中国語をよんだだけなのに

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梗 概

中国語をよんだだけなのに

今野はよく「俺は生涯誰にも謝ったことがない」と吹聴する男だが、当然知人の間では疎まれ呆れられ、本当のところ友人がいたことはなかった。
「もしおまえ一人のせいで戦争が始まったらどうするよ。それでも?」
「はあ?起こった事は全ていい事だろ。たとえ俺の責任で世界戦争が起きてもさ。俺は犬にも謝らないね」
中国の酒場で白酒を飲んだくれていると、大きな地響きがした。外に出ると道路が波を打ちビルは崩壊し、海水が押し寄せていた。
今野は思い出す。この原因は確かに自分にある。仕方が無い、こういうこともある。事の発端は一年前のここから始まった。

中国語を全く話せなかった今野は、酒と観光目的でよく中国出張をしていた。あるとき酒場で中国語を教わり、発音してみると上手だと褒められる。隣の桌子で漢詩「長恨歌」を詠む男がいて、盛り上がっている。絶対音階があり物真似が得意な今野は意味もわからず音だけで真似てみると、回りから拍手を貰う。さらに続けると、店中の中国人が立ち上がり、今野と一緒に数々の漢詩を泣きながら詠む。
公園で漢詩の朗読をする度に大勢の人々が集まり漢詩朗読の輪が広まる。
評判を聞いて村、市、県、省でと次第に大規模な朗読講演が開催される。瞬く間にSNSで今野の朗読が噂になりCCTVで特集されることになる。春節の人気番組に中国全土へ生放送されると、今野の朗読で全中国人が一斉に立ち上がり、泣きながら今野と共に朗読をする。その中国での熱狂の模様が世界へ瞬時に伝わる。
李白も杜甫も今野は見事に朗読できたが、白居易の「長恨歌」を詠む時だけは格別に聞く者の心を動かした。

国語学者、言語学者たちは白居易の「長恨歌」に秘められていた謎を研究した。
精華大とボローニャ大では「ミラーニューロン」と結びつけた今野現象を調査した。
同時に世界規模での脳科学界、物理学、機械知能の分野での研究対象とされ、今野は各分野の調査に協力をし、世界各地で朗読会も行った。また世界の首脳の前で、心を閉ざした病を持つ者ら、類人猿、見たこともない生物の前でも今野は詩を読み会話を試みた。
今野現象は分析され、多くのメソッドや訓練装置も発明された。
まもなく今野を介さずにも「長恨歌」を詠むことで、人々は手を繋ぎ次第に他者と共感し合う力が強まっていくようになる。そうして世界中に平和の波が広まった。争いは消え、武器が捨てられていった。
しかし次第に今野は実験に疲れ、誰もが挨拶のように漢詩を詠む平和な社会が面白くなかった。
最初に中国語を発した酒場へ行き白酒を飲んでいると爆発が起きた。その瞬間今野は思い出した。「あいつか!」

今野は宇宙船の窓から爆発した地球が粉々になっていく様を見ていた。
小さく「長恨歌」を詠む。次第に大きな声を出すと、後ろから人ではない声が次第に「長恨歌」になっていく。今野は「俺の真似をするな」と叫び、はじめて涙を出しながら独り「長恨歌」を詠んだ。

 

文字数:1200

内容に関するアピール

わたし今野が得意なこととは、中国語、漢詩朗読、上辺だけで謝るが本気では謝らない。

長恨歌とは
「漢の王は楊貴妃を妃に迎えると、彼女にのめり込み政治を行わなくなる。この王に不満を持つ反乱が起き、王は逃げ出したいが、楊貴妃をよく思わない軍は誰も王に従わない。王は自分が助かりたいため、やむなく楊貴妃を殺すが、都に戻っても楊貴妃を思うだけで政治が出来ない。(まだ続く)」
一般的には王と楊貴妃の愛の詩と評されているが、作中の今野はこの”自己保身のため上辺だけを取り繕うが本心では全く反省していない男”に惹かれ、漢の王と自己を完全同調した。

ミラーニューロンとは
「他者の行動を見て自分が行動している反応を起こす脳神経細胞。他者への共感能力や自己意識形成を制御する」
作中の今野はこの他者への共感能力に於いて特異点を越えた一人目の人間となった。しかし、異星人との接触では彼らの意見を肯定するだけに終わってしまったようだ。

 

文字数:400

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中国語を話しただけなのに

1.漢皇かんこう 色を重んじて傾国けいこくを思う

私が今野明広に出会ったのは、中国から日本に移り住んだ高校一年生の春だった。転入してきた初日に、私は隣の机に座る彼へ、これを言えば絶対受けると教わった唯一の日本語、「バッチリですよ」と精一杯の笑顔を作って挨拶をしたが、彼は正面を向いたまま私を完全に無視して机を両手の人差し指で叩き続けていた。それからまもなくクラスの誰もが私と話をするようになったが、クラスで今野に話かける者は私ひとりだけになっていた。

彼自身はクラスに友人がいないことを全く気にしていないようなそぶりで、私が日本語を少し聞き取れるようになった夏休み前の昼休みに私だけにこう言った。「おれは生まれて一度も他人に謝ったことがないし。べつに人間の友だちなんかいらないんだ」 そして、机をタンタンタンと叩いていた。

この時は、変なことを言う日本人だと思って、私は発音に気をつけながら日本語で聞いた。「おまえのせいで戦争が始まっても、謝らないのか?おまえは犬が友だちなのか?」
「ああ、地球が滅びても謝らないね。犬にだってあやまらないよ」と今野は机をタンタンタンと叩きながら言った。

私が日常生活の日本語をほぼ聞き取れるようになった二学期最後の昼休み、今野は正面を向いて右手で焼きそばパンが入った袋を掴み左手で500mlパックの牛乳を握ったまま、両手で机を何度も叩きながら大声でこう言った。「おれのことを陰で噂しているおまえら。おれは、おまえらを二度と許さないからな」

焼きそばパンの袋は破れなかったが袋の中でパンが潰れて焼きそばと一体化し、開けられていた牛乳パックに残っていた牛乳が今野と私の顔にかかった。そして牛乳パックから牛乳が出なくなるほど何度か机を叩いた後、椅子に座ったまま今野は頭から床に倒れた。間もなく救急車がやって来て今野を担架に乗せてどこかへ連れて行ってしまった。今野が何を具体的にどう許さないのかは分からないし、聞きたいとも思わなかったが、もう聞くことは出来なくなった。最初から彼の声は同級生らに冷たく無視され、ただ危険物のように扱われていた。しかし、私はそう口に出して言ってしまった彼のことを許した。彼が撒いた牛乳が顔中にかかった私だけは彼を許した。彼はそれから冬休みが終わってもずっと学校に来なかった。

私は中国にいる家族から離れて、一人で日本にやってきて授業を休みがちになるほど芸能活動が忙しかった。毎日私は多くの日本人の前で歌い踊り、笑顔を振りまき続けていたが、次第に寝る前に布団の中で声を押し殺して呟くことが増えていった。「絶対あいつを許さない」私はそう言いながら握った拳で何度かベッドを叩いた。

そうやって私は日本に来て3年目に日本で活動していた音楽グループを卒業することになり、殆ど行けなかった高校を卒業させてもらう3月には、中国へ帰国することも決まった。私も今野も殆ど学校に行かなかったからか、2年生と3年生も同じクラスであった今野について覚えていることは殆どない。ただ、クラスで卒業の寄せ書きを書くことになり、私は最後に余ったスペースに何とか「ありがとう日本。銭琳」と書いた。日本語も読めるようになった私は同級生たちの寄せ書きを丁寧に読んでいったが、右下隅で見つけた「恨み。今野明広」という丸文字には声を出して笑った。

私にとって特に今野明広という同級生が印象深かったわけではない。ただ、無理に思い出そうとした一人の同級生について思い出せたことはこれが全てだ。

なぜわざわざ彼のことを思い出そうとしたかというと、10年後、私は中国の西安驪山りざん麓の温泉街で今野明広と再会したからだ。

2.天生の麗質れいしつは自ずからるにかた
2019年9月15日(日)陝西省西安市臨潼区華清宮
私は華清宮の酒屋で、中国ATBのトップらとアメリカGAFAの中国代表団と合弁事業の件で打ち合わせをしていた。そんな中国人なら決して近寄れないこのテーブルへ、今野明広は一度通り過ぎてから、また立ち留まって大袈裟な足早に戻ってくると言った。

「あれ。むかし、おれの隣に座っていたリンリンじゃないか」と、中国人だけの桌子に日本語で話しかけてきた。

今野は仕事で安い賃金のSEを探して北京から西へ向かい、ここ西安の陝西せんせい省を越え、甘粛かんしゅく省、青海せいかい省まで行ったが、結局安い賃金のSEを探し出せないまま、ここ西安周辺に戻って時間と仕事と酒を持て余していたらしい。そして5年間も中国とのブリッジSEをしていながら、今野は全く中国語を話せないようだった。

今野は、私の周りにいる中国人が誰だかわからないまま、日本語で私にどうでもいい話をし続けた。

「おれは生まれて一度も他人に謝ったことがないしさ、これからもどんな中国人にも謝らない」

結局、この男には中国で仕事を成し遂げる、才知も気概も持ち合わせていないのだ。私は、彼が中国に来たばかりの幼馴染だと説明し、20兆円を売り上げている中国の友人らに手を合わせ全力で謝った。せめて中国の友人へ彼を自己紹介をさせてみようと、ゆっくりと私が発音した通りに今野は言った。

