SOMEONE RUNS

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SOMEONE RUNS

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## はじめに

 このデータセットにはReward System Augmentator(以下RSA)によって記録された約1時間における脳の電気信号が収められています。一部はRSAテストパターン通りの正解ありデータですが、大部分は単にRSAアウトプットを記録しただけの正解なしのデータとなります。人工知能の研究におけるインプットデータとしての利用等、あらゆる用途に自由に使っていただいて問題ございません。

## 1.このデータセットの特徴について

 RSAを装着した人間はまだまだ少ないとはいえ、RSAは一般的な技術ですので、別段それによって出力されるデータ自体は珍しくないかと思います。
 ですので、「今更事々しくアップロードする必要がないのではないか」と思われたかもしれませんが、既存のものと本データの質を比較した際、出力元となる人間に大きな違いがあるのです。それというのも、私は殺人を行った犯罪者であり、世間一般の尺度で測った際、極めて罪深い人間に分類されるためです。ですので、これを綴っている私ならびその行為の是非はさておき、私から出力されたデータセットには、犯罪者の認知行動モデルの検証、ひいては、「悪」の解明に役立つところがあるのではないかと私は考えています。
 ただ、「悪」というのは定性的なもので、多寡を量れるものではないでしょう。そこで私の「悪」の説明のため、そもそも私はどういった人間なのかということを、長くなってしまい恐縮ですが、これまでに綴ってきた日記を抜粋して繋げ、一部追記した文章にて説明しようと思います。
 本当は短い文章で言い切ったり、一般的な「READ ME」として適切な形で表すことが好ましいのでしょうが、その時間がないのです。
 いえ、それは言い訳に過ぎず、私の生まれた意味を人々が理解できる形で残したいという、エゴイスティックな感傷に過ぎないのかもしれません。
 どちらにせよ、一つ事前に記載しておこうと思うのですが、私の行為の記録や、日記という公にすることを想定していない書き様によって気分を害してしまいましたら、申し訳ございません。

## 2.私がRSAをつけるまで

 ご存知かとは思いますが、RSAには大した効果はありません。RSAの本懐は、オペラント条件付け、すなわち行動に対して報酬を与えることによる躾です。勉強をしたほうがいい、運動をしたほうがいい、といったことは一般的な生活を送れば自然と身に付くものですから、わざわざ高いお金を使ってそんな大仰な装置を、脳という未だ解明されざる器官に組み込むには余程の理由が必要になります。私は、その余程の理由が家庭環境にありました。長くなるかもしれませんが、私のパーソナリティの基礎となった部分ですので、お付き合いいただけますと幸いです。

 私が覚えている中で一番古い記憶は、私が描いたぐちゃぐちゃの絵を少女然とした笑みを浮かべながら母が褒めている光景です。その頃、母は私のことを天才だと信じ、私の為したこと全てに対して「この子は特別なんだわ!」と言っていました。思えばそれは、才能あふれる兄妹たちに反して、彼女は何ら輝かしい特別な才能を持っておらず、誰からも期待されていなかったことへの反動だったのでしょう。
 もしもいま私が母のことを人に聞かれたならば、可哀想な人だったと答えます。私の父と母は、父が医局の出世コースに乗った際に、当時父の上司であった祖父、すなわち母の父による紹介を受けてお見合い結婚をしたそうです。母は当時、全く売れず評価もされない画家をしていたのですが、祖父は画家まがいのことをしてお金と時間を消費する母の厄介払いと、腕の良い父との関係を深めるための手段として二人は引き合わされたのだと母が言っていました。二人は紹介を受けてから3か月で結婚、その1年後に私が生まれました。
(母は結婚の条件として、思う存分個展を開かせてくれることを父に約束させたそうですが、彼女は3か月の交際期間に1度個展を開いたきりだそうで、私は彼女が筆を握ったところすら見たことがありません。)
母は恋愛結婚が望ましかったらしく、折につけて「私たちには愛がない」と幼かった私にぼやいていました。

 ともかく、放任主義の父の許可のもと、私を才人と信じる母の方針に従って、私は幼稚園に行かずに自宅で英才教育を受けることになりました。はじめに就いた家庭教師は真面目に指導を行ってくれていたのですが、母へのおべっかが欠けていたため、徐々に母へのコミュニケーションを最も大事にする、教師とは名ばかりの大人達に入れ替わっていきます。中でも母のお気に入りは美術の教師でした。彼が私の絵を評する際に使った「アール・ブリュット的」という褒め言葉が気に入ったらしく、美術以外の授業中にも「やっぱりこの子、アール・ブリュット的なのよ」と恐らく意味も分からずに使っていたのを覚えています。
 教師たちから、ひらがなの書き方や物の数え方についての間違いが天才としての資質として扱われ、碌に訂正されないような滅茶苦茶な教育を受けた当然の結果として私は私立小学校の受験に失敗しました。そして、それまで目を背けてきた現実を今度は悲観的に捉え直した母は、一転して私を人並み以下の無能者と見做すようになります。「大丈夫、ママが頭を良くしてあげるからね」と話す母の悲劇のヒロイン振りは、彼女の少女時代から繰り返されてきたものと見え、ひどく板についていました。

 私立の代わりに公立の小学校に入った私は、まわりに馴染むことが出来ずに浮いていました。それというのも、箱庭として機能していた生家を離れ、はじめて接する同年代の人間のエネルギーに圧倒されてしまったのです。
 動物行動学者のカール・ローレンツという人の実験にハイイロガンを隔離飼育して行動を観察するというものがあるのですが、隔離されたハイイロガン達を囲い地に一緒にしておくと、できるだけ互いに遠く離れるよう隅に坐るそうですね。このハイイロガンの観察結果が人間へと適用されるかどうかは知りませんが、その時の私はまさに、臆病で、団体行動ができないハイイロガンといったような風情でした。
 授業参観に欠かさず訪れ、周りの小学生達の積極的な授業態度と対照的な私の抑うつ的な態度を見て、すっかり私のことを病気だと見做した母は、「大丈夫だろう」という父の声に対して「あなたは専門じゃないから!」と声を荒げて反対し、児童精神科に私を連れて行きました。
 彼女はいつも安直に想定を確信付ける材料を欲しがるのですが、当然、子供相手に初診で心の病気だと結論付ける医者はいません。ドクターショッピングを繰り返したものの彼女の想定した結果は得られませんでした。
 祖父や父への潜めた敵意も相まって医者という職業一般への反感を強めたのでしょうか、彼女は彼女自身の手で私の治療を試みることを決意した結果、私は登校を禁じられ、彼女の治下で英才教育が再開されるのでした。

 母の見立てだと、健全な人間とは異なって私は脳の基礎が腐っているようで、「それ、おかしいよ」が次なる彼女の口癖となりました。このころは、小学校を模したカリキュラムが母によって組まれ、家庭教師がそれを忠実に実施していました。「国語・算数」といった座学では1週間に1度、理解できているかテストされるのですが、その際に1つでも間違えると教科書のはじめから授業がやり直されるという理不尽な決まりがありました。自分の考え、思っていることを何と告げようが「それ、おかしいよ」と病人扱いされ、感受性が最も豊かな時期にひたすら同じ情報だけが与えられた私は、外部からのストレスを無くすため自分というもの、すなわち自我を殺すことにひたすら注力し、「自分には人生や、自由というものはないのだ」という離人癖を獲得するに至ります。ある日、何らかの異常を私から感じ取ったのでしょうか、父が珍しく指示を出し、母が渋りながらも私を精神科へと連れていくことになりました。結果、精神疾患の疑いがあるという診断が私に下されたのですが、その際に、母の口元は喜びを抑えているのか、はたまた悲しみによるものなのか、何とも言えない形に歪んでいた覚えがあります。
 この他には父からの指示はなく、母による異常な授業が小学校6年生まで行われて学習進度が日に日に遅れていった結果、周りの進度から2年ほど取り残された私は、母の望みに従って支援学級へと進学することになるのでした。

 中学校では母の監視がないものですから、日々穏やかに時間を送れていました。支援学級というものは、生徒達が感情失禁、発動性低下等々の自分の症状に対して病識を獲得し、今後の生活の方法を学ぶ場所です。生徒たちの行動全てに対して受容的な空気が教室には満ち満ちており、校庭を眺めたり、ぼうっとしたり、気が向いた時に教師の話を聞いているうちに一日の授業が終わります。きっと私はそのまま過ごしていれば、それなりに幸せだったのでしょうね。
 中学校から家に帰れば、どのようにすごしていたか母から質問攻めにあうのですが、日々のストレスといえばそれだけでした。母の望みで入った支援学級には、母も通うなとは言いません。
 しかし、学校で時間を送れど一向に改善されない私の様子を見た母は、図書館で借りた本で読んだ食事療法を試し、有用微生物とやらが含まれているらしい、どことなく土の味がするふりかけをあらゆる食事に振りかけました。その時の私に残されていた喜びといったら、風の音や揺れる木々といった自然の風景の他、食事が大きな割合を占めていたものですから、たまったものではありません。
 それを口に運んで味わった際に、母に向かって酷い味を非難する表情を反射的に浮かべた私から知性の存在を感じ取ったのか、突然父が「RSA、付けてみるか?」と私に言いました。父のその提案の真意は未だ定かではありませんが、RSAの説明を受けてその存在をはじめて知った母は、ようやく腐っている私の基礎を根本から補って治療が出来ると思ったのでしょう、大賛成をして、嬉しそうにふりかけを食事に追加しました。
 父から紹介を受けた医師の手によって、私はこめかみを開頭してRSAを埋め込むことになりました。やはりRSAはレアケースなのか、好奇心を隠し切れずに医師は母と私に説明します。
「RSAは人間がいい行動をした際に、いい気持ちになる成分を脳内に投与する装置です。そうやって徐々に行動を習慣づけて行くという、謂わば生活の補助輪ですね。人間は血液脳関門っていうプロテクトが普段は働いているので、厳密な制御下で神経伝達物質を脳に作用させるには、セラミックで覆われた装置を直接脳内に、今回はこめかみを通してですね、埋め込むことになります」
「皮膚を模したRSAの表面にはボタンとソケットカバーがあります。ボタンを長押しすると起動、短く押すと、登録した行動の切り替え。カバーを横にずらすと充電ソケットが現れます。RSAですが、わずかながら制御に電気を使うので、充電は1週間に1度ほど必要なんですよ。TypeC端子なのでちゃあんと今時ですね。コードを繋いでいるとサイボーグみたいで格好いいですよ。RSAのAはAugmentatorのAなので、『みたい』ではなく実はサイボーグなのですが」
「いい気持ちになる成分、ドーパミンはメンテナンスが不要なように約5年分が入っています。注ぎ足しは補助輪という目的上想定されておらず、仮にそれ以後も必要でしたら再度手術することになります」
 といったようなことを早口で言っていました。

