アンデッドは二回死ぬ

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梗 概

アンデッドは二回死ぬ

吸血鬼やゾンビなどのアンデッドは、既に死んでいて、もう死なないことが基本的なアイデンティティだが、中には死にたいアンデッドもいる。しかし人間の作者がいるアンデッドは、存続を契約している身なので自殺は禁忌であり、そうでなくても自死は同族を貶める。
 そんな彼らでも、契約者がいない、もしくは契約を解いた場合、アンデッド同士で戦い、勝者が死ぬ権利を持つ決闘は認められている。彼らにとって葬儀は憧れのイベントで、事前に遺言を残し、好みの葬儀形態を選択している。

ミイラ少女のツツ・ミ・マミーは、吸血鬼のジャック・ノスフェラトゥに仕事を教わりながら、望み通りに死去できたアンデッドの葬儀屋として働く。そそっかしいが愛嬌のあるツツミは、感情を外に出さずに怖がられていたジャック、ひいては葬儀屋のイメージを好転させる。

ジャックは秘密の裏稼業として、アンデッドを暗殺する死神稼業も行っており、ツツミも同行させられる。
 暗殺対象は、人間の作者に見放された野良アンデッドや、品位を汚して同族から暗殺依頼を出されたアンデッドだ。死神は、催眠術を使って暗殺対象を他者の記憶からも削除するため、「葬儀」とは違い、「暗殺」されると存在しなかったことになり、死神以外からは忘れられる。
 なおツツミは、ミイラなので人間の作者がいるはずだが、契約の痕跡がなく暗殺対象だったところをジャックに拾われたという過去があった。

ある時、ジャックの恋人で女性版フランケンシュタインのシェリーが暗殺対象になる。ジャックは苦悩するが、シェリーはジャックの正体に感づいており、自分が暗殺されると知っていた。ツツミは、シェリーに懇願され、ジャックを苦しめないために自分がシェリーを暗殺しようとするが、うまくいかずにジャックが遂行する。
 シェリーは、作者のブランシュタイン博士の情がなくなった自分は暗殺されて当然だと言うが、作者がいないツツミは、自分もいてはいけないのではないかと苦悩する。

アンデッドは、ハロウィンの時期に行われるアンデッド会議で集合し、会議では多様なイベントが開催されるが、終盤の決闘がクライマックスだ。ハロウィン当日は多数の死が発生し、ツツミたちは、葬儀をカモフラージュとして大量暗殺も行った。
 その晩、ジャックはツツミに死神の大鎌を渡し、自立の証としてジャックを暗殺するよう命じる。彼曰く、死神はイメージの固着を防ぐため、一定期間で代替わりし、一人しか担当できないのだという。ジャックの暗殺はできないというツツミに対し、彼は大鎌の柄を胸に指して自害した。

人間の作者との契約が続いているアンデッドは、自害できないはずだ。ツツミはジャックの遺言を読み、実はジャックも野良の吸血鬼で、ツツミ同様、アンデッドの先代死神に救われて育てられたのだと知る。
 ツツミはジャックこそが自分の作者だと見なし、泣きながら彼を弔い、彼のことを覚えていると誓う。

文字数:1200

内容に関するアピール

アンデッドは生命体としては死んでいるので、もしも死にたがるアンデッドがいたらどうするかという疑問と、死なない前提の存在が構成する社会で、もしも死が発生したら葬儀はどういう思いで行うのだろうという問いが合わさり、今回の話になりました。

アンデッドの社会は、メンバーの入れ替えが少ないでしょうし、命に対する執着も生まれづらいと思うので、命に限りのある者とは異なる理由で死にたがる者はいると思います。そうした価値観の違いも描きたいなと思っています。

文字数:220

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夜毎、アンデッドは忘れない

1.
 霧深く薄暗い森の中、赤銅色のおさげ髪をなびかせて、少女は懸命に走っていた。
 つぎのあたったワンピースの袖や裾から、白い布が覗く。彼女は全身を包帯で巻いているミイラだった。夜風の中で包帯の切れ端がなびく。駆ける度に大きなズダ袋が背中を打ち付ける。
 耳元では彼女の使い魔、白ネズミのマッキーがキーキー声を張り上げた。
「ジャックは早く来いって言ってたぞ。ツツミ、急げ」
 その言葉に、ツツミと呼ばれた少女は肩先のマッキーをぽかりと殴る。
「あんたが寄り道しているのが悪いんでしょうが。また怒られる」
 大きなゲートが見えた。枯れた枝が伝う門扉をくぐると広場に出た。黒百合と白百合がランダムに生えている中で、彼岸花が鮮やかな色を添えている。
 人だかりがしている場所に向かい、隙間から中を覗き込むと、二体の白い骸骨スケルトンがにらみ合っているようだった。一方が手を出し、くんずほぐれつの乱闘をすると、両者はばらばらになり、次の瞬間に元に戻る。
 骨だけのスケルトンは刺突攻撃の効果は薄いが、打撃には弱い。ぶつかるたびにガラガラと落ちる骨。空気を震わす怒声。スケルトンたちの声は高い不協和音だ。ツツミは半ば耳を塞ぎながら周囲を見渡した。
 熱狂する会場から少し離れた小高い場所で、長い杖を手に一人佇んでいる人影がある。黒いシルクハットに黒いスーツといういで立ちの人物が、懐中時計を眺めている。ツツミはこわごわと近寄った。相手はこちらを見つめる。
「遅いぞ」
 口元から鋭い牙がのぞき、真っ赤な瞳が冷たくこちらを見下ろした。ツツミは申し訳なさで赤くなり、小さく会釈した。
「すみませんジャック」
「死んだ後ではなくて、死ぬために駆けつけるのも、僕たち葬儀屋の仕事のうちだ」
 ジャックの言葉に被せて、マッキーが言葉を続けた。
「ふつつか者で、ほんとすいません」
 耳元で喚くキーキー声の主を、ツツミは顔をひねって軽く睨みつけた。ジャックは騒いでいる観衆の方を見つめる。
「そろそろ終わりだ。ほら、片方の再生が遅くなってる」
 二つのスケルトンの殴り合いは、終わることのない虚しい乱闘のようだが、ジャックが指さした方のスケルトンは、再生速度がひどく落ちているようだ。
「今回はどんな遺言ですか」
 そう告げるツツミに、ジャックは胸元のポケットから小さな紙きれを取り出した。
「どっちも火葬を希望している。キャンプファイア葬と花火葬だが、あの勝ちそうな方が花火葬で、急所は喉元だ」
 キャンプファイア葬じゃなさそうでよかった。ツツミは心からそう思いながら、ジャックに相槌を打つ。
「花火はここでやれます。それにしても、スケルトンは火葬が多いですね」
 ツツミの言葉に、ジャックは頷きながら言った。
「もとの姿がモノクロで地味だし、個性を出しづらいから、最期に派手なことをしたいんだろう」
 勝負あったようだ。観衆の声がひときわ大きくなる。広場を見ると、片方のスケルトンが両手を上げ、足元には骨が散らばっている。骨なので表情は分からないが、ポーズが誇らしげだ。
 二人は広場に足を運んだ。二人を認めると、ばらばらになった骨を踏みしだきながら、スケルトンがやってきた。相手の骨ばった、というよりも骨だけの手をジャックがそっと握る。ツツミが声をかけた。
「おめでとうございます」
「じゃあ葬儀をお願いしますね。印象に残るものをお願いします」
 そう告げるスケルトンの手を引き、二人は黒々とした土がむき出しになっている場所へと向かった。ツツミが袋からシャベルを取り出して穴を掘る。彼女は小柄な見た目にそぐわず怪力だった。
 やがて穴が、スケルトンが楽に入れるくらいの大きさになると、ジャックは勝者を促してそこに横たわらせた。相手の白い顔は、読み取りづらいながら、どことなく恍惚としているようにも見える。
 ジャックは手持ちの杖で相手の喉元をついた。するとヒュッともウッともつかない声を上げてスケルトンは粉々になる。ツツミは袋からロケット弾や火薬などを取り出し、着火剤が表面に出るようにして土をかけた。そして火をつけると、轟音と共に火の玉が立ちのぼった。
 暗闇に真っ白な花弁が花開く。花は百合に似た形だったが、やがて彼岸花の花弁のように孤を描き、ゆっくりと落ちてくる。その白さはスケルトンの骨の色味とも似ていた。負けてばらばらになっていたスケルトンも身を起こし、羨ましそうに花火を見つめていた。
 立ちのぼる花火を眺めながら、ツツミは小さく呟く。
「敗者の方、悔しそうですね。人間界の方では逆だと聞きました。つまり、決闘で勝った方が生き残るのだと」
 その言葉に頷きながら、ジャックは夜空を眺めながら告げた。
「人は必ず死ぬから、生が価値あるものなんだ。でも、こっちアンデッドランドではほっといても死ねないから、勝つことで死を獲得する。そうすれば、アンデッドをつくった人間の記憶からも消える」
 その言葉に頷きながら、ツツミは重ねて告げた。
「私たちは、逆に創造主から忘れられると、正気を保つのが難しくなりますからね」
 ツツミの言葉に答えず、ジャックは夜空を見つめている。すると、黒い影がこちらへ飛んできて、ジャックの肩先に止まった。小さな蝙蝠である。濡れたような艶のある体を撫でながら、ジャックは声をかけた。
「お疲れ様、ピピス」
「依頼が入りました」
 蝙蝠は、黒くつぶらな瞳でジャックを見つめ、鈴を振るような声で答えると、足元に装着した小さな筒から紙を取り出して渡した。そしてツツミと肩先のマッキーを見つめて呟いた。
「また足手まといがいる」
「邪魔はそっちだろう。飛べるからって気取りやがって」
 甲高い声で抗議するマッキーに、ツツミが取りなすように告げる。
「まあまあ。蝙蝠とネズミは仲間でしょう。蝙蝠は天鼠てんそとも呼ばれるし」
「一緒にしないで」
 ピピスの澄んだ声。ジャックが固い表情を浮かべて言った。
「行くぞ」
 その横顔は真剣だった。
「葬儀ですか?」
「そっちじゃない方だ。孤の海へ行く」
 告げるとジャックはマントを広げた。ツツミがマントの端を握り締めると、二人と二匹は夜空に舞い上がった。
 
