僕らの休眠預時間活用法

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梗 概

僕らの休眠預時間活用法

主人公は小学6年生の4人組。タツキ、シュウ、リツ、ハルト。4人は家庭環境も経済状況も違うが仲良しだ。だが中学進学による環境変化で、春には全員バラバラになってしまう。そんな最後の夏休み、4人は肝試しにやってきた廃工場で不可思議な体験をする。時間の流れが加速して、景色が早送りのように過ぎていく現象だ。工場を後にすると外では三日も経過していて、その間4人は行方不明扱いだった。明日はもう夏休み最終日。河原の秘密基地を完成させる約束が4人にはあった。こっそり集まって秘密基地完成を目指すも、無情にも日は暮れていく。悔しい。悔しい。苛立った一人が川に向かって石を投げた。
 その瞬間、時間が減速する。
 水面をスローモーションで跳躍した石が、空中で止まった。
 4人以外全ての時間が止まっていた。4人は沈まない夕陽の中で秘密基地を作り続けた。見事完成させた時、辺りは夜になっていた。時間は停止した訳ではなかったのだ。気が遠くなるほどゆっくりだが、確実に進んでいた。時間の流れは三日で元に戻った。
 4人はこの現象は「時間貯金」と名付け、自分達だけの秘密にした。

4人が高校生になった時、ハルトが失踪した。残りの3人が行方を捜すが見つからない。ハルトは失踪直前、しきりに「貯金しなきゃ」と繰り返していたという。3人だけがピンときた。ハルトが貯めたかったのは家出資金じゃない。時間だ。廃工場を訪れた3人は、壁一面に書かれた数式を発見する。ハルトは再び時間貯金をしようとしている。だが本人の姿はどこにもなかった。

4人が成人した時、踏切から飛び出した高校生が、轢かれる直前に忽然と姿を消す事件が起きた。時間貯金に成功したハルトの仕業だと3人は気づく。ハルトの目的は復讐だ。妹をレイプし自殺に追い込んだ主犯の男を追っている。男は2年の刑期を終え出所したばかり。男を追えばハルトに会えるはず。
 3人の狙いは的中するが、時間を操るハルト相手に為す術がない。時を止めたハルトが復讐を果たそうとした瞬間、彼以外に動ける者がいた。リツだ。ハルトの数式を手がかりに、リツは4分だけ時間を貯金する事ができていた。タツキとシュウが囮になり、リツの4分間に全てを託す。3人は家庭環境も経済状況も違うが、思いはひとつだった。親友だったハルトに殺人者になんかなって欲しくない。
 ハルトは3人の友情と自己犠牲と、苦しいのは自分だけではないと気づかされた事で救われ、殺人を諦める。ハルトは時間と共に、恨みの感情が風化するのが耐えられなかった。だから犯人が出所するまでの2年という時間を貯金した。たった数時間で済んだという。2歳年上になった3人を見て、ハルトは「老けたな」と笑った。「タイムマシンに乗った気分だ」。
 4人は別の形で男に復讐を果たし、大団円。ハルトがこれから2年分の時間を消費するのを、3人は待つ事にした。お茶でも飲んで思い出話を語りながら。

文字数:1200

内容に関するアピール

 #ジュブナイル #時間伸縮

 近年、SFの映画やアニメに欠かせないものとして、予告映えする画の魅力があります。時間逆行する景色、地面が湾曲し天井まで反り返る街、何十歳も老けた自分との邂逅、奇怪な宇宙人が操る未知なる言語体系。小説単体の面白さは当然ながら、こうした映像映えする設定が求められていると感じていて、日々考える努力をしています。

文字数:168

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タイム・イズ・ビューティフル

   タイム・イズ・ビューティフル

 

 

 

 

   1.

 夜空をくり抜いて浮かぶ満月のように、小刻みに震える懐中電灯の明かりが真っ暗闇を照らしている。午後六時。思ったより綺麗な廃屋の廊下は、埃っぽさよりかび臭さが際立つ。すると早速誰かが石か何かを投げて大きな音を立てたので、俺は絶叫して持っていた懐中電灯を落としかけた。お母さんが防災用に買ったラジオ付きの大きいやつだ。慌てて握り直す。

「ふざけていい空気じゃないって、もおぉ!」

 マジギレのトーンで俺が怒鳴ったら、後ろにいた三人はゲラゲラ笑いだした。廃屋に侵入してまだ数分も経っていないのに、これだから悪ガキを親友にするとろくなもんじゃないんだ。

「ねぇ誰!? 今やったの!」

「気にすんなって。誰でもいいっしょ」

 ドSなクラスの人気者のシュウが、わざとらしく誤魔化す。おいふざけんなよ。

「誰でもいいわけなくない!? えっおまえらだよな? 幽霊じゃないよな? もーやだ俺ぜったい後ろ歩くから」

「ごめんごめん、俺。もうやんないから」

 そう大笑いしながら、リツが歩こうとしない俺の背中をぐいぐい押してくる。苛立った俺が懐中電灯で押し返したら、リツはすぐさま隣のハルトにバケツリレーの速度でそれを渡していた。おまえもビビりかよ……。ハルトは半眼になりながら「結局俺かよ」と呆れていた。ハルトは俺らと違って、昔から肝試しもお化け屋敷も一切怖がらないとんでもない奴だ。

 国道沿いに放置されたこの廃屋は、学習塾帰りのリツがバスの中で偶然見つけたものだ。二階建てのアパートに似た建物の塀には、「所有者を探しています。ご存じの方は下記連絡先まで」という市役所の張り紙の他に、「信者以外の立ち入りは厳禁致します」という恐ろしい看板まで残っていた。ホラーゲームすらろくにプレイできない怖がりの俺は、この時点で引き返すべきだったのだろう。でも三人が肝試しをしている最中、ひとり建物の前で待機している方が絶対に怖い。で、仕方なくついてきたらこれだ。

「最悪……」

 俺が思い出したようにぼそりと愚痴ると、他の三人がくすくす笑った。もう帰りたい。

 外からはアパートに見えた廃屋だったが、いざ入ってみるとなんだか学校に近い。通路に並んでいるのは玄関戸ではなくスライド式の引き戸で、なんだか俺らが通う西橋小学校の旧館に似ていた。室内はドラマで見る会議室のような雰囲気で、放棄された机や椅子が部屋の隅で乱暴に山積みにされている。

 懐中電灯を逆手で持ったハルトが、サバゲーのクリアリングみたいな立ち回りで、一部屋ずつ扉を開けて中を照らしていく。その後ろをハルトの背中にぴったり貼り付いた俺と、横並びのシュウとリツが続く。怖さを紛らわせようとしているのか、シュウとリツはさっきから雑談が止まらない。

「リツ、塾どう?」

「キツいよ。個別指導だからサボれんし」

 中学受験組のリツは、夏休みが始まった先々週からずっと勉強漬けだ。ゲームもYouTubeも、テレビまで禁止らしい。俺だったら泡吹いて倒れてるな。するとシュウが、嬉々として俺を小突きながら口を開いた。

「俺ら今リツのためにいいもん作ってっから。な?」

「そうそう、すげーやつ」

「期待できねー」

 そうリツが嬉しそうに笑う。確かにシュウの発案はこれまでろくなことがなかった。でも今回ばかりは楽しみにしてていいぞ、リツ。

 ハルトを先頭にした途端、探索はさくさく進みだした。一階を網羅したので階段を登る。二階も同様の作りだが、生活空間を兼ねていたのか、朽ちかけた布団や座布団が散乱している。何もないがらんとした廃墟よりも、こうして色んな物が散乱したままの、生活感が残っている方が不気味に感じた。怖いから細かいところをじろじろ見るのはやめて、さくっと各部屋を見て回ると、最後にとんでもない場所が待っていた。