 手術前には、通常のように「全身麻酔にはリスクがある」、「手術が失敗する可能性がある」というものに加えて、RSA特有の「副作用はないと言われているが数十年というスパンでは分からない」という説明を受け、同意書に記載する必要があります。
 私は母の介助を受けながら、同意書に「永延ながのぶ 誠二せいじ」と自筆で署名しました。今となって思えば、自分の名前の漢字表記を知り、それを自らが世界に刻んだこの時が、本当の意味での「人間」のはじまりだった気がします。

 手術から数日後、診察室にて私はこめかみとパソコンをコードで繋がれ、RSAの初期設定を行っていました。
「お母さん、誠二くんにはどんな行動をいいものとして設定しましょうか?」
「そうねえ、勉強と、運動かしら。立派な人間って結局のところそれに尽きるんじゃない?」
「そういった登録をする親御さんは多いようですね。では、誠二くんも、未知の文章の読書と、ランニングの電気信号を記録しますね」
 大人達がペットについて話しているかのような軽い口ぶりで会話しているのを横目に、ガラスに映ったよくよく自分の姿を見ていると人工皮膚と皮膚の境界がはっきりと分かり、それを認識するや否やズキズキとこめかみが痛みました。過保護な母の監視下で怪我という怪我をしてこなかったので、手術がはじめての怪我ということになります。事実を書いているだけなのですが、つくづくまともな経験がなく、我ながら少しおかしいですね。
「3つまで行動を記録できるのですが、いかがされますか?」
「うーん……。他は何が良いのかな……」
「すぐに思いつかないようであれば、後ほどでも問題ありませんよ。初期設定を終えれば後はご自宅でも出来るようになりますからね」
「でしたら、まずは勉強と運動でいいです」
「分かりました。じゃあ、誠二くん。ちょっとこの本の文字を読んでみてくれますか」と言って医師に見せられたのは、漢字が多く、全く読めなかったのですが、RSAについての説明だったと思います。その後、運動についてもその場でジョギングを行い、同様に電気信号を記録しました。

 数分間、キーボードとマウスを操作した後、医師は「ちょっと失礼」と言って私のこめかみを長押ししました。
 その直後、車酔いのような感覚とともに、今までの人生で自分が切り捨ててきた悦びが何の脈絡もなくやってきました。嬉しさに酔っている自分と、「これはおかしい」という異物感を覚えている自分が意識上で重なっており、激しい混乱と吐き気がありました。私は常の通り前者の拒絶に努めたところ、自分の精神が肉体から離れていくような感覚の後、ようやく落ち着くことができました。
「どうかな、誠二くん。体を動かして、いつもより楽しかったりするかな?」
その質問に対して、私が腕をぶんぶんと振りながら、笑みを浮かべて頷いたのが分かりました。
 医師は続けてこめかみを短く押してから、私に先ほどの小難しい本を見せました。
「今度はどうかな」
「たのしい」とだけ、私は答えていました。
 何故他人事のように描写しているのかと言うと、これらは先ほど書いた嬉しさに酔っている自分が行った動作で、異物感を覚えている自分はそれを教室から窓ガラスを通して校庭を見るように認識していたからです。
 かくして、所謂、多重人格というものなのでしょうか、本来は初歩的な躾程度の効果しかないはずが、生来の離人感によって私は今までの私を主体として、「運動が大好きな私」と「勉強が大好きな私」と脳内で同居することになったのです。

## 3.高校時代

 「運動が大好きな私」と「勉強が大好きな私」のどちらも「私」と書くと、今これを記載している私と入り混じり、判別がややこしくなってしまうかと思うので、それぞれ口語的に「ボク」と「僕」と表記することにします。
 RSAを動作させ、自分を他人格に託すという体験にははじめは不安が伴いましたが、直に楽に感じるようになりました。人生はよく旅に例えられると思いますが、私の場合は電車旅です。他の人は自分で進路を決めて地面を踏みしめてゆき、苦楽を肌で経験するのでしょうが、私の場合は将来を見越して真面目な僕達の頑張りを眺めているだけでいいのですから。
 私と僕達の関係は「永延誠二の人生」というプロジェクトを共に進めている、マネジメント専門の上司と現場で働く部下のようなものです。私と僕達は基本的には感情や思考を共有しておりませんが、私からの指示や強い感情は彼らに伝わります。例えば、私が「人格を切り替えろ」と命ずるとすぐさま僕達がこめかみを叩いて人格を切り替えます。
 なお、僕達は私のことを知覚出来ず、一つの総合された人格を持っていると感じているようです。自分の性格と記憶は過去から連続しているものであり、RSAで補助する行動の切り替えはあくまで自分の意識で行っているという前提で日常を過ごしていました。前述の通り、私は彼らの行動を逐一命ずることもできるのですが、基本的には僕達に放任し、主体性を持たず、観光客気分で自分の人生を眺めていました。

 「立派な人間になりたい」という私の願いを指針に、朝はボクがうれしそうにランニングをしてから登校をします。学校では僕が真面目に授業を受けつつ、内職も並行して今までのビハインドの挽回を図ります。帰宅後は父の書斎に入って僕が図鑑や専門書を読み漁りました。一般常識や知識が欠けている私ですが、先に書いたローレンツなどを知っていたのはこの時の経験に依ります。読書で日が暮れてからは、「自分の分は自分でやりなさい」と母が言うので、食事・洗濯といった家事をボクがこなして就寝します。

 手術後の数か月間は私が文武両道を目指して自分の人生を歩み始めたことを喜んでいた母ですが、息子の教育という目標を失ってしまってからでしょうか、つまらなさそうな表情をふとした瞬間に浮かべることが増えました。余暇はあらゆる悪徳の温床と聞きますがまさにこの時、土の味をするふりかけの販売元であるコミュニティの集会などに参加し、他所様の不幸に親身になることを母は覚えたようです。父はそんな彼女に何も言わないので、僕が見かねて咎めた際には「誠二には分からないわ」と彼女のストーリーを信じ切っているのでした。私は「大変だなぁ」と変わらず他人事のように眺めていましたが、僕達もやがて趣味の範疇として看過することにしたようです。
 かくして、仕事に注力してあまり家にいない父、家の外に居場所を求める母、自己の研鑽に余念がない私という血縁関係だけが表に見える唯一の結びつきといっていいほどに家族は冷え切るのでした。

 中学校を卒業した私は、生まれの神奈川県を離れ、偏差値が低くも高くもない東京の私立の普通科高校に進学しました。
 大人数の学生と時間をともにするのは小学校以来でしたし、それまでとのギャップがありますから、入学式の際に両手を腿に添えて直立、顔をまっすぐ前に向けて整列している制服をしっかりと着こなした「普通の高校生」の一群に驚きました。
 しかし、「普通」という言葉は難しいですね。誰も私の過去を知りませんから、僕達に向けて普通のコミュニケーションを求めてくるわけです。自己紹介では名前、出身、趣味特技、好きなものの発言が求められましたが、僕は、
「永延誠二です。神奈川の青葉台出身です。趣味は読書と、ランニング。好きなものは青色の蝶、中でもコバルトブルーのモルフォ蝶です」
 と淡々と述べ、クラスメイト達から変に見られました。私の知っている趣味的な固有名詞といったら父の書斎由来のものが全てでしたから、書斎に飾られていた蝶の標本によってみんな標本収集を趣味にしているものだと勘違いをしていました。その後、好きなテレビ番組、ストリーマー、ゲーム、アイドルやスポーツなどを言うべきであったことを知り、私は自分が費やしてきたことが世間からかけ離れていたことに気が付くのでした。(私の家にはゲーム機、テレビといった庶民的な娯楽全般が存在しなかったため私はそれらを知らず、したがって、知らないものを欲しいとも思えなかったのです。)
 対人関係において、僕達のことを無敵の存在だと私は考えていましたから、うまく他人とコミュニケーションを取れず、愛想笑いをする彼らを見て私はすこしがっかりしました。そうです。記憶と経験を共有している彼らは所詮、私と同類なのでした。
 このような具合に文化に隔たりがあり、うまい会話で出来ないものですから、すぐに僕達は制汗剤やフレグランスの匂いが漂うクラスで異物として扱われました。僕達としては気疲れするコミュニケーションを避けて、読書や運動を一人でしていたほうが一般的な遊びよりも楽しいのでそれでいいと思っているようでした。
 私も、クラスメイト達のことを実のところ交遊するほどの価値がなく、それこそゲームをしているような感覚で自分のレベリングを優先するべきだと考えていたものですから、変わらず僕達に生活を一任しました。

 事情が決定的に変わったのは、1年生の中間テストの結果を受けてのことです。学年どころか、クラスという単位ですら成績が1番目ではなかったのです。
 生理的なものであれば納得がいきました。ボクは一生懸命に体を鍛えていますが、先天的な資質が問われる、体格に恵まれて反射神経のいいクラスメイトには敵わない競技が多いでしょうし、何かボクに適したスポーツを探せていないだけだと言い訳が出来るからです。ですから、体育のサッカーで体のがっちりしたクラスメイトとボールを争って肩をぶつけ合い、ボクが転んで尻餅をついた際に、プレイを中断して手を差し伸べる彼のことを「格好良いな」と私は心中で素直に称賛出来ました。
 しかし、勉強となれば話は別です。私は普通の娯楽というものを切り詰めてそこにリソース投入しているので、遊んでいるように見えるクラスメイトより優れていて当たり前だと思っていたのです。
 しかし、それはなんという傲慢だったのでしょうか。私が特別だと思っていた行動の動機付けというのは、結果を出している人にとっては常識であり、遅れてスタートした私に先んじて、既に長期間の積み重ねがあるのですから。

