梗 概
ありふれた事件の弁護について
弁護士、宗藤卓、五十三歳。普段は死んだ目の男。
今日、ある裁判が始まる。
彼は被疑者、山本タナウが惑星K2ー18Bから飛来した宇宙人であると証明しようとしていたのである。
遡ると数か月前、殺人罪に問われているタナウの弁護を担当することになった。
タナウは入管難民法違反の無国籍の女性だった。三木幻次郎殺害の容疑がかけられている。
彼女は罪を認めていたが、被害者の死に方に不審な点が多く、犯人とは思えなかった。タナウは小野田都志朗という男と同棲していた。事件直後から都志朗は行方不明となっていたのも不可解だった。卓は都志朗の罪を庇っているのではと追求するが、彼女は黙秘した。
何度も顔を合わせるうちにふたりは不思議と打ち解けてきた。卓は彼女の様々な特性を知っていくうちに人間ではないのではないかと思い始める。
ある日、差し出された菓子を頑なに食べなかったタナウだったが、マロングラッセを出すとこっそり食べ始めた。彼女は掌をイソギンチャクのように変化させ食事を取っていたのである。
その様子に卓は小学生の頃を思い出した。
五年生の夏、仲良くなったK2ー18B出身の宇宙人のことだった。友達のいない彼にとっては唯一の友達だった。彼はマロングラッセが好きだった。彼もまた掌から触手を出して食べていたのだ。彼はいつの間にかいなくなっていた。警察に連れ去られたと風の噂で聞いた。その時の悲しみと悔しさを思い出したのだった。
もしかしたらタナウはあの時の友人と同族かもしれない。
卓は裁判の戦略を練り直す。タナウを宇宙人であると証明するのだ。宇宙人は動物相当の扱いを司法では受ける可能性に懸けた。動物と認定されれば、殺人であっても重過失致死罪で裁かれる可能性が高い。タナウは人間扱いされないことに難色を示すが、卓は罪を軽くしたいと何度も説得を試みる。彼女は最後には納得し、真相を卓に話した。
法廷の当日、卓はタナウが宇宙人である証明をいくつも提出した。
「彼女には強い放射線耐性があります。彼女の身体にはDsupと呼ばれるタンパク質が存在し、デオキシリボ核酸を保護している。データはこちらです」
あらゆる手を尽くした卓は、次第に人々を信頼させていく。しかし検事の追及によって証明が失敗しそうになった。そこで卓は最後にとっておきを使った。
卓はジュラルミンケースから生首を取り出す。それは行方不明になっていた小野田都志朗であった。明らかに生きられる状態ではないのに話し続ける生首に法廷は騒然。一時、休憩となった。
事件の真相は途中まではありふれたものだった。被害者、三木幻次郎と小野田都志朗は金銭トラブルから殺し合いに発展。幻次郎は都志朗の首を斬って殺害する。が、現場に居合わせたタナウが都志朗を生首状態で生き返らせてしまう。驚いた幻次郎を生首の都志朗が噛み殺す。タナウは生首のまま生きている都志朗を身体と共に廃工場に隠したのだった。
共犯の宇宙人と人間だったが、一度死んだ上でしゃべる生首をどう弁護したものか。卓は滴る汗を拭ったのであった。
文字数:1263
内容に関するアピール
裁判小説を一度書いてみたいと思い、梗概を書きました。……ワンシュチュエーションで書くということのニュアンスが良くわからず、例として挙げられていた法廷をそのまま使いました。宇宙人が仮にいたとしても動物扱いになるという話は一応、法学部卒の友人に聞いた話なのですが、実際どうなのでしょうか。実作にあたっては参考文献を読み漁らないと書けなさそうなのが気がかりです。まぁ、リーガルハイくらいのなんちゃってでもいいのかもしれませんけれども。キャラクターは気に入っているので、生き生きと書けたらなぁと思います。よろしくお願いします。
文字数:259
ある事件
「僕は貴方を無罪にしたいんです」
