銀河通信

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梗 概

銀河通信

 勇は今年で十三歳になる。近頃、祖父の様子がおかしいのが気になっていた。

 いつも優しい祖母に対して、にこりともしない厳格な祖父。共に寝室にこもったかと思えば、ブツブツと何かを呟いていたり、ワーッと叫ぶ声が聞こえたり。尋ねても頑として理由を話さない。祖母はただニコニコと笑っているだけだ。 そろそろ金婚式が近い二人だが、笑い合っているところすら見た記憶がない。 彼らが検診にいく今晩は、祖父母の秘密を暴く絶好のチャンスだった。

 

 忍び込んだ寝室の棚にはぎっしりと紙の書物が、簡素な机には家族写真が飾られている。部屋を物色していると古い箱型の機械が置かれているのに気がついた。調べると半世紀ほど前のラジオらしい。小型のパラボラアンテナを連携活用することで宇宙電波の観測が可能だと、一部の古典的天文マニアの間で流行ったのだという。屋根に設置されている用途不明のアンテナはそれだったのだ。今どき珍しい庭の巨木といい、ロマンチストの父の趣味だとばかり思っていた。

 

 操作方法を調べていると、エレベータの駆動音が聞こえ、慌てて棚の後ろに隠れて息を殺す。祖母のようだ。

 祖母がラジオを操作すると、一瞬のノイズの後、男性の声が聞こえてきた。低い声で舷窓から覗く宇宙の暗闇と星々の美しさについて語っている。それから、思わずこっちが赤面してしまうほど真っ直ぐな愛のセリフの羅列。合間に呼ばれる女性の名前は祖母のものだ。そのぶっきらぼうな喋り方で理解した。声の主は若かりし日の祖父だ。思わず物音を立ててしまった。勇と目が合うと祖母は一瞬驚いた顔をしたが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべ、次のように語り出した。

 半世紀前、まだワープ航行技術が発明されたばかりの頃。祖父は深宇宙探索員として調査に出ることになった。違法スレスレかつ数年がかりの危険な任務だ。新婚当時、涙にくれる祖母に祖父は語ったのだという。

 超光速通信は任務上不可能だが、電波通信なら問題ない。かつてのボイジャーと同じ周波数で、指向性を極限まで高め、超狭帯域に絞れば十分に地球まで届く。だから電波通信で毎日メッセージを送る。ただし調査領域から地球まで電波の速度では五十年かかる。心配を掛けるが、必ず生きて帰るから、五十年後には一緒に聞いて笑ってくれ……、と。

 要するに大昔に送ったラブレターが今になって届いていたというわけだ。

 祖父を連れて家族が帰ってきた。祖父母共に身体の具合は至って良好だったが、祖父はなぜか帰りたがらず、普段はやらないオプション検査まで付けて粘っていたのだという。 ラジオの前に立つ祖母と勇に、全てを察したかのような表情の祖父。笑ってくれと言ったのはあなたですよ、と祖母が言う。勘弁してくれと頭を抱える祖父の姿に、家族はキョトンとしている。祖母が手元のつまみを捻る。ワーッと叫んだ祖父の声も虚しく、五十光年先から届いた愛の囁きが流れ出した。

文字数:1195

内容に関するアピール

ワンシチュエーション、ということで、祖父母の部屋を舞台とした小さなお話を書くことにしました。

凡そ今から百年先程度の未来を想定しています。作中のワープ航法はスター・トレックシリーズの航行速度をイメージしています。祖父の任務先はペガサス座のあたりで、おおよそ往復に一か月半かかる想定です。調査込みで二、三年程度かな、と考えています。

銀河の向こうから(作中では)古典的な手法でメッセージを送り、そのメッセージを追い越して、自身が帰還する。

夫婦、家族として長年過ごした先、人生の黄昏時に、若かりし頃に銀河の向こうから送った真摯でピュアなメッセージが届く……、って素敵だな、と思い、シチュエーション先行で書き始めました。

銀河通信、というのは谷山浩子さんの曲のタイトルからお借りしています。もっと切なく、純粋で大好きな曲です。こういう曲のような物語が書けるようになりたい、と常々考えています。

文字数:390

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銀河通信

空はからっと晴れきって、もう地球が誕生してからずっとこんなお天気だった、なんて言われても驚かない陽気だった。祖父母の部屋からは、西の工場、その煙突からすっくと立ち昇る白い煙までよく見える。あんまりまっすぐ伸びているものだから、どこまでが煙突で、どこからが煙なのかわからない。この部屋と勇の部屋は、はす向かいの位置にある。当然、窓から望む景色もまったく違う。見覚えのない夕陽に、一瞬、他の星にいるような錯覚を覚える。