 その部屋だけ、扉を開ける前から少し異様だった。そこだけ和室なのだ。

 恐る恐る扉を開けると、かび臭さと一緒に畳の独特の匂いが漂ってくる。ここだけ壁がぶち抜かれていて、四、五部屋分くらいの広さがあった。

「あっ……俺無理かも」

 と、リツが後ずさる。今更すぎるだろ。

「うーわ、すげーな。ここで撮るわ」

 そう言ってシュウが、ポケットから使い捨てカメラを取り出した。シュウは最近、コースケTVとかいうホラー動画チャンネルにドハマりしている。YouTuberのコースケが、日本各地の心霊スポットを使い捨てカメラで撮影して回るというコンセプトだ。シュウはここに来る直前、自分もコースケTVと同じように心霊写真を撮って、SNSに投稿するんだと豪語していた。

 シュウは俺ら全員を和室に上がらせると、勝手に写真を撮り始めた。俺とリツは死ぬほどビビってそれどころじゃないのに、ハルトだけカメラに向かってピースサインする余裕がある。もはや廃屋よりハルトの方が怖い。土足のまま畳の上にいる罪悪感も相まって、俺の恐怖は頂点に達しつつあった。だがお構いなしのリツが俺の背中を何度も叩くので、思わず小声で怒鳴り返す。

「なんだよ……!」

「なんか光ってる……」

 と、怖すぎて半笑いのリツが、部屋の奥を指差して続けた。

「見てきてよタツキ」

 ぶっ殺すぞ!

「無理無理無理」

「行けって、ほら」

「無理無理無理無理無理!」

 俺は無理って言ってるのに、リツが背中を押すのをやめない。確かに畳の上に何かが落ちている。仕方なく俺は不自然な早歩きで部屋の奥まで進むと、それを拾い上げた。

 砂時計だ。

「……なんで?」

 と、俺の隣まで来たハルトが呟いた。おそらく続けたい台詞はこうだろう。なんで「こんなものが、ここに」。俺が知りたい。

 その場から動こうとしないリツが、小さく「なんだった!?」と声を張るが無視する。

 ハルトが懐中電灯で砂時計を照らす。両手で持つのが丁度いいくらいで、そこそこの大きさがあった。典型的なひょうたん型のガラス瓶を、朝顔の蔓みたいにうねうねと捻れた鉄格子が、何本もガラス瓶を包んでいる。リツんちにある傘立てみたい。何より目を引くのは、ガラス瓶の中の砂だ。軽く振ると、白い火花のようなものが散る。変なの。

 すると、ようやくシュウとリツが俺らの近くまでやってきた。

「うわ、すげぇ」

「なにこれ、かっこよ」

「な」

「せーのでひっくり返さん? みんなで」

「なんでだよ嫌だよ」

「全員一緒に呪われないとフェアじゃないじゃん」

 何が?

「はい持つー」

 そう強引にシュウが砂時計の鉄格子に手を掛ける。リツとハルトもすぐに手を伸ばした。その場のノリというのは恐ろしい。全員「せーの」という掛け声と共に砂時計を逆さにする。

 何も起きない。そりゃそうだ。

 普通の砂時計みたいに、中身はゆっくりと流れ落ちるだけだ。

「持って帰っちゃ駄目かな」

「いやーマズいっしょさすがに」

 そう俺がハルトに返事した途端、シュウとリツが窓の方を見ながら絶叫した。

 ほぼ同時に俺も叫んだ。二人の叫びに反射的に驚いただけだが、和室の出口へと駈けだしたシュウとリツのただならぬ様子に、問答無用で俺も走りだす。絶対出た。心霊現象だ。俺は見てないけど、間違いなく幽霊が出た。死ぬ。振り返ったら死ぬ。俺のすぐ横をハルトが追い抜いていく。わはは。さすがにハルトもビビったか。

 俺も急いで三人の後を追う。どうして俺だけ足が遅いかといえば、小学六年生にして体重が五十キロを超える肥満児だからだ。ようやく俺が廊下に出た時、三人はすでに階段の手前にいて、俺は来るのを待ってくれていた。お太り様で申し訳ない。持つべきは自分を見捨てない親友だな。こんな目に遭ったのもそいつらのせいだけど。

「持ってくんなよそんなもん!」

 追いついた俺にリツが叫ぶ。俺の両手は、まだあの砂時計を握り締めていた。

「だって──」

 言い訳しかけたその時、俺らは踊り場の窓からおかしなものを見た。

 太陽が動いているのだ。

 おかしい。なんでここから太陽が見えるんだ。夜だったんだぞ。

 太陽はそのまま流れて窓枠から消えていき、空が橙から黒色に戻っていく。まるで車窓だ。今度は月が横切ったかと思えば、しばらくして空が白んで、また太陽が顔を覗かせる。動画で時々見かける定点早送り映像みたいだった。俺らは逃げることも忘れて、呆然と窓を見つめていた。両手にあの砂時計を抱えたまま。太陽と月が交代すること三、四回。ようやく夜のまま月は動かなくなった。

「……行こう」

 ハルトの上擦った声と共に、俺らはまた走りだした。俺だけそーっと砂時計を踊り場の隅に置く。こんな時まで割れることを恐れるあたりに、俺がシュウと違って所以が見える。砂時計の砂はいつの間にか落ちきっていた。

 廃屋の外に出た途端、緊張の糸が切れたのか全員笑い声が止まらなくなってしまった。

「驚いた」

 しゃっくりを起こしたような笑い混じりでリツが喋りだす。

「窓が急に昼間みたいに光りだしたからさ、マジでビビった。UFOだ! って」

 いや人魂であれよそこは。

 

 

 俺らは妙な達成感と高揚感を抱えながら、廃墟を後にした。廃屋近くの公園に停めておいた自転車は、夜なのに撤去されてしまっていたので、仕方なく徒歩二十分の距離を歩いて帰る。

「なんだったんだろうな、あれ」

「親に言ったら、頭おかしくなったって思われそう」

 リツが言う。リツの母親は弁護士事務所の社長だ。確かに信じてもらえる気がしない。リツはすぐに話題を変えた。

「でさ、俺のために作ってるって、何を?」

 俺とハルトは発案者に気を遣って、シュウが喋りだすまでしばらく黙った。

「秘密基地。新川の河川敷に建設中」

「勉強嫌になったら逃げてこいよ。マジで住めっから」

 YouTubeの手作りテントの動画を参考にして建てた、ブルーシートのしっかりしたやつである。家からパクってきた厚手のレジャーシートを敷いたら、昼寝くらいは余裕でできるくらいしっかりしている。日が差すとクソ暑いのと虫が多いのが難点だけど。

「みんな西橋中行くの?」

「たぶん」

「いいなー」

 リツのぼやきに、俺らはどう声を掛けていいかわからなかった。

 下手なこと言ってリツを傷つけたくない。

 でもリツは勇敢だった。

「俺だけ別の中学でも、また遊びに来るから」

 リツの直球を、俺とシュウは照れ隠しで笑い飛ばしたけど、ハルトだけは別だった。

「当たり前じゃん」

 すげーわハルトは。

 

 

 西橋小前のいつもの交差点で解散した。俺の両親は、ここから歩いて数分のラーメン屋「さんさん」を経営していて、自宅もそのすぐ近くにある。さんさんの前を通りがかったら、なぜかシャッターが閉まっていた。あれ? 十一時閉店なのに。どうしたんだろう。でも理由は、家に帰ってすぐに判明した。

 いつもは八時すぎにならないと誰も帰っていないのに、玄関には明かりがついていた。珍しい。お母さんかな。お客さんが極端に少ない日は、時々母親が早めに店から戻ってくるのだ。鍵を開けて玄関戸を手前に引きながら、俺が「ただいま」と言って中に入ると、すぐに両親と五歳上の兄が走ってくる。

 お母さんは俺の顔を見るなり泣き崩れて、お兄ちゃんに縋りついた。

「四日間もどこに行ってたんだ」

 お父さんが震える声で言った。俺はわけがわからなくて、しばらく靴も脱げなかった。

 

 

   2.

