ばいばい無尽蔵
それは怨霊によって天から降るのが雷ばかりとなり、雨がなくなった頃。
葦が固まってできた亀島に鶴助という若者がいた。
ある日鶴助は、空飛ぶ竜めがけて大繩を投げ、これを見事地に伏せた。竜はそのまま大地に根付き、立派な梅の木になった。
梅の木からは美味な甘露が無限に取れ、飲み水に困っていた人々はこれを梅雨と呼びありがたり、梅の木をもたらした鶴助を持て囃した。
これこそ高名な梅屋敷、臥竜梅の始まりである。
生まれたころから繰り返し聞かされてきた物語を改めて読み、鶴太はため息をついた。
薄暗い蔵の中を漁って先祖代々の史書を紐解いたのは栄華の歴史を知りたいからではなく、困難の解決策を求めたからだ。
しかし、ご先祖様に挫折はなかったらしくそれらしい記述は皆無だった。
「旦那様旦那様」蔵の外から鶴太を探す中川の声が聞こえてくる。
いつまでも引きこもっているわけにはいかない。鬱々しい気分のまま蔵を出ると強い日差しが目に入ってくる。
夏至も過ぎ梅雨の取れ高も伸びる時期。梅屋敷で働く取水職人たちの稼ぎ時である。例年どおりであれば。
「旦那様ここにおりましたか」大きい声を一層張り上げて中川が近づいてきた。
以前から人一番の元気さで皆を引っ張り上げる頼りがいのある職長だったが、その瞳も最近ではらんらんと輝き少し狂気じみていた。
「おっしゃったとおり葦を織り込んでついに竜降しの大繩ができました。これにて新たに竜を伏せればいよいよ梅雨の取水も好調、梅屋敷の高名も世に轟くでしょう」
鶴太が時間稼ぎのために適当に言った嘘をこの男は馬鹿正直に実践したのだ。
中川の意気込みに心痛を感じながら鶴太は頷くしかなかった。
事の起こりは年初めに遡る。
梅雨の取水作業は年初めに始まり夏の終わりまで続く。一日の取水量は日ごとに延び、夏至を過ぎたころには江戸中にばらまいてもお釣りがくると言われるほどであった。それが今年はとんと振るわない。
はじめはそんな年もあるかと希望的観測を持ったが、改善しない現状に段々と不安が募り、一向に取水量が増えないのがはっきりした時には取水職人たちの不満は爆発寸前だった。
梅雨は腐ることはないから、万年保つと評判の亀井戸に毎年余剰分を保管している。切り売りすれば梅屋敷がすぐに破産することはない。
雇用主の鶴太としては、現状を加味して給料を工面していたがそれだけでは職人たちの心はつなぎ留められなかった。
そこで、なんとか時間稼ぎをと先祖に倣い竜降ろしを行うと大ぼらを吹いたのである。
誤算だったのは追い詰められていた職長の中川がこの案にすがり本気で準備を始めてしまったことだ。
「旦那様準備は整いました。いよいよ明日には竜降ろしを行っていただきます。本日は英気を養ってくださいませ」
手際よく宴の準備を始める中川の様子にこの状況から逃げるすべはないことを悟った鶴太は、流されるまま飯を食い風呂に入り気づいたら寝床で横になっていた。
しんと静まった夜更けに自分の心の蔵の鼓動のみが聞こえる。どん。どん。どん。
それを聞くうちにうつらうつらとしてくる。
と、ふと梅の香りが強く鼻をくすぐった。布団から出て障子を明けるとより一層強い匂いが漂っている。
誘われるように夜道を歩くと、天神様の祠にたどり着いた。
祠の戸を開けるとそこには太宰の高僧が収めたという天神像があった。
近づいてさらに嗅ぐ。嗅ぎなれたその匂いは梅の木の匂いだった。気づくと天神様の拳が開き、そこには小さな梅の実が転がっていた。
直感が訴えていた。これは天の思し召しに違いない。鶴太は梅の実を掴むと逃げるようにその場を後にした。
翌朝、相も変わらず日差しは強く、臥竜梅の様子に変わりはない。しかし、天の助けを得たと独り合点した鶴太は上機嫌だった。その様子を見た中川も期待に胸を膨らまし、竜降ろしの準備を着々と進めていく。
昼過ぎには職人たちや見物に来たやじ馬たちが臥竜梅の広がる庭に集まりその時を待っていた。ざわつく大衆の前に出た鶴太は中川の差し出す大繩を無視し懐から梅の実を取り出す。
「取り出したるは天神様より賜りし、飛梅が太宰を跳ね、勢い余って我が懐に飛び込んだ跳梅なり。見よこれぞ神の御業」と叫び梅の実を梅雨の溜まる亀井戸に投げ込んだ。
ぽちゃんと音がして梅の実が沈むも何も起こらない。
沈黙に耐え切れず中川が叫ぼうとしたとき、亀井戸の水面が震えた。
あっという間に梅雨が井戸からあふれ出す。一体どこにそれだけ溜まっていたのか溢れに溢れ梅屋敷も天神様も鶴太も中川もそこにいた何もかもをもみくちゃに流していく。
流される中で鶴太は自分が徐々に丸く梅の形になっていくのを感じた。意識があったのはそこまでだった。
全てが静まり返ったころ、そこには静かに波打つ梅雨の海とそこかしこに梅が浮かぶのみであった。
梅雨は形を竜へと変じ、梅を巻き込んで空へと昇って行った。
かつて亀島だった地は葦の塊に戻っていた。
文字数:1998
内容に関するアピール
亀戸で有名なのは何かなあと思い梅屋敷や天神様を元ネタに使ったものを書こうと決めました。
大地からモリモリ栄養を吸い上げた竜が再び天に帰る話です。寄生生物的な。
天神像も大宰府の飛梅から作られた(らしい)ので飛梅と臥竜梅がつながってる生き物的なやつです。
臥竜梅は明治時代の洪水でなくなった(らしい)ので、そういうオチにしました。
タイトルは梅花無尽蔵をもじってます。
出来事の時系列を元ネタの時代の流れに合わせようとすると文字数が足りなかったのでふわっとしたものになりました。
投稿前に亀戸ネタが既にあることに気づいて頭抱えてます…。
文字数:261