 勇は窓枠に寄りかかり、白く柔らかなベッドに横になる母と、その隣で眠る小さな弟を思い浮かべた。予定では、明日の朝には一緒にうちに帰ってくることになっている。昨日の夜から家中を飾り付け、階段の手すりまでぴかぴかに磨き上げた。弟のために用意された高機能ベビーベッド、AIシッター、赤ちゃん食専用のバイオラボ。小さな靴下には、勇がまだ幼いころ、どこへ行くにも握りしめていた恐竜のおもちゃが入っている。初めて会う弟へ、兄からのささやかなプレゼントだ。母に向けては喜楽(このあたりではいちばんの料亭だ)の特上のやつを用意した。

「やっぱり天丼とか、どうかな、どう思う? ああ、魚介はダメなんだっけ……」

「出産後だよ、消火にいいものがいいでしょ」

今朝の父はいつにも増して慌てふためき、十分に一度は何事かで姉に窘められていた。今ごろ二人で最後の準備をしに病院へ向かっている頃だろう。浮足立つ家族のなか、勇だけが気が付いていることがある。

 部屋を見渡す。祖父母の部屋は、勇の部屋はもちろん、父や母の部屋ともまた違う香りがする。壁にかけられたラックには、勇や父母の写真、ちょっとした植物、勇があげたマイクロ銀河模型、今どき滅多にみない物理記憶ハード、その他こまごまとした旅行先のお土産などが収められている。陶器の猫にちょこんと乗った毛糸の帽子は祖母の手作りだろう。無口で厳しい祖父と違っていつも朗らかな祖母だが、近頃、手指の動きが怪しくなってきたという。リハビリがてらによく編み物をしている。ラックの他には、それぞれのベッドと、その間に小さなテーブルがある程度。

 祖父母の……、もとい、祖父の部屋に入るのはこれが初めてだった。もちろん無断侵入である。もしもバレれば、古樹の根が長い年月をかけて岩を締め上げるような、じっくりと無慈悲な説教が待っている。それでも、どうしてもと言ってひとり家に残り、祖父の部屋に忍び込まねばならないだけの理由が、勇にはあった。

 

 ほんの二、三日前のことだ。なんということはない、夜中にトイレに目が覚めた勇は、祖父母の部屋から漏れでる奇妙な音を聞いた。夜中でなければとても気が付かなかっただろう。ゆっくりと畳を擦るようなその音は、高くなったり低くなったり、扉越しに廊下の空気を微かに揺らしている。

 勇が扉に耳を押し当てると、祖父と祖母が言葉を交わす間に、聞き覚えのない声音が混じっているのがわかった。そのトーン、声質から、学校の担任よりも少し年上ぐらいの男だろうと予想された。

 没入型、開放型に関わらず、祖父母の部屋にはVR器機もテレビの類も置いていない。昨年の健康サポートで祖母の身体に良くないと判断されて以降、それらは勇の部屋で毎日の遊び道具となっている。電話にしては声が近い。来客でもあったのだろうか、と考えるのと、くぐもった叫び声が聞こえるのとは同時だった。

 初め、勇はそれを鶏の鳴き声だと思った。しかし鶏が鳴くのは朝だと決まっているし、そもそも、生まれてから一度だって本物の鶏の鳴き声を聞いたことはない。それでも鶏だと思ったのは、続けてはっきりと「こけっ、がぁーっ」と聞こえてきたからだ。もっとも、じゅうぶんクリアに聞こえたがゆえに、その声の主が鶏ではなく、まぎれもなく祖父である、ということもはっきりと分かった。

 ──祖父が襲われている。

反射的に扉を叩きかけた勇の手を止めたのは、泥棒への恐怖心ではない。祖父の悲鳴に重ねるような、祖母の笑い声だった。けらけらと綿で包んだ鈴を転がすような声に、勇はおおいに混乱した。あの厳めしく、学校であった出来事を話してもにこりともしない祖父が間抜けな悲鳴をあげ、いつも静かに微笑んでいる祖母が声をあげて笑っている。

一体、中で何が行われているのか?

