続シロクマは勘定に入れません(輪るシロクマ・パンクラップミュージカル編)

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梗 概

続シロクマは勘定に入れません(輪るシロクマ・パンクラップミュージカル編)

2110年、つまり人間が人以外の動物と記憶も性器も出し入れが可能になったあの時代、元インド国、現中国インド省の森林で階段井戸の最深部降りを争う競技が開催された。

2019年頃のインド階段井戸の例

 この試合は出場選手も観客も実況者も、全員が休みなく歌をパンクのリズムで踊り続けなければならなかった。2110年とはそれが日常でもあった。何故なら動物たちは人と同じように発音することが困難であったからだ。(前作参照)人と動物のコミュニケーションとは、およそこんな風に交わされていた。

 だいたいね 
膨大な賞金獲得のため、世界中で予選会が開かれた。予選の選考基準は、ロックンロール魂があること。そう、ジョニー・ロットンが宣言し、ジョン・レノンも証明しようとしたが、未だにロックは死んでいなかった。世界142か所での予選試合の結果、決勝には40人の中国人と40匹の動物が選出された。40人と40匹は対面した数時間でパートナーを見つけられなければ失格になる。試合開始1分前、唯一残された車椅子の女の子とやせ細ったシロクマが、仕方がないように手をつなぎ合い、踊りだした。
「わたしとあなた 辿り着けるの 悪魔が息吹く煙の底まで」「大丈夫だ俺たちは 安心して狂おう(二人) 悪魔が待つ地の涯てまで(男)俺はシャンプーを持って行くぜ(女)私はリンスを持って行くわ」
 大量のドローンが彼らを撮影し、生活必需品も運搬する。試合は、短時間で決着がつくと勘違いした者たちをふるいにかけ、一日で半数の脱落者を産んだ。一日、一日と、失格者が増え、一か月が経過したところで、半数が脱落した。三か月が経過すると、20組が生き残り、一年が経過すると、8組だけが最深部を目指して踊っていた。

 一か月間は24時間彼らの試合は配信されていたが、一年後には一か月に一回30分程度の配信のみとなっていた。
 カンガルーは歌う「俺たちは どこまでおりるのか この狂った闇の時間の中」相手の片腕の無い女が足の踊りで返す。「地球の蓋が わたしたちを呼んでいる (二人で永遠にリピート)いっしょにrock’n roll もっと下へ もっと深く もっと」

 この階段井戸の競技を主催した紅牛(周一族)グループの狙いは、この競技自体が宇宙真理の「因果集合」を解く実証場でもあった。数年が経過すると、どの組もペアで子供を産む。数十年が過ぎると、階段井戸に住む地底人との争い。数百年後には最深部に祀られていたインド神たちとの遭遇。そして繰り返される、神との戦いと交わり。

 ついに2000年後、神と地底人と人と獣が交わって生まれた、たった一匹の生物が、ロックンロールを踊りながら最深部に辿り着いた。そして、彼が最深部に足を入れて、みたものとは(驚愕の本編に続く:全編今野の書下ろし歌詞。メロディはおまえの魂で鳴らせ)

文字数:1199

内容に関するアピール

BGMは、Nina Simone – Everyone’s Gone to the Moonです。

ニーナシモンは、女性ジャズシンガーに往々にして求められる、深夜のバーでグラスを傾けて氷の音を聞きながら、傷んだ心を砂糖でまぶしてくれるような歌い手では全くない。たた彼女が歌う愛やら自由やら、そして生ですら、彼女のやり方で純粋に掬い取られ、そして放り投げられる。たとえ、どんなに無造作な放り投げられても、それは常にわたしの体の奥まで届けられ、自分でも何だかよくわからない感情のスイッチが入ってしまう。
 彼女が歌うこの曲とこの歌い方が、彼女のまっすぐな狂気の表現なのだ。There is nobody left/Everyone’s gone to the moon。歌が終わると、ニーナ・シモンに「さあ安心して。いっしょにわたしたち、狂いましょう」と言われている気がする。

「ねえ。わたしたち、一緒に踊って狂いましょうよ」という物語です。

文字数:399

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続シロクマは勘定に入れません・・・輪るシロクマ・ミュージカル編

自分でもよくわからないのだが。
 SFでないどころか、小説でもない。詩集を書いてしまった。
 詩ですらない。これは汚れた大学ノートに青鉛筆で書かれた詩集だ。
 もし君が初デートに入った映画館で、隣に座ったシロクマから耳もとに牙の生えた口を寄せられて「わたしの詩集をお読みくださいませんか?」って言われて、爪あとがついた大学ノートを受け取れる勇気が本当にあるのなら。
 君に本当にそんな勇気があるのなら、この詩集を読んでくれたまえ。
 わたしは恥ずかしくてとても読めやしない。
 今野あきひろ
Gregory Colbert伯父さんへ捧ぐ

北京市;イントロがなく、ギターリフと同時にスーツ姿の若い男が直立不動で歌う。

お前らは 絶対止まらない

1、2、3、周り続けろ

お前ら凄すぎて 誰も死ねない

1、2、3、途中でやめるな

「不合格だ。次の人」

イラン省テヘラン;同じ曲が続き、ヒジャブを被る女性が激しい踊りとともに歌う

俺は見張り塔から 電気椅子に座って

階段を駆け降りる お前らを見る

俺の聞いたことがない曲を歌え

俺の見たことがない踊りを舞え

「不合格、もう少しだったね。次の人」

バーレーン省マナーマ;同じ曲が続き、クフィーヤをつけた太った男が両手を握って歌いあげる

神の光よ 彼らの頭へ注ぎたまえ

神の光よ 彼らの足へ注ぎたまえ

天使たちよ 鳩を潰した血で

彼らの行く先を 示したまえ

「だめ。はい次」

アフガニスタン省カブール;同じ曲が続き、ロバがステップを踏み、その踊りに合わせて字幕が表示される

お前のロックを 絶対止めるな

1、2、3、周り続けろ

おまえのロックで 地球に飛び込め

1、2、3、途中でやめるな

「全然だめだ。どうどう」あからさまに不満なロバを審査員が冷たくなだめる。

軍用ヘリの音が大きくなり、爆撃音がして会場が大きく揺れ、会場の窓ガラスが全て割れた。

インド省ニューデリ;巨大なインド象に乗った女性が、同じく続いているメロディに合わせて歌い、象は女を乗せたまま、女のリズムに完全に合わせたステップを華麗に踏む。

お前のロックを 絶対止めるな

1、2、3、周り続けろ

お前のロックを 踏み続けろ

1、2、3、途中でやめるな

「よし、合格だ。」

女と象は歌い踊り、周辺を見回しながら審査員へ訪ねた。「それはわたし?」「おれが合格だろ?」

「お前ら、両方とも合格だ。早く飛行機へ乗れ」

審査員は胸ポケットから、チケットを取り出す。二人のチケットには、こう書かれていた。

「階段井戸降りレース出場、おめでとう。優勝者には、11区(元日本国)の北海道の土地とそこの人と物の統治権を与える。二位以下には、当レースに出場したという名誉が与えられる。(2110年周一族「紅牛」代表 周浩)

もちろんユーラシア大陸以外の大陸の国には、このレースの情報は伝わらなかったが、このレース出場を求める違法移民は絶えなかった。ただ無事にユーラシア大陸に上陸できた者は一人も存在しなかった。正規の中国国民と中国動物たちもこのレース出場を求めて会場に並んだ。彼らの誰もが、11区北海道の土地や金銭を望んだわけではなかった。

ベラルーシ省ミンスク;会場である図書館前で並んでいた、一匹のシロクマは「なぜ、あなたは階段井戸降りレースに出場するのですか」とインタビュアーに質問をされると、足のステップを使って、答えた。「俺がロックンロールだからロックンロールで死にたいんだ」インタビュアーにも視聴者にも理解できなかったが、彼は自分でデバイスを使って音楽を鳴らし、自作の曲で踊り出すと、踊りが即座に自動翻訳されて配信画面に字幕が表示された。

タコが目の前を泳いでいた

片手でつかもうとしたら墨を吐いて逃げて行った

イカが目の前を泳いでいた

両手でつかもうとしたら墨を吐いて逃げて行った

自分の頭に銃を向けられる バンバンバン

おれ、パーティを始まるって聞いたんだ

おれ、タコとイカが好きでたまらないんだ

シロクマの踊りが終わると、「ロックンロール魂73点」と表示される。このシロクマは勘定に入らなかった。「はあ。タコとイカの動作で、キレが足りませんでしたか?」

中国全土の世界で、レース出場を求める人々で歌い続けられ踊り続けられ、世界中の予選会上で音楽は一週間ひと時も鳴り止まなかった。予選の選考は正確且つ厳密に行われた。選考基準は、歌やダンスの巧さではなく、長い時間踊り続けられる持久力でも、生配信されるカメラに映える出場者の容姿でもなかった。各予選会上の審査員に配られた、小さな紙ナプキン状の選考基準の説明書には、だたこう書かれていた。

「ロックンロールの魂があること」

ジョニー・ロットンが宣言し、ジョン・レノンも証明した、「ロックンロールは死んだ」ではあったが、2110年の今でも、未だに「ロックンロール」は、どの街角からも死に絶えることなく生き永らえていた。

階段井戸降りレースであるところの、「ロックンロールダンス大会」は、世界中へ生配信が始まり、世界各地からの出身地と出場者名と簡単なプロフィールがこんな風に紹介された。

中国インド省アフマダーバード飛行場;専用飛行機で降りてくる多様な肌の色をした中国人と、多様な主に四つ足で歩く動物達。彼ら一人、一匹が登場する度に字幕で、年齢、学歴、趣味、好きな食べ物に好きな映画というような、誰もが見る気を無くす詳細情報が表示されていた。そこで急にロックンロールが流れ出すと、一斉に彼らは全員で勢いよく歌い踊りを繰り広げる。

廻れ、ロックンロール

パーティが始まるって聞いたんだ

みんなの身体に針を入れて

死なないチップを取り出すから

みんな病気で死ねるし 

あいつの頭もぶっ飛ばせる

さあ、パーティを始めよう

おれ、ロックンロールが始まるって聞いたんだ

最初は各々バラバラであった歌も踊りもそろい出し、煌めく夜の飛行場で踊っているのは、中国国籍の人間154人と中国国籍の動物154匹であった。

どこかのDJブース;小さなスタジオで、体中入れ墨を入れた女ヨシミがニーナシモンの音楽をバックにラップでこのレースについて語り始めた。

ラジオを聴きながら、愛し合っている恋人たち、を覗き見している人たち、を国境で銃のトリガーに指をかけている戦士たち、を宇宙から監視しているうちに地球へ帰る道が分からなくなった宇宙パイロットたち、今日も聞いてくれてありがとう。日付が変わるホンの少し前に、君たちに教えよう。もう助けは来ない。それでも、それだからこそ、ここからは君たちだけで生き抜いてみせろ。明日からここパータンで階段降りレースが開かれる。154人と154匹の間抜けな奴ら。俺は誰が勝つか知っている。まあ今はそれを言う前に。今はもう少しだけ酔っぱらおうじゃない。俺とあなた達で、間抜けな308の奴らのために。「はいそれでは、CMどうぞ。」

レース1日前 154人と154

パータンの森林奥地にある四方が100mほどの階段井戸は、約紀元前3000年に作り始められた。本来の井戸水摂取としてだけでなく、井戸自体が神殿として建築されたため、井戸水が枯れた後も、神を求めて神殿はどこまでも深く掘り進み続けられた。創造主であるブラフマーは、水から宇宙と全ての生物を創造したことから、人々は階段井戸を掘り続け、神を奉り、神と交わり、また多くの動物とも交わった。数万の人々が井戸をどこまでも掘り続け、井戸の中だけで生活をし、神や動物の子供を産み増やした。全ての創造主であったブラフマーであったが、ブラフマーの物語はただ、「ブラフマンは宇宙の源である」それだけであったため、他の神々の魅力的な物語の誕生の度に、人々は階段井戸を捨てて、他の神の物語を聞きに行った。たとえば、こんな感じだ。「ひとつの宇宙が終わってまた新しい宇宙が始まる時に、ヴィシュヌは近くの光明の中にブラフマーを見た」そう、後から作られた物語で、ブラフマーの宇宙創造自体を古いものへと更新してしまったのだ。「えーっつ。そんなのありかぁ」と、ブラフマンは言葉と唾を吐き出したが、新しい神々の物語を止めることは出来なかった。そういうわけで、まず階段井戸の存在が忘れられ、ブラフマーもシヴァとヴィシュヌらの豊潤な物語を前にしては、現在の中国インド省でも、語られることのない神のひとつとなってしまった。

