旅する猫耳娘と、詐欺する美青年の噺(はなし)

印刷

旅する猫耳娘と、詐欺する美青年の噺(はなし)

【序】
 ネルフィリアが、その宇宙商人を初めて目にしたのは、侍女と護衛を伴い、お忍びで城下の町を訪れた時だった。
 南広場に、数十人からなる人の輪が出来ており、その中心で金髪の青年が口上を述べていた。
 青年の整った……美しいと言っても良い顔貌を一瞥するや、ネルフィリアは彼の挙動から目が離せなくなった。
 彼の正面には簡易なテーブルが置かれ、その卓上には雑多な品々が並べられている。青年はそれらをしなやかな手つきで、取り上げては《共通語》で説明を加えていく。
 ……三重太陽の下で育てられた果実を原料にしたワイン、海洋惑星の希少な海藻から作られた化粧水、『ホログラフィ』なる立体的な画像を投影できる腕輪……。
 青年が、よく通る声で説明する度に、周りの人々から感嘆の声が上がる。
 いずれも《連合》では普通に流通している品なのだろう。

幼い頃よりネルフィリアは、貴族たちや商家から献上される(この惑星イスルーでの)最新の技術で作られた工芸品や最上の農作物や醸造品などに接している。
 だが青年が紹介する魅力的な品々の前では、彼女がこれまでに接してきた献上品など、まるでガラクタに思えた。
青年を囲みながら、その口上に耳を傾けている町民如きの懐具合では、もちろん彼が紹介する品々の対価を払えるわけがない。
 それはこんな辺境惑星くんだりまで、わざわざやって来た青年自身も承知のことだろう。自分が扱う商品が町民たちの間で噂となり、貴族や金持ち、やがては王族の耳に入るのを期待しているに違いない。
 ネルフィリアが目にした時点で、彼の望みは既に叶えられているとも言える。

一通りの商品紹介を終えると、青年はテーブルを畳み、商品共々、車輪付きの大きな鞄にしまっていく。
 楽しい見世物は終わりとばかりに、町民たちも三々五々、散っていく。
 ネルフィリアは、傍らの侍女の頭頂部にある猫耳に、口を寄せる。
 数瞬後、主人の意を汲んだ侍女は、片付け中の青年へと歩み寄っていった。

【1】
 開いた窓から、夜闇に沈む森に棲むホウガイ鳥の鳴き声が、微かに聞こえてくる。
 高級宿屋の《饗応亭》。その二階の一室で、ベッドに身を預けながら、ネオは情事の余韻に浸っていた。数刻前、ネオと睦み合ったシズカの香気は薄れているはずだが、窓を開け放ち、念を入れて香を焚いている。
 間もなく、ここへ忍んでくるはずのカオルがドアをノックしたら、窓を閉めればいいだろう。

ネオが、《連合(=汎銀河連合)》に属さない辺境宙域の惑星テンガイに降りてから、《連合》標準歴で早3ヶ月余り。
 その間に、宇宙商人であるネオは、自船で持ち込んだ《連合》の商品による商談を持ちかけ、この星一番の豪商であるナタヲ家と懇意になっていた。
 商談と並行し、ネオは巧みな弁舌と美貌を駆使して、当主フミアキ伯の妻シズカとその一人娘カヲルとを籠絡し、《饗応亭》で既に何度も逢瀬を重ねていた。
 母も娘も、ネオの心を掴んでいるのは「自分だけだ」と信じ込んでいる。無論「手に手を取ってテンガイから逃げよう」と惑星外への駆け落ちを、ネオが己以外に持ちかけているなぞ、知るよしもない。
 あとは「二人の新生活を始めるのには、とかく金がかかる」と母娘それぞれに言い含めて、ナタヲ家からめぼしい金品を持ち出させる。それらを受け取り次第、この惑星からドロン! その後、ナタヲ家に、または母娘の間に、どんな修羅場が出現しようと、ネオの関知する処ではない。
 そんなネオの思考を断ち切ったのは、控え目に扉を叩くノックの音だった。
 カヲルだろう。ネオはベッドから飛び降りると、扉に向かった。

【2】
 ネオが廊下に向かって扉を開くと、沈痛な表情のカヲルが眼前に立っていた。右頬が腫れあがり、髪の一房と見まがう触手が、失意の彼女を象徴するように、力なく垂れ下がっている。
 カヲルの隣では、数刻前までネオとベッドを共にしていたシズカが、恨みと怒りの入り交じった視線で、彼を睨みつけてくる。右頬はカヲルと同じく赤く腫れている。触手は内心の動揺を反映するかのように激しく上下動している。
 母娘の後ろでは、小太りの男が腕を組んでいた。
「フミアキ伯……」 
「ネオさん、妻と娘が貴方に、大変にお世話になったようで……」 
 口調こそ穏やかだが、その声音には憤怒の色が濃い。
「あははは……」
 ネオの喉から知らず、乾いた笑いが漏れる。
 それから後退(あとずさ)ると、ネオは扉を閉め、ガチャリと錠前を下ろす。
 ベッド脇のテーブルから、リュックを取り上げると、素早く背負い、開け放たれた窓の窓枠に足をかけ、外へと身を乗り出した時。轟音と共に、木製の扉が室内へ向かって、二つ折りになりながら砕け散った。
 驚いたネオが振り向くと、重厚な鎧に身を包んだ大柄な兵士が一人、室内へ踏み込んできた。両手には破砕槌が握られたままだ。
 その兵の巨体を迂回して、フミアキ伯の私兵たちが鎧の音を響かせながら、室内へなだれ込んでくるが、ネオはそれを最後まで見届けるような愚は犯さない。
 二階の窓から身を投じると、地面へと着地。夜闇の中、すかさず森へ向かって、全力で駆け出した。
「森へ逃げたぞ、追えっ!」「鎧を脱ぐんだ!」
 兵たちの怒声が錯綜しながら、ネオのいた部屋の方から聞こえてくる。
 重い鎧をまとったままで、身軽なネオのように窓から飛び降りるわけにはいくまい。鎧の脱着には少々、時間を要する筈。
『こんな星からはさっさとオサラバだ』
 昏い森の中で転ばぬよう、足取りに細心の注意を払いながらネオは独りごちた。

