梗 概
宇宙の果ての金字塔
文字数:1198
内容に関するアピール
主に漫画の影響だと思うのですが、反物質、というものにロマンを感じてしまいます。作劇上では、場面に緊迫感を与え、宇宙船に搭載すれば長距離航行の理由付けにもなります。言葉自体も見栄えがいいですし、莫大なエネルギーによる破壊、といった派手な演出も可能です。このように物語では大変都合の良い反物質ですが、現実に利用可能かというと、もうしばらく時間がかかるようです。私程度の知識でも、現在使われている燃料の活用方法や保存方法を考えると、強大なエネルギーの安全性をどう確保するだろう、と余計な心配をしてしまいます。実用化されても様々な課題が生まれそうですが、それはそれとして、とても夢のある技術であることは間違いありません。もしも反物質エネルギーがあれば、現在世界が抱えるエネルギー問題の多くが解決し、太陽系外への進出だって夢ではなくなるかもしれません。そんな、夢とロマンを込めて書きたいと思います。
文字数:394
宇宙の果ての金字塔
1
全身を覆う無骨なパワードスーツにも似た宇宙服を着た男が、砂にまみれて坂道を登っていた。かれの後ろには、大きな電動式リアカーがあり、そこには大量の砂が積まれていた。男は坂を上りきると、体にフィットした白銀の宇宙服を着た監督官の前を通り、その横に積みあがった砂山の周辺に砂を流し、そしてまた、リアカーを引いて坂道を下って行った。
宇宙服にはアシスト機能があり、さらに電動式のリアカーにも動力を備えている。とはいえ砂の上げ下ろしや坂道を登る時、力が全く必要ないわけではなく、重労働であることには違いなかった。さらに、量産型の宇宙服は、内部空調に問題があり、密閉された服のなかは湿気でじめじめしていたし、汗もすぐに乾かなかった。
下りの途中、男と同じようにリアカーを引いた労働者が、坂道を登っていくのにすれ違った。同業ではあるが、特に挨拶もなく、ゆっくりとした足取りですれ違う。宇宙服のヘルメット越しですらその様子からして疲弊しているのが伝わってくる。
男の名はマークといった。かれは温暖な気候の惑星に生まれた。その惑星はかれの何世代も前に大銀河帝国の植民地とされており、マークは幼いころから働いていた。かれの住む惑星のように、人工ではない天然の食料生産に適した惑星は、上級貴族の嗜好品の供給源として扱われていた。
長い労働に従事していたある日、かれの住む集落に一つの通達が出された。
希望者には別の惑星で名誉ある仕事に従事する権利が与えられる。選ばれた者にはその家族に給付金が支払われ、さらに、その後の生活の安定が約束される。
かれはその募集に飛びついた。健康状態をはじめとした複数の検査を受けた後、かれは帝国の艦隊に乗せられ、現在かれのいる惑星に連れてこられた。
仕事を始めてすぐに分かった。ここに集められたのは奴隷だ。故郷の星でも奴隷に近い働くばかりの生活を送っていたかれであったが、この惑星での生活はその比ではないほどに過酷だった。
この惑星は朝や昼の区別がかれのもといた場所とは違う。かれの故郷の惑星での数日間がこの星での一日であったが、ここでは地球時間ですべてが稼働する。地球から人々が遠く離れて数十世紀経ったというのに、地球時間を採用していること自体が異常であったし、砂を運ぶなどという旧時代的な作業を人間にさせることにも納得がいかなかった。
マークの故郷には理由があった。
人工的に管理された食物の育成システムが確立されていたとしても、依然として人の手で育てられた植物を求める上流階級は存在する。かれらはその需要に合わせて食物を作り続ける必要があった。完全に管理された環境でも、作物はかれら農業従事者の世話を要求する。そしてたしかに、作物はかれの世話に応え、美しい花を咲かせ、穂を垂れた。そこには合理的な調和と意味に満たされていた。
だが、ここでの作業には理由というものが存在しない。
もしかしたら、とかれは考えることがある。自分の預かり知らぬところに意味が隠されているのかもしれない。だが、少なくとも、労働を管理する多くの担当官、そして監督官の行動からも、ほとんど情報を得ることはできなかった。
だが、一方でかれら労働者の一日は、厳格に規定されていた。
けたたましいサイレンとともに起床し、ひとひとりが生活するのにやっとの狭苦しい部屋で直立して待機する。小窓から食料が提供されると、壁から引き出した椅子に座り、口に流し込む。これがお世辞にもうまいとは言えず、朝から気が滅入る。そして、食事を終えると部屋に唯一存在する縦長のクローゼットをあけ、クリーニングされた宇宙服を着用する。
それから一日の大半を野外での作業に費やす。
外には恒星が見え、その光のもとで作業をすることがあるが、出ていない場合は、ギラギラとした強い光を放つ複数の照明により作業が開始される。後はひたすら穴の下で砂を積んでは上に運び、そして穴の底に戻るのを繰り返す。
これでは囚人ではないか、とマークは考えることがある。
作業が始まった当初は、あまりの労働環境に抗議の声が上がったものの、すぐに握り潰されてしまった。最新式の宇宙服で顔の見えない監督官が、同じく顔の見えない武装した部下に命じて、反抗を示したものをさらに環境の悪い隔離室に連行した。それ以来、抗議の声は上がらなくなった。
そもそも、マークのように後がない者たちであった。かれはほかの労働者に身の上を聞いたことはなかったが、その立ち振る舞いからまともな教育を受けていないことが窺い知れたし、かれの故郷の男たちに通じる労働者の雰囲気を感じ取った。
仮に労働者たちで力を合わせ、反乱を起こすことができたとしても、宇宙船の場所もわからなければ、操縦方法もわからない。つまり元居た惑星に帰ることのできる保証もないということだ。かれらは監督官の厳しい監視のもと、互いに言葉をかけることなく、永遠とも思われる作業の繰り返しに、その身を適応させることしかできなかった。
マークが穴を掘る作業に加わって、地球時間で約三年。穴も深く、大きくなっていた。
しかしそれは、マークたち労働者の力によるものではなく、地下深く掘り進むドリルの性能によるものだった。穴の中心から上空に向かって伸び、頂点から穴の外周を覆うように支柱がいくつも伸びている。その機械はこの三年間、休むことなく稼働し続けていた。
ドリルが時折、スピードを大きく抑えることがある。
