梗 概
死神の葬列
神話によると、太古、その島の人々は文字を知らず、鉄を知らず、死を知らなかった。肉の人は老いると腐った人となりやがて骨の人となり、骨がバラバラになるまで歩き続けた。島では、ヒメガミ(姫神、火女神)と呼ばれる生命と太陽と銀の女神が崇められていた。そこに海の果ての大陸から、死と夜と鉄の神たるシジン(死神、詩人)が一党を率いて上陸した。文字と鉄を島に持ち込み「死」という文字と言葉を人々に与えた。骨の人は歩き回ることをやめ、肉の人は腐った人を死んだ人と呼んで墓を立てるようになった。そして、ヒメガミとシジンが昼と夜をおのおの支配し、昼夜の時間の流れが生じるようになった。そして、数百年が経過する。
山頂に天文台があり、葵という子供が働いていた。冬の夜空を観測していたとき、何かが落ちてきた物音を聞いて外に出ると、自分と変わらぬ大きさの翼ある獣が倒れ血を流していた。おぶって天文台に運ぶ。葵の世話役の土生をはじめ大人たちの誰も、その獣を見たことがなかった。治療してもらった獣を葵は夜通し看病するが、朝になると姿が消えていた。探し回っても見つからない。その日の夜は二頭の獣が空から落ちてきた。葵が見つけ、一頭は包帯の様子から昨晩の獣とわかる。一人で二頭は運べないので、土生たちに手伝ってもらおうとするが、観測に忙しくて手が離せない。救急箱を持って二頭のところに戻り、治療してそのまま夜通し一緒にいる。翼に抱かれたおかげで葵は凍えずにいられた。
朝になると、またも獣は消えていて、葵は高熱を出して寝込んでしまう。土生は麓の村におりて医者を呼ぶ。とりあえず解熱薬を処方してもらうが発熱の原因は不明で、医者は葵から採血してた血を持ち帰った。何日も高熱にうなされ続け、葵は獣に変身してしまう。葵は医者の家に預けられた。
葵の夢にヒメガミがあらわれ、我と共に戦えと命じる。
天文台では多数の獣が山の上空を飛び回っていることに気づいていた。夜毎に数が増えている。一方、医者は葵の血液中に蠢く蟲を見つけていた。ある夜、獣たちは山頂だけでなく麓までやって来る。葵は見知った獣の顔を見つけ、医者の家を抜け出し一緒に飛び立つ。医者は天文台へ行き、葵が去ってしまったことを詫び、血中に蟲がいると伝える。
黄昏時の海岸に、ヒメガミとシジンが顕現し向き合った。ヒメガミはこの島から死を一掃するという。シジンは人をカラクリ人形にしているだけだと反論するが、かつての腐った人と獣は異なると応じる。葵は助けた獣と合流し、島中にあふれた獣たちとともに海岸に集まる。シジンは敗北を悟り島から離れようとするが、ヒメガミは容赦無く獣たちにシジンを殺させる。獣にならなかった土生たちが海岸を遠巻きにするが、もはや葵を取り戻すことはできない。
ヒメガミと獣たちは、シジンの亡骸を谷底に葬るために島を縦断してゆく。葬列を眺めながら、土生たちは反撃の機会を伺うのだった。
文字数:1200
内容に関するアピール
「生」という文字に「セイ」と「いきる」の音訓両方の読みがあるのに対し、「死」という文字には「シ」という読みしかありません。ここから、漢字伝来以前の日本には死という概念が存在しなかったという仮説を、能楽師の安田登氏が書かれています。死の概念がない世界とは、もちろん物理的に滅びないことではなく、生死の境がなく霊魂の存在を当然視した世界ということになるでしょう。
今作品では、日本神話を換骨奪胎した世界観の上に構築した近世程度の科学技術がある島を舞台に、神々のレイヤーでは生と死の神が戦い、人間のレイヤーでは寄生虫的な何かによるゾンビパニックが起きる物語を語り、死神という存在そのものと、「死」という概念、即ち人間的な「生」が葬られてしまうまでを描きたいと思います。
なお、最後の決戦が海岸なのは、出雲の国譲り神話において大国主大神と建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)が海岸で交渉した伝説に倣っています。
文字数:400
死神の葬列
(冒頭部しか書けておりませんが、公開いたします)
大洋に浮かぶ島あり。
太古、人々は文字を知らず、鉄を知らず、死を知らなかった。
肉の人は老いて腐った人となり、やがて骨の人となり、
骨が砕け、崩れ、人の形から壊れるまで、歩き続けた。
人々は、ヒメガミという名の女神、生命と太陽と銀の女神を崇めていた。
歳月を経て、海の果ての大陸から、シジンなる神が一党を率いて上陸した。
シジンは、死と夜と鉄の神であった。
文字と鉄を島に持ち込み、「死」という文字と言葉を人々に与えた。
肉の人が死を教えられたため、骨の人は歩き回ることをやめた。そのまま、土に埋もれた。
腐った人は死んだ人と呼ばれるようになり、骨の人になる前に、墓に葬られるようになった。
ヒメガミとシジンは長い戦争を戦った。
争いの果てに島を二分割した。
土地ではない。
ヒメガミは昼を、シジンは夜を、おのおの支配することで争いに決着をつけた。
昼と夜を繰り返す、時間の流れが生じるようになった。
そして、島に長い歳月が過ぎていった――
1.