 その時になってはじめて、母から与えられた「勉強・運動が出来れば優れた学生であり、将来有望である」という価値観を私は疑い、「そもそも、価値ある人間とは何だろうか」と考えました。その時に思い出されたのが、自分では不出来であると思っていたけれども、母から褒められた際に言われた「アール・ブリュット」という言葉です。もはや、母から私に宛てては批判の言葉しか出てこないようになっていましたが、むかし褒められた記憶というものは人間すぐに思い出せるものですね。
 母への意趣返しという意図も底にあったのかもしれませんが、その思い出から単純に美術を連想し、価値を測る明確な尺度がない美術という分野においてならば私は気分よく、周りを気にせずに研鑽を積めるのではないかと期待しました。
 すなわち、定量的な指標を用いた絶対評価によって、他人に敵わないことを突き付けられ続け、自らの自信を損なう方向を引き続き目指すのではなく、ある程度パターンがあれど、未だ解明されざる不思議に満ちた定性的な領域に私は惹かれたのです。

 そうと決まれば、私は僕に命じて、美術に向いた3つ目の人格を作ることにしました。
 僕は父の書斎にあるパソコンとRSAを繋いでメンテナンスアプリを立ち上げてノートに落書きをする電気信号のパターンを録り、説明書を見ながら「芸術が大好きな私」を誕生させました。
 その翌日、新たに生まれた「ぼく」は絵の描き方なんて何にも知らないくせして、「なんだか今日はやけに元気だね」と言われながら担任から美術部の顧問が誰かを聞き出し、美術部の顧問から「え? 見学とかしなくて大丈夫?」と唐突な要望を心配されながらも、喜々として美術部に入部するのでした。

 科学部・囲碁将棋部などの文化部がある、静まり返った放課後の廊下を通ってはじめて入った部室は、横一列整列したイーゼルに設置されたキャンバスから漂う、ガソリンやシンナーに似た、けれどもそれよりも甘くて重い匂いが充満しており、爽やかな空気感の高校とは別世界のように感じられました。
 その時は女子部員が6名ほど角椅子に座って、キャンバスに向き合っていたと思います。
「みんなちょっといい?」と顧問が部員達の注目を集めました。
「今日から永延くんが美術部員に加わるので、皆さん仲良くしてあげてください。永延くん、自己紹介どうぞ」
 ぼくは軽くお辞儀をしました。
「永延誠二と言います。あまり経験はないのですが、はっきりとした価値基準がない美術というのは遣り甲斐があるなあと思ったので入部しました。何分素人のためご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」
 部員達がまばらな拍手をしました。顧問がその中の、少し離れたところに座っている女子部員に向かって話かけます。
「それで悪いんだけど藍田さん、絵の描き方から教えてあげてくれない?」
 呼びかけに応じて背筋を伸ばした、ポニーテールの女子が1拍遅れて返答しました。
「あ、はい。分かりました」
「ごめんね、ようやく新入部員への指導も終わったところなのに」
「いいんですよ。部長ですから」と姿勢良く座っている藍田さんが相槌を打ち、ぼくへと「よろしくね」とはにかみながら言いました。

 「あとはよろしく」と顧問が出ていった後、「がんばー」と何やら藍田さんに含みのある笑みを浮かべて部室の隅に移動していった副部長と他の女子生徒を尻目に、彼女はぼくに声をかけました。
「油絵と水彩画だったら教えてあげられるんだけど、どんな絵が描きたいとかあったりする?」
「具体的に何が描きたいってものはないのですが、好きな画家はルドンでして、彼に憧れますかね!」
 とクラスメイトへ自己紹介したときの、自分の思う一般が一般ではないという失敗の可能性を鑑みず、躊躇わずにぼくは答えていました。ルドンは幻想的なものを鬱々と描いた、健全な精神とは少し異なる作家でしたから、「ルネッサンスが好きです!」とでも言っておけばいいのに、と心中でぼくに私は思いました。
「そんな元気にルドンって言う人はじめて見たよ」と藍田さんは言い、ツボに入ったのか、少し遅れて「あはは」と声を出して笑い、その動きに合わせてポニーテールが左右に揺れました。
「じゃあ油かな、静物モチーフから始めようか」
「卒業生が置いていった画材を使っていいから」と言って彼女は棚に置かれている木箱を指差しました。

 藍田さんの指示のもと、はじめての作品として、机に置かれたプラスチック製の林檎をぼくは描くことになりました。第一段階のスケッチは言葉にしてしまえば簡単で、見えるものの輪郭を木炭で描き、続いて明暗を付け、フィキサチーフで黒鉛を固定するだけです。その後は着彩を行います。
「本当は絵の具が乾いてから色を重ねていく普通の方法から教えるべきなんだろうけれど、2・3日は乾くのに時間が必要だから、今日はウェット・オン・ウェットっていう、キャンバス上で色を置いて混ぜ合わせる技法で描こうか」
 藍田さんの言葉に従って絵の具を速乾メディウムとテレピン油という2種類の固着剤に混ぜ、ブラシ掛けの要領で筆を動かしていきます。揮発した成分から漂う、部室のものよりずっと強い匂いを嗅ぎながら、ぼくは途中鼻歌なんてうたいながらご機嫌でりんごの絵を完成させました。
 しかし、それはとてもモチーフとは似ても似つかないもので、ぼくは不満げな顔を浮かばせました。
「部長、ぼくの絵、どうですか?」
「楽しんで書いているのが伝わるいい絵だと思うよ」
 ぼくはその言葉を聞いて、さらにむくれました。
「正直に言ってくれませんか? もっとうまく描きたいんですよ」
「何と言いますか、うーん、1枚でその人の才能が見抜けるなんてことないからね。デッサンとか色々な経験値を積んでいこう、という意見に尽きるかな」
「はあ、やっぱり下手なんですか。……絵画は諦めて、立体にしようかな」
「随分諦めが早いね……。君も言っていたじゃない、芸術に正解はないって。巧く描くことがすべてだったら、写真が100点満点の回答だからね。でも、写真が出来てからも絵画って滅んでないよね?」
「ええ、そうですね。で、それが何に繋がるんですか?」
「美学を勉強している姉さんが、絵画は注釈を付けた次元の圧縮と言っていてね。その注釈に大事なのって、ハートじゃない? ハート」
「つまり?」
「技巧も大事だけれど、君の見てる世界は君にしか表せない、ってこと?」
「なんで疑問形なんですか」
 ぼくはそう言いながらも彼女の言葉に理解を示しているようでした。
 でもそれは、認識している情報が違うので、人は他人と同じ世界を見ていないということではないでしょうか。人生を眺めているだけの私は、他人と切り離されているということに改めて孤独を感じましたが、それでも自分が行為するという重荷を背負う気にはなりませんでした。
 ぼくは優しい藍田さんの指導のもと、自身の見ている物事へ一層の注意を払い、日に日に絵画へとのめり込んでいきました。

 ある日、美術部に入ってから帰りが遅くなったボクに対して、「最近元気だね」と母が言いました。
「うん、部活に入ったんだよ」
 とボクが言うも、「へえ」とだけ生返事を返した母も最近何やら忙しいようで、食事時以外部屋にこもって絵を描いているぼくに向かってとやかく言ってくることはありませんでした。長年筆を取っていない彼女がぼくの入った部活が美術部であることを知り、不満を吐露するのは暫く後のこととなります。

 数週間後、部室で藍田さんがぼくの描いたデッサンをぱらぱらと捲りながら、「クロッキー帳、埋まってきたね」と言いました。
部活の時間はキャンバスに向かう前でダビデ、ヴィーナスやカエサルの石膏像をデッサンし、家ではバナナや空き缶、窓から見える風景をぼくは描いていました。
 手前味噌ながら上手くなったなと思っていたのですが、美術は正解もなければ目標も漠としていることを知った私にとって、部長の「中央展出てみる?」という他人に作品を見せる機会の提案はありがたいものでした。
 中央展というのは、「東京都高等学校文化祭 美術・工芸部門 中央大会」の通称であり、簡単に言えば美術におけるインターハイのようなものです。私が通っていた高校は文化祭が6月で入部の前だったため、中央展を除いて公的な手段で私が一般に向けて作品を見せる機会はないのでした。
「エントリー締め切りは9月までだから考えておいてよ」
「ちょっと、人に見せるのは緊張しますね。中央展にはぼくくらいの腕の人も出しているんですか?」
「いっぱいいるよ。全然身構えなくてもいいと思うな。それに、ちゃんとした肩書の人から評価をもらえるかもしれないしね」
「確かにそれはいいですね。部長も出したことはあるんですか?」
「うん、あるけど。……入賞できなくてコメントはもらえなかったかな」
「へえ……。そういえば、部長の完成した作品をまだぼくは見たことがないかもしれません」
 藍田さんは角椅子の座面の前の方を両手で握り、体を持ち上げて深く座りなおしてから、足をバタバタとしながら言いました。
「暫く最後まで描いてないからねえ」
 そんな風に、何の事でもないように装いながら、こちらをじっと眺めて言うのです。私は気まずくなって、金魚の尾びれのように風を受けてゆったりと動く彼女のスカートへと注意を向けました。鮮やかな体色と対照的に黒々とした目を持つ金魚は、私にとってどことなく寂しそうに見えるのですが、彼女もそのように見えました。小学生の金魚掬いの要領で手を出すと、ひょいとその場から消えて行ってしまいそうな、はかなさ。
 ぼくは彼女の瞳を直視して、
「でも、ぼくは見てみたいです」
 とはっきりと言い切りました。そんな他者の繊細な箇所に遠慮なく踏み込むぼくに私は驚き、「どうなっても知らないぞ」と思いました。しかし、そんな心配に反して彼女は、
「そうだね、考えておくよ」
 と言って、にこりと笑いました。それから、
「もう君も立派な美術部員だから、私のことは名前で呼んでよ。部長って呼ばれるの、けっこう気恥ずかしいからさ」
 と続けました。
 その翌日、部活に顔を出すと、彼女がキャンバスに向かっていました。
 無遠慮さで功を奏することがある、人間同士の関係というものは分からないな、と私はこのとき思いました。