【3】
 茂みに身を潜めながら、ネオは焦燥感に襲われていた。
『夜の森を舐めてたな……』 
 闇深き森の道なき道を進む内に、方向感覚が狂い、ネオは自分が今、森のどの辺りにいるのか、どちらへ向かえばいいのか、完全に分からなくなっていた。
 空には厚い雲が立ちこめており、月や星を頼りに方角を確認することもできない。
 彼を捜索する複数の兵たちの声が、時には近くに、時には遠くに聞こえてくる。
 森を抜けた湖の底に、ネオが沈めた小型シャトルがある。それに乗り込まなければ、テンガイの衛星軌道を、現在周回中の《正直者号》には帰り着けない。だが目下、湖に近づいているのか、遠ざかっているのか、それすらネオには分からない。

その時、ネオの背後で、ガサッと草を踏む音がした。
 兵に見つかったか、と身構えながら振り返ったネオの視線の先に、茶色のフードをすっぽりと被った人物が立っていた。フードに加えて夜闇のせいで、顔は判然としない。身長はネオより頭一つ分は低い。
 フードの人物は両手を挙げ、害意がないことをネオに示してから、「付いて来い」とばかりに森の一点を指し示すと、奥へと歩き出した。
『どうせ、手詰まりだったんだ。いちかばちか、こいつに賭けてみるか……』
 ネオは、フードの人物の後を追った。

【4】
 フードの人物は、夜なお濃い森の中で、一度も進路に迷う様子も見せず、ネオのように地面の陥没や倒木など、天然の障害物に足を取られることも一切ないまま、まさに最短コースを選んで、ネオを湖まで導いた。
 フードの人物は暗闇を全く問題としていないようだ。かといって、フードの膨らみから判断するに、暗視スコープの類いを付けている風でもない。よほど夜目が利くのか?

湖畔でネオは腕に巻いたバンドを操作し、湖底のシャトルに浮上命令を送った。数分後、湖の中央に、銀白色の小型シャトルが浮かび上り、ネオの待つ岸へと、ゆっくりと回航してくる。
「助かったよ。自己紹介がまだだったよな。俺はネオ。自前の宇宙船に乗って、商いをしてる」
 ネオは、岩に腰掛けた命の恩人へ声をかけた。フードの人物は立ち上がると、両手でゆっくりとフードを降ろす。
 十代後半と思われる少女だった。茶色の髪は肩で切り揃えられており、頭頂の左右では、今までフードに押さえつけられていた猫の耳がピョコンと立ち上がる。
 十分、美人といって良い、整った顔の中で、アーモンド型の瞳が輝いてる。
「お礼ならいいよ」
 活力に満ちた声で、少女は言った。
「だって、あんたが二股かけて悪さしてるのを、あの伯爵様だか、侯爵様に密告したの、ウチだもん」
「なっ……!」
 驚きの余り、二の句を継げなくなったネオを尻目に、少女は懐ろから、ピストルを取り出すと、上空へ向かって引き金を引いた。
 ヒューという風切り音の後、夜空に光の華が咲く。照明弾だ。
 突如、明るくなった空に驚いてる複数の声が、森の方角から聞こえる。この湖畔に殺気だった兵達が殺到してくるまでに、それほどの時間は残されていないだろう。
「あなたのやり口はママからよく聞かされてたから……。先回りして手を打つなんて、簡単、簡単」
 少女は首から提げたロケットを開くと、ネオの眼前に突きつけた。
 そこには、少女と同じく猫耳の若い女性の写真が入っていた。豪奢な装身具と服装が、彼女がやんごとなき身分だと示唆している。
 ネオの記憶の扉が開きかける。
「ネリ……フィル? ネリファル……姫?」 
「ネルフィリア! イスルー王家第二王女のネルフィリア! あんたが手玉に取ってきた大勢の女性の中の一人……。で、ウチのママ!」
 興奮気味にネオに向かって叫んだ後、少女は一度、深呼吸。それから妙に明るい声で、
「初めまして、パパ。娘のミアです」
 そう言うや、芝居がかった動作で、ネオに一礼した。

【5】
 頭上に照明弾が輝く中、「娘だ」と名乗った猫耳の少女に、ネオは即座に反論した。
「待てよ! お前の母親……ネリフィルネ……と、ベッドを共にしたのは認める。認めるが、《標準歴》でせいぜい1、2年前だぞ! あの時、妊娠したとしても、お前の歳じゃ計算が合わない!」
「ネルフィリアね。ウチの年齢ならご心配なく……」
 ミアは艶然と微笑み、こう告げた。
「ウチ、未来から来たので」
ミアの言葉の意味を、ネオの脳が理解する前に、
「こっちだ!」「湖の方だ!」「誰かいるぞ!」
 と鋭い声が、ネオの耳朶を打つ。声のした方角では複数の黒い影が蠢いている。
「さっさと逃げた方がいいと思うよ、パパ。積もる話は後にしよっ!」
 接岸するや、自動的に開いたシャトルの搭乗口に、既に半身を入れながら、ミアが叫ぶ。
 今、ここで口論している暇はない、とネオも判断した。幸いにも、あるいは不幸にもシャトルは2人乗りだった。
 ミアに続いて、シャトルに乗り込んだネオは、操縦席に腰を降ろすと、操縦桿を握った。

【6】
 宇宙船・《正直者号》は緩やかな加速で、惑星テンガイの重力圏から離脱しつつあった。
 テンガイの技術水準では有人宇宙船どころか、小型の人工衛星を軌道に投入することすら不可能だ。フミアキ伯の追跡の手が、宇宙にまで及ぶことはないだろう。
 とはいえワープ航法の準備が整い次第、ネオはこの恒星系から離れるつもりだった。
「河岸を変えて、さっさと厄を落とすに限る……」
 船橋のシートに身を置きながら、ネオは呟いた。自動ドアの開閉音が、ネオの背後で響き、続いて、
「ねぇ、パパ、シャワーのお湯、出ないんだけど~」
 と目下、ネオに取り憑いている『疫病神』のあっけらかんとした声が……。
 声に向かって、シートを半回転させたネオは、目を剥いた。
「パパって呼ぶな! 何だよ、その格好は!」 
 ミアは裸身にバスタオルを巻いただけの姿だった。
 これまで女性の裸なぞ、腐るほど目にしてきたネオだが、真偽はともかく「自分の娘」と名乗る少女のあられもない姿を前にすると、目のやり場に窮した。
 ネオは無言でシートごと前を向くと、コンソールに指を走らせた。
「この船を離れている間、居住区の機能を制限してエネルギーの損耗を抑えてたんだよ」
「そーなんだ」
「今、制限を解除したから、シャワーも使えるようになった」
「そっ、ありがと。パパ」
「シャワー浴びたら、さっきの話の続き、聞かせろよな」
「御意!」
 ペタペタと裸足が金属製の床面に触れる音が遠ざかっていくのを聞きながら、ネオはそっと嘆息した。