「私が一度も人間に謝ったことがない今野明広です」

全く意外なことに、今野の発音も声調も完璧だった。馬雲、馬化騰は急に今野を見る目が変わった。

「たとえ私の責任で中国が滅びたとしても、どんな犬にも謝りません」

李彦宏は手を叩いて笑い、確かに喜んでいるようにみえた。

「あなたたち、中国の将来と野良犬たちに乾杯」

と今野が音頭を取って、私たちは乾杯をした。

誰もが今野は全く中国語を分かっていないとは信じていないようだったが、私が中国語で彼にそっと早口で中国語を教えると本当に彼は正確な鸚鵡返しで私と同じ言葉を話し、まるで彼らと話が成立しているようだった。

「今野さんはこちらでどんな仕事をしているのですか?」

「日本人が捨てた夢を集めて、それをこっちで火鍋に入れて高く売るんです」

中国人はみな白酒を飲めていくと、どんなくだらないことを言っても勢いで声をたてて笑う。おまけにこの店で出す白酒五粮液は格段と美味く酔いが早く回った。私の話す中国語を今野はただそっくりに真似をすることが出来ることに、本人も驚きと喜びを感じているようだった。

少し離れたテーブルでは、この地では有名な宋老師が、「長恨歌」を詠み始めた。すると急に店内のざわつきが消え、誰もが宋老師の「長恨歌」に聞き入り、物音ひとつしなくなった。宋老師が謡うのは、まだ冒頭の箇所。楊貴妃が温泉に入り当時としては相当新鮮であった風呂場での性交を描写した一節。そしてこの温泉こそ、いま私達の目の前にある華清池かせいちだった。

「春寒赐浴华清池,温泉水滑洗凝脂」 春なお寒くして 華清池の温泉浴を賜り 温泉の水はなめらかにして 白い肌を滑り落ちる

すると私の隣に座っていた今野が突然立ち上がり、宋老師と殆ど同時に大きな声で詠んだ。

「侍儿扶起娇无力,始是新承恩泽时」  なまめかしく力なく横たわるところを腰元らが扶け起こす これが初めて帝の寵愛を受けた時

酒場にいた者はみな、手の動きを停め、息を吸うことを止めようとする喉だけを動かし、宋老師と共に声を出した今野を注視した。今野の発音は正確なだけでなく、その抑揚ある謡い方は、「長恨歌」を知らない者の心までをも魅了していた。

「六军不发无奈何,宛转蛾眉马前死」 近衛兵たちは如何とも動くそぶりがなく 楊貴妃は馬前で命を落としてしまった

宋老師と今野の声はハーモニーを奏で、たった一節で描かれる楊貴妃の死の描写では、確かに私たちの目の前に楊貴妃の亡骸を横たわらせた。

すると、「長恨歌」をよく知っている人から、次から次に手に持っていた杯を床に落として静寂を破りだした。そして、一人また一人と椅子を倒して立ち上がった。私も鳥肌を立てながら立ち上がった瞬間にわかった。10年前にすれ違った今野と私たち。今野が机を叩いていた音。今野の寄せ書きの言葉、「恨み」。この男がこの地にやってきたこと。それは全てこの瞬間へと繋がった。私は、一人強く頷きながら、いつのまにか、「長恨歌」を声に出して謡っていた。しかし、そうしたのは私だけでなかった。酒場にいた者は全員背筋を伸ばし、大声で「長恨歌」を詠んだ。楊貴妃を失った悲しみを詠んでいるうちに、私の目から涙があふれ出してきたが、それも私だけではなかった。

「迟迟钟鼓初长夜,耿耿星河欲曙天」時を告げる鐘の音も水時計の水の音も鳴らない長い夜 煌煌と輝く天の川を見ているうちにようやく明け方が訪れる

「鸳鸯瓦冷霜华重,翡翠衾寒谁与共」おしどりの屋根瓦は冷ややかにして 真っ白な霜が降りている この枕のしとねを共にする人はもういない

宋老師と今野だけでなく、酒場にいる者達が声をそろえて「長恨歌」を泣きながら詠んでいた。それは、白居易の書いた「長恨歌」の詩に対して泣いているのだろうか。私たちは誰も自分の涙を流す理由をわかっていなかったが、ただわかっていることは、体中のどこもがとても熱くなっているということだけだった。

凡そ5分をかけて、私達は「長恨歌」を最後まで声をそろえて詠み終えた。

「天长地久有时尽,此恨绵绵无绝期」 天長く地久しきも 尽きる時がくる 此の恨みは綿々として尽くる時は無からん

謡い終わると同時に、みな満足げな笑顔で拍手をしはじめた。まずは最後まで詠んだ自分に対して、次に白居易の書いた「長恨歌」に対して、そして最後にみな今野に向かって手を目の前にかざし、長く強い拍手を送った。今野は自我を失っているかのような表情の無い顔をしていた。私の桌子にいた中国の友人達はみな仕事では見たことが無い純粋な笑顔をしていた。私には分かった。今野は体を左右揺らして椅子に座り、私がよく聞き取れない日本語を叫ぶと、バンバンと机を叩いた。私はすぐに10年前の今野の行動を思い出せた。今野が椅子ごと床に倒れる寸前、私は日本の高校野球男子が9回の裏ツーアウトランナー無しから打った内野ゴロでファーストへのヘッドスライディングをする心意気を以て、今野の頭と床の間に自分の腕を滑り込むようにして入れた。そうやって私がここの大理石の床で頭を強く打って気を失う、その幸せな瞬間。私はこれから起こることを想像して、満面の笑顔を浮かべて気を失った。

その日救急車で病院に運ばれ、ホテルのような病室で意識を回復した私の横には夫がいた。まだ朦朧とした意識の中で夫から「家に帰ろう」という優しい声を聞いた。

私は自分の部屋のベッド上で目が覚めた。猫のミィが私の顔をじっと見ていた。すぐ目の前で猫と目が合うと私以上に驚いたミィはベッドを駈け降りた。猫の「フゥ」というため息が聞こえる。30cm離れた右側のベッドでは夫が寝ていた。夫の歯ぎしりが聞こえる。耳をすますと自分の胸がたてている音も聞こえる。すぐに今野の机を叩く音と重なった。歴史は華清宮でひっそりと私を待っていたのだ。彼ではない。これは私の物語になるはずだ。朝、私は夫より早く起きる。夫が好きなパンケーキを焼いて、陽がよくあたるダイニングで一緒に食べよう。そして私は新しい仕事のために暫く別に暮らそうと話すだろう。

3.春寒くしてゆあみたま華清かせいの池
2019年9月16日(月)陝西省西安市西安城市運動公園:
中国人との席を設けてやり、頭から床に落ちるところを救ったのは私だ。今野は跪いて私に感謝するだろうと想像しながら、私は今野に会うためにキャリーバッグを引いていた。ここ中国西安市では、バッグは石畳の上でグーロング、グーロングと音をたてた。しかし、約24時間後に再会した今野は、昨日の事は殆ど覚えていない、ただの二日酔いのところを無理に呼び出されて不機嫌な駐在日本人だった。

「おまえは、本当におれを助けようと頭を打ったのか?へえ。だとしても俺はさ、」と言うと、今野は足下に吐いた。

私は出来るだけ冷静に言った。「ゲロを私の顔にかけないでくれてありがとう」

「どういたしまして」と、今野は下を向いたまま片手を上に向けて合図をした。

西安城市運動公園で私は今野と待ち合わせていた。日曜の運動公園には退職老人らが鉄棒で本格的な大車輪をし、至る所で真剣なバトミントンや卓球の勝負があり、その水準がより高い所へ、彼らを応援する人垣が集まっていた。

私は今野に壮大な計画を地面にゲロを吐く酔っ払いへ手短に説明した。

「あなたの中国語模倣力を以て、全中国人の心を動かす。私はそのためのマメージャーになる。できるだけ早く。現代の全中国に対して、白居易の描いた世界をもう一度認識させる」

「でさ。おまえのような、昔から地味に見える奴が、何で中国のトップたちに好かれてるんだ?」 

今野はこの素晴らしい計画を微塵も理解できないようだった。私は何度も中国政財界を相手にプレゼンをして、ただの石を玉にして売ってきたではないか。

「これは現代中国人が『真実の愛』の仕組みを知る大きな機会になる」私は自分の日本語に自信がなくなってきたが、よく一対一のプレゼンでやったように、相手の目の前で指をパチンと鳴らしてジョージ・ソンダーズがシラキュース大学の卒業式で行ったスピーチをぶち込んだ。「あなたが、中国人に真の愛を伝えるの。あなたの中国語の言葉が、皆の心を開いて惜しみなく、何も恐れることない愛情を分かち合えるようにするの。愛情を持ち分かち合うこと、人生にはそれ意外のことに意味が無いの。お金持ちになったり、昇進をしたり、有名になったり。人々からそんなつまらないことに時間を使わせないようにしてください。あなたの持つ輝ける能力で私達中国人から下らないものを捨てさせてください。そして本当の愛を植えて育ててください。あなたの素晴らしいが導く中国の未来を信じてください」

いつものように拍手は何処からも起きない。私は今野がこのぼんやりとした話に疑問を持つ前に、具体的で小さな目標を提示した。

「その第一歩として、今日はこの運動公園に散歩に来た人、ジョギングにした人ら全員の目と心を、あなたに向けさせるの」

「へえ。どうやって?」

「もちろん、昨日と同じ『長恨歌』を詠んで聴かせる。それだけ。きっと公園中の人が集まるから」

私は今野へ用意してきたピンインつきの長恨歌を渡した。今野はピンインを読む事は出来た。しかし意味のとれないピンインを読んでいるだけで、区切り方もわからず、一文字一文字は正しくても聞いていても全く中国語に聞こえなかった。そのうちに中国語らしくなるかと聞いていても何も改善できなかった。私が見本で一句一句読むと、たしかに今野はその通りの発音をすることが出来た。公園の真ん中で大声を出して長恨歌を詠む男女を珍しそうに眺める人はいた。しかし足を一歩でも止める人はいなかった。公園の沼地ではセキレイが餌を探して歩いていた。