主任弁護士、江藤広樹の祈りに似た言葉にタナウは物憂げな表情を浮かべた。
「僕、トシロウのこと殺してないよ」
目の大きい美人の割に喋り方はまるで少年のようだった。真っ白な短い髪は絹糸のように滑らかで、肌理細かく、まるで陶器のようにも見えた。
彼女は目を逸らし、長机に置かれたブロック型のカレンダーを見た。平成三十二年七月五日と表示されていた。
裁判まで一年以上かかった。
広樹は裁判で勝てる冴えたやり方を知っていた。けれども今回は冴えたやり方は使わない。もっと不細工な魔術のような手を使う。それがタナウの為になるはずだ。
「でもね……」
タナウはつぶらな瞳でじっと広樹を見つめた。広樹は彼女の蜂蜜色の目に見つめられている部分からじわじわと蒸発してしまいそうな気持ちになった。
広樹は首を横に振る。偏見は出来うる限り捨てなくてはならない。
「弁護士は貴方を裁くんじゃない。守るんです。それに貴方は裁かれても意味はありません。それよりも出来ることを考えましょう」
広樹は言った。神代タナウは眉毛を下げて俯く。長い睫毛で肌に影が出来た。
「ひとつ聞きたいんです。どうして地球へ?」
広樹が言うと、タナウは目を細めた。
「母上? いや父上かな? うんこういう場合はきっと父だね。父上がね。素敵な場所だから一度行ってみるといいって」
微笑を浮かべた彼女は可憐と呼ぶにふさわしかった。数ある宇宙の星から地球を選んできてくれたんだ。それなのにこんなのあんまりだ。広樹は拳を握りしめる。
「わかりました。僕は貴方の無実を証明します」
タナウが目を潤ませた。
「被告人、名前は」
「俺の名前はタナウ。日本では神代タナウと名乗っています」
「年齢は」
「四百十一歳。地球人換算年齢十九歳です」
新東京地方裁判所の傍聴席のざわめきを感じ、広樹は居ずまいを正す。検査官、宮本蒼馬は鋭い目を向けていた。
「本籍は」
裁判官の質問は続く。戸惑いは見せつもりのようだが、声は上ずっているように聞こえた。
「太陽系外惑星K2ー18Bです」
人々の声がどよめきのようとなって唸る。裁判官が咳払いで諫める。
「住所は」
「新東京府新江戸川美蘭町二丁目四番地五号木下アパートです」
「職業は」
「無職です」
タナウの鈴のような可憐な声は表彰台に立たされる優等生にも似ていた。
「被告人、神代タナウは新東京都新江戸川区美蘭町二丁目四番地五号所在の小野田都志郎当時三十六歳の頸部を切断し、頭類部を持ち去っものである」
冒頭手続きの間、傍聴席の声はひそひそとさざ波のように響いていた。
蒼馬検査官がじっとタナウを睨む。警察はタナウを犯人にしたいようだった。
「被告人は地球年西暦千六百九年に太陽系外惑星K2ー18B、しし座方向に百二十四光年も離れた惑星人として生まれた」
タナウが日本国籍どころか地球人ですらない事は争点ではない。裁判の前に広樹は彼女の身の上の説明にかなり時間を掛けなければならなかった。通常、二ヶ月後に始まるはずの裁判が一年以上も後ろ倒しになったのはそれが理由だった。
太陽系外惑星K2ー18Bは岩石惑星で、主星の赤色矮星は恒星活動が活発の為、強い放射線が放たれていた。その為、タナウには強い放射線耐性がある。Dsupと呼ばれるタンパク質が存在し、デオキシリボ核酸を保護しているのだ。これはクマムシなどが持つタンパク質と似たものであり、人間が持ちえないものであった。
タナウの身体検査をした担当医と調査にあたった生物学者が興奮気味の熱弁を振るわなければ彼女は無戸籍の日本人として処理されるところだった。
とはいえ、彼女が異星人であることで裁判を有利に進められるかは賭けなのだがと広樹は思った。
「三年前、平成二十九年三月十四日頃、あきる野市秋川の山中に飛来。その後、居を点々と移し、平成二十九年十一月二日より新東京都、美蘭町の惣菜店、若菜に勤務」
