魔術師の無間の夢

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梗 概

魔術師の無間の夢

この世の事象は正と負と零に分類される。
常に人の目に映るのは正と負の要素である。要素が数値化され、見て取れるようになったがゆえに人々は正と負に執着していた。
今となっては当たり前のように扱う無間機関が登場する以前の世界の在り様だ。
諸君は知らぬであろうが、かつては無間機関を多くの人間は有していなかった。
古においては、モーゼ、ナザレのイエス、ムハンマドといった聖人や奇跡の体現者。中世においては魔術師などと呼称され迫害の対象となっていた。
私は、魔術師と呼ばれた最後の世代になる。
無間機関は万人に対し零に対する新たな視座を与えた。
ウロボロスの図のような理解がもっとも適当であるか、極小と極大の交わる点のようなものだ。
これは物理学者シェルドン・グラショーからの引用であるが——
 
 
年度初めの講義を終えた老教授、喜登良のもとに助手から客人がある旨の連絡があった。
すでに現役を半分引退した身である自分に客人などと思いながらも、部屋に通して待たせるようにと喜登良は伝えた。
研究室で待っていた青年、櫻井珠樹は史学の研究者であり、日本にいる魔術師に話を聞いて回っているとのことであった。
「私は、無間機関の考案の中心的人物であったとされる鮎河日出夫の足跡を追っています」
 
 
喜登良が初めて鮎河と出会ったのは、鮎河が無間機関を発表する以前だった。
まだ世間には隠匿されていた技術であったころ、喜登良はその界隈の相談役の地位にあった。
「喜登良さん、いまが節目だよ。時代の潮目さ」
鮎河は、まるで革命家のようであった。秘匿者には最もふさわしくない野心と希望に満ちた在り方をしていた。
無間機関。万人に零の領域を認識させる技術。
未だ相対性理論が確立されていなかったころ、世界にはエーテルという理想的な無が満ちているとされていた、あらゆるものと干渉せず、媒介する無の存在が。
しかし、技術の発展とともに、そのような物質がないことのほうが理に適うようになっていく。
鮎河の考えはまさにその逆。世界中の人間にエーテルを認識させる技術の開発を目論んでいた。
無論、喜登良はその提案をまともに取り合わなかった。
 
しかし、鮎河は数年後、アメリカ合衆国政府と手を組むこととなり、無間機関は成就した。
鮎河はウェブを介して、全世界に技術を瞬く間に流通させ、基金を通じて集めた資金をもとに発展途上国にも人員を送り、技術を伝えて回ったという。
無間機関を開発し、世界を変えた男は、招待された演説のさなか心臓を虚空に握りつぶされ、暗殺、絶命した。
 
 
「櫻井さん、私がどういう魔術を扱うか、ここまで話せばわかるだろう」
鮎河が喜登良に話を持ち掛けたとき、およそ百年前、すでに技術的な解決はされていた。
「この私に、鮎河は、物語ることを求めてきたよ」
いつか、誰かが鮎河のことを、無間機関がなにものであったかを尋ねたときに、応えてほしいと。
「そこに意味があるとは思えないがね」

文字数:1202

内容に関するアピール

空想的な世界を私の中の科学的な造形で描写すること。
そこに楽しさを見出すことを考えました。

・喜登良
不老不死の魔術師。古来の錬金術師をそのまま現代の科学者に引き上げたような人物。

・鮎河
もしも、すべての人類が魔法を使えたらそれってとっても素敵じゃないと夢想した人物。

・無間機関
19世紀科学におけるエーテル。
あるいはファンタジーにおけるエーテル。
これが実在した世界を構築する装置。
世界に満ちる質量をもたない媒介物質に作用し働きかけることで、無から有を創造する技術といったイメージ。

文字数:236

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