梗 概
屍肉を啄む
二十年ほど前、世界中でとある病が蔓延した。
その病に感染した者は生体活動が止まり、理性を失い他人を襲うようになる。創作上で語られるゾンビと化した。我々が知ってるゾンビと違うところは、強い感染力で空気感染すること。そして地上に感染者しかいなくなると共食いを始めるようになり、正気に戻る人々が現れたことである。症状を抑えるためには感染者の肉を喰う必要があったのだ。
米国西部、夜に電気で明かりを灯せるほどに文明力が回復した集落でノーラは暮らしていた。この集落では通常の食料と彼らの肉が分配されているが、その量は階級によって変動する。
幼少の頃、ノーラの父は片足を失っており、階級が低く配給は滞りがちだった。父はわずかな肉をノーラに譲り、発症すると集落の指導者たちの指示のもと食料として連れさられた。この出来事をきっかけに、ノーラは指導者たちへの復讐を誓った。
ノーラは集落に面従腹背、階級を上げて今では肉の管理に従事している。地下に捕らえた集落への襲撃者に普通の食料を与え、発症するまで見張る仕事だ。健康な人間の肉では発症を抑えることはできなかった。
ある日、外の見回りに人手が必要とペアで行うはずの食料管理で一人になる時間が訪れる。代役が来る間に捕虜の一人が命乞いを始めるが、ノーラは復讐に協力することを条件に受け入れた。
それから一ヶ月、捕虜たちに通常一、二週間で現れる症状が現れず指導者たちは困惑する。通常の食料は備蓄に困らないが発症者の肉は減っていく。指導者たちは低階級層への肉の配給ペースを減らすことを決定、集落は分断を見せ始める。
そんな折、発症者の集団が集落に向かっていると情報が入る。肉の確保のため、指導者は出せるだけの人員を迎撃に向かわせた。集落に残った人々は非戦闘員と指導者に限られた。地下の捕虜はノーラの手によって解放され、彼らは戦闘員が戻ってくるまでに指導者たちを拘束する。
ノーラが企てたクーデターは成功し、彼女は新たな指導者の一員となる。彼女は捕虜たちを解放、彼らは集落を襲った発症者が所属していた集団であったことを知り、ノーラに襲いかかるが射殺される。困窮した集団の現状を知りつつもノーラは復讐のために集団を見殺しにしたのだ。
指導者たちは地下に捕らえられた。ノーラが面会に訪れた際、捕虜に症状が現れなかった理由を問いかける。幼少の頃、感染者の肉を喰らった鳥を食べて発症を免れていたため、捕虜たちにも同様のことをしたとノーラは答えた。そしてノーラは指導者たちに手を下そうとするが食料を無駄にするなと彼らに忠告されて葛藤の末、手を止める。
集落には、飼育している牧畜の肥料に発症者の肉を加える習慣が生まれた。ノーラの望みは指導者に無意味な死を与えることであったが果たされず、元指導者たちは発症次第飼料となった。彼らの命はやがてノーラを始めとした人々の血肉になっていく。
文字数:1197
内容に関するアピール
「いただきます」は食材への感謝の意を含むということで食事は一種の弔いだなあと思いました。よって今回はゾンビです!
ただしゾンビが食事をしても弔いにはならないので食べられるのはゾンビの方、そろそろ人間がゾンビを食べちゃってもいい頃合いだと思います。
構成として、冒頭はノーラの幼少期の話から始めて設定を提示。その中で梗概では終盤突然出てきている、感染者の肉を食べた鳥を狩る話の挿入を考えています。
文字数:197
屍肉を啄む
荒れ果てた平原が広がる街の郊外に一組の父娘がいた。
二人は草むらに身を隠し、十五メートルほど先、死骸に群がる鳥を観察している。
男には右足がなかった。十年前に起こった〈感染拡大〉、その影響によって切除せざるをえなくなった。移動には日頃から杖を使っているが、今は娘に杖を預けてライフル銃を構えている。
地面に伏せて、狙いを定める。
「レクチャーだ。よく見ておけ、ノーラ」
ノーラと呼ばれた娘は頷き、真剣な眼差しを父に向ける。
これから行うことをまだ七歳を迎えたばかりの我が子に見せていいものか。生まれた逡巡がトリガーにかける手を緩めるも、所詮旧世代の持つ古い価値観でしかない。世界が定めた残酷を相手に生き延びるためには学ぶべきことはやまほどある。
息を止めて数秒、引き金をひく。
ぐぁう!
短い叫びを合図に鳥の群れは一斉に飛び立っていく。残されたのは屍の上に横たわる一匹だけ。
銃口から放たれた弾丸は一匹の鳥の胴体を貫いたのだ。
緊張の一瞬が終わり、大きく息を吐いてライフル銃を降ろすと、娘が勢いよく抱きついてきた。
「パパ、すごい!」
「そうだろう、だってノーラのパパだからな」
男は言い終える前にゴホゴホと咳きこむ。
「ごめんなさい……」
バツの悪そうな表情で離れるノーラ。ここ数日、父が体調を悪そうにしていたことを思いだしたのだ。
「ノーラは悪くないさ。鳥を捕まえて街に戻ろうか」
娘に預けた杖を受け取って移動を始めた。獲物やライフル銃はバックパックに収めている。歩き出す前、ノーラが荷物を持ちたいと志願していたが、彼女が思うよりも重かったのだろう、力負けして動けなかった。結局父が運ぶことになったが、我が子の納得を勝ち得るには新たな役割を与える必要があった。
一足先に先を走っていたノーラが戻ってくる。
「奴らの姿はなかったよ」
「よし、じゃあ進もう」
ノーラを斥候にして街への帰り道を歩く。
街までの距離はせいぜい二キロ、男の位置からも街までを見通せたので実際の危険はないと判断した。
問題があるのは体力の方。杖を使うには向かない悪路を進むには限度があった。途中で休憩をはさみつつ一時間半ほどかけて街の門に到着した。
門は木材や金属を使って補強されていた。〈感染拡大〉以後の精神性を映し出すように扉は閉ざされている。「帰ってきたぞ」と父が門に向かって声をかけると、門の側に建った見張り台から人が現れる。
「帰るのがもう少し遅けりゃくたばってると思うとこだったぞ」
「徒歩がノロいもんでな。ノーラ、あいさつしなさい」
父と気安く話していた男はノーラも知っている顔だった。
千人程度の規模の街だ。たいていの人は顔見知りではあるけれど。
「ダニーおじさん、こんにちは」
「こんにちは。おじさんのことは覚えててくれてたかい」
名前を思い出すのに少し時間はかかったが言わぬが花。ノーラは「うん」と返事をする。
「しかし現場にいるなんて珍しいな。偉い人との話し合いはないのかい」