 中央展へのエントリーを済ませ、提出に向けてモチーフや構図を練っていたある日、家に帰ると母が料理をしていました。その日は父が早く帰ってくる日で、何か彼に話す場を設けたいと考えたときに限って母は夕食を作るのでした。一般的な感性からして、カレーの匂いは家庭的なあたたかさを与えるものでしょうが、私にとっては違います。やはりこの時も私たちの一家なりに辛うじて機能していた生活を脅かすものでした。
「ねえ、智也さん」と母が食卓に着いた父に切り出しました。
「何だ?」
「カレー、おいしい?」
「美味しいよ」
 彼はスプーンでカレーを救い、カチャカチャとした音を立てました。このときは僕が表に出ていましたが、慎重な僕は状況を静観していました。
「それ、お友達から買ったお肉とかお野菜を使っているのよ」
「そうか」
「モノがいいから、きっと美味しいカレーが出来たのよ」
 薄々と何かを察しつつある父が、「いや、沙耶さんの腕が良いからじゃないのか?」ととぼけて返しました。
「それも嬉しいんだけれど、ええと、違うのよ。その友達がお金で困っているらしくて、助けてあげたいの。だってモノはいいんだから、勿体ないじゃない」
「……どう助けるんだ?」
「食材のほかにもお鍋とかコーヒーメーカーとかを売っているらしくて、買ってあげようかなって。だって私たち、お金は余っているじゃない?」
 母のどこか間抜けな、しかし真剣な言葉に父は「ふう」と息を大きく吐いてから答えました。
「……君、騙されていないか?」
 その言葉を聞くや否や、母の眉が吊り上がりました。
「あなたって、人を信じられないのね! 自分のことしか考えられないんだわ!」
「沙耶さん、そんなに怒らないでよ」
「そりゃあすべての人を助けろなんて私も言いませんけどね、せめて目に見えて、届くところにいる人には手を差し伸べてしかるべきじゃない? なんで、そんなことにも納得がいかない、こんな冷たい人と結婚してしまったのかしら! 私のことを好きでもなんでもない人と!」
 言葉とともに、机に手を叩き付けて母は立ち上がり、リビングを出ていきました。
 その立ち去る姿に向けて父が、
「美術をやっていたころの君は好きだったさ!」
 と珍しく大声で話しました。それに対して「うるさい!」と母が怒鳴り、階段を踏みしめる音が聞こえたのち、リビングに静寂が訪れました。
 そして父は「ごめんな」と謝りました。その謝罪は誰に、何に対してだったのでしょうか。父と母という存在が、今でも私には分からず終いです。

 それから1週間後、ぼくは授業が終わるや否や部室へと急ぎ、中央展に出す作品の構図を練っていました。藍田さんなんかは既に下絵を終え、荒描きすらはじめているかなり順調な進捗なのに対して、ぼくの進捗は芳しくなかったのです。提出締切まであと1月なので、ぼくは早く構図を決める初歩のステップをはやく終える必要がありました。
 少し離れたところからラフが描かれた2つのキャンバスを見比べているうちに、藍田さんがやってきました。
「お疲れ様、構図決まった?」
「2つまでには絞り込めたのですが……」
 ぼくがモチーフに選んだのは金魚でした。藍田さんが再び絵を描き始めた8月に部室で幻視した、尾びれを揺蕩たたせる1匹の金魚。くるりとその場を回っている構図と、左上に向かって泳いでいる構図の2種類。
「私だったらこっちかな」と彼女は一方向に泳いでいる金魚が描かれているキャンバスに指をさしました。
「どうしてですか?」
「泳ぐ目的がありそうだから? キャンバス外にストーリーがあると、作品として豊かになるんじゃないかな」
「なるほど」と言い、ぼくがしげしげと眺めます。それから、
「そうですね、こっちにします!」
 と言いました。

 藍田さんも普段使っている席に着いたのですが、何もかかっていないイーゼルを見て、小首をかしげました。
「あれ? 誠二くん、私の絵どこにあるか知らない?」
「イーゼルにかかっていないんですか?」
「私は動かしていないはずだし、どこにもないんだよね」
「ちょっとぼくは分からないですね。一緒に探しましょうか?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
 そう言って彼女は部室をうろうろとし始めました。部員がやってくる度に同じ質問をするのですが「知らない」と返ってくるのでした。
 いよいよ焦りはじめた彼女は、ぼくも誘って熱心にゴミ捨て場など思い当たる場所を全て巡ったのですが、結局その日は見つかることがありませんでした。

 次の日、部室に行くと、私以外の部員が揃っており、入室した私に対して非難するような視線を向けてきました。
「あのう、どうかしたんですか?」
「……誠二くんだよね、里奈ちゃんの絵を白塗りしたの」
 里奈というのは、藍田さんの下の名前です。藍田さんとぼくは、周りから無視されているというわけではないけれども浮いていたので(私には変な噂が広がっていたからだと思いますが)、副部長がこうして僕に面と向かって話すのはこの時がはじめてでした。
「知りませんよ。何ですかそれ?」
 他の部員に囲まれて座っている藍田さんは俯いて黙っていました。彼女に近づいて行こうとしたところ、
「白々しい! みんな見てたんだよ!」
 と副部長が声を荒げて言いました。そしてぼくの描いた金魚の絵を手に取って裏返し、黒い署名を指さしました。
「これ里奈ちゃんのサインだよね?」
確かに、そこには「Rina Aida」と書かれていました。けれども私は誓って彼女の作品を台無しにしていません。既に真っ新になっていたキャンバスを、部室の隅の誰でも使っていいキャンバス置き場からぼくは取ってきただけなのです。
「気付かなかったのは申し訳ないですが、それはキャンバス置きに置かれていたものを使っただけなんですよ。第一、動機がないじゃないですか」
「理由はともかくさあ、嘘つかないでよ。白塗りしていたところみんな見てたから。ねぇ、みんな?」
 部員たちが頷きました。
「ほらね」
「藍田さん! ぼくはやってないですよ!」
 彼女が顔をあげました。悲壮というよりも、疲れているようなその顔の、黒々とした瞳が特徴的でした。
「誰がやった、やってないじゃなくて。もう作品がないという事実があるだけじゃない? もう、疲れちゃった。どうせ中央展に出したって姉さんに敵わないのに、余計なトラブルもあってさ」

 どういった理屈が彼女にあったのかはわかりませんが、彼女が選んだのは誰も信じないということでした。副部長は彼女の発言に対してうんうんと頷き、
「やっぱり、カルトやってる母親の子供がおかしくないわけがないって思ってた」
 と言いました。ぼくは動揺して、部員達に視線をさまよわせます。そのうちの1人に少し見覚えがありました。おそらく、小学校で同級生だったのでしょう。母は地元でちょっとした有名人になっていましたから。
「今日は出てってくれない? 藍田さんが落ち着かないと思うから。先生に相談してから誠二くんへの対応を決めるまで部活には来ないでね」
 ぼくは口をぱくぱくとさせて何か言葉を発しようとしましたが、藍田さんから信頼されていないショックもあり、5・6人分の視線の前で反論する勇気が湧いて来ず、すごすごとその場を去るのでした。

 家に帰ると電気が止まっていました。これまでに何度かあったのですが、母が電気代を払い忘れていたのでしょう。彼女は頑なに振込用紙での支払いに拘るのです。今回は電気が付かないことに加え、冷蔵庫から異臭がかすかに漏れていました。1週間前、母が買ってきた消費量を大幅に超える量の食材が停電によって一気に醸されたのでしょう。このとき、ボクは母に一言文句を言ってやらなければならないと思ったのか「流石に……」と眉をひそめてつぶやいていました。
 それから母が帰ってくるまで、ぼくは街灯からの光を窓から拾ってスケッチを描いていました。嫌な気持ちを形にしたような、スケッチブックを一面を占める黒々とした金魚達。ぼくはほとんど真っ黒になるまで紙を埋め、何を思ったのか、その1枚を切り取って、丸めてゴミ箱に捨ててしまいました。
 夜10時頃、赤ら顔でようやく母が帰ってきました。

「ああ、私ったらまた払い忘れちゃったのね。本当にダメね。ごめんね、誠二」
 玄関の照明のスイッチを何回も押しながら彼女は悲しみを湛えて言いました。いつもならばその可哀想な自分の演出を無視するのですが、今日のぼくは違いました。
「母さん! 友達とやらからわざわざ買ったものが腐ったよ! そんなの、本当に意味がないじゃないか、ちゃんと使ってよ!」
 母が目を細め、
「何? その口ぶり。偉そうじゃない。ごはん作ってるの誰だと思ってるの?」
 と言いました。「いや、ぼくだけど」とすぐに反論すると、彼女の想定するシナリオにぼくが乗らなかったことで、彼女を怒らせてしまったようでした。
「どうしてこう育っちゃったのかしら。こんなに愛してきたのに。それがいけなかったのかな」
「じゃあママからも厳しいことを言わせてもらいますけどね、あんた美術部なんか入ったでしょう? みっともないからやめなさいよ。あれは完全に才能の産物なの。貴方は何にも出来ないんですから、将来のことをちゃんと考えて、せめて人並みになれるようちゃんと勉強しなさい」
 いつ母が僕が美術部に入部したのかは知りませんが、自分が大事にすると決めたものが貶されるというのは自分に対してよりも腹立たしいものですね。「母がそれを言うのか」と私は思いました。自分も才能がなかったくせに、そして、私の育つ環境や能力を悉く腐してきたのが、あなただろうと。
「お前のせいだろ!」
「え?」
 薄暗いリビングで、困惑した母の表情が見えました。大人の責任や能力が全く見えないその態度に激しい苛立ちを感じた後、RSAを導入した以来の、自分が2重に重なっているような感覚がやってきました。
 そして、「そうだ、やってしまえ」と、私かぼくが思うや否や、ぼくがキッチンへと走って行って流し台から水垢まみれの包丁を手に取り、玄関に立ち竦んでいた母の腹部を体重を乗せて一突きしました。ドアに二人の体がぶつかり、包丁が母を刺したままにずれ、母の肉をさらに切りました。私は目の前の事態にぼうっとして、手を伝う血液に対して、「クリムソンレーキの色だ」とだけ何故だか思いました。クリムソンレーキは、ぼくが金魚の着色に使おうとしていた落ち着いた色合いの赤色です。
 母はドアに寄り掛かったままずり落ちていき、玄関のタイルに横たわると、「いひっいひっ」と涎をだらだらと流しながら言葉にならない呻きを上げ、暫くしてから微かに聞こえる声で「馬鹿みたい」と言ってから動かなくなりました。