私の努力と創意工夫を以て中国を変えるのだ。私は自分を奮い立たせながら、次第に今野の中国語が変わってくることを願って凡そ中間にあたる句、玄宗が長安に帰還し、楊貴妃を死なせた地を通って無く場面まで詠んだ。60句まで詠んでようやく分かった。こんなのはいくら続けても意味が無い。こんなことのために私は何を捨ててきたのかと、今野が吐いたゲロの中に沼にいたセキレイがやってきて、ゲロを摘まんでいた。今野は私が詠むのを止めたのをただ不思議がっているようだった。

そこへ、目の前をランニングで何度も回っていた老人がそのまま走って来て言った。

「そこの外国人。あんたの中国語は聞き取りやすい。ただ発音がいいだけの『長恨歌』だ。これっぽっちも面白くない」

それだけ言った老人が後ろを向いて走り出した。老人のランニングキャップの後ろから白い長い髪が垂れ、馬の尻尾のように揺れていた。

今野には、まず中国語を教えるところから始めよう。

「はじめまして、わたしはリンリンです」とわたしは言った。

「はじめまして、わたしはリンリンです」と今野は完璧に私と同じ音を出した。

4.天めぐり 日転じて 龍馭りゅうぎょを廻す
2019年9月17日(火)陝西省西安市西安交通大学教員寮:
あの華清宮の酒屋で会った宋老師に「長恨歌」の朗読をお願いしようと訪ねてみたが、不在で一ヶ月は戻らないとわかった。そこで、私が最初にすることは今野に仕事を辞めさせて中国語を教えることだった。

不思議なほど、今野は中国でSI関連の起業をするという話を信じ、仕事を辞めることも中国語を学習することも受け入れた。起業をするまで私に生活費の負担を求めてきたが、それは断った。私はもう一度計画を立て直した。そもそも私が描く計画の到達点は、商売では無い。ただただ、私は華清宮の酒屋で自分が感じた物を信じるしか無い。この、今は何も分かっていない今野を利用して。

短期間で中国語をある程度理解し使えるようにするため、外国人向けの中国語学習動画を使い、中国語を日本語を介せずに理解させた。今野は仕事から解放されたからか、勝手に中国企業に理想を抱いたからなのか、異常な集中力を以て吸収していった。殆ど反復することなく、単語を理解し利用することが出来るようになった。もとより音の記憶力と再生力が優れているのか、見た動画と全く同じ間と抑揚で再現をするため、私にとっても今野の中国はネイティブの発音に聞こえた。本来、大人の外国人学習者、とりわけ日本人は自国言語の発音と抑揚に縛られてしまうのが、今野には日本語の特徴は全く無かった。四声を容易に習得し、会話を通じた状況に寄った抑揚までを表現できた。およそ一週間で外国人大学一年生向けの教科書を習得し。二週目で大学二年生の教科書と子供用の物語を理解できる語彙を習得でき、語彙計測をすると約3000語を聞き取れ読み取れ、約2000語の漢字を書くことが出来た。それから残りの2週間で漢語高級篇のテキスト、通常の配信番組を見させた。特に中国の宮廷ドラマを大量に早送りで見させ、唐詩300首を暗記させた。

「おれは絶対音感はあるし、どんな曲のメロディもリズムも一度聞けば覚えられる。ただ絶対音感と歌や楽器の巧さは関係ないんだ。だからおれには全く使えない能力だったよ」

ある夜、白酒を飲みながら今野はそう言った。楽器奏者の絶対音感所有者についての考えに異論はあるが、今野がどんな楽器も真剣に使わなかった僥倖を祝った。成人の外人中国語学習に於いて、どの教科書にも載っていない実証されている事実がある。それは、中国語はその学習者の音程把握能力に大きく左右されるということだ。それは、これから中国語を学習しようとする人へ、異なった能力の差異が語学学習に影響しているという物語は不必要だからだ。しかし、研究事実として、声調言語である中国語は、音程の高低の把握が不得手である、つまり音痴な人間にとって、自然な中国語話者になることは極めて困難であることが証明されていた。また唐時代に作成された唐詩の多くは言葉としての詩以上に感情を奏でる音楽であった。その唐詩時代の一人の詩人、白居易が描いた120の句からなる「長恨歌」は楊貴妃と玄宋皇帝の悲哀物語を描いただけでなく、音楽の黄金律を描いたとも言われている。詳しいことは宋老子に説明をしてもらえばいいのだ。今野と私のために。

2019年10月19日(土)陝西省西安市交通大学教員寮:
宋老師の家を訪ね、改めてその姿を見てようやく気づいた。一ヶ月前に西安城市運動公園で会ったポニーテールのランナーが、宋老師だった。ランニングキャップこそしていないが、前と同じように髪をひとつに纏めた、背が高く筋肉質な今年88歳になる男性だった。

「あの時の酒場での出来事はもちろんよく覚えているよ」と宋老師は言った。「そして、あなたとまた会うことになることもね」

「宋老師、恐縮です」と今野は自信満々に中国語で答えた。

「そして、きみが中国語を全く分からずに発音し、ただわたしの真似をしていることにも気がついた。なんだか馬鹿にされているようにも思ったがね。ただ、あまりにきみの物真似が見事だったので、そこで、わたしの出来うる限りの力を使った『長恨歌』を謡ってみた。それでも、きみはわたしに付いてきた。何という男だと思ったよ。わたしが50年かけて達した技術を、中国語を話したこともないような男に真似されるとはね」

「瞎猫碰死耗子(目の見えない猫が死んだネズミにぶつかる)ですよ」

「くだらん中国語を話すようになったな」

「もし、もう一度わたしに『長恨歌』を習いたいなら、最低限に中国語を習得しておいてほしくてな」

「それであそこで、わざと先生は声をかけていただいて」

と私が宋老師へ選んで言葉を繋げようとすると、今野が遮って中国語を話した。

「わたしは癞蛤蟆想吃天鹅肉(ガマガエルがハクチョウの肉をほしがる;〈喩〉とてもかなえられそうもない望みを抱く)でしたね」

「きみは勝手に中国語を話さないでよろしい」

「一ヶ月不在になるというのも、もしかしたら」

「そうだ。わたしが中国をいちから教えてなどいられない。この男にそれをするのは君の仕事だろう。君の仕事ぶりは、どうだったのか、結構不安だね」と、宋老師は顔には微笑みを見せながら言った。

私から正式に宋老師に、「長恨歌」の解釈と朗読について学ばせて欲しい旨を頼んだところ、宋老師はすぐに金額と時間の商談に移り、自分の講義の価値を語りつつ眼鏡をかけ、計算機に数字を入れ始めた。およそ宋老師の提示条件のまま、一時間五百元で平日の午前10時から12時まで一日二時間のレッスンをすることになった。期限は双方が納得するまで。私は予算と今後の計画から考えて一ヶ月の覚悟をして支払いの見積もりをした。

国内でも白居易研究の第一人者でもあり、相当難しい講義をされるのかと思ったところ、その講義の6割は、今野が暗記をした「長恨歌」の確認にあった。細かな解釈をすることも殆ど無く、ただ一句一句今野と宋老師が詠み合いを続けた。そして残りの3割がNetflixで見ているアメリカドラマの話で、最後の1割が酒と食べ物の話に使われた。常に金と時間を計算する私がいなければ、二人はきっと雑談だけで時間と金を使っただろう。一週間たつと、講義の度に今野に一人で通しで「長恨歌」を謡わせ、細かな点を何度か修正をさせていく方法になった。最初の授業が終わると、私は「これだけか」と思ったが、今野は帰宅してから私が録音したボイスレコーダを熱心に聞き、私にまで助言を求めてきた。夜の10時になって、私が今野の隣の部屋へ入り、ベッドに横になると、今野が詠む「長恨歌」が微かに聞えてくる。その繰返しが二週間続き、私達は「長恨歌」の何かが分かりかけてきた。二週目の土曜日は一日中雨が降り、今野の部屋で練習をした。外は強い風と雨だったが、ホテルの室内は暖気セントラルヒーティングが暑く感じ換気のために窓を開けた。私の顔に強い雨が痛いほどふりかかったが、私は自分が正しい方向に進んでいることに確信できた。

2019年11月3日(日)陝西省西安市臨潼区華清宮:
昨日の雨よりも酷い、嵐のような大風と大雨が吹きすさぶ中、私は雨合羽を着こみ暖かいお茶を持って今野の部屋を叩いた。事前に告げた分けでは無かったが、今野も雨合羽と長靴姿で私を待って扉の前に立っていて親指と人差し指を合わせていた。その指の形の意味は忘れた。

バスも運行休止になる中を、私達は強い風を追い風にし、走るような勢いで30分かけて華清宮に辿り着いた。華清宮に入る人も管理者もいないと思っていたが、受付窓口にはきちんと係員が座っていた。こんな天気なのに、華清宮と皇居温泉のセット券しかないと言われて400元を払った。