「ツラを並べても事態は動かないからな。お前とおんなじで息子に仕事を教えてたんだよ」
そういうとダニーは「グレン」と呼びかける。
ノーラより一つ年上のはずの少年が見張り台から姿を見せる。二人に向かって軽く頭を下げると姿を消した。
「すまんな、なんだか最近反抗的で。今日も言うことを聞きやしねえ」
「なに、俺もあれくらいの年ごろのときは似たようなもんだったさ」
父はそういうなりまたもや咳きこんだ。
「体調が悪いなら早く帰ったほうがいい。門を開けるよ」
「すまない、そうさせてもらうよ……」
その後、二人が二言三言言葉を交わすと父娘は門をくぐった。
街外れにある荒れた外見の一軒家。二人の家に到着すると父はすぐに横になって眠りについた。ノーラは父の言付けにしたがって家の片付けをする。数時間後に父が目を覚まして料理にとりかかる。ノーラは間近でその手付きを観察していた。いつもながらの雑な手つき、繊細さとは無縁の味わいがノーラは好きだった。だが、一刻一刻近づいてくる食事の時間は彼女の心を憂鬱にさせた。
盛りつけられた料理が並ぶなか、ノーラの目の前の皿には異臭を放つ真っ黒い物体が置かれている。干し肉、しかし腐っており口にしてしまえば害となるのは明白だ。先週口にして一日中腹を下したことは記憶に新しい。先週父が言っていたことが脳裏によぎる。
「すまないな。こんな足でなかったらもっといい肉ももらえるだろうに……」
住んでいる集落では、果たす役割によって階級が定められていた。ノーラはまだ子どものため役割は存在せず、父は片足を失っているためときどき割り振られた業務をこなしていた。それでも二人の生活に不自由はなかったのだが、変化が訪れたのは先週から。肉の備蓄が減っているため配給に制限があると知らせがあったのだ。それから配られるようになったのが腐った干し肉。食糧難といっても肉のみで、他の食材には影響はない。食べなければいいだけだろうとノーラは思うのだが、父はわずかに配られた肉をノーラに押しつけた。
「どうした。肉も食べないか」
ノーラが異臭の発する干し肉を敬遠していると、父が口を開いた。
その声は優しさをかけらも感じず、彼女にとって残酷な宣告だった。先ほどまで優しかった父の面影はどこにもない。手が震え、脂汗を浮かべて干し肉を口に運ぶ。耐え難い悪意のような酸味が口に広がり、すぐに吐き戻してしまう。
「食べられないよ……」
「ダメだ、食うんだ」
目に涙を浮かべて父に懇願するも願いは聞き届けられることはない。
「そういうならパパも食べてよ! どうして自分で食べないものを食べさせようとするの?」
「これはお前が食べないと意味がないんだ」
意味って何? 問いかけたかった言葉を飲み込んで食事に戻る。
先週から夕食の時間は地獄の時間と化した。
肉を食べさせたいなら今日捕まえた鳥を食べればいいだけじゃない。毎日狩りに行けばそれで解決でしょう?
一足先に食事を終えて父が席を立つ。その瞬間を見計らってポケットに準備していた袋で肉料理を包みとった。先週お腹を下してから実践している、父にバレずに夕食を終わらせる苦肉の策だった。
「パパ、食べたよ!」
ノーラの言葉に父は振り向いた。
その表情が歪む。うめき声をあげてもだえ苦しみだし、持っていた皿が床に落ちて割れる。
彼自身も床に倒れこんだ。ノーラは慌てて父のもとに近寄るが、大きく痙攣したのを最後に一切の動きを止めた。
「パパ、どうしたの? パパッ!」
呼びかけても一向に反応を見せない。
なにかまずいことが起こっている。ノーラの心中が焦燥に満ちていく。
誰か大人を呼んでこよう。彼女が結論を出したその時、父が目を開いた。
「よかった! 大丈夫なんだね、パパ!」
ノーラは安堵からか涙を浮かべ、仰向けに倒れているその胸元へ抱きついた。
対して父は顔を上げると、娘の肩に勢いよく噛みついた。
「あああああああああ――ッ!!」
肉を抉り取らんと食い込んでいく痛み。十にも満たない小娘がこれに耐えられる道理はない。ノーラはわけもわからず叫んだ。
両手で父の背を叩いて抵抗を見せるが、大人と子供の体格差だ。無意味に等しい。
「パパぁ、痛いよ……、やめてよぉっ!!」
願いが通じたのか。顎の力がわずかに緩み、ノーラは拘束を抜け出して距離をとる。
父はうつ伏せに倒れ込み、顔を上げた。そこに理性はない。ノーラを解放したのは正気を取り戻したからではなく、獲物にとどめを刺すためだった。爪を立てて這いずり娘に近づいていく姿は獣のよう。
ノーラはその場にしゃがみこみ、頭を両手で覆い隠す。父ならば殺されてもいいと諦めたのではない。ただの現実からの逃避だった。
父が娘の首筋を食い破ろうとする。
しかし、その瞬間は訪れない。
数秒前、扉を蹴破って数人の武装者が二人の家に乗り込んだ。彼らはすぐに状況を悟り、持っていた銃で父の頭を撃ち抜いた。飛び散った血がノーラの服を赤く染めた。
「あ……、ァあ…………」
呻き声をあげたのを最後に父は動きを止める。ノーラの足元に彼は横たわった
武装した集団が二人を取り囲む。父が動かなくなったのを確認すると、武装集団の一人が彼女に呼びかけた。
「ノーラちゃん、無事かい?」
聞き覚えのあるその声は、昼に出会ったダニーのものだ。
「パパが、パパがぁああ……!」
「落ち着いて。大きく深呼吸をするんだ」
混乱しているノーラを宥めつつ、肩にできた噛み傷の状態を見た。傷痕は残るだろうが命に別状はないだろう。ダニーは安堵する。
一方、他の武装者たちはノーラには関心を向けず、死体を彼女のそばから引きずり離す。
「久々に新鮮な肉が手に入ったな」
「ああ、とっとと処理しようぜ」
集団の一人が鉈を持って構えると、周囲の人たちはこぞってはやしたてる。
大きく騒ぎ出す声に反応し、ノーラは思わず顔をあげた。その瞳は涙で濡れている。
男が首に向かって鉈を振り下ろした。
「見ちゃいけない!」
ダニーはノーラの視界を塞ごうとする。だが彼の動きは一歩遅かった。
少女は見る。見てしまう。その光景は忘れることができないだろう。
実の父がかたちを変える姿を、首が胴体を離れる瞬間を、獲物を仕留めた喜びから高笑いをあげる集団を。
残酷な現実を前に、少女は誓った。
必ず復讐をしてやる。パパを殺したお前たちを絶対に許すものか。
殺す! 殺してやる! お前たちにふさわしい無意味な死を、意味のなさない死を与えてやる!