ツツミは上空から下を眺めた。昔ジャックから聞いた話では、深い森の間に街が点在し、四方を海に囲まれ、沖へ行くと突然奈落が姿を現すこの世界、アンデッドランドは、別次元にいる「人間」の創造Creation想像Imaginationとが結びつくことで成り立っているという。
 アンデッドは、人間の精神的な力である創造Creation力と想像Imagination力の強さとバランスによって人間界に生み出され、他のアンデッドとの交流の中でアンデッドランドへやってくる。アンデッドたちは、創造主、もしくは他の人間の想像の中に納まっているうちは存続Remainできる。つまり創造主に忘れられても他の人間が覚えていれば存続Remainできる。一方で、創造主に忘れられると、アンデッド側の想像主の記憶がなくなってしまう。
 人間界には、この世界のアンデッドよりもたくさんの人間がいるそうだ。ヴァンパイアに似た姿形をした彼らは、アンデッドとは逆に、日の出ている時間帯に活動し、新しい人間をつくるには、二人の人間の結びつきが必要なのだという。新しい人間は子どもの姿で生まれ、だんだん大きくなり、やがて死を迎えるのだという。
 人間界に行ったことのないツツミには、人間の死に対する感覚がよくわからない。ジャックは価値観の違いはそんなものだと言っていたが、ツツミにはあまり理解できなかった。
 やがて孤の海岸に到着した。海岸は砂地と岩場が続く不毛の場で、浜辺は朧月の光を浴びて銀灰色の光を帯びている。海や水の周辺には、マーメイド人魚オンディーヌ水妖といったアンデッドたちがいるが、彼らは不死であることに誇りを持っていることが多いので、ツツミたちへの依頼も少ない。もっとも今回の依頼は葬儀ではなく、二人の裏稼業、暗殺屋の死神としての依頼だった。
「依頼主は誰ですか?」
 ツツミの言葉に、ジャックは黒い海を見つめながら告げた。
「人魚だ。人間界へ忍び込んで暴れている奴がいるらしい」
「プライドの高そうな人魚がそんなことをするなんて、意外ですね」
 ツツミの言葉に、ジャックは首を横に振る。
「対象は人魚とか水妖じゃない。サメだ」
「え、サメ?」
 裏返って変な声になってしまったツツミに、ジャックは淡々と告げる。
「そう、不死のサメ、ゾンビシャークだ」
 ジャックが台詞を言い終えないうちに、海には水しぶきと大波が上がった。巨大なホオジロザメである。相手が口をぱくりと開けると、真っ赤な口と真っ白い牙が光っている。ツツミなど、あっさりと一飲みにされそうだった。
 サメは砂浜から突進してきた。ヒレを使って地上でも動けるようだ。ジャックはツツミの手を取って上空に舞った。サメは大きくジャンプして食いつこうとしてくる。青黒く光る体に縦横無尽に傷が走っている。
「お前がゾンビシャークか。なぜ暴れているんだ」
 ジャックが怒鳴るように聞くと、サメは大きな口をぱくぱくさせながら言った。
「俺の中で、創造主の記憶がなくなりはじめた。相手に忘れられているんだ」
 言葉はしっかりしていた。知性があるゾンビは強いだけに厄介である。
「今君がいるということは、創造主以外の人間の誰かが君のことを覚えているってことだ。他の人間の誰かが覚えていれば、君は存続Remainできる、それでいいじゃないか」
 ジャックが畳みかけるように告げると、ゾンビシャークは飛び上がりながら怒鳴る。
「人間界を面白くしたいから俺をつくったくせに、あっさり忘れるなんて許せねえ」
 ゾンビシャークは喚きながら、無軌道に跳ねまわっている。
「聞く耳なんて、持っちゃいないみたいね」
 胸ポケットに引っ込んでいたピピスがあきれ顔で言うと、ジャックも頷いた。
「仕方ない。ツツミ、口を開けさせてくれ」
 ツツミは頷くと、体を巻いている包帯を引っ張ってちぎり、ジャックに渡した。更にもう一本千切ると、二人で砂浜に降り立った。迫りくるサメ。ピピスとマッキーが思わず目を閉じているところに、ツツミは下顎、ジャックは上顎にツツミの包帯をひっかける。
 ゾンビシャークは口を歪めた。
「お前ら死神か。本当にいるとは。やめてくれ、こんな形で死にたくない」
 声が震えている。ジャックは空を飛んだ。
「俺の存在は、なんだったんだ」
 そう絶叫した鮫の顎が、ギイという嫌な音をたてて外れる。口が開きっぱなしになったところに、ジャックが舌に長い杖を突きたてた。ゾンビシャークは尾をびちびちと打ち付け、苦悶の表情を浮かべたまま灰になって消えた。
 砂につきたったままになっている杖が、月の光の中で細い影を生み出している。ツツミは黙って頭を垂れた。ほんのわずかな交流しか持てなかったし、理性を失った相手とはいえ、束の間でもゾンビシャークを弔ってやりたかった。
 海が元の静けさを取り戻すと、海が金や銀、赤銅やエメラルドグリーン、漆黒といった色味で彩られた。それは人魚たちの頭髪や鱗だった。
 ツツミたちが海へ近寄ると、ティアラをつけたひときわ大きい人魚が近づいてきてお辞儀をした。
「この度は、ゾンビシャークに対処いただき、本当にありがとうございます」
「依頼通りに暗殺しました。暗殺された者は、死神の記憶にだけ留まり、いずれ皆さんの記憶からは消え去ります。ただあのサメは、人間との絆が完全になくなったわけではなさそうでしたが」
 ジャックの言葉に、人魚の王らしき者は眉を潜めて答える。
「ええ、創造主から忘れられ、結びつきが減ったことを気にするうちに暴徒化したのです」
 溜息をつく人魚。
「人は移り気なのですから、開き直っていればいいものを」
 人魚のうちの誰かの呟きに、周囲も頷いた。
「あなた方のような仲間がいなかったから、孤独だったのでしょう」
 ジャックは告げると、人魚から渡された小さな袋を受け取ってツツミをマントにつかまらせ、空へと出発した。白み始める空の中、ツツミはそっと呟いた。
「ゾンビシャーク、なんだか気の毒でしたね。つまはじきにされてたみたいですし」
「同情では仕事できない」
 にべもなく告げるジャック。しかし眉間の皺が、ツツミの言葉を否定しきっていないことを物語るようだ。
 ジャックの肩先では、ピピスが人魚のくれた報酬の中身を確認している。ツツミのポケットに入っていたマッキーが呟いた。
「俺、あの人魚が嫌だったな。サメと友達になってやりゃ良かったのに」
 その時、ツツミの目に光が飛び込んできた。薄青や黄が混じった朝日は美しいが、アンデッドには有害である。彼女は慌ててワンピースのつぎの当たったフードを目深に被った。