それは機械の調整のためではなかった。穴の底に溜まった砂を労働者たちが運ぶことを待っているのだ。掘削のスピードに人が追いついていない。だが、そのことに疑問を持つものは労働者のなかに少なかった。かれらはもはや考えることを忘れ、ただ同じ動作を繰り返すだけの、掘削というシステムの一部分となっていた。
ただ、マークはほかの労働者とは少し違っていた。かれは、時折、かつての故郷の情景を思い返し、そして、無意味と知りながらも、自らがここにいる意味を考え続けていた。多くの労働者が完全な部品に成り果てるなか、かれだけは、思考を、言葉を忘れようとしなかった。
マークはもともと、ひとりで考えることが好きだった。
故郷の星で畑を耕している時でも、小型通信機を体に身につけ、流れてくる惑星間チャンネルのネットラジオを聞き続けていたし、仲間と話すのも好きだった。それくらいの自由が、かつての生活にはあった。
完全にマニュアル化された宇宙開拓時代の農業では、植物のことを知らずとも、AIの指示に従っていれば高品質な作物を育成することはできる。だが、さらに上質の作物を育てるには、より多くの知識がいる。ほかの仲間も、長年培った経験則の知識を備えていたが、マークはその中でも変わり者で、植物に関する文献に目を通すことを怠らなかった。
マークはいつも独り言で、過去の自分を思い出そうとしていた。言葉にすがることで、故郷と自分をつなげたいと考えていたのかもしれない。
かれは朝起きて、いつも頭の中のラジオをつける。
“さて、本日も始まりました宇宙の果てからこのおれ、マークがお送りしております”
それは、自分でもくだらないと思いながら始めた一人芝居でしかなかったが、かれが自分を保つことのできる唯一の方法だった。頭には、常にかれの言葉でラジオが流れていた。内容はと言えば、完全栄養食の量がいつもより少ない。味が悪くなった。そんな日々の愚痴だった。とても人に聞かせることができるような内容ではなかったが、それが、かれの精神を安定させていた。
かれは、砂を運ぶ途中、すれ違う労働者たちの様子をうかがってみる。厚い装甲に遮られて完全には把握できないものの、そこには深い絶望があった。すでに、かれらの精神はそこにはなく、労働というシステムに完全に組み込まれた部品でしかなかった。
マークは、ほかの労働者のようになるのが怖かった。労働が終わり、体を洗うため裸になる時にも、かれはできる限り口を開くようにした。周囲の監視におびえながらはじめはうーとかあーとか言っていたが、次第にボリュームを調整するようになり、さらにどれほどまでの独り言であれば許されるのかを探るようになった。
一度監視官に見つかって、食料を一時的に減らされたこともあった。だがそれ以降は、ラインを見極めて罰則を受けたことがない。かれにとっては、独り言もまた、単調な生活に刺激を与える娯楽であった。
ほかの労働者が周囲にいない時、前方にも後方にも一定の間隔が空き、誰ともすれ違っていない時、かれの口から頭の中のラジオが流れた。
「この仕事は、いわば人間というものの限界を図る、実験のようなものかもしれない。人をどれほど追い詰めれば狂うのか、そういう実験だ。おれがここに連れてこられて三年、三年だ。正確な日数は不明だが、だいたいそれくらいの時が経った。この三年、まったく同じ繰り返しが続いている。これは本当に労働なのか? 仕事に意味があるのならやりがいも生まれるが、砂を運んでいったい何になる。機械で運んだ方がずっと効率的なはずだ。コストの問題か? いや機械の単価を考えたとして、何十人何百人の家族に恩賞を払うことを考えると、それより高い機械はないはずだ。そもそも砂を運ぶ必要などない。掘削機がどのような技術で作られているのはかわからないが、砂を運ぶために螺旋状の通路を作るより、掘る部分だけ穴を開けて、掘削機に砂を地上に運ぶ機構をつけたほうがいいはずだ。どう考えてもおかしい。となると、おれはやはり、人を追い詰めるための実験に利用されているだけなんじゃないか……」
もちろん、宇宙服内部の音声が録音されている可能性も考えた。しかし、この独り言は二年目に突入し、もはや気にもしていない。聞くなら聞け、罰するなららしてみろ、という半ば自棄になったマークの行動は、監督官に把握されているのかいないのか、注意されることもなく、かれの習慣となっていた。
だが、かれも分かっている。こんなことを考えても無駄だし、いつ解放されるかも、つまり何もかもわからない、絶望しかない状態なのだということを知っていた。
長きにわたって続いていたマークの独り言は、ある時急に滞りがちになった。
具体的な労働の期間を考えることが増えると、愚痴が消え、体に倦怠感を覚えるようになった。契約書には期間についての記述はなく、「計画終了まで継続」とされていた。
現在三年が経ち、目的がわからない以上、明日終わるのか、それとも五年、あるいは十年かかるのか、それとも死ぬまで続くのか。これまで考えないようにしていたことが、常に頭を支配した。不安ばかりが募り、かれの言葉が消えた。
故郷にいる母親や妹は、どうしているだろうか。安定した生活を保障するという契約ではあったが、帝国に管理されている状況では、知れたものではない。
そんなある日、監督官が交代した。
この惑星には娯楽施設もなければ酒場すらない。マークは常日頃から監督官含め担当官たちを観察しているのだが、数ヶ月もすると苛立ちが宇宙服を通してわかるようになり、やがてまともに仕事をしなくなる。そうすると、新しい監督官に交代するようになる。監督官も人間であると、そこでマークは実感する。
新しく着任した監督官は、何かが違っていた。
穴の底から砂を運び、横を通り過ぎる際に、マークは視界の端に監督官の姿を収めた。監督官に与えられる宇宙服は最新式で、アシスト機能も最小限に抑えられているため、体にフィットするものとなっている。つまり監督官の体格がある程度分かるということだ。これまでは軍人然とした体格のいい男が監督官の任についていたようだが、新しい監督官はいかにもひ弱だった。
だが、マークはそれ以上のことを考えはしなかった。これまでのかれであれば、得られた情報から監督官の素性を勝手に想像したりするものだったが、もやはそのような気力を失いつつあった。
愚痴が消えて数日後、体がぐっと重くなり、アシストに任せることが増えた。
洗体の際に担当官にこのことを説明すると、明日の朝に医療区画に行くよう指示された。ここでは、不調を届け出るとすぐにそう指示される。使えない労働者は現場に必要ないというわけだ。
