遺されたもの

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遺されたもの

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モニター上に出力された文章を一読して、秋谷は小さなため息をついた。よくできてはいる、けれど何かが違う。前の文章との整合性はとれているし、文体も一見してそっくりだと感じられ、一つひとつの文章だけを読めば、本人が書いた文章だと言われても違和感はなかった。しかしそれがひとまとまりの段落になると、何かが引っかかる。
 いちおう出力された段落をコピー&ペーストで保存しておいて、チャロ・モには再出力を要求する。
 チャロ・モは秋谷が今回の執筆作業にあたってパートナーとして選んだ小説執筆AIであり、高額なリース料金が設定されているだけあって非常に優秀だった。しかし本来とは異なる使い方をしているため、出力された文章を没にする頻度は厖大ぼうだいになっており、秋谷はチャロ・モに申し訳ないと思いながら作業を続けていた。
 小説――に限らずあらゆる文章には主に三つの書かれ方がある。

一.人間によって書かれる。
 二.人間が執筆支援AIを利用しながらAIと共作して書かれる。
 三.設定された条件に基づいて、執筆AI(通称・AI作家)によって書かれる。

さらにその文章が商業出版物として刊行される場合、

a.人間の編集者による編集を受ける。
 b.編集AIによる編集を受ける。

そして最終的に、

イ.電子書籍として刊行される。
 ロ.電子書籍と紙の書籍の両方で刊行される。
 ハ.紙の書籍として刊行される。

といった形で市場に流通することになる。現在、主流となっている出版形態は「二・b・イ」というパターンで、辛うじて人間の著者が面目を保っているが、「三・b・イ」という組合せも珍しくなく、とくに暇潰しのために読まれるような大衆向けのエンターテインメント作品に関しては、AI作家のもので十分と考える読者も少なくなかった。これは文章に限らず、マンガやドラマ・映画の脚本などについても同様で、AI作家の原作を映像化する際にAI脚本家がシナリオを書くということも当たり前に行われており、こうしたプロセスが主流となっている現在において、秋谷のような人間の編集者はある種、希少な存在だった。
 秋谷はこれまでの仕事で人間の作家と執筆支援AIの共著の小説に携わったことは数えきれないほどあるし、編集者になりたての頃にはAI作家の作品を編集していたこともあるので、AI作家との付き合い方には慣れているつもりだった。
 基本的にAI作家は誤字・脱字のような単純なミスはしないし、短時間で標準以上の内容の作品を仕上げてくれる。かつては既存の作品との類似が指摘されるなど、学習に使われたテキストデータからのいわゆる「パクリ」が問題となることもあったというが、秋谷が編集の仕事をはじめた頃には、すでに学習データの量は厖大なものとなっており、また参照される作品も著作権が切れているものが多くなっていたため、トラブルが起こる確率は相当低くなっていた。
 執筆AIの関与した作品については、AIメーカー間の協定による相互のデータ利用が認められており、一定の分量以上について完全な一致が起こらない限りは問題とされず、またそうした一致についても校正・校閲AIによるチェックの工程が含まれているため、トラブルは滅多に起こらない。
 むしろ人間の作家が以前読んだ作品の影響を受けてしまうことのほうが問題だという笑い話もあるほどだ。
 チャロ・モを本来の用法で利用していれば、今ごろ長編小説が一つどころか二つは完成していてもおかしくない。しかし、執筆をはじめて二カ月が経つが、まだプロット全体の半分ほどしか進んでいなかった。
 理由は明白だ。
 それは秋谷がチャロ・モにある作家の文章を完全に再現することを要求しているからだ。本人が書いたものでない以上、「完全」な再現は不可能であることは秋谷も理解している。しかし十年以上にわたって彼の小説を編集してきた身としては、少なくとも自分にとって違和感のない形に仕上げたいという願望があった。
 作家・須山七房が亡くなって四カ月が経とうとしていた。
 最後に須山に会ったとき、彼は病床に臥せっていたが、まだ執筆活動は続けていた。ベッドの横に置かれたプリンターから書きかけの小説が出力され、秋谷がそれを一読して感想を述べると、須山は「もう続きは書けそうにない」と弱音を吐いて「その小説は君の好きにするといい」と続けた。
 須山は今の時代には珍しいAIの支援を受けずに小説を書き続けている「リアル作家」だった。好きにすればいいと書きかけの原稿を渡されたところで、秋谷は小説家ではないし、須山のクセを学習している執筆支援AIも存在しておらず、そのまま続きを書く手立てはなかった。未完の作品として公開するにはまだ分量が少なく、書かれていたのは事前に渡されていたプロットの冒頭部分にすぎなかった。
「考えてみます」とだけ返事をしてその日は辞したが、一週間後に須山が亡くなったため、書きかけの原稿は、そのまま彼の遺稿になってしまった。遺されたものをどう扱うべきか、秋谷はしばらく考えることになった。

秋谷が編集者として須山と付き合うようになったのは十一年前、新卒で入社した小さな社会科学系の専門書出版社を退職して、ひとり出版社・朱明書房を立ち上げた後からだった。
 前職ではAI作家の書いた原稿を編集AIがまとめたものが人間にとって違和感がないかどうか最終確認する仕事を主に担当していたが、続けるうちにもっと自分の関心のある分野の本を自分の手で編集してみたいと思うようになったのが独立したきっかけだった。
 独立後、自分が高校時代から愛読していた須山の小説を出版したいと考えて、思い切って本人に連絡してみたところ、とにかく一度会おうという話になって、紙の書籍として出版するという条件で書いてもらえることになった。
 正直なところ、紙の書籍は嗜好品であり、製作面や流通面でのコストの負担も大きく、立ち上げたばかりの朱明書房にとってはリスクがあったが、須山の小説を出版できるという喜びが勝り、挑戦することに決めた。
 結果として紙の初版二千部を売り切ることができて、電子書籍版と合わせて何とか利益を出すことができた。須山はけっして流行作家ではなかったが、リアル作家として一部では名が知られており一定数のファンを獲得していたため、二千部程度は安定してさばけることがわかってからは定期的に新作の刊行を続けることができた。
 だいぶ後になって、「実はあのころ、他の出版社から本が出せなくなっていたんだ」と須山は笑いながら打ち明けて、そんなタイミングで秋谷からの申し出があって有り難かったと礼を述べた。
 あまりこんを詰めすぎるとチャロ・モの出力結果も、それを読み取る秋谷の感覚も鈍くなっていくので、最近は一日に四千字程度ずつと作業のペースを決めていた。もう数パラグラフ出力したら今日は終わりにしよう。そう考えながら秋谷は改めて出力された文章にサッと目を走らせ、その中にあった「弟」の一文字で目が止まる。
 弟――?
 もう一度、出力された文章を読み返してみるが、文脈から考えて、「弟」は明らかに主人公の弟を指しているようだった。しかし、これまでのストーリーの中に主人公である丈二たけじの弟は登場しておらず、須山のプロットにも弟の話は書かれていない。いったいこの弟はどこから出てきたのか。
 チャロ・モのエラーによって間違った登場人物が現れたのかもしれないと考え、再出力を要求しようとして、いったん操作を止める。不意に弟が出現した、このことには何か大きな意味があるのではないかと思えた。
 本来であれば、物語の主人公に弟がいること自体には何の問題もない。ある小説の登場人物の一人として弟が設定されていることは珍しくないだろう。だが、それが須山の小説となると話は別だ。
 秋谷は須山の小説をすべて読んでいるが、その中に一度として弟が登場したことはなかった。須山の小説の多くは半私小説と呼ばれる分野の作品であり、ほとんどの主人公は執筆当時の須山の年齢に近く設定されていた。そして彼の作品の大きな特徴の一つが、作中に描かれる「兄」の存在だった。
 須山のデビュー作である「孤独な夏」は、高校卒業を間近に控えて進路に迷っていた主人公が、故郷を離れて東京で暮らしていた兄・一幸かずゆきの自死に衝撃を受けながら、自らも故郷を出ていくことを決意するまでを描いた小品だが、その後、兄の死の真相をめぐる物語として書き継がれていく連作の最初のエピソードとして、須山作品のなかでも重要な位置を占める一作だった。
 暗く静かななかに強い意志の力を感じさせる須山の文体は、一連の「一幸もの」を書き続けることで醸成されていったものであり、秋谷も順に読み進めていくことでその奥深い魅力に引き込まれていった読者の一人だった。
 そんな須山の小説のなかに、何の前触れもなく「弟」が登場したとなれば、秋谷でなくとも違和感を覚える者は多いはずだ。
 軌道修正して弟の存在をなかったことにして先へ進むなら、今のうちだ。このまま書き進めていけば、弟は小説の登場人物として何らかの役割を果たすことになる。須山から家族の話を詳しく聞いたことはなかったが、多くのインタビューやエッセイなどを読む限りでは、須山に兄がいて、その兄が自死したことは間違いないだろう。しかし、弟がいたというのは読んだことがない。
 朱明書房では須山の新作刊行と並行して、彼の全集の編纂へんさんを進めていたが、秋谷はその過程で須山から直接兄との思い出話を聞いたこともあった。しかし、一度として弟の存在が語られることはなかった。
 チャロ・モがこの先にいったい何を書こうとしているのか、秋谷は興味を持った。

けっきょく、弟を残したまま秋谷はチャロ・モによる執筆を続けることに決めた。最後まで続けてみてうまくいかなければ、また一からやりなおせばいい。
 年の離れていた兄とは違って丈二と弟は三歳差で、子どものころはいつも一緒に遊んでいたらしい。元々、今回の作品を書きはじめるにあたって須山が秋谷に話していたのは「子どものころの話を書いてみたい」ということだった。これまでの須山の小説にも、少年時代のエピソードが書かれることはあったが、それはほとんどが回想シーンであり、少年を主人公にしたものは一つもなかった。
 須山がどんな少年時代を描くのか、秋谷は単純に読んでみたいと思ったし、おそらく須山の読者の多くも関心を示すだろうと思われたので、ぜひ新作はその方向で進めようという話になった。
 しかし、実際に書きはじめると須山の筆はなかなか進まず、一年半近く取り組んで書き上がったのが、冒頭部分だけの遺稿だった。これまでは一定のペースで毎日執筆を続け、期限どおりに完成稿を渡してくれた須山が、歳をとったとはいえあまりにもペースが遅いのは何か様子がおかしいと思っていた矢先、体調を崩して入院したという連絡があったのが去年の秋で、その後、退院して自宅療養を続けていたが、年が明けて秋谷が年始の挨拶に訪れた直後に亡くなってしまった。
 須山から秋谷に託されたのは遺稿だけではなかった。須山の小説の著作権は一人娘の史織に相続されたが、著作物の管理については秋谷に任せるという遺言が遺されていたのだ。
 須山の家には彼に関する様々な記録や物品が遺されていた。須山の死後、生前にも何度も足を運んだ書斎に通い詰めて遺品の整理をした。没にした原稿のデータ、創作メモ、日記、アルバムはもちろん、本棚に並んだ無数の書籍は彼がこれまでに読み重ねてきた創作のみなもとであり、養分なのだ。ちなみに秋谷が見た限り、アルバムに収められていたのは上京後の写真が中心であり、弟の写真はなかった。
 執筆AIを使って須山の遺稿の執筆を続けるつもりだと秋谷が告げると、史織は「わかりました、よろしくお願いします」と言って、しばらくは資料の保管庫として使ってほしいと須山の家の鍵を預けてくれた。
 チャロ・モとの執筆をはじめるにあたって、まずは遺稿のテキストデータをすべて読み込ませて、さらにアウトラインの情報として須山が遺していた詳細なプロットを登録し、ノートに書き残されていた構想メモもすべて登録した。
 もともとチャロ・モには一般的な作家レベルの執筆能力は備わっている。秋谷がチャロ・モとともに目指すのは、どれだけ須山の文体や物語構造に近づくことができるかだ。手はじめに、まずは遺稿に関連する情報だけをチャロ・モに与えた状態で続きを書かせてみた。一時間ほどして八万字ほど出力されたテキストを読みやすいように縦組みで簡易組版して、タブレットにデータを移して読んでみると、たしかにストーリーは須山のプロットどおりに進んで行くが、その文体に須山のクセはほとんどなく、別の作家が書いたことがはっきりとわかるものだった。
 それに、ストーリーもプロットどおりとはいえ、これはおそらく須山が書こうとしていたものとは違うのではないかと、すべてを読み終えて秋谷は感じた。もし当初の構想のまますすめるつもりだったとすれば、須山はもっと早く小説を完成させていたはずだ。おそらく書きはじめて何か納得のいかない点があって、筆が止まってしまったのではないかと秋谷は考えた。
 チャロ・モが書き上げたこの小説を、須山とチャロ・モの共作として出版したとしても、別に間違った点はないだろう。ストーリーは須山の構想どおりだし、それを引き継いでチャロ・モが破綻のない小説として完成させたのは事実だ。
 だが、須山の本を買ってくれる読者がこれで納得してくれるかと言えば、そうではない。常に最初の読者であった秋谷自身が、完成した原稿に納得がいっていないのだから。
 いちおうデータは保存しておいたが、チャロ・モの初稿を受けて秋谷の腹は決まった。納得がいくまで、チャロ・モに付き合って書き続ける。もしかしたらその過程で須山が行き詰った理由が見つかるかもしれない、という淡い期待もあった。学生時代から須山の小説を愛読し、編集者として十年以上、晩年の須山の小説に寄り添い続けてきたのだから、須山の小説のことは自分が一番理解しているはず……そんな奢りにも似た気持ちがあることは理解しながらも、一読者として少しでも須山に近づきたいと秋谷は思ったのだ。

