あさくさ・ふらぐめんたる

印刷

あさくさ・ふらぐめんたる

 景色がズレていた。横に1.85㎜。昔のテレビのゴーストみたいに二重に見える。

「藤崎?どした?頭痛か?険しい顔してー」

僕は顔を友人の方へ向ける、菅原の顔はいつも通りピントが合っている。バイトの休みに僕の引っ越しを手伝ってくれた気のいいやつだ。僕らは朝から家具の搬入とか日用品の買い出しをして歩き回り疲れていたし、これ以上街をふらつくのは視界の不快さが限界だった。

僕は苦笑いして

「天丼食いに行こう!今日のお礼。」

「蕎麦じゃないの?!いいけど!」

と二人で笑いながら昔、祖父に連れていかれた仲見世近くの天ぷらの店へ向かった。

 

 視界のずれを感じ始めたのは祖父の家に来てからだ。ちょうど大学のそばで下宿を探していて、父親から去年亡くなった浅草寺裏の祖父の残した時計屋をじきに整理するから、それまでの間なら自由に使って良いと言われた。ビルの谷間の小さな店舗の二階は少しだが陽もあたり、僕が暮らすには贅沢な広さだった。風呂とトイレ、小さなキッチンが店舗のある一階にあった。

 引っ越しの数日前から住み込み、生活を始めた。初日のふろ上がりに、その奥の時計屋部分に祖父の荷物が積み上げられて布をかぶせてあるのが見えて、夏休みに数日過ごした懐かしさも手伝って足を踏み入れた。

 

 僕が成長したからだろう店は小さく感じた。。壁には売れ残ったのか大事なものなのか動いていない時計が数個残っていた。積み上げた箱の下にはガラスケースがあり沢山の腕時計が陳列されていたのを思い出した。その向こう側で背を丸めて、小さな机の上で、手元では小さなベゼルの中の小さな部品を細いドライバーでくるくると回し、皿の上からチリのようなネジを拾い上げ時計を修理する祖父の姿がよみがえった。祖父の体の形になった椅子に座ってみると店全体が見渡せた。先ほどの動かない時計は正面にあった。ふと足に箱があたった。そこから何かはみ出ているのが見えた。

 それは人の手だった。

 僕の手の半分ぐらいの大きさで、人が長年撫でまわしたかのように滑らかに面取りされた木製のものだった。関節には球体が施され、ゆすってみるとなめらかに指がカシャリと音を立てて僕を招くようにしなった。箱にはいくつかの歯車と、モノクロの写真が一枚入っていて、写真館で撮られたであろうそれには洋装の紳士と少女が映っていた。「誰なんだろう」それを眺めながら眠りに落ちた。

 

 視界の不快感はこの町にいるときだけ起きていることが、違う町の大学へ通っているうちに分かってきた。ずれが大きくなる場所とそうでない場所も分かった。浅草寺の裏、浅草病院そばの家から西へ行くほど景色がずれた。講義が終わった後は街を歩いて地図を埋めることに専念した。そのことに夢中になっていて、説明をしない僕に菅原は不満があるようだった。季節は夏を迎え、前期試験も終わり、本格的に街を歩き回った。引っ越しの買い出しに出た六区の辺りがずれが酷いこともわかった。古い地図を手に入れた。ずれて感じたのは昔の区画と今の区画のずれだったのだろうか?連日、日差しの強いなか歩き回り気分が悪くなってぼんやりと日陰で休んでいると、ずれているほうの景色に人がいるのを見つけた。視界のずれの不快感が吹き飛ぶくらい驚き、興奮した。

 その男と目が合った。こちらを見ただけなのかもしれない。後ろを気にしていることは確かだった。真夏に上下黒の洋装の彼は「写真の男」だった。

 

 すれ違う街の人たちは僕を怪訝な顔で見た。彼らには見えない何かを一心に見つめているからだろう。視線が危ない奴と思われたのかもしれない。彼が曲がった先で僕も曲がろうとして壁にぶつかった。それを見ていた通りがかった近所の小学生たちがくすくすと笑っていた。道はなかった。

 

 家に戻って地図を確認した。そこは凌雲閣という建物の跡地だった。何かヒントはないか翌日から店舗の中を汗だくで漁った。出てきたのは時計に関するがらくただけだった。実家の父に問い合わせると祖父の書き物があるという。僕の熱意に異常さを感じながらしぶしぶそれを送ってくれた。数冊のノートに書かれた物の上に父の字で「感想を聞かせてくれ。」と書かれていた。

 

 昭和の初めの大きな地震の後に生まれた祖父に弟が生まれた記述からノートは始まっていて、戦争の始まりまでつづられていた。

 戦争が始まる少し前、その男は突然現れ凌雲閣から来たと言い、話し始めた。

「きみの父親に世話になった者だ。これを渡せばわかるはずだ、地震の後、私の元にはこれしか残らなかったのだ、今まで探し回ったが見つからなかった。私にはもう作れない。」

 と箱を置いていったと書かれている。そして幼いころ祖父は父親から「お前は人形だよ」とからかわれた事をうすら寒く思ったと結んでいた。

 

 視界のずれはそれ以来起きなくなった。

文字数:1965

内容に関するアピール

去年上野に引っ越したのでご近所を書きました。

調べれば調べるほど歴史が出てきて、結局入口みたいなお話になりました。

タイトルは辻潤から拝借しています。

ご指導宜しくお願いします。

あと、個人的に暑いのが苦手なので遅々として進みませんでした。

夏の執筆のコツがあれば教えてください。

よろしくおねがいします!

 

文字数:147

課題提出者一覧