実際に園内は人も猫も鴉の影すらいなかった。私達は再び華清池の横に立った。観光地として更新された池は、人工の噴水に人工の蓮、さらにライトアップする照明など悪趣味の極みだった。しかもこの嵐のような雨の中でも噴水は水を撒き、日中でも厚い雨雲に覆われた天気のため自動照明が周りを七色に輝かせた。池を前にして今野の隣に私も立った。今野が一句目を詠むのと同時に、何故か私も声を出していた。今野も私もこの場所に彼らがまだいることを感じた。楊貴妃と玄宋皇帝が最初に契りを交わしたのは、本当にこの華精池であった。「長恨歌」を詠み薦めるごとに私達は彼らの歓楽を呼び起こす事が出来た。また、楊貴妃を死なせなければならない場面。自ら命じた楊貴妃の死を嘆く玄宋皇帝の描写から、句の折り返しから、この「長恨歌」自体が綺麗に畳まれるようにして前半の描写の逆側を描いて収束していく。後半は宮殿ならぬ道士が導いた世界が描かれる。ここから並んで詠んでいた私と今野は、自然に見つめ合うようにして立ち、謡い続けた。道士が導いた黄泉の世界で楊貴妃と再会する玄宋皇帝。この黄泉の世界を私達二人は同一のイメージを持つことが出来た。嵐で池を激しく打つ雨、雨合羽のフードが捲れるほどの強風と雨が突然止んだ。雨雲が晴れないために七色の傾向が、池の際に立つ私達を照らす。黄泉の世界に立つ二人の姿を私達は見た。

「玉容寂寞泪阑干,梨花一枝春带雨」 玉容寂寞ぎょくようせきばく 涙 闌干らんかん梨花りか一枝 春雨を帯ぶ

私達は、ここで「長恨歌」の、あるいは楊貴妃について、その何もかもを手に入れたと確信できた。

201911月4日(月)陝西省西安市西安城市運動公園:

私と今野は宋老師を誘って、西安城市運動公園で授業をしようと誘うと、宋老師も静かに頷くだけで何も聞かずについてきてくれた。今日の運動公園は天気が良く、晩秋なのに薄着で運動する老人達で溢れていた。石畳でリーダーのかけ声だけで舞踏や体操をする人々の前に私達は場所を取った。今日はここで宋老師の模範朗読を入れず、最初から今野一人で「長恨歌」を詠ませた。

高く強い音で一句の出だしを詠み始めると、周りの空気が瞬いた。宋老師の目が輝いたのがはっきりと分かった。また近くで踊っている人々が舞いを止め始めた。二句、三句と詠み始めると、後ろから次第に踊りや体操をしていた人達は動きを止め、今野に向かってゆっくりと歩き出した。運動のかけ声をかけていた人もまた、走るようにして今野の所へ寄ってきた。今野を取り囲む人々の足跡が止み、辺りをほんの一瞬静寂が覆ったその後。誰もが待っていたように、有名な一句、

「后宫佳丽三千人,三千宠爱在一身」(後宮の佳麗かれい 三千人 三千の寵愛 一身に在り )

と大合唱が起きた。すると周りをランニングしている人、バドミントンや卓球からサッカーの球技をしている人達も運動を止め、今野の周りに向かって走り出した。地元だから、これだけ「長恨歌」を暗唱している人達が多いのか、誰もが僅かな乱れもなく今野と共に体を震わせて詠んでいる。宋老師も、私も彼らと一緒になって、今野の腕の振りを真似るようにして「長恨歌」を詠んだ。人垣は増え続け、人がどれだけ集まっているのかも見当がつかなくなった頃、今野は静かに強く最後の一句を詠み終わった。その途端、割れるような拍手が起きた。集まった人々は外国人の今野を称えるだけでなく、自分や周りの仲間に向けて、体を付き合わすようにして、何かの喜びを現した。そしてこの日が宋老師との最後の授業になった。宋老師も嬉しそうに、今野と私の肩を抱いてこう言った。

「もう、君に教えることは何も無くなった」

「既然盛情难却,那就恭敬不如从命」(そういうお気持ちでしたら断れません。仰る通りお付き合いしましょう)

「君の中国語はなってないな。もっと精進しろ。本を読め。紅楼夢を読め」

「少し長すぎませんか」

「じゃあ、TVドラマの『紅楼夢』を見ろ。しかし87年版に限る」

そんな宋老師からありがたいお言葉を賜っている最中も、一緒に「長恨歌」を謡った人々が、今野の朗読の素晴らしさと、自分たちが好きだった「長恨歌」を思い出させてくれたことに感謝を伝えに集まってきていた。今野と少しでも会話をすると、彼の発音こそCCTVのアナウンサ並なのに、無理に成語を使おうとする微妙な語彙力で外国人だと悟られていた。

その挨拶をしに来た一人は西安市役所文化行政所長だと名乗り、この一週間が西安各区の公園で運動文化強化週間になっているので、イベントに参加してくれないかと誘われた。さっそく私が中に入り、華為を使い所長と報酬の詰めを行った。結局3箇所の公園での合計金額は華清宮と皇居温泉のセット券と同じ400元に決まった。文化行政所長からは、各三区の地図と担当連絡者のWechatIDが書かれた用紙だけを受け取った。

2019年11月5日(火)陝西省西安市臨潼りんどう区運動公園:
何の周知があるわけでもなく、臨潼区公園所長に公園内の体育館へ連れていかれた。体育館では8面のバドミントンコートの半分が使われていた。窓も扉も閉まった状態で、所長が連れてきた事務係15名が、今野の前に座った。所長の「おねがいします」を合図に、今野は「長恨歌」を詠んだ。とても上手に詠んだが、ただそれだけだった。15名の事務係も、今野が詠み終わると感心するように拍手をしたが、そこには熱気が無かった。またバドミントンに夢中な老人達は、今野の方を見ることも無く自分たちの試合だけに集中をしていた。臨潼区公園所長からは、「あなたの中国語は上手ですね」と言われて、肩を叩かれた。

今野は「どういたしまして」と言ってがっくりと肩を落とした。

2019年11月6日(水)陝西省西安市ハ橋区運動公園:
翌日、八橋区へ向かうバスの窓から、単調な田園が広がっていた。

今野は窓に顔を向けたまま日本語で言った。「おれたちの起業って、こんな小銭稼ぎでいいのかよ」

今野は今でも私と話すときは日本語でしか話さない。

私は中国語で言った。「大切な事は何でも反省と改善から始まるんだ」

「へえ」と今野はやはり窓を見ながら日本語で言った。

何の周知があるわけでもなく、八橋区公園所長に公園内の体育館に連れて行かれた。私はそれを丁寧に断り、できれば池の近くの場所で朗読をしたいと頭を下げた。所長は全く関心がないまま、人気が無い黄色い秋柳で覆われた池地を案内してくれた。そこを通る人は誰もいなかった。すぐ裏には2車線の道路が通り、車とバイクの騒音がうるさい。道の向こうには中国によく見かける公共団地が並んでいた。

おもむろに所長が「じゃ。お願いします」と言い終わると途端に今野は「長恨歌」を詠み始めた。そこにいる私と所長の二人は同時に息を呑んだ。それから「長恨歌」を詠み進めるとどこからか、運動公園にいる人達が沸いたように寄り集まってきた。そして今野と一緒に「長恨歌」を謡いだした。また走っていた車やバイクも道脇に止まり、何人もの人達が真剣な表情で今野に向かって走ってくる。団地からも少なくない人達が道路を横切って、今野を目指して、「長恨歌」を詠みながら向かってきた。最後は西安城市運動公園と同じように、誰もが拍手をしながら満足げな顔を浮かべた。今野に対してだけで無く見も知らない隣人達と抱き合って、何かを共有しあっていた。

201911月7日(木)陝西省西安市長安区運動公園

翌日の長安区の運動公園でも、私達は池の近くに場所を取って貰って「長恨歌」を詠むことが出来た。今野は、この池を通してこの詩の核のような箇所に触れることが出来るのかもしれない。あるいはただ今野がそう思い込んでしまっているだけなのかもしれない。いずれにしろ今回の朗読も成功し、多くの通りすがりの人々を今野へ向かわせる力が合った。この西安市主催イベントの最終日でもあり、長安運動公園所長の隣に興奮した西安市役所文化行政所長が猛烈な拍手をしていた。

「おつかれ。おつかれ。ところで来週、暇?来週日曜日、西安市立公民館で高校生漢詩朗読会があるんだよね」

文化行政所長の顔が緩んでいるうちに、私は報酬の商談をしたが、拘束時間は一日10分だからという理由を主張され続け、やはり報酬は400元のままだった。

201911月17日(日)陝西省西安市立市民会堂高校生朗読大会決勝

今回の西安市朗読大会は、まず全西安市内の各高校で開催された朗読大会の優勝者が集まり、西安13区で開催された大会での優勝者が集まっていた。つまり西安高校生32万人の中から選ばれし13名が出場する朗読大会だ。客席350席は出場者の家族5名までと各学校関係者、各区の教育文化省関係者で、異常に盛り上がっている。特に各区の代表者の発表時には旗を振り、鐘と太鼓を鳴らす者もいる。課題詩は李白の「送友人」で、あとは各自で唐詩300首から自由に一首を詠む規則になっていた。高校生が選ぶ詩人は多岐に渡り、李白や杜甫から日本では馴染みが薄い、李商隠や賀智章に人気があるようで複数の者が彼らの詩を朗読した。白居易の詩を詠む者もいたが、もちろん「長恨歌」を詠むものはいない。朗読大会で長い詩を詠むのは礼を欠くとされていた。

この日の室内での発表に備え、私は今野を池から少しづつ離れた場所で朗読をさせて、約一週間で今野自身に華清池のイメージを植え付けたまま朗読をさせることに成功させた。また所長に依頼して、行動の四緑で辰の方向の窓を開けておいた。

