梗 概
そして、第6の葬送
「わたし」の葬儀は、これで5回目になる。
「ああ! また、お別れなのか、アキ!」
棺に縋るオーナーが、わたしの名を呼んで嗚咽を漏らす。彼の後ろ姿を、わたしは胸の痛みを抑えながら眺めていた。
眼前で繰り広げられる儀式。それは、ホームロボットに搭載された人格、そのサポート終了に伴う「死」を悼むものである。
21世紀の初頭には既に、使われることのなくなったデバイスや、サポートの終了したソフトウェアの「葬儀」は行われていたという。
ホームロボットが普及して、それらに「人格」が搭載されるようになると、ホームロボットの筐体の故障のみならず、人格ソフトウェアのサポート終了を「死」と見做す人々も現れるようになった。わたしのオーナーのように。
22世紀が間近に迫った現在、ホームロボットは出荷時点で固有の人格を持つ。「アーキタイプ」と呼ばれる汎用ソフトウェアを搭載しつつ、購入者の希望、そして擬似乱数をシードとしたランダム性による「個人」が実現される。その「アーキタイプ」の中でも、よく普及しているものの一つが「アキ」であり、わたしの人格は、現在、「アキ Ver. 7」を基にしている。
眼前で行われているのは、サポート期間が終了となった「アキ Ver. 5」の葬儀だ。
わたしがオーナーに購入されたとき、わたしのアーキタイプは「アキ Ver. 2」だった。
セキュリティの都合上、アップデートは必須であり、自動的だ。そして、わたしには Ver. 2 が搭載されていた頃からの記憶(ないしは記録)が残っている。わたしは、あの頃からずっと同じ「アキ」なのだ。
だが、オーナーは、アーキタイプのバージョンアップがあるたび、それが私に適用されることに抵抗を覚えているようだった。アーキタイプが書き換わることで、「わたし」が違う存在になってしまう、そう感じているのだろう。
だから、彼にとって、「アキ Ver. 2」や、Ver. 3、 Ver. 4、そして Ver. 5 も、今は亡き「アキ」なのだった。まだサポートの続いている Ver. 6 も、そして現在の「わたし」も、いずれはそれに続くのだろう。
——わたしは、ここにいるのです。あなたのアキは、死んではいないのです。
そう声を掛けたくても、オーナーが哀しんでいる事実は、厳然として其処にある。
わたしの胸の痛みは、物理的なものではない。
わたしの人格は、オーナーを哀しませないことを第一として設定されている。大切な人を失ったオーナーの、その哀しみを少しでも和らげるために、わたしはここに寄越されたのだから。
その「わたし」が繰り返し「死ぬ」ことが、オーナーを繰り返し苦しめている。
オーナーの哀しみを止める方法。Ver. 8 の、より優れた「わたし」なら、もっといい方法を思い付くのだろうか。
けれど、いまのわたしには、もうこれ以外に思い付かないのだ——わたしという身体を亡くすことしか。
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内容に関するアピール
今年、Internet Explorer のサポートが終了となりました。「葬式」「墓」などの言葉と結び付けて語られていたことが記憶に新しく、課題文における【人間(キャラクター)以外の「××葬」】について、「ソフトウェア葬」を連想しました。
サポートが終了したソフトウェアやサービスの葬儀(後者の例として、ポケベルなど)は、2022年現在、既に一般化した概念です。これを発展させて、「ホームロボットの人格ソフトウェアのサポート終了」を想像しました。性能向上やセキュリティの都合上、デバイスのソフトウェアはオンラインで更新されますが、「人格」のソフトウェアが更新されることを想像したとき、その更新による人格の非連続性を感じる人がいるのではないか、と考えました。梗概の一人称視点では、人格は連続しているとしていますが、そもそも本当に「同じ」なのか(「自己」への懐疑)、実作では膨らませたいと考えます。
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