翌朝、パータンにある、ブラフマーの妻ガーヤトリーを祀った階段井戸の会場に全出場者と大会関係者が集まっていた。真っ白な巨大テントの下には、長い卓子に継ぎ目のない真っ白いテーブルクロスが掛けられ、飲み物と食事が用意されていた。周りにはタキシードとイブニングドレスを着た関係者の間を黒い給仕服を着た男女がグラスを乗せた皿を手にして回っていた。

蝶ネクタイが非常に似合う幸福感に溢れた太り方をしている中年の女がスタンドマイクの前で、こう歌い始めた。

半世紀前に、ようやく人と人の間で出し入れが可能になった人の記憶。それが今や人と人から人と動物の間でも記憶と性器の出し入れが盛んになったこの2110年。よくぞお集まりくださいました、154人と154匹の紳士淑女の皆様。ルールはご存知、階段井戸の最深部まで。歌と踊り、止めず弛まず誰よりも先に辿り着け。今、時は11時。豪華なランチを取るもよし。しかし、ランチタイム終了の13時までにペアの相手を見つけるのが次のルール。もちろん、歌とステップを忘れずに。相手を見つけた組からのスタート開始。よろしい?まあ乾杯、とりあえずの乾杯。ではでは、みなさま、紅牛提供、階段井戸降りレース、本日ここより緞帳が上がり候。

紅牛の代表、周浩がスタート合図の銃を、インド省の惜しげもなく晴れ渡った空に向けて一発撃った。

まず、人間の女たちが、屈強な動物たちを探して、パートナーになるよう説得を開始した。瞬間に10人程度の女に囲まれた虎の雄は、人間の女を品定めするかのように、眺めてはステップを踏む。ステップが表す言葉が字幕として表示される。「女よ、お前は美しいが体が弱い、俺と一緒に階段を深くまで降りられないだろう。その女よ、お前の体は黒く夜だと見えなくなるが、腕も足も頑強だ。お前と共に階段を下ろう。俺の名前は、ホレスだ」女は歌って答えた。

わたしを選んでくれてありがとう。わたしの名前は、グロリア。わたしたち、急ぎましょう。

黒人のグロリアは、テーブルのサンドイッチを掴み、雄虎のホレスのために何かの肉片を鞄に詰め込み、急ぎ受付をした。会場で一番の名前を告げられ、階段を飛ぶように降りて行った。

人間の男が雌牛に歌を歌い、雌牛は、上半身を起こし、それに二本足でステップを踏んで承諾した。白人の少年が、灰色狼に誘う歌を歌えば、狼もそれに答えた。しかし、人間は狼が雄であることに気づかなかったのだが、もちろん狼も自分が雄であることを伝えなかった。白人の少年が灰色狼は雄であることに気づくのは、ここからわずか3時間後だったが、その性別に関しては全く問題が生じなかった。男の名前は、ビッグ・ジャックといい、雄狼の名は、キューティ・アーリーといった。人間の男が、雌のマレーグマを誘って、長い歌を歌った。マレーグマは立ち上がって踊りで承諾をした。男は、近くでマレーグマの半開きになった口元を見ては、周りの可愛い小動物達と比べてしまうと、この選択を僅かに躊躇したが、時間を一番に考えて受付を急いだ。人も動物も獰猛で屈強な姿に見える者らが選ばれて行き、次に可愛く美しい人と動物が選択されていった。ここに来て、性格を基準にして相手を見つけようとする者は、いなかった。ゆっくり食事をする者もなく、1時間を経過すると、140組のペアがすでに階段井戸を踊りながら駆け降りていて、その模様は一組一台のドローンが撮影をして世界中に配信されていた。音楽は会場のテントの下にいる、パンダがドラムを叩き、キツネザルとオランウータンがギターを弾いて、チンパンジーがサポートメンバーのダリル・ジョーンズと同じく客席から見えない場所でベースを弾き、ステージの中央では198歳になるミック・ジャガーを気取った中国人が、シャウトした。

Spread out the oil, the gasoline I walk smooth, ride in a mean, mean machine  Start it up

まだペアが決まらない者たちは、テントの中で片眼では高そうな食事をさがしながら、もう片目では残った者からパートナーを探そうと必死だった。ローストビーフを切り分けて貰っている列に並ぶシロクマに、足を引きずって女が後ろに並びながら歌いかけ、シロクマも踊る。

あなたの毛は汚く、ひどく痩せている、階段は降りられない 転げ落ちるだけ

君は片足がそんなに短く、歯も揃っていない、よく予選会を受かった

審査員が言ったわ おまえの心がパンクだって

おまえが パンクなら俺は ミュージカルスターだ

この大会で優勝して わたしは自分のアルバムを作る

「わかった。次はグラストンベリーで会おうじゃないか」シロクマは、そう言うとローストビーフを何枚も口に放り込んだ。

次々とペアが決まり、階段の底を目指して、駆け降りていく。女はローストビーフを口に頬張りながら、レッサーパンダや、ミーアキャットを誘うが断れてしまい、相手が見つからずに涙ぐんでしまう。偽ストーンズが Fool to cry を演奏する。

受付締め切り時間まで 残り時間3分

後ろからシロクマが女の肩を叩いて振り向かせると、優しく踊り出で語り始める。

なあおまえ おまえ馬鹿だな、泣くなんて

泣くのは 愚か者だ お前が泣くなんて 意味がわからない

お前は、名前を何っていうんだい?

「わたしは、小華(xiǎohuá)。わたしと一緒に行ってくれる?」

「もちろん。俺のことはロッキーと呼んでくれ」

泣くんじゃねえよ 女 なんで泣くんだ

俺たちは残りものじゃない 俺たちは繋がっていたんだ

俺たちがこうなるのは 最初から決まっていたんだ

俺たちが 最初に地下まで降りるんだ

階段井戸の上から、すでに階段井戸をかなり下まで降りている者たちが全員で歌い舞う。

お前にも言っておくよ ベイビー

俺たちは愚か者だ ベイビー

俺たち、みんな大馬鹿野郎なんだ そうさ 俺たちは大馬鹿野郎なんだ

198歳のミックジャガーに似た男は、歌う

I want to tell ya  Gotta tell ya baby  I’m a fool baby

そして、深々と頭を下げて演奏は終わる。

司会者の女が蝶ネクタイを正し、ルールの続きを歌う。

ストーンズもどきの皆様、ホットな演奏ありがとう。階段を駆け降りはじめた皆様、相手が決まっておめでとう。家で配信を見ている皆様、ここからが本番お楽しみ下さい。まあ、とりあえず飲んどけ ゴクン

ロックンロールが正午12時から夜6時まで30分鳴り続いたら30分鳴り止む。音楽が鳴る30分 全員が歌い舞い踊るミュージカルタイム、そして30分 静かにお休み休憩タイム。休憩時間は踊ってもいいし、階段を降りてもいいし、こそこそしてもいい。日常生活用品は、各組のドローンに依頼すれば、プライム会員でなくたって‎淘宝网からすぐ届く。何でもだ。小説も新聞も古い映画も 食事は中華も和食もフランスワインも、肉の入らないカレーから、ヴィーガンご用達の野菜食も 小粋な服装も無印化粧品もいつもの生理用品も何時かの介護用品も ボタンをポチれば、ハイお手元に。

中国国籍の参加者皆様の体から免疫チップを取ったので、病気にはなりやすいのでご用心。 画面から医者の診断は受けられる。便秘薬も精神向上薬もその他ヤバイ薬まで何から何でも注文可。

自分でもう踊れないと思った時、医者が無理だといった時、誰も言わないけど死んじゃった時、その時ペアで二人とも失格。失格の皆様も、ドローンで素早く安全に地上まで持ち上げます 

お茶の間の皆様 選手たちの応援で何時でも現金を選手の口座に寄付が出来ます 選手たちは大会中、そのお金でここ階段井戸の生活を豊かに送ることができるのです。それでは何方様も、とりあえず乾杯、さあ飲もう。

 レース開始(最終参加者スタート)参加者154人154匹

 五階、六階に到達したばかりの選手たちも、すでに20階近くまで降りた選手たちも息を荒げて、歌い踊っている。

 真剣に馬鹿になれ 全力で馬鹿になれ もっと真剣に全力で馬鹿になれ 

音楽が終わると、ブザーが鳴って、30分の休憩タイムを知らせた。弾んだ息を緩ませる選手たちはみな、満足感に満ちてパートナーを見つめ合っていた。

フロアが大きい15階には、20組程度の参加者が集まって、パートナー同志や他のパートナーとも笑顔を交わし、休憩を取ろうと座り出したところに、下の階から逆に上がって来る者がいた。最初に階段を降りたカップルの2組、雄虎ホレス、黒い肌のグロリア組と白人の少年ジャックと雄狼アーリー組は階段を息を切らして昇って来た。

「俺たちは、20階まで降りて、地下水が見えるところまで降りたんだけど、そこから下への階段は無かった」「どういうことだよ」「たぶん、どこかの階で違う階段を選ばないと、あれ以上、下の階へは降りられない」「よく見たの?見落としたんじゃない?」「まあ、見てきなよ」「そうだな、この休憩時間を使って、下へ行って自分で見てくる。あんたらが見落とした階段をさ」「全然疲れていないし」「確かに外側には下への階段が見えるのだけど、このコースじゃ辿りつけないんだ」「とにかく30分は休みましょう」「わたしたちは、先を急ぐ。ごゆっくり」と、言葉や踊りでコミュニケーションをとる人と動物たち。殆どの者は休みを取らずに、下の階段を駆け降りて行き、また上から降りてくる者たちも、この下に出口はないと聞いてもそのまま、足を止めずに階段を降り続けた。

「俺は休むぞ」雄虎は簡易寝床を広げて横になった。「動物なんだから、直接床に寝ればいいのに」「心が人だから、細かい習慣が抜けられないんだ。それに、ここは虫が多い」「虫が嫌いなの?」「誰だって、こんな8本も10本も足のある虫は嫌だろ」「虎は“誰”の中には入らないと思うよ」黒人のグロリアは鼻で笑った。

少年ジャックと雄狼のアーリーも簡易ベッドに体をつけて横になっている。「見て、ぼくたちの踊りが一番だったから」「千、万、十万元っ」「何頼む?」「とりあえずビールで」少年ジャックが注文をし、雄狼とともに階段の淵に出て、上を仰ぐ。地下15階からの太陽はまだ大きく見えたが、空気には煉瓦の匂いが強くなっていた。二人が仰いで見た階段井戸の一階には、まだ小華とロッキーがそこにいた。

配信画面では全参加者の現在位置と獲得賞金の一覧が表示されている。どちらも最下位の小華とロッキーの二人だった。「うちら、ビリで一元も入らなかった、信じられる?」「信じられる」「え、輪唱?あんた、森の熊さんなの?」「出遅れたから、俺はでダンスで勝負するさ」

30分の休憩が終わり、音楽が流れる。

地下15階では、下へ降りて行った者たちも全員戻ってきて、この階でも、隈なく階段や扉が隠されていないかと探していた。そこで、鳴り出した音楽に踊れずに、隠された扉を探すことに夢中になっている者に対して、ドローンから銃が現れ、一人と一匹の体を撃った。小さな「ポッツ」という音とそれをかき消す悲鳴が15階や各階で聞こえる。

音楽は流れ続けるが、倒れる者たちを見ると驚き、歌と踊りを止める者たちに、同じように銃撃が飛びちった。

戦争だ おまえたち 戦争がはじまっているのを気づかなかったのか

たった一発の銃と たったひとつのキスで 

今日 俺たちの街で あのパン屋の中で もう戦争がはじまっていた

配信画面には、字幕で「30分の休憩後、踊りを始められなかった者は、麻酔銃で撃たれて失格となります。安全に彼らは地上へ搬送されます」と、表示されていたが、配信画面を見ていたDJヨシミは笑った。「へっ。それはどうかな」

大量の大型ドローンが上空から舞い降り、小型多足装甲車を下ろした。装甲車は気を失った人と動物に白い拘束具をつけると、またドローンに収納され、上空へ舞い上がって行った。画面には、レース失格者の名前が表示され、参加者の数字が見る間に減っていった。階段井戸の真上にある真夏の太陽が彼らを明るく照らした。戦場に舞い降りる落下傘部隊のようでもあるが、もちろん彼らは天に向かって舞い上がっていた。しかも本当の戦場へ。

