花一輪
燈花苑で働くようになって三年になる。
肥料アンプルを満載したカートを押して進み、ガラス屋根に覆われたドーム状の建物に入ると、直径二十メートルほどの館内一面に、透明なロッカー式納骨堂がショーケースのように並んでいる。ロッカーの一つひとつには遺灰を納めた陶器の鉢が安置されていて、それぞれに花が一輪、咲いている。
リストに掲載された管理番号のロッカーを順に回り、マスターキーで鍵を開けて、遺灰に刺さっている空の肥料アンプルを新しいものと交換する。黙々と作業を続けていくうちに、いつもの場所に水瀬さんの姿を見つける。彼は毎日同じ時間にやってきて、三〇七番のロッカーの前で手を合わせる。このドームの中で唯一、花の咲いていない遺灰に向かって。
花が咲いていないのは当然で、その遺灰には種が植えられていない。遺灰は四十年以上前に事故で亡くなった彼の奥さんのもので、当時はまだ燈花の技術は存在していなかった。
十年前、燈花苑ができてすぐに、水瀬さんは三〇七と隣の三一〇のロッカーを購入したという。三一〇は彼が自分のために用意したもので、今は空のままだった。
「もうすぐ産まれる予定で、二人で名前も考えていたんですよ」彼と挨拶を交わすようになってしばらく経った頃、水瀬さんは独り言でも呟くような調子でそんな話を聞かせてくれた。
黙祷していた水瀬さんが手を下ろすのを待って「今日も暑いですね」と声をかけ、ガラス屋根に映る陽を見上げる。
「ええ……歳をとると、あまり暑さを感じないもので」と曖昧にこたえ、「また来ます」と会釈して去ったきり、水瀬さんは姿を見せなくなった。翌週になって、三一〇のロッカーに遺灰が納められ、彼が亡くなったことを知った。生前、彼は「種」を二つ残していた。
種を作るには長い月日をかけて全身の細胞を採取する必要がある。細胞から抽出した情報を埋め込まれた種は、鼓動や体温、脳波といった本人の生体リズムと連動した保管容器に収められて、さらにデータを蓄積していく。
そうして精製された種は、本人の遺灰に植えられることで反応し、一輪の花を咲かす。花の色や花弁の大きさは様々で一つとして同じものはなく、適切に肥料を与えれば半永久的に咲き続けるという。燈花はずいぶん普及してきたとはいえ、経済的・肉体的・精神的な負担は大きく、また種と遺灰は一対であることから、水瀬さんのように種を二つ残す人は珍しかった。
数日後、水瀬さんの鉢に植えられた種は、子どもの手のひらほどの淡くくすんだ青い花を咲かせた。
隣の鉢では、細い花茎が遺灰を割って、赤青まだらに色づいた、小さな蕾を付けている。
文字数:1111
内容に関するアピール
現実に(今のところ)「ありえない」ものとして遺灰の中で永遠に咲き続ける花を、そして作中の「ありえない」(想定外の)出来事として本人以外(胎児)の遺灰で咲く花を登場させて、二重に「ありえない」/「ある」を描いてみました。
「燈花」というネーミングは、一輪の花が咲く様を燈火になぞらえたのと、「トウ、チョウ」という音に「悼」「弔」を重ねたものです。
フラッシュフィクションの「フラッシュ」という言葉から連想して、ラストに見せ場となる一瞬(光)を置きつつ、余韻(残像)を感じられるような構成としました。また、創作上の試みとしては、なるべく短い分量で時の移ろいを描く、ソリッドな文体で情感を出す、という2点に挑戦してみました。
超短編ということで詳細な設定の説明は省略しつつ、SFにそれほど馴染みがない読者でも、すこし先の未来のありえそうな話として楽しめるような、間口の広さや読み心地を意識しています。
文字数:400