夕焼けバニーホップ

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梗 概

夕焼けバニーホップ

 天使たちの世界はつまらない。荒廃した未来、あるいは何物も生まれ出てこない世界、そういう世界に天使たちはいた。そこにも神様は姿を見せて下さらないので、ただただ無為に時を過ごして、それはもう未来永劫ずっとそうなのだろうと、諦念というより悟りに近い思いで世界を眺めていた。
そこに一人の少女がぽつりと現れる。背格好からすると五歳くらいだろうか。まるで迷いネコが軒先にふらりと立ち寄るような気楽さで、例えば赤い岩肌の火星の平野のような場所をてくてくと歩いてくる。不安そうな表情もなく、物珍しそうに時折あたりを見回しながらこちらへやって来る。
天使AとBはそれを無言で見守った。確かに稀に人間たちがこの世界に紛れ込むことはある。どうやら天使の世界と人間のそれとは時空的に密接に縒り合さっているようで、お互いの世界の事象の混交は特筆するほど珍しいものではなかった。ただ今回のこの訪問の奇妙な点は、少女がまるでこの世界を知覚しているかのように思える点であった。本来なら少女は、暗闇の中に自分の意識だけが浮いているかのような、そんな感じでこの世界に定着するはずなのだ。あんな風に足元の小石を拾い上げてしばらく眺めた後、ふっと口づけて宙に抛るとそれが白い蝶になって飛んでいくなどという風にこの世界に存在するべきではない。
「見えてるな」
「微笑んでる」
 天使たちはどちらかと言えばむっつりと不機嫌そうな表情をしたお互いの姿を見つけた。幼児の身体の背中にはふかふかの純白の羽。頭部はくりくりの天然パーマで、顔はそれなりに酸いも甘いも嗜んだような中年男性の表情を浮かべている。どちらもお互いの顔を見て、そしてさらに渋い表情を付け加える。大体、今までは自分たちの姿など老若もまた美醜も取り立てて問題ではなく、また、一人であろうが二人であろうが、はたまた何十億の数であろうが気にもしてなかったし、そもそも意味がなかった。なぜなら今までここでは世界と天使は全くの等価だったからである。しかし今この現状、天使たちは、自分らが世界内存在となり、また同じような世界内存在=少女と対峙させられていることに気づく。もはや世界は我々を置き去りにして成層圏を越えて膨れ上がり、ここにいる二人の天使はその重力の井戸に囚われている。先ほどまでのつまらない全能感は消え、そして今感じているのは、ずいぶん昔、人間たちの世界へ赴いた時に感じたあの高揚感と似ていた。我々がいまここに存在しているのだから、絶対に神様もそばにいらっしゃるのだという確信。
「こんにちは」
 恍惚とした表情の天使たちは恍惚としたまま。
    少女はこほこほと2回咳払いして言った。
「迷子になったのはあたし? それともあなたたち?」

