前は大学で社会心理学を研究していた方です】
ハヌマーンが、すかさず伝えてくる。
【彼女は、犯人捜しの協力者の一人です。他にも、真後ろの席とその左右の席の男性三人が犯人捜しの協力者です。この男性三人は、わたしに似たマイクロチップを脳内に有していて互いに通信しています。ただ、彼らの通信内容は高度に暗号化されていて、わたしには殆ど理解できません】
協力者がいるとは心強い。
【声を出すことは禁じられていますので、彼らと情報共有するには、紙に書いてやり取りするか、何らかの合図でやり取りするかです。因みに、わたしへの細かい指示は、口の中で囁いて頂ければ理解できます。但し、犯人が船内の監視カメラ映像を見ている可能性があるので、迂闊な言動は控えるべきと進言致します】
先回りしての完璧な補佐にドゥルーヴは感謝し、考える。では、どういった手段で情報共有すべきだろう。
「おじいちゃん、わたし、そっちに行くぅ」
心理学者だという女性が先ほどより大きな声で求めた。ドゥルーヴの隣、窓側のA席は空いている。客席はほぼ埋まっているので、直前でキャンセルした予約者がいたのだろう。「そっち」とは、その空席だろうか。
【ドゥルーヴ、彼女の名はキティです。キティは犯人について探るため、子どもの振りをして、あなたのことを祖父として接してきています】
ハヌマーンの説明にドゥルーヴは頷き、幼げな声がするほうへ手を伸ばした。
「おいで、キティ」
「お客様」
乗務員が焦った声を被せてくる。
「どうか勝手なことはなさらないよう、お願い申し上げます」
「おじいちゃんの隣に行けないなら、アイマスク着けない!」
心理学者が鋭く言い放った。
「分かりました」
乗務員が抑えた口調で応じる。
「では、まずアイマスクをしましょう。その後で、おじいさんの隣に行って頂きますね」
「うん、分かった」
ごそごそと物音がして、ドゥルーヴの両膝に動くものが軽く当たり、左隣の座席が軽く軋んだ。
警察では心理学を用いた交渉術の講習もあったが、その基本の一つとして、大きな要求をして撥ねつけられた後に小さな要求をすれば飲まれやすいと習った。今のやり取りは、その応用だろう。
「おじいちゃん」
囁き声がして、左腕に二つの小さな手が縋りついてくる。そして掌に、細い指によって文字が書かれた。
「モールス符号……?」
口の中でドゥルーヴが呟くと、早速ハヌマーンが解説した。
【地球時代から用いられている、短点と長点で言葉を表す符号です。光の明滅や音の長短などで信号を送ることに適しています】
細い指は更に文字を綴る。
「マイクロチップ……?」
【つまり、協力者の男性三人と通常通信は難しくともモールス信号でなら、やり取りできるということでしょう】
ハヌマーンの考察を聞いて、ドゥルーヴは即座に指示した。
「よし。連絡求む、と送れ」
【了解】
待つこと数秒。
【返信来ました。読み上げます。「こちらケン。依頼により犯人について情報収集。監視カメラ映像を盗み見ている。乗務員と話す犯人は一人。その犯人も乗務員の質問に即答せず間を置いて答えている。複数犯の可能性濃厚。おれ達は宇宙船の機器をある程度は乗っ取れる」。以上です】
期待以上の内容だ。
「依頼により、というのは?」
一つだけ不明だった点を尋ねれば、ハヌマーンが簡潔に答えた。
【向こうから紙片に手書きしたもので接触があり、応じて、あなたが依頼したものと思われます】
気がつけば消えている直近の記憶。この喪失感にも慣れてしまった。溜め息をつきながら、ドゥルーヴは縋りついてきているままの小さな手に、指先でそっと「複数犯」と書いた。腕に押しつけられている頭が、ごく僅かに頷く。次いで心理学者は、シートベルトを外す音を響かせ、おもむろに立ち上がった。
「おじいちゃん、お手洗いに行ってくる」
「え、おい」
