さざ波は鱗のひかり

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梗 概

さざ波は鱗のひかり

 人類が滅びた後、人魚たちは生存競争が苛烈になった海を捨て、陸で生きることを選ぶ。人魚は銀色の長い尾びれを捨てて、二本の足をつくり、荒れ狂う冷たい海の中にぽつんと浮かぶ小さな島で「ヒト」として暮らし始めた。人魚たちは、陸への適応に苦戦。海へ帰ってゆくものたちが現れ、陸での定住を目指す一部の人魚たちは過激になってゆく。子どもたちに自分達のルーツを隠し、「ヒト」であると信じ込ませ、海に帰っていった裏切り者たちをその見た目から「ウミヘビ」と蔑んだ。海の人魚が島に近づこうとすると攻撃され、人魚たちは分断された。
 
 島では、ひとりの〈おかあさま〉とたくさんの〈ねえさま〉、そしてみな同い年の子どもたちが暮らしていた。人魚はみな、生まれたときは全身鱗に覆われている。陸での生活に適したなめらかな皮膚を手に入れるため、島の「ヒト」たちは、鱗を剥いで砂で瘡蓋をつくる。これを何度も繰り返すことで鱗は白くなめらかな皮膚に変わる。子どもたちは物心つく前から〈ねえさま〉に教わりながら自分の鱗を剥いだ。
ジウは白くなめらかな肌が好きではなかった。水も光もまっすぐ強くはじく鱗のほうが好きだった。だから瘡蓋をむいてばかりいた。ジウの身体はいたるところに鱗が残っている。〈ねえさま〉たちはなんとかジウの鱗を剥ごうと苦心し、子どもたちはジウを「ウミヘビ」と呼んでいじめた。赤ん坊の頃から仲良しのチセだけがジウの唯一の友だちだった。
 十歳の誕生日を迎えた日、子どもたちはみな〈おかあさま〉のもとに集められた。〈おかあさま〉は、十年後、子どもたちの中で最も白くなめらかな身体の持ち主が次の〈おかあさま〉となり次世代のたまごを生む栄誉を得るのだと告げた。みんなが色めきたちますます鱗を剥ぐのに夢中になる一方で、ジウは頑なに瘡蓋を剥がし続けた。ジウはチセの前で「痛みを我慢してまで、自分の望んでいない身体になるのはいやだ」と泣いた。チセはこの強くて痛々しくて美しい友人を白くて柔らかい両腕で抱きしめた。
 
 五年後、チセはほとんど鱗の残っていない美しい姿に、ジウはいまだに両脚に鱗を残す姿に変わった。ふたりがこっそり釣りに出掛けた日、何かが海驢に襲われているのを発見する。とっさに助け出したそれは、ググと名乗り、海の人魚の子どもだった。ググの身体は上半身は白くなめらかで、下半身は鱗に覆われて魚とも蛇ともつかない形をしていた。ふたりはググの怪我が癒えるまで、島の洞窟で匿うことを決める。ググとの交流を経て、ふたりは「ヒト」はもともと海で暮らす人魚であり、「ウミヘビ」と蔑んでいた生き物が自分達と同族であったことを知る。島の教えと異なるググの話にサチは警戒心を露わにする。しかし、ジウは、ググの語る、海で暮らす人魚たちの生活に憧れを募らせてゆく。ジウが次第にググと心を通わせていく様子を見せつけられ、サチは、ジウの幸せを願う気持ちとググを疎ましく思う気持ちとの間で苦しむ。
 ついにジウは、「ググの傷が癒えたら一緒に海の底へ行く」とサチに打ち明ける。サチは懸命に説得するもジウの決意は変わらない。サチは、ジウを失いたくない一心で〈おかあさま〉に密告してしまう。〈おかあさま〉と〈おねえさま〉に追われたジウは、間一髪のところでググを逃がすが、代わりに自分が捕まってしまう。捕らえられたジウは罰として牢に入れられ、無理やり鱗を剥がされる。それを見たサチは自らの過ちの大きさに気づく。サチは毎晩牢に忍び込んで、ジウの鱗を拾い集めた。しばらくすると、ジウの瘡蓋は癒え、透き通るほど白く美しい肌が現れた。
 すっかり美しく従順になったジウは牢から解放された。みんなに向かって微笑むジウを見て、サチはジウの決心を悟った。その日の夜、サチはジウに誘われて海辺を歩いた。ジウが何を切り出すか、サチにはもうわかっていた。ふたりはお互いの白くやわらかな身体を抱きしめ合った。
 
 砂浜に横たわったジウの裸体は、ほの白く光っていた。なめらかな皮膚の上を、サチの握るナイフの刃がゆっくりと滑る。サチは薄くジウの皮膚を切り取ってゆく。痛みを必死に堪えるジウの姿にサチは涙を流す。けれど、サチは手を止めない。皮膚をすっかり剥ぎ取り終えると、サチは牢でこっそり集めていたジウの鱗でジウの身体を覆い始めた。血と砂と泥と波と風と、何もかもが混ざり合って、ジウの身体は目まぐるしく色を変えてゆく。夜が明ける頃、ジウの全身はびっしりと鱗に覆われた。夜明けの空の下で、ジウの身体は様々な色に、鈍く、淡く光る。この世界でたったひとつ、ジウのためだけの身体。それは、ジウがずっと夢見ていた理想の身体だった。ジウはサチにお礼を言って、海へと向かった。
 ジウの光る身体は、波に飲まれて泡のように揺れた。そのまま二度三度、波間を行きつ戻りつしたかと思うと、急にとぷりと深く沈んで、見えなくなった。サチは、一枚だけ残されたジウの鱗を握りしめる。手のひらの中で、ジウの鱗の冷たさを痛いほど感じていた。

文字数:2052

内容に関するアピール

設定の補足として、この世界の人魚は両性具有で単為生殖をする生き物です。ただ、陸の「ヒト」たちは単為生殖をするにも、自然にはできず、「ヒト」の手によって介入が必要です。〈おかあさま〉に選ばれたものだけがたまごを生む能力を与えられます。

着想としては、「人間が滅びたあと、なにか別の生き物が人間を模して生きていたらなんかゾワゾワするな」と思って考えました。

話の中で描きたかったことは2つです。まずひとつは、勝手に変わっていく身体の恐怖です。身体は、怪我をしたらどこからともなく瘡蓋が現れて傷を治そうとします。わたしはなんか怖くていつも瘡蓋を毟ってしまいます。ふたつめは、痛みも身体もぜんぶ自分のものでありたいという祈りです。わたしたちの身体は常に「痛み」に晒されています。作中でジウが〈おかあさま〉の身体になるためではなく自分の好きな身体でいるために瘡蓋を剥き血を流すシーンがあるのですが、どうせ痛いのなら、誰かに押しつけられる痛みではなく、自分らしくいるための痛みを選びたい、という祈りを込めました。SFのレンズを通して見ると、日常の些細な棘やざらつきが違った見え方をするような気がします。だからこそ、わたしが日常で感じていることをお話の核にしてみました。現代から、現実から、遠く離れた世界だからこそ辿り着ける場所まで物語を持っていきたいです。陰気な海辺と無機質で痛々しい傷と白く艶かしい身体、あやしく光る鱗、仄暗く美しい世界を丁寧に描きます。

文字数:620

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