タナウは朗々と喋る蒼馬の姿を眺めながら、そういえばこんな風に理路整然と話す人間を初めて見たと思った。
蒼馬が眼鏡を押し上げる仕草にタナウは視線を向けた。
「神代タナウは同じアパートに住む小野田都志郎と逢引を重ね、平成三十一年二月十五日頃より半同棲生活をはじめる。二人の関係は付近の人の口に上っていた」
彼女の星には恋人に相当する単語も概念もないらしい。タナウは都志郎との仲を恋人同士と表現されることを不思議がっているようだ。傍聴席は相変わらず騒めいていた。いくにんかの男はタナウを舐めるようにしげしげと見た。タナウは仕事中によく他人から向けられていた視線を思い出し、少し怖くなった。
「いらっしゃいませ」
「今日もいい声だね。涼やかだね」
涼やかな声と評されるとタナウは少し困ってしまう。彼女の祖国では音声言語に性差や年齢差がなく、音階も一定だからだ。音色が少しでも違えばそれは別の言語になってしまう。彼女の国にはそういった意味で差別がなかった。なので、声に良し悪しがあるという理屈がよくわからなかったのだ。
タナウは一瞬眉を下げた後、無難にありがとうございますと笑顔で答えた。
「元号が変わるって話があったけど結局延期になっちゃってさ。そりゃ崩御もしてないのに変わるのはおかしな話だよね。お陰で来年も平成が続くわけだ」
春の日差しが窓から差し込む。惣菜を三品購入した男は何かと理由をつけて居座ったが、厨房の夫婦に見咎められ慌てて会計を済ませた。
「また来るよ」
中肉中背の中年男は名残惜しそうにのろのろと去っていく。惣菜店の女将、香川祥子がタナウを慰めた。
「あのオッサン。あんたに惚れてんのよ。やーね。身の程知らずで」
祥子は夫の香川隆敏以外の男をうっすら嫌っていたのでそういった意識が言動に出ることも多かった。けれども持ち前の明るさと明け透けな調子で嫌われる事はなかった。タナウは彼女が従業員として、いやそれ以上に自分の子供のように自分を守ってくれようとするのが嬉しかった。
「おば様」
「やめてよこそばゆい! 祥子って呼んで!」
肩を叩かれタナウは身をかがめる。
「祥子さん。どうして俺を雇ってくれたの?」
タナウが店で働くようになってから客層が変わったと隆敏に言われたのを思い出した。娘に悪い虫が付くのを嫌がる父親のような表情にタナウは申し訳なく思っていた。きっと良くない客が自分目当てにやってきているのだ。だからつい祥子に採用理由を聞いてしまった。
祥子は目尻の皴をくしゃっとさせて優しく言った。
「あたしの娘も色素が薄くてね。そりゃ学校でいじめられるわ、頭髪を染め直せだの言われて苦労したのよ。あんたのそれ地毛でしょ? わかるのよ」
タナウは白い髪が日本で不利に働くとは思っていなかった。だから就職に苦労した理由が自分の容姿だと知らなかった。
「それにちょっと似てるのよ。娘の美琴に」
ま、ご遺体も見つからないまま死んじゃったけどね、と大笑いしながら彼女は言った。
「隕石にぶつかったなんて可笑しいわよね!」
悲愴な感じはない。だからこそ彼女の悲しみの深さがタナウに伝わった。タナウは瞼が熱くなるのを感じる。タナウは彼女の娘になりたいと心から思った。けれどきっと無理なのだとも感じた。
「祥子さん。ありがとう」
彼女が言うと祥子はタナウの頭を引き寄せて胸に抱いた。
「被告人は起訴状に対して何か言う事はありませんか。むろん、黙秘の権利があります。有利不利に関わらず証拠として採用されることをお忘れなきよう」
裁判長の言葉にタナウは意識を懸命に法廷に戻した。息を大きく吸い込み言葉を発する。
「小野田都志郎の頭を連れまわしたのは確かですが、殺していません。見つけた時にはもう……」
タナウの言葉は広樹が教えたものより随分と幼い言い回しになっていた。が、ちゃんと殺人を否認してくれて安堵の息を漏らした。