 折しも授業で電子ドラッグの恐ろしさを習ったばかりだった。遠い昔、といっても数十年前には、電子戦争の果てに国民のほとんどがドラッグ漬けになり、今でも大変な生活を送っている人々がいる、という歴史も学んでいる。勇は決しておじいちゃん子でもおばあちゃん子でもなかったが、優しい祖母が、あのテキストで見た醜悪な笑みを浮かべる中毒者のようになってしまうのを想像すると、胸の奥がぎゅっと詰まった。もちろん、祖父もそうだ。食べ方が汚いと叱られるとはいえ、頑固で一度言い出すと意見を変えることはないとはいえ、口癖のように「未来の自分が見たらどう思うか、考えなさい」と言ってくるとはいえ。

 混乱の最中ではあったが、尿意が限界を迎えていることを思い出し、勇は扉を離れた。トイレから戻った時には、廊下はすっかり静まり返っていた。父は勇の目から見ても少し情けないところがあるし、それよりなにより母の出産準備にかかりきりである。高校生の姉は最近すこしピリピリしていて、相談を持ち掛けにくい。

 勇は今年で十二歳になる。来年からは中学生だ。大人の仲間入りを果たすのだと、子どもは卒業するのだと、友達同士集まったときにはしきりに確認しあっている。

 それに、もうすぐお兄ちゃんになるのだ。母を守らねば。生まれてくる、弟を守らねば。

 そんなわけで、電子ドラッグを排除し、家族の平和を守るため、こうして祖父母の部屋に忍び込んでいるというわけである。

 

 部屋をチェックしていると、机の隅にひっそりと置かれた箱型の機械が目に入った。どこかで見たことのある形状をしている。くすんだ焦げ茶色をしたその箱を手に取ると、側面に突起と、歯車のようなものが付いている。この妙な箱がドラッグを媒介する悪の機械には見えないが、部屋にはほかに電子機器の類はなさそうだ。あれこれいじっていると、箱が唐突にジジッ、と電子音を発した。慌てて机の隅に置く。数秒の潮騒のようなざわめきの後、箱からゆっくりと男の声が流れ出した。

 

 

「あー、西暦二千…百七十四年。十月の十日。時刻は……地球時間で、深夜一時半。一回目のメッセージを送る。任務は順調。内容と、任務地の詳細は話せない。ワープの間の記憶がない。今はどうやらペガサス座のあたりにいる。たぶん、南の空に並んでいる四つの星のどれかだ。こちらはとても暗い時と明るい時がある。それ以外は、話せない。仲間は皆良いやつで、このメッセージはプライベートルームを借りて送っている。必ず帰る。では、また。」

 

 

 しんと静まった部屋に、潜めた勇の呼吸音が満ちている。

 自身の心臓がとくとくと脈を打つ音も聞こえないほどに、勇の意識は目の前の箱に釘付けにされていた。正確には、箱から発せられた何者かによるメッセージに、である。男はペガサス座、と言っていた。ニュースで聞いたことがある。太陽系よりはるかに外、人類の宇宙進出の足掛かりとなっている、地球によく似た環境の惑星があるのが確かそこだ。勇の周りでも、宇宙旅行を経験したというものはいる。それでも太陽系外など聞いたことがないし、ナントカ座なぞ、くっきり見えたとか、科学の授業で習うとか、その程度のものだ。

 今のはいったいなんだったのだろう。誰がなんのために、誰に向けて、何よりなぜ、この部屋のこの箱から流れ出しているのだろうか。

箱を手に取る。ひっくり返してみると、底面に掠れた文字で、社名と思わしき英語、いくつかの数字のあと、ラジオ、と書かれているのが読み取れた。──ラジオ!

歴史の教科書で見た記憶がある。一世紀以上も前、VRやテレビよりさらに前、音声だけを出力する娯楽の媒体が存在していたのだ。今となっては信じられないことだが、現代にだってびっくりするぐらい非効率的なものはある。ケータイで型番を調べると半世紀も前の代物であった。小型のパラボラアンテナを連携活用することで宇宙電波の観測が可能だと、一部の天文マニアの間で流行ったものなのだという。今ならきっと子ども用のケータイでもやろうと思えば可能だろう。やろうと思う子どもがいればの話だが。

少なくとも、電子ドラッグを運ぶ悪いものではなさそうだ、ということがわかった。ドラッグを媒介するにはあまりにもスペックが低すぎるからだ。電波を受信し、音に変換する、ただそれだけだ。そうなると新たな疑問がわいてくる。祖父母は、なぜこれを?