太陽を逆光にして白いドローンと拘束具に抱かれて舞い上がる彼らをモニタで見た中国中の約2/3の人は「天使が舞っているようだ」と見惚れ、約1/5の人は「カーニバルの行進だ」と薄ら笑いをし、約2/15の人は、ビールを取りに行って、この光景を見ていなかった。インド省の人が制作していた配信画面には、天に舞い上がる動物とともにインド神の名も表示された。虎にはシヴァ、象にはガネーシャ、牛にはパールヴァティ、ライオンにはドゥルガーというように。力の抜けた、人と動物の手足がぶらぶらと揺れる中、激しいロックンロールは鳴り続けた。154組の参加者の参加者数表示は数字が勢いよく周り続けて減り続けた。

レース開始1時間30分経過:参加者46人と46匹

今まで隣を走っていた仲間たちが空を舞い上がっていくのを見あげながら、残った参加者たちは狂ったようにステップを踏んで階段を昇っていた。

30分のロックンロールが鳴り止むと、全員の溜息が漏れた。人が撃たれるという場面を目撃した参加者たちは、踊りを止めても興奮が止まらずに、周りの人と動物へ話しかけた。

地上で司会をしていた女の説明が流れる。「音楽が流れても気づかずに踊りを始められない方や、中断した方には強制的にレースから排除いたしますが、もちろん自主的に棄権を伝えていただければ、麻酔を打つことなく、安全に地上まで運搬いたします。全て事前に送付済みルールブック記載のままです」そう繰り返されるが、その音が聞こえないほど、皆興奮してパートナーとの話を止められない。殆どの参加者は20階からまた階段を昇り続け、2階と3階まで昇ってきていた。「ほら、一階には東西南北それぞれの階段があって、それぞれの階段が、どの方向の階段とも交わっていない」「また一階まで昇って、違う階段を使って下へ降りて行けば、もっと下まで行けるよ」「どの階段を使うの」「試してみるしかない」「手分けして、残った三つの階段を調べるのはどうだ」「間違っていたら、どうやって別のやつらに知らせる?」「知らなかったの?ドローンに全員の位置情報を表示できるの」「ドローンでメッセージを発信することも出来るんだぜ」「知らなかったよ。もし、ものすごく危ないことになったら。ものすごく早く、おれは皆へ教えるよ」トナカイは角を振りながら力強く皆へ伝えた。

彼らは休み時間に一階までたどり着き、今昇って来た北側を除いた、東、南、西の3方向へ15組ずつに分かれて進むこととし、また急いで階段を駆け降りて行った。

東側の階段を選んだ者たちは、5階まで降りたところで、最後にペアを作って階段を降りた純粋中国人小華とシロクマのロッキーと出会う。「おい、また俺たちの踊りに一元も投げ銭が入らなかったぞ。お前と俺の踊りは駄目なのかな」「自信を持って」二人は、周りの状況に構わず、ダンスの練習を続けた。階段を降りてきた一人が彼らに話しかけようとしたところで、音楽が鳴りだした。全員が揃って、踊り歌い出す。 

廻れ、ロックンロール

パーティが始まるって聞いたんだ

もう拳銃も手に入れた 

あいつの頭もぶっ飛ばせる

さあ、パーティを始めよう

おれ、ロックンロールが始まるって聞いたんだ

そして、小華とロッキー以外の者たちはすぐに階段を目指して駆け降りて行った。二人は、階段を降りてゆかず、彼らの方を決して見ようとせずにただじっとこの階で踊り続けていた。そしてまもなく、踊り続ける二人には、下の階へ降りて行った者たちの悲鳴と煉瓦が崩れ落ちる音が聞こえた。

大きな塊で落下する階段に乗ったまま、15人の人間と、カンガルー、ハイエナ、キリン、シマウマ、マレーバク、など15匹が落ちて行った。ただ、それぞれを撮影しているドローンは、落下先を追いかけずに、そのままの位置で彼らが見えなくなるまで撮影をしていた。15組の姿は闇の中に消えて行ったが、水の音も衝撃音もしなかった。小華とシロクマのロッキーは、歌い踊り続けていた。片足が短い小華の踊りは華麗ではないが、個性的な野性味があった。

ケンとメリーは友達で ジャックとベティは友達だった

ケンはジャックを好きになり、メリーはベティを好きになったが

ジャックはメリーが好きで、ベティはケンが好きだったので

ケンはメリーを銃で撃って ジャックはケンを銃で撃って 

ベティはジャックを銃で撃って

ベティは自分で自分の頭を撃ちぬいた-

The wheel of fortune keeps turning round

I should have known it was a one knacker

階段が落ちた音を聞きながらも、たまらない笑顔で歌う小華の顔が大写しで写ると、彼女への出資する数字が勢いよく回り増え続けた。

 Turning round turning round

レース開始2時間25分経過:参加者31人と31匹

南側を降りていた5組と西側を降りていた4組は、東側の階段が落ちて行くのを見て、踊りを止めてしまい、ドローンから撃たれて、その場に倒れた。

レース開始2時間30分経過:参加者22人と22匹

音楽の途中でも休憩時間になると、音楽はぴたりと止まる。戸惑った表情をしているシロクマのロッキーを笑顔で抱き寄せる小華。「10万元いったよ!」「もしかしたら、おまえは階段が危ないことを知っていたのか?」小華は答えずに、淘宝网の買い物画面を見続けていた。

南側階段で倒れた5組と西側階段で倒れた4組については、前の時間と同じように白い巨大なドローンが降りて、人と動物を収納し、地上まで運んで行ったが、最初に落ちて行った東側へは、いつまでも収納用のドローンは降りてこなかった。南側にいた、雄虎ホレスと黒い肌のグロリアは、踊りを止めなかったが、「この階段井戸は迷路になっているだけでなくて」「階段が落ちるとはね」「このまま、まだ続けるか?」と迷っているうちに、南側階段を降りて行った5組と西側を降りて行った5組は諦めて、棄権の意思を伝え、ドローンが棄権者を回収に降りてくる。西側階段を降りていた、白人の少年ジャックと雄狼アーリーは呟く。「このレースは相当やばいね」「刑務所に戻るか、階段井戸で踊ってお金儲けをするかだから」「もう少し、踊ろうか」「そうね」驚きや疲れよりも、二人は、休憩時間が終了して音楽が鳴りだすことに集中していた。

人数の少なくなった階段井戸の赤レンガに、ロックンロールが鳴り響いた。太陽は乾燥した階段井戸を燦燦と照らしていた。

レース開始3時間00分経過:参加者12人と12匹

東側で踊っていた、小華とロッキーは、踊りながら、南側階段を通り越して西側階段を目指していた。

お前らは 絶対止まらない

1、2、3、周り続けろ

お前ら凄すぎて 誰も死ねない

1、2、3、途中でやめるな

南側階段を降りていた残った5組は歌いながら、駆けるように下の階を目指していた。

俺は見張り塔から 電気椅子に座って

階段を駆け降りる お前らを見る

俺の聞いたことがない曲を歌え

俺の見たことがない踊りを舞え

西側階段を降りていた残った6組も歌いながら、駆けるように下の階を目指していた。

お前のロックを 絶対止めるな

1、2、3、周り続けろ

お前のロックで 地球に飛び込め

1、2、3、途中でやめるな

誰もが歌い踊りながら息が荒くなってきているが、次第に声は大きく、踊りは強く大きな動きになって駆け降りる。南側と西側で降りていた11組はほぼ同時に19階までたどり着いた。中央の吹き抜け越しにそれぞれが19階に着いたことが見えたが、南側と西側の外側の階段も、中側の部屋でも交わっていなかった。そして、西側には下への階段がいくつもあったが、南側に降りた者たちは懸命に歌い踊りながら下への階段を探すが、どこにも階段は見つからなかった。小華とロッキーは、西側階段を少し辛そうに足を引きづって10階を降りているところだった。

音楽が止み、休憩時間になった。

南側からのメッセージ「南は下の階段がない」西側からのメッセージ「こっちは降りる階段が三つ」「了解。そっちへ行く」「了解。慌てるな」

南側の会話「休憩時間の間に、もう一度一階まで昇って、19階まで降りて、早く西側と合流しよう」「これから、また昇るのはきついよ」南側の5人と5匹は、ぞろぞろとまた階段を昇り始めた。

小華とロッキーは、10階で腰を下ろす。10階には、水道とトイレがあり、水道管、石で出来た下水管がむき出しで通り、10階からは明りを灯す電線や、ネット接続のケーブルも合わせて幾つもの配管が交差して通っている。

「俺は、高所恐怖症と閉所恐怖症と、なんとか恐怖症を沢山もっていて、一時間に一回、身体を洗わないとダメなんだ。」「いいわよ。30分ずっとシャワー浴びてれば」「でも、ここは、太陽が差さないだろう」「知らなかったの?」「知らなかったよ」「また輪唱か?静かな湖畔か?それに、あんたの毛、薄汚いよ」「シロクマの毛は白じゃなくて、本当は透明なんだ。氷の上だから白く見えるだけなんだよ。こんな赤茶けた所に、俺は何時までもいられない。そ、それに俺は、深爪だし。こんな階段、もう歩きたくない」

西側の者たちは、いくつかの階段口から下を覗いてみた。そこから遥か下に見えた20階は、地上から降りてきた19階までと同様に感じる50メートルほどの高さがあるように見えた。ここから下の階段も壁も、煉瓦や石ではなく、繋ぎ目が見つけられないセメントで出来ていた。壁には電灯がいくつもあり、時間に関わらず、20階を照らしていた。「ここで、南側の奴らが来るのを待って一緒に降りよう」「何であいつらを待つ必要があるんだ」「そう。わたし達は誰とも同じチームじゃない。ここからは、一番早く最下層まで行く競争だろ」少年ジャックと雄狼アーリー以外はみな、下の20階を目指して、また長い階段を降りて行った。ジャックとアーリーは、外階段に座って月餅を食べながら、太陽が階段井戸から隠れていく様子を眺めているうちに互いの肩に寄りかかり合っていた。

10階の階段井戸からも太陽が隠れはじめた頃、南の階段を通っていた5組は、西側階段の10階で小華とロッキーに会った。二者へ声を掛けようとしたとき、また音楽が鳴りだした。

西側19階の階段の一つを一番先に立って降りはじめていたのは、二本足で立つ大きな兎と一緒に手をつないでいた少女だった。兎が階段から足を滑らせて体が地面から落ちかけると、「させるかー」少女は叫んで兎の前足をしっかり両手で掴んだ。「あー。このセリフを言いたかった」とカメラ目線でほほ笑みかけるが、そこで歌を止めてしまったため、ドローンから麻酔銃で撃たれてしまった。少女は意識がなくなり壁側に倒れ、兎を握っていたその手を放してしまうので、信じられないという顔をした兎の体はずり落ちるが、必死に階段の淵を前足でつかんだ。上半身を使い飛び上がって階段に跳ね上がろうとしたところを同じように麻酔銃で撃たれた。階段に上がれず、50メートル下へ落ちながら兎は必死にドローンを掴んで「このドローンは」と必死に入力したようとしたが、そこまでした中国語のピンイン変換が進められなかった。ただ兎は戸惑いを覚えているうちに麻酔銃の睡眠に陥り死を実感することもなかった。銃の音も兎の悲鳴も音楽の音で聞こえなかったが、兎が床にたたきつけられた音は、音楽の切れ目のところだったので、19階の階段口に辿り着いたばかりのジャックとアーリーにまで、よく聞こえた。

レース開始4時間1分30秒経過:参加者11人と11匹

メロウなメロディに中国語ラップが流れ始める。

水族館デートのあと

夜の観覧車に乗って満月を見た

彼女にキスしたあと

他に好きな人が出来たと言われた

つきあって一年、俺の人生そんな感じと思った

え、ちょっと待てプレイバック バック

昨日の夜からラブホに入って

二人ビールと酎ハイでしこたま乾杯

風呂に入って裸のまま、カラオケ歌った

今夜はブギー・バック

ブギーバックシェクイットアップ

甘い甘いミルク&ハニー

俺は幸せすぎて鼻水流しながら歌う

おまえも鼻の穴ひろげて笑って歌う

笑いながら俺の胸を何度もグーパンチ パンチ

寝るまで二回やって

朝起きてからも一回やって

吉野家行ってから映画館で君の名は

水族館でペンギンとクラゲ見た

そしていま観覧車の中で別れ話

あれ?いつから別れることになってたの?

