狂人が住む家

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梗 概

狂人が住む家

杉坂賢治は気がつくと、腕と足をロープで縛られて見知らぬ部屋に転がされていた。ここが何処なのか、なぜ自分は縛られているのか分からなかった。鈍痛がする頭を動かして周囲を見回してみる。どうやらここは応接間のようだ。「こっちを見ろ」という声が耳に入る。そちらに目をやると、不気味な笑みを浮かべた六十代くらいの男が立っている。その男の顔を見ていると賢治はしだいに記憶が戻ってくる。(そうだ、僕はこの家に訪問販売に来たんだ。玄関先で自社の商品を説明していると、「お茶でも持ってこよう」と言って男はグラスに入れた冷たい緑茶を持ってきた。喋り続けて喉が渇いていたので一気に飲み干した。すると、急に意識が遠のいて、気を失ってしまったようだ)
 男は賢治に向かって語り始める。
「俺は科学者で発明家だ。もうすぐ人類は滅亡する。人類を救えるのは俺だけだ。これを見ろ」賢治は男が指差すほうを見ると、部屋の壁に暖炉のような四角い穴が空いている。
「この穴の向こうは異次元世界だ。俺が発見した。そこに救済者がいる。今からお前をこの穴に放り込む。そうすれば人類は救済される。おまえは生贄だ」
 賢治は男が何を言っているのか理解できない。この男がまとまじゃないことだけは分かった。賢治は、この部屋にもう一人縛られている若い男がいることに気づく。怯えて震えている。
「さてと、どっちを先に穴に放り込んでやろうか?」
 男は薄ら笑いを浮かべながら二人を交互に見る。
「おまえにしよう」
 と言って男は賢治ではない若い男を担いで穴に放り込む。穴の暗闇の中から若い男の絶叫のような悲鳴と咀嚼するような音が聞こえてきくる。
「おまえは十時間後だ。それまでおとなしく待っていろ」そう言うと男は応接間から出て行った。
 一人になった賢治は考える。
 (この家は、ずっと前から気になっていた。古い大きなお屋敷で人を寄せ付けない雰囲気が漂っていたから避けていたんだけれど、今日は何故か引き寄せられてドアアベルを押してしまった。訪問販売の仕事は自分に合わないから転職しようと思っていたのに、こんな最期になるなんて思っていなかった)
 逃げ出す方法はないかと賢治は考えていると、壁の穴から声のようなものが聞こえてくる。縛られている賢治は転がりながら穴に近づく。賢治の心に人喰い家の(あの男は狂ってしまった。交代してくれ)という想念が伝わる。「これを使え」という声と一緒に暗闇からナイフが現れる。
 
男が戻ってくる。
「覚悟はいいか? 少し早いようだが家が腹をすかしているようだ」
 男は賢治に近づく。ロープを切っていた賢治は男に反撃をする。賢治は男を穴に投げ込む。男の絶叫と咀嚼音。やがて静かになる。
 賢治は、穴の暗闇の奥底からの思念を感じる。
「わかったよ。これからは僕がこの家の住人になってやるよ。狂人として」
 賢治は暗闇に向かって言う。いい転職先が見つかった、と賢治はほくそ笑む。

文字数:1200

内容に関するアピール

悪しき場所である人喰い家の応接間に捕らわれた訪問販売員の話です。
 ワンシチュエーションを考えるのが難しかったです。設定場所をいろいろ想定してみたのですが、普通の家の応接間に見えて、実は人喰い家という設定にしました。実作はホラーサスペンス風味のSFなるように頑張りたいと思います。実作ぜんぜん書けていないのですが頑張ります。