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二十年前、世界規模で奇妙な病が蔓延した。
その病は感染した人に満たすことのない飢餓感を植えつけた。症状が進行するにつれてせん妄状態に陥り、最終的には呼吸が止まり仮死状態に陥る。死体同然の状態で彼らは再び目覚めるが、意識を持たず他人を襲う化物に変わる。その姿は人々の目に、創作で描かれるゾンビ同然に映った。
発生源すら特定できない未知の病、人々は抵抗するすべを持たなかった。作り話のゾンビウイルスと違い、この病は強い感染力を持ち、空気感染で広がっていった。数年と経たぬ間に、地上から無事な人間がいなくなると、発症者たちは共食いを始めるようになり、症状が収まって正気に戻る者が現れた。
症状を抑えるためには、発症した人間の肉を食べる必要があったのだ。
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「おい起きろよ。時間だぞ、ノーラ」
呼びかけられて意識が浮上する。
目覚めの気分がここまで悪いのは久しぶりだった。原因ははっきりしている。十年前の出来事が夢に出てきたからだ。
「ようやく起きたか」
男の顔が目の前にあった。思わず枕元に放置していた雑誌を顔面に叩きつける。
「うぉあっ!!」
男がのけぞり、尻もちをついて倒れる。
その間に、私は脱ぎっぱなしにしていたシャツを着た。
こいつに肌を見られたところでどうでもいいが、肩に残った傷痕は人の目に晒したくはなかった。
だが、こいつは床に落ちた本を手に取り興味を示していた。以前廃墟で拾って暇つぶしに読んでいた雑誌。巻頭は過激なグラビアが並んで、以降は〈感染拡大〉以前の事件なんかがつらつらと書かれていて退屈だった覚えがある。男はそんな本を押っ広げて「ほう……」と声を漏らしていた。それは自分より一つ年上とは思えない、情けない姿だった。
「グレン、レディーの家に無断で入っていつまでいるつもり?」
「それよりこの本もらってもいいか?」
「いいからとっとと出てけ!」
グレンは雑誌を胸に抱えて家をでた。雑誌は読み切ってなかったが、もういいや。
窓から空を覗くと、いつもより太陽が高くのぼっていた。どうやら寝過ごしてしまったようだ。いくらグレンといえども理由なしに家に入り込むことはないはずだ。少しだけ罪悪感がわいた。
ともかく、仕事の時間が迫っているのは確かだろう。急いで身支度を調える。机の上に放置していた護身用の拳銃をリュックサックのポケットに差し込んだ。冠された名の通り護身用の自動拳銃。バレルが短くコンパクトな銃身から放たれる銃弾は、威力・命中精度ともに心もとない。
グレンはかつて大量に流通していたというアサルトライフルを身につけているというのに、私が火力のある銃を扱うのは許せないらしい。かつて上の人間に訴えたこともあったが、渋い反応が返ってくるばかり。街を運営する最高階級、いわゆる指導者たちは男ばかり。女性の戦力をコントロールをさせたいのだとすれば、馬鹿らしい話だ。家のロッカーには、父がかつて使っていた猟銃や捨てられていた銃など街の管理下にない銃たちが眠っている。
準備を終えて家を出ると、グレンは暇つぶしに本を読んでいた。街の中心部を経由して仕事場へと向かう。父と住んでいた我が家は人気のない地区に建っているため崩れた家々も多く荒れ果てているが、中心部は補強された建物が密集し、人の往来も多く活気に溢れている。彼らのほとんどが街一番の広さを誇る集会場に足を運ぶ。
仕事道具を受け取るため集会場に入るが、外の通り以上に人が密集していた。私たちのように仕事前に経由する人もいれば、仕事を探しに訪れる人、食事をするためにやってくる人などそれぞれ目的も違う。夜になったらなったで酒場へと姿を変えるため、一日中喧噪が止むことはないと聞く。ここで働く人はさぞ大変なことだろう。
私は決められた受付へと向かって一言言葉を交わして仕事道具を受け取った。すぐに人混みを離れて街の西部にある仕事場へと向かった。私の住まいと同じく人気は少なく過疎地である西部。数階建ての住居が劣化しつつも姿を保ち、群れを作っているのは大きく違うけれど。そしてその建造物の集まりこそが私たちの職場だった。
そのなかの一つに足を踏み入れる。二人の男が椅子に座ってトランプに興じていた。
「お、交代の時間か。俺の勝ちだな」
「あー、クソ。お前ら来るのが早すぎなんだよ!」
「ガキ相手に八つ当たりはみっともねえぞ。さっさと帰ろうぜ」
トランプを片付けた二人が帰路につく。
私たちは集会場で受け取った道具、食材が空いたテーブルに広がる。
「さて、早速調理を始めようぜ」
「いつも足をひっぱるだけでしょうに……」
「今日の俺は一足違うからな」
言葉どおりに違うところを見せてくれるなんてことはなく、すぐに飽きて一人夢の世界に逃げていた。作業を進め、食事が完成する頃にグレンはすっくと起き上がる。
「さて、餌やりの時間だな」
「…………」
二人で建物を出て、近くの廃ビルに足を踏み入れる。見た目はボロいが床や壁に欠落は見られない廊下。小部屋につながる扉を開けると、中には無骨な鉄格子の檻が置かれており、人が閉じこめられている。彼は闖入者である私たちを認識すると、鉄格子を握りガタガタと揺らし始める。
「飯っ、飯だ!」
「そんなに慌てるなよ。すぐにやるって」
グレンはそう言うと腕が通る程度の大きさの小窓を開け、先ほど完成したばかりの料理を渡す。
男は受け取った料理を眺めると、期待を裏切られたとばかりに顔に絶望が宿っていく。
「肉が、肉が入ってない……」
呆然と料理を見つめ、やがて観念したかのように手づかみで口に運ぶ。
「こういう反応はおもしれえや、そう思わないか?」
「作った側の人間からするといい気分じゃないのは確かね」
私たちに与えられた仕事は、収容区域と呼ばれている西部の建物群で収容者を管理することである。捕らえられているのは街のルールに対して特に悪質に違反した者や外部から襲撃を仕掛けてきた連中である。彼らに普通の食事は与えつつも、『肉』は与えずに発症するのを待ち、発症後に収容者を処分することでいい状態の肉を収穫しようというのがこの収容区域の役割だった。
数日前、それなりの規模の襲撃があったことで今の収容者の数はそれなりに多い。その分彼らの反応もバリエーションに満ちている。「早く解放した方が身のためだ」と強気に謳う者がいれば、弱気になったのか自分の人生を嘆いている者もいる。壁に身体を打ちつけて自傷行為に走る者もいれば、症状が進行しているのか苦しんでいる者もいた。死に向かう彼らと間近で接する以上、同情はせず割り切れる精神力が求められる。そういう面では適性があったのだろう。この仕事をしていて苦痛に思うことはなかった。
定められたルートを半分ほど消化した頃、早い歩調で先を歩いていたグレンが新たな建物の前で立ち止まっていた。
「どうしたの。そんなところで立ち止まって」
「ここにいる奴を覚えているだろ。今捕まっている奴らのリーダーだぞ」
「檻に閉じこめられてるのにビビってるの? 意気地がないのね」