次の日の朝、マークは白衣を着た担当官に促され、首におそらく逃亡、反抗防止のための装置を首に巻き付けられた。そしてかれは就寝着のまま、白で統一された狭い通路を案内された。この惑星に来て、初めての感覚に新鮮な感動を覚えたものの、診察が始まるとすぐにそれは消えてしまった。
検査するのは、初老の医療官だった。清潔で厳しく管理された宿舎において、髭を生やした医療官の姿はどこか異様で、しかし、これまで接してきた担当官とは違う、親近感のようなものがあった。
マークはベッドに仰向けで寝かされ、複数の大仰な機械がかれを取り囲んだ。おそらく全身隈無くスキャンが行われているのだろう。検査はほとんど一瞬で終了した。
マークは医療官の前の椅子に座り、診断の結果を待った。
医療官は、
「あんた、自我を持っているね」
と口を開くなり言った。マークは医療官の言っていることがわからず、ぼんやり相手の顔を見た。
「答えんでもいい。ここにいる人間たちは、早々に人間であることを捨てる。人間を捨てなかったものは、ここに運ばれ、場合によっては死ぬこともある。同じことを理由もなく続けさせられることは、精神に大きく負荷がかかるようだ。これだけ科学が発展しても、人間の精神までは変えることができないという証明だな」
「おれは……」
「あんたの資料を見せてもらった。三年も働いて、一度もここに世話にならなかった人間はあんたくらいだ。だいたい一度は精神を壊し、砂を運んで、飯を食って、排泄だけをする機械に成り下がる。仮に自我を保つことができたとしても、やがて完全に使い物にならなくなる。だがあんたはちがう。どういう方法を使ったのかは知らんが、あんたは強いよ」
「自我とかはよくわからないです。おれはただ、自分の言葉を守ろうとしただけで……」
すると医療官は驚いた顔をした。
「ほう、言葉も残っているか。それはすごい」
「でも最近は、それも難しくなっています」
医療官は同情するような視線をマークに投げかけ、
「余計なことは言わんでいい。余計な思想は処罰の対象になるからな。私の権限はここでは大したことはないが、しばらく休んでみることだ。地球時間で二週間ほど、いわば半月だな。私の裁量ではそのくらいが限界だろう。食事や睡眠の時間を変えることはできない。しかし、労働の間の時間は、部屋で眠ろうが、野外をうろつこうが何をやってもいい」
と言った。マークは信じられない言葉を聞いて、思わず立ち上がった。
「そんなことが、許されるんですか……」
「ああ、ただ、余計なことだけはするな」
「余計なこととは?」
「この星には何もない。何もないが、山もあれば崖もある。岩もそこらに転がっている。うっかり転ぶ、あるいはうっかりその辺の石を拾って、自分や別の誰かに当てる。それだけはやめておいた方がいい、見たところ、お前はまだ安定している」
「そんなことはしません」
「するかしないかは、お前の精神にかかっている。だが覚えておけ。お前たち労働者の契約はこの作業が終了するまでだ。それの前に作業中の死や精神崩壊以外で、自らの命を絶つ、あるいは監督官や他の労働者に危害を加えれば、お前に与えられたものは一切没収、取り立てに会うことになる」
その言葉を聞き終わらないうちに、マークは医療官に詰め寄ろうとした。首の制御装置が赤く光り、マークの首筋に軽い電流を流して警告する。かれはやむ負えずその場に止まり、
「おい! 知っているのか! おれの家族は、確かに、金をもらっているのだろうな!」
必死の形相で叫ぶマークを前に、医療官は極めて冷静だった。
「安心しろ。これ以上深くは言えんが、この計画は厳格なルールにより進められている。労働者の家族には金を払う。これが守られなければ、この労働の意味が無に帰すことになる。つまりはそのことに関してだけは安心していればいい」
「そうか……」
全身から力が抜けたようにして、椅子に座った。それからはいくつかの注意事項を聞き、かれは医務室から解放された。そしてかれは、この惑星に来てはじめての、限定的ではあるものの、自由を手に入れた。
2
自由を得ても、それをどう受け止めていいのかわからない。
マークは三年間の労働で初めて得た休暇を持て余していた。これまでの生活習慣は変えられず、通常通り朝起きて、食事をとり、宇宙服を着る。しかし、そのあとどうすればいいのかわからなかった。仕事が始まらない。休暇が始まって数日、かれはこの違和感に慣れることがなかった。
そのまま部屋で待機していることもできたが、担当官に申し出ると首に制御装置をつけるという制約はあったものの、外出許可が出た。労働に参加できない人間に人員を割くことはできないためか監視の目もなく、かれは荒れ果てた地面ばかりの土地をさまようことになった。
だが、慣れてしまえば案外快適な生活ではあった。
なにしろかれには退屈を紛らわす方法がある。独り言と頭の中の言葉さえあれば、どんなに長い時間であろうと容易に時間を消費することができた。恒星が空に出ていようが出ていまいが関係なかった。足元に注意しながらあてどもなく歩くことが、かれの日課になった。
恒星が出ている時は周囲の景色がよく見えた。とはいえ、楽しいものでもない。見渡す限り岩山の凹凸だけが広がっている地平。建物らしい建物はなく、普段働いている穴の方に目をやると、掘削のドリルとそれを支える支柱が聳え立っている。他はなにもない。虚無の世界。だがそんな場所でも、かれは独り言をつぶやきながら歩き続けた。
「休みをもらうことはできたが、おれにはもうその必要はない。なぜならその原因はすでに解決しているからだ。おれは家族のことを気にかけていた。医療官のことを全て信じるわけではないが、他に情報が手に入らない以上、おれは信じることにした。だからもういいんだ。工事が終わるか、おれが死ぬか、そのどちらかまで働くだけだ」
ふと、遠くに目をやると人影のようなものが見えた。穴からはずいぶんと離れている。こんな場所に人がいるはずがない。担当官が何らかの調査をしているのだろうか。マークがそう思った矢先、かれは嫌な予感がした。その感覚を確かめるよりも先に、かれは走り出していた。
かれの故郷よりも少しばかり重力が軽い世界で、さらにアシスト機能も加わって、かれの力強い一歩は、地球単位で数十メートルの跳躍を成し遂げた。
それから数歩進むと、かれは人影を間近に視認することができた。白銀の宇宙服を着た監督官に間違いないと思われた。監督官は、地面を切り裂く深いクレバスの底を、たった一人で見下ろしていた。