はあはあ言ったり鼻水たらして歌うとこ?

こいつと別れるなあと思いながら、俺のこと見てた?

せっかくだから、やっとこうか?

とりあえず、やっとこうか?

ロマンスのビッグヒッター グレイトシューター

またひとりで踊り続けるのか

ブギーバックシェクイットアップ プレイバック

おまえが鼻の穴を広げて歌った

今夜はブギー・バック

ひとりきりのワンダーランド

中国人は中国語で韻を踏んだ歌詞をささやくように歌い、動物たちは前足を後ろ手に組んで後ろ脚だけのステップを踏んで詩を舞った。

ドローンが降りてきて、下に墜落した兎は袋に入れられ、階段で気を失った少女はそのまま抱き上げ20階上空へ舞い上がって行った。

19階から20階へ行く階段は三つあるが、どの階段も手すりがないまま、交わることなく50mほどの高さを延々と下っていく。兎と少女の階段を選んだ者も引き返して、他の階段から下を降りていった。ここを降りながら、最下層がよく見えないこともあり、降るほどに20階が最下層だという思いが強くなったのか、踊りながら誰もが降る速度が次第に早くなっていった。

暫くすると、南側から回って来た残りの5組も踊りながら現れる。彼らは兎と少女が落ちていった階段をそろって降りだした。彼らは19階分の高さを昇って降りてきたので、疲れが出て揃ってゆっくりな動きになっていた。

小華とロッキーの組も、階段に現れて、全員が19階から20階に降りる階段に揃った。

そこでロックンロールが鳴り止み、同時に三つの階段を降りていた全員から溜息が漏れた。

西側から降りていた白人の少年ジャックと雄狼アーリーは、あとから来た者らへメッセージを出す。「そこの階段は足を滑らせた奴がいるから気をつけろ」黒肌の女グロリアと雄虎ホレス組が簡単に「了解」と打つも、南側から昇って再度降りてきた5組と足を痛めている小華とロッキーたちは狭い階段の壁に背を持たれて全員が腰を下ろした。

西側組の5組は、二手に分かれていたが、次第に見えてきた20階の床を目指して、全員がさらに速度を上げて階段を駆け降りていた。一つの階段を駆け降りている一番後ろの雄狼アーリーが、躓いて前を走るパートナのジャックの背に軽く捕まろうとするが、少年が速く駆け降りているため、少年の背を押すことになってしまい、さらに前を走っていた二組へ連続して体が衝突し、何も抗うことも出来ずに、15メートルほどの高さから6人は落ちていった。

同じく、もうひとつの階段を降りていた二組はそれを見てようやく足を緩める。そして三歩だけ歩き、それからやっと足を完全に止めることができた。

レース開始4時間40分秒経過:参加者8人と8匹

 3人と3匹のために、またドローンが降りてきて、収納作業が始まる。誰も話すらすることができず、階段の上で作業を見ていた。ドローンが階段井戸の上空を目指して昇り始める。小華が自分の目の前にドローンが浮かび、間近に収納された袋に血が滲んでいるのを見て、声を上げる。「みんな、次の30分でゆっくり下まで降りたら、今日最後のダンスタイムが終わるまで、この階で踊っていよう。夜はここで休んで、また明るくなってから、一緒に降りよう」「おまえ、リーダかよ」「そうしよ」「了解、リーダー」5時になり、最後のミュージカルタイム。また同じメロディが流れる。メロディは同じで、これは女の子のラップバンド極夜行が前曲のアンサーソングとして中国で流行らせた曲だった。イントロで人は両腕を、動物は前足を後ろに組んで、ゆっくりとステップを踏んで階段を降り始めた。

水族館デートのあと

夜の観覧車に乗って満月を見た

彼にキスしたあと

他に好きな人が出来たと言ってやった

つきあって一年、ああこれでまたひとりになれる

あれ、ちょっと待ってプレイバック バック

昨日の夜からラブホに入って

二人ビールと酎ハイでしこたま乾杯

風呂に入って裸のまま、カラオケ歌った

何か知らないこれ昔の曲?

ブギーバックシェクイットアップ

知ったふりして、こいつといっしょに

溶けるようなファンキーミュージック

なんでこいつは無防備に笑えるの?

鼻水と涙まで出して歌って鬼可愛い

好きすぎて、何度もこいつの胸をパンチ パンチ

寝るまで三回やって

朝起きてからも二回やって

好き好き鬼好き愛してる

吉野家でも殴って 映画館でも殴った

水族館でこいつの背中を叩いて

こいつに見つからないように泣いた

いないところで、わたしは犬のように吠えた

だからいま観覧車の中で別れ話

別れると言われて、なに驚いた顔してるの

鬼可愛い好き好き鬼好き愛してる

もう、殴りたくてたまらなくなる

何で、だんだん泣きそうな顔してるの

ああ、今すぐこいつを殺して鞄に入れて帰りたい

だからそう、自分におもいきり肘打ちをくらわした

もう、だいじょうぶ。

わたしは、これからはひとりだから

ひとりきりのワンダーランド

中国人は中国語で韻を踏んだ歌詞をささやくように歌い、動物たちも後ろ脚だけのステップで韻を踏んで舞いながら階段を降り終わると、20階のフロアを音楽が止むまで周り続けた。20階はここに長期滞在が出来るような生活設備が揃い、太陽が隠れた時間でも巨大な壁にはいくつも明りが灯っていた。壁の中央に這う巨大な管には古く剥がれかけた文字で「粒子衝突型加速器」と書かれていた。床も壁も繋ぎ目が見当たらないコンクリートで作られ、部屋の中央は吹き抜けであるのに、埃が見当たらなかった。ただ、部屋の所どころで、ムカデに似た節足動物が素早く動いているのが見かけられた。

「ここは全てが古代に造られたわけではいのか」「上の階までは、確かに2000年前の煉瓦だった」「配管は数百年前のように見えるけど、このコンクリートは、新しいし」「明日まで、ここで休むよ」「朝になったら、俺たちは先に行くよ」「とにかく、もう今日は休もう。そして飲んで食べて、それから朝まで寝よう」

パーティ毎にキャンプの用意を始め、ドローンへ食事の注文をする。暫くすると、注文した食事や飲み物、寝具までもが配達される。シロクマのロッキーは、ボディソープを持って、シャワーで必死に体を洗っていた。

シロクマのロッキー以外に今レースに残って20階まで辿り着いた動物は、アカギツネのサム、アフリカ水牛のレイチェル、サフォーク種の羊ボブ、ベンガル虎のホレス、インドライオンの恵子、アルパカのアーシャとジャイアントパンダのクリシュナ。クリシュナとは、インドで最も人気のある神の名前であるが、普通動物や人に付ける名前ではない。とにかく雄パンダの名前はクリシュナと言い、彼とパートナーのアフリカ系中国人リンの歌と踊りのソウルは見る者誰もの胸を打ち、優勝候補でもあり現在最高賞金獲得チームであった。

どのチームの中国人も動物もパートナー同志で、今日一日であまりにも多くの参加者が失格し、棄権をし、そして大勢の者が命を失ってしまったことについて、話し合い考え合った。それから自然と全てのチームが集まりだして、まず動物たちが、大きなダンスで自分たちの思いを仲間と中国人に伝えた。(休み時間であったが)

俺がキツネになったのは、神を信じて刑務所に入れられたから。

わたしが牛になったのは、紅牛団の科学実験に反対して捕まったから

俺が羊なのは、「それでも時間は流れる運動」のリーダーだったから

俺が虎なのは、自殺をしようとしたから

わたしがライオンなのは、動物相手に結婚したくなかったから

わたしがアルパカなのは、動物の子供を産みたくなかったから

俺がシロクマなのは、あれ、なんでシロクマになったんだっけ

私がパンダなのは、宇宙を作った神だからだ

もちろん皆、「えー」「いやいや」と笑って反応し、誰もが真に受けなかった。

「あなたみたいな動物は、たいてい刑務所の長期刑だってのは知っていたけど」と小華はロッキーの背中の毛を梳かしながら言った。「刑務所にいるよりは、ここにいる方がいいよな」と、虎のホレスは言った。「そんなことはない。わたしは、こんな所にはいられない。だって、ここから下は殆ど太陽が当たらないでしょ。それに、蹄で階段を歩くのは、ほんとうに辛いの」とアルパカのアーシャは言った。

「そんなことを言わないでよ」と、アメリカ水牛のレイチェルは、互いの蹄を見比べながら言った。

 長い間、アルパカは天井を見て考え、床を前足で蹴って踊ってこう説明した。「でもね。やはり、わたしは、刑務所に帰った方がいい。あなたには悪いけど、ここでやめてもいい」パートナーの頭の禿げた男も頷いてアルパカの首ごと抱きしめてキスをする。「もちろん。君が決めたなら、僕たちはここで終わりにしよう。」ドローンに棄権の合図を送った。

レース開始6時間15分秒経過:参加者7人と7

「みなさん、お元気で」ドローンに繋がれた男は手を振りながら叫び「気をつけて。みなさん、またどこかでお会いしましょう」と、アルパカは足を愛らしく動かしてサインを送った。

残された者たちは、心持ち肩を落として、それぞれのパートナと一緒に夕食をとりにテントに戻った。階段井戸の中で、音楽の鳴りだす瞬間を気にせずに送れる時間を楽しみながら。

配信画面に『前半終了』と、表示される。

「え?前半って、何だよ」と画面を見て気づいたのは、パンダのパートナーのリンだけだった。パンダのクリシュナに訊ねた。「前半終了っていうのは、ここまでが半分だから、明日が最後ってことか」「違う。今までの階段は、大昔の人が作った階段井戸で、ここからは、少し違う作り方をした階段井戸という意味ですね。」「じゃあ、いつになったら、ゴールにたどり着けるんだ?」「階段井戸の底には、普通の人はたどり着けません」とパンダのクリシュナは、出来立ての水餃子に酢を浸けながらリンへ教えた。「普通の人間にはね」

小華とロッキーは、肩を付けるように並んでカレーを食べていた。

「ロッキー、前に人だったときは、何の仕事をしていたの?」「俺は、父親と一緒に日本で花火を作っていた。親父が男の愛人を作って、怒ったお袋が工場に火をつけて、工場が爆発してさ。俺の体は殆ど吹っ飛ばされたけど、頭がそっくり鉄釜の中に焼け残っていたから。お袋が取り出して、全財産と凄い借金でシロクマの体を買ってくれた。だけど、人の時から持っていた沢山の恐怖症は消えなかった」「北極は行った?」「行った行った。元の持ち主の記憶が体に残っていから。同じようにシロクマの体を買った人たちは引き寄せられるんだ。そんなシロクマたちが住むシロクマコロニーに10年暮らした。北極の長い冬は太陽が上がらないから何も見えないんだ。俺は闇が怖いから、冬眠していたんだけど、オーロラが出る時は、仲間が起こしてくれる。そんな時はみんなと体を寄せ合って、サーモンサンドイッチを食べながら砂糖がいっぱい入ったエスプレッソを飲んで、一緒に何時間もオーロラを見る。」「へえ、何か話すの」「シロクマは、無口なんだ。だけど、春になって太陽が出ると、みんな踊りで、人だった時のことを話し出す。そうやって、ようやく俺も花火を作っていたことを思い出した。みんな、花火を見たことがないって言う」「中国ではもう100年近く花火禁止なの。じゃあ、ロッキーは囚人じゃなかったんだ?」「母さんからは、ただ人の体が高くて買えないからシロクマの体に俺の記憶を入れたって聞かされた。でも、人の体を失ってまで生きたかったのかというと。どうだろうな」「え。シロクマ、全然いいと思うよ」シロクマは、立ち上がって、自分の手を長い時間みつめる。そして、天井に向かってとても長く吠えた。シロクマが吠える音は、コントラバスの低音のように美しく響き、そこに虎が一緒に空に向かって吠えだした。コンバスとチェロの二重奏が鳴り響いて階段井戸の夜が深まった。この日の動画配信は、ここで終了した。