「ないわけないが?」
躊躇っていたのはなんだったのか意気揚々と中に入る。少し煽るだけですぐその気になるのは扱いやすくてグレンのいいところだった。
建物の中は異様な雰囲気に包まれている。部屋に閉じこめられている人たちは姿を見せた私たちに対してピリピリとした緊張感のもと敵対心を向けてくる。ここまで巡ってきたルートの収容者たちには諦めや自暴自棄といった雰囲気こそあったが緊張感は持たなかった。まるで街の外で会敵するかのような感覚が、彼らにはあった。
この状態がつくられているのは、一人の男の存在が大きく影響しているのは間違いない。彼もまたここに捕らえられて四日になるが、私が聞く限りではまだ一度も食事を口にしていないという。空腹に苦しみ、体力を失い、いつ発症するかわからない極限状態に心身ともに苛まれているにも関わらず、今もギラギラとした意思の力を瞳に宿している。彼の闘志が直接接触を持たない仲間たちにも伝わっているのだろう。
そんな彼が待つ部屋へ赴き、今日もまた食事を差し入れる。しかし勢いよく皿を返されてこぼれた料理が床を汚した。男の態度が腹に据えかねたのだろう・グレンが身につけていた銃を手にとって鉄格子を叩きだす。
「慈悲で与えている料理をこんなにしやがって。食い物だって無限にあるわけじゃないんだぞ」
あんたは断じて作ってないけどな、と私は思った。
「慈悲、か。本当に慈悲があるなら『肉』を差し入れてしかるべきじゃないのか?」
「襲ってきた立場で図々しいこといってんじゃねえよ。飢えて苦しまないように餌くれてやってんだろうが。感謝されこそすれ恨まれる筋合いはねえぞ」
「感謝するのは君たちの方だろう。捕虜に食事を与えていれば勝手に美味しい『肉』に変わってくれるんだからな。収穫に向けて家畜を肥えさせていくのはさぞ楽しかろうな?」
「テメェらがこの街を襲撃したのだってどうせ『肉』目当てだろうがッ!」
「そうだよ。私たちのコミュニティでは『肉』が減っていた。でもそれがどうした。親切に交渉したら分けてくれたかい?」
男の言葉にグレンが沈黙する。
『肉』の確保は〈感染拡大〉以降の人間にとって常について回る問題だった。
すべての人間が発症して意思なき屍と化し、共食いの末に少数の人間が生き残る。その時点では屍の数が多かったが、時間の経過と共に屍は腐り、朽ちていく。
今では空気感染はしないと言われているため、私たちのように〈感染拡大〉以降に誕生した人間は生まれた時点では感染者ではない。しかし血液を介して感染するため、感染したことを知らずに発症するよりも『肉』を食べて感染する方を幼い頃に選ばされている。
また、端から食料となることを見込んで新生児を産ませる集落なんてものは風の噂で聞く程度でしかなく、実在したとして私たちの常識ではとうてい受け入れられまい。
要するに、どこの集落でも『肉』は足りていないのだ。
「ここも備蓄が減っている。間違いなく没交渉だろうね」
私はしぶしぶながら会話を引き継いで答えた。
「だったら奪い取ろうとするのも仕方ないと思わないか?」
「そりゃあ仕方ないでしょう。でも失敗したからには仕方ないと受け入れてもらわないと」
「手厳しいな。だがそっちの男の言うことよりは一理ある」
「だったら諦めてじっとしていてくれる?」
「答えはノーだ。ただ、昼飯はいただこうか」
男の身体からわずかに力が抜け、張りつめた空気が弛緩した。
少なくとも何かに満足したのだろう。私が食事を渡すと、男は限界だったのかすぐに皿を空にした。その様子を見てグレンはぶつくさと文句を言っていたがお互い触れることはなかった。
「久々に腹が膨れて生き返った気分だ。身体は相変わらず死に向かっているのにね」
「何が言いたいの?」
「いや、閉じこめられてからは道理のわからないつまらない奴ばかりで退屈していたからな。ちょっと浮かれただけだ。君は以前からそいつと一緒に来ていたけどだんまりだったろう?」
「話し相手ならお仲間がいるんでしょう?」
姿を見せ合うことこそできないが、所詮劣化した構造物だ。中の状態を見る限り音漏れを防ぐのは無理だろう。
「捕まっただけで心が折れる軟弱者は私は知らんよ」
「絶食をしていれば強いの? 私にはそうは思えないけど」
「少なくとも家畜には堕ちず、人でいられる」
壁越しに怯える声が聞こえたのは果たして幻聴だったのだろうか。
男は周りの様子を気にかけることもなく楽しげな表情を浮かべていた。
「なんにせよ、君とならもっと楽しい話ができそうな気がするよ。名前を聞かせてくれないか?」
「ノーラ」
「私の名はエディだ。また会おう、ノーラ」
まるで追い出されるかのように彼が主導権を握ったまま会話が打ち切られた。
グレンが「さっさと出ようぜ」と舌打ちまじりに部屋を出たので私もあとを追う。
その後は何事もなく食事を配り終え、交代の人員がくるまで時間の経過を待つばかりだった。
当番を交代して街の中心部に戻ってきた頃、すでに日没間際で太陽が地平線に沈んでいくのが見えた。
赤く染まる空が果てへと消え、宵闇に染められていく。しかし地上は電灯によって明るく照らされている。設置されたそれらは、街の外れにある発電所から流れる電気によって稼働する。人の底知れぬ意思によって成し遂げられた復興なのだ、と昔から大人から言い聞かされてきたことを思いだす。
グレンと別れ、仕事前にも立ち寄った集会場に訪れる。中は相変わらず混雑しているけれど、昼間見せた顔とは違い、飲食場として機能しているため、煩雑というよりは賑やかといっていいだろう。
私はカウンターで『肉』を使った料理とついでにアルコールを注文する。要求される配給チケットの数は多くて割高だが、仕事の稼ぎに対して使い道がないため余らせていた。そばで食事をしていた老人がこちらをじぃ、と見て「〈感染拡大〉前はアルコールにも年齢制限があったというのに……」と当てつけのように言っていたので、届いた酒を見せつけるように飲みながら集会場を出た。
すぐ外に設置されている椅子に座って一人食事を食べていると、視界に影ができる。
「今、時間は大丈夫かい?」
顔を上げると目の前にグレンの父親、ダニーが立っていた。
「いいですよ」
「すまないね」
ダニーはそう言うと近くに置いてある椅子を私のそばに持ってきて腰掛けた。手には貴重そうな酒瓶を持っている。今や指導者の一人である彼に気づき、集会場に出入りする人の視線がこちらに向くため、安易に答えたのは失敗だったなと思った。
「最近、仕事の調子はどうだい」
最高階級ともなると人から注目を浴びるのも慣れるのだろうか。気にすることもなく問いかけられる。
「ぼちぼちです。紹介してくださってありがとうございました」
今勤めている収容区域の管理はダニーの紹介によってありつくことのできた仕事だった。パパが亡くなってからしばらくの間、彼ら家族が私の面倒を見てくれた縁によるものだ。業務自体はたいしたことはないが、『肉』を確保し街の維持に繋がる仕事のため、同年代の人が行う仕事よりも階級が高い。
ただ一つ問題があるとするならば、
「グレンが迷惑をかけてないか?」