まじまじ眺める勇の手の中で、再びラジオから音が流れ出した。

 

「十月の十一日。任務は二日目。昨日はよく眠れなかった。というより、今、目が覚めているのかどうかが怪しい。窓は小さいが……、……しまった、これは聞かなかったことにしてもらいたい。……大丈夫そうだから、続ける。機密事項が多いんだ。星がとても多い。調査はまだまだこれからだ。阿蘇のてっぺんよりもずっと星が多くて、近い。でも知らない配置だ。不安が大きい。必ず帰る。愛する君に会いに帰る。しかし、これは存外……。いや、何でもない。このメッセージが届くのは……だ。未来の自分が見たらどう思うか……。二人で聞こう。では、また」

 

 途中、不自然に声が聞こえなくなった部分があった。メッセージから察するに、機密事項とやらに触れ、トリミングされたのだろう。しかし分かったことがある。この男はなんらかの任務で太陽系外の調査に出かけ、そこから地球の恋人に向けてメッセージを送ったのだ。しきりに帰ることを強調しているあたり、危険な任務に違いない。男は口下手だが、愛が深いように思える。そして何より、男の口癖には聞き覚えがある。

 

 

 数分置きに、箱からはメッセージが流れた。

ざあっとほとんどノイズ交じりの時もあれば、静かな不安と焦りを感じさせる時、明らかに眠たげな時や、興奮した様子で口にできない新発見を見つけた喜びを語っている時、とにかく会いたい、とひたすら耳を塞ぎたくなるような愛を語る時もあった。そのどれもに共通しているのが、メッセージごとにひとつずつ規則的に進んでいく日付と、必ず帰る、と言うこと。それから、恋人への変わらぬ愛情を感じさせること。

 とうに当初の目的を忘れ、勇はメッセージに聞き入っていた。

これは録音か何かなのだろう。遠い宇宙から一日一回のメッセージを欠かすことなく送り続ける祖父──、そう、祖父だ。すでに三度目のメッセージのあたりで確信に変わっていたが、祖父の秘めた情熱の深さに勇は圧倒されていた。頑固で怖い老人以外の何者でもなかった祖父の、若かりし日の、もっとも熱く迸るところを赤裸々に叩きつけられているのだ。だから、肩に手を置かれたとき、夢中になって正座でかぶりついていた勇は飛び上がった。

「それが昨日の、ちょうど二十通目ね」

 ほとんど真っ白になった頭で、言い訳を考える勇を気にせずに、普段と変わらぬ柔和な笑みをたたえ、祖母は隣に腰を下ろした。

 「正一さん……、おじいさんは、深宇宙の探索メンバーだったの。五十年も前のことよ。私はよくわからないけど、ワープ航行って、あるでしょう。とっても名誉なことだけど、昔はほとんど命を捨てるような挑戦だったのね。おばあちゃんとおじいさん、まだ新婚だったから、おばあちゃん泣いちゃって。そんな時におじいさんが話してくれたの。毎日メッセージを送るから、って」

 祖母はいつくしむようにラジオを撫で、歯車のくるくると動かした。音がいくぶんクリアになる。そのまま勇の頭を撫でる。

 「正一さん、かわいくてねえ。ちゃんと帰ってきてから、毎日毎日ずっと一緒に暮らしてきたけど、それから一度だって、一日だって帰ってこなかったことはないのよ。毎日、お仕事に行くときでも、すぐ帰る、っていうのよ」

勇は首筋をくすぐられるような心地よい恥ずかしさを感じた。

祖 母は祖父のことをまるで赤ん坊の自慢話をするかのように話す。そういえば、ちょっとした散歩や買い物に行くときにでも、祖父は祖母に声をかけていたように思う。要するに、何十年という重みと、実績を伴った突然の惚気話だ。

夕暮れの光はすっかり窓枠の彼方に沈みこもうとしている。

「夜はこれを聞いていたの?」

 勇の問いに祖母は頷いた。

「今晩で二十一通目よ。もうばれちゃったし、みんなで聞きましょうか。ねえ、正一さん」

 振り返ると、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせている祖父と、豆鉄砲を食らったような表情の父、ケータイで空間記録の真っ最中の姉の姿があった。 

 

 

 

 

 母が帰ってきたのはそれから一時間ほど後のことだった。

 びっくりするぐらいに元気で、すたすたと歩き回っては、自分で配膳までこなし、もりもりと喜楽のご馳走を平らげた。ちいさな弟はみんなにかわるがわるのぞき込まれるのもまったくお構いなしに、気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。

「お母さん、そろそろはじまるから、おじいちゃんの愛の告白」

「なんっ、なにをっ」

姉の言葉に、祖父は見たこともないほど動揺している。

「父さん、もう観念しようよ」

 父は困ったように笑っている。

「何それ、すっごく楽しみ」

 母はうきうきと楽しそうだ。こうなってしまうと止まらない。

 それからおばあちゃんが例のラジオを持ってリビングにやってきた。ジーっと例の音が流れる。おじいちゃんは、ぎゃーっ、と、鶏のような声をあげた。

文字数:5519

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