さようならスペースワールド
八日前、二〇一七年一月一日にスペースワールドは閉園した。
「ウチ、スペワで成人式やりたかったのに」
メグミは妙に慣れた手つきで封鎖された入場ゲートをよじ登り、園内へと侵入する。
大晦日から元旦にかけて行われた閉園カウントダウンイベントへの誘いは断られた。閉園した今になってスペースワールドにメグミと行くことになるとは思わなかった。時計の針は十二を超えて、成人の日を迎えていた。
「成人式まで営業してくれたら良かったんに。ほらリョウも早よきい」
今日、小倉のメディアドームで開かれる成人式は味気ないものになりそうだ、という予感があった。スペースワールドで、派手な格好で暴れるヤンキーたちを迷惑がるところまでが北九州市の成人式だとリョウも数年前から楽しみにしていた。
入場ゲートに足を掛けたところで、頭上の監視カメラと目が合う。
「大丈夫。電源死んどるよ」
旧官営八幡製鉄所の遊休地に宇宙をテーマにしたスペースワールドが開園したのは二十七年前。リョウが産まれてから八日前までずっと、このテーマパークが傍にある世界で生きてきた。リョウは携帯端末に視線を落とす。
『ラッキーたちがスペースシャトルに乗り込みよる。はよ来て!』
二時間前にメグミが寄越したメッセージ。終電は既になく歩く羽目になった。寒空の下、メグミはブラックモンブランを齧りながらリョウの到着を待っていた。
リョウはゲートの上から飛び降りる。
「今ラッキーが園内におるわけないやろ」
「本当に見たんちゃ。仲間を連れてスペースシャトルに向かったんよ。月まで飛ぶ気やないんかな」
スペースシャトルの実物大模型はスペースワールドのシンボルだった。実は模型ではなく本物で、ラッキー・ラビットたちマスコットキャラクターが乗ってきたのだという噂話は後を絶たない。リョウはため息をつく。
「ラッキーたちが宇宙人なのは設定。着ぐるみの中には人間が入っとる」
「聞いた? 月の石、NASAに返すんやって」
まともに会話する気はないようで、メグミは好き勝手に言葉を投げてくる。スペースワールドにはアポロ12号が採取した日本国内最大の月の石が展示されていた。
「市長がNASAにまた貸してくれっち言いよるらしいよ」
メグミは急ぐ様子を見せない。園内を懐かしむように遠回りしながら進む。
〈エイリアンパニック〉に襲い掛かるエイリアンはもういなかった。〈タイタン〉のレールは薄暗闇にそびえたっている。〈惑星アクア〉の枯れた水路には汚れがこびりついたまま。やがて〈大観覧車スペースアイ〉の前でメグミは足を止める。
「小学校の遠足に、中学のバスケ部でも来た。高校ん時はリョウに彼女がおったけ一緒に行けんかった。二人だけで来るの初めてやん」
「メグミがカウントダウン断ったけね。あと幼稚園の時もお互いの家族で二回来てる」
「ずっとスペースワールドはあるっち思いよったのに」
メグミは観覧車を見上げる。
「昔は観覧車じゃなくて〈アトラスタワー〉っちいうアトラクションがあったっち」
〈ヴィーナス〉のレールに囲まれたスペースシャトルはもう視線の先に見えている。メグミはその場から動こうとしない。両親の思い出話を適当に吐きながらじっとスペースシャトルを見つめている。
促しても動かなかった。リョウは諦めてメグミの横で同じようにスペースシャトルを眺めた。
「なんか待っとると?」
メグミは答えない。横一文字に口を結び、眉間には皺を寄せている。
スペースシャトルが薄闇の中で輪郭を見せている。見つめてるうちに、ふと輪郭が揺らいだ気がした。目を瞬かせる。間違いない。徐々に歪んでいく。
「ラッキーたち、月に行くんだって」
「いやありえんって。中は人間――メグミ、あれ何が起こっとるか知っとるん?」
その時、空気を切り裂くような激しい風切り音が聞こえた。音は上空へと遠ざかっていく。視線を下ろすとスペースシャトルの姿がない。
「いこう」
ようやくメグミは歩き出す。〈ヴィーナス〉のレールを潜り抜けスペースシャトルがあった場所へたどり着く。
ラッキーたちの着ぐるみが丁寧にたたまれていた。足パーツはつま先をこちらに向けて揃えられている。
「ご先祖様の宇宙船、小型やった。模型のスペースシャトルはただ宙に投影されとるだけやったんよ。操作は宇宙人の声を認識するだけやったけ簡単だった」
メグミはぽつりぽつりと呟く。
「月に行かせてくれっち歪んだ顔で頭下げてさ」
「無駄に決まっとうやろ」
「ウチもそう言ったんよ。でもまあ人間にだって少しくらい自由に生きる権利はある」
北九州市に残っている人間はもうラッキーたちしかいない。市外に出ることは叶わないだろう。死ぬまで飼われる。
爆発音が鳴った気がした。
「冬に花火大会なんてあったかね」
メグミはどこか寂しげに首を傾げた。
きっと、一人じゃ耐えられなかったのだろう。
文字数:1997
内容に関するアピール
幼い頃から何かにつけて八幡の民はスペースワールド(スペワ)に足を運びます。小さい私は家族で《惑星アクア》の長い列に並びました。小中の学校行事でも行きました。高一の時に好きだった相手からスペワに誘われ舞い上がったのも束の間、私の友人も誘うからうまく取り計らうようにと命令が下りました。その後すぐに二人はお付き合いを始めました。
年齢や園の衰退とともに訪れる頻度も減りましたが、存在して当たり前という感覚でした。最後に行ったのはもう随分と前、就職を機に関東へ引っ越す私のために、二度と来ることがないだろうからとバイト仲間が企画してくれました。まさか園自体がなくなるとは。思い返すと大切な思い出のいくつかはスペワにあったようです。
閉園後、主要アトラクションは国内外へ移設されました。しかしスペースシャトルの実物大模型は引き取り手がないまま解体されてしまいました。それが寂しくて今回の話を書いた気がします。
文字数:400