1分子通信と逃走DNA

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1分子通信と逃走DNA

 こんにちは
GGGAAAGGGAAAAAAGGAAGAAGGGGGAAAGGGAAAAAGAGAAGAAGGGGGAAAGGGAAAAAAGGAGAGAGGGGGAAAGGGAAAAAAGGAGAAAAGGGGAAAGGGAAAAAAGGAGAGGGG
「澤谷さん、これだと二進数でAGだけになっちゃうかな。なるべく短くするために進数を4、表記をATGCにしてもう一度やってみようか」先生はディスプレイを指差し、間違えを指摘した。
 UTF-8エンコードと書かれたタブの数字の羅列にカーソルを合わせた。キーボードでCtrl+CとCtrl+Vを叩いた。
111000111000000110010011111000111000001010010011111000111000000110101011111000111000000110100001111000111000000110101111
 今度はちゃんと四進数に設定して変換。
CGACGAATGTACCGACGAAGGTACCGACGAATGGGCCGACGAATGGATCGACGAATGGCC
「よし、これならちゃんと送れるね」
 先生は言った。私の両肩に手をかけてにっこり笑っている。
 私は先生の指示に従いEnterキーを押した。
 パソコンに接続しているDNAオリゴ自動合成装置が動きだした。
 ここから先はさっきの授業で先生が説明した処理が行われるらしい。板書は全て書き写したので、意味はよくわからないけど説明することはできる。あと、先生が目の前で起きている処理と板書を対応づけて説明してくれるので、なんとなく今どこのステップを実行しているのかわかった。
 まず、設計した配列がDNAオリゴ自動合成装置で作成され溶液に入れられた。次にDNAチェッカーによって溶液中から欠損のないDNAだけを抽出し次の溶液に移された。その次に1分子ソーターによってDNA1分子が抽出され、小指ほどの大きさのチューブに封入された。1分子DNAの入ったチューブは冷蔵庫みたいな黒い箱の中央部にセットされた。
 中央部は透明なガラスケースになっており、外からチューブが見えるようになっていた。箱の一番上には「Single Molecule WormHole」と大きく書かれていた。
 先生はここをよく見ていてくださいと言って箱の中央部を指差した。教室に蚊が近づいてきたときのような高い音が鳴り始めた。周りの小学生たちは耳に手を当て、眉間に皺を寄せていた。教室の後ろの保護者たちは静観している。
「パチッ」
 高い音が消えた瞬間、チューブの中が線香花火のように小さく光った。
 箱上部のディスプレイに実行状況を表すメッセージが表示された。
「Passed through a WormHole」
 教室にいる生徒と保護者が拍手をした。にやけながら周りを見渡すと、他の子たちも機械の周りに集まっていた。
「今日の実験では1分子ワームホールを用いたDNAメディアストレージの送信を行いました。送付先は惑星Yの小学生です。君たちと同じくらいの年齢の子です」
 先生が教室の生徒たちに向けて言った。身につけている白衣の胸元には夏休み子供科学教室のワッペンが貼られていた。
「特に問題がなければ、そろそろあちらから返信が来ることでしょう」
 小学生たちは実験デスクの縁にかぶりつき、机上のさっき光った部分を見つめていた。
「パチッ」
 先ほど光ったチューブの隣のスペースでもう一度黒い箱が光った。中にはガラスでできた直方体の容器が設置されていた。容器は中に取り込まれると、ガチャガチャと音を立てた。ディスプレイは「Prosessing」と表示している。ディスプレイが白い背景に切り替わった後、各塩基の波形データが表示された。その後順にATGCの文字列、01の数字の羅列に切り替わり、最後に日本語が表示された。
「こんにちは。わたしとお友達になってください。サクラ」
 これが私にとって初めての1分子通信だった。
 