文字数:161

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狂人が住む家

おそらく多くの人がそうであるように、杉坂賢治にとっても両手、両足を縛られるのは初めてのことだった。両手は背中に回されて手首を、両足は足首からふくらはぎまで、ほとんど動かすことができないくらいに強く縛られている。そんな状態で見覚えのない部屋の床に転がされていた。辛子色の絨毯が右頬にあたっている。目に入るのはソファとテーブル、それから白い壁。何故か全身が痺れているようで頭が痛い。うまく動かない躰をなんとか動かして仰向けになる。背中に回されて縛られている両手が、床と背中に挟まれた体勢になるけれど、痺れているせいなのか痛みは感じなかった。天井にはシャンデリアのような照明器具がぶら下がっていて白っぽい光を放っている。この部屋は応接間のようだ、と賢治はぼんやりとした意識の中で思った。それにしても、どうして自分は縛られてここにいるんだろう? 一般家庭の応接間のようだけど、誰の家だ? そもそも自分は何者なんだ? 頭の痛みを堪えながら賢治は考えた。しかし、賢治の記憶は深い霧の中に紛れて何も思い出すことができなかった。
「気がついたか」野太い声が賢治の耳に入る。声がしたほうに躰を向けると二本の足が視界に入る。見上げると六十代くらいの男が薄笑いを浮かべながら賢治を見下ろしていた。その男の顔を見ていると、賢治の頭の中の霧はしだいに薄れてきて記憶が蘇ってきた。そうだった、僕はこの男の家に訪問販売をしにきたんだ。賢治は今日の日を回想する。
 大学を卒業後、一般企業に就職していくつかの部署をまわされて、営業部の訪問販売員になってから三年が過ぎた。年齢も四十になり賢治はこのまま今の仕事を続けるべきかどうか悩んでいた。他にやりたいことがあるわけではない。けれど、四十年以上の人生の中で特別なことは何もなく、このまま時間が過ぎて歳をとっていくことに賢治は虚しさを感じていた。いっそのこと今の会社を辞めてしまおうか、という考えが賢治の心の中に芽生えていた。賢治はもっと別な世界を見たかった。そんな悩みを抱えながら賢治は今日も自社製品を購入してくれる家を求めて歩き回っていた。
 以前から気になっている家があった。家というより豪邸という言葉が似合う大きな家だった。訪問販売なんて間違いなく門前払いだろうと思って賢治は訪問リストから外していた。しかし、その日は何故かその豪邸に引き寄せられた。午前中から担当地区を歩き回り、何度もその豪邸の大きな門と長い塀の前を歩いているうちに、頭の中で囁き声が聞こえてきた。そして、夕方の午後五時ごろになると、まるで催眠術にかかり操られるようにして賢治は大きな門の前に立ち呼び鈴を押していた。
 大きな門が音もなく開いた。十メートルほど先に白い玄関ドアが見える。どうして無理だと思っていたこの家にきてしまったのだろうか? 賢治は首をかしげながら玄関ドアに向かう。今日はこの家で終わりにしよう。いや、この仕事の最後の家にしてもいいかもしれない。と思いながら賢治は重いドアを開けた。
 応対にでてきたこの家の主人と思える六十代くらいの男に賢治は自社製品の売り込みをする。もう何十回もしていることなので、言葉を意識して考えなくても口が勝手に動いて声が出てくる。「立ち話もなんだから、そこに座りなさい。お茶でも持ってこよう」と主人と思える男が言った。男が奥に歩いていく。思いもよらない良い反応に賢治はちょっと驚く。これなら買ってもらえるかもしれない、と思いながら上がり框に座る。数分で男が戻ってくる。小さな盆に乗せたグラスに入った緑茶を賢治の傍に置く。一日中歩き回っていた賢治は喉が渇いていた。「ありがとうございます。いただきます」と言って賢治は一気に飲み干す。賢治は商品説明を再開する。しかし、呂律が回らなくなる。あれ? どうしたんだろう? 戸惑っていると躰が痺れ始めて意識が遠のいて暗闇の底に落ちていくように・・・・・・。
 そうか、僕は薬の入ったお茶を飲まされて気を失っていたのか。賢治は今の状況になるまでのことを思い出した。
「俺は騙されないぞ。オマエはスパイだな」男は言った。
「バカなこと言わないでください。僕は普通の会社の普通の営業マンですよ」
「見え透いた嘘をつくな。この家を乗っ取りにきたんだろ。俺はこの家を守る。俺はこの家に選ばれた特別な人間なんだ」この男が何を言ってるのか賢治は理解できなかった。
「いいか、よく聞け。俺は科学者で発明家だ。もうすぐ人類は滅亡する。人類を救えるのは俺だけだ。この家と俺が人類の救世主になるんだよ。オマエら悪党は俺が退治してやる」不気味な笑いを浮かべながら男はまくしたてる。その目は狂気を孕んでいる。この状況からなんとかして脱出しなければ、と賢治は必死に考える。しかし、両手両足を縛られて床に転がされている状態ではどうすることもできない。
「僕はスパイなんかじゃない。この家を乗っ取ろうなんて思ってないですよ」なんとか抵抗しようとして賢治は床の上を転げ回った。ソファに躰がぶつかったとき、一人の若い男が座っていることに気がついた。同じように手足を縛れて青ざめた顔をしている。
 賢治は縛られている躰を動かして苦労しながらソファに座った。そして、その若い男に話しかけた。
「あなたも薬を飲まされて捕まったんですか?」
 青ざめた顔の男は掠れた声で応える。かなり躰が弱っているようだ。
「違う。俺は夜道を一人で歩いてるとき、後ろから頭を殴られて。気を失って。気がついたらここにいた。何も食べてない。水も。いったい何日経ったのかも、わからない」
「今日で五日目だ。大丈夫、まだ死なないよ」狂った男が言う。
「そいつは生贄だよ。この家の餌だ」