2.
 ツツミの家は小さいが、暖炉もベッドもテーブルセットもあるし、包帯を織って染めたカーペットやタピスリーなども気に入っている。彼女の家がある森は、辺鄙な場所に転送されるワープポイントが点在するため、住民以外は寄り付かないが、ツツミのような変わり者にとっては都合の良い場所だった。来客が来たことなどなかったから、扉を叩く音がした時、ツツミは驚いて飛び上がった。
「……えっと、扉が鳴ってますけど、どなたか来てますか」
 驚きのあまり、挙動不審な呼びかけをしてしまうツツミ。マッキーがいたずらしているのではないかと思って辺りを見渡したが、彼はテーブルで丸くなっている。恐る恐るツツミは扉を開けた。
 女性だった。淡い金色の長い髪、灰色の瞳、つくりもののように整った顔立ち、頬に傷はあるものの、繊細そうな肌はツツミの包帯よりも白い。人魚の肉感性などとはまた違う、人工的な魅力がある。
 思わず見とれながらツツミは、こういう人を美人というのだろうなと思った。一方でツツミはどうかと言うと、鏡を見たところで、瞳の色が緑だと判別できるくらいである。ツツミ自身、包帯だらけの自分の顔がどうなっているのか分からないし、さほど興味もなかった。
 ツツミはその客を一脚しかない椅子に案内し、自分は包帯を編んでつくったハンモックに腰掛けた。
「ああ、着いてよかった。私はフランケンシュタイン族のシェリー。依頼したいことがあるんです」
 シェリーと名乗った美女は、少しかすれた声で告げた。それがまた彼女の魅力を増している。
 ツツミは当惑した。確かにツツミは葬儀屋ではあるが、看板はアンデッドタウンの中心地に近い場所に住んでいるジャックの家で出している。
「葬儀屋のことでしょうか? それでしたら、上司のジャックを通していただけますか」
 ツツミの返事に、シェリーはため息をつきながら言った。
「お願いしたいのは、葬儀の方ではなくて、もう一つの暗殺業のほうです」
 その言葉に、テーブルの上で丸まっていたマッキーが反応して飛び上がった。
「ちょっとお前、なんでそんなこと知ってんだ?」
 キーキー声で告げるマッキー。ツツミは思わず苦笑いしながら、マッキーをそっと手で包んで肩にのせながら言った。
「うちのネズミが失礼しました。でも、本当になぜ、私が暗殺業をしているのをご存知なんですか」
 その言葉に、シェリーは俯きながら告げた。
「以前、ジャックは私の恋人でした」
 突然上司の元カノが現れたことにツツミは驚いたが、目の前の相手の上品でゆるぎない佇まいに、納得せざるを得なかった。
「彼があなたのように見習いで、ヴァンパイアのフレイヤについて仕事をしていた頃から、仕事のことは何となく聞いていました。もっとも彼はぼかしていましたし、暗殺業に関しては推測だったのですが。あ、彼とは数十年前に別れましたので」
 シェリーの言葉に、ツツミはかけられたカマにかかったことを自覚して覚悟を決めた。
「シェリーさんは、フランケンシュタイン族の中でも古参なんですね」
 ツツミが言うと、相手は長い髪をかきあげながら告げる。
「そうね。私は、一族の創始者であるフランケンシュタイン博士じきじきにつくられた者だから」
 フランケンシュタインの一族は、アンデッドとしては比較的新参者ではあるが、知名度も人気もそれなりに高い。シェリーはその創始者につくられたというのだから、一族の中でも大きな存在なのだろう。
 一方、ツツミはミイラなので由緒ある種族ではあるが、自分をつくったのが誰なのかわからない。通常、人間につくられた時に成熟していないアンデッドは、人間界である程度成長することが前提になっている。経験を積み、自分の姿を変えられるようになると、自分の望む姿になってこの世界にやってくるのだ。
 ツツミは成熟している姿からは程遠い。経緯などは分からないが、恐らくツツミは、今の姿につくられてからすぐに創造主を失い、途方に暮れていたところ、同族の誰かにこの世界へ連れてこられたのだ。ジャックに仕事仲間として誘われた時のことは、なんとなく覚えている。たった一人しかいない暗殺者に生かされたおかげで、ツツミが殺される心配はなくなった。以来、ツツミはジャックの家の片隅に住み、この世界で暮らしていく知恵はジャックに授けてもらった。使い魔のマッキーと契約を交わした辺りでもう独立しろと言われ、今いるあずま屋に引っ越してきたのだ。
 ツツミは人間の創造主がいないことで、自分のよりどころがないような気がしていたから、シェリーが羨ましかった。
「そうだったんですか……誰か暗殺してほしいアンデッドがいるってことなんですか? それだったら、ジャックを通してください」
 ツツミが気を落ち着けようと茶を淹れながら聞くと、シェリーは手を横に振って否定した。
「殺してほしい相手は、ジャックには明かせない相手なのです。だからあなたに頼みに来たの」
 そしてシェリーは暗殺対象者を告げた。それを聞いたツツミは思わずカップを取り落としてしまった。

