梗 概
霊能者・毛塚クオンの葬送
お前には霊能力がある。髪を介して他人の意識を取り込めるんだ――父・初継がそう言って誰かの遺髪を口に捻じ込んでくるので、毛塚クオンは霊能の鍛錬が苦手だった。フレッシュな髪が好みだったし、父が死んだ母と再会する為だけに自分を育てていると知っていたからだ。クオンはいつも与えられた髪を配管洗浄剤で始末している。
毛塚一族に嫌気がさした彼は逃げ出して一人暮らしを始めるが、早々に貯金が尽きてしまう。金策の手段が霊媒以外に浮かばなかった彼は、占い師を始めた。
髪を食むという奇怪な手法と驚異の的中率がSNSで話題を呼び、クオンはカミハミ様の名で有名になる。「霊媒! サイトスプーク」という人探し番組でレギュラーを獲得した彼は、オカルトブームを再燃させた。
そんなある日。クオンは楽屋で虹色に輝く髪の束を拾う。懐かしい気配がするそれを食むと、彼は意識を乗っ取られ、気が付くと局員を殴り倒していた。「憑依された」と警察に説明したが、聞き入れられる筈もなく投獄されてしまう。
世間では「カミハミ様は本物ゆえ葬られたのだ」という陰謀論が広まり、かえって人気が高まった。クオンの長髪を模したエクステ、〈エクスピ〉も売れに売れた。しかし一方で、彼の身を案じる者はなかった。みな、彼の能力にしか興味がなかった。
収監から数か月後。葛城フジカという刑事が訪ねてくる。彼女は「エクスピ所有者が相次いで事件を起こしており、その全員が憑依されたと主張している」「霊媒の専門家として捜査協力してほしい」と話す。憑依の実在を認める口ぶりに、クオンは「ぼくが憑依された時、耳を貸さなかったじゃないか」と噛みつくが、恩赦をチラつかされるとアッサリ協力した。臭い飯にも臭い髪にも辟易していたのだ。
捜査中、クオンはエクスピ所有者の頭に虹色の髪が混ざっているのを見つける。それはかつて、楽屋で拾った髪と同じ気配を放っていた。未使用のエクスピにも同じ物が混入されていることから、クオン達は製造工場に捜査の手を伸ばす。
工場深部には、巨大な虹色の毛玉と初継の姿があった。困惑するクオンに、初継が語り掛ける。「お前のお陰で、皆が無意識的に髪の力を怖れるようになった。だから人々は虹天球による憑依を、集合意識を受け入れてくれる」「全人類との意識統合がなれば、虹天球は本来の力を取り戻す。ヒトは死者の意識とも触れ合えるようになる。母さんにまた会えるんだ」。そう言って、初継は頭上の毛玉を指す。曰く、この虹天球なる物体に接続している状態が人類の原型であり、あるべき姿なのだという。
クオンはこれに反発した。意識が一つになったら、髪に宿る味も一種類になってしまうじゃないか、と。彼が合図を送ると、上空から配管洗浄剤が降り注ぐ。
「みんな違ってみんな美味い!」
かくて虹天球は溶け落ち、世界は救われた。
文字数:1189
内容に関するアピール
今まで、毛に関する作品を何度も出してきました。その中で私は、大きな疑問にブチ当たりました。それは「なぜ髪だけが特権的に伸び続けるのか」ということです。調べてみますと、面白い記事に行き着きました。
アメリカン・インディアンの長髪は第六感を備えている、と。ううん、胡散臭い。
しかし考えてみますと、髪というのはどの文化圏でも特別視されている印象を受けます。日本でも、御守りに髪を入れる文化とかありますしね。髪に人の意識や魂が宿っていてもおかしくない。猫のヒゲや虫の触角みたいに、感覚器としての機能が備わっていても良い。
ここからぼくは、髪の毛を「意識の記録メディア兼アンテナ」と設定し、それが接続する母体として「虹天球」(=集合意識)を登場させました。
オカルトとの境界線にあるような話なので、SFとしてキッチリ仕上げていきたいです。
あと、常人は髪を食べちゃダメ。
文字数:376
霊能者・毛塚クオンの葬送
1.久遠
お前には霊能力がある。髪を介して他人の意識を取り込めるんだ。父、毛塚初継はよくそう言って、誰かの遺髪をぼくの口に突っ込んできた。気持ちが悪かった。ぼくが食べたいのは干乾びた死臭まみれの白髪ではなくて、キューティクルが艶やかでシトラスの風味が効いた黒髪なのだ。ギブソンタックのクルクルしている部分であると、食べやすくてなお好ましい。しかし、これは話が逸れた。
とにかく、ぼくは父の横暴を止めたかった。死人に──亡き母に執着する父が、見るに堪えなかった。彼は霊媒ができない自身の代わりに、ぼくの身体を使って母を降霊しようと考えている。だからこうして、“鍛錬”と称して出所の知れない遺髪を食わせるのだ。
グルメ的な視座から父を説得するのが難しいと判断したぼくは、科学知識によって対抗しようと考えた。オカルトの申し子みたいなぼくが、こんな手を使ってくるとは父も思わなかったことだろう。
「ねえ、父さん知ってる? 髪って食べちゃいけないんだよ。ケラチンっていう頑丈なタンパク質でできているから、人間の胃袋じゃ消化できないんだ。だから、ね。もう止めようよ。ぼくの胃袋は人間の胃袋なんだ。消化なんかできっこないよ」
「違うぞ、クオン。お前の身体は霊能者のそれだ。髪を食むことで他人の意識を、生命を得ることができる。命の枯れた髪はおのずと分解されるのだから、なにも心配することはない」
「でも、もし上手くできなかったら? 胃腸の中に、髪が永遠に取り残されることになったら、どうすれば良いの……」
勿論、上手くいかないなんてことはない。ぼくは、毛塚一族で随一の霊能者だ。その点についてはプライドがある。
髪の毛一本で二十秒──それだけの間、他人の意識を宿せる人間はこの世に数えるほどしかいないだろう。しかしそれでも、子が親にこの手の泣き落としを仕掛けちゃいけない理由にはならないはずだし、効果は十分にあるはずだ。
そう見込んで打った芝居だったが、しかし父には効かなかった。
「永遠。永遠か。結構なことじゃないか」
父は心底嬉しそうな様子でそう返したのだ。
ぼくは予想外の反応に、思わず硬直してしまう。
