VR六区稽古場にて

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VR六区稽古場にて

「江戸の端は本郷までだ山手までだと言われてましたが、東京に変わる頃には中野が入り多摩が加わり、このVR TOKYOには一都八県という広い地域が入っております。それを考えますと江戸からVRまで変わらぬ部分に浅草はあり、すると浅草寺も仲見世もこのホールも欠かぬ場所と言えるでしょう。翻って人を見れば、文明開化でマゲを落とし、靴を履き、洋服を纏うようになったかと思えば、カラダごと捨て去って、皆様今ここにいるわけでございます。さすれば、人の中で変わらぬものは心の方だと言えまして、昔からの江戸東京と重なるわけですね。茶目っ気は銀座に、真面目さは霞が関に、という具合になりましょうか。では、ここ浅草はと考えると優しさだとか人情だとかが上がるでしょう。ですが、ここはちょいと離れている。すると、あるのはせいぜいそそっかしさ辺りかと。確かにその性分の歴史は長く、ここいらに住んでいるにはピッタリかと。そういう方が近所浅草のVR観音詣をしようと、仁王門くぐったら処理落ちしそうな人集り。なんだなんだと前に出る。どうした、何もやってねぇじゃねェか、いつになったら始まんだい。いや始まりませんよ、あれ見てください。おう、動かないアバターが何するんだい。いや行き倒れってやつですよ。ああ、生き倒れが始まんのかい。始まりませんよ、この方は死んでんですよ。なら死に倒れって言ってくれなきゃ、って死んでんのかい。そう言ってますよ。いや気の毒なこった、って、えっ、おい、クマ、クマじゃないか。なんだい、このアバターを知ってるのかい。ええ、こいつはVRシェアハウスの俺の弟分でさァ、生まれたときは惜しくも別々でも、せめて死ぬときぐらい別々であろうって。当たり前じゃないか。そう、当たり前の仲なんですよ、なんだってこんな……。そりゃお気の毒に。今朝も観音詣を誘ったらまだ寝たいって。ちょっと待て、今朝話をした? いや、だったら人違いだ。そんなこたァない、俺がクマのアバターを間違えるわけがねェ! いやいや、この方、昨晩からだから。そういう奴なんですよ、だから、ええ、連れてきますよ! そしたら皆様納得いただける! いや、何言ってんだい! おいおい、行っちまったよ。おい! クマ! クマ! うーん、なんだい。寝ぼけてる場合じゃねェぞ。どうしたんだ。どうしたじゃねェよ、バカ野郎、あんなところで行き倒れやがって! ええ? すまねェ、俺がお前の面倒をちゃんと見ていたら……。ハチ、落ち着いて教えてくれよ。おう、仁王門のところでな、行き倒れだよ。行き倒れ。そうよ、空に浮いて死んで倒れて行き倒れよ、で、顔を見た、誰だと思う、驚けよ、おめェだよ。俺ェ? おめェは夕べから行き倒れて死んじまったンだよ。俺が? いや死んだ心地はねェが。それが間抜けって言うんだよ、一遍だって死んだことあるかい? ねェだろ? だから死んだ心地とかわかんねェだろ、な、お前、夕べどっか行ったろ? ああ、屋台の方でしこたま飲んでな、観音様の脇まで行ったのは記憶にあるがな。それだよ、それが動かぬ証拠だよ、おめェは悪い酒に当たって、観音様の横で死んじまって、そンことにも気づかずに家まで帰ってきたってわけだよ。あー、俺死んじまったのか。そうだよ、ん、じゃあ行くぞ。どこに? 観音様ンとこにだよ、おめェのアバターを引き取りにだよ、自分のもンなんだからな、ちゃんと拾わなな、いいからついてこい。ほら、どけどけ! 当人来てるんだから! どうも、先ほどは。また来たよ、この人は。ほれ見ろ! こりゃどう見てもおめェじゃねえか。こりゃたまげた、確かにこのアバターは俺だ、俺死んじまったのか? いやいや、お二人さん、この行き倒れは昨日から。いンや、こりゃ、間違いなくこいつです。ああ、俺死んじまったのか……。お騒がせした皆さんに詫びろ。皆様、この度は俺がなんともお騒がせしました、俺が行き倒れるとはなァ。いやいや、兄さんたち、何言ってんだい。ほれクマ、きっちり後片付けしようじゃないか、お前さんのアバター、自分で運びな。おうさ、最期の時までこれ以上迷惑はかけらんねェが、なァ、ハチ。なんだ、クマ。このアバターは間違いなく俺だよなァ。そうとも。俺が抱えているのは確かに俺だが、抱えている俺は一体誰なんだろう。ちょっと待ち給え。アドミンさん! アバターのトークンを確認させてくれ。クマ、見せてやれ。あいよ。照合した、なるほど、実際にどちらも君のようだ。なんと! 十二時間前に発生した計算エラーで起こった分岐はここだったようだ。やっぱりな、ほれ見ろ、どちらもクマだったじゃねえか。そんなこともあるんだなァ。今から修正する。アドミンさん、ありがとうございやす。おお、行き倒れのアバターが起き上がったぞ。クマァ、生きてて良かった! ああ、良かった! じゃあ、本当の本当に俺は誰なんだろう」