「ではこれから証拠調べにはいります」
裁判長は平素の調子を取り戻した。蒼馬は鼻を鳴らし書類を読み上げる。
「平成三十一年五月二十五日、午後二時半、神代タナウは仕事を探しに三つ離れた駅のハローワークに午後五時頃まで時間滞在。その後、スーパーとドラッグストアで買い物の後、午後八時頃帰宅。居間で倒れている小野田都志郎を発見。午後八時半頃、タオルケットに包んだ小野田の首を抱え逃走。その様子は交番勤務の巡査が目撃している。五日後、五月三十日午後十八時十分頃に緋色町の使われていない町工場にて銃乱射の通報がり、に突入した警察により神代タナウは確保された」
彼女は取り調べで殺人を自白しなかった。
警察が彼女の取り調べをどのように進めたかは知らない。しかし、面会室ではじめて出会った時、彼女が憔悴している様子は全くなかったので、察しはついていた。恐らく暖簾に腕押しといった感じだったのだろう。
心身の自由を奪われ、長い取り調べを経た被告人がほとんど打ちのめされて青くなっているのを広樹は弁護士として目の当たりにしてきた。けれどもタナウは桃色の肌のまま美しい顔色で現れたのだ。
広樹はその時、彼女が人間ではないと直感した。
蒼馬検査官も同じような気持ちになったに違いない。彼は眼鏡のガラス越しの目が冷たくタナウを一瞥した。
最初の証人として立たされたのは三木幻夢だった。
「三木幻夢さん。あなたは二年前、あきる野市の交番から新江戸川区美蘭町の交番勤務になりましたね」
「はい」
幻夢は真面目そうな顔をして答えた。しかし、どうにも過去のヤンチャを引き摺ったような雰囲気を醸し出していた。警官になれたということは履歴に傷を付けない程度だったのだろう。けれどもどうしても普通の人の醸す気配ではなかった。
「私の勤務する交番からは木下アパートはよく見えます。あの日は午後八時半頃でした。ちょうど巡回から帰ってきた時だったので」
彼はタナウがバスタオルにくるんだ小野田の頭を持って逃げるのを見たと証言した。
一瞬、幻夢はタナウに視線を送る。それから強張った表情で視線を逸らした。タナウが眉をひそめる。広樹はタナウから三木の素顔を聞いていたので、いけしゃあしゃあと、と憎々しく思った。タナウは幻夢とトシロウのことを思い出した。
肉を打つ鈍い音をタナウは初めて聞いた。食肉を柔らかくするためにハンマーで叩く音とは違う。もっと悪意のある音のように思えた。
「運が悪かったよなぁ」
黄色の歯がぎらぎらと夕映えに照っていた。煙草の饐えた匂いがタナウの鼻をついた。三木幻夢がトシロウのアパートにやってきたのはこれが初めてだった。タナウは玄関先で冷めた弁当の入った袋を持ったまま立ち尽くす。
困っていたお年寄りを助けたはずが、財布を盗んだと汚名を着せられたのが発端だった。老女の財布は都志郎が見つけた。しかし、彼女は都志郎が盗ったのだと交番に駆け込んだ。そこに居合わせたのがその日、初勤務の三木幻夢だった。彼は都志郎に警察としてあんたを罪に問うことも出来ると脅して金をせびっていたのだ。
都志郎は知識がなく、幻夢の言いなりになっていた。タナウは幻夢の名は聞いていたが家にまで押しかけてくるとは思っていなかった。
「窃盗でしょっ引いてもいいんだぜ」
胸倉をつかまれたトシロウは充血した目で幻夢を睨む。唇を歪めてもう一発トシロウを殴る。鼻から血が噴き出した。タナウは胸を右手で掴んで息を乱す。止めに入ろうとしたが、トシロウの切れ長の目がやめろと訴えていた。
「金用意しておけよ」
幻夢は玄関で立ち尽くすタナウを認めるとひゅっと呼吸を引き攣らせた。それから首を振り、わなわなと震えた。
「どけよ!」
タナウを突き飛ばし幻夢は玄関扉を乱暴に開けて出ていった。何が起こったのか分からなかった。
「血が……」
「いいって」