「消化できないのなら、それもまた一興だ。遺髪の持ち主たちはみな、お前の中で生き続ける。そう、お前の胃袋の中で永遠に。さあ、食べろ。食べろ。食べろ」
お残しが許されないのは、給食だけで十分だ。
ぼくは食べたいものを食べ、興味のある人間だけを降霊する。遺髪入れや骨壺の代用品にされるのはウンザリだ。
母さんは死んだ。母さんは死んだんだ。子どものぼくに分かることが、父さんに分からないはずはない。フランケンシュタインの真似事なら、一人でやってくれ。ぼくはアンタの怪物になんかなってやらない。
この日からぼくは、父から渡された髪を隠れて始末するようになった。飲み込んだものを吐き出して、アルカリ性の配管洗浄剤で溶かすようになった。
遺髪に付いた消化液を洗い流していると、ぼくは虚無感に苛まれる。「死者たちはみな、われわれ霊媒師によって“復活”させられる日を心待ちにしているのだ」と、毛塚一族の人間は口を揃えて言うけれど、ぼくにはどうしてもそうは思えなかった。
大抵の遺髪は、死に対する恐怖ばかりを記憶している。
死が焼き付けられると、生前の思い出というやつは呆気なく散ってしまう。
今まで色んな人間の意識を味わってきたけど、多くの者は単に死ぬのが怖いだけで、さして生きたいとも思っていないように感じる。それは、ぼくだって同じだ。人生なんて面倒くさいもの、一回きりでも腹いっぱいだ。好き好んで二度三度と味わおうとする奴は余程の幸せ者か、想像力の足らない阿呆だろう。
誰だって、二度目の生がぼくの人生だったらクーリングオフを望はずだ。
親に才能だけを望まれる子どもなんて、不幸以外の何物でもない。
「永遠なんて願い下げ、だよな」
洗い清めた遺髪をパイプクリーナーに落とすと、ぼくは取り敢えず手を合わせてみる。信心深さなんて欠片も持ち合わせていないけど、眼前で消えゆく命の残滓に対して思うところはあった。
この髪は、この人は、ぼくの手によって二度目の死を迎える。
ちゃんと死ねるだけ幸せだ、とは言わない。
この世に生を受けることが不幸だ、とも言わない。
ただ、死んだ奴は死なせておけという話だ。
霊媒もなしに死人の気持ちを代弁する奴は、詐欺師か単なる卑怯者だ。死人にとって何が幸せかなんて、誰も知らない。だから、ぼくは誰かを葬ったという事実だけを負う。それがせめてもの誠意であり、死者に対する償いだった。
ぼくは毎夜、パイプクリーナーを抱いて眠る。
そうしないと、死人が恨み言を言いに来るような気がしたから。
母さんが化けて出ると思ったから。
2.死者の代弁者より
齢二十を迎えて、ぼくは毛塚の屋敷を出た。
父さんは学費を出してくれなかったけど、ぼくには十分な貯蓄があった。四年目まで、自力で大学に行ける公算があった。しかし、大学デビューがぼくの計画を狂わせたのだ。お酒に服にサークル代。学業と関係ないところでお金を擦り、気が付けば口座残高は家を出た時の半分以下。さりとて生活水準も下げられず、自力で稼いだ経験もない。
そう。有り体に言えば、ぼくは世間知らずのボンボンだった。
バイト代だけでは満足できず、結局、霊媒師としての才に縋ったのだ。
「なんだぁ、髪占いって?」
やや呂律の怪しい調子で、強面の青年が声を掛けてきた。
この辺りでは、夜に露店をやっていると、よくこういう酔っ払いの若者が面白がって絡んでくれる。ぼくは緊張を押し殺して説明を始めた。
「ええと。その髪を……髪を切ってですね。ぼくの口に含むわけです」
「え、なに。どういうことよ?」
「ですから、貴方の髪を食むんです。そうすれば、貴方の全てが分かります」
途端に青年は、呆れたような笑みを浮かべる。
こういう反応は、既に何百回と見てきた。
「髪フェチなのか? 髪を食べるための方便ってやつか?」
「方便などではありません。そういう能力なんです。第一ぼくは、日本人の金髪は好みじゃない。オーガニックな感じがしないから」
「やっぱり、フェチじゃねえか」
青年は人目もはばからずゲラゲラと笑った。
そして、ひとしきり笑った後、おもむろに自分の髪を一つ引き抜いて見せた。
「兄ちゃん、面白いからよ。占い、受けてやるよ。ほれ」
そう言って青年は、髪の毛と一緒に千円札数枚を突き出してくる。
ぼくはそれらを恭しく受け取り、そして髪の毛を水で清め始めた。ラーメンの粉落としの要領で、サッと洗うのがポイントだ。こうすると、香味が落ちなくて良い。
さて、まずは匂いの確認から入る。
「ふうむ、これはノンシリコンシャンプーですか。良いものを使っていますね。ラベンダーの匂いは好みですよ」
「まじかよ、当たってる――って、誰がシャンプーソムリエをやれって言ったよ。占いをやってくれよ、占いを」
「むう、結構ウケるんですがね。残念です。では、お望み通り本題に入りましょうか」
いざ実食、である。
ぽいっと髪を口に放り込むと、青年がゲッと小さな悲鳴を上げた。ぼくは瞼を閉じて、舌先に乗っかったか細い気配に集中する。周囲から音や匂いが消え失せて、ぼくの意識は深い闇へと落ちていく。
最初に見えるのは、いつも同じイメージだ。暗がりの中で七色の光を放つ、巨大な球状の浮遊体。ぼくら霊媒師は〈虹天球〉と呼んでいるが、こいつは無数の毛髪で編まれたような様態をしている。ぼくが手を触れると、虹天球はお目当ての記憶を見せてくれる。
思うに、これは人類の意識の集積だ。食べた毛髪は、そこへ至るアクセスキーだ。
気が付くと、ぼくは青年の意識に同期している。
彼が求めているもの、聞きたがっている言葉がすぐに分かった。
口の中で髪の舌触りが消えて、ぼくの意識は現実へと引き戻される。
ぼくは、自分が毛塚クオンであることを思い出す。
「おい。大丈夫か、兄ちゃん」
そんなに俺の髪は不味かったか、などと青年が間の抜けたことを言うので、ぼくは思わず吹き出してしまった。不味そうな髪は念入りに洗うから、心配など要らないのに。
「問題ありません。それより視えましたよ、長尾トモヨシさん」
名前を言い当てられて、青年がまた小さな悲鳴を上げる。これが、生きた人間の憑依をやった時の醍醐味だ。ぼくは調子づいて、自分が目にしたことを話し始める。