シェリーが帰ってから、ツツミは当惑していた。暗殺は、対象者の弱点をジャックの杖で攻撃すれば何とかなるだろうと踏んでいた。それに今回は、ジャックがやるよりは、自分がやるよりはいいだろうと思った。しかし、ジャックの許可なく一人でやっていいものだろうか。ツツミは思い悩んだ挙句、シェリーの悩みの元である、彼女をつくった人間から話を聞いてみようと思った。
 アンデッドの世界と人間界の境界はたくさんあるが、ツツミの住む森も境界の一つである。彼女は目印になっている樫の大木を探した。その樫は夜な夜な動き回るので、探すのが厄介ではあったが、動いているところを見てしまえば区別はつけやすい。
 がさがさと音を立てて動いている木を見つけたツツミは、根元付近の洞から内部に入った。彼女が洞からこわごわ顔を出すと、辺りはまだ暗く、目の前にはなんの変哲もない土の道と荒れた草叢がある。周囲の看板などからすると、シェリーのつくられた場所の隣国のようだった。
 ツツミはジャックから人間界のことを聞いていたので、国境を超えるにはパスポートなるものが必要であり、国境の警備がザルなところもあるのだと知っていた。ツツミは国境を越える高速バスのトランクに忍び込んだ。暗くて寒くて湿気のある場所は、ツツミにとってはむしろ居心地がよい。そして難なく隣国へ渡った。
 ツツミはほどなくフランケンシュタイン博士の研究施設を探し当てた。施設といっても山小屋に毛の生えた程度のもので、研究室には博士らしき人物が一人しかいない。窓から忍び込み、博士に背後から近寄ると、そっと声をかけた。
「フランケンシュタイン博士でしょうか」
 ツツミが目深にかぶっていたフードを払うと、包帯を巻いた姿があらわになる。博士は一瞬ぎょっとしたようだったが、さすがアンデッドには慣れているようで、すぐに冷静な表情に戻った。
「フランケンシュタインのシェリーのこと、覚えていますか?」
 ツツミは相手に信頼感を与えようと、努めて明瞭に喋った。博士は老人ではあったが、顔立ちをはじめ、髪や色、手の骨格などにシェリーの面影があった。
「ああ。思い出したくないが」
 遠い目をしながら、博士が語る。
「彼女は今、アンデッドの世界にいます」
 そう告げると、博士は目を細めた。
「そうか。アンデッドの世界か。確かにそういう場所がないと、死なない君たちの存在が溢れてしまうものな。シェリーは初代フランケンシュタインから依頼され、花嫁として作ったアンデッドだった。自由に暮らしているのなら良かったよ」
「でも彼女は、博士にとって、特別な存在だったのではないですか。他のフランケン一族は強そうだけれど無骨な感じですが、シェリーは明らかにあなたに似ています」
 尋ねると、博士は目を閉じて語る。
「身近な人間をモデルにするのも気がひけたので、自分の似姿にしたんだ。それが良くなかったんだと思うが、初代フランケンシュタインのパートナーになると考えるたびに不快になった」
「それで、あなたはシェリーを葬り去ろうと考えはじめた。そして、いつのまにか彼女はいなくなっていた。彼女はあなたの気持ちの変化を察したんです」
 後を引き取ってツツミが告げると、博士は頷く。
 シェリーによく似た博士の顔を見ていると、ツツミは腹が立ってきた。
「精魂込めて作っておいて、あっさり放り出すなんて、つくられたものを何だと思ってるんですか」
 手を握りしめるツツミ。包帯がギシギシと鳴る。博士はそんなツツミの瞳をじっと見つめた。
「答えるのが難しい。自分が作ったものを、自分と同じ存在Beingだと思ってしまいそうだったから忘れようとした」
 言葉を選びながら語る博士。
「我々だって、自分の存在Beingが何なのかなんて分からない。気づいたら生まれていて、分からないままに死んでいく。私は科学者だが、知識や説明と生の実感は別のものだ。だから哲学なんかがあるけれど、何千年もの歴史があっても、この世界が夢でないことすら照明できないし、私は自分の気持ちすらコントロールできない」
 視線の含む悲哀から、ツツミは悟った。
「あなたは、自分の気持ちが彼女に傾くのを、止めようとしたのですか」
 答えはなかった。
 ツツミは頭を垂れる博士を背にして立ち去った。博士の身勝手さへの怒りと、純粋にシェリーが羨ましいという気持ちを抱えながら。

 アンデッドの世界に戻ったツツミはジャックの家に向かった。彼女が到着したのは、ちょうどジャックが葬儀屋の看板のネオンを消した時だった。
「ツツミは休暇中だろ。こんな時間になんなんだ。急ぎならマッキーにことづてるのでいいのに」
 ジャックは淡々と告げた。しかしツツミは首を横に振った。使役動物は伝令に使えるが、今回は自分の口で確認したかった。
「聞きたいことがあって。暗殺を含め、私にジャックさんの仕事の代理はできますか?」
 ジャックは唇を噛んで黙り込んだ。肩先に止まっている使い魔のピピスが澄んだ声で告げる。
「あんたみたいな半人前に、うちのジャックと同じことができるわけないじゃない」
 すると、マッキーがポケットから顔を覗かせる。
「お前は黙ってろ」
「あんたこそ。飼い主も使い魔も揃ってバカで傲慢ね」
「……突然どうした。そもそもツツミは、葬儀のほうはやる気があったけど、暗殺は消極的だっただろう。気が変わったのか?」
 その通りだった。ツツミはできれば暗殺などやりたくないと思っていた。葬儀はアンデッドたちが待ち望んでいたものであり、仕事としてやりがいがあった。しかし暗殺は依頼主からは感謝されるものの、暗殺対象からは憎まれ怖がられ、後味が悪い。この世界になくてはならない仕事だとは分かっていたが、なかなか割り切れなかった。
 黙っているツツミをこれ以上つついてもどうにもならないと判断したのか、ジャックは手招きして自宅へ誘い、ほんのり鉄分の味がするコーヒーを出してくれた。ツツミはぽつりぽつりと語った。
「以前、葬儀も暗殺もそんなに難しくないって言ってた気がして。葬儀は私もやってますし」
「まあ、葬儀はツツミが準備してやってるような時もあるからな。暗殺に関しては、あの杖で弱点をつけばいいから、難しいわけではないけど」
 そう告げるジャックに、ツツミは小さく頷いた。
「分かりました。別に独り立ちを急ぐわけじゃないんです。ただ、ちょっと確認したくて」
「あんたなんか足手まといよ」
 ピピスの言に言い返そうとするマッキーをなだめながら、ツツミはジャックの家を後にした。あの杖を借りれば暗殺できそうだと分かったが、ジャックから杖を盗み出すわけにいかない。
 ツツミが自宅でハンモックに揺られながら思い悩んでいると、マッキーが声をかけてきた。
「なあ、ジャックの杖を黙って借りて、あのシェリーっていう姉ちゃんを暗殺するのか? やめときなよ、面倒なことになるぞ」
 その言葉に、暗殺を依頼してきた時のシェリーの顔が頭に浮かぶ。
「でも放っておけないよ。どうしようもなくて私に依頼してきたんだろうし」
 そう、シェリーは自分を暗殺してほしいと言ってきたのだ。彼女にしても、見るからに頼りなさそうなツツミに頼むのは気が進まなかっただろう。可能であれば、実績があるジャックに頼みたかったに決まっている。それにも関わらずシェリーは、骨ばった手にツツミの包帯で巻かれた手を包み込み、お願いします、と言ったのだ。ツツミも首を縦に振らざるを得なかった。
 シェリーがジャックに頼みたくないというのはよくわかる。元彼に暗殺されるなんて嫌だろう。それにシェリーは、ジャックが暗殺することになったら、ジャック本人が密かに苦しむことも分かっているのだ。
 ツツミは暗殺に気が載らないとはいえ、シェリーの頼みは断れなかった。それにやってもやらなくても後悔するのなら、やって後悔したほうがましだと思った。