マークは直感する。あれを阻止しなければならない。「あれ」を頭で理解する前に、かれは勢いづいた態勢で監督官を突き飛ばした。
着地してすぐに、マークは自分のやってしまったことの恐ろしさに気づいた。自らの手で監督官に危害を加えてしまったのだ。かれはあわてて、首の制御装置に手をやる。何の反応もない。
とにかく、 監督官に自分が危害を加える気がなかったことを説明しなければならない。厳罰が課せられようとも、逃げて家族への報酬が無になることよりもずっとましだった。マークは体を起こそうとする監督官に駆け寄った。
だが、大声で喋ってみても、外に音が伝わっている気がしない。どうやら労働者の着る宇宙服には、外部に届くスピーカーが内蔵されていないようだった。すると、監督官は慌てふためくマークの腕に触れ、
「こうすれば音声が届くようになっている」
と言った。落ち着いた声で、怪我をしているようでもなく、マークは安心した。
「すみません! おれは……その……なぜあんなことをしてしまったのか、自分でもわからなくて、でも、そうしなければいけない気がして」
うまく話せない自分がもどかしかった。
「いや、良いんだ。君はぼくを助けてくれたんだろう?」
「えっと……はい、そうです。危ないって、ただ、それだけで……」
すると監督官は立ち上がり、体についた砂埃を払った。かれはマークに手を差し出し、立ち上がらせると、
「ありがとう。確かにぼくは助けを求めていたのかもしれない。いずれ礼はするよ」
と言って穴に向かって歩き出した。
その場に取り残されたマークは、生きた心地がしなかった。自分が罰せられるのか、そうでないのかの判断がつかず、長い時間をかけてかれの部屋がある施設まで帰った。
その誘いは、医療官を通じて知らされた。
朝、担当官に制御装置をつけられ、医療区画へと連行された。そこで医療官は、
「監督官殿がお呼びだ。長らくここで仕事をしているが、こんなことは初めてだ。なにか心当たりはないか?」
「その……」
マークが先日のことを説明しようと考えていると、
「言わなくていい。わたしは余計なことは知りたくない。とにかく、端末を渡すから、監督官のところに向かうように。もちろん首輪はつけたままだ。ほかの担当官はつけないようにとの指示ももらっている。迷わないようにな」
といかにも面倒臭そうに言った。
「わかりました」
マークは追い出されるように、施設外へ出た。
恒星が上空にある時刻であり、幸い足元に注意する必要はなく、マークは安心した。これまで何度か、暗闇の中をライトひとつで歩いたことがあったが、マップを見ながら無数に転がった岩を避けて目的地に向かう自信はなかった
労働者の住居区画とそれに隣接する食料、医療など監督官以外の担当官が寝起きする巨大施設から地球時間で数十分歩いたところにその邸宅はあった。
この惑星では労働者と担当官の生活水準は明確に分けられており、担当官は労働者よりもはるかに広いスペースと快適な生活が与えられていた。なかでも監督官は、旧世紀の豪華な邸宅が与えられ、そこに一人で住むことになっていた。惑星での特権性を住居でも示しているというわけだ。もちろん、旧世紀なのは外観だけで、その内部は完全に自動化された機能的な住居となっている。
事実、マークが邸宅の前にたどり着くと、扉は自動的に開いた。そこに玄関はなく、密閉された空間で強い風が吹き付けられ、合成音声により宇宙服を脱ぐように指示された。外からの埃などを住居に持ち込ませない配慮だ。何もかもが行き届いている施設の内部に、マークは驚きながらも、改めて、自分がここに呼ばれた不思議を思った。
「やあ、よく来てくれた」
正面の長いエスカレーターから現れたのは、監督官だった。どう反応してよいかわからないマークは、棒立ちのままじっとしていると、監督から手を差し伸べて握手を求められた。監督官に触れることなど絶対にあってはならないことと命じられてきたかれが躊躇していると、
「決まりなんか気にするな。楽にしたらいいさ。今日の君は労働者ではなく、ぼくが呼んだお客なんだから」
監督官は微笑み、マークはその表情に応えるように相手の手を握り返した。
監督官の食事は、当然のことながら豪華だった。
時間を短縮することに特化した完全栄養食に慣れていたマークは、その味の奔流に頭が混乱した。味。この数年間でほとんど意識してこなかったものだ。味が薄いか濃いか、そのバランスでうまいかまずいかを判断する。そんな生活を送っていたかれには、ドレッシングのかかった野菜ですら少し刺激が強すぎたのかもしれなかった。
マークがフォークとナイフを手に固まっていると、
「すまない。口に合わなかったかな?」
と監督官が心配そうに尋ねた。
「いえ、長いことこんな料理を口にしたことがなかったもんで、うまいのかうまくないのかすらも分からなくなってて」
「ああそうか、もっとスープとかそういうものから出せばよかったかな。内臓に負担をかけるのはよくない。量はあまり食べないほうがいいかもしれないな」
「そうします」
味の調整された薄いスープと、マークのために用意された完全栄養食を平らげて、マークが所在なさげに椅子に座っていると、食事を終えてグラスに入ったワインを口にした監督官が、
「君はこの惑星に来る前は、いったい何をしていたんだい? 医療官から聞いたよ。なんでも労働者に珍しく、しっかりとした思考能力を持っているそうじゃないか。ぼくに話してみないか。君ら労働者と同じく、ぼくたちもまた、人との会話が制限されているんだ」
と訊いた。
そこでマークは少なくとも、危害を加えられることはなさそうだと判断し、注意深く、自分の出自について話した。
マークは帝国の監視下のもと労働を強いられていることなどには触れず、上流階級御用達の作物や家畜を育てていたこと、そこに帝国からの募集がかかり、この惑星にやってきたという当たり障りのない話をした。
「なるほど! タンガニア製か! それは貴族のなかでもよほど高い階級でなければ口にすることができない食材だ。そうか……なんだか有名人と知らずに話していて、今気づいたような感動を覚えているよ。すごいなあ! ぼくは君の作ったもので育ったようなものだ」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
マークがぎこちない受け答えをすると、監督官は難しい顔をした。
「そんなにかしこまらないでくれ。もっと砕けた感じで話そうじゃないか。君は客人で、ぼくは招いた側なんだから。ん? ちょっと待ってくれ。 もしかしてぼくの名前をまだ言ってなかったんじゃないか?」