~シャトルが、衛星軌道上の《正直者号》とランデブーし、その格納庫に無事、収容されるや、ネオは即、ミアを問い詰めにかかった。だがミアは「まずは一息入れた後で」だの、何だのと、ネオをはぐらかし続け、現在に至っている。
 これまでロマンス詐欺を仕掛け、ネオは数多くの女性の恋心を、己の望むがまま転がしてきた。なのに、その手練手管が何故だか、あの猫耳娘に対してだけは、まるで通用しない。
『まさか深層心理とやらで、俺が既にあいつを娘と認めているから、なんてことはないよな……』
 我知らずネオの背筋に悪寒が走った。 

【7】
 ワープ航法に入る前に、《正直者号》の食堂兼リビングで、食事を摂ることになった。
 自船では、独りでの食事を常として来たネオ。その対面では、現在、ミアがなかなかの健啖家ぶりを見せていた。シャワーの直後なので、髪に艶が出ている。フォークに刺したデグレ蛸のリングを、尖った犬歯で豪快にひきちぎる。
「蛸って言うんだっけ? けっこー美味しいじゃない」 
 ネオはロマンス詐欺師の心得として、料理への造詣は深い。惑星に降り、ターゲットと見定めた女性を誘う時は、現地の最高級料理店を選び、時に美食の知識を披露して、相手の歓心を買うこともあるからだ。
 だが彼自身の食へのこだわりは薄い。不遇な幼少期より粗食には慣れている。
 だから自船にはレトルト食品だの、缶詰だの、保存食しか、備蓄していない。
「それで例の話は……」
「ねぇ、パパ」
「パパって呼ぶな!」
「パパは《ン・グチャ文明》って、もろちん知ってるよね?」
 ミネラルウォーターのボトルを口から離し、ネオは首肯した。 

~別名を《大いなる祖》とも呼ばれる《ン・グチャ文明》は、遙か太古の昔、この銀河系全体を掌握していた一大星間文明だ。
 現在、銀河系で最大の版図を持つ勢力は《連合》だが、それでもせいぜい銀河系の1/3程度を治めているに過ぎない。対して《ン・グチャ文明》はその絶頂期には、この銀河系はおろか、他の島宇宙にも植民星を持ち、自由に行き来していたようだ。

~超絶的な科学力・技術力を有していた【彼ら】は、いかなる意図の下か、知的生命体の祖となる『生命の種』を設計し、この銀河系全域にバラ撒いた。しかしその『生命の種』が、何十万周期もの時を経て、独自の文明を銀河系の各所に芽吹かせるのを見届けずに、【彼ら】は【何処か】へ姿を消してしまった……。
「何らかの理由で絶滅した」「この宇宙とは異なる高次元宇宙へ去った」「別の島宇宙へ移住した」と様々な理由を、彼らが播いた生命の子孫たちは推測するも、その真相は未だに不明である。
【彼ら】の遺体はおろか、その細胞の一片すらも発見されていない。よって【彼ら】がどれくらいの大きさの、どんな形態の生命体だったのかすら、今でも謎のままだ。
 時折、惑星や小惑星で発見される《ン・グチャ文明》の遺跡や遺物だけが「かつて【彼ら】は確かにこの銀河に君臨していた」という証しになっている。

「パパが、ヤリ捨……ママを捨ててウチらの星を去ってから、10数年後に王宮の拡張工事で地面を掘り返していたら、《ン・グチャ文明》の遺跡が見つかったんだよね」
「イスルーで【彼ら】の遺跡が? そんなニュース、聞いてないぞ」
「今から10年以上、未来(さき)の話だもん。それに『【彼ら】の遺跡を見つけました~!』って、大々的に発表する星の方が珍しいんじゃない?」
「そりゃそうだが……」
 ネオは眉根を寄せる。

~《ン・グチャ文明》の遺跡や遺物は、現在の《連合》の最先端科学の水準さえも、遙かに凌駕するテクノロジーの塊である可能性が高い。
 だから大抵の国家はそれらを発見しても、すぐには公表せずに、まずは秘匿する。遺跡や遺物を分析し、万が一にも【彼ら】の技術の一端でも解明し、独占できれば、他の国に先んずる地位を築けるからだ。
 とはいえ、子供の火遊びが、まれに森を丸ごと焼失させる大火を招くことがあるように、【彼ら】の技術を未熟な人類が弄んだ結果、悲惨な事態に繋がることも往々にしてある。 一番、人口に膾炙しているのは「《連合》に属さない、とある有人惑星が何の前触れもなく消滅! 惑星がかつて存在した座標には、突如、出現したマイクロブラックホールが自転しているだけ。もちろん生存者は一人も見つからなかった」という一件だ。「惑星を支配していた独裁政権が、【彼ら】の遺跡を発見したものの、その制御に大失敗し、惨状を招き寄せた」というのが、大方の識者たちの見解だ。

「それで、発見された遺跡には、どんな機能があったんだ?」
 その問いに、ミアはデザートのアイスを口に運びながら
「《時の門》だよ」
 と応じる。
「《時の門》? つまりタイムトンネルの一種か?」
 勢い込んで、ネオが尋ねる。もう食事どころではない。

~「時間移動は不可能」、それがネオを含め、銀河系の人々の一般常識だ。タイムトンネルやタイムマシンなぞ、エンタメの中にだけ登場する空想のアイテムに過ぎない。だが【彼ら】ならば、時間移動技術を実用化していたとしても何ら不思議はない。
「そだね。碑文には『この門を通る者はその願うままに時間も行き先も選べる』なんて意味のことが書いてあったんだって」
 唇に付いた、白いアイスの残滓を、ミアは長い舌で舐め取り、
「だからウチが選ばれたんだよ」
 薄く笑う。
「《門》の安全を確かめる、最初の実験台にね……」