 俺ら四人が仲良しグループになったのは、まだ学童にいた小学校三年生の頃だ。元々はシュウとハルトが友達同士で、俺とリツが後から加わった感じだ。シュウの家は介護士のシングルマザーで、運動神経が良くて顔もいいシュウは人気者だけどキレやすい。リツは一家で弁護士事務所を経営しているボンボンだ。眼鏡でもチビでもないのになぜかリツは頭がいい。ハルトの家はボランタリーチェーンの小規模スーパー「いいづかフーズ」を経営している。目立つシュウとガリ勉のリツに隠れてるけど、実は一番度胸があって地頭がいいのはハルトだ。で、俺タツキの家がまあまあ人気のラーメン屋「さんさん」というわけだ。俺らは授業が終わると、ランドセルも置かずに誰かしらの家に上がりこみ、みんなでだらだらゲームをしたり宿題をしたりして、夜まで時間を潰す。週の半分はいいづかフーズの賞味期限切れの惣菜で腹を満たし、もう半分はさんさんで味玉が半個しか乗っていないまかないラーメンを食べる。それが俺らの放課後ルーティーンだった。

 バラバラの俺らがどうして仲良くやってたのか、今思い返せばなんとなく理由はわかる。全員親が忙しくて、兄弟がいても年が離れすぎていて、孤独を潰すためには連帯せずにいられなかった。あとシュウは、俺とハルトがいなかったらマジで飢え死にしてたと思う。

 

 

 あの廃屋へ肝試しに行った日。俺らが建物に入って出るまでの間、信じられないことに四日が過ぎていた。小学生が四人も同時に失踪したので、結構なニュースにもなったらしい。俺らがいない間、溺死の可能性があるからと新川は百メートルにも及ぶ捜索がなされ、四人の親は近所の心当たりを駆けずり回り、マスコミに追い回され、もれなくインターネットで監督不行き届きだと叩かれた。俺らが帰ってきた後はさらに叩かれた。大人は子供のイジメを怒るくせに、自分たちはイジメをやめない。

 警察官にこの四日間のことを尋ねられて、俺は正直に「廃屋にいた」と答えた、でもあの日見た不可思議な現象については、さすがに何も言えなかった。後から聞くと、シュウもハルトも同じ答え方だったらしい。ただリツだけが馬鹿正直に「本当のこと」を言ってしまったので、後日がっつりスクールカウンセラーの世話になる羽目になった。

 無傷で戻ってきたおかげか、世間もマスコミもインターネットもすぐさま俺らのことを忘れてくれた。ただインターネット上に書き込まれた店への誹謗中傷は消えきらず、さんさんも常連以外は客足が減った。がらんとした店内を見た時、さすがの俺も罪悪感でいっぱいになった。そのことで両親は俺を責めなかったけど、俺は俺を責めた。

 でも何よりキツかったのは、俺らが戻ってきた日以来、四人で会うことを禁じられたことだ。失踪中、親同士で相当揉めたらしい。シュウのお母さんに至っては、俺ら三人がシュウをイジメてたんじゃないかとまで言ったらしい。そんな馬鹿な。どう見てもシュウはされる方じゃなく、する方だろ。お母さんは「うちが何杯シュウちゃんにラーメンご馳走したと思ってんの。頭くるわ」と本気でキレていた。

 結果、俺の夏休み後半戦はほぼほぼ自宅待機で終わった。退屈に殺されるかと思った。とはいえSNSやオンラインゲームのボイスチャットでこっそり会話することはできるので、関係性が断絶されたわけではなかった。聞くとリツは子供用の見守りGPSを持たされ、ハルトは親の監視下に置くために朝から晩までスーパーの手伝いを命じられ、シュウは一時間おきに母親から電話が掛かってきていた。家にいるだけで済んだ俺は幸運である。

 でもそんな極端な環境変化が長く保つわけがない。夏休み最終日、シュウが逃げ出した。ストレスが爆発したシュウは母親と大喧嘩になり、24インチのテレビをぶん投げてベランダのガラス戸にひびを入れた後、家を飛び出した。数時間後の午後五時、親づてにその連絡が入ったものの、前回ひどく恨まれたせいで誰の親もシュウの母親に協力しようとしない。俺はショックだった。シュウはどうなる。シュウに罪はない。

 最初に動いたのはハルトだ。

『迎えに行こう』

 ハルトはすぐさま俺とリツを加えた三人のグループチャットを作り、そうメッセージを送ってきた。通知を見て、俺は寝起きに水を掛けられたような気分になった。そうだ。大人が動かないなら俺らが動けばいい。

『どこ探す?』『心当たりは?』

『ある』『たぶんだけど』

『とりま集まろう』

『リツは無理すんな』

『平気』『すぐ行く』

 そこからは早かった。スマホと充電バッテリーをポケットに入れて、近くのコンビニに行くふりをして家を出た。西橋小前のいつもの交差点で集合する。ハルトはスーパーのバイト用エプロンを持ったままやってきた。塾があるはずのリツもいる。

「みんなサボって平気?」

「知らねー」

 ハルトとリツがまったく同時に同じ台詞で答えた。サボっちゃマズいのは当たり前なのに、二人の顔は清々しい。

 ハルトが向かった先は新川の河川敷だった。そうか。

 秘密基地か。

 夕陽に染まった堤防を登って降りて、一週間以上放棄されていた例の場所に行くと、見るも無惨に崩れてしまったブルーシートの残骸だけがそこにはあった。シュウはそのすぐ近くにいた。小枝と石を集めて、見よう見まねで竈を作っている。駆けつけた俺らを見て、シュウは纏っていた殺気をより鋭くさせて怒鳴った。

「戻んねーから、もう。あんな家」

 本気かどうかは別として、シュウはとにかくキレまくっていた。でもぶっちゃけ俺らは慣れっこなので、こんなの屁でもない。案の定リツが、場の気まずい空気に気づいていないふりをして、わざとおどけた口調で反論する。

「いやいやいや……どうすんのじゃあ、家とか」

「ここで暮らす」

 ウケる。

「馬鹿すぎるってそれは」

 リツのツッコミをシュウは無視した。とりつく島がないな。

 すると一番付き合いの長いハルトが、何も言わずにその場に座り込んだ。

 俺らも倣うと、シュウは「死ね」と叫びながら集めた小枝を蹴り飛ばして去っていく。でもしばらく待ったらあっさり戻ってきた。石投げ用の平たい石を何枚か握っている。シュウは軽く助走をつけて、石を川面に向かって鋭く投げた。小気味よくぽんぽんぽん、と水面を跳ねていく。

