懺悔室のマリア
2016年7月22日、イタリア中部を旅行中だったエッセイストの御坂健太郎が、宿泊していたアマトリーチェのホテルで行方不明になった。奇妙なのは、御坂が消えた朝、宿泊していた部屋の窓は内側から施錠、ドアにはチェーンがかけられており、人間の出入りが不可能な完璧な密室だったという点だ。宿泊していた部屋にはパスポートや貴重品も含め荷物は全て残されており、忽然と姿を消したとしか言いようがない状況だったという。
この約1ヶ月後にイタリア中部地震が発生してアマトリーチェが壊滅的被害を受けたこともあり、この奇妙な事件の手がかりはほとんど残されていない。しかし先日筆者は偶然にも、御坂がこのとき持っていた手帳の写真を入手することができた。以下は、当該手帳に書かれていたとある村についてのテキストの書き起こし(抜粋)である。読者諸氏の意見を伺いたい。
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7/19
マルコ(筆者註:御坂はこの前日、バーで知り合ったマルコから「正直者の村がある」という話を聞いていた)に村を案内してもらった。アマトリーチェからは車で30分ほど。山のほうへと車を走らせ、農道と見紛うような細い道を抜けた行き止まりのような場所にエッセレ村はある。家は50軒ほど。舗装されてはいるものの砂まみれの道路に、日焼けした白壁の家、多少育ちすぎた作物の多い菜園が多い風景は、「のどか」と言うよりは「鄙びた」という言葉のほうが相応しい。
老人が多いと予想はしていたが、意外にも子供はいた。話を聞いたアンドレアは14歳の少年だ。村は退屈だが貧しいから仕方がないと言って苦笑した。「正直者の村」とはどういうことか聞くと、住人たちが毎日のように教会のマリア像に懺悔しているからかも、とのこと。「懺悔室のマリア」と呼ばれているらしい。
十字架が埋め込まれていなければ民家にしか見えない、こじんまりとした石造りの教会。中を覗こうとすると男に止められた。他にも数名と会ったが、総じて住人はやや排他的。
結局マリア像は見れないまま、宿に戻ってきた。明日に期待。
7/20
何かがおかしい。
朝起きると、財布がなくなっていた。昨晩スられたかと思いレストランや警察署をめぐるも見つからず。日中はほぼ潰れた。
仕方なく予備の財布を持ってエッセレに向かうと、アンドレアがなぜか私がなくした財布を持っていた。母親のエレーナによれば、アンドレアが昨日、村を見て回る俺からスったと言う。アンドレアが昨日の夜、俺の財布を盗んだことをマリア様に懺悔していたらしい。
訳が解らない。アマトリーチェに戻った時には、私は間違いなく財布を持っていた。なにせ俺は昨日の夜、レストランで金を払っている。
謝罪の意思もあったのか、エッセレについて取材していると伝えるとエレーナは歓迎してくれた。彼女の厚意で、今日は泊めてもらう。マリア像は明日見せてもらう。
7/21
やはり何かがおかしい。
今朝、目が覚めると全身が痛かった。今も身体中に青あざがついている。寝る時には絶対になかったものだ。しかもエレーナが「昨日は大丈夫だった?」と聞いてきた。聞けば俺は昨日、マリア像を見ようとしたところを、村のまとめ役であるジュリオに止められたらしい。2日前に俺を止めようとした男だ。それでも無理やりマリア像を見ようとした俺を、ジュリオが殴ってしまった、とのことだった。俺が村に泊まっているのは、エレーナの厚意ではなく、看病のためだということになっている。昨晩、ジュリオが懺悔したのがそれだというのだ。
あり得ない。絶対に昨日、そんなことはなかった。
解らないのはマリア像もだ。「マリア像」として見せてもらったものは、どう贔屓目にみてもこけしがいいところだ。彩色すらされていない。「マリア像ということにしている」としか思えないただの木片に、村人が項垂れながら懺悔をしている様はどこか滑稽で、しかし肌が粟立つのを止められなかった。
だとすれば、あの村での懺悔は、一体どんな意味がある? あり得ないと思いつつ、思いついてしまった仮説を確かめるためにでまかせの”懺悔”をおこなったものの、特に何か変わったわけでもなし。ホテルに戻った今は、ただ薄ら寒い怖れだけが残っている。もうエッセレには行くまい。
7/22
マリアがマリアであるために、懺悔が先にある。エッセレでは、懺悔された”事実”が存在する世界がいちばんに優先される。懺悔が世界の結節点なのだろう。
でなければ、盗むどころか触ってすらいないマリア像が、ここにあるわけがない。
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手帳の記述はここで途切れている。
なお、御坂が宿泊していた部屋から、マリア像らしきものは発見されていない。
文字数:1925
内容に関するアピール
「ありえない」存在を読者が「ありえるかも……」と思えるようにするにはどうすればよいだろう、と考え、モキュメンタリーの手法を利用しました。「序盤に提示された不可思議な状況を説明するためには、ありえないもののありえない性質を信じるしかない」という方針をとっています。一方、最後の1文で、日記が御坂による狂言である可能性を捨てきらないことで「人間が実行可能なトリックがあったのではないか?」という現実的な解釈の余地も残しています。様々な解釈の余地が残る掌編を書きたい、と思いこのような形になりました。ベンチマークは種々のSCP、及び『うみねこのなく頃に』です。
文字数:277