【8】
「ウチが7歳の時に、ママが病気で死んだんだよね。それまでも、ウチとママはイスルー王家では腫れ物扱いだったんだけどね。『どこの馬の骨か分からない男』に……」
 アーモンド型の瞳が、ネオを軽く睨む。『馬の骨で悪かったな!』とネオは内心、怒ったが、それを口に出し、ミアの話を遮る愚は犯さなかった。
「ママが捨てられた挙げ句に生まれた娘だもん。そりゃ扱いに困るよね。ママの両親や兄弟……いわゆる、やんごとなき人たちも召使いたちも皆、ウチらを持て余してた。そんな時、ママが死んだ。さて、どうなったでしょう?」
 容易に想像はできたものの、ネオはその想像を言葉として発する気にはなれなかった。
「正解は、小間使いの身分に落とされたで~す。それもママの弟の娘付きのね。ウチにとっては従妹になるお姫様に仕えさせられたんだ。祖父母や両親に溺愛されて、我がまま放題に育ったお姫様のね」
 ミアの目が暗い色を宿す。
「まぁ姫様には、それはもう思い出したくもない目に、たくさん遭わされたけど、以下省略!……で、《門》の話はこれから核心に入りま~す。ねぇパパ、お酒ある?」
「……売り物のワインなら」
 いつものネオであれば、にべもなくミアの要求をはねつけただろう。だが今の彼はミアの身の上話の行き着く先を、一刻も早く知りたかった。彼女の舌をなめらかにするのなら,売り物のワインの1本や2本、安い代価だ。
 船倉へ向かうべく、ネオは腰をあげた。

【9】
 ネオが船倉から持ってきた赤ワインを、グラスで2杯飲み干しても、ミアの顔色は毛ほども変わらなかった。
「ノブレス・オブリージュって、パパは知ってる?」
「『高い地位にある者は、率先して義務を果たすべき』とかいうお題目だろ?」
 ネオが、自分のグラスに手を添えた。グラスの中のミネラルウォーターが揺れた。
「そっ。そんな考え方がこの世にあるなんて、姫様の父親に呼び出された時に、ウチは初めて知ったよ。そりゃそうだよね。生まれてこのかた、『王家の恥』とか陰口こそ叩かれても、王族として扱われたことなんて、ただの一度だってなかった人生だもん。でね、言われたんだ。『高貴なるイスルー王家の一員として、今こそ高貴なる義務を果たせ!』って」
「それで《門》を通れと?」
「そう」
 ミアは胸をそらし、腰に手を当てて、彼女にとっては叔父に当たるはずの人物の言葉を仰々しく再現した。
「『率先して《門》を通って安全を確かめ、イスルーの民のために尽くせ!』だって。笑っちゃうよね。もし《門》が安全だって確認されたって、どうせ王家で独り占めにして、民のために使う気なんて、さらさらないクセに……。体のいい厄介払いだよね」
「その……承知しないって選択肢はなかったのか?」
「無理無理。だってウチが話を聞いている間、姫様の父親の後ろの紗幕の隙間から、剣を下げた兵隊さんがこれ見よがしに見えるんだよ。あれは絶対、ウチが断った瞬間、『不敬である!』とか、難癖つけて斬るつもりだったよね」
 そう返されると、ネオは言葉もない。
「だったら、一か八か、言われた通り、ウチがおとなしく《門》を通った方が生き延びられる確率は高いんじゃない?」
 とミアは微笑み、
「ウチが承諾すると、別室でメイド服からフードが付いたこの服に着替えさせられたんだ。それから涙金の金貨とサバイバルキットの入ったポーチを渡された。で、兵隊さんたちに付き添われて、王宮の西端の地下へ連れて行かれた。地下の広間に、見たこともない、異様な紋様の刻まれた、黒くて背の高い丸い柱が2本、両手を広げた人間ぐらいの間隔を空けて立ってた。それが【彼ら】の残した《門》。二つの柱の間からは、ただならぬ気配が漂ってた……」

【10】 
「兵隊さんたちの隊長がね、《門》と一緒に発見された碑文の内容を教えてくれた。例の『この門を通る者は、その願うままに時間も行き先も選べる』ってヤツ。どーせだから《門》を通るときに願ってみたんだよねぇ~」
 右の人差し指を、対面のネオに向け、
「『ウチとママを捨てたパパに会いたい!』ってね」
 上目遣いで睨む。
「目をつむって、そう願いながら『えいや!』って《門》に足を踏み入れたんだ。次に目を開けたら薄暗い地下にいたはずなのに、いきなり真昼の見慣れない町角に立ってた」
「まさか……テンガイに?」
 ネオの問いに、ミアはこくんと頷く。
 ~イスルーとテンガイは、2千光年は離れている。ワープ機関を搭載した船でも《標準時間》で一週間は要する距離だ。そんな『奇跡』を起こせるとしたら、それは【彼ら】の遺跡以外にないだろうと、ネオも結論せざるを得ない。
「ふと見上げたら、宿屋の二階の窓からパパが外を眺めてた。昔、ママに見せて貰った写真とそっくりな表情で。だからパパだってすぐ分かった。それが5日前。どうせパパのことだから、また性懲りもなく、女の人を騙しているに決まっているって思った。だよね?」
 否定したくとも、彼女のご指摘通りなので、ネオに反論の余地はなかった。
「娘だって名乗り出る前に、ちょっとパパにお灸をすえたくなった」
 冷ややかな表情を浮かべて、ミアがネオをねめつける。
 百戦錬磨のはずのロマンス詐欺師は、しかし居心地悪そうに視線を泳がせるしかない。

~その後のミアの話は簡単だ。
 ネオの動向を密かに、しかし執拗に見張り続けたミアは、彼が二股(しかも相手は母娘と来た!)をかけていること、逃亡用のシャトルを湖底に隠していることを突き止めた。
 妻と娘を寝取られた貴族を訪ね、「恐れながら」と事の次第を密告(ついでに報酬もせしめた)。
 夜半、貴族がネオの泊まる宿屋を強襲するのを見届け、ネオが宿屋から逃亡するや、その後を追った。昏い森にネオが逃げ込んでも、猫系種族の血を引くミアは、すこぶる夜目が利いたから、ネオに気づかれない距離を保ちつつ、その後を追うのは造作も無かった。
 そして夜の森で立ち往生したネオの窮地に、絶好のタイミングで救いの手を差し伸べる。いわゆるマッチポンプなのだが、この時のネオがそのことを見抜けるわけもない。
 ネオを湖まで先導し、シャトルの浮上を確認したミアは、サバイバルキットの中にあった照明弾を打ち上げ、あえて追っ手を招き寄せた。ネオが捕縛される恐怖と焦りから、冷静に判断が出来ない状況に追い込むためだ。
 ミアの企み通り、彼女はどさくさ紛れにシャトルに同乗してのけた。
 そして今、ミアは《正直者号》の食堂兼リビングで、ネオと相対している。
 ここに至るまでの長い長いミアの話を聞き終えたネオは、
「お前……つくづく性格悪いよなぁ~」
 と憎まれ口を叩くしかない。
 ~手練れの詐欺師をもって任じる己が、年端もいかない小娘(しかも未来から来た自分の娘だという!)の掌で、いいように転がされたのだ。完全に一本取られた形だが、そのことを素直に認めたくないネオとしては、この際、ミアの性格を揶揄してでも、溜飲を下げたかった。
 だがミアは、ネオの揶揄に顔色一つ変えないまま、
「ウチの性格が悪いのは、パパの血のせいじゃない?」
 小首を傾げ、微笑んだ。 
「当分はここでお世話になるね、パパ。こうやって会えたのも、神……じゃなくて【彼ら】の思し召しじゃない? これからゆっくり親子の時間を取り戻していこっ!」 
 ミアの突然の申し出に、咄嗟には反応できないネオ。驚きで静止したネオの手にあるグラスに、ミアは祝杯とばかりに自分のグラスをぶつけた。
 カチンとグラスが鳴る。