ほんの少し書き進めて、今日の執筆は終わりにする。自分のペースで仕事ができるひとり出版社とはいえ、一日中、須山の小説に関わっている余裕はなく、午後は他の本に関する編集作業や打合せをこなす必要がある。
 チャロ・モに「お疲れ様」と声をかけて機能を停止させ、秋谷は軽くコーヒー休憩をとった。弟を残すという大きな決断をしたせいか、頭にすこし疲れを感じていたため、ビスケットを二枚ほど口にする。
 現在進行している仕事は、ドキュメンタリー映像作家の南から届いたエッセイ原稿のチェック、須山七房全集第一巻の月報用に文芸批評家の九重ここのえが執筆した解題の初校ゲラの校正……さらに数は少ないが書店や個人顧客からの注文の発送など細かい仕事まで含めれば無数にある。
 かつて紙の本が現在よりも普及していた時代には、流通や在庫管理またそれに付随する作業など、ひとり出版社にとって企画・編集以外の業務やコストの負担も大きかったらしいが、今は書籍の販売は電子が主流で、紙の本の取扱いはかなり少なくなっており、書店の数自体が少ないし、その中でも朱明書房が刊行するようなマイナーな出版物を取り扱う店はさらに限られていた。
 それにかつては薄利多売と言われた書籍販売も、今では紙の本自体が嗜好品となっていて一冊の価格が高く、またわざわざ電子ではなく物体化するような本は、よほど趣味的な出版活動でない限り、それなりに需要が見込めるものがほとんどだったので、ある意味では安定した商売と言えた。もちろん、そのぶん一冊あたりの製造コストは高くつくのだけれど、須山の小説のように一定の読者が確保されているものは、朱明書房のような小さな出版社にはありがたい収入源だった。秋谷がほかに扱っている出版物については、まずは電子版で刊行して、評判になったり要望があれば紙版の刊行を検討するというパターンが多い。
 須山全集の月報を依頼している九重は、須山七房の盟友として知られる文芸批評家で、須山よりも二歳年上だった。九重が文芸サイトの書評ページで須山のデビュー作を激賞して以来、二人の関係は長く続いており、秋谷が編んでいる全集にも二人の対談をまとめて収載した巻が予定されていた。
 須山から遺稿を託された後、秋谷は九重にもどうするべきか相談したが、「好きにしたらいいんじゃないか」と軽い調子で返されて、肩の荷が下りたのだった。もしかしたら九重なら弟のことについて何か知っているかもしれない。そう考えて、秋谷は解題のゲラチェックが終わったら九重に会って訊いてみようと決めた。
 秋谷がリビングへ行くとパートナーの理央がキッチンで昼食の準備をしていた。「調子はどう」と訊かれて「うん、面白い展開になってきた」と応えながら、秋谷はエッセイ原稿のチェックをはじめる。二人でクリームパスタを食べながら、須山の小説に弟が登場したことを話題にするが、理央はあまり興味を示さない。もともと小説をほとんど読まないし、秋谷に薦められて須山の小説を読んでみたがピンとこなかったらしく、一冊きりで終わっていた。
「でも、不思議だね。何者なんだろう弟」と言ってから「ごちそうさま」と理央は席を立って食器を片づけ、仕事へ出かける準備をする。福祉施設の職員をしている理央は午後から出勤で今日は泊まりだった。理央を見送って、秋谷は仕事場に戻ってエッセイ原稿の感想を南に送り、それから九重の解題のチェックをして、近日中に渡したいとメールを送ると、すぐに明日の午後が空いていると返信があったので約束を取りつけた。
 客注のあった詩集一冊を梱包して、発送がてら散歩に出かけることにする。歩きながら、再び弟のことについて考えを巡らせ、できればもうすこしチャロ・モに学習させている須山関連の情報を補強しておきたいと思い、明日の午前中に須山の家へ行っていくつか資料を持ってくることに決めた。
 チャロ・モが初稿を書き上げた際には、須山の遺した書きかけの原稿とプロット、それに創作メモだけを学習させていたが、その後、まずは須山の過去の小説をすべてチャロ・モに読み込ませた。幸いにも全集の準備をしていたためテキストデータはすでに手元にそろっており、作業はあっという間に終了した。
 学習に基づいて出力された第二稿は初稿よりも分量が増えて十万字ほどになっていた。読んでみると、明らかに最初のものよりも須山の文体に近づいており、またところどころに須山の独特の表現が見受けられ、学習の成果を大いに感じられる結果となった。しかし、内容には全体的に既視感が強く、過去の須山の作品をつなぎ合わせたパッチワークのような印象も否めなかった。
 第二稿もお蔵入りにして、その後は仕事の合間や休みの日などに須山の家を訪れて、彼の日記やアルバムのデータなどもチャロ・モに学習させていった。さらに須山の作品に対する九重の批評や、書評、熱心な読者から寄せられた感想などもサブの参照データとしてタグ付けして読み込ませた。それらの作業はまだ途中だったが、現在、並行して第三稿の執筆にとりかかっている。
 三稿執筆開始までに、秋谷は初稿、二稿にそれぞれ編集者としてコメントを付けてチャロ・モにフィードバックした。須山の遺していたアナログな情報をデータ化には多少時間がかかったため、その間、チャロ・モには須山の文体の精度を上げるため、様々なお題を与えて「須山らしい」短編小説を書かせていた。
 短編に対しては気になった部分の指摘とごく簡単な感想だけを返していたが、次第にチャロ・モの模倣能力は向上していき、秋谷の目から見て須山の短編の一つと言われても遜色そんしょくないものを出力できるようになっていった。
 三稿ではこれまでのように一気に全文を出力させることはやめて、約四千字ずつのまとまりで秋谷がチェックを入れながら書き継いでいくというスタイルをとっている。これは須山の執筆ペースを参考にしたやり方だった。その間に、データ化の済んだ情報をどんどんチャロ・モに与え日々アップデートしていく。
 須山は若いころから手書きで日記をつけており、一日分はごく短いことも多かったが、とにかくその分量は厖大で入力作業には時間がかかった。入力を外注することも考えたが、日記の現物という貴重な資料を人手に渡したくないこと、須山や家族のプライバシー保護の点、また秋谷自身が須山の日記にふれることで何かに気がつく可能性も考慮して、自分で地道に作業を続けることにしていた。
 チャロ・モの出力した小説によると、弟が生まれたのは須山が三歳のときということになるが、さすがにその頃の日記は存在しておらず、秋谷の探した限りでは須山の家には彼の子ども時代の情報を記したものはほとんど存在していなかった。
 念のため、何か須山の幼少期を知る手立てはないものかと、弟の話にはふれずに史織にメールを送って訊ねておく。万が一、手がかりが残っているようなら、ぜひともチャロ・モに学習させておきたかった。
 客注品の詩集を発送して、駅前のスーパーで夕飯用にパックの寿司を購入する。理央がいない夜は弁当や総菜などで済ませてしまうことが多い。多少の寂しさはあるが基本的に一日中家で仕事をしている秋谷にとっては、週に何度か完全に一人で過ごせる時間が存在するというのは悪いものではなかった。

午前中、チャロ・モの執筆は休みにして須山の家に立ち寄り、十年分の日記代わりのノートを持ち出してきた。今までは三年分ずつ入力作業をすすめていたが、すこしペースを上げてなるべく早くチャロ・モの情報をアップデートしてやりたかった。
 すでに何度か確認していたが、まだ見逃しているメモ書きなどがないかどうか、念のため書斎の抽斗ひきだしあらためておく。無造作に詰め込まれている筆記用具をかき分けていくと、奥のほうに半分に割れたコインのようなものが見つかった。コインの表面には数字や文字はなく、幾何学的な模様が薄っすらと刻まれている。
 スロットに使うコインでもくすねてきたのだろうか。執筆には関係なさそうなガラクタだったが、気になって、秋谷は書類封筒の一つにコインの欠片を放り込んでおいた。
 午後、秋谷が待ち合わせをしていた喫茶店に入ると既に九重は席に着いてタブレットで何かを読んでいた。九重がこちらに気がついてタブレットの電源を落とし、軽く手を挙げる。その動作は軽快で、微笑を浮かべた表情も明るく、須山よりも年上とは思えない若々しさを漂わせている。
 八十歳を超えても九重の思考は明晰であり、解題の内容は申し分なく、須山関連の情報に事実誤認は一つも見つからなかった。ほとんど秋谷からの指摘はないきれいな校正紙を九重に渡す。
 パラパラとめくりながら「この程度なら、データでもらう形でも構わなかったのに」と九重は笑ったが、秋谷が折り入って訊きたいことがあったのだと伝えると関心を示した。
 結論としては、九重も須山の弟については何も知らなかった。秋谷と同様に、須山の小説はすべて読んでいるが、弟に関する記載は記憶にないと九重は断言した。また、文脈から弟の存在をにおわせるような記述も思い当たらないという。
 しかし、九重はチャロ・モが弟を登場させたことについては否定せず、むしろ面白がっている様子で「その続きがどうなるのか、私も気になるね」と言う。続きに責任を負わなければならない秋谷とは違って、九重は完成した小説を読む立場なのだから気楽なものだと思いながら、「とにかくこのまま続けてみます」と応えておく。
 帰宅すると理央が戻っており「ただいま」と声を張ると奥の部屋から「おかえりー」と返ってくる。どうやら部屋で作業をしているらしい。理央の部屋を覗いてミシンに向かっている背中に「何作ってるの」と声をかけると「いま、バッグづくりにハマってて」とのこと。
「うん」と応えて仕事部屋へ入り、秋谷も須山の家から回収してきた日記の入力作業をはじめる。その横でチャロ・モには短編小説の課題をいくつか与えて出力させる。明日は遺稿の続きを書かせるつもりなので、なるべく今日のうちに日記を多めにチャロ・モに学習させておきたかった。
 須山のことをよく知る秋谷にとって、彼の日記を読んでいくことは単純に面白かった。作家としての須山のファンでもあるため、デビュー当時の苦悩や、ある作品の執筆時の裏話など、作品の発表年代と併せて読んでいくことで、より作品を深く知ることができる気がした。
 須山の小説のほとんどは半私小説的なものであったが、デビュー当初はなかなか小説が売れず、別名義でエンターテインメント寄りのミステリやSFを書いていた時期もあった。その当時の日記にあった、けっきょくエンタメでは執筆AIには勝てないという須山の苦悩や葛藤を秋谷は興味深く読んだ。エンタメ作品の多くは完全なフィクションであって、秋谷が須山と仕事をするようになったころには、すでにそうした作品は書かれなくなっていた。別名義とはいえ須山の文章を読みなれた者にとっては、彼の作品だと思わせる特徴が滲み出しており、秋谷は須山のエンタメ小説も好きだった。
 チャロ・モにはそれらの作品も学習させてあったため、もしかすると「弟」はそうしたフィクションの部分を反映して登場したキャラクターかもしれないと秋谷は思い至る。しかし須山のプロットにはミステリやSF的な要素はみられず、今のところチャロ・モが出力した内容にもその一面はなかった。
 あるいはこのあとの展開で何か事件が起こるのかもしれない。だが、須山の遺稿がもしミステリやSFとして完成してしまったら、第三稿も没にしなければならないだろう。それは今の彼の読者が求めているものとは違う。
 とにかく続きがどうなるのか気になって、明日の執筆に向けて秋谷は熱心に日記の入力作業をすすめていった。

