町田併合

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町田併合

――町田市が東京都だった頃……。

それが父さんの口癖だった。神奈川県に突き刺さる突起部分にありながらも、都内性アイデンティティを保っていた時代を僕は知らなかった。

――〈元都民俺たち〉も日の当たる場所ペデストリアンデッキを歩けたんだ。

父さんはそう目を細めて、よくビールをあおっていた。

町田駅と数多の商業ビルを結ぶデッキは純然たる〈県民〉たちのもの。僕たち〈元都民〉はデッキ下の日陰道――入り組んだ道路に分断された浮島の迷路――が生きる道だった。信号のせいで遅刻したと父さんは腹を立てていたけれど、小学生の僕たちには鬼ごっこの聖地。渡って良いのは青信号だけ。信号の変わる順番さえ読めれば、クラス一瞬足の〈県民〉Kくんだってまくれる。

――〈県民〉の子とつるむ時間を勉強にあてて東京の大学へ行け。

父さんは誕プレだと大人が読むような哲学の本をくれたけれど、一度も開くことなく教科書の合間に埋もれた。父さんは何も分かってないと思った。僕も〈元都民〉への扱いを知らない訳じゃない。見下す同級生、肩からぶつかる〈県民〉、入店拒否。かつて県民を見下した一部の町田市民に対する反感を抑える枷が失われたことは分かってる。でも、肩を寄せ合える市民は大勢いるし、Kくんのように分け隔てなく接してくれる子もいる。日陰道で日陰者なりに上手くやっていける――そう思っていた。

町田解放戦線マチダシティ・リベレーション・フロント〉が路線を爆破するまでは。

横浜、川崎、相模原と神奈川の三政令指定都市に三方を囲まれた町田市は、どの電車に乗っても市外の最初の停車駅が三都市内と絶望的な地の利――併合を許した主な要因だと社会科でも習った。MRFは駅を陸の孤島にした上で蜂起を決行したのだ。

その日は授業中で、緊急放送が響く中、昼前に下校した。帰宅後は父さんの帰りを待ちながら母さんと速報を見ていた。MRFは駅前の東急を占拠したが、夕方には〈県警〉に鎮圧されていた。

チャイムが鳴ったのは夜遅くのこと。ドアの向こうにいたのは父さんではなく黒ずくめの三人組。〈県警〉――神奈川秘密察。彼らは父さんの部屋を荒らして帰った。僕が見逃されたのが不幸中の幸いと母さんは涙を堪えて僕を抱きしめた。

結局、父さんは帰ってこなかった。悲しみ以上に虚しかった。デッキ上の景色を知らない僕には日陰道がある。夏は涼しいし、土日も混まない。そこまでして父さんは何を変えたかったのだろう。

事故が起きたのはその数か月後のことだった。デッキを歩けるが故に信号と無縁のKくんを僕たちはうまく撒いていた。彼を振り切ったMくんが赤信号越しに煽った。

――のろまの県民!

すると、Kくんは階段を昇りデッキ経由でMくんのいる浮島に降りた。周りの信号はまだ赤だった。ずるいと喚いたMくんも禁じ手に及んだ。赤信号の横断歩道へと飛び出し、そして撥ねられた。相模ナンバーだった。

僕たちは日陰道を失った。Kくんも〈県民〉の子とつるむようになり、県内の私立中学に進学した。

中学生になった僕に残されたのは父さんとの微かな記憶だけ。父さんの私物は全て押収されていたから、他に縋れるものなんてなかった

それの存在を思い出したのは偶然だった。自室の掃除の最中、貰ったまま放置していた哲学本を本棚に見つけた。思わず開いた。余白には〈県警〉を出し抜く術、蜂起の計画の詳細、そしてMRFの活動記録と覚悟。父さんの字だった。

――都民性アイデンティティを再び俺たちの手に。

僕は毎晩のようにそれを読み込んだ。最初はMRFを継いで欲しいのかと思ったが、よく読めば歪な世界を正しく認知する道を僕に勧めていた――東京の大学への進学だ。真の都内へ行けばしがらみから逃れられる。外の世界を知ることができる。

けれども〈県教委〉――神奈川元都民再員会の息のかかった高校の先生たちは手強かった。県内の国立大学信者に東京の大学進学の夢をどう切り出そう。MRFの一員の息子だから〈県警〉の目も怖かった。だから、県の更なる繁栄に貢献できるものでながら県内で学べない分野を探して、学びたいと相談した。すると、彼らの方から東京への進学を薦めてくれた。

合格を掴んだ翌四月。僕は町田駅へと向かっていた。赤信号を躱しながら日陰道を渡り切る。もちろん警戒は怠らない。県境を超えるまでは〈県警〉の目がある。幸いそれらしき人影はなかった。息を吐いて、小田急線の快速急行新宿行きに乗った。

座れると、糸が切れたように僕は眠ってしまった。だから、次の到着駅の立地を失念していた。どの路線でも市外の最初の停車駅は県内――そう、新百合ヶ丘駅は川崎市内だ。

叩き起こされた。いつの日か見た黒ずくめだった。

 

薄暗い取調室で、〈県警〉の一人が言った。

「町田市はどの県に属するか」

僕は答えた。

「神奈川県です」

文字数:1996

内容に関するアピール

まずこの場をお借りして町田市民の皆様にお詫び申し上げます。本作品はフィクションです。実在する団体と略称がよく似た団体が登場しますが、偶然の一致です。また、県民を見下す都民にも会ったことはございません。

この作品は町田市SFではなく、相模原市をしれっと横浜・川崎と同格に押し上げることを試みる相模原市上げSFです。はい、私は元相模原市民です。〈県民〉です。

相模原市の名物といえば……なんでしょう。まあ良いところなのでぜひ遊びに来てください。リニアが市内の橋本駅を通るようになるので、アクセスも最強になります。え? 橋本駅前はあまり遊ぶ場所がない? ご心配なく。JR横浜線の東神奈川行きにお乗りください。十五分もすれば駅前が非常に栄えた場所に着きますので。駅名? 何だったかな。あ、思い出しました。そうです、町田です。神奈川県町田市町田駅。これからの季節はデッキ下の道が涼しくてお勧めですよ。

文字数:393

課題提出者一覧