それが『父と娘』の新生活のスタートを告げる音となった……。

【11】
 突然の土砂降りだった。
 今朝のホロニュースの天気予報では降るなど、一言も言ってなかった。
『雨具なんて持っていない……』
 ウィンドウ・ショッピングを楽しみながら、緑の髪で光合成をしていたセシルンは止むを得ず、近くの喫茶店に入った。カウンター席に腰掛ける。
 ややあって、彼女と同じく雨宿り目当てとおぼしき客が、次々と入店してくる。
 カウンター越しに見える窓の外を流れていく雨を、何とはなしに眺めながら、お茶を楽しんでいたセシルンに、
「お隣、よろしいですか?」
 おずおずと長身の青年が声をかけてきた。金色の髪は、青年がこの星の外からの来訪者であると示している。
「どうぞ」
 セシルンの承諾を得た青年は、彼女の隣のスツールに腰掛けた。

雨が止み、日差しが戻っても、セシルンは喫茶店に留まっていた。彼女は、隣の青年の話術の虜になっていた。
 ~青年は宇宙商人だと名乗った。彼は自前の宇宙船を駆り、《連合》の領域内、または《連合》非加盟の有人惑星を数多く訪れてきた。その折々で、どのように商談をまとめてきたか。時にユーモア、時に皮肉を交えての青年の語りに、セシルンはすっかり引き込まれていた……。
《大樹の一族》である彼女は、『株分け』により、生を受けてこの方、この街から出ることさえ許されていない。ましてやこの星から飛び出して宇宙へ赴くなぞ、夢のまた夢だ。幼い頃より見上げることしか許されなかった、星の世界。その世界を青年のように、自走気儘に旅することができたら、どんなにか幸福だろう。
「羨ましいですわ。私も貴方様のように自由に旅ができたら……」
 ふとセシルンが漏らした言葉を、青年は聞き逃さない。青年のしなやかな掌が、セシルンが膝の上に組んでいた繊細な指を、優しく包み込む。
 我知らず頬を上気させるセシルン。その顔に、青年は己の細面を寄せた。
「もしあなたがお望みでしたら、この星から宇宙へお連れすることができ……イテ、イテテテ……」
 青年の甘い囁きが、途中から苦痛を訴える声に変わる。  
 いつの間にか、青年の背後にはうら若き少女が立っていた。彼女は青年の左右の耳たぶをつまむと「千切れよ!」とばかりに、渾身の力で引っ張っていた。
 頭頂部の猫耳を覆う毛を含め、彼女の髪の毛はことごとく、怒りで逆立っている。
「パパ、こんな処で油を売ってないで、さっさと船に戻ってきてくれないかな~」
「パパって呼ぶ……イタッ! ごめん、ごめんって!」
 青年の耳朶があり得ない面積まで引き延ばされる。
 呆然とするセシルンと店員たちが見つめる中、青年は情けない悲鳴と懇願の声を上げながら、少女によって店の外へ連れ出されていった……。

しばらくして、セシルンは、はたと気づく。
「あれ? あの人の分まで、私、払わなきゃいけないのかな?」

【12】  
 街ゆく人々(そのほとんどは髪が緑だ)の注視を浴びつつも、宇宙港へ向かう道すがら、ミアとネオの口論は続く。
「どーせまた悪さしてると思ってたら、案の定だった」
「頼んでおいた買い出しはどうしたんだよ?」
「とっくに全部済ませて、船に送りました~。パパは女漁り、ご苦労様ですぅ~」
「ほんと、お前って性格悪いよな」
「パパ譲りだよね!」
「パパって呼ぶな!」

ミアが《正直者号》の居候になってから、《標準歴》で4ヶ月が過ぎていた。
 その間に《正直者号》は、有人惑星を擁す、銀河辺境の五つの恒星系を訪れていた。 
『父と娘』の同居が始まって間もなく、ネオは適当な有人惑星に、ミアを置き去りにしようと計画した。だがミアは野生の勘というべき、恐ろしい程の察しの良さで、ネオの仕掛けた数々の罠を切り抜け、自分を標的とした『置き去り作戦』のことごとくを躱してのけた。度重なる作戦失敗に、さしものネオも、ミアが自分より上手(うわて)なのを認めざるを得ない。
”自宅から遠く離れた河原に、飼えなくなった猫を捨てに行った少年が、罪悪感に包まれながら、とぼとぼ帰宅すると、当の猫は先回りをしていて、何事も無かったかのように、玄関で少年を待ち受けている……”
 ミアのアーモンド型の瞳と、その頭頂で彼女の感情のままにキビキビと動く猫耳からの連想で、時折、ネオはそんな倒錯した敗北感を抱くことすらあった。もちろん少年がネオで、猫はミアだ。
 4度目の作戦失敗を迎えた時、ネオはミアの放逐を断念した。
 ミアの「パパ!」という呼びかけに、相も変わらず塩対応を貫き続けるネオ。
 その反面、心の一画には『(はなはだ不本意ながら)彼女は自分の娘なのだろう』という半ば確信めいた想いが、いくばくかの諦念と共に芽吹きつつあった。
     生来、家族との縁が薄く、宇宙の独り旅を何年も続けて来たネオ。そのネオにとって、突然に始まったミアとの共同生活と、互いの顔を見るなり始まる、他愛のない言葉の応酬は、いつしか彼の冷え切っていた心奥に、温かな光を灯していた。