監督官は椅子から立ち上がり、すまなそうな表情をした。
「そう、ですね」
マークが答えると、
「それはすまなかった。ぼくはストルフ。君は……」
「マークです」
「マーク! 君の名前も聞いていないとはどうかしている。ぼくのことは監督官ではなく、ストルフと呼んでくれ。呼び捨てにしてもらっても構わない」
「それは、できないです」
マークは慌てて言った。
「まあ、それは今後変えていけばいいとして、とにかく、今日は来てくれてありがとう。ぼくにもやることがあるから、食事だけで済まないが、また君の故郷の話をしてくれよ。今度は君に合う食事を用意しておくからさ。なあに気にするな。君はぼくの命の恩人なんだ。ぼくにとっての是非はさておいて、考えを改める時間をもらった。ぼくは君に感謝しているんだ」
一方的にまくしたてると、かれは席を立ち、マークに再び握手を求めた。マークは握手を受け、ストルフと名乗った監督官に言われるがまま、入り口に戻り、宇宙服を着て、外に出た。
「なんなんだ……」
相手の目的も、理由も判然としないまま外に放り出され、マークは途方に暮れた。
3
それから昼食の時間になるとマークはストルフの邸宅に招かれた。
最初の訪問ではわずかしか食べることができなかった料理も、難なく食べられるようになり、マークはストルフに感謝の言葉を伝えた。
「こんなにおいしいものは食べたことないです。ありがとうございます」
「いや、いいんだいいんだ。それよりも君の話を聞かせてくれよ。前に住んでいた惑星ではいったいどんな生活を送っていたんだい?」
それが、毎日のように続いた。
幸い、マークにはストルフを喜ばせる話題をたくさん持っていた。ストルフは自ら食にうるさいと断言しており、マークの語る農作業の工夫に目を輝かせた。
例えば、蕪の育て方。カブは排水性に優れ、保水性の富む土壌を好む。種が発芽するまでは土が乾燥しないように小まめに水やりをすることになるが、発芽後はあまりにも過湿になりすぎると病気の原因になってしまう。AIに管理されたプラントでは、それらを考慮した上での土壌の水分調整がなされるが、その日の気候によっては人の手が必要になることがある。
「しかし、そんなことが可能なのか? 生育システムはAIにより完全に指定されているんだろう? だったら人間の手で補正などしたら、その後の作物に影響が出るんじゃないか?」
と鋭い質問をする。するとマークはうれしそうに、
「そうなんです! だからおれたち農家の人間は自分たちの工夫を畝に施した後に、AIのスキャンを物理的に回避する必要がある。これは農家ごとにさまざまなんだが、スキャン防止のためのカバーを作物にかけるとか、スキャン時に合わせて一時的に畝をいじるとか。これが案外大変なんだが、しっかりやると作物の出来が違うんだ」
と早口で捲し立てた。
「それはつまりAIの癖を把握し、先読みしながら育てると言うことか。そう言う話を聞くと人間の可能性ってものに感動するな」
「だから農家間の情報共有は欠かせない……ああ、すみません」
教えがいのある相手で、マークの言葉は時折荒くなってしまったが、そのたびにストルフは、
「いいんだ。それよりもほかの話を聞かせてくれよ」
とかれに求めた。
それはマークにとって、この惑星以来初めて得た充実した時間だった。これまで独り言をつぶやくことしかできなかった灰色の生活が、光り輝くものに変わった。それは、話をしっかりと聞き、適切な質問をしてくるストルフの存在も大きかった。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまうものだ。
マークの自由期間が、ついに終わりを迎えようとしていた。マークがそのことをストルフに伝えると、かれは残念そうに、
「そうか。今日で君との食事も終わりなんだな」
「すみません」
「いや、君が謝ることではないさ。ここの規定はぼくですらおいそれと変えることはできないからね。ここでの情報はすぐに当局に送られていることになっているし、実態はともかく、決められた事項を守らなければ査察が入ることにもなりかねない」
「今までありがとうございました」
マークが礼を言うと、ストルフはしばらくかれの顔をじっと見つめて、
「最後に、ぼくの話を聞いてくれないか」
と言った。
「ええ、もちろんです」
ストルフが話したのは、かれの素性についてだった。
「ぼくはね、前にも話したと思うけれど、上流貴族の出身なんだ。とはいっても、帝国が成立してから新興で立ち上がった成り上がりなんだけれどね。だから歴史もないし、金はあるけど文化は他人の真似事ばかりっていう、大したことのない家柄なんだ。でも自由だけはあった。ぼくが一応優秀な成績で学校を卒業すると、ぼくは父から自由に使える多額の資金と大きな権力を与えられた。自慢ではないけれど、成り上がりの子どもとはいえ、品行方正でやってきたんだ。親から言われたことは全部やったし、教師の言うことだって聞いた。でもね、いつも自分の家のことを、もっとどうにかできないものかと考えていた。金がいくらあったとしても家名を挙げることは難しい。惑星間戦争が終結してからというもの、一度作り上げられた階級システムは簡単には覆らない。でも、ぼくは自分の領分も知っていた。度胸もないし、どんな分野でも革命的なことを成し遂げるような器じゃない。だから金を出した。今思えば胡散臭いやつだったよ。学校の知り合いで、新しい会社を立ち上げるといってね、金を出したんだ。ぼくはなにかを変えようと思ってるやつに弱くてね。言われるがままにいくらでもだした。かれが世界を変えるなら、ぼくの金なんてどうでもいいと思った。でも、それは間違いだった」
しばらく黙ってしまったストルフに、マークは、
「どうなったんですか?」
と訊いた。
「ああ、すまない。あの頃のことを思い出してね。簡単に言うとさ、ぼくの金は、帝国の上部に入り込み、温情もらうための賄賂になっていたんだ。馬鹿な話さ。ぼくは革命のために金を出していたつもりが、体制側に媚びを売る道具にされていただけだったなんてね。ほんと、つまんない話だよ。それで、その友だちは厳しい尋問を受け、すぐに処刑された。資金源となるぼくも査問を受け、そして、この宇宙の果ての閑職に回されたというわけさ。ここに来る人間は多かれ少なかれ脛に疵を持っている者たちさ。どうだい? くだらない話だろう?」