 私は息を整え、自分からの離脱感が訪れるのを待ちました。私にとっての正常なRSAの動作に戻ってからはまず、僕に対応を任せました。
 僕は電話の方向へと歩みを進めました。誰に電話をかけようとしたのでしょうか。私は強く念じて、ボクに切り替えました。
 ボクは大きく息を吸い込みました。いったい誰を呼ぼうというのでしょうか。私は強く念じ、ぼくに切り替えました。
 感情的な判断として、私は逃げたかったのです。そして、その重大な選択を誰かにしてほしかったのです。
 僕やボクでない、ぼくはその場に暫く佇むと、何故だか鋏を手に取りました。そして洗面所に向かい、左手で目頭を引っ張り、じょきじょきと鋏で目頭を切り、自分に整形を施し始めました。
 私は彼の逃亡計画の一環と思われる行為を冷静に見過ごしました。母の殺害は私ではなくぼくによる犯行だと整理を付け、自分がやっていない犯罪で捕まるのは、それこそ馬鹿馬鹿しいとこの数十秒で理論武装をしたからです。
 ぼくは、切り取った三角形の肉片を洗面台にそのまま流すと、今度は壁に思いきり頭突きをして鼻を潰しました。
 何回かの頭突きのあと、目鼻からだらだらと血を流している、私の知っている私の顔とは異なる、悪鬼染みた顔立ちが鏡に映っていました。身体を他人に任せているのに、残っている身体性すらも自認しているものとはついに異なってしまった。私たるものは果たして残っているのか、「テセウスの船」的なテーゼを思いながら私は自嘲しました。
 鏡に映ったぼくはにやりと笑うとリビングに戻り、母の死体のそばにあるバッグの中の財布からお金を取ってそのまま外へと飛び出していきました。

 新月で星がよく見える夜でした。ぼくは北に向かって道路を走っていました。何故それが分かるかと言うと、北極星が見える方向に走っていたからです。車が通るたび、ぼくはびくびくとして顔を背けます。つい最近まで逃げる金魚を追うことを考えていたのに、今度は逃げる立場になったことを私は少し可笑しく思いました。
 ぼくは疲れた時には無理をせずに歩いて、夜空を見上げ、星を眺めました。この時にフォーカスしたのは、おおぐま座です。北極星の近くにあるおおぐま座が、熊の姿には到底見えないことを不思議に思い、父の書斎にあった星の本で、その姿が熊に見えるからという以外の理由を求めて異説を探したことがあったのです。本に依れば、その星の連なりを熊として解釈をした西洋とは異なり、ネイティブ・アメリカンでは熊とそれを追う狩人として星座が解釈されているとのことでした。熊で共通しているのは不思議ですが、ギリシャ神話に縁遠い地に住むものとして、後者の考え方のほうが私にはしっくりきました。

 外へ出てから数時間が経ちました。ぼくが息を荒げて前傾姿勢となりつつ、よたよたと走り続けています。その熊に自分をなぞらえて狩人がやってくることを私は予感していましたが、その後を考えると幸か不幸か、捕まることはなく、私は逃げおおせるのでした。
 ともかく、親殺しと逃走が私が犯したはじめての悪なのです。この時、母を殺した時に冷静に考え、しかるべき罰を受ければよかったのでしょう。それでも、自分の人生というものが手に入る前に、可能性を閉ざしたくなかった。
 でも、何故でしょう。逃走中、ランナーズハイなのか、母の作り出した異常な環境と過去から離れ、やっと私の人生がはじまるような爽快な気持ちも感じていなかったと言えば、嘘になります。

## 4.逃亡後

 それから1年後、私はネットカフェに居を構え、生活を安定させていました。勿論、すんなりと落ち着いたわけではなく、その生活は軽度の犯罪をいくつか犯して築いてきたものでした。
 はじめて人からスリをした緊張は今でも記憶に新しいです。いつ通報されるか分からない公園に隠れ住み、コンビニの廃棄物を盗んで節約をしながらも、日々減っていくお金を見て、私は人から奪って身分証明書を手に入れることを決意しました。ぼくに狙わせたのは、比較的自由に振る舞うことのできる大学生の身分です。深夜、大学近くの居酒屋にぼくは張り付き、へべれけになっている男子大学生が出てくる度に、彼らの後を追いました。
 この行為を続けること数日、後ろポケットに財布を入れている男子大学生がグループから分かれ、1人で帰っている時が運よくありました。そっと後をつけていると、彼はやがて電柱にもたれかかって吐きはじめたので、ぼくはすかさず駆け寄り、「大丈夫ですか」と背中をさすりながらポケットから財布を抜き取りました。それから「水を買ってくる」と言ってその場を離れ、学生証とネットカフェの会員証だけ抜き取って財布を道に捨てました。
 そうしてぼくは、その白基調の学生証の顔写真をカッターで削って自分の写真を貼り付け、印字も器用に削って「伊谷いたに つかさ」という新しい名前を手に入れました。
 ですから母を殺した後の私は、性格も、顔も、名前すらも他人の人生を眺めていたことになります。これでは、自分がオーナーの劇団に、自分だけの劇を演じさせているようなものですから、所有という意識はあれど、自分の人生という実感が育たなくて当たり前ですね。

 それからはとんとん拍子に生活が整っていきました。というよりも、出来る選択肢が少なかった、という方が正解でしょうか。携帯電話の契約書の身分証明には学生証だけでは足りないので、定期的なアルバイトや他者との連絡先交換なんてものは必然的に出来ません。日々、シャワー付きのネットカフェに泊まり、インターネットで現金手渡し・日雇いのアルバイトを探し、バイトでは学生証以外身分証明書を忘れたと言って突き通し、ボクが汗を流して日銭を稼ぎました。ボクは体を動かすことが好きなのでよく働き、「頑張ってるねえ」とバイトリーダーから缶ジュースを奢ってもらえたりなどしましたが、生じるコミュニケーションといったらそれくらいのものです。
 この時の私の1週間は、月・水・金には働き、火・木・土には近く図書館に行って勉強、日曜日には漫画を読んだりなどの息抜きをして過ごしていました。
 いつ捕まるか分からないという緊張が続くと人はおかしくなってしまうので、生活のためには楽観的になる必要がありました。だから、未来には目を背け、かつてのように「立派な大人」を盲目的に目指し、私は僕達に目下の生活と勉学に注力させていたわけです。
 なお、この時期の人格は僕かボクが担い、ぼくが表に出てくることはありませんでした。スリを含めて私が彼に犯罪を押しつけてきたのですが、それでも、エゴイスティックな、汚い人格だという意識が私にあったのです。

 時間だけをなあなあに消費していく日々が変わったきっかけは、父が自殺したことが書かれている新聞記事を図書館で読んだことでした。
 父のことはあまり印象に残ってはいませんが、それでも、仕事が支えということであれば家庭が崩壊したからといって、自殺することはなかったでしょう。逆説的に、彼なりに、母か私というものを大切にしていたことを告げるこの事件は、同時に、危うい形であれど成立していた家族というものを台無しにした責任は私にあるということを明確に告げるものでした。
 それを契機に、この無頼の生活で身につけた楽観性を貫通して、母を殺した日のことが頻繁に夢に出てくるようになり、眠れない夜がしばしば生じるようになりました。

 「今のままではいけない」という漠然とした焦りがあったこの時の私の思考はいつも、「あの夜に感じていたこれから先のすべての人生が自分のものとなったような爽快感に反して、なんと貧しい生活を送っているんだろう」ということに帰するのでした。
 今更どうにもなりませんし、彼らのことは今でも好きではありませんが、せめて父と母のことを覚えていようと僕に日記を書かせ始めたのもこの頃です。その彼の文章に私の視点を加えた罪の告白がいま公になっていることを考えると、因果なものです。
 ともかく、再び現状を捉えなおした私にとってアルバイトは、夢や希望もなく、ただ生きるためにこなしているだけの作業でしたし、図書館通いにしたって、今更高校の勉強や少し背伸びをして受験の参考書を読んでみたところで、社会の正常なレールから外れた自分には一体何の意味があるのでしょうか。
 消衰していくだけの日々の中、逃避先を探してこっそりお酒を飲んでみたことがありました。お酒は1人で楽しむものではないという発見があったのですが、その代わりに、慣れていないのに一気に飲んだため、トイレでゲーゲーとボクが吐く破目になりました。その際にいまの生活からの脱出口について私は気付きを得たのです。「たぶん、人生というものは何もかも他人ありきで、この袋小路から出るためには他人の存在が私に必要なのだろう」と。

 そうした経緯で何かのコミュニティに入ろうと考えた私は、「大学生」らしく東京の大学のサークルに潜ることにしました。大学はそれに属する生徒を定めてはいますが、実質的に若さだけが入場証扱いされており、目論見通り、講義やサークルで私が門前払いされることはありませんでした。丁度、春の新入生の勧誘真っ只中だったので、大学生に交じって見て回りました。
 運動部、文化部を一通り見て回りましたが、私が気になったのは美術サークルでした。高校生だった頃、気合を入れて描いた金魚の絵を完成させられなかったことがやはり私の中で気がかりでしたし、何となく家族の絆の象徴として愛着が湧いていたのです。これからサークルオリエンテーションをするというので、部員からもらった地図を頼りに僕は部室へと移動していきました。