「なぁ……なんで、お前は俺の『天職』を邪魔するんだ?」
「ママみたいな不幸の女の人を増やしたくないし、それに……」
「それに?」
 立ち止まったネオの前に回り込むと、彼の顔を下から見据えて、
「……それにウチ、妹も弟も欲しくないから」
 と言い切った。
「避妊には気を使っているぞ。結果は失敗だったかもしれないが、お前の母親の時だって、ちゃんとしたはず……」
 ミアは両の拳でポカポカと、ネオの胸板をドラミングした。
「バカァ! 娘になんてこと言うの! サイテー、サイテー、ほんとっデリカシーがないよね、パパは」
「パパって呼ぶな!」 

~こんなやりとりが心の底から愉しいと思える日が来るとは、ネオには本当に予想外だった。

【13】
 ネオが凶刃に倒れたのは、ミアを伴い、海洋惑星カカリナの港町ロタンを歩いている時だった。
《正直者号》での独り旅では、三食を保存食や缶詰で済ませていたネオだったが、彼のそのルーチンをミアは良しとしなかった。《正直者号》が有人惑星を訪れる度に、ミアは市場や商店で生鮮食料品を購入し(支払いはもちろんネオ持ちだ)、それを船内のキッチンで手ずから調理した。
 ミアの料理の腕前は「普通」だった。それでもネオが、ロマンス詐欺のターゲットと定めた女性たちと高級レストランで口にした手の込んだ料理の数々よりも、ミアの素朴な手料理の方が美味しく感じられるのが、彼にはすこぶる不思議だった。

その日、ネオは《正直者号》をカカリナの衛星軌道上のステーションに繋留させ、ミアと共に入星の手続きを済ませると、小型シャトルでカカリナへ降下。ロタン郊外の駐機スポットにシャトルを着陸させると、公共バスでロタンの海鮮市場へ向かった。
 ミアが市場で選んだ、新鮮な魚介類がたっぷりと詰め込まれたポリ袋を、左右の手にぶら下げながら、ネオはバス停へと歩いていた。彼の少し先では、手ぶらのミアが初めて見る海(彼女の故郷イスルーには海がない)を物珍しげに眺めながら、歩道沿いの堤防の上を進む。
「ねぇ、パパ……」
「パパって呼ぶな!」
 ~いつもの他愛のないやりとり。前方からやって来た釣り帰りらしい男が、二人とすれ違う。
「私、イスルーを出て、本当に良かったよ。……世界が、宇宙がこんなに広いなんて、あそこで暮らしていた時は、想像すらできなかった」
「……そうか」
 家業を継がずに、宇宙へ出る人生を選びとったネオには、彼女の感慨がすんなりと理解できた。
「ねぇ、パパ。私ね、パパに言わなくちゃいけないことが……」
 堤防の上でミアが全身で振り返り、やや遅れて、その顔に驚愕の色が浮かぶ。
 突然、ネオは右の脇腹に、灼熱した鉄棒でも挿し込まれたような痛みを感じた。
 ネオが目をやると、右脇腹のやや背中寄りの辺りに、大ぶりのナイフが実際に生えていた。あまりの激痛にネオは歩道へと膝をつく。その両手からポリ袋がストンと落ち、中身が地面に広がる。膝をついた姿勢のまま、ネオは渾身の力で振り返った。
 先ほど、すれ違った釣り帰りとおぼしき男が、フィッシングジャケットの内側から新たなナイフを取り出す処だった。彼は、ネオがまだ意識を失ってはいないことを確認すると、厳かに告げた。
「……フミアキ伯からのご伝言だ。『先に待っている。地獄で』以上!」
 二本目のナイフを、ネオの背中へ振り下ろす男。しかしその刃先がネオの背を貫くことはなかった。
 ミアが見事な左回し蹴りで、男の手からナイフを叩き落としていた。続く動きで、ミアは男の顎に膝蹴りを食らわす。男は意識を飛ばしながら、後方へ吹っ飛ぶ。
 その時には既にネオは力なく石畳に横たわっていた。脇腹からは止めどなく血が流れ、石畳を紅く染めていく。
 ミアは、瀕死のネオの傍にひざまずく。
「パパ、パパ、大丈夫? ねぇ大丈夫?」
 ネオが初めて耳にする、ミアの涙声だった。
 ネオは力を振り絞って、
「パパって呼……」
 そこでネオの意識は、暗闇に呑み込まれ、途切れた。

【14】
 次にネオが目を覚ましたのは、ロタン総合病院のICU(集中治療室)のベッドの上だった。意識を回復したネオは、さらに数日をICUで過ごし、やがて容態が安定すると個室へと移された。
 医師と看護師たちが頻繁にネオの許を訪れる。だがネオが一番、会いたかった人物は、一向に彼の前に、姿を現さなかった……。

【15】
 ネオが個室に移って一週間後。
 ネオの点滴を交換していた看護師が、
「そうそう、ネオさん。今日の午後、面会の予約が入っていますよ。別嬪さんらしいです。ネオさんも隅に置けませんね~」
 看護師はチェシャ猫のような笑みを残すと、病室を後にした。
 ネオの胸が久々に温かいモノで満たされる。
 控えめなノックの後、ネオの個室へ入室してきた女性は、しかしミアではなかった。そして彼女は一人でもなかった。