「まず、貴方が探している人物について話しましょう。その人は、二十九歳、男性。身長は貴方より少し小さいくらいで、やや細身。名前は芳賀ヒロキ。小学校時代からの付き合いだ。そして、某動画共有サイトで貴方と一緒に活動をしていた。かなりの人気のようですね」
「なぜ、それを? 俺たち、顔は非公開で……」
ここで遮られても面白くない。ぼくは構わず、続きを口にする。
「しかし、貴方は裏切られたわけだ。芳賀さんは金庫番の立場を利用して、資金をすべて持ち逃げしてしまった。それで貴方は、彼とよく出歩いていたこの街を訪れた」
「その通りだ」
「しかし結果は、空振りだった。そのまま帰るのが癪だった貴方は、二ブロック先の居酒屋でコークハイを一杯飲み、ここへとやって来た。それは偶然じゃない。貴方はもともと、私の評判を耳にしていた。占いに頼るなんて馬鹿馬鹿しいと思ったから、酔っ払いのフリをしていただけだ。そうですね?」
ぼくが訊ねると、その青年――長尾トモヨシはお手上げのジェスチャーをして見せた。
「妹が言ってたんだよ、『若干アレだけど、優秀な占い師がいる』ってな。単なる不審者だったらシメてやろうと思っていたが、どうやら噂通りのようだ」
「ああ、あの子ですか。覚えていますよ。実に美味しそうなおさげをしていた」
「……『かなりアレだけど優秀』に修正した方が良さそうだな。まあ、それは良いや。話を戻そう。次に俺が何を頼むか、もう分かるだろ?」
「ご友人の居場所、ですね」
そうだ、と長尾は頷き、鞄からフリーザーパックを取り出した。中には、使い捨てのヘアブラシが一つ納められている。ぼくはそいつを受け取って観察を始めた。
「随分と太い髪ですね。まるでヒゲみたいだ……ヒゲじゃないですよね?」
「ヒゲにブラシを掛けるとは思えん。というか、ヒゲだったらマズいのか?」
「マズいですね。髪以外では、意識にアクセスすることができない」
これを聞いて、長尾は怪訝な表情を浮かべた。大方、妙な拘りのせいだとでも思っていたのだろう。やむなくぼくは、誤解を解くことから始める。
「数ある体毛の中で、なぜ毛髪だけが特権的に成長を続けているのか。長尾さんはその理由を考えたことがありますか?」
「さあな、脳を刺激から守る為じゃないのか。熱とか、衝撃とかからさ」
「まあ、そういった副次的な効果もあります。ですが、本来の役割はむしろ逆です。髪の毛は刺激を拾う為の器官。即ち、感覚器として備わったものです。もっとも、多くの人間はその能力を退化させてしまったようですが」
「トンデモ科学の世界だな。お前さんはつまり、俺たちの頭にゃゴキブリの触角が植わっているようなもんだと言いたいわけか」
ゴキブリ怪人のように言われるのは癪だ。猫のヒゲとか、他の喩えがあったろうに。
ぼくは何となく、この長尾という男の人となりが分かってきた気がした。
彼相手には、ツッコミを入れるだけ無駄らしい。
「まあ、触角というのは的を射た表現ですね。ぼくたちの界隈では、髪はまさに触角そのものだ。意識を発し、受信し、記憶する。アメリカン・インディアンたちもそれをよく知っていた」
「インディアン? 口に手を当ててアワワワーってやる、あの?」
「……彼らは目に見えぬ罠を見破り、待ち受ける敵の気配を感じ取ることができた。ところが、軍隊に徴兵されると、途端に超感覚的知覚を喪った。入隊時に行なわれる断髪によるものです。彼らは、伸ばした髪を介して他人の意識を感じ取っていた。髪には不思議な力があるんです」
「そんな与太話、普段なら笑って聞き流すところだが、さっきの占いを見た後だとそうもいかねえな。ちょっぴり、信じそうになっちまう」
「ま、信じるか信じないかは貴方次第です。なんにせよ、ぼくには髪の毛が必要だ」
言いながらぼくは、フリーザーパックに手を突っ込む。ブラシに付いた体毛からは、ほんのりと意識の残滓が感じられた。どうやら、髪の毛で間違いないらしい。
いつもより念入りに洗ってから、ぼくは口に毛髪を含んだ。
「ここからは別料金で頼みますよ」
再び瞑目すると、ぼくはまた虹天球のもとへと引き戻される。
芳賀ヒロキの意識に接続したとき、はじめに感じたのは寒気だった。
まだ八月も半ばだというのに、芳賀の身体は凍えたように震えている。ぼくは何だか嫌な予感がして、もっと古い記憶に遡ろうとしたが、芳賀の意識がそれを許さなかった。記憶がぼくを掴んで離さない。この感覚をぼくは知っていた。
「助けてくれ」
芳賀のかすれた声が、ぼくの口を介して発せられる。
ここは人里離れた山の中だ。助けは来ない。助けは来ないんだ。
「やめろ、頼む」
ぼくは懇願せずにはいられない。眼前には、ナイフを掲げる黒い影。鼓動に合わせて、身体から血液が漏れ出ていく。もうやめてくれ。ぼくは泣きそうになる。
胸の肉がナイフを柄の手前まで飲み込んだところで、頬を衝撃が打った。その感覚は、先に負った刺し傷よりも強烈で、生々しくて。
再びぼくは、自分が大宮にいることを思い出す。毛塚クオンであることを思い出す。
「おい、大丈夫か。なあ、おい」
青ざめた顔で、長尾が覗き込んでくる。ぼくはいつの間にか、地面に転がっていた。
どうやら、頬を張って引き戻してくれたのは彼らしい。
ぼくは努めて冷静に、霊媒の結果を伝えた。
「――この人、もう亡くなっています」
3.幼年期の終わりは遠く
あの日。ぼくと長尾は、店もそのままにしてタクシーに飛び乗った。
運転手のおじちゃんは、手ぶらで秩父山地に向かおうとする二人組を不審に思ったようだが、事情を話して通じるはずもなかった。「先ほど霊媒を行なったところ、その相手が殺される瞬間を見まして」なんて。警察に通報したところで、イタズラと思われるのがオチだろう。まず、死体が無ければ話にならない。
そういうわけで、ぼくらは第一発見者になった。
そして不幸にも、犯人の女は死体を埋めている最中にぼくらと遭遇した。ギエエエと奇声を上げて襲い来る女を避け切れず、ぼくは側頭部にシャベルを食らった。腰の入った良いスイングだったのを今も覚えている。