「俺、春から東京だって。ババア再婚するから」

 言いながら、シュウが二個目の石を投げた。シュウはクソガキなので母親をババア呼ばわりしている。

「許してやれよ」

 呆れたようにハルトが言った。ハルトはいつも大人だ。いつも隣にいるシュウが怒りっぽいから、必然的にそうならざるを得ないのかもしれないけど。

「しょうがないじゃん、一人で働いて子供の面倒も見んのキツいよ」

「うるせぇ」

 はいはい。

「……受験やだな」

 空気を変えようと、ぼそりとリツが呟いた。

 するとシュウが、持っていた石をひとつリツに渡す。リツはすぐに立ち上がって、大きく振りかぶって石を投げた。

「やだなー! 受験すんの!」

 石が跳ねる。ぽんぽんぽん。川面を飛んで行くテンポが心地いい。

 シュウはハルトと俺にも石を渡してきた。ハルトもリツに倣う。

「明日学校行きたくねー!」

 ようやくシュウが笑った。ああ良かった。俺も立ち上がる。

 護岸のコンクリートまで軽く助走をつけて、ぐっと左足を踏み込んだ瞬間、上半身を思いっきり捻って右腕を振りかぶった。俺らのいつもの夏が終わる。今日で終わる。夏は来年も来るけど、きっとそれは今までとは全然違う夏だ。今年は特にひどかった。やり直せるもんならやり直したい。

「終わんじゃねーよ! 夏!」

 右腕を振って生まれた力が、手のひらを通って指へ流れた瞬間、石を離す。

 俺は運動ができる方のデブなので、結構いい距離が出る予感がした。親が暇だったら野球クラブに入りたかったくらいで、投球にはまあまあ自信がある。案の定俺が投げた石は、水面に対しほぼ水平の角度から突き刺さって、力強くバウンドした。直後。信じられないことが起きた。

 水しぶきを上げたまま、石が空中に浮いたのだ。いや、違う。

 止まってるんだ。

 風も、音もない。堤防でランニング中の見知らぬおじさんが、寄り添いながら散歩するカップルが、縄跳びを跳んでいるトレーニング中のお兄さんが、動画を一時停止したみたいに不自然な体勢のまま固まっている。は? わけがわからない。背後で草を踏みしめる音がして、俺は慌てて振り向いた。シュウと、ハルトと、リツが、呆然とした顔で辺りを見回している。なるほど、国語で習った鳩が豆鉄砲食らった顔というのはこれか。

「なんかやった? おまえ」

 ハルトが俺に問う。俺じゃない。俺はただ石を投げただけだ。そこらへんに落ちてた普通の石を。

 すると突然、リツが万歳しながら「よっしゃぁ!」と叫んで飛び跳ねだした。俺は、とうとうリツがぶっ壊れたのかと思った。シュウとハルトも同じことを考えたに違いない。互いに見合わせる目が右往左往している。でもまったく気づいていないリツは、ただただ嬉しそうな声で叫び続けていた。

「遊び放題だおまえら! 寝落ちするまでゲームしていいんだ! 塾なんか二度と行くか!」

 そこで俺はようやく理解できた。今何が起きているのかを。

 次に喜んだのはシュウだ。

「ババア! ざまぁみろ!」

 叫びながら意味もなく河川敷を走りだした。げらげら笑いながらリツがそれを追いかける。あーあー。馬鹿が二人もいる。

「てかどうすんだよ、元に戻らなかったら……」

 そう俺がぼやいたら、隣に来たハルトが「まあ大丈夫っしょ」と楽観的に励ましてきた。珍しいな、ハルトが脳天気だぞ。思わず不満げな声で反論する。

「根拠は?」

「ないけど、たぶん四日経ったら終わるよ」

「なんで」

「四日失ってるから」

 そう言って、ハルトはシュウとリツの後を追って走りだした。釈然としない俺を残して、遠くでは早くもプロレスごっこが始まっていた。

 

 

 ハルトの予言通り、体感速度四日で時間の流れは元に戻った。予想外だったのは、時間は完全に停止していたわけではなくて、目で見ただけではわからないくらいの低速度で動いていたということだ。気づいたのはシュウだった。散歩中の犬が電柱におしっこ引っかけたまま静止しているのを見つけたシュウが、こっちが呆れるくらい大笑いしていた翌日、前に見た時は放物線を描いていたはずのおしっこが途中から消えていたのだ。こうして判明したのはありがたいが、あまりにも発端がろくでもない。

 結局、リツが期待していたゲーム三昧は実現できなかった。いくらボタンを押してもゲーム機の電源が付かなかったからだ。となると当然テレビもスマホも役に立たない。やることがない俺たちは、潰れてしまった秘密基地を再建することを四日間の目標に設定しつつ、いつまでも沈まない夕陽の中で、普段やったら咎められるようなことを死ぬほどやって精力的に過ごした。教員室に忍び込んで、真剣な顔で電話を掛けている担任の望月先生の胸ポケットが、パンパンになるまでボールペン詰め込んだりね。

 シュウとハルトは、終わってなかった夏休みの宿題をリツに頼んで丸写しさせてもらい、俺はやっつけで終わらせていた工作の版画を彫り直して大傑作を作った。リツは結局、最終日はずっと自主勉強していた。勉強は好きじゃないけど、まったくしないのもそれはそれで怖いらしい。よくわからん。

 腕時計の短針がまるっと八週した頃、河川敷を橙色に染め上げていた夕陽は地平線近くまで沈んでいて、辺りもわずかに薄暗く変化している。いいづかフーズからパクってきた炭酸飲料を四人で飲んでいる最中、時間はなんの前触れもなく唐突に元に戻った。俺らが日頃いかに環境音で騒がしい場所で暮らしているか、よくわかる瞬間だった。

「なんか貯金崩した感じだよな」

 四人で帰り道を歩きながらハルトが言った。なるほど、俺らは肝試しの日に四日分の時間を貯めて、後から使ったことになるわけか。それで損したと思うか得したと思うかは本人の性格によりそうだが、俺らは四人共おおむね満足だった。

「楽しかったなぁ。また起きねぇかな」

「そう都合よくいくかよ」

 呑気なシュウにハルトがツッコむ。少なくとも俺は、たとえ昼の時間だろうとあの廃墟には二度と行きたくない。

 そうして俺たちは、今度こそ本当に西橋小前のいつもの交差点で解散した。

 家に帰ったら、高校生の兄貴が咎めるような顔で部屋から出てきて、俺に言った。

「長ぇぞ、コンビニで三十分は」

 あ、そうか俺、コンビニ行くって出て行ったんだっけ。

 

 

   3.

 志望校に合格したというリツからの連絡は非常に簡素なもので、グループチャットにただ一言「合格」とだけ飛んできた。かっこつけ方が誠にリツらしい。卒業式の日、リツとシュウはすでに西橋から東京に引っ越していた。それまで弟と同室だったリツは、新居で初めて自分だけの部屋を持てて大喜びだった。一方シュウは、義父が気を遣いすぎてキモいと無情にも一刀両断していた。おまえが無神経すぎるんだよ、と俺は心の中でツッコんだ。

 今思えば俺もハルトも、西橋市がどれくらい東京から離れてるかすらよくわかっていなかった。乗り換え案内で検索したら、快速電車で九十分の距離だと出て、ああまあそんなもんか、ならまったく会えなくなるわけじゃない、なんて楽観的に考えていた。この時は。大事なのは物理的な距離じゃなくて、みんなで集まるための時間を作れるかどうかだったんだ。現に俺ですら、六年通った小学校の門を出た時、これから通う中学校生活への期待で頭がいっぱいだったんだから。

 同じ西橋中に進学した俺とハルトは、最初の頃こそよく一緒に下校してしていたが、互いに別の部活に入ったことで次第に疎遠になっていった。クラスも三年間別だったし。あとこれは本当に愚かで馬鹿らしい話なのだが、休み時間のたびに別のクラスの奴に会い行っていたら、友達がいない奴なんじゃないかと思われると思って、極力自分からハルトに会わないようにしていた節もあった。ハルトはちょくちょく会いに来てくれてたのに。でも身長も高くて少し大人っぽいハルトと、陽気なイジられキャラのデブじゃ状況が違う。小学校ではシュウとリツがイジメから守ってくれたが、中学からは自分で自分を守らなきゃいけない。そうもっともらしい理由を作っていたけど、実際は見栄っぱりでプライドが高かっただけだ。くだらない。だから廊下でハルトとすれ違って向こうから声を掛けてくれるたびに、小躍りするほど嬉しいと同時に、自分が情けなかった。

