梗 概
弔事謳歌
結婚を考えない人はいるが、死んだ後の事を考えない人はいない。
延命技術が確立した時代、結婚式よりも葬儀を盛大に行う事が主流となった。死後の葬儀費用を手厚くサポートする保険が流行り、葬儀用の曲をオーダーメイドで発注する人が増え、安楽死も一般化した。その潮流に乗って、自分以外、人以外の葬儀にも注目が集まった。ペット、思い入れのある品、住んでいた家etc.. 様々な事物の葬儀を行う事も増え、過去の葬儀事例がデータベース化され、それを元に弔事システム《エニアンテ》が開発された。
ゆりかごから墓場まで、あらゆる物の弔事を行える《エニアンテ》を取り扱う弔事コンシェルジュ派遣会社ゆりはかに勤める下持のもとに身重の女性が訪れた。
「このお腹の子の人生全てをひとつひとつ弔って欲しい」
その依頼内容は大きく3つあった。1つは、依頼人の子と暮らし、その一生の出来事全てを弔って欲しいというもの。しかし、《エニアンテ》は過去の葬儀事例を元にしているに過ぎず、日常の出来事を弔事している例はほとんどない。ほぼ一からの弔事を無数に執り行うことになる依頼に対して下持は断りを入れようとするが、莫大な依頼金を得た社長からの命で下持は依頼人と婚姻関係となり、定年無き仕事に従事することになった。下持は倫理が壊れ、労働基準法も葬られた時代を生きている自分を呪った。
依頼人は無事元気な女の子を産み、命名すると姿を消した。下持は依頼通り出産の記録を弔い、命名された名前を葬ると、その女の子に「謳歌」という名前を付けた。
謳歌との二人暮らしを始めた下持は父の手伝いを借りて嫌々ながらも仕事をこなしていく。初めての夜泣き、授乳、排泄から始まり、笑顔も寝返りも散歩も産着もおしゃぶりもよだれかけも、様々な出来事や物を弔った。下持は過労死ラインという死語を思い出す。
下持の初めての躓きは謳歌が小学5年生の時、初めてのブラジャー購入の記録を拒否された。購入記録自体はレシートしか得られなかったが、初めて「キモい」と言われた事を代替することで事なきを得た。また、謳歌が中学2年の時には「死にたい」と言われた。下持はその「死にたい」も葬り弔った。依頼人の2つめの依頼内容は自殺(安楽死含む)をさせないで欲しいというものだった。
謳歌は順調に成長し、大学を出て就職をした。ただ結婚には関心を示さず、いつまでも下持と一緒に暮らしていた。そんな頃、下持のもとに依頼人からの手紙が届き、依頼人と会うことに。依頼人からは感謝の意と自分の寿命がもう長くないことを伝えられる。
延命技術は様々な手法で行われている。身体の一部機械化やIPS細胞による再生医療など。しかし、脳だけは手を加える事が困難であり、認知症医療などは可能だが記憶力だけは根本的な解決方法が見つかっていない。依頼人も下持も謳歌の事すら覚えている事が困難な年齢であったのだ。依頼人はそんな自身に対して絶望してしまい謳歌の傍から離れた。一方で謳歌を愛する気持ちは変わらず、死後も謳歌のそばに続けたいがために謳歌の全てを弔事することを望んだ。
謳歌は実の母親が下持に宛てた手紙を読んでしまう。そこで謳歌は下持が実の親ではなく、仕事で自分を育てていたことを知り動揺し、家を出る。その後依頼人が死亡し、弔事された謳歌の全てと共に埋葬されたことで下持の仕事は完了となった。一仕事を終えた解放感からか、しばらくしたのち下持も亡くなった。延命化は既にしていたため完全な寿命によるものだった。下持の葬儀保険の受取人になっていた謳歌は遺品整理で下持が使用していた《エニアンテ》のローカルストレージを見る。そこには、自分に関する数多の弔事が遺っており、その全てに下持の弔辞があった。謳歌はそのひとつひとつを聴き、涙する。
最後に謳歌は下持からの遺書を読む。そこには謳歌の母親から名付けられていた名前と下持の望みが書かれていた。
「幸生、どうか幸せな人生を謳歌してください」
これは下持が受けた依頼人からの3つめの依頼であり、いつの頃からか下持にとっての願いにもなっていた。
謳歌は全ての弔辞を聴き終えると、謳歌の弔辞であると同時に下持との思い出である全データを《エニアンテ》のオンラインデータベースにアップ・拡散した。それが自分を大切に育ててくれたお父さんへの一番の弔いだと信じて。
文字数:1789
内容に関するアピール
利き手を折ってしまったので書き上げられるか不安ですが最後くらいは頑張りたいと思います。
文字数:43