ベッドの上で半身を起こしたネオと相対する位置に、折りたたみ式の椅子を広げると、女性は腰かけた。同行してきた大柄な男性が、彼女の背後に陣取り、直立不動の体勢を取る。
 ネオの見たところ、女性は三十代半ばで、化粧っ気がなく、強い意志と理知の光が瞳に宿っている。ついつい習い性で見てしまった彼女の左の薬指には、リングが光っていた。
 女性は背広の懐から、IDカードを取り出すと、ネオに示す。
「カカリナ中央警察のシアドル警部です。こちらは部下のエルグ刑事。ネオさん、この度は災難でしたね」
「はい」
「とまぁ職務上、お見舞いを申し上げましたが、わたし個人としては、あなたの今回の災難は『自業自得だ』と考えておりますし、『女の敵は地獄へ堕ちろ!』とも思っています」「警部……」
 エルグ刑事がおずおずと上司をたしなめる。 
「失礼、言葉が過ぎました。あなたを刺した男ね、背後関係を全て吐きました」
「フミアキ伯の指図ですよね」
「ご存じでしたか。では何故、自分が襲われたかも理解されていますよね?」
「はい。伯の奥さんと娘さんと……その、不適切な関係を結び、それが伯にバレました」
「そうです。あなたが『親娘(おやこ)ドンブリ』した……」「警部……」 
 エルグ刑事が再び上司をたしなめる。
「失礼。あなたに恨みを抱いたフミアキ伯は、つてを辿って、俗に言う宇宙シンジケートに、あなたの殺害を依頼。先日、あなたを襲ったのは、シンジケートお抱えの暗殺者です」
 恐怖が蘇り、ネオの手が知らず、震える。
「俺を襲った男は、『フミアキ伯が地獄で先に待っている』と言っていました。あれは?」
「惑星テンガイの司法機関に問い合わせました。伯は既に亡くなられていますね」
 シアドル警部の言葉を、部下が引き継ぐ。
「邸宅に火を点け、奥さんと娘さんを巻き込んで、無理心中されたそうです。三人の遺体は確認されています。伯は妻子を手にかける前に、ネオさんの殺害をシンジケートに依頼したんです」
 フミアキ伯の壮絶な最期に、ネオは言葉を失う。
 警部は、うなだれるネオを冷たく見つめながら、
「シンジケートは、生前の伯からあなたの暗殺料を受け取ったものの、あなたは銀河を又にかけてご活躍の身。諸物価高騰の折、行方を追うのが大変だったようですよ。燃料費、調査費、人件費……。伯から受け取った代金は、今回の一件を仕組むので、大方使い果たしたそうです。依頼人は既に死亡していますから、暗殺に失敗しても咎める者はいないし、死人に義理立てする必要も無い。あの手の組織もね、今じゃドライですよ。シンジケートがあなたの命を狙うのは、これ一回きりでしょう。良かったですね、ネオさん」
 皮肉のこもった笑みを浮かべた。
「そうそう……暗殺者をぶちのめし、あなたに応急処置を施して、救急に連絡を入れた女性ですけど、彼女はあなたの……?」
「……娘です」
 ネオは、警部をまっすぐ見据え、はっきりと答えた。
 実際に言葉にしてみると、ミアが自分の娘だという『事実』は、ネオの中ですとんと胸落ちした。これまで「自分の人生には何かが足りない」という欠落感と飢餓感を常に抱え、それ故に漁色を重ねてきたネオだったが、今この瞬間、人生というパズルに最後のピースが収まった想いがした。
 警部は両手を頭上にかざすと、耳の形を作った。猫耳のつもりだろう。ネオはその動作の意味をすぐに察した。
「娘は、ミアは、私と惑星イスルーの王室関連の女性との間に生まれた娘なんです」

~この銀河の知的生命体は、細かい違いはあれど、みな一様に、【彼ら】が遙か昔に銀河系全域に播いた生命の末裔である。種族を超えて、子供をなすことができるのは別段、不思議なことではないし、銀河に暮らす者の常識である。

「ネオさんが随分とお若い頃に授かった娘さんなんですね」
 警部の中で、既に底値になっていたはずのネオの株が、さらに暴落したのが、その声音の冷たさから察せられた。
 エルグ刑事が口を挟む。
「しかしイスルー王室に縁がある娘さんとなると、これから大変じゃないですか?」
「はい?」
 ネオは首をかしげる。
「ご存じないですか? あぁそうか! ニュースになった時、ネオさんはまだICUにいたのか……」
 刑事は納得したとばかりに手を叩き、警部があとを引き受ける。 
「イスルーでね、市民革命が起きたそうです。イスルー王家のお歴々は命からがら、他の惑星国家へ亡命したそうですよ」

【16】
 その後、ネオは順調に回復していった。警部たちとの面会から数日後に、個室から四人部屋へ移される。
 そしてリハビリが始まった日の翌日、ようやくミアが、ネオの前に姿を現した。
《標準歴》で、実に25日ぶりの再会だった。
 ミアは、ネオが初めて目にするベレー帽を被って、猫耳を隠している。
 同室のむくつけき男たちが、若い娘の訪問に色めき立つ。指笛を吹くバカまでいる。
「ここじゃ、落ち着いて話ができないな。車椅子に移るから手伝ってくれるか?」
 ネオの言に、ミアはこくりと頷いた。

病院の屋上では、洗い上がった大量の白いシーツが、風をはらみ、へんぺんと翻っていた。
 落下防止用のフェンスの向こうには、蒼い海が広がっている。
 春の日差しが心地よい。

正面に見える蒼海に視線を据えたまま、車椅子のネオは、自分の背後に立っているはずの『娘』に呼びかけた。
「なぁ、ミアってのは本名なのか?」
 その問いに、やや間を置いてからミアが答える。
「うん。それはホント。ねぇ、どこまで分かってる?」
「少なくとも、お前が未来から来たって話は嘘だって分かった」
「そっか」
「お前の話だと『十数年先の未来で、イスルー王家に強要されたお前は、【彼ら】が遺した《時の門》を通って、この時代に来た』ってことになっていたからな」
「うん」
「だが当の王家はつい最近、起こった革命で、惑星イスルーから追い出された。お前の話では、イスルーを統治してるのは未来でも変わらずに、イスルー王家だったハズなのにな」
「うん」
「【彼ら】の遺跡がイスルーで発見されたって話も嘘だろ?」
「うん」
「ただ何で、お前がこんな手の込んだ嘘をついてまで、俺に近づいたのかがさっぱり分からない。
……ミア、お前は一体、何者なんだ?」