 「新学生会館」と看板には書かれているのに全く新しくなく、キャンパスとは離れた落書きだらけの建物に美術サークルは位置していました。ピロティの柱はひどいもので、数十年前に流行った芸人のギャグがスプレー缶で落書きされている有様でした。
 入口から左に進み、建付けの悪いドアを開いて部室に入ると、陽が入らないからかひんやり空気を肌に感じました。外観と違わず中もひどく、ひねくれた言葉が壁中に落書きされていたり、亀甲縛りのヴィーナスの石膏像が天井から吊るされていたりと、風変わりであることを誇っている人間たちが所属していることを伺わせる部屋でした。
 ただ、あのツンとくる甘い刺激臭だけは高校の部室で嗅いだものと共通していて、不思議と安心感を覚えました。

 部室には僕の他に興味を持った学生が数人がおり、パイプ椅子に座って、サークルオリエンテーションが始まるのを先輩部員と雑談しながら待っていました。サークル代表らしい女性は、時計を見ると、「今回はこれだけかあ」と言ってから立ち上がりました。
「時間となったので、説明をはじめようと思います。今日は美術サークルに興味を持ってもらって、ありがとうございます。私はサークル代表の藍田と言います。グダグダ喋ってもつまらないかと思うので、ざっくりとうちのサークルを説明しますと、部屋を見てもらえばお判りでしょうが、かなり自由です。現代アート、ダンス、立体、日本画に勿論油絵などなど、ジャンルを問わず部員たちは各々好きに活動しています」
 と鷹揚に代表が話します。
「活動内容は、年に1回大学の美術サークルが合同で主催している大会があるので、その大会への作品提出を目指している人が多いかな。あとは気が向いた誰かが写生会やデッサン会を主催することもありますが、まあ一丸となって何かをやる、というものではなく、作品をつくる場所を提供するサークルだと思ってください。たまに、さっきまで先輩面していた部員達のように、ゲームやお喋りをするために来ている連中もいますが」
 「わはは」と会員達から笑い声があがり、内輪向けの雰囲気を醸し出しました。ここだけなのかもしれませんが、サークルというのは高校の部活と全く異なり、良くも悪くも目的らしい目的がないのですね。誰かに導かれることを期待していた私は、少しだけ笑い声をあげていた他の部員たちに落胆をしました。
「この後はスケッチ会と食事会を予定しているので、よろしければどうぞ」
 という代表の言葉を受けて、「ありがとうございました」と言い残して、多くの新入生は出ていきました。

 スケッチ会で人の描いたものを眺めていると、先ほど話していた代表から「描かないの?」と聞かれました。僕は、
「今は何となく気分じゃなくって」
 と説明になっていない、何だかよく分からない返事をしました。そうすると、
「描きたい気分じゃないのに、美術サークルに来るってことは、経験はあるってことだよね。どう、当たり?」
 と、興味深そうにその女性は問いかけてくるのでした。
「高校の頃に少しだけ油絵を描いたことがあります」
「へえ、どんな絵?」
「写真はないのですが、金魚の絵です」
 私がそう言うと、「ふーん」と相槌だけを打った彼女は唐突に、
「そう言えば、きみ名前はなんて言うの?」
 と自己紹介を求めてきました。彼女に対して私は「不思議な人だな」という第一印象を持ち、あまり好感は覚えませんでしたが、僕は素直に「伊谷司です」と名乗りました。すると彼女は、
「きみ、変な人だからうちのサークル向いていると思うよ。別の所に行っても浮くだろうし、ここ入りなよ」
 と僕に顔を近づけてニンマリと笑い、サークルに勧誘してきました。
 その見覚えのある表情に、藍田という珍しい苗字に私はハッとしました。何という偶然なのでしょうか。私は高校の美術部で親しくしていた、藍田里奈さんの姉と知り合いになったのです。

 入部以降、今までは近場の図書館に行っていたのですが、代わりに大学図書館へ行くようにして、その後に部室に顔を出すようにしました。
 いつ訪れても、藍田さんは部室にいました。
「伊谷くん、結構部室に来るよね」
「暇なので」
「そりゃあ良いことじゃないか」
 藍田さんは身の丈ほどの高さのキャンバスに向き合っており、部室に入ってきたばかりの僕に顔だけを向けて言いました。
 彼女は渦を巻いて空へと伸びている、城下の建物が豆のように見えるほどの大きな城のラフに着彩していました。
「ブリューゲルのバベルの塔の模写ですか?」
「そうそう、売っておこずかいにするんだよ。意外に絵を買いたがる人って多くてね」
 彼女の作品は、高校生の画展でよく見る、拙い色使いによって像がぼやけて見えるような絵画とは全く異なり、私が見たアマチュア作品の中では一番の出来栄えのように思えました。
「上手いですね」
「あんまり模写が上手いって言われてもうれしくないよ」
 きっぱりと彼女は言いました。彼女の妹の藍田里奈さんも、同じようなことを言っていたことを私は思い出しました。藍田里奈さんの考えは、姉から語られたものの受け売りだったような気がします。彼女が姉について語るときは、非常に才能があり、かしこい人だと絶賛していましたしね。
 その評判通り、利発さを伺わせる話しぶりで姉のほうの藍田さんは言葉を続けました。
「バベルの塔以外のブリューゲルの絵、見たことある?」
「ないですね。どんな絵があるんですか?」
「農民が題材の絵が多いんだ。彼が住んでいた当時のオランダは宗教改革の影響で宗教画が衰退してね、それで代わりに風俗画が台頭してきたってわけ。このバベルの塔はたぶん、当時の神様周りがごたごたした世相を彼が反映した結果だったんだと思うんだ」
「はあ」
「それで彼は次に実存に注目して、農民の生活にフォーカスするわけだ、これは偉いね。彼以前には誰も描いていない内容で、それも、言葉以上にものを言う絵をつくる。彼が為したことこそ、描画という行為の本質だよ。だから、模写なんて再生産は上手くたって意味がないんだ」
「ああ、それを言いたかったんですね」
 僕は近くの席に座ってまじまじとその絵を鑑賞しました。
「じゃあどんな絵が偉いんでしょうか」
「いい質問だね」と彼女は前置きをして、
「世界でも他人でも自分でも、何かを変えられる絵だって私は思ってる」
 と言いました。
 拍手をする僕を見て、「まあ現状、大言壮語も甚だしいけどね」と急いで言葉を続け、彼女は赤面しました。

 土曜日は、藍田さんの他には部員がやってくることはなく、彼女と落ち着いて話せることに気が付いてからは、必ず部室に行くことにしました。今まで漠然と感じていた「私とは何者なのか」という疑問が、彼女の話を聞くことで解消できる気がしたからです。
 それでもやはり、いつか絵を描こうと思いつつもぼくを表に出すことに不安がある私は、僕に美術サークルで時間を過ごしてもらいました。部員達とお喋りをするだけでも、かつてのバイトと図書館通いだけだった生活よりは充実しているように感じてはいましたが、どことなく虚無感のある日々が過ぎ、やがて、夏合宿シーズンが訪れました。

 先輩方が企画した夏合宿は、高尾山でバードウォッチングをし、それ済んだら近場のゲストハウスに泊まるという計画でした。私も、自分の意思で旅行というものをしたことがなかったので、これを機に僕に参加を表明させました。普段電車に乗るときは、車窓からの風景というものが二重窓のように私には感じられ、その世界との隔たりに退屈を覚えるのですが、この時の高尾までの2時間ほどの電車旅は楽しく感じられました。
 それまで本でしか読んだことがなかったのですが、山というのはいいものですね。土の香り、はっぱを踏んだ時の音、やわらかい地面、一面の緑と茶色、自然という調和のもとに五感が刺激されるというあの得も言われぬ快感を私ははじめて体験しました。
 山頂への道中、藍田さんもはしゃいでいたのでしょうか、木の上に登っている猿に向かってカメラを構えたまま山の斜面を滑り落ちるトラブルがありました。
 僕はボクに切り替えて坂を滑るようにして彼女のもとへと駆け寄り、
「大丈夫ですか? どこか痛むところは?」
 と聞きました。
「ちょっと足首をひねったかもしれない」
 と彼女が言ったものですから、ボクは彼女のズボンの裾をまくりました。
「本当だ、すこし赤くなっていますね」
「痛い、痛い、もう少し優しく診てよ」という彼女にボクは拾ってきた近くの枝を彼女の足首にハンカチで固定しました。
「今日の伊谷くんはやけに頼りになるなあ」と彼女は不思議そうに言いました。

 ゲストハウスでの夜、私は部員たちが寝静まった後、僕に外へとこっそりと抜け出してもらいました。山では星がよく見えると聞いていたので、実際に見てみたかったのです。
 我が家から逃げた日と変わらない位置で北斗七星が輝いていました。「狩人と追われる熊」の逸話を思い出し、あの日の予感に反して続いているロスタイムが長引くだけ「いつまでこうしていられるんだろうか」という来るべき運命の日が怖くなるのでした。
「星を見ているの?」
 と、突如私に続いてゲストハウスを出てきた藍田さんから声をかけられました。
「ええ……。星座が好きで、昔よく図鑑を見ていたんです」
「へえ、ロマンチックだね。でも確かに、都会の空とは違うねえ」
「……。そうだ、藍田さんは、おおぐま座って大熊座に見えますか?」
 僕は話題に詰まって、狩人と追われる熊の逸話を語って聞かせました。
「熊という解釈が共通しているのが面白いね」と彼女は反応しました。「じゃあ私からも薀蓄を」と続けて、
「逃走に因んで、夜がどうして暗いのか伊谷くんは知っているかい?」
 と言いました。
「宇宙が膨張しているから、でしたっけ?」
「良く知っているね。大半の人は太陽が沈むからと言うのだけれど。宇宙空間が膨張しているから、星々からの光も赤方偏移して、赤外光になってしまう。これって地球人として主観的にものをみると、星々が我々から逃げているってことになるよね?」
「輝くものは我々から逃げていく……。僕も大事なものを捉え切れていないんじゃないかと、そんな感覚が常にあります」
「中々詩的なことを言うね。だけどそう、現に星は逃げているんだ」