「慣れました。昔からああいう奴ですから」
私の返事を聞いて、呆れるようにため息をついていた。
「面倒をかけてすまないね。いつまで子供のつもりなのかあいつは人の話を聞きやしない。いい加減気持ち的には成長してほしいというのに」
「親としては大変そうですね」
「そうだね。将来的には私の代わりに仕事をこなしてほしいんだが。今のままではいつになることやら……」
「反抗期が長引いているだけですよ」
「だといいんだが」
ダニーが一気に酒をあおると中身が空になった。これが合図とばかりに彼は立ち上がる。
「ノーラ、これからも迷惑をかけると思うがあいつをひっぱってやってほしい」
「仕事に関わりますからできるだけのことはやりますよ」
「ああ、頼んだよ」
ダニーはまだ仕事が残っているからと場をあとにする。残ったのは先ほどまで彼が座っていた椅子と、飲み干したままテーブルに放置された酒瓶だけ。私は自分の酒瓶に残っていた残りを飲み干し、思いきり投げつけた。二つの瓶は音をたてつつ地面に落ちていったが、割れることなく転がっていた。
忘れてなどいない。
十年前、街の肉不足が発生した際に低階級層への配給を制限したのは奴の提言だという。彼が今指導者としての地位を得たのもその時に貢献した功績だった。
奴を殺さなければならない。
復讐を成さなければならない。
奴は父の敵なのだから。
翌日、私は一人で仕事場にいた。
仕事は一人でこなせることばかりであるものの、二人組で作業にあたるのは収容者を相手にするにあたって不測の事態を防ぐため、あるいは相互監視のためである。
にもかかわらず、今日の朝、グレンは見知らぬ同年代の男を連れてきては、
「今日は見回りできる人がいないってんでこいつと外を見回ってくることにした!」
と言いだした。
一緒にやってきた男の話によると、最近、階級の低い層では配られる『肉』が腐っている物に変わり始めており、体調を崩す人が多いらしい。そのせいで人手が足りなくなっているのだが、見回りを強化して人を見つけたいのだという。
「あんたがそっちに行ったらこっちの人手が足りなくなると思うんだけど」
「まあ見てろって。俺が徘徊している奴を見つけて捕まえてやるよ。そしたら仕事にもなるし食料問題も解決、一躍俺はヒーローだ!」
「……勝手に行けば? それでこっちの仕事の代役は手配してくれたの?」
「代役がいたら俺が行く意味がなくなるだろ? そういうワケであとはまかせた!」
呆れていたのが伝わったのだろうか、男は「ごめんねー」と形ばかりの謝罪をして二人で去って行った。
集会場で代役を用意できるか一応聞いてみたものの、同情はされど代役は出せないという判断となった。
私は少しばかり作業量が増える音を考慮して、いつもより早めの段取りで昼飯を配り始める。単身で牢獄を歩き回るため、普段よりも警戒は欠かさずにいたけれど、仕事は変わりなく進行していく。
そんななか一人の収容者が声をかけてきた。昨日絡んできたエディだった。
「よう。一人で巡回している奴は初めて見かけたぞ」
「相方がサボりでね。だからって無駄な抵抗はしないでよ。面倒なだけだから」
言いながら、拳銃を見せて武力の用意があることをほのめかす。
「無駄なことはしないさ。そのかわり少し話し相手になってくれないか」
「はあ……」
さっさとこの場を立ち去ろうとも思ったが、そうしなかったのは死が迫る男に対する同情だろうか。
ともかく、食事を差し入れると昨日まで拒否していたのが嘘のように当たり前に手をつけていた。
「ねえ、どうしていきなり食べるようになったの?」
「肥えた方が君たちにとって都合がいいと思うんだが」
「てっきり断食はあなたにとっての抵抗だと思っていたのだけど、やめる理由がわからない」
「その通り、抵抗するよりも優先すべきことができた。そしてそれを成すには体力が必要だった」
「優先すべきことって、なに?」
答えが返ってくることを期待せず聞くと、エディはこちらを見据えて言った。
「交渉だよ。君となら交渉の余地があると思った」
「無理ね、交渉の余地なんてない」
立ち去って強引に話を切り上げようとした。
だが、彼はいつの間に立ち上がったのか鉄格子を掴み、ねめつけるような視線を向ける。
「いいや、君の目を見ればわかる。秩序よりも優先すべき目的がある執念を宿した目だ。そういう者を相手に交渉するならば、相応の体力が必要だろう?」
「もしあなたの言うとおりならそうでしょうね。でももしそうだとしても交渉の余地はないでしょう」
「そうかい?」
「だってそこに閉じこめられている限り交渉材料なんてないじゃない。かといって馬鹿正直にあなたを解放しても私の立場が不利になるだけでしょう」
「でも目的があることは否定しないんだな」
「あったとして、あなたに打ち明けても他の人にバレるリスクが増えるだけでしょう」
私の言葉を聞いて、エディはくくっ、と笑った。
「リスクか。だが何かを成し遂げるためにはリスクを冒さなければならないこともある。君に目的があるように私にだって目的がある。先に望みを伝えよう。一つは私を無事に解放してコミュニティに帰すこと」
「無理ね、言ったでしょう。あなたを解放しても私の仕業だとすぐにバレる」
「だから急いで解放する必要はない。だがもちろん発症して解放されるのはゴメンだぞ」
「だったらどうしろと?」
「例えば一人分の『肉』をこっそり渡すぐらいはできるだろう?」
「一人が発症しなかったら調査が始まる。それに」
壁の外から「リーダーだけずりぃ」「チクるぞ」と喧々囂々がなりたてる声が聞こえた。
ボロくて薄い壁だ。同じように会話が彼らの耳に届いていたのだろう。
「部下を裏切って一人だけ助かるなんてご立派なリーダーね」
「そんなつもりはない。何せもう一つの要求はコミュニティに『肉』を提供することだからな。つまり私と集落に住まう人々のために『肉』を用意することだ」
「この街だって『肉』は万年不足しているわけだけど」
「どうやって差し入れるかも含め、そこは君が考えるべきことだろう」
「納得いかないけどまあいいわ。もし交渉に乗るとしましょう。『肉』を提供するかわりにあなたは何を提供してくれるの?」
「なんでも。できる限りのことはしよう」
「ふぅん……」
気のないそぶりを見せつつも、頭の中で考えをまとめる。
彼の言うように行動を起こすならばリスクを冒す必要があるのは確かだ。これまで私は機会を求めながらもきっかけを逃し続けていたのではなかろうか。だからとてこの機に乗ることは正しいか。
交渉にあたっての要求は二つ。集落を生かすこととエディを生かすこと、前者は何とかなるだろう。だが後者は仲間にバレないだけではなく、他の収容者からの密告も警戒しなければならない。いや、すでに話を聞いている以上、交渉に乗るならば彼らも生かさなければ即失敗につながるだろう。
それらの前提を踏まえた上で、私ができる範囲で彼の要求に応えられるか――。
「わかった、交渉に乗りましょう」
「そう答えると思っていたよ。それじゃあ聞こう、君の望みは?」
私はただ一言答えた。
復讐、と。