止めるべきか迷ったドゥルーヴの手をすり抜け、心理学者は軽い足音を立てて通路へ出てしまった。たったったった、と足音は後方へ去っていく。アイマスクも外してしまったのだろう。足音が引き金となって、乗客達のざわめきも漣のように広がっていく。
「お客様……!」
「お待ち下さい……!」
乗務員達の狼狽た声が足音を追いかけた。しかし結局は、キティに客席後方の手洗いを使わせたようだ。
「ありがとうございます」
殊勝な口調で乗務員達に礼を言い、キティは小走りで戻ってきた。ドゥルーヴの前を通り、素早く座席に座る。かちっとシートベルトの音をさせて、キティはまたドゥルーヴの左腕に縋りついてきた。
【ドゥルーヴ、ケンから信号です。読み上げます。「キティを見て不審な反応をした者を発見。Gの七〇席」。以上です】
つまりキティは、他の犯人を炙り出すために無茶な行動を取ったのだ。ケン達は船内カメラで乗客達を観察したに違いない。ドゥルーヴは触れているキティの掌に、「不審な反応。Gの七〇席」と書いた。するとすぐにキティはドゥルーヴの掌に書き返してきた。「ケン、ジョウ、カイ、教え子。心理学を習得」。成るほど、師弟の阿吽の呼吸でもう一人の犯人を突き止めたのだ。
【ケンから続報です】
ハヌマーンが告げる。
【「不審人物の特徴。男性。推定三十代。眼鏡。黒い上着、紫色のセーター、灰色のジーンズ。厚底の運動靴。東アジア系。前髪が目にかかる癖のない短髪。痩せ型。キティを冷静に観察」以上です】
ドゥルーヴは、同じ内容を時間をかけてキティの手に書いた。キティはまたすぐにドゥルーヴの掌へ書き返してきた。「主犯格。灰縄のモチーフはあるか?」
「灰縄」という単語に、ドゥルーヴは目を見張った。それは、とある犯罪組織が象徴として用いていたモチーフだ。
「〈灰縄〉は壊滅したのでは?」
問うたドゥルーヴに、ハヌマーンは澱みなく答えた。
【組織としては壊滅したとされていますが、〈灰縄〉には宗教的側面があり、その信徒は未だ存在しています】
ドゥルーヴは静かに深呼吸した。現役だった時に手がけた大きな事件の一つ。〈灰縄〉が人類宇宙政府の元首を暗殺しようとしたのだ。幸い〈灰縄〉内部からのリークがあり、暗殺は防ぎ止められた。しかしその後、〈灰縄〉の動機が徐々に明らかにされるにつれて、世間には政府批判が渦巻いた。
〈灰縄〉の主張は、一切の例外を認めない定年制を廃止すること。医療技術の発達で、百歳を優に超える健康寿命を手に入れた人類だが、社会構造としては課題が生じた。若年層の就職が困難となったのだ。企業によっては新人教育に費用や時間をかけることを厭い、十代二十代の採用を渋るようになってしまった。社会全体の新陳代謝が滞るようになり、職にありつけない若年層が犯罪に走るようになって、治安が悪化した。そうした中、厳格な定年制を推進したのが、剛腕と謳われた当時の元首だった。高齢層からの反発はあったが、生活優遇措置を講じて封じ込め、社会全体のためとして、断行したのだ。
ドゥルーヴはキティが掌に書いてきた通りのことをハヌマーンに通信させた。ケンからの返信は十数秒後に来た。
【返信来ました。読み上げます。「モチーフあり。〈灰縄〉の腕輪」。以上です】
ハヌマーンが受け取った内容を、ドゥルーヴはキティの掌に書く。キティは眉間に皺を寄せ、素早く書き返してきた。「船外壁の進路灯を乗っ取れ。犯人達の情報をモールス信号で送れ」。犯人の情報を外部へ送ることは重要だ。それで漸く警察が突入計画を具体化できる。ドゥルーヴは間髪入れずハヌマーンに指示した。
「疲れた」
