渋谷聖地巡礼ごった煮ツアー
協力するか、対抗するか。それが問題だ。
ビルに入ると、通路に人が溢れている。流れから外れて立ち止まり、ガイドが話し始める。
「渋谷マークシティです。呪術廻戦の渋谷事変、あれの舞台ですね。道玄坂口から入ってきたので、ここは四階で、ショップの集まるフロアです。上はオフィスフロアです」
マンガの当該ページと見比べると、間違いなくこの場所だ。
「しばらく渋谷事変の舞台を巡って歩きます。その後、ラブ&ポップ、バケモノの子、アフターダークの順番です。途中で宮下公園にも寄りますね。疲れたらおっしゃってください」
ガイドが物語中の戦闘や位置関係を説明し、私はきょろきょろ見回す。
ビルを出て東に歩いていき、副都心線で入場券を購入し、改札を抜けて五番ホームに立つ。ガラガラのホームを通り抜けて十三番出口から地上に出ると、マンガで見た光景が広がる。私は登場人物たちの戦闘を思い浮かべる。そこから南下したところの新南口は乗降客が多く、マンガのページと見比べるのが難しい。
改札階から地上へ、さらに道路脇から階段を降りると、用水路のような場所に出た。
「渋谷川です。ラブ&ポップのラストシーンに倣って歩きましょう」
ガイドはバシャバシャと用水路に入っていく。
「大丈夫ですよ」
と言われ、私も後に続く。
そうえいば、あの小説に出てくる援助交際というのは売春ではないか。
「そのとおりです。ただ組織による運営ではなく、こづかい稼ぎとして高校生たちが自発的にやっていました。非合法ですが罰則がなかったんですよ」
道路に上がると、高架下に通路があった。暗く、地面が濡れている。通路の片側には自転車が何台も停まっていて、もし暴漢に襲われたら、逃げるのも難しそうだ。バケモノの子のシーンを再生して、主人公が夜にここを歩いていたことを確認する。なるほど、こういうニュアンスの場所なのか。
「ここから、二〇〇〇年ごろの宮下公園です。危険はありません」
公園の隅にあるブルーシートのバラックをあごで示す。映画やドキュメンタリーで見たことのある風景だ。気だるい空気に包まれている。
公園を抜けて、坂を登ったところのデニーズに入ると、村上春樹のアフターダーク執筆当時が再現されていた。ガイドに促されてARゴーグルを外すと、さっきと景色が変わらない。内装も店員もメニューも、ARゴーグルへの投影ではなく、物理的に当時を再現している。私は二〇〇〇年ごろの、経済が落ち始めた東京の風景が好きだ。くすぶる活力と退廃の共存を感じる。
クリームソーダを飲みながら窓の外を見ると、当時の服装を着た人々が、当時の渋谷を歩いている。エキストラを雇っているのかと尋ねると、
「いえいえ、さすがにそこまでは。このサイズの8Kモニターだと、網膜がピクセルが判別できないので、本物っぽく見えるんですよ。あ、ちょっと失礼しますね」
とガイドが席を外して、トイレに行った。
私は席を立って、壁にかかっている絵画に近寄る。額の外側に、取っ手のようなくぼみがあった。防災上、窓を完全に塞いではならないはずだ。くぼみに手をかけてそっと引っ張ると、絵画が扉のように開き、その向こうに本物の窓がある。
顔を寄せて外を見ると、コンクリート打ちっぱなしの無機質な壁と、うす緑色のリノリウムに覆われた床が、立体的に広がっている。テナントの入っていない屋外ショッピングモールのような風景だ。ARゴーグルを装着した観光客らしき人々が、ガイドに連れられてふらふらと歩いている。私がそうしてきたように。
「バックヤードを見ないでください。浦安にある、御社のテーマパークもそうでしょう?」
戻ってきたガイドに咎められた。絵画の形をした扉を閉めて、席に戻る。
ARゴーグルで見せるのなら、渋谷である必要はないのではないか。この店だってコスプレ・レストランみたいなものではないか。
「今ではIT工場と呼ばれる渋谷のオフィス街が、マンガや映画の舞台でもある。そういう『渋谷』にいることが大事なんですよ。アナハイムや浦安まで行って、アトラクション待ちの行列に何時間もならぶのと同じです」
けれど、この街では新しい物語は、もはや生まれないのでは。
「二十一世紀以前を舞台にしたコンテンツを作ればいいんです。大河ドラマとか。あるいは転生モノでも。御社のキャラクターやパレードが登場してもおかしくない。渋谷はこれからも文化の発信地なんです」
協力するか、対抗するか。それが問題だ。
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内容に関するアピール
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