日記の入力ペースを上げると同時に、チャロ・モの出力ペースを倍の八千字に増やしたことで、第三稿は予定よりも早く完成した。書き継ぎ、読み進めながら、主人公・丈二の弟に対する感情の変化に引き込まれ、結末がどうなるのか気になった。優秀だった兄に劣等感をいだいていた丈二は、成長するにつれて兄に似ていく弟に対して冷たい感情をいだくようになる。そして中学三年の夏、大雨の夜に丈二は氾濫する川に弟を突き落としてしまう。
 須山作品の時系列に沿って考えるとすれば、その三年後に兄が自死を遂げることになり、主人公と須山を重ねれば、多感な時期に弟と兄を続けて失ったことになる。
 須山の小説を読み続けてきた秋谷にとって、この結末は収まりがよくしっくりとくるもののように思えた。具体的ではないけれど、これまでのすべての作品に通底する暗さが結ばれて一つにつながったような感覚があった。しかし、秋谷は完成した小説を読んだ後に須山のプロットを読み返し、果たしてこれが完成版として相応ふさわしいのだろうかという不安を覚えた。
 須山が書こうとしていたものはこれなのか、そんな疑問が脳裏をよぎり、次第に大きくなっていく。もちろん、その疑問に答えられる者はこの世界に存在しない。チャロ・モはただ秋谷の指示に基づいて小説を書くことだけをして、それが正しいものなのかどうか、判断を下すことはできない。現時点ではチャロ・モは著者であって著者ではないのだ。
 執筆AIの出力した作品は、内容が確定して商品としてパッケージ化されてはじめてAIに著作権が付与されることになる。人間とAIの共作の場合、権利は執筆の分量に応じて按分ということになる。AIの単著の場合でも、AIが何の指示もなく自発的に文章を書くということはないし、書いた後に出版のプロセスに乗せることもできないため、編集作業はAIが行う場合も多いとはいえ、発端となる指示出しと出版流通に乗せる部分はあくまで人間が行うことになる。
 著者となったAIの印税分は指示書の作成者に一~二割程度、残りが開発会社に支払われる形が一般的だが、その一部はAIのバーションアップやメンテナンスなど、維持・開発のための費用にあてられる取り決めになっている。つまりAIが書いた作品が売れ続ける限り、AIはどんどん進化し続けるのだ。
 秋谷が数多あまたある執筆AIのなかからチャロ・モを選んだのは、クセが少なく最もベーシックな執筆能力を備えているという評判や、執筆AIマッチングサイトで須山の文章を使って何度かマッチングを行った結果、チャロ・モが選択される回数が一番多かったことなどの理由による。
 須山の遺作が完成して出版されたあかつきには、著者のクレジットは須山七房とチャロ・モVersion17.0.1という形になる。そこに秋谷の名前はない。しかし、須山に任された以上、内容を最終的に確定させてクオリティを保証するのは秋谷であり、タイトルを決定するのも編集者たる秋谷の仕事であり責任だった。
 このまま大筋を確定させて、あとは細かい部分のブラッシュアップを重ねていくべきなのか、第三稿の脱稿後、秋谷は決めかねていた。たしかに収まりはいいように思えるが、かすかな違和感も残っている。
 別に即断即決しなければならない理由はない。けっきょく、しばらく寝かせておいて、時間をおいて読み直すことに決めた。
 念のため、須山が中学三年だった年に、彼の住んでいた地域で大雨があったのかどうか、天気情報のアーカイヴで調べてみると、七月二十三日に台風が通過している。小説内での季節は夏、ちょうど夏休みが始まったころに設定されていて時系列としても一致していた。

秋谷がチャロ・モの出力する文章に対して不満を持っている点の一つに、身体感覚の希薄さがあった。チャロ・モにもともと備わっている表現能力に加えて、須山の文章を大量に学習することで、表面的には過不足なく「須山っぽい」文章を書くことができていたが、いま一つ臨場感や身体性が弱く感じられる場面が時折見受けられた。
 ストーリーの展開などは違和感なく構成されるようになったが、日常のちょっとした動作の描写などに物足りなさを感じてしまう。
 そこで秋谷はチャロ・モに「身体」を与えることを思いついた。最終的に第三稿を採用するにせよしないにせよ、次の執筆やリライトまですこし間をおくことに決めたので、その間にチャロ・モに身体を使った体験をさせて、執筆能力の向上につなげられないかと考えたのだ。
 後付けでAIの搭載が可能なロボットは様々なバリエーションが用意されているが、そのなかには人型もあり、言語専門のチャロ・モでも、ロボットに内蔵されている運動連携マニュアルや動作サポートとつながれば、通常人間が行う動作は問題なくこなすことができるはずだった。
 問題は金銭面で、できれば須山の体格に近いロボットを使いたかったが、大人サイズとなると秋谷にはなかなか手が出せない金額になる。子どもサイズもそれなりに値は張るが、レンタルであれば何とか工面できそうだったので、理央とも相談してチャロ・モを子ども型ロボットに搭載して、しばらく一緒に暮らすことにした。
 金銭の点については理央はとくに反対はしなかったが、同居人が一人増えることについては、馴染めるかどうか不安と楽しみが半々だと言っていた。
 身体を与えられたからといってチャロ・モが自らの意思をもって勝手に行動をはじめるわけではない。こちらから何か指示を出さない限り、基本的にチャロ・モはじっと座っているくらいのものだと秋谷は説明した。
「置物みたいにじっとされてるのも逆に怖いけどね」と理央は笑いながら、「ま、反対してもどうせやるんでしょ」と諦め半分で秋谷の提案を受け入れてくれたのだった。
 チャロ・モに身体を与えるのは、あくまで執筆能力の向上が目的であるため、五感機能のオプションは付けたが、独自の判断で行動したり人間らしく振舞ったりするような人格オプションを並載することはしない。人格の付与にコストがかかることはもちろん、チャロ・モが自ら思考するようになれば、これまでに学習させてきた須山のデータに、秋谷のコントロールの及ばない新しい要素が次々と上書きされてしまうおそれもある。これまで秋谷の指示に基づいて執筆を行っていたように、これからもチャロ・モは何らかの指示に基づいて行動するのだ。
 チャロ・モに身体を使った仕事をさせることを先に覚えたのは理央だった。掃除や食器洗いといった家事を手伝ってもらったり、ちょっとした暇つぶしにゲームの対戦相手をさせたりと、思いのほかうまく付き合っている様子で、秋谷は安心する。
 そのうち買い物の荷物持ちにチャロ・モを連れだしてもいいかと理央に訊かれ、破損や衝撃によるデータ消失の懸念はあったが、家の中だけではない外界の視覚情報を得ることも何かの参考になるだろうと考えて、許可することにした。
 理央とともに過ごすことで、チャロ・モの身体機能に対する感受性が向上したのか、出力される短編の質も少しずつ良くなっていき、描かれるディティールも細やかになったような気がする。
 結果的に子ども型のロボットにしたことで、少年時代の描写力が向上する形になったので正解だったのかもしれないと秋谷は考える一方で、大人の須山が書いた子ども時代の描写というリアリティを追求するならば、チャロ・モにもその部分を想像させて書かせたほうがいいのかもしれないとも思う。
 秋谷と理央の生活のなかにチャロ・モが馴染みはじめた頃、史織から以前送ったメールに対する返信があり、須山の故郷の町に彼が幼少期に住んでいた家があり、庭の蔵のなかに何か資料として使えるものが残っているかもしれない、ということだった。
 北陸地方の山間部にある小さな町が須山の生まれ故郷だった。須山の子ども時代にはすでに過疎化が進んでいたが、その後、駅を中心としたコンパクトシティ化が成功し、小規模ではあるが現在まで自治体として継続している。
 史織に教えられた住所をコンピュータに入力して、マップを表示させると、須山の家がある場所はすでに居住区外となっており、廃墟に近い状況らしかった。いちおう土地建物の権利は史織が相続したらしいが、はっきり言って負動産となっているとメールの末尾に付け加えられていた。
 チャロ・モもだいぶ身体に慣れてきた様子だったので、一緒に連れ立って須山の故郷を訪ねることを秋谷は決めた。しばらくチャロ・モと取材旅行に出かけると理央に告げると、「チャロ・モがいないと寂しくなるな」と返されて、秋谷は苦笑する。
 荷物を簡単にまとめながら、旅先でチャロ・モを休ませる際にロボットの身体から移行するためのコンピュータをどうするか思い悩む。ふだんチャロ・モを起動させているデスクトップのコンピュータは持っていけず、秋谷が仕事に使っているラップトップでは性能不足でチャロ・モをまともに走らせることはできない。
 旅行中はチャロ・モを身体のなかにとどめておくこともできるが、常に身体情報を与え続けるのは負荷が大きいし、なるべく定期的にアウトプットをさせて学習状況を確認しておきたかった。しかし、ただでさえロボットのレンタル料で家計が苦しいのに、旅行に出かけるうえに高性能なラップトップを購入することなど叶わず、仕方なく身体に入れたままチャロ・モを連れ回すことにした。