山頂からは、島の全景が見渡せた。
円形ともいびつな六角形とも形容されるその島は、中心にひとつ火口の大きな火山があり、麓まで緩やかな傾斜の斜面がすべての方角へむけて伸びている。人々の記録では噴火は百年以上絶えているが、広く円形の火口は地に熱を持ち、微かな湯気が吹き上がることもまれではなかった。
その火口を囲む外輪山の西端に立って、幡山葵は、ひとりで、海岸沿いの町とそのさきの海に沈もうとする夕日を見ていた。
十四歳――成長途上の少年たちの中でも小柄な葵は、大人からも、同年代の少年少女からも見下ろされることが多いが、今、この島で一番高いところにいるのは自分だ。それが、気持ちよかった。
夕日に照らされているのは、葵の生まれ育った、島で一番大きな町である。火を焚く煙がほうぼうから上がり、日が沈む前に灯されたいくつもの松明の明かりが、山頂からでもちろちろと見える。
後ろを振り返れば、葵の立つ外輪山の影になって真っ黒な火口で、向かいの、東側の山の切っ先がわずかに夕日の橙色を反射している。よく晴れた日の昼間であれば、東側の海岸も見えるのだが、今は、町の灯す明かりがちらつくだけである。
風が出てきた。上着の前を搔き合せても、西風が冷たい。夜を告げる風だ。太陽が水平線に接し、沈みはじめるのを見て、葵は歩き出した。仕事が待っている。少し下ったところに、松明が二本、燃えているのが見える。天文台の玄関前に掲げられている松明だ。
およそ一年前から、葵はその天文台に住み込みで働いていた。天文学者に観測士、それに葵のような下働きの者などを合わせて、二十人ほどが働いていて、ほとんどは併設する宿舎で寝泊まりしている。二階建ての木造の建物には、大陸から伝来した天球儀や望遠鏡が置かれ、天体の運行を観測し、吉凶を占い、記録を残すのだ。
葵は暗くなった足下を気にかけず、松明の炎をめざして下りてゆく。遊歩道も、未整備な岩肌も、足が外輪山の地面を覚えている。強い風が吹いて、立ち止まって顔を上げた。南西の濃い紫色の空高くに、流れ星が輝いた。
「えっ、もう始まるの?」
空に向かって聞いた。本番は明日だと、観測士たちから教えてもらっていたのに。もう一つ、同じ方角に流れ星。急いで戻らないと、叱られそうだ。風がさらに強くなって、風神が奏でる笛の音が聴こえてきた。体の正面から突風を受けて、よろけそうになる。
そのとき、風とは異なる音が、空から聞こえてきた。
翼の羽ばたく音だ。
なにか大型の鳥が山頂を舞っているのかと思って、羽ばたきが聞こえたと思う方角へ首を回すが、何も見えない。
もう一度、羽ばたきの音が聞こえた。近い。すぐ頭上で聞こえたような気がして、真上を見上げると、今度は地面に何かが落ちてきた音が響いた。重い音。すぐ目の前の岩の上だ。葵は駆け寄った。さっきの羽ばたきの主だろうか。
日が暮れてしまい、形の判別がよくできないが、大きな塊がうずくまっていた。動物だ。
「おい――」
しゃがみこんで、体に触れる。
羽根とおぼしい滑らかな感触に触れた。やはり、さっきの羽ばたきの主だろうか。翼は大きかった。自分の腕よりも長そうだ。羽の流れる方向と逆に、付け根のほうへ手を伸ばす。肩と思われるあたりで手触りが変わった。鳥の毛ではない。獣の毛だ。頭に手を当てると、鳥にしては大きかった。森猿や、町なかでよく寝そべっている犬たちくらいはある。そして、嘴はなかった。顔には触れない。口に手を出して、噛まれるのが怖い。
右手の袖が濡れていることに気づいた。血の匂いがする。どこか怪我しているところに触れたのだろうか。
葵は、横たわっている動物の体の下に両腕を差し込んだ。重さを感じる。足を踏ん張って持ち上げた。右手で頭部を支え、左手で胴体を支える。翼が地面を擦る音がした。抱きかかえた体勢で、一歩、二歩と歩き、そのままバランスをとりながら、天文台を目指した。