暗殺の依頼は、葬儀よりも依頼がずっと少ない。依頼は、暗殺対象の同族が、創造主を失った結果理性を失ったアンデッドを対象にして依頼してくることが多いが、シェリーのように自分で依頼してくるケースなど初めてだった。
 そうこうしているうちに、ジャックから連絡が入った。聞けばグール食屍鬼一族の中で。暗殺を依頼してきた者がいるのだという。グールの村はツツミのいる森の比較的近くだった。ツツミはシェリーに連絡し、計画を話してから、当日ジャックと共に依頼人のもとに赴いた。依頼者でリーダー格らしいグールは、ジャックに困ったように告げた。
「今回お願いした者は、自分が存続Remainしているのか死んでるのかすら分かっていないので、苦しまないようにやっていただけるとありがたいです」
 そう言って案内された場所には、手当たり次第にものを投げつけているグールがいた。二人が思わず依頼主を見ると、相手は困ったように告げる。
「彼は、実はここでは一番古株なのです。今は理性を失っていますが、この状態になったら、死神さんを呼んでほしいと言われていまして」
「こうなられて長いのですか?」
 ジャックが尋ねると、依頼主は首を縦に振った。
「ええ。本当はもっと早くお呼びしたかったのですが、なかなか決心がつかなくて」
 暗殺を依頼する者には、躊躇しない者と、他に選択肢がなくて依頼してくる者とがいる。
 常識人のアンデッドは苦労が多い。そう思いながらツツミは対象のグールを捕まえると、包帯を飛ばして手足を拘束した。そこにジャックがグールの胴体部分に杖を打ち込む。杭を打たれたグールは、子どものようにあどけない瞳でツツミとジャックを見つめると、そのままどす黒い灰になって消え去った。
 依頼人が報酬を渡してきた。ツツミがジャックを盗み見たところ、依頼人との話に集中しているようだ。ツツミは杖を持ったまま、そっと村はずれまでやってきた。裏門付近で待っていると、うっすらと金色に輝くものが近づいてくる。見れば黒衣を纏ったシェリーである。
「ありがとう。その杖で刺してもらえば終わるのね」
 シェリーは微笑んだ。ガラスのように透き通った瞳が、月の光を反射する。
「暗殺の場合、理由は聞かないことにしているのですが……今回は聞いてもいいですか?」
 ツツミが意を決して問うと、シェリーは寂しそうに微笑んだ。
「フランケンシュタイン博士が、ずっと私のことを邪魔だと思っているから。博士にとって自分はいらないものなんだ、そう思うたびに心が殺されるような気がした。でも創造主に覚えられているアンデッドは、自殺することもできなかった」
 シェリーの言葉に、ツツミは答えた。
「実は私、先日、人間界に行って博士に会ってきました」
 目を見張るシェリー。ツツミは続ける。
「博士は、あなたのことを邪魔だと思ったのではなくて、あなたに情を向けてしまうことを恐れて距離を置いたのです」
 シェリーの表情が固まり、頬に透き通った涙が伝う。彼女は首を縦に横に振りながら告げる。
「ありがとう。博士の性格なら、自分の気持ちを抑えてなかったことにするでしょうね。その言葉で十分。もう思い残すことはない」
 その時、ツツミは心からシェリーが羨ましいと思った。
 シェリーには、気持ちを寄せる相手がいて、相手から気にかけてもらっていたのだ。相手の気持ちがなくなると自分すらいらないと思える、そんな熱い思いに苛まれてみたかった。
「さあ、ジャックが来ないうちに早く」
 シェリーはそう告げると、門扉に体を持たせかけて目を閉じた。黒衣のマントから長い金髪がたなびき、顔は漂白されたように青い。
 ツツミは彼女の胸に杖を突きたてようとした。しかし杖は、シェリーの胸元でぴたりと止まり、それ以上進まない。懸命に杖を押し込めようと悪戦苦闘していると、マッキーが彼女の耳を引っ張ると同時に、後ろから気配がした。
「そんなもの持ち出して何してる」
 ジャックとピピスがこちらを見ている。ツツミは杖を取り落としそうになったが、ジャックが横からつかんで支えた。
「ごめんなさい。私がお願いしたの」
 震える声でシェリーがマントのフードを払いのけた、ジャックが目を見張る。
「君は……シェリーか」
「ええ、ツツミさんは悪くないわ。私が自分を暗殺してほしいと依頼したの」
 シェリーの言葉に、ジャックは当惑したように言った。
「フランケンシュタイン一族の中でも、君であれば、人間から完全に忘れられることはないはずだろう。なぜそう自暴自棄になるんだ」
「嘗て思いをかけられたから、余計にそう思うの」
 シェリーはそう告げると、杖の先端を自分の胸に押し当てた。
「ねえ、好きな相手が、自分を忘れたいと思っているの。一番大事なものがなくなってしまったから、私はこれ以上存続Remainしていたくない。だからお願い、殺してほしい」
 その悲痛な言葉を聞きながら、ツツミは思った。
 シェリーにとって、ジャックと築いた絆は、彼女が死ぬほど焦がれた創造主との絆以上のものではなかったのだろうか。
 ジャックが呟く。
「すまない、シェリー」
 押し殺したような声だった。
「気にしないで。私はもう博士に葬り去られたようなものだから、与えられた死がもう一回増えるだけ」
 その言葉に、ジャックは目を背けながら杖の先端をシェリーの胸に押し当てた。すると彼女は美しい灰の彫像になると、音もなく飛び散ってしまった。
 ジャックはそのまま暫く佇んでいたが、やがて杖の灰を丁寧に払いながら言った。
「これは持ち主しか使えないから、ツツミにはまだ早い」
 ツツミはゆっくりと首を横に振った。
「今の私に持つ資格はないと思いました。それに、ごめんなさい」
 その言葉に、ジャックは振り向いた。
「辛い思い、させてしまいましたよね」
「……いいんだ。随分前のことだし」
 遠くを見るジャック。ツツミはふと考える。
 ジャックの謝罪の言葉は、何に対するものだったのか。
 シェリーは暗殺行為に対するものだと思ったようだった。
 でも。
 何となく引っ掛かかる感じがしたが、その正体は分からなかった。
 ただ、ひたすらに、切ない気持ちに陥った。