キティが呟き、僅かに姿勢を変える。再び休憩を取るのだろう。ドゥルーヴは周囲に聞き耳を立てながら、〈灰縄〉の苦い記憶を辿る。人類宇宙政府の元首暗殺の実行犯は、百歳前後の年配者が十人だった。彼らは弱々しく穏やかな動きで元首の講演会に現れ、一酸化炭素を大量に噴霧しようとしたという。リークされた情報には実行犯や暗殺方法までは含まれていなかったが、警護を担当していた機動隊SP部隊は最大級の警戒体制を敷いていたため、年配者達が医療品に紛れさせていた一酸化炭素の小さなボンベに気づき、暗殺を防げたのだ。一方、ドゥルーヴが所属していた機動隊突入制圧部隊は、〈灰縄〉の拠点の一つを制圧した。その時の情景は今もドゥルーヴの目に焼きついている。大勢の年寄り達が、武装した自分達に立ち向かってきた。半数近くが投降の呼びかけに応じず、世間に政府の非情を訴えるためとして、爆弾や毒液を抱えて小型車や徒歩で特攻してきたのだ。凄惨な現場だった。〈灰縄〉の死者数と年齢層が明らかにされるにつれて、世間は機動隊や政府を批判するようになっていった。ドゥルーヴが〈姨捨山行き〉に乗ったのも、あの事件で思うところが多くあったからだった。
【ジョウから着信】
ハヌマーンの声が告げる。
【読み上げます。「操縦士と警察との通信を傍受。犯人の要求は、刑務所に収監中の〈灰縄〉信徒の釈放。それが叶えられない場合、最寄りの資源採掘場へ〈姨捨山行き〉を突っ込ませると脅迫。警察の交渉人はナジマ。人質の一部を解放すれば百二十歳以上の信徒は釈放すると交渉中」。以上です】
随分と長い文だったが、ハヌマーンもジョウ達の人工知能も、モールス信号への変換など瞬時にできてしまうのだろう。しかし、この量の情報を指で掌に書くのは大変だ。ドゥルーヴが溜め息をついて指を動かそうとすると、手を握って腕に縋りついたまま寝ていたと思しきキティが身動きした。
「おじいちゃん、何?」
密やかに尋ねられてドゥルーヴは意を決し、娘が幼い頃にしていたように、キティの頭の上でジョウからの情報を囁いた。途端にキティは軽く目を見張り、細い両足をぱたぱたと揺らす。そしてドゥルーヴの掌に書いてきた。「ナジマ、教え子」。成るほど、社会心理学者の教え子は警察の交渉人にもいるのだ。
【ケンからです】
ハヌマーンの声が頭に流れる。
【「進路灯モールス信号で犯人情報を送信完了」。以上です】
ドゥルーヴはキティの掌に書いた。「進路灯モールス信号で犯人情報を送信完了」。直後、キティが書き返してきた。「犯人はまだ他にいる。教え子も」。そうして心理学者は愛らしい声で呟いた。
「まあ見てて、おじいちゃん」
その後の八時間、キティ自身はずっと寝ていたが、乗客達は順に手洗いに立つことを求め始めた。キティが手洗いに行った物音を聞いていて、我慢できなくなった者から声を上げるようになったのだ。乗務員達は暫くしてから、乗客達にアイマスクを着けたまま一人ずつ席を立って手洗いに行くことを許した。しかし、必ず乗務員が次に誰が個室に入るかを決め、扉の外で聞き耳を立て、使用後は中を点検するという警戒ぶりだ。ドゥルーヴ自身も一度許可されて乗務員に手を引かれ、用を足しに行ったが、乗務員達は太々しい乗客達よりも緊張しているように感じられた。
ケン達からは、犯人と警察の交渉内容が進捗のあるたび知らされた。交渉人ナジマは先に百三十一歳の〈灰縄〉信徒一人を釈放することで、人質たる乗客達に対する必要最低限の配慮を要請していた。だからこそ手洗いも許可されたのだ。しかし水分は未だ支給されておらず、喉が渇いた乗客の中には飲用ではない手洗い場の水を飲む者もいた。
交渉は続けられていたが、人質解放の場所や手段、人数で難航しているようだ。それもそうだろう。人質解放の場こそ、警察が突入する絶好の機会になる。犯人達も警戒するだろう。だが、その犯人達の総数は依然として判明しない。だからこそ、警察も突入に踏み切れないのだ。
交渉内容の情報をドゥルーヴが掌に書いてやっても、キティは寝ているばかりで動きを見せなかったが、ケンからの短い言葉を新たに書いた瞬間、かちゃりとシートベルトを外す音をさせた。そのまま乗務員の許可も得ずに通路へ出ていく。
「キティ」
ドゥルーヴは焦って低く呼んだ。ケンからの最新情報はただ「東南アジア系の女性乗務員」とのみ。つまり、乗務員にも犯人がいたということか。確かに、そうだと考えれば犯人同士の意思疎通は容易だ。キティの意図は、その乗務員の注意を惹きつけることにあるのだろう。けれど、警察が周到に交渉している最中に騒ぎを起こしては、今まで積み上げてきたことが台無しになってしまうかもしれない。