【17】
「ウチはね、パパ……ごめん……あなたに弄ばれた、イスルー王家の第二王女・ネルフィリア姫殿下の幼少の頃からの話し相手兼護衛役」
「そうか。お前が暗殺者を瞬殺できたのは、武術の心得えがあったからか」
 そこでネオは気になっていたことを尋ねる。
「姫様は、そのぉ妊娠は……?」  
「してないよ。安心して。でも純情と純潔を踏みにじった、あなたを心底恨んでた。それでね、姫様はウチらに命令したんだ。『ネオを殺せ』って」 
ネオの背筋に冷たいものが走る。
「ウチの幼なじみで姫様の侍女のシャーリィと一緒に、言葉を尽くして姫様を説得したよ。でも姫様は頑として聞き入れなかった。姫様はナイフを自分の首筋に突きつけて言ったんだ。『あいつが死ぬか、自分か死ぬか、どちらかしかない』って」 
 自分が弄んできた女性たちが、自分を恨むのは当然だとネオも思う。だが、まさか殺してしまいたいと思われる程に、自分が憎まれているとは想像すらしていなかった。迂闊と言えば迂闊だ。
「姫様の恋は、他の王族たちには秘密だった。そもそも姫様の命(めい)とは言え、あなたと姫様を顔繋ぎしたのはシャーリィだし、逢い引きの手配をしたのも彼女。そのことがバレたら、絶対に処罰される。だから他の誰かに相談もできない。姫様の命令通りにするしかないって、ウチは考えた」
「なるほど」
 事情が見えてきた。
「でも世間知らずな姫様に、具体的な策なんかあるわけない。だから今回の一件はウチが全部計画したんだ」
「一身上の都合で押し通して、ウチは王室からお暇を貰い、イスルーから旅立った。調査機関を雇って、あなたの行方を追わせて……」
「惑星テンガイで、俺に追い着いたってわけだ」
「そう。後はあなたのご存じの通り」
「なぁ、何で俺の娘だって名乗ったんだ?」
 これもネオが気になっていた事柄だった。躊躇とおぼしき一瞬の間。それから、
「いくら色魔でも自分の娘には手を出さないだろう……っていう、いわば保険かな。それでももし万が一、ウチに手を出してくるようなら、そのときは躊躇いなく首をへし折れるなって……」
 とミアは事もなげに言ってのける。

~ネオと出会って間もなく、《正直者号》の船内で、ミアはバスタオル一枚のあられもない姿を、彼に見せた。あれは彼女なりの『試験』だったのだろうか? もしあの時、ネオが不埒な真似をしていたら、彼の首は即座にあさっての方向を向く憂き目に遭っていたのだろうか?

「あとはね、ウチには両親がいなかったし。父親ってどんなものなんだろうって……」
 言葉の後半は消え入るように微かだった。
「同じ船で、あなたの寝首をかく機会を伺っている内に段々、旅が愉しくなってきて……。気儘な姫様に振り回される日々から解放されて、色々な星で様々な空を観て、このカカリナで初めて海を観て……。何だか初めて『自分の人生を生きている』って実感できたんだ」
「そうか」
「あなたが刺された時、反射的に身体が動いて、気づいたら刺客を倒してた。あのまま瀕死のあなたを打ち捨てておきさえすれば、姫様の願いは叶うし、ウチは大手を振ってイスルーに還れたけど、でも……」
 ネオは心からの感謝を込めて、 
「助けてくれて、ありがとう、ミア……」
 と言い、車椅子を旋回させた。ミアのアーモンド型の瞳に、涙が盛り上がりつつあるのが見えた。
「これから姫様の処に帰るのか?」
 ネオの問いに、左右に首を振るミア。涙が飛び散る。
「シャーリィと連絡がついたんだ。姫様と一緒に亡命してた。でね、姫様ってば亡命先で見つけた『新しい真実の恋』に夢中だって……。あなたとのことなんか、ケロッと忘れているって」
 ネオは苦笑せざるを得ない。
「もし良かったら、ネオ。これからは、あなたの『天職』を手伝わせてくれないかな」
「いいや」
 ネオは首を振る。
「『天職』の方はさすがにもう廃業する。また刺されたくないしな。これからは普通に『商い』一本でやっていく」
「そっか」
 落胆するミア。
「心機一転、新装開店、俺もまだ身体の調子が悪いし、人手が足りないんだ。手を貸してくれないか? ミア」
 ネオは握手を求めるように、ミアに向けて、手を伸ばした。ネオの言葉を理解したミアの顔に歓喜の色が拡がっていく。
「これからは父と娘じゃなくて、対等なパートナーってことで……」
 ネオが言い終わらない内に、車椅子の彼の首っ玉に、ミアがかじりつく。
 ややあってミアは身体をネオから離し、潤んだ瞳でネオを見つめる。キス顔で。
 二人の視線が交錯する。
 ミアの唇に、ネオは己の唇を寄せていく。だが二人の唇が触れ合う寸前で、顔ごと回避される。
 ネオの唇を躱してすぐに、ミアは長い舌で、ネオの鼻梁を舐めた。
「これはね、イスルー人の親愛の証。ネオ、まずは相棒から始めよう!」 

近づけば、離れる。離れれば近づく……。

『こういう所は猫なんだよな』
 ネオは内心で苦笑した。
 ミアの舌は、まるで猫のようにザラザラの感触だった……。

文字数:18678

内容に関するアピール

『ロバート・ダウニー・Jr.に、なろう!』
 と思い、本実作を書き上げました。
 現時点で未見ですが、映画『オッペンハイマー』でダウニーが演じた役は、オッペンハイマーに無視されたのを深く恨んで、彼を破滅に追いやる人物だとか(役名は知らず)

私がダウニーになろうと思ったのは、過日の出来事がきっかけでした。
 旧ツイッターで
「××講座を受講します」
 と本講座の同期生がつぶやいているのを発見した私。××講座は私も申込済みだったので、
「同期になりますね。よろしくお願いします」
 とコメントした処、見事なまでのガン無視を食らいました。
『なるほど。この2年、実作を一本も書いてこなかった私は、無視しても構わない存在と思われてるのか、オッペンハイマー!』
 と得心した次第。
『ならば無視できないように、最終実作、書いてやんよ! 首を洗って待ってるがいいさ!』
 と怨恨もといエンジン全開、ダウニー魂いっぱい。実質1週間で書き上げたのが、本実作です。
 梗概は提出したものの、まさか自分に2万字弱の実作が書けるなんて夢にも思っていませんでした。
    まさに怒りの可能性は無限大! みんなも試してみて!(ヲイ)

まぁ本作は執筆の動機こそ『同期に無視された怨恨』なれど、読んで頂ければ楽しんでもらえるよう、努力と配慮はしたつもりです。
 SF的な道具立ては使ったものの、本作はSF小説というよりは、実質、キャラクター小説になっちゃったかなーと。
    でも自分が読みたいのは『キャラ読み』可能な小説なのです。
     HAL9000ってキャラが立ってるじゃないですか?

~まずは『自分』という一番最初の読者を楽しませてこそ、読者を楽しませる小説が書けるんじゃないかと(俺、いいこと言った!)

最後に。
 ご指導下さった大森望先生、ゲスト講師の方々、そして講座をサポートして下さったゲンロンの皆様、お世話になりました。
 以上、精一杯の感謝を込めて。

文字数:798

課題提出者一覧