#
街で定められた階級が最高位に達した者は指導者となり、日々街の運営に寄与していく。
彼らは街の中心部を見下ろすようにそびえたつビルを拠点にして活動を行っていた。
その日、指導者の一人であるダニーの元を訪れたのは、食料の在庫を管理している男だった。
「それで話というのは?」
ダニーは椅子に座って男に問いかける。
壁は磨かれ、椅子を始めとしたビルの中の調度品はそれなりに綺麗ではあったものの、かつての日々と比べるとたかがしれる程度の美しさだった。
「備蓄していた『肉』の数が減りつづけています。このままですと数ヶ月も持たないかと……」
「三週間ほど前、襲撃者の集団を捕まえたじゃないか。それだけあれば予備を補充するだけのりょうになるんじゃあないのか?」
「それが、彼らは未だに一人も発症していないどころか、発症の兆候すら見せないそうです」
「なんだと……?」
前提として、今生存している人間はほぼすべて感染者である。〈感染拡大〉以降に生まれ、感染していない例外もどこかにいるかもしれないが、襲撃者たちは二十歳を越えている。皆〈感染拡大〉以前の生まれだ。
感染者が人間か否かを定めるのは発症しているかしていないかの違いでしかない。発症を抑えるためには『肉』を食べる必要がある。食べなければ七日から十日ほどで発症に至る。一度発症したとしても『肉』を食えば症状は抑えられるものの、発症者は鋭い感覚でもって、未発症の人間を察知して優先的に襲うようになる。治療のために作為的に『肉』を食べさせるのは困難と言っていいだろう。
よって発症が抑えられているなら可能性は限られる。
「作られた料理に『肉』が混じっている可能性は?」
「材料を確認していますが動物の肉だけです。調理を観察していますが『肉』が混じった痕跡もないと」
「では、収容者が『肉』を隠し持っている可能性はないのか?」
「衣服は一度交換を実施しました。ですが、百人規模の人間が発症しないなどあり得るのでしょうか」
男の返答に、ダニーの脳裏ではあり得ない選択肢――彼らが非感染者・抗体持ちである可能性――がよぎる。まさかそんなことはあろうはずがない。己の想像を妄言に過ぎないと否定した。
「どんな策を講じたかはわからないがたかが時間稼ぎに過ぎないだろう。すぐに発症するさ」
「しかし、もし『肉』が足りなくなったらどうしますか?」
「こうなると、あれだけは二度とするまいと思っていたが仕方がない……」
「十年前のアレを行うと? 住民を殺すつもりですか」
お前が策をほしがっているから出したのではないか。
ダニーは心の中で毒づいたが、おくびにもださなかった。
「私だってしたくはないさ。だが、大を救うために小を切り捨てなければ生きていけないのがこの世界だ」
部屋の外に待機していた部下を呼び出し、指示を出す。
これ以上こいつと話すことはない。男を部屋から退出させると、自然とため息がもれた。
「十年ぶりに訪れる食料制限、果たして何も起きなければいいのだが……」
#
今日もいつものごとく仕事場に向かう前にグレンと合流する。
彼は意気揚々、気力に満ちあふれていた。
「その調子だと朝の散歩はさぞ順調そうね」
「ああ、一緒に行った奴らも大はしゃぎだったよ。最近空気がピリピリしているから気分転換にちょうどいい」
そう、とグレンの話に適当な相づちをうって歩いていると、いつも立ち寄る集会場に人が集まっていた。普段なら出入りで動き続ける人の流れが停滞しており、喧噪と混乱に満ちている。
「おい、何の騒ぎだ?」
グレンが近くにいた顔見知りに問いかける。
「さっき告知があったのだけど、『肉』の配給が制限されるみたい」
グレンが女性の話を聞いているのを尻目に、私は人垣を割り込んで進む。最前列に辿り着くとそこには張り紙が貼られていた。記されていたのは、一定の階級以下を対象とする『肉』の配布が週二回に抑えられること、そしてその品質については一切の保証をしないということ。
この意味を、住民はみな知っている。
十年前に行われた食料制限、今と同じように始まったそれは数ヶ月に渡って続けられた。『肉』の備蓄の枯渇を防ぐため、名目上は最低限の『肉』の配給を続けながらも実体は食用に耐えられないほど腐敗した物を送り発症者を作り出そうという悪魔の試み。その惨劇が繰り返されようとしているのだ。
「どうだった?」
集団から抜け出し、待っていたグレンに張り紙に書かれていた内容を伝える
「あのクソ親父……」
グレンは舌打ちをして呟いた。
集団を形成している人々も不安に揺れている。
「グレン、仕事に行きましょう」
幸いなことに私たちは制限の対象ではなかったが、だからこそ対象者に見咎められるのは避けたかった。
集会場に入った受付で手早く食料を受け取って仕事に向かう。
計画は、私の想定どおりに進んでいた。
食料制限が始まって二週間が経過する。
未だ発症者が出たという話が聞こえてくることはないが、制限の対象となっている者の疲弊は相当なものだろう。人々の不満は積み重なり、表に現れるのを見かける機会が増えてきた。
「職場の奴らから聞いたんだがよ、指導者たちはうめぇ『肉』をたっぷり隠し持ってるんだと。この制限だって奴らが『肉』を出し惜しみしなきゃしなくてすむんだよ!」
「おかしいと思ったんだ……。襲撃者どもを引っ捕らえてんのに『肉』が足りなくなるわけねぇもんなッ!」
毎日、集会場には食料制限の対象者だろう人々が集まり、抗議の声を上げている。彼らの叫びはだんだんと熱量を上げていき、今や怒りそのもの。矛先は指導者のみに止まらず、対象者以外のすべての層に向かい小競り合いが日常となっていく。低い階級の者以外は自然と集会場から足が遠のくようになっていった。
指導者は早急に『肉』を確保すると声明を出したが、低階級層から弾圧と捉えられ反発の声が上がる。人を見つけるために外への見回りを増員するも、未だ芳しい成果は見られない。
見回りの人員が増える一方で、街中での仕事は軽視されるようになっていく。
その日、私は一人で収容区域の巡回を行っていた。
「最近街の方が騒がしいようだが、私が出られるのはいつになるだろうね」
エディは問いかける。
交渉が成立してからも食事は毎日取っており、一ヶ月ほどの収容生活を経ても発症しそうな兆候は見当たらない。
「さあ。準備は整っているからあとはきっかけ次第だけど」
「それは朗報。しかしきっかけはいつになるだろう。私は待てても仲間たちの気は長くはないぞ?」
同調するように壁の向こうからがなりたてる声が聞こえる。
どうしようもないクズどもだ、と思った。
こいつらは計画を伝えたときには従順だった。破滅に向かう運命から一転し、涙を流して感謝する者までいた。それが今はどうだ、自由の身になれるならいつまでも待つといったくせに主導権を握ったと錯覚して逆に脅迫をかけてくる始末。
まあいい、どうせその時が来たら――。
そう思った矢先、街の中から緊急用のスピーカーを通して音声が聞こえてきた。
「百人規模の感染者の群れを確認。動ける人は皆、門の外に集合してください!」
アナウンスにエディが反応する。
「もしかしてこれは?」
「どうやらきっかけがやってきたみたいね」