「そんなことは、ないと思います。少なくとも、世界を変えようと思ったんでしょう? おれはそんなことを考えたこともないですし、自分に与えられた仕事をやってきただけだから」
マークが言うと、ストルフは再び長い沈黙ののちに、
「マーク。君にはにもう一つだけ言わなきゃいけないことがあるんだ」
と言った。
「君は休暇の最終日となるわけだが、その大切な時間をもらってもいいかな。もちろん、断ってもらっても構わない。あまり明るい話でもないからね」
「おれは大丈夫です。一人になってもすることもないですし」
「そうか……」
そして、ストルフは話し始めた。
「大筋の話をする前に、まずはアルベルトという研究者のことを話そう。アルベルトは地球圏の生まれで、若い頃からその頭角を現した。宇宙開拓が人類全体の課題としてもてはやされた時代だった。そこでかれは、宇宙開拓技術に関する革新的な発見をいくつも成し遂げた。ここで発見について細かく説明する気はない。ただ、そういう時代を変える天才がいた、ということだけ理解してくれればいい。アルベルトは若くして宇宙開発技術の権威として名をとどろかせた。かれが次に取り組んだのが、反物質の生成方法についての研究だった。反物質についての知識はあるかな?」
「わからないです。おれは作物のことしか」
「なるほど。では基本的なところから説明しよう。君に分かりやすいように専門的な話はしないつもりだ。人類の大きな発見の一つに電力活用が挙げられる。電力の供給はひとひとりの生活環境に機械を導入し、さらに快適な生活を送ることが可能になった。電力を生み出すには燃料がいる。かつての人類は、化石燃料と呼ばれる地中深くから採掘されるもの燃焼させることでタービンを回し、電力を手に入れた。文明的な生活を送るためには電力が不可欠であり、燃料のために争いが起きたこともある。人類の歩みとは、燃料の獲得の歴史といっても過言ではなかった。新たなエネルギーとして取り沙汰されたのが核燃料だ。核燃料について深く掘り下げるつもりはないが、物質を構成する原子の核を分裂、あるいは融合させることにより、化石燃料を燃焼させるよりはるかに高いエネルギーを生み出すことができた。だが、宇宙開拓を志した人類には核燃料ですら物足りなかった。そこで人類がたどり着いたのが、反物質だ。君がかつて生活していた故郷でも利用されているはずだ。ここまでは理解できるかな?」
「電力まではなんとか……」
「それでいい。燃料の変遷の大まかな流れだけ掴めばいいんだ。さて、ここで反物質は何なのかということだが、難しい説明を省くと、物質を構成する電子と呼ばれる粒子にはその対となる反電子が存在し、反物質は反電子などにより構成された物質というわけだ。反電子は電子と相互消滅する際に莫大なエネルギーを発生させる。人が宇宙に旅立つには、その莫大なエネルギーが必要だった。宇宙開拓時代での燃料の問題とは質量の問題でもある。遠くへ行くためにはそれだけ多くのエネルギーが必要となるが、多くの燃料を積み込もうとすれば、その重量によりさらに大量の燃料が必要となり、向かう先が遠くなればなるほど宇宙船が巨大化してしまう。だが、反物質はそれらの問題の多くを解決する。しかしながら、この反物質には巨大なデメリットも存在する。反物質生成には莫大なコストがかかる。反物質は粒子加速器と呼ばれる装置により生成されるわけだが、反物質は極めて短命であり、瞬時に消滅する特性を持っている。つまり生成の安定化と保存が非常に困難だった。人類は反物質生成のために無数の失敗をし、保存方法についてもありとあらゆる検討がなされた。そして、大きな犠牲を払いながらも、反物質を搭載した宇宙船が完成し、宇宙開拓時代が到来する。問題点は明白だろう?」
「つまり……コストがかかりすぎる?」
「それだけ分かれば十分だ。反物質を利用し始めた人類の次の課題は、いかに反物質生成のコストを下げるかということに集中した。そこで革命ともいえる技術を生み出したのが、アルベルトという研究者だった。かれが何をしたのか。当時の地球では、二つの先進技術に注目が集まっていた。一つは外宇宙への進出のための宇宙開発技術。そしてもう一つが、人の脳とオンライン空間を接続する電脳技術だ。アルベルトはその二つを組み合わせ、誰もがやろうとしなかったことをやった。反物質を生成する粒子加速器の領域は、その時点で、AIの助けを得たうえですら、もはや人類に把握できるものではなかった。粒子という極小の世界。そして超高速。さらには人類が扱うには過ぎた極大エネルギー。アルベルトは粒子加速器と自らを接続し、反物質を感覚で捉えようとした。かれは後に語っている。『その時、粒子加速器はまるでわたしの血管となり、電子の流れは血流となった』のだそうだ。数年間、体の不調を乗り越えながら、かれは反物質が生成される最適なシステムと保存方法を発見した。一度システムが発見できれば、AIにより容易に再現が可能だ。かれの発見はすぐに現場の宇宙開発にフィードバックされ、大きくコストを下げた状態で長距離航行が可能となった。さて、ここからは君も知っている範囲のことかもしれない。アルベルトとはのちの皇帝だ」
「まさか……? 名前だけは聞いたことがありますが、そんな……」
「そうだ。かれは反物質生成の効率化により、一躍全人類の英雄となった。かれはそのまま研究を続けることもできたし、技術特許により得た莫大な資産を使って悠々自適に生活することもできた。だが、かれのやったことは、ある特定の惑星連邦と手を組み、長い時間をかけてようやく他星系に版図を広げようとしていた人類の多くを抹殺する兵器を提供することだった。惑星国家は次々と征服・統合され、やがて、大銀河大帝国を樹立した。このあたりのことはかれの伝記に詳しい。ぼくは読んだが、かれを称える言葉に耐えられなくて一度しか読めなかったね。伝記を読んで思ったのは、アルベルトは研究者としての能力だけでなく、高いカリスマ性と謀略の力を併せ持っていたということだ。かれは競合相手を次々と亡き者にした後、大銀河帝国の皇帝の地位を手にした。かれは贅沢の限りを尽くし、そして、老いていった。巨大な権力を持つ人間が死ぬとき、何を考えると思う?」
「……想像もできないです」
「老いたかれは、自らの葬式について思いを巡らせた。そして、死ぬ間際、帝国の官僚たち命じた。自らの死体を惑星ごと反物質で消滅させ、そして破壊された惑星を未来永劫、かれの墓として語り継ぐ。君も疑問に思っていたはずだ。なぜ砂を運ぶなどという旧時代的な不合理なことをするのか。それは、これが、葬式であり、儀式だからだ。偉大な人間の死には、手間をかけた壮大な仕掛けが必要だと考えたのだろう。そして、われわれは、葬式の供物に捧げられるというわけだ」