全員の熱烈な発表が終わり、審査を待つ間に今野が西安市市役所文化行政所長紹介から紹介された。

「外国人であり、中国で苦労をして働きながら中国語を学んでいる、君たちの同学、今野明広さんに詩を詠んでもらいます」と、所長は最前列に座る陝西省高官たちの前で緊張しながら言った。「彼の詠む詩は、白居易の『長恨歌』です」

最前列の高官たちのある者は声を出して失笑し、ある者はその笑いを宥めるように拍手をした。今野が舞台のマイクに向かうと会場も幼児の遊戯を応援するような拍手と応援の掛け声が起きた。しかし、今野が両手の掌をかざすと、会場は静まり帰った。そして一声をあげ、一句を詠んだだけで会場中に緊張感をもたらした。静まり返った会場で今野の朗読が続くと、最初に今野を指さして笑った陝西省文化庁長官が立ち上がり、今野と一緒に、姫が陛下の寵愛を受ける句を詠みだした。それを機に、会場に座る者たちはひとりひとりと立ち上がり、一緒になって「長恨歌」を謡った。同じように立ち上がった私も、この会場の空気が震えているが分かった。朗読が終盤に差し掛かると、今野以外の誰もが泣きながら大声で詠んでいた。その朗読が終わる寸前に、一人の女子高生がそっと華為を取り出して、泣きながらその光景を録画していた。いつものように朗読が終わると、高らかな拍手と近くの人たちで抱擁が始まった。今野を指して笑い、そのあと真っ先に立ち上がった陝西省文化庁長官は舞台に上がり、泣きながら今野と頬を合わせて抱きしめた。

それから長官と私は一週間後に開催される陝西省全市朗読大会の決勝戦に、今野の出場を4000元で契約することに成功した。

また、高校生が撮影した動画「外国人の長恨歌で盛り上がった西安朗読大会」たweiboなど動画投稿サイトで広まりだしていた。また 外国人のキーワドで高視聴されていることから中国国内各省幹部たちの知るところにもなっていた。

2019年11月23日(土)陝西省立音楽堂高校生朗読大会:

この日は陝西省全市の高校生出場者約124万人から選ばれた市の11代表者(西安のみ出場者の多さから2名)から1名を選手する大会だった。初めに本日の出場者を紹介する際にゲストとして今野の名前が呼ばれるだけで、会場を埋めた約700名の聴衆から大きな拍手が起きた。

またスマホ以外にも固定ビデオカメラを用意して、今野を撮影しようと準備している人たちがいたので、私が警備局と陝西省文化庁長官に頼んで録画録音を禁止させた。

今野の朗読はいつもの成功したときのように始まって、同じように熱烈な拍手で終わった。最前列には中国国内各23省文化庁の長官クラスが座っていたが、誰もが他省に負けないように大きな拍手を今野へ送った。そして、この日も数人の勇気ある高校生数人が今野の模様を録画した。

私は舞台裏でクリスマスを含めた各省で主催する各文化行事への出席、また湖南省と湖北省に至っては、今野の朗読のためだけに大きな講堂で開催するという提案を受け入れた。そうやって私たちの2019年内のカレンダーは全て埋まり、12月だけで約100万元の収入になることがわかった。

私が予想したように、今回も隠れて撮影された今野の朗読の模様が投稿された。隠し撮りの映像は、揺れる画面と撮影者自体がカメラを揺らして泣きながら朗読している模様が感じられ、その迫真の臨場感は瞬時に中国国内に拡散された。

2019年11月24日(日)陝西省国際ゴルフ倶楽部

高校生朗読大会の翌日、ゴルフコンペが開催されるというゴルフ場の昼休みに今野と私は呼ばれた。前日の審査員だった23市の文化庁の長官らと会食するだけの予定だったが、そこに福建省と浙江省は書記長が自ら早朝に自家用機で駆けつけて、金額と滞在日の増加を打診してきたため、昼食が配膳されたばかりのテーブルは少しばかり賑やかになった。そこに急に大きな風が吹いて、テーブルが揺れるとヘリの回転音が鳴りだし、近くのヘリポートにヘリコプターが到着した。

そこから降りて来たのは中国直轄市の北京、上海、天津、重慶の書記長らだった。また同時にCCTVの撮影クルーがすぐさま彼らの登場とこのテーブルの様子を撮影しだした。直轄市の書記長を前にすると、各省の書記長や長官も立ち上がって彼らを迎えた。北京市の書記長から今野に握手を求めた。各市書記長が握手のために手を出すたびに今野は言った。

「はじめまして。私が今まで誰にも謝ったことがない今野明広です」

書記長らは何も聞こえなかったように、笑顔を作いながら「あなたにお会い出きたことが生涯一番の喜びです」というような挨拶をした。北京市党委書記蔡奇ツァイチーが、いくつもの常套句の後に言った今回の要点はこういうことだ、全直轄市の書記長が揃ってきたのは、直轄市直属のサッカー場にて朗読を行ってほしい。その模様を春節の春晩(中国版紅白歌合戦)に出場して欲しいという依頼だった。 そのための礼儀と金額を用意しているという前では、各省の高官たちも異議を唱えることは出来なかった。

彼らの登場もCCTVのドキュメント取材も全て私の根回し通りであった。そこで私がスプレッドシート上で割り振った大まかなスケジュールはこうだ。年内は今野にCCTVの撮影スタッフをつけて各省での朗読会を取材させる。おそらくこの計画も報酬も正しいものだった。

20191128日(木)安徽省合肥市

2019126日(金)河北省張家口市 

20191210日(火)福建省泉州市

20191222(日)浙江省杭州市

20191224(火)福建州福州市

20191225日(水)湖南省長沙市

2020111日(土)貴州省貴陽市

ここまでの各省での朗読会はどこも成功し、また公式的には禁止している動画撮影も拡散され、一億程の視聴回数を数えていた。しかしどの動画も遠くから隠れて撮影されているため、はっきりと今野の姿は映らず、撮影者自体が大きな声を出して朗読をしているので今野の音声もはっきりとは聞こえなかった。そのため録画を見る人は、こんなに盛り上がっているらしいけど、そんなに?どうして?という疑問符号をつけるだけだった。

ただ、ここからの予定から狂いが生じてしまった。私たちは全中国人が見るという春節の春晩が今野が正式に中国国民への初登場の場と想定し、中国のサイバーパンク都市、夜の武漢から中継をすることに決めていたのだ。

2020年1月15日(火)湖北省武漢市:

すでに新年の1月に入った頃から、武漢では新型の肺炎、新しいSARSが流行しているらしいという情報が入ってはいた。発生源と言われた海鮮市場も既に閉鎖されていた。ただ、無暗に怪しげな場所へ出入りしなければ問題ないのではないかという甘い考えがあった。さらに春節の生放送を組んでしまったという金と時間を既に使用していることへの私の金銭感覚が撮影スタッフと共に「GO」と言った。ただ、今野一人が武漢を行くことに反対していた。ただ単に彼は中国国内旅行をすることにも、人前で朗読をすることに疲れしまっていた。

武漢に入ってから、繁華街の店の多くは閉め、私たちはホテル内で過ごすことが多くなった。本来は武漢大音楽堂を借りて楽団や地元学生を1200人入れて、何度かリハーサルを行う予定があったが、会場使えなくなり、人も集めることが出来なくなった。そして奇妙な噂が広まり、スタッフたちを苛立たせた。

5.|耿耿こうこうたる|星河せいが  |けんと欲する天

2020年1月23日(木)湖北省武漢市帝盛ホテル
この日の朝、武漢市が封鎖されるという知らせは殆どの市民や旅行者は知っていた。そこで多くは北京と山東省から来ていたスタッフたちは警察が道路封鎖をする直前に、武漢に向かう時に乗ってきたワゴン車に分乗して帰ることが出来た。たった一人の大学生李を除いて。李は北京放送大学に通いながらCCTVの孫請け会社の録音スタッフのアルバイトをしていた。李が武漢に残ったのは恋人の家族が武漢に住んでいるからだった。

李は親たちと連絡は取っていたが、我々を気にして直接両親に会ってはいなかった。そして李の母親が新型ウイルスの陽性ではあるが、今の武漢には軽症者を収容する病床がないため自宅療養をしていた。状況によっては、自分が家で両親の面倒を見る必要があると言う彼は、思い詰めた表情で武漢に残る決意をしていた。そもそも、私たちこそ、武漢に残る必要はなかったが、今野が例によって、ここを出たくないと言うのだった。今野とは商売上でしか関係がない私にしても武漢に残る必要は全くなかった。ただ、今タブレットでiQIYIから日本のアニメを見るだけの今野を見て、私の商売の勘が囁く。

テレビでは、武漢の都市封鎖のニュースとが写っていた。最後の列車に乗り込む人たち。道路封鎖前を駆け抜ける車たち。封鎖バリケードの金網に手を入れあう恋人たち。

「おまえは帰らないのか」と、今野がタブレットを見ながら日本語で訊ねた。

学生が今野に昼食の出前を中国語で聞くと、今野は中国語で「焼きそばパン」と答えた。

「いい?小さな区の運動公園から、市の公園、市の公民館、省の大型劇場まで昇りつめ、これだけSNSで評判になったと思ったけど。12月から全中国人の関心は、ここ武漢の新型ウイルスのことばかり」