そうしてぼくが昏倒している間に、長尾は女を拘束し、警察と救急に連絡し、一人で助けを待ち続けた――らしい。事の経緯を、ぼくは病院のベッドで聞かされた。この逮捕劇の立役者は、紛れもなく長尾だった。しかし、世間の注目はそれとは別のところに集まった。
ある占い師が、霊媒によって殺人現場を特定したらしい。
一体、どこから漏れたのか。その噂は瞬く間に、収拾不能なレベルで広がりを見せた。病室には代わる代わる記者やら刑事やらがやって来て、看護師と押し問答を繰り返す。その内、ぼくの方が追い返すのが億劫になって、自分の“芸風”について説明することになった。
「クオンさん、もう占い稼業はこれっきりにしましょうね」
病室から人の波が去った後、毛塚至が窘めるように言った。
彼は言ってみれば、ぼくの後見人だ。父・初継が自らの身代わりにと寄越した、分家筋の人間。伯従父にあたるらしいが、お爺ちゃんと言った方がしっくり来る。彼のおでこや頬に刻まれたシワは、洗濯板の溝みたいに深く広い。
「それは、おじさんの考え? それとも父の?」
「私の意見です。いくら検査で異常がないからって、無理をするべきじゃない」
「ま、あの男がぼくに興味あるわけないもんな。あるとすれば、ぼくの霊媒師としての才能だけだ。肉親としての感情なんか持っているはずがない……おじさんから言っておいてくれないかな。ガキを作っただけで親父になれると思うなって」
言いながらぼくは、自分の中にある怒りの感情に驚いた。
今更ぼくは、あんな男に何かを期待していたとでも言うのか。相手は、息子の口に死体の髪を捻じ込むようなクソ野郎だ。何をいまさら、拗ねた子どものように。
「自分の父親を『あの男』なんて言うもんじゃありませんよ」
「それを言うなら、おじさんもぼくに敬語なんか使うべきじゃない。本家だ分家だなんて時代錯誤だよ。いい加減、近代化した方が良い」
「仰ることは分かりますが、もう変えようのないことです。私は、生まれた時からずっとこうしてきました。この先もそうでしょう」
おじさんの顔には、何かを諦めたような憂いの色は見られない。
ぼくにはそれが、余計に悲しく思えた。
「だから、あの家はイヤなんだ」
「あなたの自律欲求の強さは十分に伝わってきましたよ。ですがクオンさん、これだけは覚えておいてください。あなたが自律を望むなら、才能に頼るのは止めた方が良い。普通に生きる道を探してください」
「自由になりたかったら、霊媒は止めろって? あれは毛塚の家のものだから?」
冗談じゃない。ぼくは十分、この才能に奪われてきた。
学校生活とか、交友関係とか。少年時代に謳歌できたであろう、ありとあらゆる“普通”から疎外されてきた。普通なんてものは、誰かの髪を介してしか観測できない夢物語に過ぎなかった。だから今度は、ぼくが奪い返す番なんだ。
ぼくは、この才能を自分の幸せの為に使い潰す。そうすることで、ぼくは奪われた全てを取り戻して見せる。これは復讐なんだ。
「……あくまで、一般的な物の見方ですよ。普通に生きるのは大変なものですが、案外、それが一番幸せかもしれないということです。つまらない説教でした、忘れてください」
おどけた口調の割に、おじさんの表情は暗かった。
ぼくは消灯時間までその理由を考え続けたが、翌朝になるとスッカリそのことを忘れていた。退院スケジュールに、その後の取材、長尾兄妹との外出など、目先のことに心を奪われていたからだ。ぼくはこのことを、後悔し続けることになる。
4.ぼくはロボット(じゃない)
有名人になって気付いたことがある。それは、霊媒はテレビに向かないってことだ。
あなたは不倫をしているとか、薬をやっているとか、隠し子がいるとか、間違えても言い当ててはならない。相手の意識を取り込んだ時に、ウッカリ睦言を口走るのも駄目だ。今は番組基準とか、都条例とか、色々とうるさい。だから、相手がどんなにいけ好かない野郎でも、社会的に抹殺しかねない記憶については言及してはならない。
そうなると、もうスタジオで霊媒なんかできたものじゃない。霊媒をした途端に、放送事故リスクの塊になるからだ。ぼくには、アドリブが許されない。要求されるのは霊媒能力でなく、演技力、体力、それに鈍感力。父さんの次は、放送作家の奴隷ってわけだ。
冗談じゃない、ぼくの番組だ。『霊媒! サイトスプーク』の主役はぼくだってのに。
「あのう、カミハミ様。あなたは本当に霊が視えるんですか? 幻覚剤などの影響ではありませんか?」
「そこらに漂っているものが視えるわけではありません。私はただ、他人の意識に共感することができるだけ。それ以外は、いたって普通の人間です。それと、これ以上なく正気です」
ぼくこと、カミハミ様は挑発には乗らない。そういうキャラ付けだ。
七色のロングヘアーの奥で、常に悠然と微笑みを浮かべる謎めいた青年。和製メディスンマン。視聴者が求める“カミハミ様”はそういうものなんだ。そんなことをディレクターは熱弁していた。こんな戯けた番組名をつけたヤツの言うことなど、腹の底ではアテにならないと思っているが、兎に角ぼくは役割に忠実だった。
目の前の学者崩れ――宇城兼近に、噛みつくことなく笑みを向ける。この一年で、アルカイック・スマイルもかなり板についてきた。
「ほら、この指が何本か分かります? 二本です、二本」
「ご心配なく。視覚に異常はありませんよ」
「らりるれろ、って言えます?」
ブチ転がすぞ、この野郎。台本と違うじゃないか。
演出助手にそっと目を向けると、彼女は必死の形相でバッテン印を掲げている。ぼくだけでも、筋書き通りに喋れということらしい。
良いですよ。ぼくはあいつの秘密を知っている。いつでも、致命打を与えることができる。その事実さえあれば、ぼくは誰だって仏の心で許すことができる。やってやるさ。
「らりるれろ、らりるれろ。さて、場も温まって参りましたし、そろそろ本題に入りましょうか。今回のゲスト、宇城さんです。なんでも、宇城さんは霊能力に対して否定的なお立場を取っているのだそうで……」