3.
 アンデッドの世界で黒薔薇のつぼみがほころぶと、待ちかねていた季節の到来である。薔薇の咲いている期間は、アンデッドランドに散らばっている者たちが集結してアンデッド大会を開くのだ。
 誰各種の催しが開催されるアンデッド大会には、さまざまな種族の長老やリーダー格が出席するので、遠方に住んでいる種族と邂逅する良い機会になるし、他の種族の力や頭数などを知るきっかけにもなる。
 ツツミとジャックは、アンデッド大会には必ず出席することにしていた。ジャックの種族であるヴァンパイアは数が多く歴史も深いため、人間界とアンデッド界の各地に散らばっているし、ツツミはミイラの中でも下っ端で、種族との交わりはさほどない。大会は、自分の属する集団の顔ぶれを確認しておくにはいい機会だった。
 また、アンデッド大会では、無数の決闘が執り行われる。通常、決闘は相手を見つけ、両者で申し込みを行い、場所の許可を得てからジャックたちの予約を取るという面倒な手続きが必要だが、アンデッド大会では、事前の申し込みだけを行えば、相手はランダムに決まるし、場所も会場内のどこかで行われるので手間が省ける。それに、この大会で決闘をするアンデッドは尊敬を受けるのだ。
 その年のアンデッド大会の会場は、極寒の地域だった。ジャックのマントで飛んでいくには離れすぎていたので、二人は大会用の特別列車に乗りこんだ。車窓からは白い雪と凍てついた山、禍々しいほどに鮮やかなオーロラなどが見える。二人が乗ったのはゴーストの集団がいる車両で、彼らは仕切りなども気にせず移動してくる。ジャックは平然としているが、ピピスはスンスンと盛んに鼻を鳴らしてゴーストを追い払おうとする。
 目的地に着くと、ゴーストの集団はわあわあとたわいもなく騒ぎながら目的地に向かう。ツツミは包帯をさらに何重にも巻いて寒さに耐えた。ジャックは薄っぺらいマント一枚で平気な顔をしている。
「それで寒くないんですか?」
 ツツミが尋ねると、ジャックは淡々と答えた。
「もともとヴァンパイアは北国出身で、寒さには強いんだ」
「そうなんですか。確かに暑い場所にいるイメージないですもんね」
 ツツミの返事に、ジャックは考えながら告げる。
「体質的に移動が限られるけれど、本当は知らない場所に行くのが好きだ。そうだ、寒いなら、マントを貸してやろうか」
「ジャック様、そやつにマントを貸す必要はありません」
 澄んだ声で抗議するピピスに、ジャックは苦笑した。
「ここ数日は体力勝負だ。今体調を崩されても困る」
 ツツミは毎年の狂騒を思い出しながら会場に赴く。今回は雪山のホテルが会場で、海や湖などを属性とするアンデッドは来ることができない場所だった。
 会場兼宿泊地は、墓地を潰してつくったというオーバールックホテルだった。もともと雪に劣らぬほど白かったと思しき建物は今や汚れた灰色で、曲がった屋根や傾いたバルコニーは不安をあおる外観だ。ツツミのコートのポケットから頭だけを出したマッキーは、小さなくしゃみをして言った。
「いい感じに陰惨な建物だな」
 アンデッドの中では誉め言葉と思しき感想に賛同しながら、ツツミたちは中に入った。カーペットの禍々しい幾何学模様や、被写体が増えていく集合写真などを横目に移動すると、エレベーターホールで大量の血が噴き出してきた。ツツミは包帯が赤くなるのに閉口したが、ジャックは血の匂いに浸って心地良さそうにしている。
 開会式の会場はダンスルームで、アンデッドたちが集結し、がやがやと話している。肩を叩かれたツツミが相手の姿を見ると、装飾をつけたミイラがこちらを見据えていた。包帯の一部にヒエログリフが描かれているので、どうやらエジプトの者らしい。偉大な先輩に深くお辞儀をすると、胸元からマッキーが走り出たので慌てて追いかけた。会場の隅に駆け込んだマッキーをやっと捕まえると、彼はキーキー声で告げる。
「猫の匂いがする。苦手だ」
 ミイラは猫のミイラを使役動物としがちだ。ツツミは苦笑いしながら大会の催しを回った。ミイラの集会には出たものの、古いメンバーが多く、新参者のツツミは居心地の悪い思いをした。その後、偶然ヴァンパイアの集会も見かけた。ツツミはジャックだと思って話しかけたが、よく見ると相手は壮年だった。慌てて謝るツツミに、相手は手を横にふり、気にするな、と言ってくれた。
「君、ジャックと一緒に働いてるミイラだよね」
 相手の言葉に、ツツミは頷いた。
「はい、一緒に葬儀をやらせていただいています」
「昔のジャックを思い出すよ」
 相手のヴァンパイアの瞳が遠くなる。ツツミはその話を聞きたかった。
「ジャックさんも、私みたいに誰かの弟子だったんですか」
 シェリーの言葉が思い出される。確か彼女は、ジャックは同族の吸血鬼についていたと言っていた。
「ああ、ジャックは烏の翼で空を飛ぶ、フレイヤっていうヴァンパイアの弟子だったよ。フレイヤはいつのまにかいなくなってしまったがね」
 フレイヤはどんなヴァンパイアだったのだろうか。ツツミが更に聞こうとすると、後ろから肩を叩かれた。振り向くとジャックだった。すると相手はジャックに一礼して立ち去ったので、ツツミたちは揃って決闘広場に向かった。
 決闘は1日のプログラムの中でも遅く、夜更けから明け方に行われる。決闘場はホテルの庭園だ。庭はいくつかの区域に分けられ、複数の決闘が同時開催される。雪のちらつく空気の中、観衆は寒さをものともせず盛り上がるのだ。
「みんな、めかしこんでんなあ。これだけでも毎回見に来る甲斐あるぜ」
 マッキーの呟きに、ツツミは頷いて言った。
「服を着る習慣がないアンデッドでも、だんだんおしゃれになってるよね」
 アンデッドたちは一張羅で場に臨んでいた。「生ける屍」と形容されるガストは、オーダーメイドなのか、身体のデコボコに合わせた粋なスーツを着用している。小さなゴーストたちも、黒や臙脂、茶など、ダークトーンの色とりどりのワンピースやスーツ、着物や民族衣装を纏い、とてもおしゃれだ。
「決闘場もきれいだし、観客として来るだけなら、ほんとに楽しいんだけど」
 ツツミはマッキーの頭を撫でながら告げる。
 決闘場は舞台になっており、中央の一番広い舞台は、仕切りそのものが墓石や碑になっている。墓地モチーフは皆が好むので、そこは万人向けだ。細い塀を薔薇がつたうゴシックな舞台は、ヴァンパイアの淑女らが好む場所だ。彼女たちは、後ろが膨らんだバッスル・スタイルのドレスや、大きな袖につばの広いボンネットを被ったクリノリンスタイルの衣装を纏い、瀟洒な杖や薔薇の鞭で相手を打ち据える。
 しかしツツミたちには、会場をじっくり鑑賞している時間はない。二人は目まぐるしく替わる決闘に立ち会い、遺書を確認し、勝敗がつくと急所を突いて葬儀を行う。火葬で上がる炎や花火。ひたすら奥深く掘る土葬。烏や鵺たちに協力を乞う鳥葬。その他、独特の呪術を執り行う葬儀も遂行し、観衆たちは見入っていた。
 狂乱は三日三晩続く。ツツミはまず一日目で疲弊したが、二日目にはそうした騒ぎにもだいぶ折り合いをつけられるようになり、体力を温存することができた。問題は三日目で、その日から暗殺を開始するのだ。その日、ジャックはツツミに粛々と告げた。
「いよいよだな」
 この二日間で、二人は大会に来ている者の中から、暗殺の対象になっている者の目星をつけていた。来場者はゾンビの比率が高かったから、暗殺対象にはゾンビがかなり多い。次に多いのは守備力があまり高くないグールだ。ツツミがゾンビやグールをまとめて拘束すると、ジャックは一挙に消去を行っていく。
 盛り上がっている観衆の中から対象者を選別し、時には物陰に誘い込み、背後から突然襲いかかって暗殺する。対象者たちは一様に驚きの目を見張ったが、次第に目にあきらめのような色を浮かべた。ツツミは一瞬胸が痛んだが、どうにもならないことと割り切って感情を殺した。
 