北陸リニアに乗り、長野から先に続くトンネル群を抜けながら、秋谷はどこか深い場所へ下りて行くような感覚にとらわれる。須山の故郷を訪れるのは初めてで、無意識のうちに期待や緊張があるのかもしれない。朝日トンネルを抜けると、さらにその感覚は深まり、須山の小説の世界に引き込まれていくような気がした。チャロ・モも興味深げに外の景色を眺めている。
 ターミナル駅に到着した後、私鉄に乗り換えて須山の故郷の町を目指す。三両編成の旧式電車に乗って県内を移動するのは、リニアとは比べものにならないくらい長く感じられたが、窓の外を長閑に流れていく景色を眺めているのも悪くない。チャロ・モも隣の席にじっと座って須山が育った場所の風景をインプットしている。
 降りた駅から須山の実家までは、タクシーで十分ほど移動しなければならなかった。駅周辺の町を離れれば、その先はほとんど人の気配はなく、自動管理された田畑やメガソーラーが広がっている。峠のくねった道の先にぽつんと立った色褪せた外壁の二階建てが須山の育った家だった。
 人が住まなくなって長いらしく老朽化はしていたが、建てられた当時の建築基準は満たされているので、建物のつくりはしっかりしており耐震性は問題なさそうだった。史織から送られてきて預かっていた鍵を使ってなかに入る。当然、電気は止められているのでスマートキーは使えなかった。
 外はまだ残暑が厳しかったが、家の中に入ると断熱性能はしっかりしているらしく、涼しいくらいだった。青味がかった磨りガラスによって和らげられた外からの陽射しが、細かく漂う埃を照らしている。
 居間の戸棚、上から二段目の抽斗に蔵の鍵が入っている。史織に教えられた場所で鍵を見つけると、そのまま蔵には向かわずにチャロ・モを連れて二階の須山の部屋へ行く。
 高校を卒業した須山は自死した兄の幻影を追いかけるように町を出て東京へ向かった。それはあくまで小説に描かれた物語の一幕ではあるけれど、おそらく須山自身もほとんど同じ状況でこの町を離れたのだろう。
 その後、果たして須山はどれほど実家に戻ることがあったのだろうか。部屋は須山が出ていったときのままのように、勉強机とベッド、本棚が残されていた。秋谷は部屋の窓を開けて少年時代に須山が見ていたのと同じ景色を眺める。視界に見える家々には今はもう誰も住んでいないのだろう。
 机の抽斗を開けてみたが、いくつかの文房具が入っているだけだった。本棚に並んでいる数冊の紙の本は埃を被っていたが状態は良く、持ち帰ってあとでチャロ・モに学習させることにする。本と本の間に須山が使っていたタブレットが挟まっていた。電源ボタンを押しても当然充電は切れていたが、もしかするとこのなかに重要なデータが残っているかもしれない。
 出ていくときに片づけたのか、部屋にはほとんど物がなかった。秋谷が部屋を出ようとすると、ずっと後をついてきていたチャロ・モが名残惜しそうに部屋の中央に佇んでいた。
「チャロ・モ、行こう」と秋谷が声をかけると、チャロ・モは頷いてゆっくりと歩きだす。
 階段を降りて玄関を出て裏庭に回ると小さな蔵があった。持ってきた鍵で開錠してなかに入ると、蔵は古い土壁でできているらしく、なかはひんやりとして黴臭い。ここに資料が保管されていたとすれば、だいぶ傷んでしまっているかもしれない。
 チャロ・モと手分けをして積まれた荷物を整理していると、ダンボール箱に詰められたアルバムが出てきた。貼りついたページを音を立てて剥がしながらめくっていくと、子ども時代の須山の姿が見つかる。なかには学生服姿の兄の写真もあり、秋谷が小説のなかでイメージしていたよりも少しやせていて背が低かった。
 そして、今まで小説のなかにしか存在していなかった弟の写真も見つかった。やはり須山には弟がいたのかと驚くと同時に、なぜチャロ・モがそのことを知っていたのかと改めて不思議に思う。弟は須山よりも兄に似ている。
 家族五人で写った写真を見ると、須山は父親似で、兄と弟は母親に似ているようだった。三十年近く前に書かれた須山の小説に、父親の葬儀の話があったことを秋谷は思い出した。
 蔵の中からはアルバムのほかにも映像記録を残したらしい古いUSBメモリがいくつか見つかった。他には衣類や玩具などもあったが、それらはデータ化してチャロ・モに学習させることができないため、その場で見たり触れたりすることで記録させておく。
 思いつきで、チャロ・モに須山が子どものころに着ていたらしい浴衣を羽織らせてみる。チャロ・モは物珍しそうに浴衣の袖や裾を引っ張って形状を確認している。蔵からアルバムとUSBメモリを持ち出すとかなりの量になった。さらに須山の部屋から本を持ち出すことを思うと、帰りは大荷物になりそうでため息が出る。
 荷造りを終えて、通信端末でタクシーを呼び出そうとしたが、もうしばらく家の周囲を散策してみることにした。チャロ・モの小説が事実に近いものであるとすれば、家のそばに川が流れているはずだ。
 地図で確認したところ、裏手の道を五分ほど行ったところに以前は川が流れていたらしいが、行ってみるとき止められて枯れていた。低い崖のようになっている斜面を、足元を確認しながら下りて行く。元は川底だった場所に立って周囲を見渡してみて、たしかにこの深さや川幅では、増水したところに落ちたら助からないかもしれないと納得する。
 チャロ・モは川岸のあたりに立ったまま、底のほうへ入ってこようとはしない。一度呼びかけてみるが反応がなく、もう一度、少し声を張って呼ぶと、ようやくゆっくりとした動作でこちらへ近づいてきた。
 須山の実家に着いたあたりから、どうもチャロ・モの様子がおかしい。普段よりも動作が鈍く、秋谷の指示への反応も遅くなっているようだった。
 秋谷は「どうかしたのか」と確認してみるが、チャロ・モは「問題ありません」と短く答えるだけだった。
 川底から引きあげて、川沿いの道を歩いていくと橋が見えてくる。橋を渡って丘を巻くように続く緩やかな坂道を登っていくと、古い日本家屋がならんだ町並みが広がっていて、町の入口にあった案内板に、ここが景観保存地区であったことが書かれていた。すでに無人になっている町はVR空間として完全にデータ化されており、駅のそばに建てられた郷土資料館にアーカイヴとして残されているらしい。
 誰もいない町を秋谷はチャロ・モと歩く。細かく分かれて入り組んだ道は奥にあるかつて自然公園だった場所につながっており、やがて一つに収束してアスファルトから石畳に変わっていく。道の奥には長い階段が続いており、その先が自然公園になっているらしいが、苔生こけむした長い石の階段、鬱蒼うっそうと繁った木々、そして脇に立てられた「熊に注意」という看板が、それ以上先に進むことを躊躇ためらわせた。
 風が木の葉をそよがせて、周辺にさやさやと音が響く。引き返そうとして振り向くと、すれ違うようにチャロ・モが前に進もうとする。その先に何があるというのか、チャロ・モの意思に導かれるように秋谷は後ろに続いて階段を登っていく。不意にチャロ・モが石段を駆け上りだして、慌てて秋谷は追いかけようとするが普段の運動不足がたたり途中で息切れしてしまう。呼吸を荒げながらようやく階段を登り切った先には進入禁止のロープが張られていた。入口の石碑には神陰公園みかげこうえんという文字が刻まれている。
 まだ陽は残っているが木々に覆われたその場所は薄暗く空気もひんやりとしている。すこし離れた先に古びた遊具が廃墟のように並んで見えている。
 周囲を見回してみるがチャロ・モの姿は見えない。仕方なく秋谷はロープをくぐって公園のなかに侵入する。入口脇に設置されていた案内板によると公園は大きな円形をしており、中央にある「ドーナツ広場」を円状の歩道が三重に取り巻いている。その合間に遊具や休憩所が設けられているらしい。秋谷が入ってきたのは南西にある古山門という入口だった。
 ひとまず正面の道を真っ直ぐに進み、中央のドーナツ広場を目指す。山のなかにつくられた公園はすり鉢状になっていて、外側から上ってきた階段を、今度は中央に向かって下りて行くような格好になる。
 ドーナツ広場を見下ろすと確かに円形に敷き詰められた芝生の上に、○のような形で土が露出した状態になっている。そして、丸い芝生の中央にチャロ・モが立っている。
「どうしたんだ」と声をかけると、チャロ・モは秋谷のほうに顔を向けて「待っています」と応えた。「何を」と秋谷が質問を重ねると「迎えにくるのを」と返して、視線を上に向ける。秋谷も見上げてみるが、雲一つない青い空が見えるだけだ。
 しばらくチャロ・モを放っておくことにして、土の露出している場所にしゃがみ込んで地面にふれてみる。ひどく乾いた土は陽を浴びて焼けるように熱くなっていた。広場の隅に設置されていた看板によると、円形に土が露出した部分はけっして草が生えてこない不毛の地になっているらしい。いつからこの状態なのか、なぜこれほどきれいな輪っか状になっているのかは不明だが、公園ができる以前、この場所が深い山だったころからこの状態だったという。
 神陰みかげという名称は、かつてこの辺りは子どもの行方不明者が多く、神隠しが由来になっている、と書かれており秋谷は不安を覚えて芝生の中央を見るとチャロ・モの姿がない。
 慌てて周囲を見回しながら「チャロ・モ」と呼びかけると、茂みのなかから「はい」という返事がある。茂みから這い出してきたチャロ・モは秋谷のほうへ近づいてくると、握っていた手をひらいててのひらのうえに載っているものを見せながら「落とし物を見つけました」と言った。
 チャロ・モの手に載せられていたのは半分に割れたコインのようなもので、秋谷には見覚えがあった。それは須山の書斎の抽斗のなかで見つけたコインの片割れに違いない。秋谷はコインのことなどすっかり忘れていたが、予想外の場所で思い出すことになり、戸惑いながらチャロ・モの手からコインをつまみとった。汚れてはいたが、それは確かに須山のコインの半分のように見えた。
 秋谷は急に背筋に寒気を感じて、コインをポケットにしまうと「そろそろ戻ろう」とチャロ・モに声をかけ、すり鉢のなかから外へ向かって階段を登りはじめる。やがて入口まで戻ってきて、そのまま緑のアーチのなかを下り、古い町並みを抜けて橋を渡り、須山の実家に戻った。
 ドアを開けて再び家の中に入り、リビングと須山の部屋以外の場所を確認していくと、二階の奥の部屋に小さな仏壇があった。仏壇の横の低い棚の上には、須山の父親と兄、そして弟の写真が飾られている。部屋の片隅には埃をかぶった天体望遠鏡が置かれている。空が広く空気も澄んでいるので、夜は遠くの星がきれいに見えそうだ。
 須山の母親は最後まで一人でこの家で過ごしたのかもしれない、と思いながら秋谷は仏壇に向かって手を合わせて黙祷する。
 タクシーを呼ぶと、到着まで十五分ほどかかるということだったので、秋谷は見落としたものがないかどうか、もう一度家の中を回った。チャロ・モは須山の部屋が気に入った様子で、勉強机から椅子を引き出して腰掛けている。けっきょく須山本人に関連した重要そうなものは見つからず、秋谷は荷造りしておいた資料のなかから、須山の小学校の卒業文集を見つけてページをめくり、須山の文章を見つける。
 将来の夢はゲームクリエイター。ロールプレイングゲームが好きだったらしい須山少年は、ゲームのシナリオライターになりたかったらしい。結果的には小説家になって、形は違うけれど物語で人を楽しませる仕事に就いたのだから、須山は子どものころの夢を叶えたことになるのだろうか。
 文集を荷物に戻すと、家の前にタクシーが停まる気配があった。秋谷がチャロ・モを呼ぶとすぐに二階から降りてきて、秋谷の横に立って静止した。荷物をタクシーに運ぶのをチャロ・モにも手伝わせる。無駄なくテキパキと働いている様子で、どうやらチャロ・モの調子は元に戻ったようだった。荷物は最寄りの駅までタクシーで運んだあとは、駅前で適当な店を見つけて宅配便で自宅へ送るつもりだった。
 駅前まで戻り、荷物の手配を終えて、今日はこの町で一泊するつもりで予約しておいた駅の正面にある唯一の旅館に向かおうとして、秋谷は郷土資料館のことを思い出した。
 駅に設置されている町の案内地図を見ると、資料館はすぐそばにあり、地図上の現在位置を確認してその方向に視線を向けるとそれらしき建物の黒い瓦屋根が見えた。閉館までにはまだすこし時間がありそうだったため、秋谷はチャロ・モを連れて資料館へ向かった。