「はい。この番組は何度か見させて頂いてますが、どうも客観的評価が足りていないと感じています。この前、行方不明者を探していたら、白骨体が見つかった回がありましたね。アレなんかもね、正直疑っています。ヤラセじゃないかって」
笑えよ、毛塚クオン。ほら、スマイルだ。
「アレを仕組むのは、至難の業だと思いますが……」
「そうでもありません。たとえば、カミハミ様。貴方が死体を埋めたのなら、何の不思議もありません。元から場所を知っているわけですから」
「それだと、私が殺人鬼のようですね」
「ええ、そう申し上げたんです」
仏の顔も三度、だ。お前は四度、ぼくを侮辱した。
ぼくはもう、演出助手の方を見なかった。微笑みを浮かべたまま宇城の頬にゆっくりと手を伸ばし、それからそっと髪の毛を一本抜き取った。途端に宇城が、ギョッとした表情でこちらを凝視する。
「失敬」
「なにすんだ、アンタ!」
「失敬と言ったでしょう。さて、いざ実食です」
ぼくは宇城の毛髪を、口にポイッと放り込んだ。
舌の上で整髪料の味が広がって、思わず咽そうになる。髪を清める手順を飛ばしたせいだ。乱れかけた呼吸を押さえつけて、舌先に意識を集中させる。瞬間、ぼくは虹天球のもとへと落ちていく。
手順を違えたせいか、あるいは気が立っているせいか、いつもより時間が掛かる。仕事とはいえ、こんな奴と繋げるのは抵抗があるのかも知れない。
とっ散らかった思考を置き去りにして、感覚が宇城のものと同期を始める。
まず目の前に瞑目するカミハミ様、即ちぼくが見えた。七色そうめんみたいな頭しやがって。お腹が減ってきたじゃないか。早くこんな収録は終わりゃ良いのに――クソの役にも立たなそうな思念が流れ込んでくる。次だ。取り敢えず、手近な記憶を漁ろう。
今朝の記憶まで遡ったところで、ぼくはやっと当たりを引いた。
「『私のお皿を同じスポンジで洗うの、やめてくれない?』」
ぼくの口が勝手に言葉を発する。これは宇城の妻、サツキの言葉だ。
最近は、髪の持ち主以外を霊媒してしまうことも少なくない。ちょうどレギュラー枠を得た辺りから、ぼくの能力は右肩上がりに成長を続けている。いっそ怖いくらいに。
「『あんたの唾液を吸ったスポンジなんて、トイレの汚物入れに仕舞うのがお似合いだってのに。それがどうして、シンクにあるの?』」
言い過ぎじゃないかな。このままでは掴み合いになりそうだ。
しかし、口は勝手に動き続ける。何かがぼくの意思を超えて、身体をコントロールする。スタジオでは霊媒のフリだけをしろ、とディレクターに言われていたのを思い出す。迂闊だった。身体が椅子から立ち上がるのを、他人事のように感じる。
「あ、あんた、ウチに盗聴器でも付けてんのか……」
「『このごく潰し! ごく潰し!』」
怯えた宇城の顔が見える。これは現実か、それとも記憶か。
現実だろう。握った拳の感覚も、宇城の身体を打つ衝撃も本物そのものだ。
血の匂いがする。ぞっとするほど興奮していた。
「『ごく潰し! ごく潰し!』」
サツキは止まらない。止めることができない。
ぼくは、テレビ局員に取り押さえられるまで殴るのを止めなかった――らしい。
5.パペットマスターはもういない
あの時ぼくは、宇城サツキという女性に憑依されていた。
ぼくに落ち度があったとすれば、彼女を抑えることができなかった一点に尽きる。
こんな主張をすれば、当然、裁判官の心証は悪くなる。しかし、それが事実なのだから仕方がない。結局、ぼくは主張を曲げることなく、懲役刑を言い渡されたというわけだ。
丸刈りになった頭は落ち着かないし、いつも何かに身体を乗っ取られそうな気がして落ち着かない。ここにはパイプクリーナーも無いから、毎夜毎夜うなされることになる。
しかし、もっと酷いことがあった。それは刑務所に入ってから、誰も面会に来なかったということだ。父さんも、至おじさんも、長尾兄妹も、テレビ関係者も誰一人訪ねて来ない。そういうもんだと納得しようとしたが、やはりどうにも人寂しい。
だから、葛城フジカが面会にやって来た時には心が躍ったものだ。
ようこそ、ギブソンタックの君。
「ぼくのファンかな?」
ファンだろう。皆まで言わないでくれ、分かってる。
続いて出そうになった言葉を、危うく飲み込む。この時のぼくは精神的に不安定で、ハイになっていた。だから、彼女がアクリル板越しに警察手帳を見せてきた瞬間、ぼくのテンションは一息に萎えてしまった。
「……アンタらはぼくの証言を信じなかったから嫌いだよ」
「私は信じていますよ、毛塚先生。というか、もともと我々は貴方をマークしていました。芳賀ヒロキの一件からずっとね」
「どうだか」
「本当ですよ」
葛城は取り澄ました笑みを浮かべる。ぼくはこの表情を知っていた。
これは占い師の笑み。暴く側が持つ余裕の表れ。嫌な予感がした。
「我々は、貴方がパイプクリーナーなしで安眠できないことを知っている。貴方の好きなお酒も、行きつけの喫茶店も、講義でどの座席に座るかも全て把握している。パイプクリーナーを『シャーリーン』と呼んで可愛がっていたこともね。他にも聴きたいですか?」
「いや、もう結構。刑務官さん、今の書かないでくれよ」
部屋の端で聞き耳を立てている青年に声を掛けてみるが、しかし彼はスラスラと筆を走らせ続ける。ぼくの吐いた溜め息の回数まで書きつけていそうな勢いだ。
「ああ書くのね、そう……まったく酷い辱めだ。それで刑事さん、ぼくに何の用ですか?」
「霊媒師なら占ってみたらどうです?」
そう言って彼女は、一口サイズに切られた黒髪をデスクに載せた。平時であれば、カットの仕方におもてなしの心を感じるところだが、生憎と今のぼくは霊媒を恐れている。それを察しながら「占え」と言っているのなら、随分と良い性格をしている。
「遠慮しておきます」
「どうやら、霊媒がトラウマになったというのは本当らしいですね」
そら見ろ、知ってやがった。こうやって、掴んでいる情報を順繰りに確かめられるのは我慢ならない。檻に帰って、めそめそ泣きたかった。
言動を記録されているという状況だけが、ぼくの悟性を繋ぎ止めていた。