 DJのヨシミが入れ墨だらけの腕で、マッチでマルボロに火をつけた。

狭いラジオブースの中で煙草の煙を輪っかにして吹かす。ジュリーロンドンの「Cry Me A River」をバックに中国語ラップで今日一日の状況を歌う。

ラジオを聴きながら愛し合っている恋人たち、を覗き見している人たち、を国境で銃のトリガーに指をかけている戦士たち、を宇宙から監視しているうちに地球へ帰る道が分からなくなった宇宙パイロットたち、を波高い海原で方舟に乗って眺めている動物達、の体中を這っている虫たちも、みんな今日も聞いてくれてありがとう。日付が変わるホンの少し前に、煙りを輪っかにしながら君たちに教えよう。今日も明日も誰も助けは来ない。だけど、心配するな。みな誰もが誰かを殺すようになる。誰もがだ。明日からの階段井戸は、今までの階段井戸とは違うかもしれない。たった7人と7匹の間抜けな奴ら。はい。「パチン」昨日が終わって、今日になりました。もしくは、今日が終わって、明日がやってきました。階段を降りればわかる。神はどこにも姿を変えて現れる。ってことはさ、自分も神だっていうことに気づく。かもね。まあ今それを話す前に。今はもう少しだけ酔っぱらおうじゃない。俺とあなた達、間抜けな7人と7匹の君たちのために。はい、乾杯。「じゃあ、CMどうぞ。」

小華は、ヨシミのラジオ番組を聴いていた。ロッキーは隣ですでに寝息を立てて眠りについていた。ヨシミは自分の胸元からケーブルを引っ張り、ロッキーに首の後ろの毛をまさぐり、ひとつのジャックに自分のケーブルを差し込む。操作盤から、簡単なコードを入力して、シロクマの胸に抱かれるようにして休む。

北極の氷上を歩くシロクマのロッキーと少し離れた氷の上を歩いているシロクマの小華。夏の北極は、至る所で氷が溶けだし、ひとつの氷の上を歩いては、別の氷に飛び乗る。行先に向かうために、どの氷に飛び乗ればいいのかを迷っているロッキーを離れたところから、ついて歩く小華。ようやく小島のような大きな氷に飛び乗ると、ロッキーは歩く速度をあげる。後ろからついていた小華も、同じ氷の上に乗って、歩く速度を上げる。次第にロッキーが走り出し、後ろの小華も懸命にそして嬉しそうに走り出した。ロッキーは立ち止まって後ろを振り向くと、後ろからそのまま勢いよく走って来た小華に押され、海の中に落ちる。小華も海に飛び込む。二匹は水の中で一瞬だけ見つめ合い、また泳ぎ出すロッキーの後を小華が泳いでついていく。ロッキーがまた氷の上に飛び上がって走り出す後ろを小華はぴったりついて走る。小華からロッキーの背に飛び乗ると、ロッキーが小華を放り投げ、小華が仰向けになったところに飛び乗る。二匹は、氷の上で戦っているようにじゃれ合った。

階段井戸に張られたテントの中で寝ついた時と全く同じ姿でシロクマの腹に背中をつけて丸くなって寝ている中国人の小華。

夏の浜辺、パラソルの下、ビーチチェアに座った人間のロッキーはサングラスをかけ、青島ビールを瓶のまま飲み干した。離れた海辺に水着姿の小華が見える。小華が手で、こちらに来いと合図を送っているように見えた。ロッキーはビールとサングラスをテーブルに置き、立ち上がって考える。あの女は誰なのか。女はそのまま水に入って見えなくなった。ロッキーは、そのまま動かずに立っている。何か声に出そうとするが、言葉がでてこない。海を泳いでいる小華が見え、海からこちらに向かって走ってくる小華の笑顔を見ると、嬉しくなる。“我们又见面了”と小華は言った。

この日も太陽はインド省のどこまでもくまなく朝日を与えたが、階段井戸の地下20階には、朝日が届かなかった。それでも、吹き抜け部からは夏の朝の匂いが漂い、野鳥の鳴き声が聞こえだすと、黒い巨大な生物のように大量な蝙蝠の大群が上空から舞い降りてきた。そのしばらく続く羽ばたきの音と、蝙蝠の臭さで誰もが起き始めた。

二日目の開始時間12時5分前にして、小華は、シロクマに突然思いついたことを話しかけた。「二日目の一曲目は、フリースタイルダンジョンを申し込むよ」「対決して、買った方が双方の賞金全額を受け取って負ける方がレースから失格するんだろ?誰に申し込むんだよ」「もちろん。あの神だとかいうパンダ野郎、90万元くらい稼いだらしいし」「俺たちはだいたい10万元だ。こんな賭け、受けてくれるはずがないだろ」「それはどうかな」小華は全員が集まる中へ入って声を張り上げた。「さあ、二日目のスタートを前に皆さん、準備はよろしいですか。さてさて、ここでわたしたちは、フリースタイルダンジョン、ラップ対決をお願いしたい。」パラパラと拍手。「わたしたちが挑戦したい相手は、90万元でダントツトップのパンダさんチーム」おおっつと誰もが声をあげて、パンダのクリシュナとリンを見やる。「たった10万元しかない奴らと闘ってもしかたないだろ」リンがはなから相手にしない素振りで対応するが「やりましょう。やりましょう」嬉しそうに答えるパンダのクリシュナに、「ヒャッホー。勝ったら100万、でも負けたら0で退場ですよ」「わたしは問題ありません。そちらが先行でどうぞ」ドローンにフリースタイルの申請をする。

DJブースにある小さなソファで缶ビールを片手にこの中継を見ているDJは、満足げにひとつ笑ってから、ビールを飲んだ。

開始3秒前に小華はこう言った。「タイトルは、《我很喜欢白色》わたしは白が好き」拍手拍手。

攻撃的なラップのリズムが始まる。壁際に小さく円を作った7組の人と動物の真ん中に小華とパンダのクリシュナがいて、人は手を叩き動物は足で床を叩きリズムをとって囃す。小華が速く強いリズムで語り始めた。

わたしは白が好き。一番古い思い出は白い天井と白い壁と白いベッド。白い服を着た男と女と大兎が一日に二回やって来てタブレットを飲まされてタブレットで勉強させられる。わたしは頭が悪くて他にもその建物にいた子供たちもみんな頭や体が悪かった。友達は頭がふたつあったり手足が無かったりしたけど友達どうし皆仲が良かった。でも翌朝になるとよくどこかひとつのベッドが空になって友達はどこかへ行ってしまった。隣の部屋にいたお兄さんはブリキの小さな玩具をたくさん持っていた。お兄さんはブリキのロボットのオモチャをやるからズボンの中に手をいれてくれと言うのでわたしはシンバルを叩いている猿か太鼓を叩いている豚のオモチャならやってあげてもいいと言ったらお兄さんは両方くれてやると言った。わたしはおにいさんに手をつかまれてズボンの中に手をいれた。おにいさんは真剣な苦しいような顔をしていて急にわたしの手は濡れた。びっくりしてわたしは手を引っ込めると手には白いものがついていた。わたしはお兄さんにわたしの大切な物を取られたような気がして逃げるように走ってトイレで手を何度も何度も洗った。夕方になってお兄さんの部屋に行くとお兄さんは白い服を着た女の人と何かを話して泣いていた。わたしはお兄さんの横を通って猿のブリキのオモチャを堂々と持ち去った。夜中に音がしたのでお兄さんの部屋を見ると白い服を着て白いハイヒールを履いた何匹もの大白兎がお兄さんをストレッチャーに乗せて運んでいた。わたしはお兄さんの部屋に入ってロボットか豚か少しだけ考えて結局太鼓を叩いている豚のオモチャをもらうことにした。翌朝白い服を着た男の人に隣の男の子はどうしたのか訊ねたら違う施設へ移ったと教えてもらった。わたしはその男の子に返したいものがあるから渡してくれないかと言う。それは無理だと思うよ。と男の人は少しだけ残念そうに答えた。それから何年かしてわたしは窓があって空が見える団地へ引っ越した。突然その日に知らない大人の二人をこれがお母さんとお父さんですと教えてもらった。小学校一年生のわたしは学校も楽しかった。足が悪いから道路で知らない人にからかわれてもまあ平気だった。団地でお父さんとお母さんと一緒に勉強をするのも好きだった。冬のある日わたしはお父さんが買ってくれた真っ白なダッフルコートを着て学校へ出かけてみんなに自慢した。少し雪が降り始めた帰り道では足をひきずるわたしを真似する大人の男の人に囲まれた。でもわたしは世界一番真っ白いダッフルコートを着ているから平気だった。何度か叩かれて転ばされても全然平気だった。わたしは少し痛む足を引きずってなんとか団地に帰った時はもうすっかり夜になっていた。お母さんが泥だらけのわたしを見て駆け寄って来た。わたしはお母さんに脱がしてもらった真っ白なダッフルコートの背中に土がついているのを見て悲しくなった。そしてお母さんはダッフルコートのフードから白いビニールをいくつも発見して泣きながら大声で何かを叫ぶとそのダッフルコート毎ビニール袋に入れて捨てた。わたしは男たちに倒された悔しさよりダッフルコートを捨てられた悔しさでお母さんを殴った。何度も殴ってわたしは気を失ったら次の日にはお母さんは違う人になっていた。そして、それから5年後にわたしは隣の部屋の男につけられた白いものと真っ白なダッフルコートに入れられた白いものが入ったビニール袋が何であるのかがわかった。でもわたしが好きな白い物はそれらでもなくてバニラアイスクリーム。だったけど今一番好きなのが隣にいるシロクマのロッキー。だからわたしたち今日結婚するよ。わたしとロッキー結婚おめでとう。

 大きな歓声と拍手が沸き起こる。人間は歌で動物達も踊りで祝福をした。

「恭喜你们结婚。結婚おめでとう」

シロクマのロッキーは驚いた顔と、とまどいつつ嬉しい顔をして小華を見つめた。クリシュナは小華のラップが終わると丁寧に拍手をして讃えたあとも余裕な表情でリズムをとって、全員を見回して歌い出した。クリシュナはこのレースに参加している動物で唯一きれいな中国語を話せた。同じく攻撃的なリズムが続いている。

 結婚おめでとうお二人さま。それではお二人へのお祝いにこの階段井戸についてわたしが知っていることを話しましょう。あなたは信じますか。わたしはあなたが信じないかもしれない話を強く信じています。では教えましょう。世界の始まりは水だった。水から産まれた世界のために人々は階段井戸を作って世界を奉った。世界とは無もなく有もなく始まりも終わりもなく空もなかった。そこに水が生まれ始まりが生まれ唯一の真理と創造が誕生した。究極の存在とは水であり水だけが根本原理となった。この原初の水はヴィシュヌそのもののことを言う。ヴィシュヌの臍から蓮の茎が伸び蓮の花が咲いた。蓮の花からブラフマーが生まれヴィシュヌの額からシヴァが生まれた。地上で魔族が勢力をのばしはじめたのでヴィシュヌは人間の世界に生まれ変わろうとした。ヴィシュヌのために天女は牛飼いに天竜も兄として人の世界に生まれ変わった。人の世界ではカンサ王子が「息子がお前を殺すだろう」という予言を受け生まれてくる子供を全員殺していった。カンサ王子の七番目の子供が兄の天竜で8番目の子供がわたしクリシュナだった。わたしの命を追い続けているカンサ王子の子孫が紅牛グループの周zhou一家だ。Zhou一族は宇宙からの力も味方にして地球の全ての理を手に入れた。その結果われわれの時代では普通なことであった人と動物を交じ合わせ体が朽ちるまで生きられるようになった。次に紅牛たちはこの場所を中心にほぼインド全体を使った粒子加速器を作った。ここを観測地として時間の特異点をこの場所に造ろうとしている。つまりここは紅牛(hóng niú)たちの観測所でもあるがわたしたち神の住む場所なのだ。彼らはわれわれの力を利用しようとしてこの場を使ったが、われわれも同じように彼らの力を使おうとしている。彼らがこの階段井戸レースという実験の目的を察したわれわれもまた、それを利用する。階段井戸レースのこの底こそわれわれ梵我一如と彼ら因果集合が探している戦場の終点だ。

クリシュナは次第に声を張り上げながら壁際に移動した。自分の首の後ろからジャックを伸ばして、壁についているジャックへ差し込み操作盤でキー入力をする。

今からわたしの思念を全て階段井戸へ上传(Shàngchuán)します。君たちは別のフロアにある端末からわたしに访问(fǎngwèn)してください。それでわたしと一緒にこの井戸の最深部に・・・