タナウの指はトシロウの鼻孔下を触った。トシロウは彼女の指をやんわりと弾いて鼻を押さえる。彼はそのまま台所に行き、蛇口から流れる水で口をゆすぐ。鉄の味がすると呟きが聞こえた。
「俺、ちょっとコンビニ行ってくる」
「え? うん」
トシロウが財布をズボンのポケットに突っ込んでタナウを置いて出ていった。腐食した鉄階段を下りる小気味よい音が遠ざかっていく。
タナウは畳に座り込み、数秒間、血の付いた指を見つめた。鮮やかな赤だ。開きっぱなしにしていたスケジュール帳の十月のページに血が滴った。タナウ口に指を差し入れる。
「これが鉄の味……」
口の中に広がる不快な味はいつまでも残っていた。
タナウの意識が法廷に戻ってきた。
検察側が呼んだ次の証人は検死官の佐々木智弘だった。
「検死官。貴方の検死はかなり正確だと聞いています。だからこそお聞かせ願いたい」
蒼馬が僅かに声を張り上げる。タナウははっとしたように顔を上げた。
「なんでしょう」
汗を拭う智弘の手の動きが活発になった。
「小野田都志郎の死亡時刻についてです」
智弘が身体を強張らせた。
「小野田都志郎の胴体のみの遺体発見は五月二十五日、午後十時ちょうど。小野田の勤務先の同僚が第一発見者だ。金曜の夜なので、酒盛りをしようと連絡もなしに訪問した。その時、彼の腕時計の時刻モードの音が鳴ったとの供述があります。しかし死亡時刻は五月三十一日の午後十一時五十八分」
裁判官が斜め上に視線をやった。矛盾に気が付いたようだ。
「もう一度いいます。小野田都志郎が亡くなったのは平成三十一年五月三十一日の午後十一時五十八分ですね。証拠に照らして間違いありませんね」
「死後硬直の状態から死後百二十時間以上経過しているとは言えませんでした」
彼が現代医学ではと言い出す前に広樹は追及する。
「もっと正確にお願いできますか?」
広樹の追及に智弘の汗がさらに溢れ出た。
「……小野田都志郎が運び込まれた時、彼は確かに頭類部と体幹が切断されていました。けれども彼は、五月三十一日の時点でまだ体温が三十六度を保っており、脈拍、心拍も正常でした」
「つまり彼は三十一日まで、彼は生きていたと言って構わないのですね?」
「そ、それは現行の医学でははっきりと申し上げられません。頭類部がなかった為、意識の確認が出来ず、そういう状態の人間を生きているとは……」
「しかし、二十五日から三十一日まで頭部がなくても生命を維持することは出来ていたと証拠が訴えています。つまり神代タナウが小野田都志郎の頭部を持ち歩いたことによって殺害してしまったとうことは十分にありうる。彼女が異星人であるならば、本当は小野田都志郎を生かすことも可能だったのではありませんか。つまり小野田都志郎の死を隠蔽する悪意があったと考えることも」
「意義あり。科学的根拠を欠く憶測にすぎません」
広樹の声が響く。蒼馬が周りを見渡す。タナウが宇宙人であるという前提を共有する為だろうか。皆の表情に疑念が浮かんでいた。
ここでしくじればタナウは殺人犯にされてしまう。
弁護人としてそれは阻止せねばならない。
その後も検察側の証人尋問、証拠書類の全文朗読が続いた。タナウは疲れも見せずにじっと座っていた。
「ありがとうございます。佐々木さん。質問は以上です」
智弘は汗をかいている。広樹はその汗の理由を知っていた。
「タナウさん。ここから本番です。大丈夫ですか」
広樹に話しかけられタナウは顔を上げた。
「大丈夫だよ」
小声で返すが、声が僅かに震えていた。広樹は休憩を打診したが、タナウは首を横に振った。
「次はだれが来るの?」
裁判官が被告人側に向き直ったのはちょうどタナウが広樹に質問した時だった。広樹はタナウの質問に答えず、裁判官を見つめた。
「弁護側の証人を呼ぶ準備はできていますか?」
「はい」
