バンコン都市

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バンコン都市

 
「触るな!」
 オーの声に、子供が動きを止めた。「怒鳴ってゴメン。その板根フェンスには、電気が流れていて危ないんだ」と説明しながら、外に立つ子供に近づいた。
 オーよりも少し年下だ。男の子だろうか。ボサボサの髪。灰色の何かが、おでこにべたりと付いている。
「知らなかった」
 返ってきたのは女の子の声だった。
 高さ五〇メートルもの板状の根が、波打った有機的な壁になり、幾重にも都市を覆っている。だからオーたち板根都市の住民が、周辺地域を目にすることはない。板根は市内を守る防御壁だ。折からの乾燥のせいか、新宿と接している壁の一部が火事で焼け落ちてしまった。地中から水を吸い上げる、導管沿いに埋め込まれたナノマシンだけが残り、電気の流れで外部からの侵入者を阻むフェンスになっている。オーはフェンス越しに新宿を見てみようと思って、この火災現場に立ち寄ったところだった。ニュース・ラインから火事の件が消えて、もう野次馬はいない。
 
「ぼくは央治オージ。オーって呼ばれてる。きみは?」
「ミャー」
「それ、ネコの鳴き声?」
「うん。かあちゃんがネコ好きだから」
 オーの名の意味は「国を治める人間となるように」だ。ところが『ミャー』という名には、親の願望を押し付けるような、窮屈さがない。新宿は、自由な場所なのかもしれない。
「そういえば、君のおでこ、何かついてる」
 ミャーは腕で拭って「ドロだ」と言った。
「泥って、そんなふうに固まるんだね」
「知らないの?」
「こっちには土がないから」
 壁内の地面はタイルや人工植物で、土はない。唯一あるのが、板根植物下にある土だ。それでも内側では人工芝が覆っている。
「じゃ、どうやってドロダンゴを作るの?」
「泥団子って?」
 オーが聞くと、ミャーはポケットからつやつやと輝く美しい珠を取り出した。直径は五センチメートルほど。くすんだ白色に輝いていて大きな真珠みたいだ。
「土と砂と水を混ぜて、手のひらで丸める。少し乾かして布で拭くんだ。仕上げに瓶の口でこする。そしたらドロダンゴの完成」
 ミャーは泥団子を掲げて見せた。
「宝石みたいにピカピカなのに、団子って呼ぶんだね」
「ダンゴって、これじゃないの?」
 オーは団子がどういうものかを、ミャーに教えた。
 
 ふたりは毎日のようにフェンス越しに会うようになった。オーはミャーが知りたがることを話した。ミャーは代わりに外側の地域について教えてくれた。例えば「人を殺すな」「自分より貧しい者から奪うな」が掟だそうだ。オーが禁止されていることに比べて、随分と少ない。外には悪人が多いと言うけれど、ミャーは悪い子じゃない。オーを騙そうとしたり、何かをねだったことは一度もない。ミャーが大切にしていた泥団子をプレゼントしようとしてくれたことさえあった。いまやオーの一番の友だちは、ミャーだ。
 
 そうして一月半が過ぎた。いつもの場所に向かうと、目の前には青い海が広がっていた。巨大なディスプレイが焼け跡を覆い隠すよう設置されていたのだ。新しい設備を見に多くの人が集っている。外はもう見えない。
 なぜ大人はこんな壁を作って、自分たちを閉じ込めるんだ。
 怒りや悲しみにが一気に押し寄せてきて、オーは友達の名を呼んだ。
「ミャー!」
 騒がしかった人々が一斉にオーの方を見た。オーは走って家へ帰った。
  
 夕食後、オーは自室で緊急時用のペンと紙を取り出した。ネットによる連絡手段が絶たれたときに使うものだ。
 
 翌朝、オーは壁の車用改札の付近を覗っていた。改札から入ってくる「千代田花店」と書かれた電気自動車を追いかけて、車内のおばさんに、話しかけた。
「お願いがあるんです!」
 持ってきた紙を巨大ディスプレイの裏に貼ってほしいと頼んだ。オーの書いた文章と絵を、おばさんは黙って見ている。オーは不安になった。
 しかし、「いいよ。貼っておく。剥がされちゃっても、私にはどうにもできないからね」「ありがとうございます!」オーは車から一歩下がって、九〇度の礼をした。
「これ、お友達に届くといいね」
 オーは何度も頷いた。
 
 二日後、おばさんはミャーからの返事を見つけて、端末に保存した画像を見せてくれた。お菓子のパッケージ裏に「よんだミャー」という文字と、泥団子だろうか。丸が描かれている。
 届いたんだ。オーは少し泣きそうになった。
 
 それから二年。いまや板根都市のディスプレイの裏側には、雑多な広告や絵などが貼り付けられ、観光スポットになっている。
 相変わらず、板根都市とその外の世界は、隔てられたままだ。けれど、オーとミャーのささやかな文通は、親切な人々のおかげでいまでも続いている。
「自分の目で新宿を見てみたい。ミャーに案内を頼みたいんだ」
 オーは書いたばかりの手紙を見て、少し笑った。
 壁で隔てたって、友達との繋がりは、なくならない。
 みんな、仲良くなればいいのに。

文字数:1996

内容に関するアピール

 
 「都市を書く」という課題ですが、必ずしも自分の住む場所でなくても良いとのこと。ローカルなネタに寄りすぎず、誰でもイメージできるように、都市を抽象化しました。そこで出てきたアイデアが、貧富の間を区切る壁です。
 今後、貧富の差がより拡大すれば、富裕層は壁に囲まれた安全な暮らしを望むのではないか。しかし、その壁がコンクリートでは刑務所のようで味気ない。波打つ板根のような壁が幾重にも重なっていたら、それは美しい檻で、自らその中に住みたくなるのではないか。そうして板根都市を舞台に据えてみました。
 国の中枢機関が集まる千代田区が、板根都市です。新宿区、文京区、港区、台東区と接していて、最もギャップの大きそうな新宿との間で起こった、小さな出来事を書きました。
 どんな格差があっても、人々は繋がることができる。そんな思いを託しました。
 創作を通じて、さまざまな人達と強い絆ができたら嬉しいです。

文字数:395

課題提出者一覧