文字数:1120

内容に関するアピール

夕焼けは熱いと思いますし、バニーホップも熱いです。
天使と交わした約束が枷になり、三角関係がもつれます。

多分。

文字数:54

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夕焼けバニーホップ

 天使たちの世界はつまらない。
 人類滅亡後の荒廃した未来、あるいは何物も生まれ出てこない遠い遠い過去、そういう世界に天使たちはいた。結局そこにも神様は姿を見せて下さらないので、ただただ無為に時を過ごして、それはもう未来永劫ずっとそうなのだろうと、諦念というより悟りに近い思いで世界を眺めていた。
 そこに一人の少女がぽつりと現れる。
 背格好からすると五歳くらいだろうか。まるで迷いネコが軒先にふらりと立ち寄るような気楽さで、例えば赤い岩肌をした火星の原野のような場所をてくてくと歩いてくる。勿論、深い緑色をした海底を、たまに口元からこぽこぽと気泡を吐き出しながら泳いでくるのでもよいのだけれど、ともかく、不安そうな表情もなく、物珍しそうに時折あたりを見回しながら、実にのんびりとこちらへやって来る。
 天使AとBはそれを無言で見守った。
 というか、見守っている自分たちを意識した。Aはぱたぱたと羽ばたいて上空から、Bは竪琴をつま弾きながら。各々何となく個性など纏いながら。
 確かに稀に人間たちがこの世界に紛れ込むことはある。どうやら天使の世界と人間のそれとは時空的に密接に縒り合さっているようで、お互いの世界の事象の混交は特筆するほど珍しいものではなかった。ただ今回のこの訪問の奇妙な点は、少女がまるでこの世界を知覚しているかのように思える点であった。本来なら少女は、暗闇の中に自分の意識だけが浮いているかのような、そんな感じでこの世界に定着するはずなのだ。自身の身体を固着させたり、あんな風に足元の小石を拾い上げてしばらく眺めた後、ふっと口づけて宙に抛るとそれが白い蝶になって飛んでいくなどという風にこの世界に存在するべきではない。
「あれは完全に見えてるな」
「実に無邪気に笑ってる」
 天使たちはむっつりと不機嫌そうな表情をしたお互いの姿を見つけた。幼児のようなバランスをした身体の背中にはふかふかの純白の羽。頭部はくりくりの天然パーマで、顔はそれなりに酸いも甘いも嗜んだような中年男性の表情を浮かべている。顔を見合わせると、煙草の脂のようにべっとりとした渋い表情をさらに付け加える。大体、今までは自分たちの姿など老若もまた美醜も取り立てて問題ではなく、また、一人であろうが二人であろうが、はたまた何十億の数であろうが気にもしてなかったし、そもそも意味がなかった。なぜなら今までここでは世界と天使は全くの等価だったからである。しかし今この現状、天使たちは、自分らが世界内存在となり、また同じような世界内存在=少女と対峙させられていることに気づく。もはや世界は我々を置き去りにして成層圏を越えて膨れ上がり、ここにいる二人の天使はその重力の井戸に囚われている。先ほどまでのつまらない全能感は消え、そして今感じているのは、ずいぶん昔、人間たちの世界へ赴いた時に感じたあの高揚感と似ていた。善悪の戦い、その兵たる我々がいまここに存在しているのだから、絶対に神様もそばにいらっしゃるのだという確信。われ勝手に思う、ゆえに神あり。
「こんにちは」
 少女が最上級の微笑みを浮かべてあいさつする。スカートのすそを持ち上げ、軽くお辞儀。傾げた首筋は細く、キュッと上がった口角は空間に溶け込む猫のそれよりもシャープ。
 けれど恍惚とした表情の天使たちは恍惚としたまま遠くを見たまま、知らん顔のまま。
「やばい感ある」
「できればこのまま消えてほしい」
 天使たちの願いは神に届くのか、何よりもめんどくさそうなことの嫌いな二人は今、漠然とした不安にとらわれる。光があれば影があり、悪魔も神の刺身のつま。天使がより天使であるためには、悪魔の一人もいた方が面白かろう、そんなこと考えそうなお茶目な神様。
 目を合わせようともしない二人に向かって、少女はこほこほと2回咳払いして言った。
「迷子になったのはあたし? それともあなたたち?」

 クソだろ。
 レールオーバーさくって、突いた右の人差し指負傷なんてどんだけさみーんだよ、俺。周りの連中、でっかい声で笑いやがって、観光の奴らにマジ聞こえ、カッコわりーだろ、ったく。
 変な方に曲がった指、がっ、て戻して、でも間接んとこが紫に腫れだして、痛い顔なんてできねぇーし、チャリ引っ張って、
「病院行くわ」
ってエントランスパーク出た。後ろから冷やかす声が聞こえるが、そんなんどーでもいい。あいつらダチでもなんでもねぇ。
 パークの外のメガでっかい駐車場には、今日も観光バスが群れになってて、そっからぞろぞろ修学旅行のガキどもが出てくる。何が面白いのか、ギャーギャー騒ぎやがって、下らねぇったらねぇ。
 押すのもかったりーので左肩にBМXを背負う。病院までの距離、訳ねぇ。