「あんな事件が起きれば、こうもなります。それに、今のぼくは見ての通り丸坊主だ。こうなっては、満足に霊媒できるかどうかも怪しい。ヒゲのない猫みたいなもんだ。霊媒を頼みに来たのなら無駄足でしたね」
お帰りはあちら、とドアを指さしてやる。すると葛城は頭を振って、
「霊媒も面白そうだけど、私がここに来た目的は別にある。まずは話を聞いてもらいたい。そして、もし協力してくれるなら見返りを用意する」
声のトーンが変わった。ようやっと、本題に入ってくれるらしい。
「見返りとは?」
「それを聞くと後戻りできなくなるけど、良いの?」
「じゃあ、まず取っ掛かりだけ」
海の向こうじゃ、超能力捜査官なんてのが一瞬だけ流行って消えたが、日本はどうなんだろうか。“カミハミ様”効果で、オカルトブームは九十年代以来の盛り上がりを見せているが、果たして。
ぼくの期待をよそに、葛城はあまり面白くない話題から切り出した。
「――君が収監されてから、一週間も経たない頃。君の所属会社は、早々にカミハミ様のグッズに関わる権利を全て手放した。そして、次に権利を手に入れたのがデネット・インダストリー。この会社が発売した、〈エクスピ〉という商品が外の世界で流行している。これのことね」
そう言って、葛城は虹色の髪束を差し出してくる。
安っぽい染色が施されているが、質感は本物の髪に似ている。よく出来た人工毛だ。
「カミハミ様の髪型を模した、いわゆるエクステだよ。君が表舞台を去ってから、世間では『カミハミ様はホンモノ故に消されたんだ』なんて陰謀論が広がっていてね。お陰で、デネット社は大繫盛だ」
「ヒットを喜べって話じゃないですよね」
「もちろん。この商品には、いわくがあってね。なんでも、着けた人間が何者かに憑依されるとか」
話がどこに向かっているのか、分かりかけてきた。
スタジオでの暴行事件が、ぼくの脳裏に蘇る。
「まさか……」
「そう、君の身に起きたことがそこら中で起きている。想像してみて。捕まった強盗が、痴漢が、誘拐犯が、口を揃えて『憑依のせいだ』って口にする様を」
「販売中止にできないのか?」
「おたくの商品は憑依を誘発するから、って? 冗談でしょ。今も本邦の法体系は、表向きには呪いや超能力の実在を認めていない。面白がってエクスピを買う馬鹿がいる限り、今後も憑依による犯罪は起こり続ける。直に、この社会は崩壊を迎えるだろうね」
葛城の表情が少し曇る。
聞けば、憑依による被害者はこの数日で加速度的に増加しており、確認されているだけでも日に百件は下らないという。揉み消すにも限界があるだろう。
「ぼく一人なら兎も角、数が増えると誤魔化しが効かないってわけだ?」
「それもある。でも何より我慢ならないのは、他人の身体で悪事を働いた人間が今ものうのうと塀の外で暮らしていること。許せないでしょ?」
「生憎、他罰主義にかまけるほど暇じゃないもので」
「そうも言っていられないと思うよ。はい、この人。誰だか分かる?」
次に葛城が取り出したのは、デネット社の役員一覧だった。その中には一人、見覚えのある人物の顔写真が映っている。宇城サツキだった。
「まさか、ぼくの商品で稼いでいるとは。皮肉なもんですね」
「この人の旧姓は分かる?」
「さあ、あまり深く潜らない内にこうなりましたからね」
手錠のジェスチャーをして見せる。
葛城は、察しが悪いとでも言いたげな表情で話を続けた。
「毛塚っていうの。毛塚サツキ。我々はこの女性こそ、一連の憑依事件の実行犯と考えている。これは貴方の家の問題でもあるってこと」
「彼女も霊媒能力を持っていると?」
「そう。君は多分、罠に掛けられた。思い出してみて。あの日、何か妙なことはなかったか」
あの日。論破師として悪名高い宇城兼近が来ると聞いて、ぼくは一抹の不安を覚えた。筋書きの通りに進めば、ぼくらの“対決”は両者にとって当たり障りのないエンディングを迎えるはずだったが、あのアマチュアが大人しく従うようには思えなかった。
揺ぎ無い自信が欲しかった。
相手の何もかもを見透かし、あらゆる秘密を手中に収める。それだけがカミハミ様に要求されるイメージであり、ぼくの存在価値だった。敗北した霊能者に価値などない。与えられるのは、ペテン師の汚名だけ。そんなのはまっぴらだった。
だから、あの日ぼくは――
「落ちてた髪を食べた。楽屋でだ。ちょうど、そこにあるエクスピと同じ感じだったよ。ああ、いま思い出した。スッキリしたよ。なんで忘れてたのかな」
「食べた?」
「ぼくのじゃないなら、ファンのかなって。ほら、力を貰えそうでしょう?」
「落ちているものを食べちゃダメって、お母さんに教わらなかったの?」
だが、ぼくはカミハミ様だ。髪を食むことでしか、他人を理解できない人間だ。
それに、「落ちているものを食べちゃダメ」なんて。そんなことを教えてくれる人は、ぼくの周りにいなかった。母はぼくを産んだ日に逝ってしまったし、父はむしろ積極的にそういう行為を勧めてくるような男だった。
「……いやぁ、すみませんでした」
「なんで急にかしこまるの。まあ、良いや。兎に角、これで線は繋がった。やはり、カギはエクスピにある。問題は仕組みだね」
「仕組み?」
「通常の霊媒は、能動的に他人の意識を取り込む行為。それに対して、いま外で起きている憑依というのは、受動的なものだ。言ってみれば、不正アクセスみたいなものだね。君たちは不用心にもウイルスメールを開き、外部から身体をハックされた」
「しかしウイルスと違って、霊媒は人対人の直接対決だ。何かが人間の代わりにやってくれるものじゃない。一度に乗っ取りを掛けられる相手は一人に絞られるんだ。どれだけ優れた霊媒師でも、日に百人もの人間を制御できるはずは――」
と言い掛けた時、ぼくは気が付いた。
そうだ、そんなものは人間業ではない。人間ではないのだ。恐らく、宇城サツキは一時的な中継役に過ぎない。彼女の裏で、人々を操っているのはより強大な力を持つ存在。そして、それは人間以外で唯一、毛髪を有している存在。
「虹天球、だ」
「なんて?」