資料館の入口で大人一人分の入館料を支払い、チャロ・モのAI番号を登録して学習記録許可を得る。基本的に公共の文化施設はAIの学習用にも開放されている場合が多いので問題なく受理される。平日の夕方ということもあってか、館内には他に客の姿はない。
 町の成り立ちや年代ごとの写真展示、祭りや伝統的な風習の紹介などが続く。面白い展示としては「UFOの里」と題したオカルトコーナーがあって、UFOの目撃情報や空に光る物体が浮かんでいる写真が並んでいる。さらに奥にはVR映像によって再現された古い町並みを体験できるコーナーがあった。体験用のブースは四台あり、再現できる年代は五年刻みで設定できるようになっていたため、秋谷は須山が中学三年だった六十五年前に設定する。
 ブースの一つにチャロ・モを座らせて、視覚や聴覚情報にアクセスできるよう機材を接続してやる。これで小説の舞台となっている時代と場所をチャロ・モはある程度のリアリティをもって体験できるだろう。
 コンソールに表示されているマップでスタート位置を指定し、その後、日時まで設定できることに秋谷は驚く。これはどうやら季節感や朝・夜といった環境を演出するための設定らしい。
 推奨されるスタート位置は景観保存地区の入口とされていたが、秋谷は須山の実家の前を指定する。そして、日時を七月二十三日の夕方に設定した。
 チャロ・モをVR体験に送り出してから、秋谷も隣のブースに入って装置を身につけてVR空間へ入って行く。
 いきなりの風雨に一瞬身を引きかけて、それがVRによって再現された台風であると気づいて秋谷は軽く背筋を伸ばした。目の前には須山の実家があり、台風に備えて窓にはシャッターが下ろされている。
 さすがに家の中に入ることはできないが、建物のつくりは先ほど見てきた本物と寸分違わないように思えた。裏手の道を川を目指して歩いていく、風の音は激しく雨は視界を遮るように注いでいるが濡れることはないという奇妙な感覚のなかを進んでいくと現在は枯れてしまっている川には水が満ち溢れ、濁流が荒々しく波打っている。
 どうせVRなのだからと、秋谷は恐る恐る川原まで近づいていき、そのまま川のなかへと突き進んでいく。視界が濁った水に覆われて先が見えなくなるが、構わず対岸まで直進していった。渡り切って、川沿いを橋のほうに向かって歩いていくと、橋の上に誰かが立っているのが見えた。
 近づいていくと、相手と目が合う。それは少年時代の須山だった。須山はこちらに気がつくと、少し驚いたような表情を浮かべ、橋の先の丘の坂道のほうへ駆け出していった。須山を追いかけるように坂をのぼり、景観保存地区に到着する、入り組んだ道の先の角を曲がっていく子どもの後ろ姿が見え、秋谷は小さな背中を追いかけていく。
 基本的にはVR空間のなかをコントローラーを操作して移動しているだけなので、いくら走ったところで疲れるはずはないのだが、一行に追いつくことができないもどかしさから、秋谷は大きくため息をついた。
 どんどん町の奥へと向かいながら、おそらく須山は自然公園に向かっているのだろうと秋谷は予測する。果たして、須山は小さな滝のように雨が流れ落ちている石階段を駆け上がっていき、やがて公園の入口で立ち止まった。
 ようやく追いついて、秋谷は須山のすぐ後ろに立つ。強い風に煽られてブランコが躍るように舞い揺れて、ガチャガチャと激しく鳴っている。
譲二・・くん」
 秋谷は須山の本名で、目の前に立つ少年に呼びかける。須山は振り返って、じっとこちらに視線を向けてから「弟が……このくらいの」と自分の肩のあたりまで右手を上げて示しながら「見ませんでしたか」と訊ねてきた。
 秋谷は小さく首を左右に振る。須山の表情は弟を心配しているように見えて、このあと川に突き落とすことになるとは思えなかった。晩年の須山と同じ澄んだ黒い瞳に、秋谷は懐かしさを覚える。
 自然公園は小さな山のなかにつくられており、細い道や急な斜面も多く、雨にぬかるんだ状態で強風のなかを進むには危険すぎる。須山はしばらく公園の入口に立っていたが、「もしかしたら、待っているのかも」と独り言のように呟くと、公園の奥へ向かって駆け出していった。
 小説の展開では、須山は公園から引き返した後、橋のところで弟を見つけて、台風のなかで何をしていたのかと問い詰めるが、弟が返答を拒否したため言い争いになり、その流れで弟は川に転落することになる。
 ここで須山を追いかければ、真相がわかるかもしれない。秋谷が駆けだそうとしたところで、閉館十分前のメロディが鳴り、VR体験の時間は終了してしまった。
 装置を外してブースを出た秋谷は、隣のブースでチャロ・モの接続を解除してやりながら、いったいチャロ・モはVR空間でどんな体験をしたのだろうかと想像する。
 旅館で休んでいる間も、VRの続きが気になってしまいよく眠れず、翌日、もう一度同じ設定で体験してみたが、橋の上に少年の須山が現れることはなかった。

東京に戻り、須山の実家から持ち帰った資料をチャロ・モに学習させていく。その間に、秋谷は第三稿を何度か読み返した。展開に違和感はなかったし、文章も脱稿後さらに学習を重ねたチャロ・モにブラッシュアップさせれば、より須山らしく洗練されるだろうと思えた。
 しかし、VRの嵐のなかで見た須山少年の表情が秋谷の心に引っかかっていた。そもそもあの少年の存在はいったい何だったのか。翌日には現れなかったことからして、もともとVR空間に設定されていたキャラクターというわけではなさそうだった。係員の説明ではそれぞれのブースは独立して動いているということで、実際、後からチャロ・モの学習記録を解析して確認してみたが、その体験のなかに須山少年は存在していなかった。
 何らかのバグか、あるいは秋谷の願望が生み出した幻覚なのか。答えは出せず、ただわだかまりとしてだけ残り、秋谷の決断を鈍らせていた。
 持ち帰った資料のなかで最も有益だったのは、本棚で見つけたタブレットで、データを復元してみると須山が当時つけていた日記が残っていた。しかし、弟の死んだ日付の数日前から日記は中断されており、どうやら再開したのは大学に進学して東京に出てきた後のことで、それは須山の家にノートとして残されていた日記の一冊目だった。
 中学三年の夏から高校卒業まで、日記はすっぽりと抜け落ちており、その間の出来事を小説として書いたものが、須山のデビュー作の「孤独な夏」と、今回の遺稿ということになる。
 ちなみにチャロ・モの拾ったコインに対するはずの片割れは、書類封筒に入れて須山の家から持ってきたはずだったが、資料の山に紛れてしまったらしく見つけられず、けっきょくコインは半分のまま秋谷の手元に残ることになった。
 チャロ・モの学習を終えると、秋谷はどうしても第三稿をすっきりと受け入れることができず、これが最後というつもりで改めて第四稿に挑むことに決めた。もしかしたら、今度は弟が登場しないかもしれない。それならそれで、あたう限り須山の情報を詰め込んだチャロ・モが、最後にどんな物語を出力するのか、見届けるつもりだった。
 あるいは、やはり弟は出てくるが死なないかもしれないし、須山の手によってではなく事故で死を迎えることになるかもしれない。そう考えて、秋谷は自分が須山の殺意を否定したがっていることに気がついてしまう。
 須山作品に通底している暗さが、弟を殺した罪の意識ではなく、弟を助けられなかった後悔の念であって欲しいと思ったのだ。それは秋谷の甘さで、そのせいで脱稿の決断が下せなかったのだとしたら、編集者としてはふさわしくない。
 だが、須山作品の読者として、彼の探求し続けた先にせめて何か小さな救いがあって欲しいという願いをもってしまうのだ。
 十二万字の分量でチャロ・モによって一気に出力された第四稿に登場した弟は、須山によって川に落とされてしまう。やはり結末は変わらず、秋谷はこれを最終稿とすることに決めた。
 数日かけて細かい部分を調整して、初校ゲラを九重と史織に送る。
 九重からは、よくここまで須山の文体を再現できたものだ、興味深く拝読させていただきました、お疲れ様。といった感想が送られてきて、刊行の際には解説を書かせてほしいとコメントが添えられていた。
 史織からはしばらく連絡がなかったが、待つあいだに他の仕事をこなして過ごした。九重の解題は校了し、南のエッセイ集も完成した。レンタルしていたチャロ・モ用のロボットは脱稿後に返却したため、チャロ・モは再びデスクトップ・コンピュータのなかだけの存在に戻っていた。無事に小説が完成すれば、リース期間の終了と同時にチャロ・モともお別れだ。もっとも、執筆AIのリース期間は二年契約が一般的なので、まだ一年以上先の話ではあるが、これ以上、チャロ・モに頼む仕事がないことも事実だった。
 せっかく須山に関する様々な情報を学習させたのだから、もっといろいろな新作を書かせてみるということも考えられなくはなかったが、もともと須山は「リアル作家」であったわけで、今回は須山から「好きにしていい」と許諾を得たから執筆AIの力を借りたにすぎない。
 チャロ・モによって書かれた第四稿は、秋谷が読んでも須山の作品に遜色ないとはいえ、やはり純粋な須山の小説ではなく、朱明書房の編集責任者として、秋谷には今後AI作家の作品を刊行するつもりはなかった。
 感想を伝えたいと史織から連絡があり、彼女の家のそばの喫茶店で会うことになった。AIの書いたフィクションとはいえ、父親の過去の罪を暴くような内容の小説を史織がどう読んだのか、秋谷には若干の後ろめたい気持ちもあった。
 お互いに「お久しぶりです」と挨拶を交わし、秋谷はアイスコーヒーを、史織はホットのミルクティーを注文したところで、「父に弟がいたことを私もあるときまで知らなかったんです」と史織が話を切り出す。
「一度だけ、父は弟――雄三ゆうぞう叔父の話をしてくれました」
 その話はほんの短いもので、仲の良かった弟が子どものころに事故に遭っていなくなった、という程度の内容だった。そのときに須山が寂しそうに呟いた「俺を置いて行っちまったんだよ」という言葉がやけに印象に残っていると史織は言う。
 上京後、須山は実家とは疎遠になってほとんど交流がなかったため、史織は父親の実家のことについてはあまり知らないらしい。それでも何年かに一度、七月の弟の命日に近くなると須山は一人でふらっと墓参りにでも帰っていたようだと史織は付け加えた。
 今回、ちょうど相続の関係で須山の実家のことについて考えていたところに秋谷に情報提供を求められて、遺品の中から鍵を見つけて送ってくれたのだった。話を聞いていて、史織自身はそれほど父親の故郷に関心がないようだと秋谷は思った。
「この小説と、父が弟の話をしたときの印象とは、だいぶ違うように感じます」と史織は言って「ただ、父の小説は必ずしもすべて真実を書いたものではありませんでした」と続ける。史織自身が、小説の主人公の娘として須山作品のなかに登場する。もちろん小説のなかにはよく知っている母親のこと、そして父親である須山自身のことも描かれている。その史織が「父が書くとしたら、もしかしたらこういう書き方をしたかもしれない」と言ってくれたことに、秋谷は救われる思いがした。
「父はひねくれたところがありましたものね」と史織が笑い、そのひねくれに十年以上振り回されてきた秋谷は苦笑を返す。若く見えるが史織は秋谷よりも十歳ほど年嵩であり、笑ったときの目元のしわが晩年の須山にそっくりだった。
「秋谷さんが納得されたものであれば、父に不満はないと思います。もちろん、私も納得しております」
 史織は深く一礼をする。こうして須山七房の遺作が完成した。史織との別れ際、秋谷はコインの欠片を見せて、何か知らないかと訊ねてみたが、史織は初めて見るもので思い当たることは何もないと答えた。
 その後、チャロ・モとやり取りをしながら、タイトルは「冷雨の橋」と決めた。VRの町で打たれた架空の雨が、ひどく冷たかったような気がしたからだ。