李は家族と真剣な表情で電話をかけている。

「たとえ、おまえがなんとかコロナに掛かっても、おれは知らないからな」

「謝らなくてもいいけど。もしもさ、私に何かあったら謡ってくれる?」

「おまえ、何言ってるの?」

李はスマホを肩に挟んで会話をしながらドローンを操縦してホテルの入り口に届いた日用品や食料品を10階のベランダを通して部屋の床まで運んでいた。

「楊貴妃が死んでから、導師が作った仙界で皇帝と楊貴妃が会う場面があるでしょ、あそこはどういう世界を想像して詠んでる?」

「最初は暗闇で、次第に灯りが漏れてきて眩しいくらいになるんだよ」

今野が、その東の海に浮かぶ仙山の描写を詠み始めた。私も目をつぶり小声で今野についていくと誰かが私の手を握った。そして今、今野が話した情景が私にも見えてきた。皇帝は楊貴妃を見つけるが、結局妃は自分たちだけが分かる合言葉を言って去ってしまう。それが今野と私は同じ映像を見ていたのが分かった。

「なんか、ずっと地味に見えたおまえが。いつのまにか。どこかが、変わってきた見えるよ」と今野は中国語で言った。

「楊貴妃はね。普通の村人には全く魅力がわからなかったらしいよ。男は持ち物が増えていくほど、女の見え方が違ってくる。って、白居易が言ってたよ」

今野は不思議そうに私を眺めていた。

携帯で話しながら荷物の片づけと食事の配膳を終わらせた李は、電話を切ると本当に申しなさそうに言った。

「両親の具合が悪いので、やはり家に戻ります。こちらのお手伝いが出来なくて申し訳ありません」と、頭を下げて謝った。

今野は、李に食品を持っていくように勧めるが李は断った。私は、ここに置いても使う者がいないからと、李に撮影機材を持っていくように言うと、李は喜んでドローンに機材を積んで下まで荷を下ろした。ホテルの下に広がる6車線の道路は人も車も動くものが全くない世界になっていた。

2020年1月24日(金)湖北省武漢市中山公園:

この日、本来は夜の春晩という番組に合わせて、今野の朗読を武漢から生中継をする予定だった。今野は私をさそって、記念に中継予定地で閉鎖された音楽堂の隣にある中山公園への散歩に連れ出した。番組が始まる夜7時には、例年ですら家で料理を囲んでテレビを見ている時間だ。こんな状況で、道路を通るのは野良猫一匹だけだった。

人が一人もいない中山公園では、警備の人に見つからないよう辺りを気にしながら噴水地の近くに辿り着いた。近くには観光バスの駐車場があり、今は全てのバスが止まっていた。また噴水の向こう側には中山公園を囲むようにして高層マンションが建っている。どの窓もカーテンが閉められているのか灯りが漏れていなかった。夜の10時を過ぎて、一発だけ打ち上げ花火がなった。本来は除夕なので、ここ武漢でも夜通し花火や爆竹がなる時間だ。春晩で今野の朗読を中継する予定時間の10時15分になると、今野は服を着たまま池の中へ入って行った。私も躊躇わずに噴水に足を入れると今野は言った。

「おれは、お前に何があっても謝らないからな」

今野と私は殆ど同時に「長恨歌」を謡いだした。声は池の水の上を這い、波を立てて広がって行った。私たちの声は、公園を囲むマンションまで声が届いていたのだろう。9句、10句の華清池のところを詠むとマンションのカーテンが開いたのかぽつぽつと灯りが灯った。観光バスの駐車場からは帽子を被った運転手が事務室から出てきて今野の朗読を聞きだした。29句30句になると殆どのマンションからは灯りが灯り、ベランダに人が出て、「長恨歌」を一緒に歌いだした。それは巨大な光の壁のスピーカーのようだった。バスの運転手は一台一台とバスに乗って上向きのビームを眩しいほど私たちに向けて照らした。上空には李がどこからか操縦しているのだろうドローンが数台飛び、今野の朗読の模様と、周りのマンションに住む人たちがみなベランダに出て今野に向かって出す声の塊を撮影していた。79句、80句まで詠む頃には気づけば、噴水の周りにマスクをした人々がマスク越しに小さな声でしっかりと今野の朗読に合わせて詠んでいた。最後の句ではみな涙しながら両手を腕の前で組む拱手の形をとって、今野へそして隣に立つ家族へ礼を言い合った。「ありがとう、ありがとう」と。

宙が眩しく光った。打ち上げ花火ではなく、宙から大きな流れ星のようなものが降りてきたのか、光りが消えると辺りの地面が振動した。何かの仕掛けだと思ったのか、揺れが収まると皆、「ありがとう、ありがとう」と言い合い続けた。

今野と私はホテルに帰る夜道を、何度か警察に呼び止められながらも、ずっと手を繋いで帰った。

私が今野の部屋に入ると、今野は中国語で言った。

「おれは、おまえがどうなっても、謝らないからな」

「どういう意味?」

「おれはただ中国語を話しただけだ」

2020年1月25日(土)湖北省武漢市帝盛ホテル:

中国の春節で大きなニュース二つが武漢市民の心を安心させ奮い立たせた。一つは習近平が武漢の感染状況に関心を寄せ、上海の医療スタッフを武漢に派遣させると発表させたこと。実際に問題が起きると、どこかの誰かの責任を口にする人々も、中国国家の上層部が動けば何事も解決するだろうという安心感が広まった。もう一つは投稿動画サイトで見事に編集された中山公園で行われた今野と住民たちの「長恨歌」の朗読だった。中山公園に行かなかった事を悔やみながらも、動画を少しでも見ているだけで体が震え、流れてくる涙を止めようとしないまま、やはり「長恨歌」を謡わずにはいられなくなった。投稿は武漢市内の都市封鎖の状況下で突発的に行われたという背景もあり、瞬く間に中国全土に拡散された。この状況下で大声を出すことの危険性を唱える衛生班長の声は、逆に上層部からこの朗読は武漢市民の心意気を全国に知らしめる動画であるというお墨付きを貰うことになった。

次からしばらくの記述は1月25日から約一週間にかけて起きたことは、その時に知ったことでは無い。何故なら今野と私は愛し合い続け、二人以外のことを見る暇が無かったのだ。暫くしてからおよそのことを各報道から知ったことを時系列にまとめた。

2020年1月25日(土)北京市人民大会堂:

非公式に中国各行政省の23省・5自治区・4直轄市・2特別行政区の全代表者らは、武漢で発生しているウイルスへの対策討議のために集合していた。その部屋の大型スクリーンでCCTVのニュースとして、上海医療団の派遣を報道する番組が放映された。続けて武漢市中山公園で行われた「長恨歌」の様子が同局のスタッフが作成した動画でもあったので完全版として放送された。すると、そこに出席していた全員が立ち上がり、画面の武漢市民と同じように泣きながら「長恨歌」を謡いだした。

別室では同様に、国家主席副主席同席の元、全常務委員会が集まり同じ番組を見ていた。そして全く同じように中山公園の「長恨歌」では我先にと立ち上がり声をからすばかりの声で謡った。

人民大会堂前の天安門広場でもスマホをもち、涙ながらに「長恨歌」を謡う人で溢れていた。

2020年1月25日(土)中国全土:

中国は春節を迎えたどの地方でも、移動をする人は少なく各家庭にいた。CCTVの放送で武漢の朗読を見ると、人々は箸を置き、杯を落とし、立ち上がって「長恨歌」を謡いだした。謡いだしながら何故涙が流れるのかはわからなかったが、歌い終わると近くにいる家族と抱き合った。二人きりで暮らす恋人は熱い口づけを交わした。みな、相手に対して「ありがとう、ありがとう」と言い合った。

2020年1月26日(日)世界各地:

中国の各種SNSは、世界各地に住む中国人から各国のSNSで拡散された。動画の一部を見るだけでは、都市封鎖された武漢で励まし合う中国人たち。という印象だけから武漢市民を応援する「いいね」が瞬く間に増えていった。しかし、YouTubeなど動画サイト上で中国で放送された完全版と同じ物がアップされると、海外在住の中国人達は、また中国国内と同じような反応で、動画の「長恨歌」に合わせて詩を詠み始め、また詠み終わると近くの仲間と抱き合った。そんな中国人の光景を撮影した動画もアップされ、外国人の間でも、中国人の不思議な現象として話題になっていった。さらに本来中国語を全く話したこともないある外国人が知合いの中国人と動画を見ているうちに、自分でも「長恨歌」を謡いだした。そして隣の中国人らと同じように泣き、抱き合った。また中にはその場に中国人がいない状況でも、この動画を熱心に見ている内に意味も分からず中国語で「長恨歌」を泣きながら謡う人々も現われた。次第に多くの動画サイトでは各国語の字幕翻訳が中国語のピンイン表記とともに表示されるようになると、多くの「中国語を全く知らない」人々にとっても、動画の「長恨歌」を真似しやすくなり、「長恨歌」を朗読する人達が増えていった。

2020年1月27日(月)世界各地:

各国版の動画が広まり、また仲間達が中国漢詩の朗読動画に夢中になっている噂は、老人から幼児まで、眺めのいい天井の部屋に住む者から汚れた道路の隅で寝る者達にまで広まった。

アジア全土で、ヨーロッパ全土で、太平洋上の各島で、アフリカ全土で、アメリカ全土で、南極大陸で、北極クルーズ原子力砕氷船の船内でも、「長恨歌」の振動は、何よりも早く地球を何周も何周も何周も何周も回り続けた。

2020年1月31日(金)世界各地:

「長恨歌」がもたらした影響とは、ただ涙ながらに中国語漢詩を詠むということではなかった。一度でも「長恨歌」を詠んだ者はみな、相手の思いを理解することができた。自分のことを正直に伝えることが出来、他人の気持ちがよくわかってくると、他人と争うことが無くなった。世界各地から砲弾の煙が消えていき、戦士たちが持つ銃口には赤い花が咲いた。

