おばあちゃんは乗車率の守護神

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おばあちゃんは乗車率の守護神

おめでとうございます。お客様の乗った列車は世界で初めて乗車率10000%の大台を達成しました。アナウンスのなか、わたしは渋谷駅の改札を走り出る。いつものピピッという音のあと、アプリに配られたのは記念のバッジ。祖母が見たらなんて言うだろう。
 列車がまだ物理的限界に縛られていたころ、彼女は乗車率320%の列車で右脚を圧し潰され、短距離走代表選手の夢を奪われた。

 幼いわたしが算数の質問をすると、祖母はいつも例題として乗車率の問題を出してくれた。輸送人員を輸送力で割るんだよと。150%は肩が触れ合う程度で、新聞は楽に読める。200%は身体が触れ合い、相当な圧迫感があるよ。でもスマホとか週刊誌はなんとか読める。
 祖母は乗車率に取り憑かれていた。でも、いつも優しい目で話を続けた。あたしみたく身体が潰れる瀬戸際なのに、皆は暇つぶしを楽しんでいたんだよ。あたしの足が潰れたときも、読書をしてて気づかなかった人がいた。あんな中でも人間でいるためには、暇つぶしがないといけなかったのさ。
 逆に言えば、暇さえつぶせれば、人はどんな状況でも人でいられるのさ。暇つぶしは人間の至福さ。そう言う祖母は誇らしげで、わたしもなんだか嬉しかった。

 乗車チケットのIC、Felicity Killing-time card = FeliKaフェリカによって、〈暇〉の次元に畳み込まれたわたしの身体が開かれていく。暇つぶしの至福の名を持つそのカードは、改札でわたしたちの意識に暇つぶしゲームを立ち上げる。それへの没入は、身体から意識を剥ぎ取って、縦、横、高さ、時間に次ぐ五番目の次元の〈暇〉に身体の断片を押し込んでいく。〈暇〉につぶせば乗客は小さくなって、乗車率は上がる。効率的で、とても環境に優しい。〈暇〉は隣接宇宙との隙間の次元らしい。

 身体が暇次元に遺失ロストしたときの感覚を思い出す。電車の中にいるのに、どこにもいない感覚。あの日のFeliKaの大規模障害のこと。当時最大5315%の乗車率がゲームのバグを生んで、乗客は暇つぶしができなくなった。それで、乗客みんなの身体が車内の暇次元に漂ったまま、意識は東京山の手を周り続けた。東京都心と一つになるあの感じは、部活帰りのジンジャーエールみたく気だるく甘ったるかった。
 FeliKa開発者の祖母は、原因を特定して、FeliKaのゲームにダイブしてわたしたちみんなを暇から引っ張り戻した。特製のプログラムで。
 その代わりに、祖母の右手は暇に遺失した。いまもずっと山手線を回ってる。でも祖母はからっと笑って言った。「乗車率を上げることがあたしの使命であり復讐なのさ」

*

「ナツミがロストした。オレが時間を遅らせなきゃ、事件に巻き込まれなかったのに」
 親友ふたりとの待ち合わせ場所、85階の空中回廊に移された忠犬ハチ公像前でタツキがひとり泣いている。
 満員電車に反対するテロ集団からFeliKaが大規模なジャミング攻撃を受けていると速報が届く。
 ジャミングは乗客の暇つぶしの邪魔をする。暇は潰れづらくなって、乗客は次々に遺失する。連鎖的な東京の電車網の混乱に、遺失者窓口も追いつけない。
 おばあちゃん、今度はわたしが助ける番だね。
 タツキが握るナツミのFeliKaを取って、山手線の〈暇〉に残されたナツミを助けに走り出す。
 渋谷コンノウ、ネオヒカリエ、お年寄りに人気のカコヘ。好き勝手に成長する忘れっぽい街を一望しながら、変わらない満員電車を思う。
 改札でFeliKaがピピッ鳴った。祖母が最後まで質感にこだわったその音に勇気づけられたわたしは、渋谷駅版のゲームに入る。

 暇次元に展開された意識の渋谷はまるで迷宮。死んだ飼い主を待ち続けた忠犬ハチを探す暇つぶしゲームだ。乗客が蠢いている。ジャミングで混乱して、あちこちの光へと人の流れがスクランブルしてる。
 レベル1は簡単。地下十階から地上の広場に上がるとハチがいた。レベルアップ。次はバスケ通り。桜丘のプラネタリウムや麻辣湯屋の前。入り組んだラブホ街の円山町。ハチを見つけていくと、あっという間にレベル32768。レベルが上がるほど、暇次元の深くにわたしは潜っていく。

 祖母譲りのプログラミングで暇次元をスキャンして、ナツミの身体をより集める。
 「没入するの。渋谷に」そう言うと、ナツミが答えた。「急にジャミングされて、飽きちゃった。もう無理」「どこかでハチが待ってると思えばいい。楽しいと思わなきゃ」「でも」「いいから。戻るよ」言い合いのせいで集中を欠いて、一緒に暇に霧散しそうになる。
 ゴツゴツした右手が飛ぶように現れて、わたしとナツミをドンと押した。
 おばあちゃん。
 それで我に返ったわたしたちはハチ探しに戻り、気づくとふたりで渋谷駅を出ていた。
 攻撃の収束と、乗車率のギネス更新のアナウンスが鳴り響いている。

文字数:1996

内容に関するアピール

4月になると「素人さん」が電車に増え、電車の運行は混乱します。君たちも早く慣れなよ。先輩ヅラしてそう思いながら、東京の学生や働く人は各々の目的地へ向かいます。東京人になるということは、そういうことなのだと言わんばかりに。

最近、コロナで消えていた懐かしい満員電車が復活してきています。私達は非人道的な満員電車を忘れられません。忌まわしくも懐かしさを感じるほどに、囚われています。

満員電車が行き交う渋谷は、僕が青春を過ごした駅です。ただ、もう昔の姿は影も形もありません。忘却が渋谷の本質であるかのように。それでも、ハチ公には迷惑なことに、わたしたちはハチ公のことは忘れないでしょう。渋谷がどうなっても、どこかにハチがいる。あそこに隠れるかも? なんて思いながらゲームで街を読み替えていくことで、私達は街を楽しみ過ごすのです。

文中に出てくる国交省の乗車率の説明はいかにもディストピアで、100%を超えているのに、週刊誌や新聞を読む話が書いてあります。笑ってしまったので、限界突破させてやろうとSFにしました。(それどころじゃないやろ笑みたいな)

文字数:469

課題提出者一覧