掃き溜めに竜! なのか?
202X年7月、稀にみる低い中心気圧を記録した超大型で強い勢力の台風19号は、衰えないままに関東を直撃するルートで日本列島の南海上から北上しつつあった。
戸田市、西側と南側は一級河川荒川の河川敷であり、1964年のオリンピックでボート競技に使用された全長2.5Kmの漕艇場、彩湖と呼ばれる巨大な調整池を有し、海なし県埼玉の都市としては異例の水辺の多さを誇る。今回の台風による荒川の増水に対して、彩湖は既に排水門を閉じており、流量を減らす為の貯水を始めている。そのような状況で何故か漕艇場だけは、池底の汚泥が覗く渇水状態となっていた。
**
話は数年前に遡る。漕艇場は2021年の東京オリンピックのボート競技会場候補となり、市は海外の有力選手を招いてアピールイベントを開いていた。
80年以上の歴史を誇る施設の印象は概ね良かったが漕艇場の水を手で掬い匂いを嗅いだ欧州の選手の一言で事情は一変する。
「この池の水はいつから変えていないのですか? 淀んで腐った匂いがします。これでは競技はできない!」
実は1964年のオリンピック以降、一度も水を入れ替えていなかった。戸田市の誰もが漕艇場の水の臭いに慣れ過ぎていた。
誘致に敗れた悔しさから市民の間に『綺麗な水の漕艇場を』との強い願いが巻き起こり、漕艇場の水抜き、浚渫、注水の施策が市議会に承認された。202X年4月、漕艇場の排水が始まる。暗渠で結ばれた菖蒲川にポンプで強制的に排水していく。1ヵ月でほとんどの水が無くなり汚泥が水底から露出した頃に、その男たちが現れた。
“池の水全部抜きます”芸人の集団が漕艇場の汚泥の調査を申し入れてきた。市は枯渇気味な予算の都合でこれを受け入れる。
タレントとスタッフの手作業の汚泥あさりが凡そ2ヵ月続いた。戦利品は、多様な淡水魚、雷魚、バスなどの外来魚、カミツキガメなどの危険生物と多岐に渡った。
一時は屋台が立ち並びお祭り状態となるも、6月に強烈な悪臭が発生したことから撮影が打ち切られる。巨大台風が襲来したのはその直後だった。
**
私は、『花火大会を特等席で』との勧誘に載せられ購入した漕艇場に面したマンション6階のベランダから、4月以降ずっと排水、池底攫いの状況を定点観測している。
タイムラスプ編集した排水状況の映像は期待通りの出来で大分「いいね」がついたが、“池の水全部抜きます”隊がきてからは、離れた場所のせいか面白い映像が撮れなくなった。撮影を止めようか迷ったところに今回の大型台風だ。
災害ニュースは彩湖が満杯で貯水を止めたこと、荒川の水量を減らす為に、笹目川の水門を開き、漕艇場に再び注水していることを伝えてきた。首都圏の鉄道は、全て運休、当然自宅待機状態だ。定点観測カメラを調整して、2匹目の泥鰌とばかりに水位の上がる漕艇場の定点観測を始めた。
漕艇場がほぼ満杯になったころに、水面から無数の光が放たれていることに気づく。各々の光はとても小さく定点カメラの広角レンズでは鮮明に写らない。望遠に切り替えて撮影しようとしたとき、池の西端に紫色の巨大な2つの光芒が現れたことに気づいた。
“何か巨大なものが潜んでいる! 特ダネだ!”そう呟きながらカメラを向けた時、その声が頭の中に響いた。
『撮影を止めてくれないか? 気が散って上手く飛べそうにない! この辺りを廃墟にしてもよいのか?』
「お前は何者だ?」咄嗟に問い返す。
『判らない。長い間、澱んだ水の底で眠っていた。新鮮な水を得た今、宙を舞い風と雨を支配することができる』
“竜? 竜なのか? 漕艇場にこんなものありなのか?”
「撮影を止めよう。静かに去ってほしい。この街はこの後どうなる?」
『荒川の堤防が決壊し濁流に飲まれて多くの命が失われる』
“川に近いこのマンションは絶望的だ! ローンの大半を残して避難民か? 勘弁してくれ!”思わずその存在に懇願した。
「この地にゆかりのあるあなたの力で決壊を止めることはできないのか?」
『……』
紫の光芒が強さを増してきた。水面が激しく波立っている。このまま飛び去ってしまうのだろうか?
『よかろう、できるだけ多くの水を持って去ろう。堤防の決壊はお前たちの運次第だ!』
紫色の光芒が見えた場所から、巨大な竜巻が屹立する。竜巻は漕艇場の水を巻き上げ、荒川の水を巻き上げ、西に向かって進んでいく。
巻き上げる膨大な水量が荒川の水位を下げているのが肉眼でもはっきりと判る。
“巻き上げた水、どこかに落ちるんだよな。その場所はきっと大洪水だよな! でも今はそれは考えるな!”
翌朝、荒川の水位が下がるまで堤防は決壊しなかった。戸田市は守られた!
**
ここであなたに深くお詫びしたい。
202X年7月に、あなたの街を襲った大洪水の犯人は私だ。私が漕艇場の竜に頼んで持ち去らせた大量の水が、埼玉県西部のあなたの街に落ち……
文字数:1999
内容に関するアピール
埼玉県、、、ネタがない! 戸田市、、、更にネタがない!
今回はネタ探しで苦しみました。受講生の庚乃さんのツィートがヒントになり何とか戸田市と漕艇場で一本書けました。
2000文字という文字数も絶妙でした。文字数を意識すると梗概のような味も素っ気もない文章になる。表現を意識すると大幅な字数超過となる。その狭間でのたうち回った感があります。
出来の悪い子ほど可愛いといいますが、苦しんだ分、出来はさておき、愛着のある作品となりました。
話の中の漕艇場の水は綺麗になりましたが、実際の漕艇場は水替えなし期間を更新し続けています。これを機会に市長に請願でもして何とかしたいものです。
汚水と水害の街のような印象を与えてしまったような気がしますが、戸田市の河川敷ではいろいろな種類の野鳥が見られて、ツバメの巣も多いよい街です。
お近くに寄られた際には、是非戸田公園駅で降りて戸田ボートで散財なさってくださいww。
文字数:396