跳んで☆埼玉マルチバース
ここでなければどこでも良い。どこへなりとも行ってやる。
幼い頃はそんなギザギザハートの持ち主だったが、まかり間違って県知事直轄の秘書課勤務になってしまった哀れな男。それがこの私、戸塚安行である。一体、どこで道を誤ったのか。
中高大一貫の地元私立に入学した時か。
親父が無理して、新都心の分譲物件を買った時か。
あるいは、埼玉出身の両親のもとに生まれ落ちた時か。
思い当たる分岐点は無数にある。そして、その結果の積み重ねが今の私だ。後悔はしているが、落ち着く所に落ち着いた感じもある。だが、納得はしていない。そんな私のもとに、次元跳躍装置のテスター依頼が舞い込んだのは運命だろう。少なくとも、三十分前はそう思っていた。あまりにもアッパラパーだったのである。
「パラレルワールドを股に掛け、埼玉の可能性を追究する。それが君のミッションだ。さあ行け、戸塚くん。無限の埼玉が君を待っている!」
埼玉県庁、知事室。水野知事は満面の笑みでチョーカー型の子機を渡してくる。
「なんかこう、絶妙にときめきませんね」
私は、反射的に本心を口にしていた。
次元跳躍という言葉でもっても、まったくドキドキしないとは流石は埼玉である。いっそ、誇るべき特色の一つと言って良いだろう。埼玉が無限にあったって、そこにある可能性はゼロだ。ないものはない。何事も諦めが肝心である。
私は急速なモチベーションの低下を感じていた。そして、それはきっと表情にも表れていたが、水野ときたら素知らぬ様子である。
「さあ行け、戸塚くん。無限の埼玉が君を待っている!」
気に入ったのか、それ。信じらんねぇ。
「嫌ですよ。どうせどんな歴史を歩んだって、埼玉はこんなザマになっちまうんだ」
「なんてこと言うんだ!」
「本当のことだろ! 埼玉は寝に帰る街だ。寝具しか置けない、売れ残りの格安賃貸が埼玉の最小単位なんだ」
「ええい、黙れ黙れ。こうなったら意地でも君に行ってもらう。おい者共、かかれかかれい」
話を聞けない人間は、指導者としてどうかと思う。落選しちまえば良いのに。
私は同僚たちによって簀巻きにされ、無理やりチョーカーを装着されてしまった。
「君は埼玉生まれの埼玉育ち。生粋の玉っ子だ。なんだかんだと埼玉が好きなんだろ?」
「多摩っ子みたいに言ったって、埼玉の野暮ったさは――」
と言い掛けた所で、水野がチョーカーを起動した。その途端、排水溝に頭から突っ込んだような閉塞感に飲み込まれ、私は意識を失った。そして気が付いた時には、解体中の県庁舎の中に転がっている。跳躍先の安全管理には改善の余地あり、と心中でレビューしながら私はその場を脱した。こうなれば、さっさとテスターとしての役目を終える他ない。そう、何度も言うように何事も諦めが肝心なのだ。
さて。困ったことに――というか危惧した通り、どの世界でも我が故郷は似たり寄ったりの有り様であった。すべての埼玉でイオンモールは幅を利かせていたし、レッズファンとアルディージャファンは犬猿の仲だった。川口市はどの世界線でも「お願い住んで川口市」を公式PRメッセージにしている。呆れを通り越していっそ感心するほど、埼玉は埼玉だった。
異変が生じたのは、512回目の次元跳躍の時である。その世界の埼玉――仮に埼玉512号と呼ぶが、これは観光立国に成功した埼玉だった。
そこには、大宮マリンタワーがある。
埼京ディズニーシーがある。
荒川アクアラインがある。
住民曰く、一都三県のうち埼玉を除いたすべてが地盤沈下を開始したのは三年前のこと。その直後に、件の建造物群は雨後の筍のように建設されたという。
「そんなに海が無いのがコンプレックスだったのか、埼玉県……」
あまりにも節操がない。悪夢のような光景に呆然としていると、チョーカーから水野の嬉しそうな声が聞こえてきた。
〈これだ。これこそ私が求めた埼玉だ。よくぞ見つけてくれた〉
「満足したなら、戻してもらって良いですか? いい加減帰りたい」
そしてその足で退職願いを出してやる、と言うのはぎりぎりで堪えた。
〈それはならんな。これから我々は、こちらの埼玉をそちらと同じにするのだから〉
「……どういうことです?」
〈君の位置座標をもとに、東京をそちら側にジャンプさせる。次は神奈川、最後は千葉だ。それで天下は我々のものになる〉
「馬鹿なことは止めろ。こんなもの何の価値もない。聞いているのか、水野。おい!」
回線は無情にも切断された。今ほど、故郷が恋しい時はなかった。
あちらの埼玉には確かに何もなかったが、そんなことはどうでも良い。私は、大宮マリンタワーなんて要らない。埼京ディズニーシーも、荒川アクアラインもくだらない。
私に必要なのは、辟易するほどのイオンモール。あるいは、レッズとアルディージャの小競り合いだった。そうだ、私は何もない埼玉を愛していたのだ。
ああ、東京が空にワープアウトする――
文字数:1998
内容に関するアピール
埼玉の名産品と言えば、深谷ネギと自虐ネタ。
埼玉の観光地と言えば、秩父と川越。たぶん、その辺りです。
捻り出せばもっと出てこなくもないのですが、捻り出している時点でなにか負けている気分になります。だから、考えません。考えたくない。ぼくたちは負けていない。
無敵のマインドを得た今、他県のことなどは最早どうでも良いことですが、やはり千葉に対しては思うところがありました。「どうせ千葉にあっても良いのなら、埼玉にディズニーを寄越しやがれ」というものです。この辺りは、作品内に落とし込めたので大変に満足しております。“埼京”ディズニーシーとしたのは、埼玉県民としての良心とプライドがあった為です。見習ってほしい。
冗談はさておき、本作を通して埼玉県民の奥ゆかしい愛情を感じて頂ければと思います。
文字数:340