「キティ、待て」
重ねて呼んでも、百五歳の社会心理学者からの反応はなかった。ドゥルーヴはアイマスクをずらし、自らもシートベルトを外して立ち上がる。娘を育てた経験から、保護者ならば、これが当然の行動だと確信できる。手洗いの個室内ではさすがにアイマスクを外したが、客席で目を開くのは本当に久しぶりに思えた。
「キティ」
束ねた長い金髪を揺らした小柄な背中は、後方へと通路を駆けていく。彼女もアイマスクを外したのだ。追いかけようとしたドゥルーヴに、一人の乗務員が素早く近づいてきた。
「お客様、どうかお席へお戻り下さい」
大柄なドゥルーヴを見上げてきた顔は、くっきりとした目鼻立ちの東南アジア系美女だ。直後、ハヌマーンが頭の中で叫んだ。
【その女を確保せよとケンより通信!】
「すみません、孫が言うことを聞かず……」
ドゥルーヴは弱り果てた表情で言いながら、彼女の足先を踵で思い切り踏みつけ、姿勢を崩した肩を全力で突き押して容赦なく床へ倒し、腕を捻り上げて確保した。ほぼ同時に、後方では主犯格らしい男に、前方では乗務員達に指示を出していた犯人に、船内自動消火器の噴射が浴びせられていた。一酸化炭素も無害化する化学物質入りの消火剤だ。
「確保!」
声高らかに叫んだのはケン。後方でも前方でも乗客達が一斉に動き、消火剤まみれの犯人達を、ともに消火剤まみれになりながら押さえ込んでしまった。消火剤の噴射が止まる中、ドゥルーヴは確保した乗務員の手足を、各座席の肘掛けから飛び出してきた酸素吸入器のチューブで縛り上げる。自動消火器と連動して出てくるものだが、長さも強度も丁度よい紐だ。
「こいつの見張りを頼む」
ドゥルーヴは、既にアイマスクを外しているケン、ジョウ、カイに頼んで、主犯格だという後方の犯人の許へ急いだ。新たな指示を出させないよう、捕縛し、監視しなければならない。
「酸素吸入器のチューブで縛れる!」
前方の犯人に対応している乗客達へ声をかけ、ドゥルーヴ自身は、通路に押さえつけられた主犯格の男の手足を縛り上げた。
「さすが、手際がいいですね」
一部始終を見下ろしていたキティが感心したように言ってくる。ドゥルーヴは眉を寄せて問い詰めた。
「一体全体、この連携と統率力は何だ?」
「乗客の三分の一くらいが、わたしの教え子なんです」
キティは苦笑して告げる。
「みんな、わたしのファンだそうで、一緒に〈姥捨山〉に来るそうですよ。こんな老婆相手に奇特なことです」
「そうだとしても、無茶が過ぎる。素人集団でハイジャック犯を捕らえようなどと」
責めたドゥルーヴに、キティは片眉を上げた。
「『素人』と一概には言えませんよ。前方の犯人の制圧には元警備員のウィリアム、この犯人の制圧には元軍人のミンが参加しています」
成るほど、心理学を学んだ人々の職歴はさまざまという訳だ。
「だが、警察の突入を待ったほうが安全だろう」
ドゥルーヴの指摘に、キティは肩を竦めた。
「突入まで待てば、犯人達が殺されてしまう可能性もあります。こんな若者達の命を確実に救えるなら、そのほうがいいでしょう」
「あんた達年寄りはいつもそうだ」
口を挟んできたのは、未だアイマスクをしたままの主犯格の男だ。うっかりしていたとドゥルーヴが反省して、手近な酸素吸入器のチューブで猿轡を噛ませようとした時、ケンがまた叫んだ。
「突入してくる!」
身構える間もなかった。擬似重力が一瞬で消え、シートベルトを外していたドゥルーヴ、キティ、制圧に参加していた面々、そして犯人達が空中に浮く。音もなく客席中ほどの緊急脱出用ハッチが開き、閃光弾が炸裂してドゥルーヴ達の視界を奪った。突入してきたのは、宇宙での突入訓練を積んだ機動隊だろう。ステルス仕様の宇宙船で接近していたのだ。
