もっと小さく、すごくわくわく。

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もっと小さく、すごくわくわく。

田無駅で降りたのは私一人だけだった。
「やば」
 思わず声が出た。何の面白みもない生活がこれからここで変わる、そう思ったら高揚感が口から出てしまった。
 大量の人を載せた黄色い電車は次の駅へと走っていく。電車の中から何人かが私を物珍しそうに見ていた。
 ホームを歩きながら電車を見送って、私は29.5㎝の足で階段を上り、改札を出た。そこには、『マイクロ、それは私たちのドメインです』という市民三原則の一つが掲げられた時計塔があった。何の変哲もない2mほどのものだ。
 少し特殊なのは、時計の秒針音が卓球の打球音になっているところくらいか。しばらく聴いているとカコンカコンという音で頭が埋め尽くされる感覚に陥る。
 しかし、私はこの音を聴きに来たわけではない。私は西東京市民になりに来たのだ。

手続きはすぐだった。市外民専用の通路を通り、駅から徒歩3分の西東京市役所市民課で申請書類と意志の確認を行うとすぐに市民化カプセルに案内され、全裸になって中に入った。
 カプセル内のモニターに表示された簡単な暗算問題と文章題に答えると、音声で質問が流れてきた。
「あなたは西東京市の理念に共感しましたか」「はい」
「あなたは本処置で西東京市外での生活に弊害が出る事を理解しましたか」「はい」
「あなたは西東京市の理念に準じますか」「はい」
「あなたは西東京市との手続き全てに同意し、本処置を自らの意志で望みましたか」「はい」
 最後に、職員から伝えられたパスワードを入力する。
「これから処置を開始します」
 白いガスがカプセルの中に充満し、私を包んだ。
 ガスをいくらか吸うと、軽く陶酔感を覚えてすぐに意識を閉じた。

目が覚めると、処置は済んでいた。
 カプセルから出て、用意されていた服と靴を着た。サイズはピッタリ。来た時の服と靴は大きすぎてもう着れないのでダストボックスに入れた。
 部屋から出ると職員が笑顔で待っていた。
「お疲れさまでした。あなたは無事西東京市民になりました。次回の処置は1か月後です。それでは、良きマイクロライフを」

外に出ると景色が変わって見えた。先ほどまで小さかった道、建物、全てのものが丁度良い大きさで、何より世界が広く、大きく見える。太陽がまぶしく、地面からの熱気を全身で感じる。
 私は3.5㎝の足で15分かけて田無駅の改札前まで戻る。卓球の打球音を響かせる時計塔は先ほどよりも何倍も大きく見えて、もし倒れてきたらと想像するとドキドキした。
 反対側の北口ロータリーに行ってみる。予約している不動産屋があったはずだ。
 北口ロータリーの中心には時計塔と広場があり、それらを車道が囲んでいる。その車道に沿って5つのバス停とタクシー停車場があった。
 ロータリーの中心にある時計塔は3mほどで、めちゃくちゃデカい。柱には『ヒューマン、それは私たちの理念です』という市民三原則の一つが掲げられている。
 その時計塔の下では、若者たちがサイファーを形成していた。横断歩道を渡り、近づいてみると「ビッグになってやる」と歌っているのが聴こえる。
 きっと彼らはネイティブ西東京市民なのだろう。自ら望んだ訳でもなく生まれた時から西東京市民。私にとっては解放感に溢れた自身の状態が、彼らにとっては閉塞感となっている。西東京市が抱える社会問題だ。
 しかし彼らには申し訳ないが、結婚しても子供は欲しくない私にはありがたい話でもある。市外とは逆で、社会の目が西東京市民になった私に子供を望まないでいてくれる。
 時計塔と若者の横を通り過ぎ、もう一度横断歩道を渡ると目の前に不動産屋がある。不動産屋に入ると、若い男の社員が迎えてくれた。
「ようこそ西東京市へ。ご予約のY様ですか?」
 首肯すると社員はすばやく麦茶を差し出し、内見予定の3部屋の紹介をし始めた。
 正直部屋はどこでも良い。伝えていた条件は揃っているようなので、すぐにと内見へ向かう。新たな自分と新生活にワクワクしていて、とにかく早く色々見て回りたいという気持ちが抑えきれない。新しいおもちゃを手に入れた子供の気持ちみたいに、何もしていなくても楽しさが湧いてくる。
 社用車の中はエアコンが効いていて快適だった。助手席に乗ると、ナビ画面の上に横長のデジタル時計が付けられている。そこにも市民三原則の一つが書いてあった。
『テクノロジー、それは私たちの基盤です』
 それを見つめていた私を見て社員は笑顔で言った。
「きっと、素敵な生活になりますよ」

車で線路沿いの道を進んで行くと、大きな建物が見えてきた。
 西東京市民なら誰もが知っている会社の工場兼本社だ。
 会社の前を通り過ぎる時、横目に大きな時計のモニュメントと掲げられた会社のスローガンが見えた。今や西東京市のスローガンでもあり、この会社が西東京市の全てを支えてくれている。

CITIZEN Micro HumanTech もっと小さく、すごくわくわく。

文字数:1999

内容に関するアピール

西東京市には時計メーカーとして有名なCITIZENの本社と工場があります(2022年度前期日本卓球リーグ団体優勝おめでとうございます!)。
そのCITIZENのスローガンが「CITIZEN Micro HumanTech もっと小さく、すごくわくわく。」であり、会社の三つの理念が「マイクロ、それは私たちのドメインです」「ヒューマン、それは私たちの理念です」「テクノロジー、それは私たちの基盤です」となっています。

西東京市はよくあるベッドタウンです。ただ、私が子どもの頃に遊んでいた多摩六都科学館やスカイタワー西東京、東大農場は、子どもの私にとってはとても大きく、広く、そこにいるだけで見ているだけでワクワクしましたし、そんな特別な場所でなくてもよく遊びに行っていた公園も駅前のロータリーですら行くだけで楽しくなっていました。

そんなワクワク感を少しでも取り戻せたら良いなと思っています。

文字数:389

課題提出者一覧