 会話が途切れ、風が吹いたとき、
「変なことを聞くけれども、伊谷くんって多重人格だったりする?」
 と、藍田さんが星空を見ながら僕に喋りかけました。
「いえ、違います」
「そっか、昼に私が捻挫したときにいつもと違ったから、少しそう思っただけなんだ」
「ただ、RSAを付けているので、普段と違うように感じたのはそのせいかもしれませんね」
 と僕は言い、前髪をかき上げて彼女にRSAを見せました。
「へえ、はじめて見たよ、付けている人! 実際、どういう感覚なの?」
「僕が登録している行為は、勉強と運動と創作活動なのですが、若干、やる気が出る程度ですかね。大金を使ってまでやることではないかと思います」
 僕達がRSAを装着していることを告白するのは、この会話がはじめてでした。それだけではありません、彼女は私が多重人格ではないかと疑っていたことが驚きでした。僕達の影に潜む私の存在に藍田さんが勘付いているような気がして、私は彼女に対してより一層の興味が湧いてくるのでした。

「創作活動の登録か。……聞いていいか分からないけれど、重んじている行為なのに、どうして美術をやらないの?」
 彼女は小石を蹴飛ばしながら質問しました。僕は、僕達が感じていた「美術への傾倒が殺人に繋がるかもしれない」という忌避感の代わりに、生まれ育った境遇のせいで仲良くしていた被害者に自身の言葉を信じてもらえず、高校の部活で絵を台無しにした犯人扱いされたことをトラウマとして打ち明けました。それを聞いて彼女は憤りを顔に浮かべました。
「何それ? ムカつくなあ。……でもさ、嫌なことがあったから美術をやらないってのは、それこそ、仕組んだそいつらの思う壺じゃない? ……そうだ、君がめげそうになるたびに、応援したり、許してあげるよ。これなら筆を取る気にならない? ダメ?」
 彼女のその発言は、あくまで高校美術部の事件に対してのものだったのですが、ぼくの殺人という範囲においても適用されるような響きを私のなかに伴いました。私は彼女によって「ぼく」という手段が許されたような気がしたのです。その彼女の共感的な態度に僕は口が軽くなり、母の教育や生まれのことも仄めかしました。
「いや、それは伊谷くんのせいじゃなくって、『巡り合わせが悪かった』という言葉に尽きないかな」
 私はこの言葉を決定打として、ぼくによる絵を再開したのです。

 それから1週間ほどは、井の頭公園でスケッチをしてからぼくは部室に向かいました。
「伊谷くん、経験は1年って言っていたけど、基礎力あるね」
 と藍田さんがぼくのスケッチブックに描かれた野花を見ながら言いました。
「大事なのはモチーフと意味内容って藍田さん、言っていたじゃないですか」
「それはそれとして、きちんとした教育を受けた人として作品を作るんだったら、技術面からの足切りは残念ながらあるからね。勉強も大事だよ」
「ぼくは、そういった意味ではきちんとしておらず、『アール・ブリュット的』だと思うんですが」
 藍田さんは頬を掻きました。
「大学に所属しているならば、そういった軸での評価は無理だよ」
 大学生に扮しているぼくは何とも返し辛く「はあ」と曖昧な相槌を打ちました。

 逃走の際に捨ててしまったので、画材を借りていざキャンバスの前に立つと、高校の頃にはじめて絵を描いたシチュエーションが思い出されました。
「藍田さんに聞いてもしょうがないのだと思いますが、高校で恐らくぼくを貶めた女子部員の動機ってのは何だったのでしょうか?」
 ぼくは手を止めて、藍田さんの方を向いて言いました。
「悪の動機ってのは様々だと思うけれど、個人が犯す悪ってのは自己の確立のためだと言うね」
「自己の確立ですか?」
「そう。自己というのは他我に先立たないから、あくまで意識間の相互性に過ぎない。その相互ネットワークのなかにあって、理解不能な他者や流動しない関係は自分の不確かさ、こう言い換えてもいいかな、人間としてのレヴェルの低さを自分に対して感じさせるものなんだよ。その解消のために、人間は悪を犯す。本で読んだことの受け売りだけど」
 テーブルに座る藍田さんはそう言ってコーヒーを啜り、何だかよく分かっていない僕に向けて人差し指を宙でくるくると回して、「少し指導をしてやろう」とでも言いたげな様子を見せました。
「国境……、恋……、いや、伊谷くんは星に詳しかったな。さそり座にしよう。君はいまからアンタレスだ」
 藍田さんは人差し指を立てます。
「いや、その例示は無理が過ぎませんか?」
「そうかな……、そうかも……。……じゃあ、熟年夫婦にしよう。数十年結婚生活を送ってきた彼らが、近所に住む独身を謳歌している老人を見て、『結婚してなかったらどういう人生を送っていただろう』と自分自身を顧みないことはあるだろうか? また、数十年そのままの婚姻関係に置かれてなお、自分は『本当にパートナーを愛している』と自覚しているだろうか?」
「さっきの例よりは分かりますが……」
「その結果が熟年離婚、というわけだね」とぼくの言葉を遮って彼女は強引にまとめました。実態や突っ込みはともかく、言いたいことはなんとなく私にも分かりました。
「つまり、意識間の相互性の運動が、自我を人に自覚させるもので、それが膠着状態に陥ったために当時の事件が起きた、ということなんですね」
「呑み込みが早いね。自己の充足感は新しい刺激から。だから美術にも価値があり、意味内容が重要。いい話に繋がったかな?」
「途中まで雲行きが怪しかったのですが……。でもさすが、美学専攻ですね」
「『美』だけを取り扱うものではないから、感性学と言ってもらおう」
「なんですか、それは?」
「私が好きな美学教授が第1回の講義で言った言葉だよ」
 彼女は胸を張って誇らしげでした。

 私はいつもはぼくの好きなように描かせるのですが、そのキャンバスについては彼女の言う通りに自分という感性に依拠した、そして、彼女の理論に影響を受けて自我と他我を星座に見たてた絵をぼくに描かせはじめました。これは私の中では、私という曖昧な自我とぼくが犯した罪を、全ての物事との関係性という環境によって陶冶するという意味を持つものでした。
 朝、風で揺らぐカーテンの隙間から漏れ出すたゆたゆ直線状の光を綺麗だと皆さんは思ったことがないでしょうか。それに似た、何かの啓示であるような、ドレスの裾のような光を星から纏わせ、ぼくはおおぐま座を描いていきました。
 母の支配下で失われた自我認識とそれによって生まれた離人感、他人へのコミュニケーション不全、藍田さんへの想い、それから、母への犯行。すべてが宇宙空間にぽかんと星座となって浮かんでいる。私の悪というものは、生まれた時と場所だったのだと、そう結論付けて。

 ある日、ぼくが部室でその絵を描き進めていると、急に私の調子が悪くなりました。ぼくが体を前後に揺らして船をこぎ始め、合間合間に私が自分を動かしている感覚があるという、自我の混乱が私を襲ったのです。私の体が横に倒れると、「ぼく」の存在感が一気に薄れ、その代わりに「私」が現実に放り出されていました。歪む視界の中、私は焦りながらこめかみのボタンを連打するものの、「僕」や「ボク」の切り替わりは感じるのですが、いつもと異なり、彼らが私の後ろに憑いているといった程度の存在感しか感じられないのでした。
 まともに繋がらない思考の中、椅子を繋げて体を横にして休んでいると、そこに藍田さんがやってきました。
私の様子を見るなり、「すごい顔色! 大丈夫?」と言いながら彼女は駆け寄ってきて、私の脈を取ると彼女は深刻そうな顔をしました。そしてスマートフォンを取り出したので、私は彼女の手を引っ張って止めました。
「救急車は大丈夫です」
「いや、念のために呼んだ方がいいって」
「やめてください、絶対に」
 そのかすれた声の、RSAを付けて以来の自分の意志で発生した言葉は、自分の罪がなし崩し的に発覚することを避けるためのものでした。彼女はこくりと頷きました。
「その椅子、硬いでしょう?」という彼女の好意に甘えて膝枕を受けていると、母のことが思い出されました。
 普段は何かと私に厳しく自分に甘い母は、私が風邪を引いた時には優しくするのです。もしかしたら「病人に看護する」というシチュエーションに没頭していただけなのかもしれませんが、彼女は四六時中私のそばにいて手を握り、「何か欲しいものはない?」と頻りに聞いてくるような具合の好待遇を私は受けました。私が回復したときには代わりに彼女が憔悴していて、「良かった」とだけ言って微笑むのです。唯一、その時の母のことだけは好きでした。
 いつの間にか眠っていた私が目覚めるとRSAが復旧しており、ぼくが「ご迷惑をおかけしました」と彼女へと感謝の言葉を伝えました。そして何もなかったかのように、普段の部活動が再開されました。

 この時に、RSAが機能しなくなった原因を私は深く考えるべきだったのですが、藍田さんの配慮を契機に自覚した彼女への恋心に私は浮かれていました。いつの間にか「人間とは何なのか。どうあるべきなのか」という私のライフテーマに対して知見をもたらしてくれる彼女に、私は恋をしていたのです。

「いい絵だね」
 絵を完成させたぼくは真っ先に藍田さんに見てもらいました。
「私が前に言った相関性がテーマなのかな? 君の持つ、自己というものはちっぽけだと言う主張が伝わってくる」
「ありがとうございます。自分が悩んでいたことが、藍田さんの言葉でよく整理できたんです」とぼくは言いました。
「強いて言うならば、私だったら星から伸びる光を赤くしていたかな。高尾で夜空を見たときに言ったけれど、星の動きに伴って、光が赤外光になるわけだからね」
「それだと、嘘のような星空になりませんか?」
「嘘でもいいじゃないか。もっと人間は複雑であった方が浪漫がないかな」
「ぼくには今でも十分複雑ですよ」
 と、そう言ってぼくは拗ねました。私としては「ああ、この星は藍田さんだな」と明らかに分かる絵を見せることは告白に近しい行為だと思っていたのですが、彼女はそれに気が付いていなかったのでしょうか。それとも、気が付いていて、あえて気が付かないフリをしていたのでしょうか。

