あの子は正定聚しょうじょうじゅ

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あの子は正定聚しょうじょうじゅ

こちらイバラキ県T大学、トウキョウに在ったら追い出された。
 こんなT大学にも誇るべきものがある。それは、学内すべての善男善女が愛する新入生もなみちゃん。宿舎で自転車を盗まれた者があれば行って自分の後ろに乗せてやり、池の端でサンドイッチをアヒルに食われた者があれば行って自分の弁当をわけてやった。
東大通とうだいどおり? 東大じゃないのになんで?」
 もなみちゃんは学内の地図を見て小首をかしげる。
「ひがしおおどおり、だよ、もなみちゃん」
「そうなの? ふしぎ~」
 うふふ~、と、もなみちゃんが笑えば皆がふにゃりとなった。
 誰も知らない、この子が正定聚しょうじょうじゅだなんて。そう、もなみちゃんは現生正定聚げんしょうしょうじょうじゅ。生きながらにして浄土への往生の定まった尊い身。ちなみに専攻は仏語である。今日ももなみちゃんの黒髪ポニーテールが揺れる。
「それでね、もなみちゃん」
 周りの学生たちは次々に話しかける。
「お腹が減ったからって、この松美池まつみいけの鯉を捕まえて食べたら除籍なんだって」
「そうなの~」
「アヒルを捕まえても除籍なんだって」
「そうなの~、気を付ける~」
 白い歯がチラと零れると、誰もがぽぉっとなった。

双峰ソーホーより、〈うつろ舟〉の飛来を確認」
了解ラジャ
了解ラジャ
 だがその頃、第一学群、第二学群、第三学群から成るナンバー学群それぞれの食堂で、その長たるオバチヤンたちが不穏な通信を行っていた。オバチヤンたちはその容貌の特徴から三姉妹だとも言われている。三つ子かもしれない。が、いまはそのあたりはひとまず置いておく。
「レオ学長の咆哮が……!?」
「どうした、一学いちがく
「一学、応答せよ」
 二学にがくのオバチヤンと三学さんがくのオバチヤンも慌てて外へ出る。二学と三学は向かい合わせで建っているために、ふたりのオバチヤンはまもなく合流し、空を見上げて唸った。
「なんという数か……」
 ソーホーの暗号名で呼ばれる男体山と女体山、彼方に霞むその霊峰の間より生まれいずるという未確認飛行物体〈うつろ舟〉。これまで一度に複数機が飛来した報告例はない。まれに学生がそのの中へと吸い上げられることがあるため警戒されていた。
「一学上空に、集合していく……!」
「待避――! 学生たちは屋内から出るなっ!」
 次の授業に間に合うよう移動中だった学生たちは、オバチヤンたちの叫びにいっせいに自転車を乗り捨てて建物の中へ入る。ふたりのオバチヤンはそのまま図書館前の石の広場を抜け、橋を渡り、一学を目指す。
 しかしまだ池も見えぬ頃から、一学オバチヤンの鋭い声が飛んだ。
「来るな――! ひとつところに集ってはならん! フォーメーションA!」
 散。
「よし、ここで仕留めるぞ」
「応よ」
 三人のオバチヤンたちはそれぞれ、一学A棟、C棟、D棟の前に立った。星座よろしく、三角形をかたどる。空を見上げ、〈うつろ舟〉の集合状況を確かめる。
「いまだ!」
 南無三。三人が合掌するのは同時だった。整った三角柱が立ちのぼり、上空の〈うつろ舟〉を光の中に巻きこむと、舟の碗型の底が震え、瞬く間に滅されていく。
「いま少し、」
「まだだ、」
「一機抜けたぞ!」
 きぁーーー! 松美池のほうから悲鳴が聞こえる。ちょうど建物のないあたりで逃げ遅れたもなみちゃんたちだ。今まさに、皆の中心にいたもなみちゃんが、一機の〈うつろ舟〉に吸い上げられていくところだった。
「させるかあ!」
 その白い脚にオバチヤンが飛びつく。
「ああ、食堂のオバチヤン。危ないから、いいの、わたし……」
 もなみちゃんの息は切れ切れだ。
「諦めるのはまだ早い、さっき学長が、牛Q大仏うしくだいぶつの目を覚ましてくれたからね」
「堪えるんだよ」
「堪えるんだよ」
 一学のオバチヤンに二学のオバチヤンが飛びつき、二学のオバチヤンに三学のオバチヤンが飛びつき、三学のオバチヤンに民俗学専攻の学生が飛びついた。
「ぼく知ってます、この、おわんみたいな舟は、この地が浄土になっては困るやつらの差し金なんです、ぼくはフィールドワークで聞いた。もなみちゃんは、もなみちゃんは……ああ、」
 非力な学生は振り落とされた。
 
 そのとき。大地が揺れる。
 東大通ひがしおおどおりを北に爆走し、ペデストリアンデッキを踏みならして、身の丈100メートル、重さ4トンの汎用仏型ふつがた決戦兵器・牛Q大仏は来た。その手の形はお迎えのハンドサイン

Go, 牛Q大仏, Go.

牛Q大仏はその18メートルの両の手のひらを開き、パチンと静かに合わせた。最後の〈うつろ舟〉が、滅せられる。
「大仏さま~」
 もなみちゃんは牛Q大仏の手のひらにそっといだかれた。
 いま、牛Q大仏は松美池のほとりにおわし、ここは不退転の地となる。水面にはたちまち南無阿弥陀仏が溢れた。

【了】

文字数:2032

内容に関するアピール

この物語はフィクションですが、イバラキ県T大学には当時、ナンバー学群の他に、医学専門学群、芸術専門学群、体育専門学群がありました。字数の都合でナンバー学群しか出せなくて残念。学内の編成は現在とは異なります。ちなみに当時の学長は江崎玲於奈氏でした。じつは西大通り、北大通り、南大通りもあって、初めて他県からやってきた新入生が戸惑うこと必至。かつては松美池の鯉とアヒルの噂も本当にしれっと流れていましたし、学外の公園には松「見」池がありましたし、地下には第四学群(非人間学類、反社会学類等々)があるとか、首なしランナー(幽霊)が走ってるとか、学生宿舎には星を見る少女(幽霊)が出るとか、あと、大仏さまも起動することになっていましたのでなかなかカオスでした。

※実作文字数が恐らくルビのためにこちらの表示ではわずかに超過していますが、空白を含む全文字数は1899字です。

文字数:381

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