熱湯の海亀

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梗 概

熱湯の海亀

 1989年。私は30歳で、そこそこ人気のある芸人だった。しかし将来への迷いを振り払えず、師匠の「ユークリッド幾田」に助言を求めることにした。そんな私に幾田は、彼が30歳のとき聞いたという彼の師匠「浅瀬平八郎」の体験談を話り始めるのだった。

 1941年の夏。私からすれば師匠の師匠である「浅瀬平八郎」は、銭湯で知り合った「矢島」という男から、奇妙なアルバイトに誘われた。
 仕事場所は、矢島の説明では『もう何日かすると、新聞に、全身火傷した死体が発見されたという記事が出る。記事にある住所の家の門を右に見ながら歩いて、坂道を下りきったところの左手にある屋敷』

 そこで何度か、熱い湯につかるのが、仕事なのだという。

 話半分に聞いてた浅瀬だったが、矢島が言ってた通りの記事が新聞に載ってるのを見て興味を掻き立てられ、仕事先の屋敷を探し出す。

 屋敷で浅瀬が見たのは、人が入れるくらいの大きさの透明な立方体と、その中央に浮かぶ海亀のような物体だった。

 屋敷には、銭湯で会った男「矢島」と、矢島に雇われた半裸の男たちがおり、男たちは順番で立方体に飛び込んでは、出てきてのたうちまわっている。

 立方体は、熱湯で出来ていた。

 そして海亀は、熱湯に浸かって5秒間耐えられた者に対して、イエスかノーで質問に答えてくれるのだという。

 男たちは科学者で、質問を重ねることにより、ある真実を確かめようとしていた。しかし火傷で脱落する者が多発したため、矢島が浅瀬のような「ある程度以上の知性を持ち、かつ熱い湯に耐えられそうな者」をスカウトしているのだった。

 浅瀬は、屋敷でアルバイトすることにする。

 海亀は、1910年以降に日本に出現し、屋敷ごと不定期に場所を移動している。屋敷も含めて誰の所有物かは分からないが、これまで利用を咎める者はいなかったという。

 海亀の居場所を探す方法を見つけたのは矢島の主人で、その主人によれば、海亀はハレー彗星が落としていったものであり、熱湯は海亀と会話するための道具らしい。そんな主人を矢島は遠回しに狂人と評している。

 しかし「狂人は時を超えて真実を見ている」と主人は語っており、矢島もまた、半ばそれを認めていた。

 アルバイトは2週間ほどで終わり、それ以降は屋敷のあった場所に行っても空き地になっていた。そして浅瀬は、新聞で火傷した死体の記事を見つけるたび、屋敷を探してその前まで行きはしたのだが、中に入ることは二度と無かった。

 半年ほどが経ち、太平洋戦争が始まると浅瀬は気付いた。矢島たちが確かめようとしていたのが、米国との戦争の勝敗と、それを終わらせる新型爆弾についてだったのだと。

 そういった体験談を、幾田は浅瀬から聞かされたのだという。そこで話は終わり、浅瀬の体験談にあった方法で幾田が屋敷を探したかどうかは、訊ねることが出来なかった。

 その後、私は浅瀬の体験談の方法で屋敷を探し当てる。屋敷には、話の通り海亀と立方体の熱湯があり、矢島の後継者と彼に雇われた半裸の男たちがいた。
 私は立方体の周囲に配置された簡易脱衣室や、身体を冷やす氷に心を動かされる。それは、師匠の幾田が30代の頃にテレビでヒットさせた企画「熱湯プロモーション」のセットとまったく同じだった。

 それを見て私は、幾田もまたこの屋敷を訪れたのだと確信する。気付くと私は半裸になり、立方体の熱湯へと飛び込んでいた。師匠たちが引き継いできた芸人としての繋がりを感じながら、これからも芸人として生きていくことを決意するのだった。

 そして平成が終わる頃、私もまた、将来に悩んでいるらしい自分の弟子に、その話を聞かせるのだった。

文字数:1499

内容に関するアピール

『熱さ』がテーマということで『海亀のスープ』と『熱湯風呂』を組み合わせた。また季節を夏にして『暑さ』。そして将来に迷ってる人間の、焦れるような気怠い熱っぽさを描けたらと思う。

 

登場する『海亀』に、登場人物である『矢島』の主人は量子コンピューターのようなものを想起するのだが、それは以下のようなセリフで表現される。

「『瘋癲は時を超える』というのが主人の持論でしてね。ああいった人たちというのは、場所や時間を超えた真実を見ているっていうんです。だから、癲狂院の患者をこう……ずらりと百人くらい並べて、それこそ人間がやったら千年はかかるような計算をやらせてみたら、一人くらいはアッという間に正解を出すんじゃないかって、そんなことを言ってるんですよ」

「その百人の瘋癲の、誰が正解を出したかは、どうやって見分けるんだい?」

「それはまた、誰かが考えるんでしょう」

 

重大な質問を『海亀』にしている時点で(『海亀』からの答えを信頼している時点で)、『矢島』の主人は正気ではないのだが、しかしそれで得た情報をどう扱うかについては、正常なロジックをもって判断しており、だから『海亀のスープ』的な質問を重ねて真相に到達する方法も発見することができた(矢島はまず太平洋戦争の勝敗を問い、更に詳細として米国の新型爆弾のサイズと重量、加えてそれを日本に投下する手段を米国が持ち得るかを質問するのだが、それは主人の思考を先取りしてのことである)。

 

同じように『海亀』を目にした芸人たちも、屋敷で観た光景は異常であるのに対し、そこから巡らせる考えは正常な論理、情緒にもとづいており、結果として『海亀』という宇宙的存在との邂逅を、芸人としての通過儀礼として師匠から弟子へと受け継いでいる。

 

『何を見てどう考えるかは個人の自由だ』というのを、テーマのひとつにしたい。

 

文字数:761

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