赤々と燃える二本の松明のあいだを通って、葵は天文台の敷地に入った。燃える炎は、死神が建物の中に侵入しないようにする結界だ。夜闇に乗じて、死神が島じゅうを歩きまわるのだ。
昼と夜の境界領域である二刻ほどの時間をすぎると、外を出歩くものはいなくなる。
両手がふさがっているため、葵は扉に体当たりしながら声を上げた。もう一段大きな声を張り上げたところで、中から扉が開いた。
迎えてくれたのは、葵の世話役になっている若い観測士の、土生千歳だった。建物の中に入ると、葵は抱えていた動物を床におろし、膝をついて息を落ち着かせた。天文台の中でも長身の土生が、高いところから、葵と動物を見下ろして訊いた。
「なんじゃこりゃあ」
「空から落ちてきた。血を流していたんで……」
室内の明かりの下で、葵もようやく動物の姿ぜんたいを見ることができた。頭の形は犬や狐のように口が尖っている、大きさは大型の犬くらいだ。肩から背中に生えた翼は長く、羽根の先端までは葵の身長ほどはあった。胴体はそれよりは短く、北森猿のオスくらい。四つ足、または手足を体を丸めているのではっきりしないが、両脚で立てる骨格のように見える。そして、脇腹と左足から血を流していた。切られているようだ。
獣とも鳥とも異なる、翼あるものの姿は、葵が初めて目にするものだった。
「見たことない動物だぞ。でも、血が流れていたら傷の手当てをすればいいってのは、同じだろうな。宿舎に空き部屋があったな、あそこに連れて行こう」
土生は翼あるものの傷の深さを診た上で、そのまま抱きかかえた。葵に治療薬など一式持ってくるように指示して、廊下を進んでいく。
医務室には誰もいなかった。麓の町の神澤先生は、急病人でもいなければ週に一回しか足を運んでくれないから普段は空室だ。そういえば何で土生さんはこの部屋に連れて来ようとしなかったのかと訝しみながら、葵は傷薬や包帯を探して、宿舎棟へ向かった。廊下が結ばれているので、夜闇の中を歩かなくても宿舎には行ける。空き部屋は階段を二階に上ってすぐの部屋で、入ると、板敷きの床に傷ついた翼あるものを横たえて、土生が待っていた。
「傷口を見たが、動物同士の、牙や爪による怪我じゃないな。刃物で切られてる」
土生はそう語ると、葵から薬を受け取り、すでに止血して血を拭き取っていた傷口に手際よく薬を塗った。それを見守りながら、なんで医務室に連れて行かなかったのかのかと気になっていたことを訊くと、人間が病気や怪我をしたとき使う場所に、汚れた動物を入れるわけにはいかないだろうと教えてくれた。包帯を巻き終えると、土生は、葵を促して部屋から出ようとする。葵は足を踏ん張って、その場を動こうとしなかった。
「こいつ、朝まで看ていてもいいですか」
「流星の観測はどうする?」
「見張りがいたほうが、いいですよね? 汚れた、見たことない動物が勝手に歩いたりしたら、よくないと思う」
言い終えて、うまい理由を考えつけたと思った。
「今晩は、他の者たちだけで観測するよ。もっとも数が多い日は、明日のはずだ。明日は忙しくなると思っておけよ」
「はい。ありがとうございます」
「昼には、館長が天文台に上がってくる。それまでしっかり看ててくれ」
葵は土生が出て行くのを待ってもらって、自分の部屋から毛布を運び込んだ。夜を明かす準備を整えた。
「あとは任せてください!」
言い切って、土生を送り出した。
翌朝、日が昇る前に葵は目を覚ました。
薄明の中で部屋には自分のほかには誰も、何もいないことに気づいた。
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