 俺とハルトでさえこうなんだから、リツとシュウは言わずもがなだ。特にシュウはSNSがとにかく苦手で、滅多に自分から情報発信をしない男だったので、完全に俺らからドロップアウトしている状態だった。年賀状に写るシュウが、年々チャラくなっていく様子で色々と察した。茶髪から金髪になった次の年、短髪の赤髪になった時はさすがに笑った。いやその見た目ならSNS得意であれよ。

 でもこんなもの全部言い訳だ。どんなに忙しくて、俺らは面倒がらずにもっと頻繁に集まるべきだった。

 集まるべきだったんだ。

 

 

 バラバラの俺らが久しぶりの再会を果たしたのは、最悪の出来事が起きたからだ。高校二年の冬休みだった。

 まず一番責められるべきは俺だ。俺と違って成績の良かったハルトは二駅隣の市立高校に、俺は地元の私立高校に進学したのだが、中学の間に薄まっていった繋がりはこれを気にほぼ断絶し、顔を合わせることも滅多になくなっていた。ただ俺もハルトも実家が店屋なのが幸いした。営業時間を過ぎても閉じられたままのいいづかフーズのシャッターに、最初に気づいたのは俺の母親だった。頻繁に互いの家を出入りしていた小学生時代の印象が強いのだろう、未だに仲がいいと思っている母親は「ハルくん何か言ってた?」と俺に問うたが、俺は何も聞いていないどころかしばらく顔すら見ていない。ただ互いにSNSのフォローだけは続けていて、そこで見る限りは問題なさそうだ。

 事情が判明したのは夜のテレビニュースだった。

 西橋駅前の交差点。高齢者によるブレーキとアクセルの踏み間違いが原因で起こった交通事故は、横断歩道を歩いていた家族三人を十メートルも吹っ飛ばして轢き殺した。死亡した被害者三名の名字が全員「飯塚」であることと、千葉県西橋市というテロップと共に「いいづかフーズ」の映像が流れた瞬間、母親は「嘘でしょ」と叫び、夕飯を食べていた俺の食欲は一瞬で消え失せた。死亡者三名の名前を何度も確認する。ない。「飯塚晴人」の名前はない。よかった。いやよくないけど。ハルトは死んでない。年齢から察するに、亡くなったのはハルトの両親と妹だろう。

 リツとシュウからもすぐにメッセンジャーアプリで連絡が来た。俺とリツが、今ハルトに連絡をするのは迷惑にならないか、向こうからのSNSの発信を待つべきではないかと話し合っていたら、相変わらずデリカシーのないシュウが「ごちゃごちゃ言うな」「家行けばいるだろ」とキレ顔のスタンプ付きで打ち込んできた。この時、俺とリツは馬鹿のまま成長していないシュウに本気でうんざりしたのだが、今振り返るとシュウの配慮のなさは大正解だった。

 問題だったのは、三人で会いに行ったのが全員の都合がつく翌週の土曜日と遅かったことだ。

 歩いて八分のところに住んでいた俺が、週末の夜に無理してでもハルトに会っていれば、あんなことにはならなかった。

 

 

 最寄り駅の改札口で、中学一年の正月休みぶりに再会したシュウとリツは、俺を見るなり「は!?」と叫んだ。おそらく俺が、高校進学を機に十五キロの減量に成功した挙げ句、パワーリフティング部に所属した影響でムキムキの筋肉を手に入れていたからだろう。とはいえ赤毛にピアスだらけのシュウにだけは言われたくない。ちなみにリツは小学生からほぼコピペである。

 どこを見ても「懐かしい」を連呼するシュウとリツを連れて、まず向かったのはハルトの実家だ。でもインターホンを押しても応答はなかった。するとそれまでどこに隠れていたのか、雑誌記者を名乗る変なおじさんが現れたので、シュウがキレ散らかす前に俺らはすぐさま全力疾走して逃げだした。

「いないのかなハルト」

 報道されていた怪我人の中にも、ハルトの名前はなかった。

「親戚の家かも。ハルト以外ほら……みんなアレだろ?」

 リツが言う。だとしたらお手上げだ。

 事情を知る人がいるかもしれないと、三人でいいづかフーズを訪れたら、シャッターが下半分だけ開いている状態だった。隙間を覗くと、誰かいる。俺が「ハルトー?」と声を掛けると、シャッター脇の扉から古参の社員である佐々木さんが顔を出してくれた。俺らが名乗ると、やや警戒していた佐々木さんは急に相好を崩した。

「覚えてる覚えてる、ハルくんの仲良し四人組だろ。大きくなったなぁ」

 俺らに余った惣菜を分けてくれていたのが、他ならぬこの佐々木さんである。あの時三十半ばだったから、今もう四十近いのか。ハルトが言うに元引きこもりらしいのだが、とてもそうは思えないほどいつもニコニコしている温和な人である。

「え、ハルくん家にいなかった? あー、新聞記者とかたくさん来てたからねぇ。嫌になっちゃったのかな。弁護士さんがね、色々手伝ってくれてるみたいで。親戚もみんな地方なんだって。私もねぇ、お弁当差し入れるくらいしかできないでしょ。でもね。ハルくん偉いよね。俺に『店頼みます』って頭下げに来てくれてね、わざわざ。自分が一番大変なのに」

 だが話題が事件のことになると、ハルトはそれまでの態度を一変させて怒りを剥き出しにしたという。あのハルトが? 全然想像がつかない。家族を失うということは、それほどまでに激情をもたらすものなのか。佐々木さんは、他人の自分が口を出すのもおかしいからと、それからはハルトに干渉していないらしい。

「今は家に籠もって、トドみたいに寝るのが丁度いいよ」

 さすが元経験者、理解が早い。

 俺らも佐々木さんのように、遠くからそっと見守るのが丁度いいのかもしれないと思い始めたその時、「あっ」と佐々木さんが思い出したように言った。

「いや、ハルくんね。店に顔出した時……なんの話だったかな。『貯めなきゃ』ってずっと言ってて」

 ためる?

「ほら、税金かな〜ってその時は思ったんだけど。相続税とか。ハルくんしっかりしてるから。でもさすがにそれは変かって。ねっ……家出資金とか貯めるって話だったら、嫌なこと聞いちゃったなって、今思って」

 ぞーっと全身から血の気が引いた音がした。

 恐る恐る隣を見たら、シュウとリツもまったく同じ顔をしていた。

「最後にハルトと会ったのって、いつですか?」

「えーっと、三日前かな」

「ありがとうございました」

 早足でその場を去って、途中点滅しだした歩行者信号を渡るために軽く駆けたのをきっかけに、俺らは示し合わせたように全速力である場所に向かって走りだしていた。

 国道沿いの廃屋だ。

 

 

 子供の頃の記憶は常にいい加減だが、実際再訪してみるとよりそのことを実感する。幸か不幸か例の廃屋は、未だ取り壊されることもなくそこに建ち続けていてくれた。以前侵入した時は、近くに転がっていた古びたカラーコーンを足場にして登った塀も、高校生となった今は軽くジャンプをすれば縁に手が届いてしまう。

「ハルトー!」

 建物の中を駆けずり回りながら、名前を叫ぶが返事はない。昼間とはいえ、相変わらず肝試しにはぴったりの不気味な場所には変わりないので、そうした雰囲気をぶち壊すためにもひたすら大声を出す。さっきからずっと誰かがいる気配が体中にべっとり纏わり付いていて、振り返るのも怖くてできないくらいだ。