2020年2月1日(土)ニューヨークマンハッタン国連本部:

世界全体が平和に舵を取る一方で国連の対応は後れを取っていた。既に議論され計画と行動に移している兵器処分について、疑問をもついくつもの活動チームが組織された。最も優先順位が高かったのは、この世界平和の起源となった今野の朗読の謎について調査をすることであった。また地球から兵器が無くなることの政治経済上の問題点を研究するチームも組織された。ただ、全ての職員が「長恨歌」の動画を視聴済みで朗読済みでもあり、「どうせ人類間ではもう争いが起きるはずがない」という共通認識が成立された上での活動でもあった。

2020年2月4日(火)イタリアパルマパルマ大学:

国連からの要請がある前から、パルマ大学のミラーニューロンチームの間では、今野現象を進化したミラーニューロンの一つとして捉えていた。今野本人を調査することはできなかったが、研究員では貴重な未だ動画を見ていない者を被験者として、動画を見ている最中に発生する神経細胞の電気的活動を計測すれば、一目で神経伝達物質GABAのニューロンが発生していることが計測できた。動画視聴時に起きる今野の動作の模倣運動も高い値で計測することが出来た。続けて動画視聴後に続けて見せる他者の運動を巧妙に、そして自ら運動をしてみせた。そして涙を流しながら、また実験協力者達に指示した分けでは無いが双方で抱擁が始まってしまったのだ。これは、ミラーニューロンチームの誰もが今は情では納得出来たが、旧態とした理の報告を纏めることに苦労した。今や動画を介せずとも、多くの人々にとって、他者の体や口の動きを模倣することも、他者の考えを理解することも容易になっていた。これを必然的進化と捉えるか一時的変化と捉えるかは、人類の変化が生じてから約一週間で結論を出すのは困難ではあったが、「もう、みんな大丈夫だよ」という曖昧な安心感が研究者間でも漂っていた。

パルマ大学内のミラーニューロンチームで最大の野心家であり哲学教授でもあるマルコ・イアコボーニだけは、密かに大きな野望を抱えていた。もとより人類が人類たらしめている要因がミラーニューロンであることを生涯をかけて証明しているマルコは、動画の噂を聞くだけで自らは動画を見ようとせず、あらゆる情報から具体的な今野現象を遮断してきた。マルコの推測はシンプルだった。今野現象と呼ばれる「長恨歌」の詩の朗読は、本来彼の能力が偶然現われた一例でしか過ぎないはずだ。彼は正しい導きがありさえすれば、あらゆる事象に対して、彼の突出したミラーニューロンを働かせ、他者の動きを完全模倣できるはずだ。と主張した後、彼がパルマ大学ミラーニューロンチームのリーダー、ジャコモ・ロゾラッティへたったひとつの提言をした。

「ぼくを武漢で降ろせ」

2020年2月17日(月)湖北省武漢市帝盛ホテル:

武漢では火神山医院と雷神山病院の完成と共に、人材と物資が投入され、また感染者に応じた治療システムが確立されていという安心感が漂っていた。それも今野の「長恨歌」が中国から世界に漂った影響は小さくないだろう。誰も他人を責める事無く、問題の早期解決だけに向けた対応がとられていた。もちろんその中でも幾つもの悲劇は毎日生じて、私達は次第に人の亡骸を見ることに慣れてきてしまったのかもしれない。

今回のドローン撮影と緊急編集に力を注いでくれたスタッフの李は父親からの家庭内感染をした。父親は自宅待機中に亡くなり、母親も病院に入院した当日に亡くなっていた。李でなくとも、家庭内感染のリスクが高くとも家族のために家で発症者を看病をすることを多くの中国人家族は厭わなかった。その家族を第一に考えるのは中国人が誇れる点であり、私が中国人同士を信用するところだ。たとえどんな世界の涯てにいても、春節になると家族と正月料理を食べるためだけに、どんなことをしても家に帰るのが中国人だ。李が重症化し火神山医院へ入院した同じ日に、李の恋人も入院したことが分かった。同じ病院内でも異なる病棟患者が面会することは出来なかったが、二人は携帯を使うことも無く、気持ちを通じ合わせることが出来ている。また病棟患者やスタッフらとの関係も良好だと、李からは毎日Wechatで詳細な連絡を貰っていた。

日本政府が武漢在住日本人の緊急帰還チャータ便を用意し、今野にも日本に帰還する機会があったが、今野はそれを断った。あるいは私が今野を断る決断をさせたのかもしれなかった。それは、イタリアからやってきたマルコの提案にあった。ミラーニューロンの研究者であるマルコの話は、私には説得力があり協力をするに値するプロジェクトだと判断したのだ。

今世界で起きている今野現象とは、あらゆる生物に備わる、他者の行動を見ただけで自分の脳内でその行動を再現する脳神経細胞、つまりミラーニューロンの働きなのだ。何らかの要因と今野が生来備わっていたニューロンの働きにより、今野が模倣した優れた中国話者の語りによる「愛」が世界へ伝わったのだという。このミラーニューロンの基礎研究を進めることによって、世界のあらゆる科学分野に影響がある。物理器具を一切使わずに、他者を模倣し模倣させることで双方の意思までも交換させることができる。まず多くのデータを採取させてほしい、というので具体的な方法を彼に問うと、凡そ4体の特徴ある人々との対話する模様からデータを取りたいと言い、そのデータ採取の日が、今野が「もし」日本へ戻らなかった場合の2月28日、明日の予定だった。1/3ほど理解できないマルコの英語だったが、マルコの実験協力をしたいと私個人の理由は、ミラーニューロンの研究が自閉症など社会的欠損を持った問題の解決に役立つという説明だった。私の家系と私自身が自閉症だったのだ。

今野は今野宛に来る世界中からのメール文章を読み耽り、その中から興味深くて滑稽な二つの団体からの協力依頼文章を教えてくれた。

ひとつは西安に数多ある「長恨歌」研究団体の一つからだった。「長恨歌」の詩は白居易が仕組んだ預言書でもあり、あなたが封印を解いたことで、世界は折り返しはじめた。「長恨歌」が丁度折り返しから世界を対にして裏返すのと同じように、このままでは必ず大きな災いが生じるので、われわれの研究に協力してほしいということだった。

もうひとつは中国UMA団体からだった。今野が中山公園で「長恨歌」を朗読した、1月24日、宙から大きな落下物があり、火災発生とともに数体の地球外生物が発見された。しかし、あっという間に中国人民解放軍空軍用トラックがやってきて飛来物と地球外生物らしい物を回収していった。という荒唐無稽な説明が続き、最後には何故か彼らがイタリア人マルコと今野が会うことを知っているようだった。マルコの実験にこのUMAが関連しているので、UMAには気を許すな。マルコを信用するなという不安を煽る文面が、殊更今野の興味をそそる事になっていた。

2020年2月18日(火)湖北省武漢市公安局城南署:
マルコに案内されたのは武漢市内にある公安局だった。新築の匂いがする廊下をいくつもの扉を開けて進んだ先の研究室で、今野は体と頭の頭皮に電極を装着させられて調査が始まった。

「準備はよろしいですか」とマルコは英語で言った。

「お願いします」と今野は中国語で言った。

一人目は多言語話者だった。今野が全く分からないアフリカ諸国の言語を話す者に対して暫くは戸惑うばかりの二人だった。しかし次第に今野が話者の話す言語を完璧にコピーできるようになると、今野は中国語で相手が使うアムハラ語、ソマリ語、オロモ語、スワヒリ語のまま、簡単なコミュニケーションを取れ合うようになった。その後、双方が簡単な中国語の挨拶を交わすことができるようになり、最終的にはいつもの「長恨歌」を二人で朗読をした。朗読が終わると、お互いを抱きしめ合いながら、二人ともスワヒリ語で挨拶をした。

「あそこにいるのはお前の妻か」

「そうだ。おれの妻だ」

マルコは熱く興奮してに私に言った。

「やはり。ほら。いま、今野のミラーリング能力は未知の言語への対応、基本的な態度振る舞いの模写から基本語彙の習得。そして驚異的な点は、彼自身のミラーリング能力を対峙している話者へ伝染させることだ。いや、これは彼独自の物ではないはずだ。二人のデータを分析すれば素晴らしい成果が得られる」そしてひどく遠慮気味に言った。「ぜひ、明日以降も今野さんにわれわれの研究を手伝ってもらえないだろうか」

「ご自分のミラーニューロンの力で今野に伝えてみればいかがですか?」と私は言った。「今野はすべきことはするはずです」

二人目は母親の隣に座った重い自閉症の中国人の少女だった。少女は電極をつけられるのを酷くいやがっていた。母親が何を言っても、母親を蹴りつけて反抗していた。今野が近づくと、ようやく母親を蹴るのを止めたが、機関銃のように英語を一方的に語り出した。

「歴史は過去から未来へ分岐する樹形樹のように例えられて、多くの人間がまた多くの可能性の一本の枝を選択しているように思われているが、そうではない。選択する瞬間の樹形図などどこにも存在しない」少女は左右の人差し指と中指を相互につけながら続けて大人のイタリア訛りの英語口調で言った。「量子力学者は当初、未来は確率によって支配されているのだと決定論を一笑にしたが、結局は同じ事に気づきだした。未来は因果律だろうが確率論だろうが、地球上のどんな動物にもどんな人間にも『自由意思』は存在しないんだ。この宇宙の誕生以来、何もかも決定されていることでしかない」