マークは息をのんだ。
すべてを語り終えたストルフは、マークの顔を見た。
マークは驚きの表情を浮かべたが、すぐに落ち着いた表情に戻り、
「教えてくれて、ありがとうございます」
といった。
ストルフは立ち上がり、体を震わせていた。
「なぜ、おびえないんだ! これから君はもう、故郷には帰れないということなんだぞ! ぼくたちはたかだか、一人の男が死ぬというだけで、巻き添えで殺されてしまう。なぜそんな穏やかな表情でいられるんだ!」
かれは叫んでいた。だが、マークはその表情を崩さなかった。
「おれはずっと、この労働に一体なんの意味があるのかと考えていたんです。でも、今その理由が分かった。医療官からも聞きましたけど、ストルフさんの言葉で確信しました。おれの家族は安心だ。おれが儀式にささげられるということは、おそらくよほどのことがない限り約束は守られる。家族への恩賞まで含めて、儀式だからだ。おれは知れてよかった。ただそう思っています」
「ぼくが聞きたいのはそんなことじゃない! これから死ぬんだぞ。ただ死を待つことがどれだけつらいかは、ぼくが一番知っている。そのために、ぼくは身を投げようとさえした。ぼくはひどいやつだ。自分だけで抱えていればいいものの、やがて殺されることを君に話してしまった。だれかに苦しみを分け与えたかったという理由でね。どうして苦しまない。これから死んでしまうというのに!」
「おれはいいんです。今までだって、なにか自分でしたいとか、やりたいとか思ったことはないです。ただ、仕事をやって、仕事のことを知って、それについて話すことができれば十分だった。ここでは、そんな機会が与えられないと思ってましたが、あなたに教えてもらった。だからもういいんです。もちろん死ぬのは怖い。死ぬことによってこれから先、得られるであろう物が失われるのに悔しい気持ちもある。でもそれだって、家族が幸せでいることや、おれが自らの死ぬ理由を知りえないということに比べたら、大したことはないんです」
「そんな……馬鹿な……ぼくは死にたくない。やり方が間違っていただけで、ぼくの家の持つ権力があれば、帝国の中枢にだって上り詰めることができたはずだ。だが、死んでしまえば何にもならない。ぼくは宇宙の塵と化し、誰に気づかれることもなく、やがて忘れ去られてしまう」
「おれはよくわかんないです。でも生き物である以上、いつかは死んでしまいます。おれたち農家が、どんなに手を施したとしても、AIによる完全な環境を構築したとしても、予期しないエラーは必ず起きるし、作物が死に絶えることもある。そうしたとき、おれは考えるんですよ。人もまた作物と同じで、どんなに環境が良くても、突然死ぬこともある。その考えを人に押し付けるつもりはないですが、そういうもんだと思ってます」
「ぼくにはわからない……ぼくたちは、死んでしまうんだぞ! 計画はまもなく終了する。目的の深さまで掘り進めば、すぐに反物質とアルベルトの死体が設置され、惑星が破壊されるんだ。ぼくたちに残された時間はあとわずかだ。しかし、どうすることもできないことも分かっている。この宇宙で最も権力を持っていた男が死ぬ間際に残した決定だ。ぼくにも、誰にも絶対に覆すことはできない。この権力構造がいつか終わりを迎える時が来るかもしれないが、少なくとも、今ではないことは確かだ。つまり計画を止めることは不可能なんだ」
「おれも分かっているつもりです。ストルフさん。でも、おれは、そんなことを考える必要はないと思っているんです。あと地球時間で何日なのかわからないですが、その時まで、おれはほかに考えるべきことを探したいと思いますよ」
「うるさい! お前は結局は死の恐怖から逃げているだけだ! 死と向き合おうとしているぼくとは違う! 君ならぼくの気持ちを理解してくれると思っていた。でも違ったんだ。さっさと出て行ってしまえ! 君の顔など見たくない!」
「行きますよ。あなたと考えを共有することができなくて申し訳ないと思っています。ですけど、あなたが教えてくれたことは、本当に感謝しています」
マークの答えに、ストルフは返事をしなかった。ただ、食卓に突っ伏して、激しくうめき声をあげていた。マークはしばらくストルフの様子をうかがっていたが、やがて椅子を立ち、かれに背を向けた。
外に出るために着る宇宙服が、いつもよりも重く感じた。
4
それから、二人は一度も会話を交わすことなく、数か月の時が経った。
その間マークは、脳内ラジオと独り言により、自我を保ち続けた。過去の記憶を振り返り、記録することはできないが、頭の中にできるだけ、その情景を刻み付けておくことに努めた。あとどれくらいでストルフの言っていた惑星破壊が行われるのかは分からないが、作業が順調に進んでいることは疑いなく、目に見えて、穴が深くなっていることが分かった。
最近では作業員の数も増え、より多くの砂を運べるようになっている。
ようやくその時が近づいているようだとマークは考えた。
ある時、砂を運んでいると、パワードスーツを着た一人の護衛が近づいてきた。かれは何も言わずにマークの腕をつかみ、そのまま通路を外れて、連行された。
マークは命の危険を感じた。あれからも独り言を続けていたが、実は録音されていて、思想犯としてついに捕まってしまうのだろうか。
連れていかれたのは医療区画だった。そこには彼を診察した医療官がいた。
「こんなことをしていいのかねえ」
「いいのさ」
その声には聞き覚えがあり、マークはパワードスーツのほうを見た。頭部のヘルメットを外すと、そこにはストルフがいた。
「ストルフさん!?」
「ほかの者の手前もあるし、マークを一人特別扱いするわけにはいかなかった。だからこうするほかなかったんだ」
ストルフは笑顔で言った。
「どういうことです?」
マークが聞くと、
「ちょっと待ってくれ」
そう言って、パワードスーツを脱ぎ、かれは、マークに向き直った。
「惑星破壊の日が決まった」
「そうですか……ついに」
「わたしとそこの医者以外は誰も知らない」
「別に知らなくてもよかったんだがな」
と医療官は難しい顔をして言う。
「常々この世に未練はないと言っているじゃないが」
「まあそうなんだが」
「あの……」
マークは二人の会話に入ろうとするが、