「砂時計、どうしたんだっけ? あの時」

 リツが言う。うわあぁ覚えてねーよ。

「和室があったろ! 和室で見つけたんだよ」

「そこに置いてったんだっけ!?」

「覚えてない!」

 まず和室に向かったがそこに砂時計はなかった。手分けして全部屋を覗いたが見つからない。ハルトもいない。せめて何か手がかりは残っていないかと再び和室を訪れるも、かびっぽいイグサの臭いが充満しているだけだ。俺が無力感に苛まれていると、しばらくしてシュウとリツも和室に戻ってきた。

「砂時計だけないなんてことある?」

「ねぇよ」

 ハルトが持っていったんだ。

 そこで俺は、ようやく和室の中に違和感を見つけた。窓を覆う障子がわずかに空いている。覗いてみると、見覚えのあるデジタル時計が置かれていた。時刻の他に年月日と温度も表示している液晶画面の隅には、忘れもしない俺が小学生の時にいたずらで貼り付けた、アニメキャラクターのシールがこびりついている。ハルトのだ。間違いない。ハルトはここにいた。

「時間貯めて、何する気だろ」

「使うんだろそりゃ」

「だから何に」

「知るかよ」

「自動車の運転による過失で人を死亡させる過失運転致死罪は、悪質な場合だと懲役や禁固刑になる」

 リツが突然ベラベラ喋りだすもんだから、俺とシュウは「は?」と同時に返した。露骨に苛立ちを顔に出してリツが続ける。

「だからぁ。実刑判決だよ。ハルトの家族を轢き殺した加害者は、あの感じ、たぶん執行猶予じゃ済まない。過去に他の交通違反歴もあるみたいだし。二年とか三年とか、それくらいは収監される。交通刑務所とかに」

「なんで知ってんの?」

「法学部行くから」

 もう進路決まってんのかよ。

「オチ先に言ってくんない?」

 キレ気味にシュウが言うと、リツはすぐ答えた。

「あいつ、加害者が出所するまで時間を貯める気だ」

 

 

 自分はもう子供ではないと思っていた。だって高校生だ。原付の免許だって取ったし、いっちょ前に大人と混じってバイトだってしている。俺らはもう子供じゃない。でも所詮、高校生なんだ。どんな大人が、こんな突拍子もない話を信じるというのだろう。ハルトが姿を消したのは、不思議な砂時計を使って時間を貯めるためだなんて。そもそも俺ら自身、だんだんとその可能性を信じられなくなっていた。砂時計なんて本当にあったんだろうか。作り話を本当にあったことだと思い込んでいるんじゃないのか。記憶を記録するツールは色々あるのに、体験した時の手触りはどのデバイスも残してくれない。

 手がかりが何もない以上、俺らにできることもなかった。仕方なくそのまま廃屋を後にして、さんさんでラーメンを食べながら状況を整理する。ハルトの目的を復讐だと仮定した場合、戻ってくるとしたら加害者が出所するタイミングだろう。廃屋にデジタル時計を置いていったのは、砂時計一回分でどれだけの時間が過ぎるのかを知るためだ。それが何日なのか、何ヶ月なのか、はたまた何年なのかは俺らには知りようがない。ただひとつ言えることは、砂時計が落ちきった時ハルトは再び廃屋に姿を現すということだ。一番いいのは、そのタイミングでハルトを取り押さえることだが、向こうのタイミングが読めない以上期待はできない。「地道に通おう」とリツは言った。

「あのさ。確認なんだけど」と、俺が言う「俺らの最終目標って、ハルトの復讐を止めるってことでいい?」

「うん」

「俺らにそんな権利あるの?」

 二人とも黙ってしまった。

「……権利?」

 神妙な顔になったリツの隣で、シュウが訝しげな顔で呟く。失礼、内一名はただの馬鹿だった模様。

「だってハルトの怒りはもっともだろ。スマホでゲームしながら運転してたら人轢いちゃいました〜、三人死にました〜、でもわざとじゃないんで刑務所行くだけです〜。キレるだろ普通」

「でもハルトが殺し返したら、ハルトが刑務所行くじゃん」

「刑務所行ってでもやり返したいんだろ。もうちょっと自分のことだと思って考えろよ」

「だとしても殺人がいいわけねぇだろ」

「理由を聞こうか」

 ここぞというタイミングでリツが割って入った。はい出たーリツのかっこつけ。するとシュウは真顔で答えた。

「よくねぇからだよ」

 お気持ち表明じゃんただの。

「蹴られる前に蹴り飛ばしてた奴の台詞かよ」

 呆れた顔で俺が言う。小学校の時のシュウはキレやすい上にすぐ手が出るので、男女問わずよくクラスメイトを泣かせて問題になっていた。この見た目だと今も大して変わってないのかもしれないけど。

「俺はやだよ。ハルトが捕まんの」

 だからおめーの気持ちは聞いてねぇ。するとリツが助け船を出してきた。

「バレずに捕まんないかもしんないじゃん」

 法学部を志望してる奴の台詞か?

 するとシュウは、降参と言わんばかりに背もたれに沈み込んでこう主張した。

「わかった。俺が嫌だから俺のエゴでハルトを止める。おまえらは俺に付き合え。いい?」

 俺とリツは思わず顔を見合わせたが、結局大きな溜め息をつくだけで言い返さず、渋々了承した。

 こういう時のシュウはどうせ折れない。

 

 

 それからというものの、俺らは定期的に集まっては廃屋を覗いたが、ハルトに遭遇することは遂にできなかった。人間という生き物は成果がないとやる気を失っていくもので、初めは隔週だった集まりもいつしか隔月になり、高校を卒業する頃には半年に一度のペースになってしまっていた。高校生というのは暇ではないのだ。部活もあるしバイトもあるし、彼女もできる。パチンコだってやりたい。

 高校三年生の夏休みの時、半年ぶりに廃屋に集まった俺らは手慣れた手つきで外門の出入口を解錠し(わりと早々に元あった錆びた鍵をハンマーで叩き割り、百均で買ってきた南京錠を代わりに取り付けたのだ)、我が物顔で二階奥の和室まで突き進むと、前々回くらいに一階から持ち込んだ会議用パイプ椅子に腰かけた。

「次会うの来年にすっか」

 そうカラッとした声で言ったのはシュウだ。言い出したお前がそれかよ。

「最近どう?」

「模試がさぁ、志望校の判定ギリなんだよな。胃が痛い。タツキは?」

「推薦。どうせFランだし」

「俺高校辞めたわ」

 シュウの台詞に、俺とリツは「えええぇぇ」と雄叫びにも近い声を上げた。

「あと半年で卒業できんのに?」

「しょーがねぇじゃん、自分でも馬鹿だと思うよ。でもなんか耐えられなかったんだよどうしても」

「親どうしたの?」

「別に。あんなババア無視だよ無視」

 まだババア呼ばわりしてんのかよ。

「今何してんの」

「荷揚げ屋さん」

「なにそれ」

「えーとね、大工さんの手伝い。トラックから木材運ぶの、ながーいやつ、建築現場に」

 うわぁ超大変じゃんそんなの。絶対高校行く方がマシだろ。

「タツキもやんない? 筋肉あるし」

「無理無理無理。パワリフの筋肉って飾りだから。使える筋肉じゃなのよ」

「張りぼてマッチョじゃん」

 そう言ってシュウとリツが笑った。くそ。こいつらといると、今がどうとか関係なく小学生の頃のヒエラルキーに強制的に戻されてしまう。デブの人権のなさなんて忘れてたわ。

「あー、早くハルト会いてぇなー、退屈だわ」

 天井を仰ぎながらシュウが言う。趣旨変わってきてんじゃん。

 するとリツがニヤニヤ笑いながら口を開いた。

「あいつ、見えないだけで実はずっとここにいたりして」

 ……まさかぁ。

 でも少し怖くなった俺がチラッと背後を振り返った途端、シュウとリツが馬鹿みたいに一際デカい笑い声を上げた。

 