防音ガラス越しの別室にいるマルコと私の部屋まで、少女の声はマイクできれいに拾った。マルコは顔を赤らめて俯いていた。

今野が、少女の肩に手をあてて、すぐに「長恨歌」を謡いだした。少女は首を上げて、今野の顔を見ると、それまでの険しい顔がゆっくりと溶けていくように柔やかな顔になった。まもなく、小声で今野と一緒に「長恨歌」を歌い始める。次第に今野と同じ音量を出し、立ち上がって今野に対峙して謡い続ける。少女の目から涙が溢れると、涙は滝のように頬を伝わって床に落ちた。「長恨歌」の朗読が終わると、少女は「ごめんなさい、ごめんなさい」と言った。

「きみは、何も謝らなくて良いんだよ。おれは中国語を話しただけなんだから」と今野は言った。

昼食はマルコが用意した武漢の名物料理、熱干麺と鴨首肉をビールを飲みながら食べていると、マルコは執拗に今野へ、「ぼくのために『長恨歌』を謡ってくれませんか?ぼくは『長恨歌』バージンなんです」と言ったが、今野と私が無視を続けると次第に大声で迫るようになり、スタッフに必死にとめらると。「Mi scusi.」と何度もイタリア語で謝った。

三人目の実験相手は、後ろ手に手錠をさせられ、巨体な警備員に両脇を挟まれて連れてこられた。何かの犯罪者なのかもしれない。小柄で痩せ細った彼は、頭に髪の毛はなく、痩せ細った顔で妙に大きな目をしていた。椅子に手足を拘束されてから、体の各部に電極を装着させられた。彼は興味深そうに今野を見つめ、また実験室からは見えないはずの私をミラーガラス越しに見つめた。

長い間、彼も今野も相手を見つめるだけだったが、今野がゆっくりと「長恨歌」を謡いだしたが、彼は何も反応が出来なかった。今野が2句だけ詠んで止めると、彼が音を発した。それは言葉であるかどうかも、口から出ているかどうかも分からない高い音だった。澄んだ音は、よく聞くと高低とリズムを変化させているのが分かるが、とても緩やかに、美しく、そして何処か悲しげに高音が響いた。

「ホッキョククジラとシロナガスクジラの鳴き声と似ているところがあります」とマルコは言った。

そう言われると、鯨の鳴き声を知らない私も、海から出て来た鯨が鳴いているような音に思えてきた。暫く黙っていた今野も、彼が発する音を何度も苦労して真似ようとしていた。ため息をつきながらも、ようやく私にも彼と同じような音に聞える音を再現した。表情というものを伺えない彼の顔から喜んでいるような気を感じた。それから彼と今野は全く同じ音を繰返し続けた。最後に彼がとても長い音を出すと、今野は柔やかな顔をして、彼とは違う高さとリズムで何かを伝えた。

電極データのモニタを見ていたマルコは、何度も両手を挙げて、「Va bene」とイタリア語で叫んだ。

また彼が警備員に連れ去られるのを今野は寂しそうに見送ってから、私達の部屋に入ってきた。

「最後まで、彼の言葉が何を言っているのか、よくわからなかった」今野は言った。

「でも、今野さんも暫くは彼の音の真似をしていましたけど、最後には、彼と違う音域を震わせていましたよね。あれは何と言ったのですか?」とマルコは言った。

「たぶん、うまく伝わらなかったと思うけど」と今野は恥ずかしそうに言った。「きみは、何も謝らなくて良いんだよ。おれはただ、中国語を話しただけなんだから」

今野がまた実験室に入るとスタッフによって電極の他にゴーグルを装備された。私達の部屋のモニタには今野がつけたゴーグルに近い画像が表示された。今まで今野が謡ってきた「長恨歌」の映像が映る。ただ、どの画像にも今野の姿は映らず、今野を見ている人々であり、今野の「長恨歌」を聞いている人々であり、今野と共に「長恨歌」を謡う人々だった。あの春節の夜の上空からのドローン映像が続き、何台ものバスのハイビームによって池の中に立つ今野が光りの向こうに霞んで見える。今野自身の極めて明瞭な「長恨歌」の朗読が始まる。ヘッドフォンつきのスピーカから今野は自分の声を聴いているようだった。次第に今野は苦しみはじめ、ゴーグルを外そうとしたが、どうやってもゴーグルを外すことはできないようだった。床に両手を着いて苦しむマルコへ実験を止めるように言うが、マルコは私を制して、マイクを使って英語で言った。

「今野さん、謡ってください。「長恨歌」を。謡ってください」

今野は苦しみ、昼休み食べた鴨の首と面を全て戻した。マルコはいくつものデータを見ながら拳を握って振り回した。映像は、今野自身の映像が映った。今、ゴーグルをつけ何カ所も電極を付けさせられて床に倒れた今野は、ゴーグルと電極をつけていないだけの同じ姿勢の今野を見ていた。今野明広は今野明広と対峙していた。今野がゆっくり立ち上がると、映像の今野も同じように立ち上がった。今野が手足を動かす度に0.数秒遅れて同じ姿の今野を写していた。また今野は自分の映像を見ているうちに、拒否反応しめし体が痙攣を起こした。

私はガラスを強く叩き、座っている椅子を持ち上げてガラスに投げつけるが、壊れたのは椅子の方だった。マルコの命令で私は警備員に押さえつけられた。マルコはデータを素早く整理し、どこかへ送信すると私に言った。

「どうか、ここで一時間だけ待機していてください。どうか一時間をぼくにください。今野さんはこの宇宙と真理のために、ぼくに少しだけお貸し下さい。あなたがたった一時間だけ静かにしているだけで、世界は真理を知るのです」

マルコは高らかにそういうと、すでに警備員が拘束して担架に乗せられた今野と共に、研究室を走って出て行った。私を椅子に押さえつけている警備員は申し訳なさそうな顔をしていた。私は警備員の局部をパンプスの爪先で蹴り上げ、ポケットから防犯ベルを取り出し床に叩きつけるとパンプスの踵で踏みつけて叫んだ。

「そうはいくか!」

電子防犯ベルが鳴ると、武漢市公安局城南署の東西300米先に手配しておいた中国人民解放軍陸軍武漢部隊林隊長のヘッドセットに信号が送られた。林隊長は英語で「GO」と言った。

今野とマルコを乗せたワゴン車が他の車の影が無い中山道を逃走している所に左右から出現した99式戦車に行く手を阻まれた。せっかくだからという体で99式洗車はワゴン車に対して48口径125mm滑腔砲を威嚇射撃として放った。

マルコというイタリア人が中国へ不法入国をし、都市閉鎖をしている武漢へ侵入し、さらに国家機密に関わる諜報活動をして逮捕をされたという記事はいくつかの欧州外資系新聞の片隅に掲載された。しかし彼の行方を本気で心配する者は中国にもイタリアにもいなかった。彼はミラーニューロンチームにとっても、因果決定論を狂信するテロリストであったと、中国武漢で逮捕報道後にパルマ大学が公式に発表し中国政府へ謝罪をした。

6.天長く 地久しきも 時有りて尽く 此の恨みは綿々として 絶ゆる時無からん

2021723日(金)陝西省西安市臨潼区華清宮:

世界は急速にそして静かに変わった。世界各地から戦争も抗争もテロも消えていった。各国の首脳達は、世界現状と問題点についての真剣な議論が急速に進み、世界の貧困を救うべき富の分担計画が進んだ。核兵器、大量破壊兵器、化学兵器廃絶について多くの首脳が率先して提案し、各国で所持していた全ての兵器は安全に地上深く埋められていった。今野現象と言われた「長恨歌」を幸せに謡う朗読は、今は今野を介せずにも誰もができるようになった。人々は、中国語の「長恨歌」を苦も無く唱えることができるようになった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は人類の英知と協力体制のもとほぼ地球から駆逐された。マルコ・イアコボーニは今でも武漢のどこか地下深くに収監されているらしい。李とその恋人はコレラ禍から無事に生還し結婚をし、双子を産んだ。そして世界中の期待のもと、東京オリンピック開会式が開催されたその日。華清池の前で私と今野と宋老師は、大いに飲んだくれていた。

「おれは、どんなことがあっても、誰にも謝らないぞ」

「あなた一人のせいで、中国が全滅しても?」

「ああ、おれは犬にだって謝らないね」

「この平和な時代、中国に銃を向ける国はいないだろう」宋老師は、大声で笑いながら言った。「もっとも、中国、どこを探しても打ち返す弾ひとつすら無いだろうが」

その瞬間、大きな地響きがした。揺れる地面を這うようにして外に出ると道路が波を打ちビルは崩壊し、海水が押し寄せていた。

「やっぱり、あいつかよ」今野は、揺れる地面に倒れながら言った。「おれは謝らないからな」

2021年7月25日(日)火星衛星ダモスの近く

私は宇宙船の窓から見える爆発した地球が粉々になっていく光景から目が離せなかった。私は小さな声で「長恨歌」を詠んだ。次第に大きな声を出すと、後ろから人ではない彼らの鯨のような声が次第に中国語の「長恨歌」になっていく。私は「俺の真似をするな」と叫び、はじめて涙を出しながら、この世界に独りきりで「長恨歌」を詠んだ。「ごめんなさい」

参考文献:
「ミラーニューロンの発見」 マルコ・イアコボーニ
「ミラーニューロン」 ジュコモ・リゾラッティ&コラド・シニガリア
「時間と自由意志 自由は存在するか」 青山拓央
「白楽天 官能と陰のはざまで」 川合康三
「長恨歌 楊貴妃の魅力と魔力」 下定雅弘などなど

文字数:29171

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