【視界を回復します】
ハヌマーンが便利に宣言し、急速に目が見えるようになった。乗客達の半分は、依然アイマスクをしていたため、何が起きたか分からず大人しく座っている。機動隊の突入部隊員達が、前方と後方に分かれて空中を飛んでくる。
「動くな!」
怒鳴ったのは、主犯格の男だった。ドゥルーヴは顔をしかめ、不意に訪れた無重力のせいで手を離れてしまった男を見据える。両手足を縛られた男は、アイマスクをしたまま、腰のベルトから二本の細い機械腕を伸ばして、キティをがっちりと捕らえていた。犯人だけあって、彼のアイマスクは透けて見えるよう細工したものらしい。何にせよ、犯人に勘づかれないよう、突入の予告は人質に対しても行なわないというセオリーが、完全に裏目に出てしまった状況だ。
「人質など取れば、命を縮めるだけですよ」
心理学者は冷静に説得を始めている。
「わたしは、きみを助けたいんです」
「あんたは何歳だ」
男は突入部隊員達を睨みながら問うた。
「百五歳です。遺伝子操作で、外見はこうですが」
キティは教えて、問い返した。
「きみは何歳ですか」
「四十一歳だ」
嘘か本当か素直に答え、男は続ける。
「〈灰縄〉が壊滅させられた時、おれはまだ十五歳だった。爺ちゃん婆ちゃん達はみんな、おれにだけは逃げろと言って、自分達は機動隊に無茶な抵抗して……」
突入部隊員達は空中で止まり、喋る男の隙を窺っている。ベルトから伸びた機械腕は、建設現場などで使われるもので、キティの華奢な体など簡単に抱き潰してしまえるだろう。一瞬で終わらせるべき突入制圧は、失敗してしまったのだ。
「あの爺ちゃん婆ちゃん達が何をした?」
男は淡々と語る。
「親と喧嘩して家を飛び出して放浪していたおれを住まわせ、食べさせ、何くれとなく世話を焼いて、自分達が人生をかけて学んできたことまで、惜しげもなく教え込んだ。政府は、あの爺ちゃん婆ちゃん達に何をした? 人生をかけた仕事という生き甲斐を、誇りを、容赦ない定年制で傷つけて奪った。あの元首を殺しに行って何が悪い? あっちが先に、爺ちゃん婆ちゃん達の生き甲斐を奪って殺そうとしたんだ。実行犯に志願した爺ちゃん婆ちゃん達は、他のみんなのために命を張った。そもそも、殺す気もなかったかもしれない。ただ、大事件になって、年配者達がどんな思いでいるかを世間に知らしめたかったんだ。でも、世間が元首や政府を非難したのは、ほんの一時だった。〈灰縄〉のことは忘れ去られて、今日もこうして、〈姥捨山行き〉に乗る老人達がいる。だから、おれはこのハイジャックを実行したんだ」
「彼女が乗務員として、この〈姥捨山行き〉に配属されたことを機に、ですね。彼女の眼差しからは、きみに心酔していることが読み取れます。恐らくあなたと同じように〈灰縄〉の方々に世話をされた子なんでしょうね。前に座っていた子も同様でしょうか」
キティが捕縛された乗務員のほうを見て言い、溜め息をつく。
「全く、若者は短慮でいけません。〈姥捨山〉へ、わたし達は自分の技能を最大限活用するために行くのです。長年の付き合いがある、人生の仲間同士で。楽しそうでしょう?」
キティは、愛らしく微笑む。
「勝手に憐れまないで下さいね?」
言葉を失った男の頭へ、心理学者は手を伸ばし、ゆっくりと黒髪を撫でた。
「そして、もしよければ、将来的に〈姥捨山〉に住んで下さい。それまでに、わたし達があの惑星を、とても住み易いところにしておきますから」
「ーーできるだけ早く行く」
男は低い声で応じつつ、ゆっくりとキティを離していく。
「そして、あんた達と、楽しい人生を、自分の近くを活かす人生を、送りたい」
「待っています」
「待っている」
「待ってるぜ」
「待っていますよ」
多くの声がキティとドゥルーヴの声に重なり、一瞬後、突入部隊員達が動いて男を確保した。
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