 
 夢か。小学校のときの夢だ。
「You got a Molecule!」
 リビングのパソコンから聞こえる通知音に反応して眉間にしわが寄った。現実だ。
「You got a Molecule!」
 ベットから這い出てどてらを羽織ってスリッパを履き、音源に向かった。
 テーブルにはスーツ姿でコーヒーを啜るサラリーマンがいた。
「先に起きてるなら止めてよ」
「目覚まし時計ならちゃんと止めておいたよ」
「そっちじゃなくて」
 通勤仕事の謙二は朝ご飯を終えていた。頭をはたきたい衝動を抑えて後ろを通りすぎた。
「You got a Mol」
 マウスをクリックして通知音を止めた。Y出版の編集からだった。
「原稿見ました。問題ないです。今回もこちらの科学技術・文化背景を踏まえた良い漫画になっています」
 疎通確認のようないつもの返信だった。
 続けて次回原稿の打ち合わせについても書かれていた。1時間後ならチャット分通ぶんつうできますと返信した。
 テーブルに向かった。時間に余裕がありそうな先客にトーストを外注して洗面所に顔を洗いにいった。鏡で40代相応の皮膚と向き合いリビングに戻る。納品された朝食をいただきながらTVを眺めていると、1分子通信の価格改定に関するニュースが流れていた。謙二は仕事用の分通ソフトとプロバイダを新しいのに変えたら?と提案した。私はいや、まだいける。あと、最新のにすると分通の不調を言い訳に〆切を伸ばせなくなる。ワームホールは光の速さだが私の原稿は亀の歩みだ。残りは片付けておく。と言って旦那さまを送り出した。
 サンダルで外に出て郵便受けから書類を回収した。分通文化交流事業費と書かれた封筒と手紙が投函されていた。前者の中身はおそらく原稿料の明細だろう。実家の母からも手紙も来ていた。これは1周忌の件についてだ。あとでちゃんと読もう。
 太陽の光を浴びて腕を高く伸ばした。吐く息は白く、どてらが似合う季節であることを再認識した。
 燃えるゴミの袋を家の前に出し、横切る小学生たちに挨拶した。とても健康的な朝だ。ただ私の仕事場は家なのでまた玄関扉に手をかけた。打ち合わせの時間まで少しあるので、次回ネームの修正をすることにした。1時間後、編集さんからメッセージが来たがなんか重い。いつもなら一瞬でメッセージが表示されるはずなのに、分通アプリのキャラクターがDNAをシーケンスしているアニメーションが流れている。朝なのでワームホールが混み合ってみるみたいだ。
「いま大丈夫ですか?」
 やっとメッセージが翻訳された。
 今から打ち合わせができます、混み合っているので異星交流省のワームホールを使おう、と返信した。
 分通アプリを別で立ち上げ、編集からの分通を待つことにした。謙二の残したホットコーヒーを啜る。
「今日もお仕事していきますか」
 誰も聞いていない始業号令を自宅のリビングで宣言した。
 これが私の日常。漫画を描いて1分子通信を使って遠い星に送る、1分子漫画家だ。

 

 1分子通信は私が生まれる少し前に発明された。1分子だけ通すことのできるワームホールと、DNAを記録媒体として扱うDNAメディアストレージが合わさってできた新たな通信方式だ。1分子しか通すことのできないワームホールに通す物質として、頑強でプログラマブルなDNAは情報媒体としてちょうど良かった。その後、どこにそのメッセージを読み取れる星があるのかもわからない中、ワームホールを通してあらゆる星に向けてDNAは送られた。
 手動でなく、機械とジョブスケジューラを駆使して自動化され送り続けられた結果、1分子通信ができてから数年後、数万光年離れた惑星Yから1分子通信が返ってきた。当初、もし返信が来るとしたら地球と同様にDNAを扱える程度の科学技術が発達し、文字を用いたコミュニケーションを行うことができる地球とよく似た文明を持つ星だと予想されていた。実際、惑星Yはそのような文明を持っていたので、すぐに地球と交流が始まった。

 

「へー、わかりやすく1分子通信の歴史まとめたね。これ何?」
 友達のサクラから分通が来た。
「『わたしが異星漫画家になるまで』ってコラム漫画。あんたも出てくるから、個人情報に関するところとか問題ないか見てほしいって、この前言ったよね」
 サクラは私が惑星Yで漫画家デビューするきっかけを作った人物だ。というか出会ってなかったら今も漫画家としてデビューできていなかったと思う。サクラは惑星Yに住む、小学生の頃からの分通友達である。それはわたしが大人になり結婚し、40歳を過ぎても変わらなかった。サクラは地球で漫画家としてデビューできない私に対して、漫画文化が浅い惑星Yでデビューする提案をした。私は競争から逃げた感じがすると言って断った。それに対してサクラは、あんたはこっちの方が受けると強く推薦し続けた。確かにそれは一理あった。幼いころからサクラを通して惑星Yについて親しんできたおかげで、私の作品はどうも科学技術面の設定が非現実的すぎると指摘されることが多かった。一方、惑星Yのサクラに見せると、近未来ファンタジーっぽくて良いと褒められる。おそらく地球に比べて惑星Yのほうが科学技術が進んでいるのが関係しているのだろう。私はいつの間にか惑星Yに合わせた作品を描くようになっていたのだ。
 早速惑星Yの漫画賞にサクラ経由で応募した結果、いきなり大賞を受賞し、40歳を過ぎて漫画家としてデビューすることになった。給料とか、いろんな著作権的な問題とかはどうなるのかと心配したが、そこは両惑星の異星交流事業部がなんとかしてくれるらしい。といった経緯で、地球でデビューできなかった私は、遠く離れた惑星に原稿データを送って生計をたてる漫画家となった。今のところ私くらいしかいないらしい。
「よくかけたコラムじゃん。四季は昔から文章もうまいよね。そっち方面に進んでも良かったのに」とサクラは言った。
「別に。もっと上手い人がいるから」と私は遮った。
「ところで頼みたい調べごとって何?このコラム関係?」サクラは言った。
「いや、これはサラッと見てもらうだけで良くて、調べてほしいのは別のことで……」
 私はディスプレイの隅にある、父の元編集からのメールをチラリと見た。
「澤谷冬彦の最後の小説が、惑星Yにないか調べてほしい」
 詳しい話は明日またするけど、と付け加えた。
 
(未完)

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