 普段であれば1日中部室にいるはずの土曜日なのに、その会話をした後に「講座がある」と言って藍田さんは出ていき、一人きりとなったぼくは、彼女から貰ったアドバイスを受けて赤色に光の帯を修正していました。その赤色のひらひらとした光を見て、何だか高校の頃に描いていた金魚のようだなと私は感傷的になりました。確かに、絵としてはぐっと良くなった気がするのです。早速直した絵を見てもらおうと、ぼくは藍田さんのことを文学部の校舎まで探しに行きました。
 慣れない校舎をうろついていると、覚えのある声が聞こえました。その声が聞こえたドアに近づいていくと、「先生、だめですよ……」と今までに聞いたことのない声音で藍田さんらしき人が喋っているのです。周りを気にして潜めているであろう、しかし、よく通るその声にぼくは怖くなったのか、その場を後にしてしまいました。

 その翌日、ネットカフェで目が覚めると、「私」が主体となっていることに私は気が付きました。以前「私」が主体となったときは時間を置けば治りましたから、1日中横になって、じっと身を休めました。しかし、体の震え、発汗や視界の揺れといった体調の悪化は収まったのですが、僕達が戻ってくることはありませんでした。
 冒頭に書いた、RSAを導入した際の「ドーパミンは約5年分」という医者の言葉を覚えているでしょうか。そうです、RSAの効力が切れてしまったのです。他人にとっては補助輪のようなものかもしれませんが、私にとっては一大事です。脳内物質が鍵だったのか、再度充電を試みてみても、僕達は跡形もなく消滅してしまっていました。
 人間というものは連綿とした関係から成ると藍田さんから教わった後に、今まで他人任せだった生活へと急に異物たる私が放り込まれてしまったのです。
 私は、「これからどうやって生きて行けというのだろうか」、「私が捕まる主体になってしまったのか」という当たり前の当事者意識に慌てました。これから訪れるであろう破滅は、映画を眺めるように所詮他人のものだろうと高を括っていたのですから、たまったものではありません。私は、これからの暮らしの救いを求め、アルバイトの予定を無視して、藍田さんに会いに行くことにしました。彼女であれば、いつものように私に啓示を与えてくれる気がしたのです。

 藍田さんは部室にはいませんでした。私は、自分が私であることにこれ以上じっとしていられずに、校舎まで小走りで見に行きました。
 この日は普段は部室に行かない月曜日で彼女の履修している講義を知らず、私は虱潰しに彼女を探しました。講義中の教室にも気にせずに入ると、よっぽど鬼気迫った表情であったのか、周りの学生がこちらをちらちらと見ていたのを覚えています。
 校舎中、どこを探しても彼女は見当たらず、最後に、私は意識的に避けていた、2日前に彼女の声を聞いた扉の前にいました。

 嫌な予感はしたならばよせばいいのに、私はその扉を開きました。
 四方を本棚に囲まれたその部屋の中には、デスクに寄りかかってキスをしている初老の男性と藍田さんがいました。
 男性と目が合うやいなや、咄嗟に私はその場を逃げるのでした。

 私は「何故逃げてしまったのだろう」と自問しました。
 そして、自分は藍田さんへの失望を恐れていたことに気が付いたのです。別に彼女が誰かと恋愛関係にあってもよかったのです。
 私が嫌だったのは、星のように自らきらきらと輝いて私を照らしてくれていたと思っていた彼女は、教授と親密な関係にあり、その受け売りの言葉をもって僕に「人間」を語っていたことです。無意識に彼女に優しく道理を垂れてくれる母性を期待していたのでしょうか。つまり、彼女の背後に彼女ではないものがいる、ということについて私は裏切られたように感じたのです。勿論、彼女は人間とは星々のように周りとの相関によって定まっていると言っており、私もそれを意識上では納得していたのです。それでも、矛盾していると自覚がありますが、私は彼女が特別な存在であってほしかった。
 私は、彼女の主張した曖昧な自己認識の論理の下で記述される、確固たるものを持たざる彼女や大学教授のことも、汚く思いました。しかしそれは、彼女と大学教授の結びつきの傍に置かれた、ちっぽけで汚い私がよりみじめになるという連鎖を生むのでした。
 ですから、私は何でも良いから、自分というものを自分で定義したくなった。どうせその先が見込めない人生なのです。それには他人を切り離すことが必要だと思い、私はその衝動に従って、彼女の殺害を決意しました。

 私は、彼女と私がいつも会っていた部室に息を潜めて隠れていました。彼女が弁明をするために、私の元を訪れるだろうと高を括っていたのです。
「伊谷くん……? いる……?」
 となんだか申し訳なさそうな顔を浮かべながらやってきた藍田さんを、勢い良く飛び出していった私は角椅子で殴打しました。
「やめて!」「いたい!」と叫ぶ彼女に椅子を振り下ろし続け、彼女が気絶した後も、整った顔の原型がなくなり、殴打する音がすっかり水の音になり、彼女の息がなくなるまで、私は彼女殴り続けました。

 犯行後、私の万物への嫌悪感は一層強くなりました。
 寧ろ、彼女がそれを軽減してくれていたことに私は気が付きました。
 土台、自分だけによる自己定義なんてものは欺瞞だったのでしょう。それが出来ないのですから、「自分以外を大事に思うこと」が自分にとって大事だったのです。しかしそれに反して目の前に広がる光景は、紛れもなく、言い訳の聞かない、自分が行った罪なのでした。
 私は飾ったままだった自分が描いた絵を、ペトロールなどが置かれている木棚へと振り回し、キャンバスの枠を壊して布だけをはがして、それで藍田さんの死体の顔を覆って見えないようにしました。

 そうして私は、大学を後にして、涙を流しながら夜の街を逃げ始めました。
 日没直後のため、星は全くと言っていいほど見えませんでした。母を殺した日に見た夜空とは全く異なり、私ではない自分が犯行したという言い訳も効きませんから、かつての夜にわずかながら感じていた爽快感も当然ありません。この時、私に存在していたのはただただ喪失感と後悔だけです。半ば可能性が閉ざされていたとは言え、本当に自分が自分を台無しにしてしまったという、幼稚さをひたすらに悔いていました。

 必死に逃げながら、「星は逃げているんだ」という藍田さんの言葉を思い出しました。そうです、環境のもとに存在する人間は周りの拘束力の下に置かれますが、しかし、動くことが出来るのです。他責の果てに一人となって、人生を台無しにしたあとに、私はそのことに気がつくのでした。
 母に抗議の声をあげればよかった。父と話せばよかった。
 藍田里奈さんの絵を台無しにした犯人は私ではないと言えばよかった。
 母を殺した自分の罪は逃げずに認めるべきだった。
 もっと他者を大事にして、主体的に働きかけるべきだった。
 そもそも、RSAで生まれた他人なんかに人生を任せるべきではなかった。
 幾つもの過去の後悔が思い浮かび、未来の消えた自分がいま逃げても何の意味があるのだろうと自問しながら、私はネットカフェへと逃げ入りました。

 ぶるぶると体を震えさせながら入った個室ブースのパソコンを見て「ああ、そうだ」という閃きがありました。
 やはり、他責という言葉で形容しきれてしまう私には、人生というものは過ぎたものだったのでしょう。それを認めたうえで、唯一存在する私らしさである「他責」が成せることに気が付いたのです。
 私の人生を、経験を、他人に使ってもらえばいいのです。自分というものを滅私して、範囲を限らずに有意義に使えるという人全員に任せればいいのです。
 そうして、私は、RSAをパソコンと繋げて、自分の電気信号のサンプリングを始めました。
 これが、いま皆さんが読まれているドキュメントが書かれた経緯です。

## 5.最後に

 隠す気のない犯行をしました。もうすぐ私は捕まるのでしょう。ですが、貴方がこの文章を読んでいるということは、それより先に私の人格の書き出しと、ネットへのアップロードが完了しているはずです。
 冒頭に記入した通り、私の断片的な記録は何らかの使い道ならびに社会への益があるでしょうから、よろしければご活用ください。

 私の文章は以上となります。何分急ごしらえですので、読み辛かったら申し訳ございません。
 最後に、個人的な願いを記載して本文章を締め括りたいと思います。

 罪深いと知りつつも、RSAの技術が発展し、何らかの形で復元された私ではない私が、どこかで立派な人間になれれば良いなと思います。

 そう願うのは、悪でしょうか?

文字数:33370

内容に関するアピール

 現在存在している自分が、あり得た可能性の中で最も良いと思っている人は少ないのではないでしょうか。そこから生じる我々の暮らしを常に誘惑する逃避願望を、他責という行為によって肉付けして深掘ろうというのが本作の試みとなります。
 そのテーマを直截に実現しうるSFギミックとして、多重人格発生装置を採用しました。構成については、日記形式にはしたものの、フラッシュフォワードのほかはいたって普通の構成にしています。ギミック・構成によって、主人公の不気味さがより際立つよう、人称のトリックで異物感のある読書体験が実現できていればいいなと思います。
 自分が書きやすいことを放り込んでいたら蘊蓄が多めになってしまったのですが、自分はそういう作家なのだと開き直って、それらを繋げてデペイズマンを狙ってみました。

 分かりやすいようにざっくりとしたあらすじを書くと、
 ・自分というものをあえて持たず、別人格に自分をまかせていた主人公が大成せず、
 ・それを母のせいにして一時の感情で殺害したのちに逃走し、
 ・なんでも人任せにしていった果てに自分の人生を台無しにしてしまったことに気が付き、
 ・そんな状況で唯一できることを探して実行した
というお話になっております。

材料となった作家群も一応記載しておくと、チェット・レイモ、グリーンバーグ、ゴンブリッチ、ナベール、瀬戸口廉也、ペレーヴィン、中島敦あたりです。これらの方々の作品を読み返しながら書き進めておりました。

ほか、マーケ的な観点だと、日本SFの潮流は意識して、「エモ」&「手付かずのギミック」を心掛けたつもりです。
これからも引き続き努力をして参ります、が、あわよくば、作家デビューはこれを機にさせて頂きたく、何卒宜しくお願い致します。

文字数:731

課題提出者一覧