広樹は立ち上がる。同時に医師が臓器搬送用のケースを持って現れる。傍聴席だけでなく裁判官や検査官からもざわめきが聞こえた。
「最初にひとつ。検死官。貴方は真実を言いませんでした。そうですよね。佐々木さん」
名指しされた智弘が肩を震わせた。
「小野田都志郎の死亡時刻は確かに平成三十一年五月三十一日の午後十一時五十八分です。しかしそれは首から下に関してだけです」
蒼馬検査官が口を歪ませた。あり得ないとでも言いたげな表情を浮かべている。
「頭部はまだ生きています。そしてここに証人として来ていただきました」
悲鳴が上がる。
金属製のケースの中には透明のケースがあり医療機器に繋がれていた。透明ケースの中には人の頭がある。少し虚ろなその目はしかし、まだ意識があった。
「あなたの氏名と美蘭町での職業を教えてください」
「小野田都志郎。職業は自動車整備工です」
呼吸器から洩れる吐息が響き渡る。その場にいるほぼ全員が叫び出すのを堪えているのが分かった。腐りかけた首の断面から腐臭がする。
「意義あり!」
蒼馬が挙手するのももっともである。広樹は自分の行いが人道に反するものか分かっていた。本来死んでいる人間を無理矢理つなぎ止め、生かして証言させようというのだから。けれども広樹は彼を連れてきた。
「トシロウ」
タナウが震えながら言った。広樹は都志郎が微笑んだのを見た。
神代タナウは急いで玄関を開けた。もう夜の八時だった。
「トシロウ。遅くなってごめんね。いまご飯作るからさ」
木造のアパートは軋む音を上げた。タナウの目には、台所と居間を隔てる擦り硝子に赤い飛沫が迸っているのが映し出された。扉の隙間から親指の生地が薄くなった靴下が見えた。
タナウは靴をばらばらに脱ぎ散らかしながら立て付けの悪い硝子戸をこじ開ける。
いつも二人で食事をするちゃぶ台の横、畳の上に都志郎が仰向けに横たわっていた。身体から力が抜け、首はタナウの方を向いていた。切れ長の目には光がなく、だらりと開いた口からは血が漏れていた。額には汗の粒が出来ている。
首が切断される寸前で皮一枚でとどまっているのが分かった。血飛沫が宙を舞ったのか天井も壁も一面赤かった。
小野田都志郎はほとんど死んでいた。首を切断されて、まだそれほど経ていないのか、タナウが彼の身体に触れるとまだ温かかった。夕日が沈み切る前の紫の空に浮かぶ夕映えが都志郎を照らしている。彼の姿をタナウは美しいとも思った。
温かい身体に抱きついていると胸の中に言いようのない気持ちが膨らんでいった。タナウは血の流れる彼の唇に自らの唇を押し付ける。地球人が親愛を込めてする仕草だ。
「トシロウ。俺、どうしよう」
都志郎の目から透明の液体が流れた。それはタナウのものだった。俯いた彼女の目から流れた涙が都志郎の目尻に落ちたのだった。
都志郎の口端が揺れたように思えた。
お前はすべき事をしろ。
タナウには彼の声が確かに聞こえた。
もっとよく聞こうと思わず彼の首を持ち上げた。メリメリと皮膚が裂ける音がした。タナウはああ駄目だと思った。本当は自分の故郷の技術を他星で使うのは禁じられていた。けれども彼女は我慢できなかった。粒子状の微生物を都志郎に寄生させた。
「トシロウ。お願いもういっかい言って……」
タナウは生首に頬摺りした。
窓の外が騒がしい。マスコミが張り込んでいるのだろう。広樹は朝刊を開き、見出しを睨んだ。
『生首が語る真実! 発端は三年前の少女強姦殺人。隕石衝突に紛れて犯行か?』
見出しは事実のある一面を語っていた。
生首状態の小野田都志郎が三木幻夢に殺害されたことを証言。それにより仮に幻夢が都志郎を殺害したのが真実だとして、なぜ殺害に至ったのかというのが裁判の争点にすり替わった。
その後の再捜査で、三木幻夢はあきる野市の交番勤務だった最後の年、たまたまキャンプに来ていた香川琴美を強姦しようとし、抵抗されたために殺害したと判明した。
