在りし日の、川の記憶
「この地蔵の設置者を探しています 東京都狛江市役所」
お地蔵様の首に下げられたメッセージ。この看板を見つけたのは、中学二年生の夏休みのときだったかな。街は再開発の真っ最中で、色々なところを壊しては作り直しての大騒動。あたり一面工事現場だらけで、小さな道が全部なくなって、やがて樹木が植えられた真っ直ぐの大きな道が整っていく最中のお話。
狛江市は、多摩川と野川という大好きな2つの川に挟まれた街で、僕が生まれ育ったところ。ほとんど坂がなくて、このころは工事の音から逃れるために、自転車で川の土手まで出て走り回るのが大好きだった。そんな冒険の最中に見つけたのが、このお地蔵様。
最初は殆ど気にもとめていなかったんだけど、夕飯の最中にふと思い出して、地蔵と看板のことをお母さんに聞いてみた。でも、お母さんは「そんなところにお地蔵様なんてあったかしら?」とわからない様子。
お母さんも知らないお地蔵様。僕は気になって、市役所の受付AIに連絡してみた。そしたら、その一帯は道路を広げる計画があって、地蔵を撤去したいんだって。そんな、捨ててしまうなんて信じられない! そう思って、僕はこのお地蔵様のことを調べて、なんとか撤去させないようにしたいと思った。何か分かったら、ついでに夏休みの自由課題にしてしまえば一石二鳥だし。
いつ置かれたのかは結構簡単にわかった。僕の太傅AIのヤカン君と話しながら、街の年月を遡って写真記録を見てみる。お地蔵様は万和四年冬にはなくて、五年の冬には置かれていた。その間に起きたことは、ここに住む人なら誰でも知ってる。
万和四年・多摩川大水害。梅雨の時期に起きた、多摩川・野川の同時氾濫。狛江市の四割が水に浸かった事件。街を大きく変える再開発が決まったのも、だいたいはこの水害のせいだって聞いた。
地蔵が置かれた経緯。すこし怖くなってしまって、ヤカン君に聞いてみる。
「ねえ…。このお地蔵様、やっぱり誰か、亡くなったのかな」
「いや? 調べたけどこのエリアでは死んでねえな」
「は? じゃあ何で立ってるのこれ」
「知らんけど、多分忘れないためだと思う」
「何を」
「記憶を、だよ」ヤカン君は優しく僕に言う。
「これ、見てみ」映し出してくれた、水害発生地図。うねうねとしたエリアが水没地域で、地蔵はその端の方にあるようだ。
「なんか、水没したところが蛇行してるね、まるで川みたい」
「川、だったところだよ」
「どういうこと?」
「ここな、全部大昔は川だったところ。多摩川、お前よく走ってるだろ? あの流れはずっとあそこにあったわけじゃなくて、時代によって場所が変わってるんだよ。大昔に川の流れがあったところは地盤が弱くて、こうやって何かがあると、昔の川の形に水害が発生するんだ」
大昔の、川だったころの土地の記憶。
お地蔵様は、その一番先端にある、地理の目印なのかなと思った。
結局、お地蔵様を誰が置いたのかは分からなかったけれど、調べたことを自由研究として発表したら、コンクールに入賞して街の新聞のインタビューを受けることになった。このことが話題になったみたいで、お地蔵様は、少し移動したけれど、大きくなった道路の片隅に今も置かれている。
お地蔵様、川の記憶を守れたこと。僕のちょっとした勲章。
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内容に関するアピール
いま、ハザードマップを見ながら引越し先を探しています。
野川や多摩川を自転車で走るのが好きで、その中心である狛江市一帯は大好きなエリアなのですが、多摩川・野川が同時氾濫するとほぼ水没してしまい、一部は水没5m(=1階天井まで水没)まで想定されています。
水没想定地は過去に氾濫平野だった場所で、きれいに川の形になっています。明確に異常気象の頻度が増えているなか、これは「くるかもしれない」ではなく「いつかくる」になってしまっていると思っていて、起きてしまったあとの再開発の話を書こうと思いました。
文字数が少ないのも難しいですね。勉強になりました。
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