 やがて明け方が近づいた。最後の決闘が開催される。首のない騎士デュラハン同士の戦いで、一方は黒い鎧、もう一方は白の鎧を身に纏っている。
 ツツミが葬儀の準備で立ちまわっていると、後ろから話しかける者がいた。
「あなたは葬儀屋さんの片割れね」
 声の出所にあたる部分に顔がない。ツツミは一瞬ぎょっとしたが、相手は顔を小脇に抱えており、その顔が喋っているのだ。馬に乗っていないが、今回出場するデュラハンの一人だった。
 頷くツツミに、相手は続ける。
「私は花葬を希望しているの。特に白い薔薇が好きだから、よろしくね」
 相手の顔を見ると、月光のような金色に光る瞳が笑ってこちらを見ている。気さくな性格のようだ。
「あの、こんなことを聞いていいのか分からないのですが……なぜ死にたいんですか?」
 ツツミがおずおずと尋ねると、相手は目を伏せて考える様子で告げた。
「人間界での私たちの仕事は、死者の出る家に赴くことだった」
「人間は皆死ぬって聞きました。死は恐怖の対象だとも」
 ツツミが告げると、相手は頷いた。
「ええ、私が来訪すると人間は落胆した。想定の範囲内として受け止める者や、自ら自を迎える者でも、どこか悲哀を抱えていた。だから私は死を勝ち取りたいと思った。畏怖され忌避される死を、自ら獲得したかった」
 金色の瞳に、思慮深い光がともる。
「決闘に勝利して死を獲得することは、アンデッドにしかできない。人間自身にも自覚できていない、ソウゾウという不安定なものに存在を左右された者として、人間にできないことを成し遂げたかった。抵抗したい、それが決闘の理由」
 そう告げると彼女は一礼し、巨大な白馬にまたがり、決闘場へと赴いた。
 場内で対峙する二人。黒い騎士の夜の闇のように黒い髪と、白い騎士の雪を思わせる長い白髪が風になびき、幻想的な美しさである。
「きれいだね」
 ツツミが思わず言うと、マッキーも頷きながら告げる。
「ああ。決闘も、こうしてみると結構いいもんだな」
 戦いが始まった。二名の力はほぼ互角のようで、金属を撃ち合う鈍い音が響きわたる。やがて月の光が弱まる頃、決着がつき、男い騎士の首がごろりと転がった。
 勝者である白い騎士は、首を小脇に抱え、目を閉じて佇む。ジャックの杖に心臓付近を貫かれると、愛馬もろとも灰になった。
「デュラハンの死は荘厳だな。死を知らしめる者が積み上げてきた、死の重みを受け取った気がする」
 ジャックはそうつぶやくと、灰を集めて袋に入れた。
 二人は遺言を果たすために薔薇園へ向かい、白い薔薇の根元に灰を撒く。その時、小さな人影が見えた。それはなかなか見つからなかった最後の暗殺対象で、まだほんの小さなバンシーの子どもである。少女というよりは幼女に近く、表情も幼い。
 暗殺の際、ツツミがとりわけ気持ちが揺らぐのが、子どものアンデッドである。目の前のバンシーの子どもは、何らかの理由で創造主がいなくなり、人間界に仲間もおらず、仲間のアンデッドが人間界からこの世界に連れてきたものの、作者がいないことが判明したのだろう。
 周囲から憎まれたり、理性を失いつつあるアンデッドを暗殺するのは、仕方ないことだとと割り切れる。しかし子どもで創造主を失っている場合、当人に責任はない。子どもの暗殺対象者を見るたびに、ツツミは自分にも創造主がいないという事実をつきつけられる。自分が活きてこられたのは、多分運がいいだけだ。昔から抱いている思いを改めて反芻する。
 バンシーの子どもは、ツツミが拘束すると驚いていたが、何かの遊びだと思ったのか、ツツミとジャックに対してにっこりと笑いかけ、小さな叫び声を出した。その声を聞いた者は死ぬというバンシーの声は、皮肉にも、自分自身の死を予告している。 
 ツツミは胸が痛んだが、ジャックはその子どもに杖を突き刺した。幼女は、自分に何が起きているのかも分からないままに、目を丸くして消え去った。

 明け方になり、全てが終わった。乱闘後の会場はひどく荒れている。ツツミは散らかった庭園を見て、ホテル側に迷惑ではないかと思ったが、終了時間になると轟音が響き、庭園の木々などが観衆を履きよせ、寝ているアンデッドたちをホテルの入り口付近にポイポイと放り投げだ。
 空が白みはじめた。アンデッドは撤退しないと何らかのダメージを受ける。小さなゴーストたちなど、体力や力がない者から我先にホテルの内部に避難していく。他のアンデッドたちも、寝ぼけ眼をこすりながらもホテルの中に入っていった。
 一仕事終えたツツミとジャックは、何を見るでもなく朝日を眺めていた。二人とも光は苦手だから、ジャックはシルクハット、ツツミは黒いフードを目深にかぶる。
 やり終えたという達成感と、どことなく感じる後味の悪さ。
「死にたい奴は死ぬために努力するのに、死にたくない奴を殺さなければならないなんて皮肉だな」
 ジャックが呟く。ツツミは空を見つめる彼に、恐る恐る尋ねてみる。
「最後の子、かわいそうでしたね。なんの選択肢もなく死んでしまって」
 ツツミが言うと、ジャックは少し唇を曲げて告げる。
「そうでもないさ。アンデッドは自分からは死ねないが、創造主がいない場合、決闘しなくても死ねる。自殺っていう選択肢が増えるんだ」
 その考え方に驚いて、ツツミがジャックを見つめると、ジャックは微笑んで言った。
「それにあの子は不幸じゃない。皆から忘れられてしまっても、いや、忘れられてしまうからこそ、こうして覚えていてくれるツツミがいるんだから」
 そう告げると、ジャックはツツミをじっと見ながら告げた。
「それにしても今回、よくやってくれた。今までで一番うまくいったよ。もう自立できるな」
 ツツミは心から嬉しく思った。
「そんなことはありません。助けていただいたからですよ」
 その言葉に目を細めるジャックは、笑っているようで、少し寂しそうにも見えたので、ツツミはどきっとした。いつも頼りに思っている細い長身が、なんとなく影が薄いようにも思えた。
 ツツミは疑念を振り払い、今は達成感に身を委ねることにした。