「営業マンとやら、おまえに教えてやるよ。さっきも言ったように人類はもうすぐ滅亡する。人類を救えるのは俺だけだ。こっちを見ろ」不敵な笑いを浮かべながら男は言う。賢治は言われたほうの壁を見る。今まで気がつかなかったが白い壁の中でそこだけ長方形の黒い部分がある。四十インチのテレビくらいの大きさだ。
「この穴の向こうは異次元世界だ。俺が発見した。そこに救済者がいる。今から、その若い男をこの穴に放り込む。そうすれば人類は救済される。おまえらは生贄だ」
 狂ったような笑い声を発しながら男はソファに近づいてくる。
「どっちにしようかなぁ。よし、まずはオマエからだ」そう言うと男は青ざめている若い男を両手で持ち上げた。若い男は「やめろ、やめてくれ」と叫びながら激しく暴れて抵抗した。しかし、狂った男は大きな軽い縫いぐるみの人形を抱えるようにして壁に近づき、若い男を黒い穴の中に放り込んだ。若い男の喉が張り裂けるほどの絶叫が黒い穴から響いてくる。絶叫に混じって、グシャムシャグシャという咀嚼音のような怖気るような音も聞こえてくる。やがて若い男の絶叫は聞こえなくなり、ゴクリという嚥下したような音が聞こえた。そして数十秒後、ゲボ、というゲップのような大きな音と一緒に、壁の黒い穴から若い男が着ていた服が、ビリビリに切り刻まれて血まみれになって吐き出された。
「おまえは十時間後だ。それまでおとなしく待っていろ」そう言うと男は応接間から出て行った。賢治は躰の震えが止まらなかった。
 
 応接間に放置された賢治は、なぜ自分がこのような最悪の状況に追い込まれたのか考えた。理由なんてあるわけない。僕は普段通りに日常の仕事をこなしていただけだ。ただ、いつもと違ったのは、避けていたこの豪邸に来てしまったこと。今日も何の成果もあげられず、日も暮れてきたし諦めて社に戻ろうとしたとき、一瞬だけ意識が遠のいて、気がついたら門の前に立って呼び鈴のボタンを推していた。それからは押し流されるようにして今の状況になっている。あ、そうだ、意識が無くなりそうになったとき、今日でこの仕事を辞めてしまおうかと思っていて、ちょうどこの豪邸の前を歩いていて、どこからか声が聞こえてきたんだ。そうだ、たしか、「こっちへおいで、こっちへおいで」と言っていた。あれは、幻聴だったのだろうか? いや、幻聴なんかじゃない。賢治は確信した。今、それと同じ声が賢治の耳に入ってきたからだ。壁の黒い四角い穴から聞こえてくる。賢治は座っていたソファから躰を床に投げ出して、縛られた躰で床を転がりながら穴に近づいた。
 長方形の穴は、床から三十センチくらいのところを底辺にして、幅は九十センチ、高さは五十センチくらいありそうだ。
賢治は縛られたまま膝立ちになり穴の中をのぞいた。真っ黒な濃い暗闇に満たされている。バランスを崩して転落しないよう注意しながら賢治は暗闇の中に顔を入れた。闇の底から生暖かい風と悪臭が漂ってくる。そして、あの声が聞こえる。耳に聞こえるというより、賢治の頭の中に思念として直接注ぎ込まれるような感じだった。闇の声はこの豪邸の成り立ちと狂ったあの男について賢治に伝えた。「私はこの星がまだ熱い塊だったころからいる。多くの場所を移動した。この家を見つけたのは百年くらい前だ。この家の住人は皆死んでしまった。私は一人では存在していられない。あの男は三十年ほど前に、私がこの家に誘い込んだ。おまえと同じように。しかし、あの男は狂ってしまった。もう役には立たないだろう。あの男と交代してくれ」

「これを使え」という声と一緒に闇の奥から古びたナイフが吐き出された。賢治はロープを切断する。後ろ手に両手が縛られている状態では、思うように切ることができない。賢治は焦る思いを、あの狂った男が戻ってくるまでまだ時間はある、と自分に言い聞かせながら、ゆっくりと、しかし確実に束縛を解いていった。

 狂った男は賢治の予想よりも早く戻ってきた。大声を出しながら応接間に入ってくる。
「覚悟はいいか? 少し早いが家が腹をすかしているようだ。おい、営業マン野郎、何処にいる? 隠れてもムダだぞ」
 賢治はソファーの陰になる床にうずくまっている。
「そこに隠れているつもりか。馬鹿な奴だ」
 狂った男は賢治に近づく。男が賢治を持ち上げようと床に膝をついたとき、ロープを切っていた賢治は男に飛び掛かって反撃した。狂った男も抵抗する。激しく揉みあっているうちに、賢治が持っていたナイフが狂った男の脇腹に刺さった。悲鳴を上げる男を賢治は持ち上げて、穴に投げ込む。男は穴のヘリに両手の指をひっかけて、必死の形相で闇への落下を堪えている。賢治は男の指を一本ずつ穴のヘリからはずしていく。男の両手の指があと二本ずつになったとき、男は暗闇の底へと堕ちていった。男の尾を引く長い絶叫と咀嚼音が聞こえてくる。嚥下する音を最後に静かになる。数秒後、大きなゲップと一緒に男の血まみれの服が吐き出された。
 賢治は、穴の暗闇の奥底からの思念を感じる。
「わかったよ。これからは僕がこの家の住人になってやるよ。狂人として」
 賢治は暗闇に向かって言う。
「狂人にはなるな」思念が届く。
 いい転職先が見つかった、と賢治はほくそ笑む。
                        

                        了

文字数:4529

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