 

「えーっと、俺ら何してんだっけ」

 ストロングチューハイのロング缶を握り締めながら、完全に酔っ払った声でシュウが言った。本当は大学が夏休みに入る八月に集まるはずが、予定がズレにズレてもう十月である。俺らは十九歳になっていた。

「ハルト探し」

「それだ」

 指でさすな人の顔を。

「で、いつ戻ってくんだっけ」

「俺に聞くな。加害者が出所する時期なら大体わかるけど。お袋が調べてくれたから」

 そうか、リツの母親って弁護士だったな。このつてがなければ、きっと俺らは判決が言い渡された裁判の傍聴にも行けなかったし、加害者の顔を確認することもできなかった。俺らがまだ高校二年生の時のことだ。本来ハルトが座っていたであろう関係者席には、北海道の叔母さんが座ってくれていた。もしかしたらハルトが現れるかもという下心で参加した傍聴だったけど、結局期待外れだった。

「正確な日付は無理だけど、まぁ目安にはなる。行儀よくしてれば大体早めに出所しちゃうしね。三年半の禁固刑だから、三年くらいで出てくるんじゃね。仮出所ってやつ。加害者のおじさんはマイホーム買ってたみたいだから、離婚してなきゃ住所もわかる」

 さすが有名大学の法学部。頭がいい奴は便利だ。

「ずっと考えてたんだけどさ」と俺が切り出す「時間を貯める方法はなんとなくわかるよ。でも貯めた時間を使う方法がわからんのよ」

「わかってどうすんだよ」

 拗ねた声でシュウが言った。難しい話が続いたので機嫌が悪い。

「俺らがわからんってことは、ハルトもわからんはずじゃん」

「だからぁ?」

 おまえもう酒飲むのやめろ。

「覚えてない? おまえら。確か石投げしてたよな、河川敷で」

「リツ飲む?」

「未成年だろおまえも」

 いい感じに酔っ払って人に絡みだしたシュウを、リツが野良猫を追い払う仕草で遠ざける。するとあろうことかシュウは、埃とカビだらけの畳を丸太のようにごろごろ転がりながら大声を張り上げた。

「ハルトくぅ〜ん! どこですかぁ〜!」

「馬鹿静かにしろ」

「通報されるわ」

「ハルトぉ〜」

「黙れってば」

 俺とリツの二人がかりでシュウを押さえ込んだら、体の下からすすり泣く声が聞こえてきた。おっとしまった怪我させたか? だがシュウが泣いていた理由は随分と情けないものだった。

「俺さ、ハルトの親友だよな」

 半泣きでシュウが呟く。俺らもカウントしろよ。

 シュウはスイッチが入ってしまったのか、嗚咽をあげながらますます泣きだした。

「父親に殴られてたんだ、俺。だから親、離婚したんだけど。あと低学年の時、学童で上級生からイジメに遭ってて。ハルトだけずっと励ましてくれた。父親が殴るのも、おかしいって。言ってくれんだ、あいつだけ。あいつだけだ。死にたくなったら、俺んち来いって。なのに。なんで俺は。あいつがつらい時、一緒にいてやれなかったんだ」

 子供みたいに泣くシュウを、俺らは背中を撫でて励ますことしかできなかった。

 そうだった。ハルトと一番長く友達やってたのは、おまえだったっけ。

 ひとしきり泣き続けてようやく酔いが覚めたのか、シュウはやや正気に戻った目を俺らに向けた。

「戻ってくるよな、あいつ」

 俺らは答えられない。

 こういう時、「当たり前だろ」って言うのは、いつもハルトの役割だった。

 ハルトが消えてもう三年が経とうとしている。

 

 

   3.

 ハルトの帰還は、想像を超える形で俺らの元に舞い込んできた。

 加害者に科せられた三年半の刑期が満了するであろう二十歳の四月に、その騒動は起きた。西橋市の踏切で、バーの下を掻い潜った男子高校生が、スピードを上げた私鉄電車の真ん前に飛び出したのだ。問題はその後で、どこを探しても轢死体が発見されなかったどころか、車体に血痕ひとつ残っていなかったことだ。目撃情報は瞬く間にインターネットを駆け巡り、怪奇現象だ、心霊現象だと大騒ぎになった。偶然居合わせていた車のドライブレコーダーには、飛び出した男子高校生の背中がわずかに写っていた。すぐさま匿名の人々によって学校が特定されたのには目をむいた。西橋市立第二高校の制服。ハルトが通っていた高校だ。

 間違いない。帰ってきたんだ。

 おそらく本当に時間の流れを操れるかどうか実験するために、あえて踏切に飛び出したのだろう。命がけで。失敗すれば死ぬというその状況設定にハルトの本気度が伺える。俺らもすぐに動きだした。俺とリツは新学期早々授業をサボり、シュウはアルバイトを休んで西橋市に駆けつけた。俺は何があってもすぐにでも動けるようにと、大学進学後も不便な実家暮らしを続けていたのに、まさか授業中に事が起きるとは思わなかった。いやよく考えればわかるのかもしれないけど。Fランにそこまで期待しないでくれ。

 最初に西橋駅に着いたのはシュウだ。午後四時三十一分。その十分後に俺が到着する予定だった。リツは少なくとも三十分は掛かる。加害者の家でハルトを待ち構える役目はシュウに譲って、考えた末にある秘策を思いついていた俺は、国道沿いの廃屋へ向かうことにした。いちいちチャットを打つのも面倒なので、ここからは三人でビデオ通話を繋ぎっぱなしにしておく。

 加害者の住む庭付き一軒家に到着したシュウが、都合よく家庭菜園の水やりをやっていた七十過ぎのジイさんをインカメラで映した丁度その時、俺も例の廃屋の前に辿り着いていた。

 そして唖然としていた。

「あー……マズいぞ、シュウ」

『えっ!? なに!? よく聞こえない!』

 スマホの画面いっぱいに、シュウがイヤホンを耳に押し込んでいるリアルタイム映像が映る。

 俺はカメラの反転ボタンを押して、目の前に広がる絶望的な光景を映してみせた。

 今まさに二台の重機が、廃屋の手前の方を半壊させている様を。

 映像を見たのか、シュウとリツのパニックに近い叫び声がイヤホンをつんざいた。

『なんでこのタイミングなんだよ!』

 シュウが叫ぶ。本当にそう。

『タツキ! 俺もう西橋着いたから! 待ってろすぐ行く!』

『俺も行く!』

『馬鹿おまえはそこで見張ってろ! ハルトが来たら入れ違いだろ!』

 そんな大慌ての二人の会話を、俺はほとんど聞いていなかった。いや、聞こえなかった。うるさくて。重機が建材をなぎ倒す音と、敷地内に不法侵入した俺を遮ろうと光る棒を振り回す警備員の叫びに邪魔されて、まったくといっていいほど聞こえていなかった。

 あまり足腰の強くなさそうな高齢の警備員を強引に振りほどいて、俺は作業中のパワーショベルの横をすり抜けると、壁が壊されて剥き出しになった二階への階段を駆け上った。間取りならもう完璧に頭に入っている。二十回近く通ったんだ。崩れた廊下を飛び越えながら最短距離で和室に向かう。

 ところどころ障子が破れた開きっぱなしのスライドドアを潜り抜けると、窓際の壁はすでに根こそぎ崩れ落ちていた。同じ場所とは思えないほど開放的になった和室の真ん中に、見つけた。あった!

