文身聖櫃いれずみせいひつ

印刷

梗 概

文身聖櫃いれずみせいひつ

 西暦2500年、地球上の地磁気が無秩序なった超磁気スーパークロン時代。磁場の強さも方向も、その時々で変化し続けるようになった地球では、電子的な技術に頼っていた文明はすべて消え、長距離の通信が不可能にとなり、さらに、人体に有害な波長を持った太陽光や宇宙線が、直接、地表まで届くようになった。
 この混沌とした磁場で覆われた世界では、人々は二種類の生き方を強いられた。一つは、各地に点在する局所的に不動な強磁場が存在する土地、磁気街の中で有害な電波から守られて暮らす定住民インサイダー
 もう一つは、宇宙線や紫外線を直に受けるのも鑑みず、外を移動して生き残ることを選んだ移動民アウトサイダー。かれらは磁場の流れを波のように捉え、地磁気を電力に変換する舟のような乗り物で旅をする。
 この世界では、人の一生は短い。特に磁場に守られずに生きた場合、人々の寿命はわずか三十年程度しかない。故にいかに”生きた証を残すか”ということがこの時代を生きる人々にとって極めて重要だった。

 イラク付近の磁気街で、磁場の薄い縁で暮らす十五歳の定住民、エンジンは、親から託されるべき、”累代文身イーオンタトゥー”を持たないことから、この時代の人間が必ず持つべき、”誰かに託し、託される欲求”が極端に希薄だった。
 累代文身イーオンタトゥーは、皮膚の中に、故人の知恵や経験を蓄積していく。人々は過去の技術を少しでも次世代に託すため、死んだ際には文身のその皮膚を、代々に渡って自身の子供に移植していく。子孫は先祖の知見を参照でき、またさらに子孫に自分の思いを託すことができた。
 エンジンは、ある時、育ての親である累代文身の彫師であるガウスに、本当の親の文身が入れられた皮膚を渡された。その皮膚は死んだ実の母のものだった。その皮膚の持つ情報は、母の、動物行動学者としての研究の記録だった。
 エンジンがその文身の入った皮膚を身体に移植すると、あらゆる生物の記録と、ここからはるか先のギリシャの半島に、磁場の影響を受けず、設備が手つかずで残る生物研究機関があると知る。
 母の文身からエンジンは、自身が本当に引き継ぐべきものがそこにあることを知り、移動民となって、母が旅した、文身の中の地図をたどって旅をする。

 旅の途中、エンジンは動植物について観察するうち、母親から引き継いだ生物の知識と、自分が実際に見た生態系との間に違和感を覚え始める。エンジンは生物たちが十数年間に極端に進化し、この超磁気時代に極端なスピードで適合していることに気づく。
 また、訪れたどの磁気街でも、代々受け継がれる文身の技能によって、極端に身分の優劣が決定していることに気づく。高度な技能を持つものと、そうでないもののヒエラルキーが文身のシステムによって、何代にもわたって硬直化していたのだ。
 本来は文明を失わせないようにと作られた文身が、むしろ人々の断絶を引き起こしている事実に、エンジンは絶望する。
 
 五年後、エンジンがギリシャの半島にたどり着く、示されていた地下施設には、累代文身の発見の事実すべてが眠っていた。
 そこに記されて記述によれば、累代文身の原型は、数百万年前に現れた人体の機能のひとつだった。地球には、過去にも数十万年に一度の周期で、何度も地球上は超磁極期が訪れ、人類の進化にも影響を与えていたのだった。
 累代文身は、急激な環境の変化を乗り越えるために、移動を繰り返す必要に駆られた人類が、情報を蓄積させるため、進化の過程で生みだしたものだった。
 加えて、当時の文身には今は失われていたもうひとつの機能、個体間の情報の伝搬があった。
 エンジンの母は過去の人類が持っていた伝播機構を再発見し、生物で実験を繰り返した。その結果、DNAを構成している量子構造が個体同士が離れた地点で相互作用し、水平伝播を引き起こすことによって、野生生物は急激に進化していた。
 エンジンは母の残した知識と、技術とを紡いで、すべての文身を相互接続させ、知識の境界をなくす。その知識の中に、自分のここまでの旅路の記憶を込め、世界中の次の世代へと引き渡したのだった。

文字数:1707

内容に関するアピール

 第六期で自分が書いた作品を読み返すと、”誰かに何かを託すこと”をテーマにした作品が多いことに気付かされました。
 そのため、最終の作品は、託すことが生きる上で、または死ぬ上で、もっとも重要な価値観となった世界を書こうと思います。

文字数:112

課題提出者一覧