 タクミは今日も休んでる。
 おかげで授業時間はとても静かだ。
 教師の単調な声、さらさらとペンの走る音。
 なんだかとっても眠たい。
 目を閉じるとそのまま溶け出してしまいそうになる。
 浸透圧。
 僕も世界も同じくらいに薄っぺらだ。
 このまま一つになってしまえばいいのに。
 窓の外、校庭を見下ろす。
 遠くにホイッスルの音が断続的に聞こえ、そのたびにスタートダッシュする授業風景。
透明なゼリーの中に閉じ込められたような遠い時間。
 ぽつんと一つだけ座る者のないタクミの席を、僕は見つめる。

 副木に包帯仕込まれて、剥離骨折だと。不便だけど、大したこたねぇ。それより親がうるさいから、夕食食ったら外に出る。
 たまにはのんびりクルージング、といってはみても、マニュアルやったりリアリフトやったり、退屈はしねぇ。そうやって街を流しても、地面がいいからやっぱりパークに集まる。
 いつもの顔がてんでにトリック決めて、こっちに気付くと声をかける。
「いいじゃん、その指。魔法の杖みてぇ」
「あんま無理すっと本物の杖突くようになんじゃね?」
「うるせーよ」
 手すりでペググラインド、さっきの失敗が一体何だったって感じ。キレッキレで我ながらビビる。バニーホップ、もっと高くもっと高く、一跳びごとに自分を越えていく感じ。
 噴水辺りまで軽く流す。人垣の向こう、ケニーの金髪が見える。口笛を吹いて手を振ると、こちらに気付いてニッと笑う。
 ま、こいつはダチって言ってもいいかな。

 口笛の音。
 タクミだ。
 上げた手に白く、多分包帯がまかれているのだろう、その指がまるでタクトの様に僕の気持ちを集中させる。顔が熱くなって、僕ははじけるように笑う。自覚している、はじける様に笑うんだ。
 まず、ベースライン、ループさせて、オブリ、重ねてメロディ、そしてソロ。一気に低音から高音まで駆け上がる細かいパッセージが今の想い、この夏の夜空に可視化された音符の様に響き渡る、音のない花火のように。

 ケニーとはガキの頃からの付き合い。両親とも科学者らしくて、本人も頭いいはずなのに、俺とおんなじ冴えねぇ高校に通っている。で、成績はトップクラスであの見た目だからもてねぇ訳がねぇ。
 軽く体を揺らしながらベースを弾いてる、そんな姿も嫌になるほど様になってて、ねたむ気持ちもなくなっちまうくらいカッコいい。

 あの時、タクミは僕の姿をまっすぐに見つめて、お前何だかかっこいいなと言った。プール? 渓谷? 水着姿だったはず、暑い夏の日、幼い日。
「ほんとほんと、かっこいいよね。神様の人形みたい」
って、あれ?
 誰が言ってたんだ?

 冷たい水が気持ちよくて、俺は川底まで潜って遊んでた。谷川だけど、ちょうどそこだけ流れが緩くなっていた。川幅も少し広くなっていて、その川岸でバーベキューをしてたのがケニーの家族だった。
 冷えた体を太陽で温めながら、怖がって川の中に入れないでいるケニーを見て、さみー奴だなと思ったのを覚えている。
「ほんとほんと、ちょっと減滅」
そういって、唇を尖らせたのは、一体、誰だ?

「迷子になったのはあたし? それともあなたたち?」

 俺たちが見失った。
 僕たちが迷ってる。
 迷子になっているのはこの世界の方だ。
 だからこうして、必死になって何かを探してる。探してるものが何なのかもわからないままに探している。
 暗闇の中、人垣が消え、タクミもケニーも消え、楽器もバイクも消え、ただ噴水だけ月の明かりを受け、いつまでも輝いている。

「で、どうするの?」
 声の方を向くとそこには誰もいなくて、天使たちですらもういない。

文字数:3403

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