アワビ洗浄
暗闇の港に船が入ってきて停まった音がした。船からアワビをおろして車に積み込むこの瞬間は、密漁者にとっては魔の時間となる。アワビ、ダイビングスーツ、酸素ボンベ、船、実行犯、全てが一ヶ所にそろう。警察にそれぞれの証拠を単独で見られてもシラを切って押し通せるが、全てが集まるこの瞬間だけは見られてはいけない。
オレたちは運搬用の車を三台用意して、船に乗った潜り手たちがアワビを取って戻ってくるのを国道を走らせながら待っていた。船から連絡があったので、オレは近くにあった候補地の港に入り、ひとけがないことを確認してから連絡を返す。地元の人間しか知らないような明かりもない小さい港だ。別の候補地を見に行っていた他の二台も集まった。特殊な改造がされた車で、ブレーキランプやメーターの照明が外にもれでないようになっている。そのあとすぐに船は港にやってきた。
チームの全員でアワビの入ったカゴを二台の車に積み込んで、もう一台は空のままにしておく。運悪く検問なんかがやっているとまずいので、先導して確認させるためだ。全員が船と車にバラバラに乗り込んで、時間をずらしてそれぞれ出発する。証拠がバラけたおかげでオレはひとまず安心した。オレは車を海岸沿いの国道で南へと進ませる。
三陸のアワビは高級品。海の中に黒いダイヤが落ちているのだ。30年前はアワビの密漁は横行していたが、それから密漁団は数を少なくした。今や全ての食品は「産地の粉」がふりかけられている。生産者と流通経路を記録した超低価格の食べられるマイクロチップ「産地の粉」。水産物も例にもれず、漁業者申請をした全ての漁師たちがそれぞれのIDを持つ産地の粉を持っている。昔は密漁アワビだと知りながら安く買い叩く業者にそのまま売ればよかったらしいが、オレたちが正規の市場にアワビを流すためには産地の粉を偽装しなければいけない。アワビ洗浄。オレたちがやっているスキームはとても単純だ。養殖アワビをやっている業者を抱き込んで、海で獲ったアワビに養殖アワビの産地の粉をふりかけて売る。アワビ漁は漁獲制限のために獲ってもよい日が決まっているが、養殖アワビにはそれがなく好都合だった。
市街地にある陸上養殖場に到着して車を止め、プレハブの倉庫にアワビが入ったカゴを運び込む。倉庫の中には養殖水槽がいくつも並べられていて、オレたちはその中に獲ってきたアワビを入れる。密漁アワビを一度に出荷すれば怪しまれる。一旦アワビを水槽に入れ、日にちをずらして徐々に出荷させるのだ。アワビを水槽に入れ終わるとオレたちは一息ついた。これでもう密漁の証拠は消え去った。
一仕事して腹が減ったオレは、カップラーメンでも食べようかと考えていた。すると、賄賂を渡して情報を流させている海上保安庁の職員から電話がかかってきた。オレたちと同じスキームでやっていたヤクザの密漁団が、今日逮捕されることが決まったらしい。逮捕の理由はアワビの中から見つかった産地の粉だった。地元の水産加工会社の海藻類の商品IDが記録された産地の粉が、養殖として出荷されていたアワビの中から見つかった。詳しく調べるとその水産加工会社は売れ残りの商品を海中に不法投棄していたことが分かった。アワビがその海藻類を食べたのだった。その結果アワビは養殖ではなく海から獲られたことが判明し、それが証拠となって逮捕されることになった。海藻類が不法投棄されたその場所は、オレたちがいつもアワビを獲りに行く漁場のすぐ近くで、捜査の手はすぐにオレたちにも伸びるだろうということだった。
オレは逮捕されることに悔いはない。話を伝えたチームのみんなも同じだった。みんな悪いことをやっているという自覚があったし、捕まるかもしれないという覚悟があった。今までさんざんアワビで稼いでいい思いをして、家だって持つことができた。オレは満足している。
たとえ刑務所に入ることになるのだとしても、その前に少しだけでもうまいものを食っておこうとオレは思った。倉庫の奥から七輪を取り出してきて火をつける。さっき獲ってきたアワビを水槽から拾って網の上に乗せる。いい感じに火が通るまで待ち、包丁で身を殻からはがして、オレは何もつけずにアワビをそのまま食べた。これだ、海の味がする。世界で一番うまいもかもしれないとオレは思う。三陸のアワビのうまさは誰にもごまかせない。
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内容に関するアピール
宮城県南三陸町にある私の実家は、アワビをとってもよい許可である漁業権を持っていました。アワビをとってもよい日が町内放送でアナウンスされ、当日は早朝5時に起きて家族で船に乗って漁場まで行きます。その日は学校に遅れて行ってもよく、そのぐらい地域にとってはあたりまえのものでした。
この話を書くにあたって、父にアワビの密漁について電話で聞きました。その後詳しく調べるために「サカナとヤクザ」という密漁事情を調べ上げた潜入ドキュメンタリーを読んだところ、父が話してくれた内容とまったく同じことが書いてあり、私は密漁がリアルなものであることを感じました。
アワビを密漁するのは主には暴力団とその関係者です。密漁アワビの漁獲高についてはいくつか試算があるようですが、おおむね流通量の40~50%が密漁だということです。私たちがアワビを食べる時、二回に一回は暴力団にお金が回る計算です
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