話題作りの意味もあって、「冷雨の橋」と須山七房全集の第一巻を同時刊行したところ、秋谷の意図どおり、これまでに刊行してきた須山の小説以上に事前の予約注文が多く入った。
「冷雨の橋」が新聞の書評欄に取り上げられた際に「稀代のリアル小説家、最初で最後のAIとのコラボ」という見出しが注目を集めたことも大きかった。
 全集の一巻目は初期短編作品を集めたもので、電子版が刊行されず気軽に読めなくなっていた作品も収載しており、各短編それぞれを電子版で安価に提供することで須山作品にふれやすくなった。
「孤独な夏」と「冷雨の橋」を同時期に刊行し、どちらにも九重の詳細な解説を付けられたことで、これまでの須山ファンだけでなく、新たに興味を持ってくれた読者にとっても須山作品の世界に入って行きやすい環境を用意できたことも、秋谷にとっては満足のいく仕事だった。
 解題や解説以外にも、九重は積極的に書評を出し、さらに書評依頼の献本先を紹介してくれるなど、盟友への手向たむけだと言いながら協力してくれたことも、秋谷には有り難かった。
 須山が埋葬されている燈花苑とうかえんという納骨堂に赴いて刊行の報告をして、ようやく一仕事終えたような気分になった。
 早々に「冷雨の橋」の増刷の目途がたち、この勢いが衰えないうちに、なるべく早いペースで全集を刊行していきたいと考えながら、作業を続けていた矢先、秋谷のもとに映画プロデューサーを名乗る賀藤がとうという人物から「冷雨の橋」を映画化したいという話が舞い込んできた。
 これまでにも須山作品は映画や単発の二時間ドラマなど、何度か映像化されたことがあり、秋谷にとってもこうした話は初めてというわけではなかった。基本的に自作が映像化される際の須山のスタンスは一貫しており、「小説と映画は別もの」というのがお決まりだった。
 映像化してみたいというのであれば、したいようにしてみればいい。多少なりとも話題になれば小説の宣伝になる。と言って、映像化を拒むことなく作り手の自由にさせるのが須山のやり方だった。そのかわり、須山は映像作品の制作には一切関与しようとはしなかった。脚本はもちろん、キャストに注文を付けたこともなく、秋谷も何度か須山と試写に行ったことがあったが、作品の出来が良かろうが悪かろうが、いつも面白がって観ている様子だった。おそらく須山は、自分の作品を他人がどんなふうにアレンジするのかを純粋に楽しんでいたのだろうと秋谷は考えている。
 そうした事情もあったので、今回の賀藤からの申し出については、念のため一度会って話を聞くことにはしたが、断るつもりは秋谷にはなかった。もっとも、映像化の話というのは水物みずもので、実際に完成までこぎつけるのはタイミングやめぐり合わせ次第といった面も多分にあるため、今回の映像化についても秋谷は期待半分で臨むつもりだった。
「いや、冷雨の橋。拝読させていただきました」
 秋谷が名刺を受け取ると、賀藤は整えられた無精ひげの間から白い歯をのぞかせて微笑みを浮かべた。しかし、黒縁の丸眼鏡の奥にある目は、秋谷を値踏みするように冷静な視線を向けている。
「監督には私と長年組んできて信頼のある和合光太郎を考えています。昨年ヒットした『かるがもシティ』も彼の監督作です。ご覧になられましたか」
 あいにく秋谷は『かるがもシティ』を観ておらず、和合の名前も知らなかったため正直に答えると、賀藤は他の和合の監督作をいくつか挙げていったが、いずれも観たことがなく、タイトルから内容を類推する限り、須山作品との親和性が高いとは思えなかった。しかし、須山ならば逆に面白がって和合に任せるだろうと考え、「よろしくお願いします」と提案を受け入れる。
 賀藤は、実は和合が須山作品の熱心なファンであり、朱明書房から刊行されてきた紙の本をコレクションしているのだといったようなことをひとしきり話した後に「そしてですね、和合にとっては初の試みになるんですが、今回はAI脚本家で行くことにいたします」とようやく核心に触れる。
 賀藤の意図としては、「冷雨の橋」がリアル作家・須山七房の唯一のAI作家との共作であるということがセールスポイントになると考えており、映画もこれまで自ら脚本を書いてきた和合の作品をAI脚本家が手がけるというのが企画の前提となっているという説明だった。
 採用する脚本執筆AIの選定が現在進んでおり、ぜひ秋谷にも参加してほしいという申し出を丁重に断る。須山が映像化に一切関わらなかった以上、秋谷も同じ姿勢をとり続けるつもりだった。
 映像化の話を史織に伝えると、秋谷と同様、須山の映像化に対するスタンスを尊重するという返事があり、原作側としては問題がないということで、賀藤に正式な返事をした。
 しばらくすると賀藤からメインとなるAI脚本家がハッソンというモデルに決まったと連絡があった。ハッソンにサブの脚本家AIをいくつかサポートに付ける形で脚本の執筆を進めるという。なかなか本格的な体制を整えていることに賀藤の本気度を感じつつ、秋谷は「了解しました」という簡単な返事をするにとどめておく。
 ドキュメンタリー映像作家の南から新作のパンフレット制作の依頼を受けて彼の事務所を訪問した際に、秋谷はそれとなく和合光太郎の名前を出してみる。賀藤に会った後、いちおう『かるがもシティ』を見てみたが、二十代後半の青春恋愛ものといった内容でエンターテインメントに特化しており、秋谷にはピンと来なかった。
 デビュー当時はとがった作品を出していて注目していたけれど、今のプロデューサーと組むようになってからは大衆受けを狙った無難な作品ばかりで、個人的には興味がなくなった、安定してそれなりのヒット作を出しているので、監督としての実力はそこそこではないか、というのが南の和合に対する評価だった。
「秋谷さん、和合の映画なんて観るんですか」と南に訊かれて「いや、実は、まだ正式決定ではないんだけど須山の小説の映画化の話があってね」と秋谷は応えた。
「ああ、小説の宣伝という意味では、和合なら外しはしないと思いますよ」
 秋谷としても無事に映画化されて少しでも小説が売れてくれればそれだけで有難い。映像作品やゲーム、マンガをはじめ、「物語」というキーワードでくくっただけでも無数の娯楽に溢れている現在において、小説はマイナージャンルであり、さらにそのなかで高品質の作品を安定的に供給するAI作家がひしめき合っている。
 そんな状況において須山の小説を手に取ってもらうのは稀なことであり、紙の本を購入する読者が二千人近くもいるというのは奇跡的なことだと秋谷は思っている。賀藤の話によれば、和合はそんな奇跡的な読者の一人らしいので、おそらく熱意をもって映画に取り組んでくれるだろう。
 映画には口を出さないとは決めているが、顧客となる読者は大勢いても、身近には九重を除いて熱心な須山読者はいなかったので、秋谷は和合がどんな人物なのか気になっていた。
 一度くらい会える機会があれば、と考えていると、賀藤から打合せに参加してほしいという依頼の連絡があった。こちらのスタンスは伝えてあったが、作品の内容というよりは企画の進め方について参考意見を聞かせてほしいということだったので、無碍むげに断ることもできず、和合やほかのプロデューサーも交えて会うことになった。オンラインではなく対面でということで、何か重要なことを決めるのかもしれない。

須山の一周忌が近づいた寒い日に打合せは行われた。
 名前を聞いた後に写真で和合の顔は確認していたが、実際に会ってみると想像していたよりも小柄で臆病そうな人物だという第一印象を秋谷はもった。
 賀藤に紹介されて「どうも、和合です」と緊張した調子で呟き、会釈する間も太い赤フレーム眼鏡の奥の目を合わせようとはせず、握手を交わした手も乾いてひんやりとしていた。
 今回の打合せでは、ハッソンたちが完成させた脚本の第一稿が主観の視点を多用した独特の構成であったことをふまえて、「冷雨の橋」をVR映画として制作してはどうかという意見がスポンサーの一部から出たため、そのことについて話し合われるらしい。
 秋谷は、コメントを求められた際に簡単な意見を一言二言述べればいいとだけ言われていたので、そのとおりに振舞うことに決めていた。
 配られた脚本にざっと目を通す。映画は弟の死とその後の兄の自死までを描いた内容となっており、「孤独な夏」と「冷雨の橋」を一つにまとめて、短い期間に圧縮したような内容になっていた。
 小説版の「冷雨の橋」において、読者のなかで話題になっていたことの一つに、なぜ弟は大雨のなか出かけていったのか、という点があった。小説のなかで丈二はその理由を知ることなく弟と死別している。
 映画版の脚本には、弟が一人で家を出ていく場面が描かれている。その理由は、数日前に自然公園のなかで遭遇したカモシカの幼獣を心配して様子を見に行ったということになっていた。秋谷はその理由付けをあまり面白いものではないと感じたが、意見はせずに黙っていた。
 制作陣のなかで、この点についてとくに批判的だったのは監督の和合だった。和合の意見としては、「冷雨の橋」のなかで最大の謎となっている点について、安易に答えを提示するべきではなく、明示してしまうことで作品のもつ魅力や余韻が大いに損なわれてしまうというものだった。
 それに対してプロデューサー側からは、エンターテインメントとして気持ちよく鑑賞してもらうために、謎は明確に解き明かして、鑑賞者に疑問を抱かせるべきではない。また原作では謎となっている点について、映画版なりに答えを示すことは話題づくりにもなるという意見が出ていた。
 和合は作品をVR映画化することで、視点を主人公の丈二に限定し、弟の行動は謎のまま残しておく形を主張した。脚本を読んだ限り、たしかに主人公以外の登場人物の視点で描かれている場面はやや蛇足的な印象があり、和合の意見はもっともだと秋谷も思う。
 スポンサーの一部からもVR映画化を希望する声が出ていることもあって、和合は今回の打合せで決着をつけるつもりらしく、熱弁をふるっていた。
 意見を求められた秋谷は「たしかに須山の小説の特徴を考えれば、主観映像による映画化という形はふさわしいもののように思われますね」とコメントした。
 テーブルを挟んで向かいの正面に座っていた和合は秋谷のコメントに力づけられたように大きく頷いて、赤縁の眼鏡の奥から挨拶のときには合わせようとしなかった視線を向けていた。その目力の強さに、今度は秋谷が思わず目を逸らす。何かを期待されても、これ以上映画に深入りするつもりはない。
 その後は具体的なVR映画の制作方法についての話になり、秋谷が須山の故郷にある資料館に町のVR映像が残されていることを伝えると、和合はすでに町を訪問しており、VRも体験済みだという。無人となっている景観保存地区にも足を運び、ロケをやらせてほしいと町と交渉中とのことだった。
 町としては、映画が成功すれば聖地巡礼などとして保存地区や須山の実家周辺の無人地帯を観光資源として利用できるかもしれないと、話に乗り気らしい。
 打合せが終わり、秋谷が退室しようとすると背後から和合に声をかけられた。
「秋谷さん、今度の映画は必ず成功させてみせますよ。須山作品の底に漂う闇を炙り出して、観客を須山の世界に引きずり込んでやります」
 分厚いレンズの奥にある瞳を光らせながら異様な情熱を込めて語る和合に、「期待しています」とだけ応えて秋谷はその場を辞した。和合は話し足りずに不満そうだったが、あまりに熱心な読者とは深く関わらないほうがいい、というのが秋谷がこれまでの経験から導き出した鉄則だった。
 しかし監督があれだけ熱意をもって取り組むのなら、今回の映像化はうまくいくかもしれない、と秋谷は和合にかけた言葉どおり期待していた。