 八年前、俺が拾い上げたあの砂時計が。

 急いで拾い上げる。と、俺は大問題が気づいた。

 ガラス瓶の中に砂が入っていないのだ。いや、ほんの数粒、かろうじて視認できるだけの鼻くそみたいな量だけ残っている。嘘だろ。なんで。どうしてこんなに減ってるんだ。その時、地面が大きく揺れた。床が抜けそうなのだ。当たり前だ。解体工事中なんだぞ。斜めになった床を危うく滑り落ちそうになったのを、俺はかろうじて残っていた床の間の柱に捕まることでなんとか耐えた。が。

 肝心の砂時計を落としてしまった。ああああ。

 ああああああもう俺って本当に馬鹿。

 斜めになった畳の上をごろごろ転がっていった砂時計は、窓際の敷居に引っかかって大きく跳ねた後、落ちて消えた。

 終わった。

 もうおしまいだ。

 足りない脳みそでひたすら考えたのだ。実質、時間を止められるようになったハルトは無敵だ。普通の時間を生きる俺たちに為す術はない。小六の時の担任の望月先生が、胸ポケットが破れるまでボールペンを詰め込まれるのを防げなかったように。しかし俺は長年少年ジャンプを読んでいるので、対抗する方法がひとつだけあることに気づいていた。時間を止められる奴がもうひとりいればいいのだ。だがその望みも絶たれてしまった。

 何もかも終わりだ。

 斜めになった床の間で項垂れていたら、聞き覚えのある声が遠くから響いてきた。

「タツキー! 無事かー!」

 リツだ。

 書院部分の障子をぶち破って俺が階下を覗くと、砂時計を抱えたリツの姿がそこにはあった。俺と目が合ったリツは、優勝トロフィーを掲げるみたいに、両手で砂時計を頭上高く持ち上げた。

「ぼさっとすんな! ハルトを止めに行くぞ!」

 一目がなかったらサッカー選手みたいに抱きついているところだった。

 

 

 俺が砂時計を逆さまに傾けると、中央の細くくびれた部分を落ちていった砂が白く光って、燃え尽きたように消えた。今度こそ本当に砂時計は空っぽになったのだ。リツにしていた腕時計を見せる。長針が四分遅れていた。

「足りるかな」

「間に合わせるしかない。それより問題は発動方法だ」

 リツの懸念に、俺は剥き出しになった和室の壁を指差して答えた。

「たぶんあれ」

 床の間の丁度真正面、出入口近くのその壁には、何度も打ち付けられたのだろう野球ボールの痕が無数に残っていた。

「後はもう、やれるだけやってみるだけだ」

 俺たちは走りだした。

 

 

 シュウと合流するため、全速力で俺とリツが西橋小学校の横を通り過ぎ、西橋駅前の交差点に辿り着いたまさにその時、イヤホンからシュウの言葉にならない怒鳴り声が聞こえてきた。少し経って、『ごめん逃した』という悲痛な声が続く。

「ハルトか!?」

『ジジイが消えた、瞬間移動みたいに!』

 ハルトが連れ去ったんだ。時間を止めた奴が物を移動させたら、そうでない奴からは物が瞬間移動したうように見える。

「時間切れだ」

 残念そうにリツが言う。いや早ぇよ。諦めんなよ。

 こっちは四年待ってんだぞ。

 考えろ考えろ考えろ。ハルトならどうする。ハルトなら何をする。俺がハルトなら何をする。もし俺が。ある日突然、家族を轢き殺されたら。殺した奴に復讐する。思い知らせる。同じ目に遭わせる。家族と同じ目に!

「駅前の交差点」

 ここだ。

 車両用信号機が青に変わり、一斉に車が動きだした瞬間、車道の真ん中に突然高校生と老人が姿を現した。

 瞬間移動をしたみたいに。

 俺は廃屋を出た時からずっと握り締めて準備していたパチンコの玉を、交差点に向かって投げた。親の都合で、結局野球をする夢は一度も叶わなかったけど、YouTubeで投球解説の動画を見ながら自主練くらいはしていた。高校で入部したのはパワーリフティング部だったけど、時々親父と新川の河川敷でキャッチボールくらいはする。

 振り下ろした右腕からパチンコ玉が消えた瞬間、見えるすべてのものが止まっていた。

 交差点の真ん中で、高校一年生のままのハルトが驚いたように俺を見た。

「タツキ」

 よくわかったな。痩せただろ、俺。最近リバウンドしてるけど。

「駄目だよこんなこと」

 言いながら、俺は泣いていた。

「俺考えたんだ。俺がハルトの立場だったら、きっと同じことしてたんじゃないかって。そう思ったら、ハルトを止める権利なんか、俺には全然ない。でも、ごめん。無責任なこと言ってごめん。ハルトに人殺しになんかなって欲しくない」

 ハルトは、いつも一緒にいた俺らに誰よりも寛大だった。

「こんなことすんなよ。シュウが泣くぞ」

 必死で訴える俺を、ハルトはただただまっすぐ見つめていた。

 駄目だ。一体どうすれば考え直してくれるんだ。リツだったら、もっと理詰めで説得できたのかな。

「ハルト」

 そう俺が名前を呼んだ瞬間、目の前の景色が変わった。車道ではなく歩道にいる。流れるように景色が動き、雑音と喧噪が戻ってきた。時間切れだ。よろけた俺を、隣にいたリツが支えてくれた。

「ハルトは?」

 不安そうな声のリツの問いに答えたのは、俺ではなかった。

「ここだよ」

 振り返る。高校の制服を着たハルトがそこに立っていた。

「おまえら暇かよ。懲りずに何回も廃屋来てさ」

「見てたの?」

 驚いた。リツの冗談は的中していたのだ。

「事故があった朝、親と喧嘩したんだ。うちの店のさ、社員の佐々木さんって覚えてる? あの人レジのお金くすねてたみたいで、クビにするって親が言ったんだ。俺は反対だった。あの年であんなにトロかったら、この先アルバイトしか仕事ないよ。四十近いのにひどい仕打ちだと思った。だからなんとか考え直してほしかった。店の表で働くのが無理なら、バックヤードとかでさ。でも遅刻するからって話遮られて。いつもより少し遅れながら両親と妹が家を出ていった。そんで轢かれた」

 ハルトが静かに続ける。

「俺のせいだ」

 俺らは何も言えない。

「赤の他人庇って、家族を殺したんだ」

「違ぇよ」

 遮ったのは、肩で息をしながら電柱にもたれ掛かっているシュウだった。

「誰も殺してない。家族も、アクセルとブレーキ踏み間違えたクソジジイも。ハルトは誰も殺してない」

 シュウの言葉に、ようやくハルトは洟をすすりながら涙を零した。

 おかえり、ハルト。

 

 

   4.

 ハルトが三年半もの長きに渡って時間を貯め続けたのは、復讐のために使う以外にも理由があった。それだけの長い時間が経って、自分の中にある恨みの感情が薄れてしまうのではないかと怖かったんだそうだ。そして何度も何度も廃屋を訪れる俺たち三人を見て、今度は人を殺すことが怖くなった。ハルトは俺らに止めてもらいたかったのだろう。もっと早く素直になればいいのに。そしたら俺らも苦労はなかった。

 西橋小前のいつもの交差点に辿り着くと、ハルトが言った。これからまだ使ってない分の時間を消費して、同い年になって戻ってくると。俺はポケットに残っていたパチンコ玉をハルトに渡して、「ここで待ってる」と言って見送った。戻るまで五時間くらいかかるそうだ。まぁ気長に待ってるよ、三人で。

 だってもう四年待ち続けたんだ。五時間くらい瞬きしてりゃ終わる。

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