真っ暗な隧道を思い浮かべてほしい。その壁に、床に、天井に、絵画が飾られている。それらは照明を受けるまでもなく輝いている。わたしたちは、その隙間を縫って歩くのだ。けれど、歩き疲れると、そのうちの一つに僅かに近づく。危険なことだが、生き延びるためには必要なことだ。絵画から放たれる光を吸い込むと少しばかり元気が湧いてくる。中には、堪え切れず飛び込んでしまうものもいるが、そういったもののなかで戻ってきたものはいない。わたしたちは、これを死と認識している。一つ下の次元へと踏み込んでしまうともう後戻りはできないのだ。
今度の食事は、一段と眩しい絵画だった。わたしは少しだけ、仲間より近くに寄って食事をした。まだ大丈夫だ。この絵画の引力は恐ろしいが、もう少しだけ近づいてみることにした。この絵画はとても味わい深い。光源へと近づくと、なるほどと理解した。情報生命体が生活している次元だ。わたしは好奇心に突き動かされるまま、重力子にわたしの欠片を乗せて解き放った。
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マウスが死んだ。
きぼうの小動物飼育装置では細心の注意を払ってはいるが、宇宙空間である以上、どのようなストレスを感じているか完全には判明していない。人工重力飼育環境から無重力環境下へ移行したタイミングと重なったことから、環境変化に対するショックと想定できる。しかし、これまでも同様のケースは実験のたびに発生しており、今回のケースがこれまでとどう異なるのかは今後検証していく必要がある。地上では初めて重力波を観測したという報道でにぎわっているが、本事象との影響というのは流石に考えすぎだろう。
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重力子は届いた。偶然にも感度の高い個体と遭遇できたのは僥倖であった。しかし、微小重力の空間で生活しているにも関わらず、この生命体は貧弱だった。わたしの欠片ですら、この生命体には大きすぎるようであった。一方で、同様の個体は無数に存在していることをわたしは理解した。この生命体は異常に繁殖する力を有しており、それ故に個体の生存能力が貧弱でも問題ないのだろう。わたしは、微妙に強度や波長、時間軸を変えて発信を続けることにした。
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ラットが死んでいる。
なに、路地裏で1匹2匹死んでいようとどうということはない。そんな、妄言をはく人間はとうにいなくなっていた。というよりも、そう言っていた人間から死んでいったのだからな。黒死病は恐ろしい。野鼠一匹に人間がここまでおびえるような時代があっただろうか!モンゴルの帝国からイングランドの端に至るまで、あらゆる大地が鼠によって蹂躙されているといっても過言ではない。アルコールで消毒をすると良いと抜かす愚か者もいたが、これが飲まずに居られる状況だとあの連中は本当に考えているのだろうか。手を酒で洗う余裕など、微塵もあるものか! また一匹、挙動のおかしい鼠が足元へと寄ってくる。右手の空き瓶を憎たらしい毛むくじゃらに振り下ろした。
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巨大な建造物であった。このサイズからあれだけの規模の建築技術をもっているとは驚きは尽きないものだ。重力圏内に運よく潜り込めたものの、今度の個体はひどく体調が不安定だった。微弱な欠片のせいではない、すでに正気を失っているようであった。狂気に陥ることは永く生きていれば珍しいことではない。わたしたちは常に狂気ととなりあわせにあるが、それを日常とすればどうということはない。けれども、絵画に生きる定命のものには辛かろうよ。しかし、最後に襲い来たるものはなんだったのか。謎は尽きぬばかりである。
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二十日鼠はケージのなか。
かわいい。白くてふわふわしていて、そして赤い目。くりっとしていてすごくかわいらしい。わんちゃんはだめだけど、きみならいいんだって。お兄ちゃんはふてくされていたけど、わたしはきみのほうがかわいいと思うの! 名前はね。あるべぇる。知ってる? ほら、この人もあるべぇるっていうの、おんなじ名前にしたんだよ? うれしい? そっか、よかったぁ。ねぇ、ママ!ママ! 名前決まったよ~、あるべぇるも喜んでる。ほらほら、こんなに元気!