賀藤からは何の音沙汰もないまま、半年が過ぎていた。
 まったく関心がないというわけではなかったが、わざわざ秋谷のほうから連絡をとるつもりもなく、いつの間にか企画自体が立ち消えになったのかもしれない。
 須山七房全集の二巻目の刊行を目前に控えた七月のはじめ、とつぜん和合から電話がかかってきた。打合せをした際に名刺交換はしていたが、電子メールではなくいきなり電話をかけてくるなど、よほど急な要件なのか。
「秋谷さん、折り入ってお願いがあります」
 思いつめて唸るような和合の低い声は電話越しにも張り詰めた緊張感があり、「何でしょうか」と応えながら秋谷は背筋を伸ばした。
「須山先生の情報を学習した執筆AIを貸していただけませんか」
「チャロ・モを?」
「はい――ぜひとも必要なんです」
 映画制作側には、須山の映像化に対するスタンスは伝えてあり、秋谷も実際的な協力はしないと断ってある。それは和合も承知しているはずだった。確認のため、秋谷はその旨を繰り返したあと、「――そういうわけでは協力はできません」と断りを入れた。
 しばらく無言が続いて「そうですか、わかりました」と言って和合は電話を切った。
 すこし申し訳ない気もしたが、須山の作品を映像化する以上、その権利を代行しているにすぎない秋谷が方針を崩すわけにはいかない。
 その電話から一週間後、和合失踪のニュース報道が飛び込んできたとき、秋谷は一瞬目を疑った。さすがに黙って待つわけにもいかず秋谷のほうから賀藤に連絡を入れるとすぐに、和合の失踪は事実で、現在映画制作は滞っており、説明のため一度会いたいという返事があった。
 賀藤の事務所に足を運び、半年ぶりに会う。
「いや、ご無沙汰しております。連絡もせず、たいへん失礼いたしました」
 深々と頭を下げながら謝罪の言葉を述べると、賀藤は現在までの経緯を説明しはじめた。
 和合の熱の入れようがすごくてですね、けっきょくハッソンの書いた脚本を自分で大幅に修正して、本人曰く原作のもつニュアンスを尊重リスペクトした形にするということでしたが、まぁ、一度言いだすと聞かない男でしてね、私も長い付き合いですから、それならばと彼の自由にやらせていたんです。ああ、そう、町の協力は無事に取り付けましてね、VR空間用の撮影は順調にすすんでいたんです。娘さん、そう、史織さんといいましたっけね、彼女にも協力していただいて、須山先生のご実家を撮影させていただくことができまして、あのときは和合は本当に嬉しそうでしたよ。脚本と並行してコンテを切って、頭のシーンから撮影も開始して、途中までは順調にすすんでいたんですけどね、やはりあのときの打合せでももめた弟の動機について、ずいぶん悩んでいたみたいなんですよ。和合なりに結論めいたものはあったみたいなんですけどね、どうも行き詰ってしまったらしくて。ああなると、もう煮詰まってダメなんです、こっちがいくらせっついても余計に追い詰めるだけでして。しかしスポンサーの手前、期限というものがありますからね。私も仕方なく急かしましたし、アドバイスめいたことも言ってみたんですが、聞く耳持たず、ってやつですね。お手上げでした。そのうちスポンサーから出資取りやめの話も出ましてね。とうとう追い詰められて、そして今回の失踪騒ぎです。参りました。とうぜん映画は頓挫です。和合があそこまで入れ込んで好き勝手に作り直したものを、いまさらほかの誰かが引き継くのも難しいですし、昨日、けっきょく出資も打ち切られました。大赤字です。
 賀藤の話を聞いて、秋谷は和合が作りかけていた映画がどんなものなのか、気になった。「観てみますか」と訊かれて頷き、機材を装着してVRルームに入る。
 冒頭、眩しい夏の陽射しにいきなり照らされて、思わず目をしかめる。ゆっくりとひらけていく視界に、故郷の町並みが広がる。家々の屋根に張り巡らされた家庭用のソーラーパネルが、陽の光を反射させ輝いている。ソーラーパネルの設置が義務化されていた当時の情景がリアルに浮かび上がってくる。
 背後からは木の葉のそよぐ音、セミの声。遠くを走る車の走行音。
丈兄たけにい」と呼ばれて振り返ると、弟の葉三ようぞうがこちらへ駆けてくる姿が見える。和合も須山の実家で仏壇の写真を見たのだろう、葉三の顔はそのまま再現されている。
 神陰公園の入口、山の上から見下ろしていた視線を、公園のすり鉢の底、ドーナツ広場へと向けると、子どもたちが木陰でトレーディングカードゲームや携帯ゲーム機で遊んでいるのが見える。葉三は肩ほどの身長で、並んで階段を降りてドーナツ広場へ向かう。
 秋谷は和合がこの場面を冒頭に持ってきたことに、何か深い意味があるように感じた。実際、ドーナツ状に露出している土の質感はとてもリアルに再現されており、実際に手をふれたものとほとんど同じに見えた。
 それにしても和合の演出力がすごいのは、秋谷は特にコントローラーなどでVR空間内の自分の動きを操作しているわけではないのに、映画の進行にあわせた身体の動きがあまりにスムーズで違和感がなく、まるで自分の意思で動いているように感じることだった。南はたいして注目していないと言っていたが、和合の実力は本物だと秋谷は思う。
 友だちと遊んでいる葉三に視線を向けながら、思考のなかに午前中の出来事がイメージとして流れ込む――ように画面が切り替わり、タブレットに映る終業式の校長の言葉をベッドに横たわって眺めている。この映像が終われば夏休みだ。
 机の上に無造作に開かれたまま放置されているテキストとノートが、どこか憂鬱なかげを漂わせている。リビングに降りると母親から「遊んでないで勉強しなさい」と言われ、手ぶらのまま「自習室に行ってくる」と家を出て公園に向かったのだった。
 葉三と一緒に帰宅すると「どこ行ってたの、勉強は」という怒鳴り声を無視して階段を上がり、二階の部屋に戻る。下から「お兄ちゃんみたいに頭良くないんだから、ちゃんと勉強しなきゃ、受かんないよ」とわかり切ったことを言われて、タブレットを起動させて兄が使っていた学習参考テキストデータを開く。兄が通う、東京にある有名大学の過去問。自分は兄とは違う――地元の大学でのんびり過ごしたい。という気持ちと、この家から出ていきたいという気持ちが揺れる。
 小説版では兄の死は主人公が高校三年のとき、弟の死は中学三年のときとなっているが、映画版では二つのエピソードを一本にまとめるため、丈二は高校二年、弟は中学一年という年齢に変更されていた。
 まだ一年以上先のことなど考えたくもない、とタブレットをラジオモードに切り替えて放り出し、ベッドに横になる。
 タブレットから流れてくる天気予報によると、明日七月二十三日は台風になるという。窓の外は快晴、雨が降りそうな気配もない。番組が変わって心地よい音楽が流れてくるのにあわせて欠伸をすると、眠気に任せて目を閉じる。
 暗転。

VR映画から抜け出して、秋谷は大きく背伸びをした。本当に目を閉じて眠ってしまったかのように、身体には気だるさが残っている。
「なかなかの出来でしょう。才能はたしかなものでした」
 賀藤は過去形で和合の才能を称えて、「このまま実績を重ねていけば、一流と認められて、いつかは海外の映画賞なんかも狙えたんじゃないかと、夢見てたんですが。いや、実に惜しい男を亡くしました」と嘆息した。
 どうやら賀藤のなかでは和合はすでに死んだものとされているらしい。
「この映画はどうなるんです」
 リアルな出来に感心しながら、秋谷が訊ねると「まぁ、お蔵入りでしょうね。まだ前半部分しかまともに作り込まれていませんからね。背景や人物の映像データはそろっているので、勿体ないとは思うんですが」と賀藤は答えた。
 続きを観てみたい、と秋谷は思った。おそらく和合は秋谷と同じか、それ以上に須山の小説に傾倒していたに違いない。VR映画を鑑賞している間、秋谷は完全に須山の小説のなかに入り込んだ感覚にとらわれていた。観客を須山の世界に引きずり込むと言った和合の執念の賜物たまものであり、このまま埋もれさせるには惜しいと感じた。
 この先の、どの点で和合が行き詰っていたのかは、映画については素人同然の秋谷にはわからない。だが、和合がこの映画を完成させるためにチャロ・モの力を必要としていたことは、何となく理解できた。
 あの電話でチャロ・モを貸すと応えていれば、和合は失踪せず、映画は完成したのだろうか。そんな思いが秋谷のなかに湧いてきてしまう。
「あの」
「何でしょう」
 秋谷の呼びかけに賀藤はシンプルに返す。
「この映画、買い取りたいのですが」
 一瞬、驚いたように目を見開いた賀藤は、すぐに真顔になって頭を交渉モードに切り替えてしばらく思案し、価格を提示してきた。
 秋谷が想像していたよりも高額だったが、「冷雨の橋」の売上に秋谷の個人資産を足せば購入できそうな額を正直に告げると、「わかりました」と値引きしてくれたため、その後いくつかのやり取りを経て、契約は成立することとなった。

「で、どうするのこれ」
 リビングのテーブルの上に積まれた大量の記録媒体には、映像や音声データが収まっている。使い道は、映画をつくるくらいしかない。
「チャロ・モの身体のときは仕方ないって思ったけどね」
 記録媒体の山と椅子に座っている秋谷を見下ろして腕組みしたまま、理央は言葉を続ける。
「映画なんてつくったことないでしょ」
「はい」
「編集機材だってないし、再生するVRルームはどうするの」
「仰るとおりです」
 反論の余地はなく、すべて言われるがまま受け入れるしかなかった。しかし、それでも秋谷は映画の続きが観たいと思ったのだ。「冷雨の橋」が完成したとき、やれることはやり切ったという気分だった。しかし、完成の最後の一押しになったのは、史織が結末を受け容れてくれたということであり、秋谷自身には迷いが残っていた。果たして、須山が描こうとしていたのはこの結末だったのか――それは須山にしかわからない。しかし、和合はそこに肉薄しようと命を削っていた。果たして秋谷はそこまでを「冷雨の橋」に費やしただろうか。
 別に誰かと競うようなことではないかもしれない。だが、自分が一番須山の作品を理解していると思っていた秋谷にとって、VR映画で体験した和合の表現はある種の脅威だった。何気ない日常の、あの居心地の良さと居心地の悪さがい交ぜになった、独特な須山の文学空間。小説と映画は別物、というのは須山の言葉だが、須山の小説をより深く理解するためにも、和合の映画は意味のあるものであったと秋谷には思えた。
 理央にはいろいろと痛いところを衝かれたが、まったくあてがないわけではない。秋谷が映画の編集について相談すると、南は快く協力に応じてくれた。ただし、自分は須山七房の作品には詳しくないから内容については立ち入らないと、ドキュメンタリーの監督らしく真実を追求する姿勢を崩さないところは南らしい。
 VR映像や音声の編集については、南が知合いに声をかけて優秀なスタッフを集めてくれた。あらかじめ金がないことは伝えてあったが、期限がある作業というわけではなく、面白そうだし手の空いたときに手伝うくらいだからといって、無償で引き受けてくれたのが秋谷には有難かった。
 もちろん、無償で手伝ってもらったり機材を使わせてもらったりするのだから、南の仕事があるときには作業することはできない。そういうわけで秋谷の映画制作はずいぶんスローペースで進行することとなった。
 和合の遺した脚本は後半部分が未完成になっている。完成部分の映像をつくりつつ、まずは脚本を完成させなければならない。遺された未完成の脚本――どこかで聞いたような話だと秋谷は思う。買い取った以上、それをどうするも自分次第で、しかし自分は脚本家ではない。文章は文章のプロに頼むのが一番だ。
 執筆AIにはそれぞれ得意分野があるが、AI小説家がまったく脚本を書けないというわけではない。形式を指定すればそれなりのものは仕上げられるし、プロレベルの技術を学習させるオプションも販売されている。
 チャロ・モのリース期間がもう少しだけ残っていたことに感謝しつつ、秋谷は遺された脚本を学習させた。これまで須山に関連する情報だけを学習し続けてきたチャロ・モが、ついに新たな情報にふれたのだ。純粋さは失われてしまったが、成長するきっかけにはなるかもしれない。
 すでに身体は失われていたが、チャロ・モにもVR映画の情報を鑑賞・・させる。あとは「孤独な夏」と「冷雨の橋」がブレンドされたシナリオを、チャロ・モが調和させればいい。
 結果としてチャロ・モの書き上げた脚本は、和合の脚本のもっていた暗さに引きずられたものになった。もしこの映画が完成したとしても、エンターテインメント作品として売り出すのは難しいだろうと秋谷は思う。だが、自分が納得するものに仕上げることができれば、須山の読者にとっては意味のあるものになる。そうしたら小さな規模で公開して「小説とは別物」として楽しんでもらえばいい。
 最初は文句を言っていた理央も、けっきょくいつものように秋谷の熱心な様子を見て諦めたのか、進捗を訊いてくれたり、ときどき夜食をつくってくれたり、ささやかに協力してくれるようになった。
 仕事部屋に食事をもってきた理央に「ごめん、ありがとう」と秋谷が言うと「ま、わかってて一緒に居るからね」と呆れた調子で返される。
「でも、あんまり熱中しすぎて身体壊さないようにね。それだけは気をつけて」
 身体さえ健康なら何とかなる、というのがモットーの理央らしい言葉に、秋谷は「うん」と頷く。