私の言葉にエディは何かを言うが、応じることなく持っていた鍵束から一本を選び、牢屋を開錠する。
「鍵はあげるわ。これからやることは覚えてる?」
「君は私の願いを叶えた。相応のリターンは約束するよ」
この場はエディを信じるとして、私は収容場をあとにした。
発症者相手に銃を撃つ以上、持っている拳銃では火力に不安があった。
私は一度家に立ち寄り、隠していたアサルトライフルを取り出す。人前に持ち出すことこそなかったが、メンテナンスを怠ってはいない。チェックをしたが動作に問題はなかった。
その後街の外へと向かう。遠回りしたにも関わらず、門の外にはまだ沢山の人が並んでいた。戦力には数えられない子どもや老人の姿はなかったが、それでも優に五百人は超えている。どこへ向かえばいいか悩んだものの、最近の情勢ゆえだろうか階級ごとに集まっていることに気がついた。自分の階級の集団に目星をつけて近づくと、グレンが手を振って私を呼んでいた。
「ノーラ、ってその銃は?」
「拾った。それよりどういう状況なの?」
「馬に乗って見回りしていた俺の友人が、街から東に五キロ地点で発症者を確認したらしい。遠くからでも数十人規模の集団がこっちに向かっているんだと」
「見回りで数十人なら百人は越えてそうね。少なくとも食糧問題はなんとかなるんじゃない」
「遠くからやってきてすでに腐ってなきゃいいがな」
「大丈夫よ」
口には出さないが、彼らが住んでいる場所は知っていた。
そうして話している内に門の中から住民が十人ほど現れる。彼らが集団に加わると概ね集合したとみたのだろう。門の上に設置されているスピーカーから声が流れた。指導者の一人と名乗る彼がした説明は、グレンが語った状況と相違なかった。彼は現場を指揮する者に従い発症者を殲滅するように伝え、演説を終了した。
その後、指揮者だろう人々が各集団のもとに現れ、作戦の説明を始める。
作戦自体は単純なもので、百人規模と思われる発症者の集団に対し、その五倍の数で待ち構えるだけ。奴らに理性はないため単純に突っ込んでくる者どもを迎撃していく算段だった。
私たちは迎撃部隊となり、街の東側に移動する。余った三百人ほどの人員は発症者の襲撃に乗じて街の外から襲撃してくる者を警戒する見回りに割かれた。
東といってもその範囲は広いが、闇雲に散らばって個と個で戦おうとするのは愚策だろう。少し進んだ先にある視界が開けた平原で一直線に並ぶように指示が出た。位置について各々が銃を構える。
三十分たたないうちに感染者の姿が見えた。彼らは知性を持たない。そのため足並みは揃わず真っ直ぐ走ってくる。恰好の銃の的だ。対抗する私たちは射撃の習熟に多少の違いはあれど、飛び交う弾の数の暴力で発症者を屠っていく。
波が押し寄せるように感染者の数は増すが、奴らの接近を許さないまま、平原に死体の群れができあがった。まだ数人ずつ発症者は訪れてはいるものの、皆すでに山場を乗り越えたふうでいる。人の気は緩み、風に乗って声が聞こえてくる。
「これだけ『肉』が増えれば備蓄に余裕も生まれるだろ」
「よかった。配給制限が終わるのね……」
「でも、これだけの数を街に運ぶのは重労働そうだ」
人々の意識はすでに後処理の段階に向かっており、現場の指示を出していた指揮官からも「迎撃に十分な数を残して撤収、死体回収の準備を進めること」と命令が出た。私が属する階級も街への帰投を始める。
街の門に辿り着いたとき、そこにはちらほらと死体が見えた。
武装した住民たちがその場に残っていたため、指揮官たちは情報共有をする。
死体の顔を私は知っていた。街の住民ではない。皆、牢に閉じこめられていた者だ。
私は計画を進めるために、部隊からはぐれるように離れ、先行していた集団に紛れて街に入った。
なかでは子どもや老人が集会場に集まっていて、その顔は一様に緊張を滲ませている。
「安心してください。発症者は片付けました。食糧問題も時期に解決するでしょう」
この集団の指揮官だろう男が告げるが、緊張が解かれることはない。
理由を伝えたのは一人の子どもだった。
「あのね、知らないおじさんたちがビルに入っていったの!」
「なんだって……」
子どもが指さしたのは指導者たちの住居となっている建物。そこに不審者が侵入したという。そうならないために戦力の四割を周囲の警戒に当てていたため、大人たちにとってこの事態は予想だにしていない出来事だった。ビルの中では責任者を人質にした立てこもりが行われている。最高階級の彼らが捕らえられているこの事態に率先して動けるものはいなかった。皆、責任を被ることを恐れたのだろう。
そして、彼らがまごついて混乱しているうち、私は部隊から離れて一人ビルへと向かっていった。
階段を駆け上がると、銃声が聞こえて壁に身を隠す。
わずかに顔を出し、廊下の様子をうかがうと血を流して横たわる死体と拳銃を持ってこちらを狙う男二人が見えた。収容者たちに武器を渡す話はしていない。死体から奪い取ったのだろう。
「エディ、私よ!」
壁の向こうに向かって叫ぶが、返ってきたのは銃声だった。
どうやらエディは気づいたようだ。そのうえで私を殺すように指示を出している。バレなければもっと簡単に片付いたのに、と思わずにはいられない。
私は壁から飛び出し、敵が狙いを定める前に胴を撃ち抜いた。
幸いなことに他に襲ってくる者はおらず、私は最奥の部屋に繋がる扉を開ける。
まず感じたのは異様な、けれど嗅ぎ慣れた臭気。部屋は赤く染まっており、街の高位に上りつめた者たちが屍になって転がっている。部屋の中央には一つのシルエット。一人の男が男の首に腕を回し、頭に銃を向けていた。
「ノーラ、来ちゃいけない。早く逃げなさい!」
拘束され、身動きがとれないダニーが叫ぶ。
だが、彼に向けられていた拳銃は「動くなよ」という声とともに私に向けられ、動きを封じられる。
「会いたかったよ、ノーラ。持っている銃を捨てたまえ」
エディの表情に、収容所のなかで会話したときのような冷静さは見受けられない。
私が構えていたアサルトライフルをゆっくりと地面に置くと、エディは口を開く。
「このビルにいた人間はこいつを除いて全員殺した。あとはこいつさえ殺せば終わりだ」
「生かしたまま拘束するって約束でしょう」
「先に約束を破ったのはどっちの方だ? 今日襲ってきた発症者の集団、間違いなく私が住んでいた集落だろう! あの方法を使えば『肉』を作るなんて簡単だっただろうがッ!」
おおかたスピーカーから聞こえた情報で気がついたのだろう。
百人規模で東に位置する最も近い集落は、彼の住む集落の他にないのだから。
「今回の計画を実行に移すためにはきっかけが必要だった。街の警備が手薄になるほどのきっかけよ。そのために彼らは見捨てるしかなかった」
交渉に乗る以上、収容者の口から密告されないために全員の発症を防ぐことは絶対条件だった。その影響で食糧難が発生するだろう事もまた予想がついた。そのとき、大量の発症者が現れたら命に代えても彼らを狩ろうとするだろう。そのため、初めから集落に『肉』を運ぶつもりなどなかった。収容者たちの生存と違って彼らが確認する術がないのも理由の一つだった。