4.
 二人はオーバールックホテルを後にした。帰りの列車でツツミはジャックに話しかけたが、いずれも生返事である。やがてピピスが睨みつけてくるようになり、それにマッキーが反応するので、ツツミは大人しくしていることにした。
 出発した駅に戻ってくると、雪が降っていないことにまず感謝の気持ちでいっぱいになった。ツツミが自宅に戻ろうとすると、ジャックに呼び止められた。
「ちょっと待ってくれないか。話がある」
 怒られでもするのだろうか。ツツミは自分のやったことを思い返してみたが、しかし、褒められたばかりである。ツツミの気がかりをよそに、ジャックは自宅とは反対方向に進んでいった。
 そちらは沼がある方向で、巨人のグレンデルが住んでいる場所だった。暗闇に溶け込むグレンデルは、アンデッドでも構わず口に入れるので、つかまると死なないにしても死ぬほど不快な思いをする。不気味で危険なものが好きなアンデッドでも、よほど倒錯した者でない限り、あまり近寄らない。
 ツツミの胸元で、マッキーが呟いた。
「なあ俺、グレンデルとか、あんまり会いたくないんだが」
 小さな声のつもりのようだが、辺りが静かなだけによく響いた。ジャックが振り向いたので、ツツミは恐る恐る尋ねた。
「こっちは危険だと思います」
「うん、分かってる。グレンデルは他の水魔の依頼で暗殺対象になってるんだ。急所は額だと聞いている」
 ジャックは告げると、沼の近くまできてツツミに向き直った。
「今度の大会で分かった。ツツミはもう一人でやっていける。葬儀屋と死神を引き継いでほしい」
 ジャックはそう告げると、いつも持っている杖を渡してきた。肩に留まっているピピスは、じっと目を閉じたまま動かない。既に話をつけているのだろう。
「……でも、ずっと一緒にやってきたじゃないですか」
 急に言われて必死で食い下がるツツミに、ジャックはかぶりを振った。
「死神は実質的に僕一人だった。ずっと同じ者が死神をやっていると、他の者に気づかれて暗殺業に支障をきたすし、やがて恐怖の存在ではなくなってしまう。ゾンビシャークの時のように、常に驚異だと思われなければならない。だから死神は、代々交代制になる」
「そんな、私には無理です。葬儀はともかく、死神なんて」
 当惑して告げるツツミに、ジャックは首を横に振った。
「葬儀屋をやってきた者は、暗殺屋も務める。あの誇り高いデュラハンが死への敬意を持っていたように、死を扱うには死の重層性を知る必要があるんだ。死を喜ばしいものとして祝う者、死を不意に訪れる恐怖の対象としてもたらす者、どちらも経験しなければならない」
「でも、私には、まだその杖を使えません。シェリーさんを暗殺できなかったですし」
 首を横に振って後ずさるツツミに、ジャックは告げる。
「暗殺業は一人しか専任できない。杖は、死神が退任した後に手に取った者が使えるようになる。大丈夫、僕のやっていたことを見てきたんだから」
 そう告げると、杖の柄の部分を渡そうとしてくる。ツツミは疑問を口にした。
「私に引き継いだら、ジャックさんはどうするんですか」
 ツツミが勢い込んで言うと、ジャックは言い淀んだ。
「先代はフレイヤさんですよね。その方みたいになるんでしょうか。死神は、職務を明け渡したら死ぬんですよね」
 フレイヤはいつのまにかいなくなった。ツツミはそう聞いた時から半ば確信していた。
 だが、一つ解せないことがある。フレイヤがジャックに暗殺されたとすれば、なぜ周囲の者は彼女を覚えているのか?
「私、ジャックさんを暗殺することなんてできない」
 ツツミは告げると、手渡されそうになった杖を、そっと突き返す。
 ジャックはため息をつきながら、その杖を手に取った。
「そう言われるとは思っていた。僕もフレイヤに同じことを言ったから」
 ジャックはそう告げると、思い返すように言った。
「初めてツツミに会った時、君には創造主がいなかった。知り合いもいないようだったから、誰かに人間界から連れてこられて放置されたんだろう。一人で包帯も満足に巻けず、途方に暮れていたから、一緒に仕事をしようと誘った。覚えているか?」
 ツツミは大きく頷いた。
「あの時、君の手を握ったら、包帯が巻き付いてきてちょっと閉口したな。迷子にならなくて良かったかもしれないが」
 思い出すように告げるジャック。ツツミはそっと呟く。
「包帯が絆になるなんて。拾ってもらって、本当にありがとうございます」
「ああ。僕もフレイヤにそうしてもらったんだ」
 その言葉を反芻したツツミは、意味を理解した。
「ジャックさんも、創造主がいないってことでしょうか」
 小さく頷くジャック。わずかに目を細めている。
「そうだ。だからシェリーの思いを分かってやれなかったんだと思う」
 ジャックの声に混じるのは、苦悩だろうか。
 ツツミはシェリーの繊細な横顔と、最期のやり取りを思い返す。
 あの台詞、ジャックの謝罪の言葉は、やはり死を与えることに対してではなかった。ジャックは、自分とシェリーとの絆が、創造主とシェリーとの絆を超えられなかったことを謝っていたのだ。
 自分が大切に想う相手が別の誰かを想っていて、自分がその誰かを超えられないことに負い目を持つなんて、なんと優しいのだろう。
 一方で、ツツミは思う。
 確かにジャックも自分も、創造主のことは分からない。でも絆に関してなら、よく分かっている。いや、存在した時から当たり前のものとして持っていなかった分、その価値や、強めることの大切さを知っている。多分、他の誰よりも。
「創造主との絆がなくなった時点で、シェリーさんは自分に価値を見出せなくなったんだと思います。ジャックさんは後継者として私を育ててくれた。だから私は創造主がいなくても死なずに済んだ」
 ツツミはそう言うと、ジャックを改めて見つめた。
「誰からも見捨てられた私を拾ってくれた。私の創造主は、この世界との絆を与えてくれたのは、ジャックさんです」
 そう、心から感謝している。でも、だからこそ、ジャックの心臓に杖を突きたてることなどできない。
「君は僕と同じように苦しむだろう。そんな思いをさせることを謝りたい。でも新しい者が死神になるには、先代の死神が死ぬことで完結するんだ」
 そう告げながらジャックは、杖の柄を持ち、先端を自分に向けた
「頼む、この杖を押してくれ」
 ミイラは乾燥が命だ。だから涙は出ない。そのはずなのに、ツツミの目は潤んで辺りが霞んで見える。ツツミは首を横に振った。
「ごめん、ツツミ」
 僅かに震えるその声に続く情景は、ツツミの目に焼き付いた。
 細い三日月が、ジャックの細いシルエットを照らし出している。
 彼は今まで見たことないような優しい微笑みを浮かべ、杖の先端を自分自身に突き刺す。
 そして星の出ていない夜空を背景に真白な灰になり、次の瞬間、ばさりと崩れ去った。
 あっという間の出来事だったようにも、スローモーションの動きだったようにも思える。気持ちが、心が、目の前の出来事への理解を拒絶する。その出来事についていかない。
 ツツミはふと、大会の際に聞いたジャックの呟きを思い返す。
 彼は、アンデッドは自分からは死ねないが、創造主がいない場合、決闘しなくても死ねる、と言っていた。人間の創造主のいないジャック。彼は多分、自殺を選択肢の一つだと思っていた。しかし、ツツミを付き人にしてからずっと、それを最期の切り札と定め、使うことなく抱えてきたのだ。
 さきほどまでジャックだった真っ白な灰を、改めて見つめる。
 私にとっての育ての親が、創造主にも匹敵する者が、いや、それ以上の存在が、灰になってしまった。でも、私は今、喪失感をずっと抱えていたいと思っている。この感覚はなんなのか。
 深夜の空を仰いだツツミは、膝をついて灰に触れた。
 ジャックは、シェリーのことを分かってやれなかったと言っていた。私はずっとシェリーが羨ましかった。思いをかけられる相手がいることに焦がれた。でも私にはずっと、そういう相手が身近にいたんだ。
 冷たい土と灰の柔らかな感触。ツツミの感覚が静かに冴える。
 それとは対極的に、彼女の気持ちは加速的に熱くなっていく。
 私は大切なものをなくしたけれど、死にたいとは思わない。もしも私以外のアンデッドが全て消えてしまっても、私は彼のことを、この喪失感を忘れない。自分が存続Surviveすることが、ジャックが存在した証なのだから。
 涙で曇っていた目が、はっきり見えるようになってきた。傍らにはピピスが目を閉じて転がっている。そっと掬い上げて肩にのせようとすると、マッキーも前足を差し出した。ピピスは少しためらったが、マッキーの小さな足にしっかりとつかまった。
 ツツミは足元に転がる杖を握った。いままでは何も感じなかったが、持つだけで何か熱い力が沸き上がる。その時、沼の中央から水しぶきがあがった。巨人のグレンデルがこちらへ向かってくる。ツツミは正面から相手を見据えた。
 グレンデルはツツミを手で攫ってきた。ツツミはそのごつごつした掌に杖を突きたてる。相手が痛みで手を緩めたところに、ツツミは頭の上に飛び乗って額に杖を突きたてた。するとグレンデルは灰と泥になって消え去った。
 ツツミは沼に落ち、泥を吸い込む包帯を引きずりながら岸に上がる。するとどこからともなく水かきのある老婆の水魔が現れ、報酬のはいった袋を渡してきた。
 ツツミは報酬をポケットに入れると、白み始めた空を気にかけながら、灰を掬って袋の中に入れた。
 ジャックは、行ったことがない場所が好きだと言っていた。
 これからは彼の痕跡と共に、あらゆる場所へ行くのだ。              了

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