はじめのうちはそれなりに順調に進んでいた。南の仕事の合間を縫っての作業だったため進捗は遅かったが、舞台となるVR空間は完成し、チャロ・モの脚本も納得のいくレベルになって、南の紹介してくれた演出家が脚本に合わせて様々な効果を設定していく。
 秋谷のイメージを参考に南がカメラワークや主人公の動作を調整し、それを秋谷がVR鑑賞しながら確認する。和合ほどとはいかないまでも、違和感のないレベルの演出が出来上がっていった。
 しかし、和合が到達できなかった場所へそう簡単にたどり着けるほど甘くはなくて、やはり同じところで行き詰まりを感じてしまう。チャロ・モが「冷雨の橋」を書き上げたとき、秋谷は他の読者と同じように「弟が台風のなかで何をしていたのか」という点には疑問をもったが、「丈二がなぜ弟を殺したのか」ということについては違和感を覚えなかった。だが、和合の脚本を読み込んでいくと、どうやら和合は「丈二が弟を殺した」という点にこそ疑問をもっているように感じられた。
 和合の制作ノートには須山の弟が川に流された当時のニュース記事のプリントが貼られており、その横に「遺体は見つかっていない?」とメモ書きされていた。和合の遺した没映像のなかには、丈二が弟を突き落とすのではなく、弟が足を滑らせて転落してしまうというバージョンもあった。秋谷は二つのVR映像を体験して比べてみて、鑑賞後の感情がずいぶん異なっていることを確認し、しかし和合はけっきょくどちらも採用できずに悩んでいたのだと思い至る。第三のバージョン、実際には須山は弟の事故現場には立ち会っていなかった、という可能性も考えらえる。もしくは、その場に第三者がいて、他の誰かによって殺された――。
 チャロ・モに指示を出して、思いついたバージョンを次々に書かせてみるが、どれも納得がいかない。さすがにすべてをVR映像で再現することはコスト的にも難しいため、脚本の段階で判断する必要がある。悩みぬいた挙句、けっきょく和合が迷っていた二択に回帰する。要するに、須山の感情――須山の作品に通底する暗さ――が弟を殺したことに対する悔恨かいこんや後ろめたさなのか、あるいは弟を目の前で失った悲しみなのか、その判断を迫られている。
 これまで須山の小説を読み込んできた秋谷にも、それを瞬時に判断することはできなかった。何か、すでにこの世にはいないはずの須山に試されているような感覚にとらわれて、秋谷は戦慄する。もうこの際、チャロ・モに判断を投げてしまおうかとさえ思う。もしかしたら和合もそう考えてチャロ・モを借りようとしたのかもしれない。
 悩んだ挙句、第三者の意見を聞こうと考えて、九重に相談することにした。九重にはVR映画をつくっていることは伝えていたが、彼はまだ映像を見ていない。脚本だけを読んでもらい、客観的な意見を聞きたかった。
「後ろめたさか、悲しみか――ね」
 脚本に目を通して、すこし考えるような素振りをみせてから九重は微笑を浮かべて「どうやら君もその監督も、目先のことにとらわれて、未来のことを忘れているようだな」と言う。
「未来のこと、ですか」
「そう、このあと、丈二――いや、須山に何が起こるのか」
 九重に指摘されて、秋谷ははっと気がつく。当たり前どころか、須山作品の大前提となること。
「兄の死」
 二つの死を経験し、その後、須山は小説を書きはじめた。
「そこにあるのは、遺された者の寂しさだと、私は考えている。いや、須山がいなくなって気がついたと言うべきかな」
 九重の解釈が絶対的に正しい、というわけはない。それはあくまで文芸批評家として、また須山の友人としての鑑賞だ。しかし、秋谷は寂しさと言われてようやくすべてがつながった気がした。
「君はまだ若いから、誰かに遺されるような経験はあまりないかもしれない」
 秋谷が直近で体験した大きな喪失は須山の死であり、遺された者として彼の遺稿を仕上げることになった。だが、秋谷以上に須山との付き合いが深かった九重は、より大きな喪失を味わったのだろう。
 九重が「冷雨の橋」をどう受け止めたのか、解説は読んだが、直接本人の口から聞いたことはなかった。改めて秋谷が訊ねると「あれは須山作品であって、須山作品ではない。そう、ちょうどいま君がつくっている映画と似たようなものさ。リアル小説家とAI小説家は別物なんだよ」といたずらに答えてくれた。
 和合のつくったVR映画は非常にリアルだ。だからこそ、和合も秋谷もその空間にとらわれてしまった。そしてまたよくできていたからこそ、小説についてもチャロ・モと須山は同一ではないという当たり前のことを見失いかけていた。自分は編集者として、また須山に遺稿を託された「遺された者」として失格だと秋谷は打ちのめされた。
 九重と別れて家に戻ると、理央が「おかえり」と声をかけてくる。「うん」と力なく応じた秋谷に「そういえば、クローゼットの奥にあったジャケットにこれが入ってたんだけど」と言って、理央は小さな金属片を見せた。
「ポケットに入ってたよ」
 それは、須山の書斎から持ち出してきた、失くしたと思っていたコインの欠片だった。封筒に入れておいたはずなのに、なぜポケットから出てくるのか。秋谷はコインを受け取ると、慌てて仕事部屋に駆け込んで、チャロ・モがドーナツ広場で拾った欠片を机の抽斗からを取り出して、二つを重ね合わせた。
 ぴったりと合った欠片は、磁石のようにつながって一枚のコインになる。

調べたいことがあるので、一週間ほど映画制作は休みたいと南に連絡を入れると、別に急いでないから秋谷さんのペースで構いませんよ、と軽い返事があった。
 もう一度チャロ・モの身体を借りるだけの金がなかったため、大容量の外付け記録媒体をラップトップのコンピュータに取りつけて、そのなかに無理やりチャロ・モを押し込んだ。起動してみたが、案の定、まったく思考力を奪われて低速で文字を打ち出すチャロ・モは苦しそうだ。
 北陸リニアで須山の故郷に向かい、真っ直ぐに神陰公園、その中心のドーナツ広場を目指す。誰もいない景観保存地区を抜けて、石の階段を登り切ると、VR映画のなかで何度も観た、見慣れた景色が広がっている。映画とは違って、今そこに子どもたちの姿はない。
 ドーナツを目指して、階段を降りていく。
 ドーナツの真ん中の芝生の上に、赤いフレームの眼鏡が転がっている。和合はここに来ていたのだ。秋谷は眼鏡を拾おうと手を伸ばしてかがみこむ。
「あなたも探し物ですか」
 背後から声をかけられて振り向くと、見覚えのある顔をした二十歳はたちくらいの青年が立っていた。いったいいつ近づいてきたのか、足音どころかまったく気配が感じられず、秋谷は不審に思いながら「雄三――さんですか」と訊ねる。
「はい、そうです」と笑いをこらえるようにして雄三は答えた。
「可笑しいな。なぜか、みんな僕に会いに来るんだ」と呟いてから「兄のことは和合さんから聞きました。ほんの少し遅かったみたいで、残念です」と雄三は黙祷するように目をつむった。
「どうしてここに」という秋谷の質問に「落とし物を探しに」と雄三は答え「それと、できれば置いていってしまったことを兄に謝りたかった」と続けた。
 秋谷はポケットからコインを取り出して雄三へ放ってやる。右手を前に伸ばしてそれをキャッチした雄三はつかみ取ったコインを見つめながら「まさかあなたが持ってるなんて。しかも兄の分も」と驚いた表情を浮かべ「ありがとうございます」と礼を述べた。
「どうです、一緒に行きませんか」と誘われて、秋谷は首を左右に振る。あまりにも唐突だし、どこに連れて行かれるのかもわからない。映画もまだつくりかけだ。それに理央を置いて行くわけにはいかない。
「後ろの小さなお友達はどうです」と雄三が呟く。
 秋谷は振り向いてみるが後ろには誰もいない。いや、リュックサックのなかにチャロ・モがいた。ラップトップを取り出してチャロ・モを起動させると、モニターにゆっくりと「NO」の二文字が浮かび上がる。
「そうですか。和合さんは興味をもってくれたんですが」
 雄三は右手を前に差し出したまましばらくじっとしていた。その様子を不審に思いながら秋谷は見つめていたが、「眼鏡を」と言われて慌てて和合の赤い眼鏡を雄三に手渡した。
「もし次にここへ来ることがあっても、そのときあなたは生きていないでしょうから、さようなら、兄の親しい友人にお会いできてよかった」
 雄三は秋谷にドーナツの外側へ出るように指示する。それから思い出したように、「そうだ、後ろのお友達から、兄の情報を分けてもらいました。和合さんから兄が小説家になったと聞かされて驚きましたが、まさかその作品を読めるなんて、嬉しいです」
 一瞬、ドーナツが発光したように見えたが、気のせいだったかもしれない。秋谷がまばたきをした間に、雄三の姿は消えていた。
 子どものころ、退屈な日常を離れてどこか遠い場所へ行きたいと思ったことが、秋谷にもあった。一緒に行こうと約束した弟にとり残された須山はどんな気持ちだっただろう。そのあと東京へ、兄を奪った喧噪のなかへ、それでも出ていくことにした須山の気持ちは何作もの小説のなかに、時間をかけて丹念につづられている。
 おそらく須山は弟がいなくなったしまった出来事について、真実を書こうとはしなかった。それは須山の作風にはそぐわないし、読者にも求められていない。しかし、残された者の寂しさをどうにかして描こうとして、悩んでいたのだろう。

けっきょく映画は須山のファン向けに公開されることはなく、秋谷とごく少数の者たちだけの、とてもプライベートな作品となった。残された者の寂しさがどれほどうまく演出できたのか、おそらく和合ならもっとうまく感情を作品に落とし込むことができたのかもしれないと秋谷は思う。自分は編集者であって映画監督ではないのだ。そしてもちろん小説家でもない。人にはできることとできないことがある。
 それでも、映画を鑑賞した九重が「小説よりもいい出来だ」と冗談めかして感想を述べてくれたので、彼が思うような「須山の寂しさ」は表現できていたのだろうと、秋谷は納得することにした。理央も小説より映画のほうが面白いと言っている。二人の感想を伝えると、チャロ・モはひどく憤慨していた。
 小説を完成させ、映画をつくり、弟にも会った。須山の遺したものを思う存分に「好きにしてやった」んだ。これでこの仕事はおしまい。まだ全集の作業が残っているので、須山との仕事はもうしばらく続くのだけれど。
 映画制作のせいですっかり貯金もなくなってしまい、どんどん新しい企画を動かしていかなければ須山七房全集が完結する前に朱明書房が倒産してしまう。仕事部屋に入り、コンピュータの電源を入れると、チャロ・モが勝手に起動して、何の指示も受けずにモニター上に文字列を表示させていく。
「秋谷くん、次の小説のことなんだが……」
 まるで須山のような口ぶりでチャロ・モが自ら小説の提案してきたことに戸惑いながらも、秋谷は久しぶりにAI作家の小説を編集してみるのも悪くないかもしれないと思う。チャロ・モのデビュー作のタイトルは――

「遺されたもの」完

文字数:39887

内容に関するアピール

実作を書くにあたって、生成AIにふれたことがなかったためChatGPTを使ってみたら意外と面白くて、執筆の参考にできないかと登場人物のプロフィールなどを出力させて、色々と設定を作ってみました。そしていざ書き出そうとしたら、出だしがしっくりこなくて、せっかく作った設定を盛り込もうと何度も書きなおして、この小説はつまらないんじゃないかと思い、まったく別の実作を書こうとしたけれど、あることに気がついたらスムーズに最後まで書けました。けっきょく、ChatGPTが出力してくれた設定は四文字しか使いませんでしたが……。
 今期の実作を通して、あまり突飛なものではなく、日常の延長から飛躍してSFらしい驚きを感じられるような小説を目指して書き続けてみました。もう一つ、SFを読みなれていない人にも楽しんでもらえるようなものをということも意識した点です。最後にすこしでもそうした意図に近づけていればよいのですが。

文字数:400

課題提出者一覧