「それで私たちが納得するとでも? お前が直々に手を下そうとした奴らは皆俺たちが殺した。裏切ったお前へのせめてもの抵抗だ。そしてこいつを始末すればすべて終わる」
こちらに向けられていた拳銃をダニーに向け、引き金を引こうとする。
対して私はジーンズの内側に差し込んでいた拳銃を抜き取り、発砲した。
狙いを定める余裕はなく、ダニーを撃ち抜いてもいいとさえ思った。
だからだろう。弾はダニーの腰を貫いてエディを撃ち抜いた。苦痛に顔を歪めて体勢を崩した彼に再度狙いを定めてさらに撃ち込む。胸に穴が空き倒れ込むと、二度と彼が動き出すことはなかった。
「ノーラ、これは一体どういうことなんだ……」
傷口に手を当て、呆然と目の前で繰り広げられた光景の理由を問うダニーに、私は沈黙でもって返答した。
銃声を聞きつけたのだろう。建物の中から階段を駆け上がる足音が響いてくる。
部屋の扉が開き、武装した集団が姿を見せる。
先頭を率いるグレンが、実の父親を見下ろし言い放った。
「食料制限で街を混乱させた指導者どもは崩壊した。これからは俺たちが新しい時代を作るぞ!」
騒動から二週間が経過した。
襲撃者の死体は無事に回収して当面の『肉』は確保された。収容区域から脱走した人々はそのほとんどが街から逃げ、巡回していた人たちに撃ち殺された。わずかに生き残り再度捕らえられた人によると、エディは二人の部下を残して街から逃げるように指示したという。集落が滅んだことを知り、ハメられたと思ったのだろう。
指導者層が壊滅的な被害を受け、騒動以降は若年層を中心とした集団が表立って自治を始めるようになった。今回の一連の騒動は『肉』を抱え込んだまま配給制限を行い、食糧難を先導したことにより起こった混乱であると主張。街の意見は賛否に分かれたが、その集団は発症を抑えるための新たな手段を発表。この出来事をきっかけに発言権が強まり、実質的な指導役となっている。
その集団の代表者の一人となった私はその日、ダニーの元に訪れた。
怪我を負ったダニーは治療を受けると共に、唯一生き残った指導者としての責任を取り、街の外れに隔離されていた。
「調子はどう?」
「状態はよくなってきているらしい。でも、長生きはできないだろうね」
「どうして?」
「君は今日、私を殺しにきたんだろう」
「わかってたんだ」
私は懐に入れていた拳銃を取りだし、彼に向けた。
「二週間前のあの日、君が現れたときにその目を見て、ずっと私を恨んでいたんだと思い知ったよ」
「当たり前でしょ。パパはあなたが考えた配給制限で殺されたんだもの」
「そのときに君が発表した抑制手段を知っていれば、あんなことはしなくてすんだのだがな」
「私だってあのときは知らなかった。人の肉を餌として食べた動物の肉に発症を抑制する効果があるなんて」
私が公表した抑制方法はそれだけの単純な方法だった。パパと暮らしていたあの日々、配給制限のさなかで私は理由を知らずに『肉』を食べるのを拒否していた。街を出かけるときに食べられなかった『肉』をこっそり捨てると、鳥が集い、パパは狩ったその獲物を私のために料理してくれた。私に『肉』を譲って症状が進んでいくパパと違って、私は症状を発症することがなかった。あとになって不思議に思った私は、自分の身で実験をして、動物の肉で症状を抑えることを知ったのだ。
「だが、どうしてそれを公表しなかった? 皆が知れば今回の食糧難に陥ることもなかったし、あれだけの功績なら今の地位だって手に入れられただろう」
「決まってる。全部復讐のためよ。この情報を持っていればいつか切り札になると思った。そして今回は見事なまでに機能した」
「収容所の件だね」
「あれはグレンたちに条件を満たした動物の肉を狩らせて食材にしたの。念のためにあいつの交友関係を利用して集会場から受け取るかたちにしてね」
「それだけ大がかりなことをしたというのに目的を果たせず残念だね。襲ってきたあいつらに仲間は殺されて、君が振り上げた手は私に対してしか下せない」
「それは違う。確かに私が直接殺すのが理想だったけど、それは願望であって目的じゃない。私の目的は命をつなげないためにあいつらを葬ること。『肉』となり食べられた人の一部として生き続けるなんて救いが与えないために殺しただけ……」
「そうか、君はそう思うのか」
「あなたは違うの?」
「感染が広がる前は人が人を食べるなんて大罪は常識じゃ考えられなかった。それでも今は当たり前のように人が人を食う。発症に関わらず人間は化け物に変わった。胃袋には地獄が広がっていて、誰かに食べられた私が地獄に堕ちていく、そんな夢をたまに見るよ」
〈感染拡大〉以前に思いをはせているのだろう。遠くを眺めるようにダニーは語る。
「他に言い残したことはない?」
「私は、君に殺されるなら仕方がないと思っている。だが、今の君は街を率いる立場だろう。なら相応の責任があるはずだ」
「今になって命乞い?」
しかし、ダニーの顔を見て思わず息を呑んだ。その表情は惨めなものではなく高潔な、鬼気迫る表情だった。「私がやるべきことはもうすべて終わった。だからもう肉は食べずに発症を待つつもりだ」
「ねえ、私の話を聞いてた?」
「聞いていたさ。だが個人的な執念よりも街の維持に勤めるのが今の君の役割だ。そして貴重な『肉』を得られる機会を無駄にするのは役割の放棄だ」
「こんな役職に就きたかったわけじゃない!」
「私も同じだった。でも自分の手を汚してでもやらなければならないんだ!」
「何を勝手なっ!」
拳銃を引き金を引こうとする。握る力が強くなって、銃口が震え、両手で支える。引き金を引こうと強く力を込めても指が動くことはなく、ついぞ弾が出ることはなかった。
ダニーはその間一向に怯んだようすを見せず、銃を持つ手を下ろした私を見て呟いた。
「それでいい。それでいいんだ」
#
拡大した牧場区域に赴いて、遠くから集まる人々を眺めていた。
見学に訪れた彼らは柵の内側に餌をばらまき、鳥が集まって餌を啄んでいく。
その餌には、数日前に発症して倒れた、復讐を誓っていた相手の血肉が混ざっている。
結局私は最後まで手を下すことができなかった。
計画を遂行するため幾多の屍が生まれたにもかかわらず、肝心の目標を殺すことができなかったのは皮肉なものだ。
あの男は言っていた。
――胃袋には地獄が広がっていて、誰かに食べられた私が地獄に堕ちていく。
人が腹に地獄を抱えていたとして、動物の腹に地獄はあるのだろうか。
『肉』を食うことで人の命は繋がっていく。
あのできごとを思いだす。
パパが亡くなった翌日、ダニーに呼び出された私は豪華な食事をごちそうになった。
その儀式の意味を知らなかった私は、パパを失った悲しみに暮れ、失意のまま口に運び続ける。
あの味も、舌触りも、何一つ記憶に留まるなく飲み込んだ『肉』は私の血肉となっている。
けれどもし、食べられることが苦しみだとするならば。
お腹であの人は苦しみ続けているのだろう。
そう思うとなんだか泣きたくなった。
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