「ぼくらが他人の意識を読み取る時、対面する存在のことだ。馬鹿でかい毛玉で、全体が虹色に光っている。覗きたい意識を念じてやると、虹天球はいつもそれを見せてくれる。言ってみれば、対話可能なアーカイブみたいなものだ。アレの力なら、複数人の意識をどうこうするくらい訳ないはずだ」
「つまり、君が食べた毛髪はそのゲーミング毛玉のもので、街で起きている事件はそいつの仕業だって言いたいの?」
そうだ、と頷いてやると葛城は軽く頭を抱えた。
「完全に私の理解を超えているね」
「そうかな、よくついてきてると思うけど」
「まあ、君のお陰でだいぶ敵のことを分かってきた。流石は専門家だね」
「いやいやそんな、大したことは」
ぼくは特大の笑みで、葛城の賛辞を受け止める。
さて、見返りというのはまだか。まだらしい。では訊かねばなるまい。
「……で?」
「で、とは?」
「見返りだよ。それなりにお役に立ったつもりでいるけど」
ああ、と気のない返事をして、葛城は書類鞄から真っ赤な封筒を取り出した。封筒の表には〈特赦状在中〉と記されている。ぼくは思わず飛びつきそうになったが、寸前のところで思い留まった。
「そう、正しい判断だね」
葛城はまた例の勿体ぶった笑みを浮かべながら、封筒を少しずらして見せる。すると、その下には『SKINs 初号作戦 概要書』の文字が並んでいる。
「赤い封筒を選べば、君は晴れて釈放となる。ただ、その代わり君には引き続き、我々の作戦に協力してもらうことになる。エクスピ製造工場の急襲に同行するんだ」
「物騒なのは御免だ、と言ったら?」
「こっちの青い封筒を選ぶと良い。中には、君の優遇区分を上げるよう記した推薦状が入っている。これで月二回は、嗜好品を買うことができる。まあ、この国が無政府状態にでもなったら無意味だけどね」
期待通りの展開だというのに、ぼくは何とも言えず硬直してしまった。
いざ自由になったとして、自分に何が残っているのか。そのことを考えると、途端に憂鬱になってしまった。
「赤を選ぶべきだって言いたいんだろ?」
「そうは言わない。君が選びたいなら別だけど」
葛城はのんびりした調子で答える。
いっそ脅してほしかった。協力しなければ懲罰房に入れる、とかなんとかって。
そうすれば、きっとぼくは役割を果たすだろう。今までそうしてきたように。
「正直言って、ぼくは外に出たって巧く生きていける自信がないんだ。もう霊媒で食っていくこともできないし、頼れる者も多分ない。だから、赤も青も同じようなもんだ。どうせ最後にはここを出ていくことになる。現実と向き合うことになる」
「じゃあ、その過程くらいは自分で決めたら良いんじゃないの。私は別にどっちでも良いよ。君なしでも作戦を成功させる自信があるしね」
清々しいくらい傲慢に、葛城は言い放った。
その様子にムカッと来たのか、はたまた羨ましくなったのか。なんにせよ、ぼくは赤い封筒を手に出獄することになった。一生の不覚だった。
6.霊能者・毛塚クオンの葬送
眠らない工場群。京浜工業地帯。かつて国内最大と謳われたこの不夜城も、過密に育った生産能力が土地と水源を圧迫し、今やその機能は各地へと分散されつつある。滅びの美学だ、とヘリの中の誰かが言った。別の誰かが、テーマパークだと言い返した。
ぼくはそれには応えず、眼下の景色に目をやる。
工場はさながら電飾照明を散りばめたように煌びやかで、製油所は怪獣みたいにぼうぼうと火を噴き続けている。ぼくには、この街が死にかけているようには見えなかった。賑やかしで輝いているようには見えなかった。事実、そうであるはずだ。
「デネット社は最近、工場機能の一部を川越からこのエリアへと移した。材料の流れから見て、虹天球があるのはこちらと見て間違いないだろう。内偵によれば、工場内部で虹天球を搬入・格納できる箇所は一階南東の区画のみだ。まず第一班が工場に侵入し、この区画上部にある搬入口を開放。続いて、われわれ第二班が搬入口より侵入し、各区画を抑えていく」
質問がある者はいるか、と付け足して葛城が機内を見渡す。
ぼくはそろりと手を挙げる。
「この中に、操られている人間がいない保証は?」
こんな質問をしたら皆が疑心暗鬼になるのではないか、という不安もあったが、聞かずにはいられなかった。宇城サツキは虹天球の毛髪一掴みで、ぼくの意識を乗っ取って見せた。資質のない者であれば、抵抗もできずに身体をジャックされてしまうだろう。
霊能者の前では、鍛え上げられた上腕二頭筋も意味をなさない。
必要なのは、霊媒の経験と精神力。後者については、ぼくも欠けていたが――
「勿論、ある。ここにいるメンバーはみな、口頭試問による本人確認を受けているし、脳波測定で異常がないことも確認されている。君も検査を受けただろう?」
「そんなんで安心できるんですか」
「念には念を入れて、頭髪をスキンヘッドにしている」
「それで組織名がスキンズなんですか?」
周囲のメンバーが、堪え切れずといった様子で笑い声を漏らした。
葛城はひとつ咳払いして、話を続ける。
「特種人類監視網の略だよ。まあ兎も角、私も含めてみな打てる手は全て打っているということだ。この事件では、内定調査中に行方不明者も出ているしね。何が起きるか分からない」
「え」
そんな。そんなことって。ぼくは愕然とする。
「葛城さんもスキンヘッドなんですか?」
「そうだ。面会に行った時はウィッグを被っていた」
「なんということを……」
許せない。髪は命なんだ。それを奪うというのなら、デネット社はやはり敵だ。
「葛城さん。ぼく、やります。失われた全てのものの為に」
「よく分からないが、その意気だ。さて、搬入口が開いた。降下するぞ」
ヘリが高度を下げる。ぼくたちはワイヤーを伝って、工場内部に舞い降りた。
手筈通り、区画内の照明設備はオンに切り替えられていたが、しかし、そこには待機しているはずの先行班がいなかった。あるのは、そびえるような虹色の球体、虹天球のみ。
「今日はお客様が多いな」
その声はSKINsのメンバーのものでもなく、宇城サツキのものでもなかった。
それは、忘れようもないあの男の声。
「……父さん」
ぼくの父、毛塚初継が物陰から姿を現した。
