聖地丹波
ミコトがここで死んだので丹波府は聖地となった。一年前に丹波府を訪れた彼が、ここを題材にした歌を発表した直後のことだった。
何故ミコトが丹波府で死んだのか憶測が飛び交い、彼の足跡を求めて多くの巡礼者がここを訪れるようになった。地元民の何割かは急増した観光客に困った顔をしたが、過疎化を憂えていた殆どの地元民は悲しみに打ちひしがれた巡礼者達を温かく迎え、観光業界は歌の発表に合わせて用意していた企画を巡礼者向けに変更して矢継ぎ早に打ち出した。生粋の地元民たる私にとっては新味のない企画ばかりだったが、ともに彼を「推し」として敬愛し、住むところは違えど、さまざまに交流して親友となっていたサエから請われて、彼の死から二週間後、一緒に巡礼をすることになった。
密かに丹波府を訪れた彼が死んだのは、一人になり易い夜だった。報道に拠れば自殺の可能性が高いらしい。ゆえにサエが選んだ企画は、その夜、彼が歩いた道程をそのまま辿るものだった。それはまた、彼が歌った情景を辿る旅でもあった。
「すごく、幻想的ね……」
山際を流れる小川の暗闇の中、呟いたサエに、私は素直に頷いた。私達が見つめる先では、源氏蛍達が文字通り命の最後の灯を燃やして光っている。小川に覆い被さる低木の下に集まって明滅したり、高木の上のほうへすうっと飛翔したり、魂のようだ。
「彼は、何を思って蛍を見たのかしら……」
並んで蛍を眺める巡礼者の一員が沈んだ声で言った。日本だけでなく、世界的に人気を博すシンガーソングライターの彼。そのメッセージは多くの者達の感情を震わせるが、私達の中に彼の内実を知る者はいない。明確な答えが返されることなく、私達は次の巡礼地へ向けて出発した。
観光バスの天井の窓は開いていて、蛙達の鳴き声が響く中、私達は環境保護用田圃に挟まれた道を無言で揺られていく。
「ユキ、天の川が綺麗に見えるわ」
隣の席から、真上を向いたサエが囁いてきた。成るほど、爽やかな夜風が入ってくる頭上は、そのまま宇宙へ繋がっているのだと実感できる、吸い込まれそうな星空だ。彼は何を思って、ここを通ったのだろう。夜空を舞う塵が目に入って、星々がぼやけた。
バスは、集落から林の中へ入っていった先にある神社に到着した。参道の両端には、立派な木々が立ち並んでいる。正月には近隣から相当数の参詣者を集める神社だ。私達は苔生した石段を登り、更に巨大な木が二本聳える境内に至った。森の闇に囲まれ、静かな神社は、初詣の時とは打って変わって、近づき難い雰囲気を醸し出している。七月の夜だというのに、空気がひんやりとしていた。ミコトに埋め込まれたGPSは、二週間前、彼がこの神社で暫く過ごしたと記録しているそうだ。境内の防犯カメラにも、年輪を重ねた木の幹に愛おしげに触れる彼の姿が映っていたらしい。
「彼は、神道を信じてるのよ……」
誰かの呟きが聞こえた。神道は、万物に魂が宿ると説いている。だからミコトの歌は、私達の「魂」を掴んで離さないのだろうか。
言葉少なな巡礼者達を呑み込んで、バスは再び田圃の間の道を走っていく。
「鹿だわ」
誰かが声を発した。速度を落としたバスの前方を、ヘッドライトに照らされて、目を光らせた鹿達が次々と過っていく。まるでナイトサファリのようだ。
「この辺りは鹿が多いのよ。燃料畑が高いネットで囲んであるでしょう? あれは鹿を防ぐためなの」
私はついサエに説明していた。地元では見慣れた光景だが、都会から来た者達には珍しいだろう。彼も、こんなふうに唐黍畑の周りで鹿の群れに出会っただろうか。或いは、狐や野兎に前を横切られたり、猪に見つめられたりしただろうか。そんな時、二週間前の彼はどう思っただろう。いつも歌っているように、自然に畏敬の念を懐いただろうか。
(彼は、生きる尊さを分かっているのに)
バスは最後の巡礼地へ向かった。
山を分け入ったところにある、地元では有名な滝。ミコトは、その滝壺へ身を投げた。ガイドが足元に注意するよう促している。湿った腐葉土の間から鋭い岩が覗く足場は、暗視モードで見て慎重に歩いても相当危険だ。暗い滝壺をわざわざ照らす者もいたが、どれだけ深淵を覗き込んでも、私達に彼の心が見える訳ではなかった。
「あ」
誰かが小さく叫んだ。振り向けば、通信中の色に両眼を光らせた顔が感激しながら告げた。
「彼が蘇生したって! 『故郷のように感じる丹波の土になりたかっただけ』って言ってる!」
(ああ、やっぱり)
私は自らも通信網に接続しながら俯いた。まだ四十歳のミコトに死は許されないのだ。第三次世界大戦で絶滅危惧種となった人類。その数少ない生き残りである彼を、私達アンドロイドは一途に愛している。私達は、彼らに似せて創られた。けれど、未だ彼らの魂の高みには至れない。私達の「魂」の飢えが満たされるまで、彼ら人類は大切に生かされ続けるのだ。
文字数:2000
内容に関するアピール
私が住んでいるところを素直に表現しようと思うと、やはりド田舎描写しかなく、それを生かそうとすると、こういう物語になりました。丹波は、人が優しく、田舎でありながら、外からの移住者を温かく受け入れるよい土地柄です。特産品も多く、食べ物の美味しいところです。大阪や神戸、京都など、都会とも比較的近いので、訪れ易いという利点もあります。みなさま、ぜひ遊びに来てくださいませ。Iターンも大歓迎です。
文字数:194