 中継配信を見ているDJヨシミは「あ。それはだめだな」と呟いて、キーボードを操作する。

 階段井戸の床と壁から、大量の真っ黒い芋虫が湧き出てきてクリシュナの体をめがけて襲いかかった。すぐにパンダのクリシュナの体は虫たちの黒い塊で覆われ、彼が最後に何かを語ろうとする口さえ虫が入り込んだ。クリシュナは一瞬光につつまれたが、壁と接続されたコードが切断されると静かな黒い塊になった。

この光景を見ると、踊り続ける者は誰もいなくなった。まだ30分のミュージカルタイムは残されていたが、動かなくなった参加者が撃たれることはなく、代わりにドローンから速やかに下の階へ移動するようにアナウンスされた。同時に生配信であるはずのレースの模様も小華が歌い終わったところで、中継が途絶え、代わりに同じく紅牛主催のツールドChinaの最終戦ダイジェストが放送され、字幕では「小華とロッキーの結婚式準備中」と説明された。

レース開始24時間30分経過 参加者6人と6匹

階段井戸のレース中のペアが結婚をするという情報は即座に世界中に拡散され、注目と寄付金が大量に集まった。

選手たちは皆階段を降ろされながら、20階の出来事を理解しようとしていた。「クリシュナの言ったことの半分もわからなかった」「何かと何かの戦争で」「とにかく一番下へ行けばいいのだけど、どこかでクリシュナにアクセスすると攻略し易くなる」「だから早く下へ行くだけだろ」「なあ俺たちのことを勝負に負けて試合に勝ったっていうんじゃないか」ロッキーが言った。「ほら、あいつらの金と合わせて100万元になってる」「リズムもリリックもわたしが勝ったけど、こんなレースがあんなことになっていたとはね」「あんなって何だよ」「つまり階段井戸に一番下に宇宙全ての理由があるのでしょ。一緒に行こうよ」

黒い塊となったクリシュナと、うな垂れるリンを回収するのと入れ違いに、ヘリが降りて来る。

配信もここから再開された。ヘリからはタキシードを着た男を先頭に大勢の結婚式スタッフが降りてくる。衣装、化粧具、神父から合唱隊までが降りてきた。地下21階は10メートルほどの高さで、階段も床も壁も美しい石で作られ、すでに中央に祭壇が用意されていた。参加者が階段から降りて来ると、結婚式用の衣装が渡された。

司会者が小華とロッキーに結婚式の段取りが説明し、二人の家族も紹介される。小華の親もパンダの親も、強く抱きついて結婚のお祝いの言葉を言ったが、初めて会う両親に対して、それほど喜んだ対応を返せなかった。

タキシード、ネクタイから靴まで全身白い服装の司会者が歌って説明した。

ここインド省の結婚式は通常一週間以上かかりますが、何より世界でこの配信を視聴されている皆様のために簡易版として。超、超簡易版として。これから夜12時までの結婚式を執り行います。勿論本日のレースは中止です。ささやかではございますが、少しでも日頃の感謝の気持ちをお伝えいたしたく、お食事をご用意させていただきました。非常に短い時間ではございますが、楽しい時間をお楽しみいただけましたら幸いでございます。  

21階では200人と200匹ほどの結婚式の参列者が揃って親しさを装った風に食事をしていたが、その風景はこの階段井戸レース開会式の模様と全く同じで、卓子と食器や参列者の顔ぶれも全く同じであった。しかし開会式と違うのは、インドの結婚式とはひたすら全員が歌い激しく踊る式であったので、激しい音楽が鳴りだすとレース参加者だけでなく結婚式参列者も激しく踊った。参列者以外にも、20人程の撮影クルーも30人程の給仕らも全員が音楽と共に狂ったように踊り続けた。新婦の小華が先頭となった列と新郎のロッキーが先頭になった列に分かれて踊った。次第に誰もが踊っていくうちに、踊りと歌だけのことを考えるようになった。結局のところ、結婚式もレースと同じで30分間ダンス時間が続き、30分間音が止むと、全員が夢中で豪華なカレーとお茶とビールを体に注ぎ込んだ。

21階にいる全員が集まり、新郎新婦を中心にした記念写真を何枚も撮った。それからまた狂乱のダンス時間になり、誰もが何のために踊っているのかがわからなくなった時、肩を出した法衣をまとった僧侶がどこからか登場して、誓いの儀式が始まった。僧侶は神と参加者への長い挨拶の後、こう言った。「2つの体は1つの魂に」そして新郎と新婦の額に赤い印(ティーカ)とお米をつけた。次に新郎はこう言った。「いかなるときも喜びと平穏で満たされるよう」最後に新婦はこう言った。「いかなるときもわたしたち二つの体は一つの魂として存在することを誓います。」参列者たちの熱い歓声と真心のこもった拍手に包まれた。小華とロッキーはお互いにお米を食べさせ合った。さらにもう一度、新郎と新婦の列に分かれて猛烈な音量で踊ってようやく結婚式は終了した。結婚式の間集まりだした小華とロッキーへのご祝儀は、式が終了するときには100万元集まり、二人はこの一日で200万元稼いだ。しかし、本当に200万元を使うには、この階段井戸の中で使うか、失格せずに井戸の最深部に辿り着くしかなかった。

司会者が結婚式のお開きの挨拶をまた軽快に歌った。

皆様、本日は誠にありがとうございました。なお、新郎新婦、ならびにレース参加者がヘリの搭乗口で、皆様の見送りの準備をさせていただきます。お帰りの際は、手荷物などのお忘れ物のないように、搭乗口へお進みください。

あっという間に参列者はいなくなり、スタッフが結婚式の設営の撤去をしている。撮影クルーはまだ、参加者たちを撮影している。司会者は続けて歌う。

さて。わたしはこのパーティの後片付けの音が大好きだ。食器の音、布を畳む音。皿の上の食べ物は袋に入れられて何処かで何かの餌になる。酒は安い物と高い物が区別され、それぞれの酒はこっそりそれぞれ別の場所で使われる。らしい。

司会者は白い手袋のまま、テーブルのグラスに残っていた何かの酒を一口、別のグラスの酒を一口、二口飲み干すと、また両手を胸の前で握り、腰を振りながら歌い続けた。

これは君たち人や動物の体も、そういうことなんじゃないか。あのパンダが最後に話していたことは、私は完全には理解できないが、だいたい正しい。かもしれない。さて、私と君たちが会うのはこれが最後になると思う。まだレースを続けてくれるかな?そう。続けてくれるなら、私から皆さんへ最後のプレゼントをあげよう。

司会者は嬉しくてたまらない笑顔で全身を震わせながら、参加者を壁際へ来るように誘った。彼が自分だけの操作盤を表示させて操作すると、壁の一部が開いて小部屋が現れる。彼は自分でその中に入ると、手招きして全員を中に入れた。全員が入った途端に扉が閉まると、小部屋が小さな唸り音を上げて動き出した。かなり長い時間にも思える間、中央に立った司会者以外皆、存在しないフロア表示の文字を探してじっと上部を見つめていた。小部屋が止まると同時に扉が開き、無数の階段と何層にも床が続く空間が広がっていた。空間には光が灯っているが床も壁も濃い灰色をしていて所どころに黒い塊が動いている。それは、20階でクリシュナを襲った虫だった。その黒い虫は10cm程で芋虫のような形状をして足が左右に8本ずつあり、幾つもの足で道具を持ち、数百匹が固まって移動しながら階段や床を増設していた。

「それは生物じゃないよ」まだ小部屋に乗っている司会者はいつのまにか、全身黒い服装をしていた。「生き物を維持するのは費用がかかりすぎる」「ここは何階なんだ?」「何階なんて、意味があるのかい?ただ、さっきまでいた20階は、たぶんここからは見えない。中央の地上への吹き抜け50×50mに小さくなっているから、昼のわずかな時間は陽の光も反射されるかもしれない。でも肝心なことは、天井は太陽に繋がっているし、その真下には君たちのゴールがあるってことだろ。ところで、君たちは本当に皆、まだ下に向かうのかい?」キツネとペアの若い男は手をつないだまま、司会者が乗っている小部屋に入る。皆周りの反応を見て迷っている様子を見せる。「ここまでだね。皆さんと会えて、楽しかったよ。じゃあ、さようなら」司会者の男は笑顔で手を振ると扉が閉まる。すると、そこは扉の跡形もない周りと同じ壁となった。

レース開始35時間55分経過 参加者5人と5匹

DJのヨシミが入れ墨だらけの腕で、マッチでマルボロに火をつけた。

狭いラジオブースの卓子の上には階段井戸にあった食事と酒が置かれていて、瓶からドン・ペリニヨンをマグカップへ注ぐ。ヘレン・メリルの「You’d Be So Nice To Come Home To」をバックに中国語ラップで今日一日の状況を歌う。

ラジオを聴きながら愛し合う恋人たち、に憧れて一人で机に向かって試験勉強をしている君たち、をこっそり応援しているお母さんたち、のために残業して帰って来たあとに家族のご飯をつくるお父さん、のために毎日お父さんが帰ると玄関で飛びついて歓迎する飼い犬のボブ、みんな今日も聞いてくれてありがとう。二日目は、階段井戸レースじゃなくて階段井戸結婚式かよ。暗い場所で結婚すると新郎は早死にするって言うけど大丈夫かな。はい、たった今、昨日は今日に殺されました。うっ。結婚式で使ったドン・ペリニヨンって、マグカップで飲むとカジュアル感が増してやけに美味い。ちなみに、このマグカップと俺の着ているTシャツはお揃いのデザイン。ラジオを聴いているみんながリクエストや手紙を書いて送ってくれれば、「復活の呪文が違います」Tシャツとマグカップを抽選で送る。こんな感じの。

「復活の呪文は間違えるな。はい、CMどうぞ」

小華はまた寝入っているロッキーの首にあるジャックへ、自分のコードの先を入れて、二人の夢をシンクロさせて一緒に見る。

北極は冬で太陽が全く出ていない。シロクマのロッキーは、トボトボとあるいている。その後ろをシロクマの小華が歩いている。ロッキーの歩みは次第にゆっくりとなり、遂に止まってしまい、身体を丸めるようにして倒れる。心配で駈け寄るシロクマの小華。ロッキーは、声を振り絞るようにして言う。「俺はもうだめかもしれない。俺のことはいいから、先に行ってくれ」「はあ?何言ってるの。あんたが死んだら、わたしも一緒に失格じゃん。ダメじゃん。ちょっと起きて」

天井から吹き抜けになっている空間に今日も大量の蝙蝠たちが羽音をたてながら、舞い降りてきていた。このフロアにもある水回りの設備を使って朝の支度をしている者たちも、小華が体を丸めて寝ているシロクマのロッキーの背をずっと撫でているのに気づいて、人が集まって来た。「彼は具合が悪いの?」「動かないの」「死んだの?」近くに飛んでいた、ドローンがシロクマの体をスキャンする。ドローンの音声が伝える。「死亡が確認されましたので、小華、ロッキー組はここで失格となりました」小華は、顔をロッキーの背に埋めて、泣き続けている。

レース開始45時間30分経過 参加者4人と4匹

遺体を収納するドローンが到着して、ロッキーを袋に入れる。次に小華の体を持ち上げるために拘束しようとしたところで、小華はドローンに向かって言った。「まって、わたしは一人じゃない」ドローンの動きが止まる。「スキャンしてみて、わたしの体を。ロッキーの子供がいるの。わたしと、ロッキーの遺伝子を持った子供とで、一緒にレースを続ける」ドローンは小華の体をスキャンする。

DJブースにいるヨシミが小華の体が妊娠をしているというデータを受け取る。「那是耍小花招。茶番だね。OK、続けさせて」

ドローンは、小華の拘束を解き、現状報告を修正した。

レース開始45時間33分経過 参加者5人と4匹

ロッキーを入れた袋だけが、上空にヘリで持ち運び去られる。吹き抜けの端まで出て、小華はロッキーが見えなくなるまで、いつまでも上を見続けていた。

12時になり、最初のミュージカルタイムになるが、小華は元気が無く、殆ど動きがとまりそうになるところを、水牛のレイチェルが手を取り、レイチェルのパートナの痩せた大男も小華の背を抱いて、三人で抱き合うようにして30分間を歌い踊った。13時になっても元気の出ない小華のため羊のボブがリズムに合わせて小華の体を突いてなんとか30分間躍らせた。14時になっても元気のない小華のために虎のホレスは自分の背に小華を乗せて激しく階段を降りながら30分間を躍らせた。15時になっても元気のない小華にライオンの恵子が近づいたが、小華は助けを断って一人で踊りきれた。16時になると、どのグループの誰よりも元気が出て、声を張り上げ、激しく一人で踊った。17時になると、腕で自分の体を強く叩くリズムをとりながら、激しく歌い続けた。