「それでだ。当日ももちろん、仕事は続けさせられ、爆破まで、何も知らされないことになっている。しかし、ぼくは、君にこのことを知らせたかった」
というストルフの言葉に、
「はあ……」
と返すことしかできなかった。
「医者、頼むよ」
ストルフに促され、医療官が先をつづけた。
「つまりな、お前の精神が再び悪化して、休みをもらうことになったってことだな。当日まであと少しだが、ゆっくりしてくれや」
「まあ、つまりはそういうことだ」
「おれにそこまでしてくれるんですか?」
マークが不安そうな表情で聞いた。あれほどのことを言ってしまったのに、ストルフはマークのことを考えてくれていたのだ。
「いいんだ。この前はすまない。あれからいろいろなことを考えた。考えるってのは苦手なんだけれどね。ぼくの考えはぼくの考えだ。でも、君の考えもまた、君の考えだ。あの時君が言ったことを何度もかみしめてみたよ。なるほど、含蓄がある。ぼくとは全く違う意見だ。そしてぼくは最後のその日まで、楽しむことにした。君にも楽しんでほしい」
「おれは、そんな、良いんですか? だって、おれはただの労働者で……」
「人の好意は受け取っとくもんだ。わたしもそうする。これからしばらくはやりたいことをやれるだけやることにする」
医療官がマークに向かってにやりと笑った。
「もののついでだ。この医者にもおこぼれをあげようと思ってね」
「何て言い草だ。おれの診断書がなければお墨付きはつかんぞ」
「だから、自由を与えようっていうんじゃないか」
二人の会話を黙って聞いたていたマークは、
「ほんとうに、ありがとう……」
と頭を下げた。
「礼を言うな。どの道、爆発までの自由を与えることくらいしかできないんだ。しかもたった数日だ。通達がもっと早ければ、準備もできたんだがな」
ストルフの言葉をもってして、マークが与えられる最後の自由期間が始まった。
惑星が破壊される当日。
マークとストルフは長椅子に座り、邸宅の屋上で空を眺めていた。
「いろいろとアルベルトという人について調べてみたんだが、ワープ航法にも携わってたらしいな」
マークがストルフに話しかける。ストルフはかれに自由を与える代わりに、丁寧な言葉を禁止した。それ以来、マークはストルフにこの話し方を続けていた。
「おお、そこまで調べたのかい? そう、この広大な宇宙を自由に行き来するためには、反物質ですら足りなかった。当初は冷凍睡眠による長期移動が検討されていたが、その必要もなくなったんだ。ワープ航法が開発されてからというもの、惑星間に時間の差がなくなり、結果人々は時間という壁を越えて惑星間での交流を行うことができたが、同時に、戦争の激化と支配領域の拡大を生んだ」
「伝記を読んだ。専門用語も少なくて割と読みやすかった」
「われわれにとっての聖典だからね。読みやすく作られているのさ。それにしてもある一定の教育を受けていないと難しいはずだよ。やっぱりすごいね」
「そこで気になったんだが、なぜアルベルトは反物質にこだわったんだと思う?」
「ふむ。考えたことはなかった。確かに莫大な費用をかけた延命治療と限定的な冷凍睡眠によって、かれの寿命は通常の人類をはるかに超えていたが、なぜ旧時代的な反物質にこだわったのかは疑問だな」
「おれが思うに、反物質はアルベルトにとっての子どもだったんじゃないか。アルベルトの伝記には『わたしは自らと一体化した粒子加速器から生まれた反物質を誇りに思う』と書かれていた。すべてを手に入れた後でも、反物質を生み出した時のことが忘れられなかったのかもしれない」
「面白い考えだ。確かにアルベルトは、最後まで妻を持たず、正しい意味での王位継承者を置かなかった。子どもを持った様子もなければ、養子を迎えたとも記載されていない」
「さすがに無理がある考えだとは思うが……」
「そんなことはない。実際かれの反物質に対する執着はすさまじいものだよ。ワープ航法が開発されて以降も、旧式の反物質エンジンを積んだ宇宙船を手放すことはしなかった。しかしなあ、君がそこまでアルベルトに興味を持つとは思わなかったよ」
「ストルフから話を聞いて、かれのことをもっと知りたいと思った。最後の最後でこんな話をするのはよくないが、我慢できなかった。すまない」
そこでストルフは大きく笑い声をあげた。
「気にするなよ。最後まで黙ったままってのも面白くないからね」
それから、しばらくの間、二人の間に沈黙が訪れた。
「あと少しで予定の時間か。ここから宇宙船が見えるんだろう?」
会話を切り出したのはマークだった。
「うん。もうちょっと高台があればいいと思ったんだけれど、あいにく、この家よりも高い建物はなかったからね。しかたない」
「医療官は?」
「ああ、言ってなかったっけ。かれは来ないよ。最後の最後で、かつての地球で作られた映像作品を見ながら死ぬんだってさ。ま、そういう考え方もあるだろうね」
「映画というやつか。面白いと聞いている」
「ぼくには懐古主義とかそういうものがわからないね。でも、アルベルトもそうだし、人は年を取るとそうなってしまうものかもしれない」
「そうだな」
「ほら、見えてきた」
上空には無数の流れ星が見えた。
「聞くところによると、あれは、アルベルトの所有の宇宙船なんだそうな。帝国設立前のビンテージ物をリストアしたものらしくてね」
「さっきの話で出てきた旧式のか?」
「その通り。まったく理由はともかく、今見るとひどくセンスがないんだ。でこぼこしていて洗練されていない。あの宇宙船たちが引き金となって、地面に着地すればすべてが終わる。最後に聞くのも野暮ってもんだけど、ほんとうに怖くはないの?」
「いろいろ考えたんだが、おれも、死ぬ前になにか、後悔できるようなものがあればいいなと思った。例えば医療官の映画とか。でもおれにはそういうものがなくて、それだけが心残りと言えば心残りだ」
「はは! 最後まで君は面白いな。ぼくにもそんなものはないさ。ないものをあったらよかったというのは、なくて正解だったともいえる。われわれは、なんのあとくされもなく、この惑星の崩壊を見ることができる。これは素晴らしいことかもしれないな」
「ストルフには、後悔はないのか」
「ああ! なくなった。いろいろ考えて、考えつくして、結果、どうでも良くなった。君とは考え方が違うがそれもまた一つの考え方だ」
「おれもそう思う」
「ほら、星が大きくなってきた」
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