親愛なる我が隣人

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親愛なる我が隣人

 たこ糸に括り付けられた餌が水底にゆっくり落ちていく様を見失わないために、イサリとシャクは地面に寝そべった。水面の向こう側からばれないよう、のぞき込むように顔を出す。そして、藻が繁殖している箇所へ餌が落ちるよう手元の枝を左右に動かす。二度、三度と繰り返して、ようやくイサリ達が狙いをつけたポイントに餌を誘導することができた。
 後は今日の獲物であるザリガニが餌に飛びつくのを待つだけだ。食らいついたら慌てずにゆっくり引き上げれば見事釣り上げられることだろう。そのためには、ぴくりとも動かない餌から常に目を離さないよう集中しなければならない。
 欠伸をするシャクを横目に、そうとはわかっていながらも、イサリの頭の中は別の事でいっぱいだった。
 イサリはもうすぐ十八歳を迎え大人の仲間入りを果たす。そしてようやく未成年がこめかみに装着している小型脳波スキャナー「マハ」を取り外し、大人だけが持つ自立思考補助装置「ヨフナー」を作成することが許されるのだ。
 ヨフナーは両手に乗るくらいのサイズが一般的で、眼窩部分へマハを埋め込むことで完成する。その形態は動物型や植物型など、個々人によって多種多様だ。起動後は十八年間サンプリングした脳波から所有者の思考パターンを演算して、都度都度所有者にとって最も適したアドバイスをしてくれる。成人の証であると同時に、一生涯を共に過ごす良きパートナーでもあるのだ。
「イサリはもうヨフナーのモデルって決めた?」
 もう一度大きな欠伸をしながら、シャクが聞いてくる。
「まだ。動物型に、とは思ってんだけど」
 竿代わりの枝を左右に揺らしながら、イサリは言った。水中には餌だけが変わらずそこにある。
「子犬とかのメジャーなやつでいいんじゃない? どうせ後からカスタムできるんだし」
「ペットみたいでなんか嫌だ。それに金の無駄だ」
 イサリの家にモデルをカスタムするだけの余裕はない。作成時のモデルがそのままヨフナーの一生の姿になるのだ。それに、ヨフナーはペットではなく良き相談者である。だからこそ、ペットのような愛玩動物の姿にするのは嫌だった。
「難儀だね」
 シャクが呆れたようにため息を吐いた。
「シャクも後一年したらわかるさ」
「その時は今日みたいに、今度は僕の相談に乗っておくれよ。でも、今の気分で言うならザリガニがいいかなぁ」
 ふうん、と投げやりに言葉を返す。思いつきで喋るシャクへ真摯に応えるほどの余裕は、イサリにはないのだ。
 水中に獲物が現れる変わらず様子はない。イサリはそっと枝を地面に置いた。
 イサリは成人を迎える日がずっと待ち望んでいたが、いざその日が目前に迫りこうして悩んでいると、今度は逆にその日が来ないで欲しいと思えてきた。モデルを定めないまま成人になるのは、自身のヨフナーに対して不誠実であるように感じ始めたのだ。別に成人を迎えて直ぐに作る必要はないが、殆どの成人はそうしているし、大多数の人と異なる行動を取るのは周りから浮くようで、そうなることもまた嫌だった。
 だからこそ考えがまとまらないこの状況は、イサリの心を着実に焦りへと追い立てていて、こうして前時代的な生活──例えば目下挑戦中のザリガニ釣りだ──に取り組むなどの突飛な行動へ出るようになっていた。
 この行動に意味はないとイサリにはわかっていたけれど、モデルを決める足掛かりになるのではないかという淡い期待は持っていたし、また、少しでも何か手を動かさなければという、ある種脅迫観念のようなものがあることも自覚していた。
「なんにせよ、だ」
 シャクがもったいぶった言い方をする。イサリは黙って続きを促した。
「君の方、かかってるぞ」
 慌てて意識を水中に戻せば、シャクの言うとおりザリガニが餌を器用に挟み込み、ゆっくり口に運んでいる。ずっと水面を見ていたはずなのに、イサリは全く気づいていなかった。
 枝を手にしなければと、咄嗟に拾い上げたせいだろう。糸が大きく振れて、つられて餌も大きく動く。そうすると食事の時とは嘘のような速さでザリガニは藻の下へ隠れてしまった。
 「あぁ!」と思わず口に出せば、「不器用だなぁ」とシャクが大きく声を上げて笑った。あまりに大きく笑うものだから、イサリは小さく舌打ちをした。
「日が暮れるまでまだ時間はある。次を待てばいいさ」
 笑い終えた後シャクが枝をゆらゆら揺らしながら言った。そこにイサリを馬鹿にするような意図はなさそうだった。
 シャクが言うように日はまだ高く昇っている。落ち始めるまではかなりの時間がありそうだ。イサリは新しい餌を取り付けると、もう一度先ほどのポイントに落とす。
 餌に食らいつくのは当分ないだろう。
 イサリは餌が水底に沈んだのを見ながら、再びヨフナーのことを考えることにした。
 そうだ。まだ時間はある。
 少なくとも、日が暮れるまではまだ。

文字数:1981

内容に関するアピール

 2000字という制限下でありえないを書くには、その要素をエッセンス程度に収めつつ、日常の一幕を記した方が我々の生活との差異を目立たせるのではないかと考えました。
 本内容は準備が終わらないうちに成人を迎えることに悩むイサリと、まだ先のこととして暢気に付き合うシャクのある日の一幕です。
 ありえない要素である「マハ」と「ヨフナー」は、家族や恋人、友人以外で自身の考えを汲み取り深い付き合いを一生涯為す存在がいたらという仮定で用意したものです。「マハ」は「私の心(My Heart)」、「ヨフナー(YoFNeR)」は「親愛なるあなたの隣人ロボット(Your Friendly Neighborhood Robot)」という意味合いで名付けました。本要素はchat GPTやAIBO、自作ロボット、画竜点睛といったところから着想を得ています。

文字数:363

課題提出者一覧