ケンとメリーは友達で ジャックとベティは友達だった

ケンはジャックを好きになり、メリーはベティを好きになったが

ジャックはメリーが好きで、ベティはケンが好きだったので

ケンはメリーを銃で撃って ジャックはケンを銃で撃って 

ベティはジャックを銃で撃って

ベティは自分で自分の頭を撃ちぬいた-

The wheel of fortune keeps turning round

I should have known it was a one knacker

踊っている間に何度も機械の黒い虫たちとすれ違ったが、虫たちはこちらを攻撃することはなく、階段や床を増殖していた。17時30分で最後のミュージカルタイムが終了すると途端に誰もが床に手をつくほど、疲れ切っていた。

三日目は朝から小華の動きを中心に配信され、「階段井戸レースで結婚をして子供を授かった足の悪いダンサー小華」という紹介も広がり、さらに小華への寄付金は増えて行った。小華は集まった約300万元を全て使って‎淘宝网で購入ボタンをクリックした。淘宝网の画面では、しばらく準備中であったが、本日配達OKとなり、さらに小華が注文を出すと、本日中に対応可能となった。

夕食が終わる頃になると、また下から龍のような形を作って、蝙蝠たちが地上を目指して飛び上がって行った。小華が皆に地上へ吹き抜けになっている淵に立って、みんなに向かって声を張り上げる。「みんな。今日は、わたしを助けてくれて本当にありがとう。それから、今晩は、わたしの一日だけの旦那さんのお葬式をさせてください」みんなは、小華に向かって立ち上がり始める。

DJのヨシミがマグカップでKingfisherビールを飲みながら、歌わずに話し出す。

「さっそく、リクエストの手紙を送ってくれて、ありがとう、リクエストの曲は、《Bill Evans のYou Must Believe In Spring》」音楽が流れる中、葉書を読みだす。『こんにちは、ヨシミさん。わたしは今日も戦場にいます。ヨシミさんが思う、嫌な死に方ってありますか?戦場にはいろいろな死に方があるけど、映画で見た、周りに誰もいない砂漠で地雷に片足を踏んでしまって、動けなくなる奴。あんなのはさ、踏んだ足をすぐ離せばいいだけですよね。すぐ死ねばいいだけですよね。もう、戦場にいるとさ、ゆっくり考えるのが面倒になるじゃないですか。わたしが嫌な死に方は、沈んでゆくしかない潜水艦に乗って、10人くらいの乗組員と、ああゆっくり死ぬしかないねえ。って長い時間酸素が切れるまで見つめ合うしかないのが嫌だなっ。それだけは嫌だなって子供の頃から心配していました。ところで今日、わたしの大切な人が死にました。マジ死にました。でも正直知り合ったばかりなので、わたしもどう按排つけたらいいのかわからなくて。知り合ってたかだか、2,3日の人に対して、“人生で一番大切な人”なんて言うの、おこがましくないですか?絶対おこがましいはずなんですよ。それでも、そこらへんを按排つけさせてくれないですか、ヨシミさん。もしかしたら、わたしが戦っている相手っていうのは、ヨシミさんなのかもしれないですけど。大切な人が死んだとき、いったいどうしたらいいのですか?』はい。今日はこういう手紙をもらいました、と。どうもありがとう。死ぬことが珍しくなった今だから。いい質問だね。俺はもちろんいろんな神様に祈るよ。でも神様から、何て言われるのかもわかっている。あいつらはどうせ、『復活の呪文が違います』って言うだけだ。はい、CMどうぞ。」

階段井戸では、地上から大きな光の玉と、爆音が降りてきた。床にいた虫たちは壁際に急いで移動し始めた。ロッキーの仕事であった花火が地上から絶え間なく、階段井戸の地下へ向けて打ち上げられて来た。1970年代のイギリスパンク、1980年代のアメリカパンクロックがかかり、音楽と同期させて無数の色をした光の華が舞うように咲き続けた。昼の光より強い1億発の花火は、吹き抜け部分を強烈なイルミネーションとさせた。その光と音で殆ど眠ることはできなかったが、誰もが文句を言わずに起きて花火を見ながら、何かを思い出そうとしていた。小華だけが吹き抜け部の淵にずっと立っていたが、服を全て脱いで裸になり、両手両足を広げ、光の玉に抱かれるようにして立った。鳴り響くパンクロックに合わせて歌いながら、いつまでも踊っていた。

四日目も同じ時間に同じようにレースは始まった。小華は「復活の呪文が違います」のTシャツを着て激しく踊り続けた。昨日の花火で全財産を使ってしまったが、また一日で100万元の寄付が集まった。日が経過するごとに、「階段井戸レースで結婚をして子供を授かった足の悪いダンサー小華」という情報は世界全土に広まっていった。中国では約100年間、花火が中止されていたのだ。多くの人が懐かしみ、初めて見る花火に驚き見惚れ、小華に感謝をし寄付も増え続けた。この日も小華は北極でシロクマとなって氷の上を走る夢も見たかったが、もうそれは叶わなかった。

一週間が経過すると、水牛のレイチェルが、身体が重すぎてもう階段を降りられないと棄権をした。小華だけは元気で寄付金も増え続けたが、他の誰もが疲れ、不安になってきていた。このレースは本当にゴールがあるのだろうかと。

レース開始一週間経過 参加者4人と3匹

一か月が経過すると、羊のボブがもう蹄が割れて、「もう歩けない」と泣きだして棄権をした。これで残っているのは虎のペアとライオンのペアと小華と彼女のお腹の子供だけになった。また最初の頃は24時間生配信であったレースの模様は、一日30分間のダイジェストとなった。それでも同じ曲が使われ、殆ど同じような風景の階段を踊りながら降りていく様子は飽き始められていた。ただ熱心なマニアからの寄付は少しずつ増えて行き、参加者は皆、階段井戸でほしい物を何もかも注文し続けた。階段井戸の最深部に辿り着けるとは、小華と小華のお腹の中の子供以外は誰も思えなかった。

レース開始1ヶ月経過 参加者3人と2匹

一年が経過し、小華に子供が生まれた。シロクマとの子供は、全身が透明な毛で覆われ、顔は人間味が多少感じられるが、どうみてもシロクマの顔であった。生まれてすぐに四つ足で歩く息子であったが、二か月が経過するこの頃になると、二足歩行ができるようになった。小華は寄付金から中国語教材を注文し、毎日熱心に息子に中国語を教えていた。

インドライオンの恵子は調子が悪い日が続いていたが、ついにニルヴァーナの で全身を激しく動かしている最中に倒れてしまった。Hello hello hello how low が、彼女の最後の言葉だった。レースに残っているのは、小華と息子と虎のホレスと黒い肌のグロリアペアだけになった。二組は協力して、階段井戸をゆっくりと降っていった。

レース開始1年経過 参加者2人と1匹とあいの子1

  地上では100メートル四方あった、吹き抜け部は次第に狭くなり、小華たちが歩いている階段では5m四方ほどに小さくなっていた。昼に上を見あげれば、遥か遠方に空の青を窺うことができたが、下を見ても、そこには静かな暗闇があるだけだった。もう既に蝙蝠たちの移動が見えなくなっていたので、蝙蝠たちの巣を通り過ぎてしまったのか、あるいは彼らもここへ寄らなくなったのかもしれない。

機械虫たちには、よく出会い、彼らは休みもなく働いている。小華たちが30分ごとに休憩を入れている間は、特に自分たちの働きぶりを見せつけるようかのように動き回って階段や床を作り替えていた。

小華の息子の名前は映画ロッキーの息子の名前からつけようとしたが、名前が思い出せなく、どれだけ検索しても探せなかったので、同じロッキーという名前をつけた。子供ロッキーは熱血指導の成果も現れ、一歳と数か月で美しい中国語を話せるようになっていた。ついでに虎のホレスへも皆で中国語特訓を行ったが、そり舌音やeの発音に難があるものの、なんとか推測して言いたいことを理解してもらえるところまでは成長した。ロッキーがもうすぐ10歳になるので、彼らは誕生日会をどうしようかと、休み時間に楽し気に話し合った。

どれだけ深く潜ってきたのかはわからないが、ドローンからは相変わらず昼の6時間は30分ごとに音楽が流れ続け、二人と一匹とあいの子は、踊り続けるのが日課だった。歌う音楽はリクエストも出来たので、それぞれが好きな音楽をリクエストした。小華は、やはりパンクロックを選び、虎のホレスは、2010年代の黒人ラップを、黒人のグロリアは、2030年代の中国ラップをリクエストし、ロッキーは1960年、70年代の日本昭和歌謡曲をよくリクエストしては、楽し気に踊った。何年も歌い踊り続けていると、どんな音楽の歌詞にも出てくる、愛や生や死や殺し合いや平和について、言葉の意味がよくわかる気になった。曲と詩を書いた人たちより、自分たちの方が言葉の意味がよくわかっている気にすらなった。

また、よく彼らは淘宝网で理論物理学の書籍を注文しては勉強会を開いた。ロッキーの考えでは、紅牛グループがこの実験で行おうとしているのは、粒子加速器を使って「ベビーユニバース」を作ろうとしているだろうということだ。宇宙論とインド哲学的世界観を語るロッキーの眼は輝き、「階段井戸で生まれたぼくは、必ず階段井戸の底を外すんだ」が彼の口癖だった。小華は量子重力という数学的真理に数多のインド神話の共通点を見つけ、宇宙、量子に人の心を重ねた量子重力理論の世界観を語った。簡単に言うとこういうことだ。「特異点へ行けば、必ず神に会える」

この日の4時からの30分間の音楽は、ロッキーのリクエストしたちあきなおみ、いしだあゆみ、平山美紀らの歌で踊り、皆で最後に 

悲しい出来事が起こらないように

祈りの気持ちをこめて見つめ合う二人を

朝の冷たい海は鏡のようにうつしていた

朝の冷たい海は恋の終わりを知っていた

I love you so mauch darling but we’re part now goodbye!

で、数百回目のお揃いの決めポーズをとった。

この時代の日本昭和歌謡曲がどれだけロックであったのかを話していると、いつも見ている機械虫とは違う、大きな八本脚の虫が床を滑るようにして移動しているのを見つけた。蜘蛛のように見えたその虫が行く先を追うと、そこには赤い蜘蛛の巣が美しく張り巡らされていた。それは奇妙に美しい糸で、まわりの建築物と、いくつかの卓子、椅子、船のような乗り物、書籍に蜘蛛の巣が美しく纏わりついていた。その蜘蛛の巣に纏われた家具の奥には、白く光に纏われた糸の中に、パンダがいるように見えた。近くまで寄ってもそこにいるのか、はっきりはわからなかったがクリシュナの声が聞こえた。「これはわたしの実態ではありませんが、あなたたちをいつも見ていることと、この蜘蛛の巣について教えに来ました。階段井戸の機械虫がいる階には全て蜘蛛の透明な巣が張られていて、機械虫とその虫が持つ用具を捉えて、ここまで運んでくるのです。機械虫とその用具はここで解体され、プリンタから新しい機械を製造することに使用できます。」「あと、どのくらいで最深部までたどりつけるのですか?」「それは、わたしにもわからないのです。もうすぐかもしれないし、思いのほか時間がかかるかもしれません。機械虫と蜘蛛たちと同じように、紅牛団とわたしたちも戦っているのです。ただ、あなたたちが、井戸の下へ辿り着くには、その体では難しいかもしれません。」「機械の体にするのは全然構わないよ」小華が乗り出してそう言った。「まだ今日が終わっていないので、踊ってきなさい。そして急ぎなさい、子供たちよ」