彼の足元には、先行した面々が倒れている。
「久しぶりだな、クオン。まさか、出所していたとはな。知っていたら、お祝いに行ってやっても良かったのに」
嘘だ。この男は一度だって、ぼくのお祝いをしたことがない。
誕生日も、入学式も、成人式も、一度だって。軽口にしても腹が立った。
「どうして、ここに?」
「決まっているだろう。虹天球に仇なす不信心者を一掃するためだ。お前もその一員だというなら、ここで消えてもらうことになる。さあ、どうする。私に従うと誓うなら、また手元に置いてやっても良いぞ」
ぼくはもう一度、転がっている隊員たちに目を向けた。みな、力なく震えている。
いや、違った。震えているのはぼくだ。怯えているのはぼく。そんなのは冗談じゃない。
「冗談じゃない。アンタは、ぼくの敵だ」
「そうか。では、サツキ。やれ」
視界の外から、虹色の馬鹿でかい鎧が降ってきた。そいつは弾丸をものともせず突進し、隊員たちを薙ぎ倒していく。そして、すぐさま照明の届く範囲内から離脱して見えなくなる。手には、奪い取ったヘルメットをぶら提げて。
「しまった、植えられた!」
悲鳴を上げた直後、その隊員はビクンと身じろぎする。そして、次の瞬間にはぼく達に向かって銃口を向ける。彼の頭頂部には、オシャレした波平さんみたいに虹色の毛が突っ立っている。
「恐ろしく速い植毛!」
「そうだ、これでこいつらは我々の操り人形だ。命が惜しかったら、仲間をその手で撃ち殺すのだな」
距離を取ったぼくたちを、父の声が嘲笑う。
葛城は舌打ちして、ぼくに言った。
「言いたかないけど、君のお父上はとんでもないクソ野郎だね」
「まったくだ!」
止めを刺そうと突っ込んでくるサツキの前に、ぼくは仁王立ちで立ち塞がった。
隊員たちが何事かを叫んでいるが、頭に入ってこない。
「馬鹿なひと」
ぼくの頭部を捕らえて、サツキが勝ち誇った声を上げる。
「――アンタがな」
ぼくはメットのバックルを勢いよく弾く。そして毛を植えられるよりも速く、サツキの腕に噛みついた。それは、六カ月と十五日ぶりの食毛行為だった。
虹色の毛は、ケミカルな見た目に反して野性的な味わいをしている。まるで、生の川魚のようであり、酸っぱくなった牛乳のようでもある。ようは、冷蔵庫みたいな味ってことだ。ぼくは前にも、こんなものを口にしたのか。
自分の記憶に注意を向けると、途端にぼくは落下を始める。自らの記憶の中へ。
まず見えたのは、ぼくが宇城兼近を殴りつけている姿だった。ぼくを見つめる全ての視線が告げている。あの男は狂人だ、あの男はやはり壊れている。その通りだと、ぼくは思った。思った瞬間に場面が変わり、ぼくは自分が壊れたきっかけに対面する。
それは、父さんがぼくの口に毛髪を捻じ込んでいる姿だった。記憶の中で、父は言う。お前が生まれて母さんが死んだ。だからお前は、母さんにならなくちゃいけない。代わりじゃなくて、そのものにな。幸運なことに、お前には才能がある。いっぱい食べて、立派な霊媒師になるんだ。お前の成長が、私の生きる望みになるんだ。
「ひどい記憶しかないね」
いつから傍にいたのか、母の姿をした何かが笑い掛けてくる。写真でしか顔を見たことがなかったが、それでも目の前のコレが母でないことは直感的に分かった。
「お前は……」
「私たちはずっと君を見てきた。君が私たちを知る前から、霊媒を身につける前からずっとね。だから私たちは、君の不幸を知っている。才能に呪われていることを知っている」
「だったら、ぼくがそういう見透かしたようなセリフが嫌いだってことも知っているだろ。なあ、虹天球」
無論だ、とそれは――虹天球は微笑む。
「ぼくがここに何をしに来たかも分かっている。そうだな?」
「もちろんだ。だけど、良いのか。それをすれば、君は平凡になる。今より弱く、今より無価値になるんだ。それでも、君はやるのか」
黙って頷くと、ぼくの意識は浮上を始める。母の姿が遠のいていく。
そうして瞼を開くと目の前にサツキが転がっていて、憑依されていた隊員たちは訳の分からない様子で立ち竦んでいた。ぼくはゆっくりと、父の元へ歩き始める。
「これでアンタの手駒は無くなった。大人しく投降しろ」
「私を捕らえて、それでどうなるって言うんだ。虹天球は既に、何万もの意識を取り込んでいる。これからも取り込み続けるだろう。それはお前の功績だ、クオン。お前のお陰で、みなが髪の力を認めるようになった。人々は虹天球による憑依を、集合意識を受け入れてくれるようになった。あと、もう少しなんだよ」
「何のことだ?」
「分からないのか。全人類との意識統合が成れば、虹天球はかつての力を取り戻す。そしてヒトは、死者の意識とも触れ合えるようになる。母さんにまた会えるんだ」
そうだよな、アンタはずっとそれだものな。
かつて人類は一つでした。一つの意思、一つの言葉でたくさんの身体が動く、一個の生物でした。そんな話を聞かされたことがある。父がぼくに聴かせた、唯一の昔話だった。
「みんなで繋がろう。そうすれば、きっと幸せになれる。なあ、クオン。頼むよ」
「父さん」
今やぼくには、父が哀れに見える。
この男はきっと、一人ではお別れができないのだろう。だから、やはりぼくがやるしかない。ぼくはそっと、父を抱き寄せる。そして、夜空の下で声を上げる。
「ぼくの答えはこれだ。『シャーリーン』!」
それは、葬送の合図だった。
輸送ヘリが搬入口の真上にやってきて、懸架していたバルーンをパージする。そいつは数秒の落下の後、空中で豪快に爆ぜた。
そうして空から、パイプクリーナーが降り注ぐ。
「さようなら、母さん」
気が付くと、ぼくは涙を流していた。
さようなら、母さん。
さようなら、霊能力。
さようなら、カミハミ様。
「ああ、そんな。逝かないでくれ。やめてくれ」
溶け落ちる虹天球を見上げて、父が泣きじゃくる。
ぼくらは、子どものように泣き続けた。
いつかは、この涙も枯れるだろう。
〈了〉
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