文字数:1996

内容に関するアピール

永遠に眠る前に

 空調の時折聞こえるカラカラという音のせいか目が覚めた。節々が痛くて“こちら”であることに私は気づく。軋む体を捻り、とうの昔に色褪せた白いプラスチックの時計に顔を向けた。文字は読まずにそちらに手を伸ばし、隣の老眼鏡を掴む。AM 5:42、そして29.1℃の表記。二十年物のエアコンは夜も八十度近い外気に温められ続ける部屋を冷ますべく頑張ってはいるが、この夏を乗り越えるのはそろそろ厳しいかもしれない。
 この国、いや世界が良かったのはせいぜい五十年ほど前までだ。拝金主義、個人主義、グローバリズム。様々な原因が語られるが、協調を達成し得なかった世界に与えられたのは加速した温暖化だ。沈む島嶼に異常気象。人類はそれに二つのテクノロジーで立ち向かいはした。
 一つは脳の電子化、サイバースペースへの引っ越しだ。今や多くの人々は意識あるほとんどの時間を電子空間で過ごす。一部の人は既に肉体を不要とし、電子空間上で意識の並列化に、別の肉体や機械への意識投下までできている。死は過去の物になった、というのはニュースで見知った。問題はそれができるかどうかは認知の問題に近いらしく、特に自分のような歳のいった人間は意識が現実に引っ張られ、連続ログイン時間が二十四時間を超えることすらできない。一度寝ると現実の自室で起きてしまう。
 だからもう一つ、そういうサイバースペースに入り続けられない旧人のために、“ハビタブルスポット”、地球の中でスポット的に冷やされて今まで通りの気候が保たれた場所が作られた。巨大な風車と地上と宇宙からのレーザー光線で気候を制御し、住めようになされた都市。ヨーロッパには各国にあり、アメリカと中国には六つだか八つだかある。アジアではシンガポールやソウル、クアラルンプールもそうだったはずだ。だが、日本にはない。東京も大阪も名古屋も京都も札幌も福岡も、この国には生来の人間が住める場所は作られなかった。円安傾向だとか決められない政治だとか計画中での巨大地震だとか色々理由は上がる。
 だが。
 私はじっとりとしたひしゃげたウレタンベッドから、えいと立ち上がり、耐熱ガラスの向こう側を見る。熱波による火災で昔からの木密は無くなったが、演芸ホールを始め商業施設が建ち並んでいた道の区画は知った形で残っており、十分な広さの敷地が火除地の役割を果たしたせいか、浅草寺は観音堂もその姿を留めている。川向こうには大昔時折散歩した東京スカイツリーが、数十年前の東京湾沖地震で倒壊し無残な尖塔だけとなってはいるが、それでもその形状が残っていることに安心を覚える。
 この部屋には別の方角を見る窓がない。あっても今の自分の視力では厳しいだろう。だが、今日も富士山は昨日と同じように活動を続けているはずだ。自分の人生を過ごした他ほとんどの東京は噴火と熱波であらかた消え去っていた。
 だから、どうしても残っている地のことを思い出してしまう。
 本当にまだ子供だった頃に住んでいた場所。その当時、まだこの国が失われた何年だかに入る直前の最も豊かな時代のことだ。私は小さな国の街に住んでいた。三方を山に囲まれ、一方は国際湖に面する、そういう地形よりは、そこに大きな噴水があり、一度だけびしょ濡れになりながら堤防を歩いたことの方が記憶にある。中心部から家までは車での移動が多かったがしばしば路面電車も使っていた。オレンジと白のツートンの車両。ローラーブレードを履いたお兄さんたち(そう、僕はまだ本当に小さかったのだ)が連結部に座って無賃乗車していた。家族が移り住んだのはそんな通り沿いの築何十年かの古い集合住宅だ。七階だか九階だかにあり、内開きで土間のない玄関に、トイレとバスタブが同室で、家具付きであったと思う。オーニングが付いたベランダからは町並みと古い地層が作り出した白い山脈が見えていた。だが、そんなことよりもこのアパルトマンのエレベーターのことばかり思い出す。ボタンを押してかごを呼ぶと、手で扉を開けて、中に入り、扉を閉めた。内側には扉はなく、子供一人で乗ると最低重量が設定されていたのか電気が消えて閉じ込められる。
 起きるとそういうことばかり思い出すのは、歳もあるだろうが、あの都市がハビタブルスポットで、まだ存在しているからだろう。時間貸しの肉体に入れば、まだ行けるのは知っている。だが、VRから目覚めると必ず“こちら”で起きてしまう私にそれはできない。物質的な国際的移動網はもうこの東京と呼ばれた地域には来ていないし、仮に来ていたとしても配給で暮らす私に旅費は払えず、仮に若い頃程度の貯金があっても今の国際資産レートを考えれば夢物語なのは容易に想像できる。
 工業的に作られた栄養剤とカロリーを取る。そして再び横になり、目を瞑る。次こそは“こちら”で起きないことを夢見るために。

文字数:1986

課題提出者一覧