この日、五回目のミュージカルタイムでは、2020年代の中国語ラップを歌った。

タコが目の前を泳いでいった

片手でつかもうとしたら墨を吐いて逃げて行った

イカが目の前を泳いでいった

両手でつかもうとしたら墨を吐いて逃げて行った

自分の頭に銃を向けろ バンバンバン

おれ、パーティを始まるって聞いたんだ

おれ、タコとイカが好きでたまらないんだ

音楽が終わる同時に、どこからか低い音が聞こえ、大量の水が流れてきた。水は彼らを呑む込み、吹き抜け部まで勢いよく流れて行った。皆近くの柱にしがみついたが、虎のホレスが流されていくところを、グロリアが、必死に虎の腕をつかんでいた。「俺はもうだめだ、手を放して、お前だけは助かれ」ホレスは、自分で手を引き離すようにして、水の勢いのまま、虎の身体は吹き抜け部へと流れて行った。そのまま勢いよく流れていた水は、10分ほどしてようやく止まった。ホレス、グロリア組の失格をつげるドローンと、彼女を拘束して持ち上げようとするドローンをグロリアはつかんで、床に放り投げた。壊れ散った機械を何度も強く踏みつけた。そして、吹き抜け部に向かうと、小華とロッキーを一度だけ振り返って軽く手を振ると、井戸の底へ向かって飛び込んだ。

レース開始10年経過 参加者1人とあいの子1

それからまた10年が経過した。ドローンは相変わらず年を取った小華とシロクマのロッキーを追い続け、昼は30分に一度のロックンロールが流れ続け、夜になるDJのヨシミがJazを流し続けた。

20回目の誕生日を、ロッキーは殆ど変わらない景色の中で迎えた。10本の蝋燭がついたケーキを食べた後、ロッキーはすぐに寝息を立てて眠りについた。ヨシミは自分の胸元からケーブルを引っ張り、ロッキーに首の後ろの毛をまさぐり、ひとつのジャックに自分のケーブルを差し込む。操作盤から、簡単なコードを入力して、シロクマの横に抱かれるようにして休んだ。

北極の氷上を歩くシロクマのロッキーと少し離れた氷の上を歩いているシロクマの小華。夏の北極は、至る所で氷が溶けだし、ひとつの氷の上を歩いては、別の氷に飛び乗る。行先に向かうために、どの氷に飛び乗ればいいのかを迷っているロッキーを離れたところから、ついて歩く小華。ようやく小島のような大きな氷に飛び乗ると、ロッキーは歩く速度をあげる。後ろからついていた小華も、同じ氷の上に乗って、歩く速度を上げる。次第にロッキーが走り出し、後ろの小華も懸命にそして嬉しそうに走り出した。ロッキーは立ち止まって後ろを振り向くと、後ろからそのまま勢いよく走って来た小華に押され、海の中に落ちる。小華も海に飛び込む。二匹は水の中で一瞬だけ見つめ合い、また泳ぎ出すロッキーの後を小華が泳いでついていく。ロッキーがまた氷の上に飛び上がって走り出す後ろを小華はぴったりついて走る。小華からロッキーの背に飛び乗ると、ロッキーが小華を放り投げ、小華が仰向けになったところに飛び乗る。二匹は、氷の上で戦っているようにじゃれ合った。

階段井戸に張られたテントの中で寝ついた時と全く同じ姿で老熊となったシロクマの腹に背中をつけて丸くなって寝ている小華。

夏の浜辺、パラソルの下、ビーチチェアに座った人間のロッキーはサングラスをかけ、青島ビールを瓶のまま飲み干した。海辺に水着姿の小華が見える。小華が手で、こちらに来いと合図を送っているように見えた。ロッキーはビールとサングラスをテーブルに置き、立ち上がって考える。あの女は誰なのか。女はそのまま水に入って見えなくなった。ロッキーは、そのまま動かずに立っている。何か声に出そうとするが、言葉がでてこない。海を泳いでいる小華が見え、海からこちらに向かって走ってくる小華の笑顔を見ると、嬉しくなる。“我们又见面了”とロッキーは言った。

次の日の朝、ミュージカルタイムが始める前に、ロッキーは赤い蜘蛛の巣をみつけ、その奥にいるはずのパンダのクリシュナを探しだして、こう言った。「母さんは、最近同じ言葉を繰り返すようになって、いろいろなことを忘れはじめているんです。おまけに僕の体は、もうぼろぼろです。できるだけ機械に置き換えてください」「お母さんと、きみの体をそれなりに作り直すことは簡単だ。でもお母さんの心を元のように治すのは難しい」「なぜですか、僕が読んだところでは、心の働きこそ量子的な絡み合い状態を再現することで」「そうじゃない。お母さんの心は」パンダは少しだけ躊躇して言った。「ここにはいなくて、お父さんと一緒にいるからなんだ」

手術は2時間ほどかかり、新しい小華とシロクマの体は、階段井戸では不要と思われる美を削ぎ落した。外見はその殆どを直線部分で構成される体になり、また食事と排出も不要となり、定期的に蜘蛛の巣に来ることで動力源は補充可能となった。体についている性器も不要ではないかと考えたが、パンダクリシュナの趣味的審美眼から二つの女型と男型性器はしばらく残すこととした。

レース開始20年経過 参加者2体

それから70年が経過したが、まだドローンは二体を追って、30分に一回ごとのミュージカルタイムが繰り返されていた。二体の体も、階段の昇降で、二足歩行は非効率的だというロッキーの提案を受け入れ、8本足の節足動物のような形状となって、ここで顔と性器が無くなった。声は背中に発生器を作り、そこから今までと同じような音声を出すことが可能であった。手術の後、認知症が進んだように思っていた小華が、自分たちの姿を見て、後ろ足で立ち上がって、クリシュナを突き飛ばし、後ろ足でロッキーのことを蹴飛ばした。それから、前足で頬杖をつくように体を丸め、しばらく震えていた。泣いていたのかもしれないし、あるいはまた夫であったロッキーのことを考えていたのかもしれない。

ただ、また音楽がなりだすと、芋虫のような体で動かして、背中の発生部からいままでと同じように、1990年代の黒人ラップを見事に歌いこなした。1996年に銃弾に倒れた2PACのラップ

The power of a gun can kill, and the power of fire can burn

the power of wind can chill and the power of a mind can learn

the power of anger can rage inside until it tears u apart

but the power of a smile, especially yours can heal a frozen heart

を歌っているときに、階段井戸は大きく揺れ、音を出していたドローンは壁にぶつかって壊れた。二体とも、床につかまろうとするが、ロッキーは階段に沿って落ちて行ってしまった。そこかしこで、機械虫が啼いている声も聞こえた。大きな揺れはなかなか止まず、吹き抜けの部分には地上階近くにあった煉瓦の床や壁部が音を立てて落ちてくるのが見えた。ただ、いつまでたっても、下に落ちた衝突音は聞こえなかった。

30分ほどすると、揺れは収まり、時々上から建造物が落ちてくる音が聞こえる中、小華は、ロッキーが落ちた階段を降りて行った。50mほど下まで降りると、その階段の下に潰れているロッキーを発見した。小華は、触覚部をつかって、ロッキーの様子を探るが、脳部箇所は完全に破損してしまっていた。小華は日本の手足でロッキーを自分の体の上に乗せながら押さえ、残りの四本の足でゆっくり、階段を降りた。

DJのヨシミがいた部屋も跡形もなく崩れていたが、崩れた建物の壁の隙間からは、ヨシミの腕が「復活の呪文が違います」のマグカップをしっかり持っているのが見えた。ただ、その周りには動く物は一切なかった。

レース開始90年経過 参加者1体

小華がロッキーの体を背に乗せてから、10年が経過した。もう音を鳴らすドローンもなく、彼らの様子が撮影されることもなかったが、小華は、昼間の30分は自分で歌うのをやめなかった。夜もDJからのラジオ放送も無くなり、ロッキーの体にアクセスしても、同じ夢をみることはできなくなった。

ようやく赤い糸の蜘蛛の巣をみつけ、クリシュナへ、ロッキーの体の修復を依頼したが、不可能だと言われた。「その替わり、生前のロッキーと君の性器と顔は保管されているから、何か希望があれば、今の君の体に装着することなら出来ます」「じゃあ、ロッキーのペニスをわたしの中に挿入して。それから、わたしの体をもう少し、3メートルくらいの大きさにして、足をあと8本くらい増やして」「何故、そんなに大きくなりたいのですか」「よく、機械虫たちに襲われるから」「おかしいですね。機械虫たちは紅牛団の物だから、あなたには最深部まで辿りついてほしいはずなのに」「わたしはこう思う。地上では紅牛団も何もかもなくなって、もしかしたら、地球上の生物が滅んだ出来事が起きたのかもしれない。そして自由になった機械虫たちは、ただ階段井戸を造り続けていたいの。自分たちが、今は階段井戸の王様となって、永久に階段井戸の底には辿り着けないようにしたい。だから、今のわたしだけが、彼らの邪魔になっている」「わかりました。ではもっと丈夫な体にしましょう」「そして、後いったい、どのくらいで一番下にたどりつけるの?」答えが無いクリシュナに強く訊ねた「ここまで来たのと同じくらい?」「そのくらいかもしれません」

レース開始100年経過 参加者1体

 それからまた100年が経過した。その日は、吹き抜け部に雪が舞っているのが見えた。夏のインドではあるはずなのに、地球の傾きが変わってしまったのかもしれないと、小華は前脚で頬を擦りながら思った。蜘蛛の巣を見つける度に、クリシュナに会い、身体のメンテナンスを頼みながら、同じ質問をした。

「あとどのくらいで下までたどり着けるの?ここまでと同じくらい?」

「そのくらいかもしれません」

 それから200年が過ぎた時も同じ会話があり、それから400年が過ぎた時も同じ会話があり、それから800年過ぎた時も同じ会話があり、1600年が過ぎた時も同じ会話があった。レース開始後3200年が経過したところで、また一段と機械虫の襲撃を受けるようになっていた。そして、機械虫たちは階段を作るだけでなく、小華の歩みを止めるため、一部の階段を壊し続けていることもわかった。取り壊されたばかりの階段を不自然に小華は飛び降りてみると、その周辺を守っているかのような大量な機械虫たちに小華は囲まれて、巨大な黒い塊となってしまう。クリシュナが装備してくれた機能で、小華の表皮上に強電流を流すと、表面の虫だけは落ちるが、絶え間なく襲ってくる機械虫たちは増え続けた。他の階層からも飛ぶようにやってくる機械虫によって、小華の10メートルほどの高さのフロアは、殆どが機械虫で覆われた。補強された小華の体をそれでも大きな塊のまま、床を這って進んだ。少しずつ進んでいるうちに、小華は体の下に穴が開いているのを見つけると、そこへ頭から飛び込んだ。すると機械虫たちは穴の中に入って来られず、小華の体に付いた虫たちも動力が絶えたのか、動かなくなって、小華の体からバラバラと落ちて行った。

この階には灯りが無く、落ちてきた2m上の穴から微かな灯りがあるだけだった。今は壁際にいるので、壁伝いに動こうとすると、足に触れた床面だけが小さな唸り声をあげて光った。一歩一歩、進むと、1分程度で一周できてしまうような小さな部屋だった。数10メートルのフロアばかりの降っていたこともあり、2mの高さと、直径5m程の小さな部屋が異常に思えた。体長3メートルの小華はまた壁から内側を歩き、また内側を歩くと、部屋の床全てを照らすことができた。壁には上からの配管がここまで通っていて、部屋の床はヤントラの模様で出来ていた。

また中央には既にパンダのクリシュナが立っていた。

「最初からここを知ってたの?」

「わたしは、あなたたちを見ているだけです。ゴールで来る人を待つのがわたしの仕事です。こんにちは。ここが全てのゴールです」

小華が中央に頭の部分を近づけて、触覚部分を最深部の中央に触れると、床は静かに落ちて行った。またそこも、暗闇が広がっていて、何もみえなかった。すると、床板は一枚だけでなく、中央を起点に外側に皮が向かれるように、引き剥がれて行った。壁が崩れ、階段井戸全体も崩れ、周りの森林もその周りの山も海も、地球が外側に剥かれていった。小華の周りから壁が無くなり、足元の床も無くなると、暗闇だけでなく、闇の中に星々の煌めきが見えた。地面がぐるりと向きを変えると、小華は恒星たちが周りを光の線となって飛び去るほどの速度で飛ばされた。速度が緩まると、闇の中に青い球状の物体が見えた。小華は音楽が聞こえた。「こんにちは、ロックンロールの時間です」小華は、16本の足で宙に向かってステップを踏み、ロックンロールを歌った。それは小華が階段井戸レースのオーディションで歌った曲だった。次第に青い星が大きく近づいてきた。

1、2、3、周り続けろ

お前のロックを 絶対やめるな

1、2、3、途中でやめるな

おまえのロックで 地球に飛び込め

1、2、3、周り続けろ

 

 

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