小野田都志郎を脅して金を受け取っていた幻夢はある日、都志郎の恋人、神代タナウが殺したはずの香川琴美にそっくりな事を知ってしまう。
三木幻夢は都志郎の殺害に関してこう供述している。
『俺がモノにできなかった女と寝ているのが許せなかったと』
広樹は椅子の背もたれに寄りかかる。
平成二十九年三月十四日。タナウが地球へやってきた日。
その日は突如地球圏に現れた巨大流星の話題で持ち切りだった日だ。広樹も赤い火のような流星を見た。流星は焼ききれずにあきる野市秋川渓谷の某所に落下。
落下時の災害に巻き込まれたのは香川琴美だった。
タナウの働いていた惣菜屋の店主も香川という名前だった。こんな惑星直列があるだろうか。広樹はいや、と思い直す。
タナウはもしかしたら琴美の遺体を目の当たりにしていたのかもしれない。
そしてはじめて目にした人間の遺体を模して自分の姿を作り上げた。
その時に琴美の魂なるものがタナウを母の元へ、香川祥子の元へ向かわせたのではないか。
広樹は首を振る。
彼はタナウに入れ込んでいる事を自覚せざるを得なかった。ふと新聞記事の文章が目に入る。
『神代タナウは小野田都志郎の頭部を埋葬しようと廃工場へ向かったが、出来なかったと供述している。その後、小野田都志郎を延命。尚、彼は神代タナウの無罪判決が決まった翌日には息を引き取った』
タナウはどうしているのだろう。
広樹は手続きを終え、もう関わりのなくなった美しい異星人を想った。
「弁護士さん。ありがとう。これから僕に出来ることをするよ」
泣くのを我慢するような表情でタナウが言ったのを思い出す。広樹はタナウがもうこの地球に神代タナウとして存在しないのだろうなと思った。
「ありがとうございました。またどうぞ」
常連客を見送って、祥子は会計カウンターに頬杖をついた。
二年程前、アルバイトで雇っていた神代タナウの無罪判決が決まったとテレビで見てから、彼女は夫と共に泣いて喜んだ。傍聴席に行くことは出来なかった。もし万に一つ、有罪判決が出たら喚いてしまいそうだったからだ。
流行病が蔓延し、お店の休業、短縮営業を余儀なくされ、彼女はタナウを雇い続けることが出来なかった。タナウはお店の経営悪化を察知したのか
「俺、他の仕事がしたくなったの」
と言ってアルバイトをやめてしまった。祥子も夫も説得したが、頑なにタナウは辞表を二人に握らせた。無用な気遣いだった。けれどもそんな気の使い方も娘の琴美に似ていて祥子は思い出す度に目が潤むのだった。琴美もふたりに気を使って進学せず、高卒で働くと言った。小さな不動産会社に就職が決まり、春休みはキャンプをすると言って美蘭町から電車で二時間程の渓谷へ向かった。そこで彼女は流星の衝突に巻き込まれ遺体も残さず死んでしまった。
祥子と夫はけれども仕事を休むわけにもいかず、機械のように働いた。琴美が死んでから数か月後、冬に差し掛かった頃だ。気力を失いつつあった彼女達の元にやってきたのがタナウだった。タナウは琴美に似ていた。容姿も性格も。違うのは色素の抜けた白すぎる髪と話し方だけだった。
祥子と夫はタナウが娘が遣わした天使だと思った。彼女を娘にしたかった。けれどもタナウは事件に巻き込まれ時の人となり、遠い存在になってしまった。
どこにいるのかも今はわからなかった。
「あの……」
張りのある若い声だ。祥子ははっと目を大きく開いた。
目の前には忘れもしない少女の姿があった。
「お母さん……!」
祥子の視界が歪む。
「琴美!」
日に焼けた薄い茶色の髪。染めたわけではない地毛。琴美は何故か高校の制服姿でそこに立っていた。
「タナウって人が私を……」
それ以上は続かなかった。カウンターから飛び出した祥子に抱きしめられ息が詰まったからだ。祥子は琴美がいなくなって以来はじめて大声で泣いた。
文字数:9551