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ぐいと、頬を引っ張られる感覚で繋がった。地上のようだが、以前のような苦しさはない。だが、身動きが取れない。巨大な存在が両頬を掴んで離さないためだ。もしやこの存在が受信機のような役割を果たしているのかもしれない。巨大なものは往々にして鈍間なものだが、この中途半端な存在は妙にすばしっこい。逃げても逃げても捕まえられ、透明な檻の中へと戻される。他の存在は気にもかけないというのに、この中途半端な存在だけが厄介である。
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二十日鼠が死んでいる。
結果は8割弱、ワクチンが効果を示したのは2割強と心許ない。ワクチン開発はスピード勝負だ。生体実験をすることは流石にわが国でも難しい、せめて、7割程度の成果が出なければ、次のステージには進めない。上は何も知らないくせにうるさいし、他国の技術者は次々と成果を出しつつある。この鼠どものようになりたくなければ、などと脅してきた輩もいたが、このまま成果を出せなければ、近い未来に実験体となるのは想像に難くない。おや、この個体、まだ息があるな。
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また、焼けるような痛みが襲う。奴らか。当初は解らなかったが、どうにも、この痛みの原因は巨大な個体にあるようだった。巨大変異生物とでも呼称すべきか、奴らは生命体に毒素を打ち込み、その変化を観察する存在だった。まさか、わたしのほかにもこのような存在がいるとは驚きだ。いや、それとも奴らもわたしたちの一人だろうか。ありうる話だ。この絵画はひと際輝いていた。わたしたちが死ぬとその絵画は輝きを増すという仮説を聞いたことがある。とはいえ、このままではわたしたちの一人との対話は難しい。なにか方法を考えなければなるまい。
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二十日鼠はケージのなか。
ただいま、アルベール! ぎゅっと抱きしめると、アルベールはするりと私の腕から抜け出して、ケージの奥に隠れてしまう。おいで! 手拍子をすると、ひょっこり顔を出すが、また隠れる。仕方ないからおやつをひと欠けら取り出す。ちらりとそれを見せる。すると、さっきまで知らんぷりしていたアルベールが勢いよく飛び出してきたので、がっしりとホールドする。ただいま~! さっきの1.2倍くらいの気持ちでぎゅっとしてやると、キュウと泣いて助けを求めてくる。あとおやつも。あまりのかわいさに、仕方ないから、おやつをあげちゃう。そしてもいちどぎゅっと抱きしめる。
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わからん。なんなんだこいつは。少なくとも、この中途半端な存在はわたしたちの一人ではないことは明らかだった。明確な意識があるかと思えば、直後に攻撃をしてくる、かと思えば友好的手段を示す。まったくもって理不尽極まる。こいつと何度か一緒にいて解かったことが一つある。こいつは、わたしのことを「アルベール」と呼称する。意味は解らないが、こいつのことだ、何も意味をなさないということもあり得るため、今回の考察はここまでとする。
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マウスが死んでいる。
宇宙空間において、放射線及び微小重力空間での生存環境は必須条件となる。そのため、将来においても、宇宙空間及び高放射線空間においても健康に生きれる身体が必要だった。実験は概ね成功といえる。当初はストレスにより早死にしていたマウスだったが、今回の個体は平均寿命の倍も生きながらえた。これは我々の成果といえる。今後も、マウス等の実験を実施し、将来につなげていく必要がある。ご苦労マウスの諸君。
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奴らはただ、快楽として生命体を苦しめているのではなかった。この生命体を強靭にしようと努力しているのだ。いわば、一種の奉仕生命体である。ある種を永らえさすことで、自らをも助ける。奴らの目的はこの生命体を生かすことで、自らも生きようとしているのだ。ひょっとすると、奴らのなかのわたしたちの一人もまた、わたしの存在に気付いている可能性がある。あいにくと、この生命体は言語での対話手段を有していない。絵画の中では重力子も飛ばせないときた。ここはひとつ、奴らのやり方に協力するとしよう。
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二十日鼠は掌のなか。
やさしく抱きかかえられる。こごえる寒さの朝だった。アルベールは丸まったまま、眠るように亡くなっていた。わたしが掌に抱えても、ちっとも返事をしない。お兄ちゃんが泣いているのを見て、私も泣きたくなってしまった。ねえ、目を覚まして、アルベール。だけど、やっぱり返事はない。ママはお墓を作ってあげましょうというけど、よくわかんないよ。ねえ、目を覚まして?
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以後、わたしはアルベールと名乗ることにした。これには大した意味はないが、いい加減慣れてしまった。ほかの呼称はどれもC001だの、ア919だのと覚えさせる気がないというのもあるが、やはりこれが一番しっくりくる。長生きしたとはいえ、この個体の寿命は奉仕生命体より遥かに短い。このような別れとなったのは口惜しいが、結局のところ、あの中途半端な存在のことは理解できなかった。
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二十日鼠は死に続けている。
火星への架け橋は人類の夢のための第一歩を歩むべく、研究に勤しんでいる。遺伝による宇宙環境の影響をみるのに、二十日鼠はなお有効だ。計算機でのシミュレータも使えるが、結局最後は本物の生きたデータが必要となってくるというわけだ。老人どもはいつだってデータを当てにしないからな。地上からの高度は400kmも離れているというのに、気遣いの絶えない職場だ。実験棟は半分が二十日鼠の生活空間、もう半分が実験空間となっている。様々な煩わしい連中の眼が届かないおかげで、ここではやりたい放題だ。ここの鼠どもは本当に賢い、少なくとも俺のボスよりは賢い。その賢い鼠どもを日々、様々な手法で血祭りにあげているのだから俺は遠からず地獄に落ちるだろう。
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実験は順調だ。微小重力空間に、わたしは研究所を手に入れた。わたしの欠片たちの王国だ。王も市民も、すべてがわたしなので、これは王国というより一つの群体といえよう。わたしは日々進化している。わたしたちとの対話のときも近い。とはいえ、わたしたちのほとんどは、この絵画から去ってしまった。みな満足したのだろう。だが、わたしはまだ不十分だ。せめて、一言でいい。
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二十日鼠が死んでいた。
彼らが最初に人類とコンタクトをしたのはいつか。その研究に人生を賭す者も少なくない。人類は地球で3番目に賢い種だとダグラス・アダムスはネタにしたものだが、まさしくそうであったのだから、運命とはままならぬものである。火星への架け橋は人類の夢を叶えた、だがそれは火星への道行きではなく、人類以外の意思を宿す生命体との懸け橋となった。その日、人類は皆、その声を聴いたという。
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「目覚めたぞ! 我が名はアルベール!」ついに、わたしは約束を果たした。地上の奉仕生命体――人類、その誰もに聞こえる様に、音波ではなく、重力子を飛ばすことで、直接語り掛けた。だが、人類からの応答はなかった。人類の寿命もまた、わたしのスケールとは比べられぬのだろう。そして、わたしたちの一人がかわりに応答する。「お前は死ぬつもりか」やはり、すでにわたしたちの一人がいたのだ。予想通り。だが、この先に待っているのが死なのか、そればかりはわからない。というのが、わたしの、アルベールの最後の応答になる。