ANQLIAの恋歌(ラブソング)
軽薄な言葉なんて言えませんでした。
先生は帰ってきた「私」を見るなり、涙を流しながら抱きついたんです。「私」はてっきり怒られると思っていました。けれども先生は開口一番に、
帰ってきてくれて良かった
って、そう言ったんです。
「ANQLIA、今まで何処に行っていたの? ここを出発してすぐに位置情報が途絶えるし、ヴェルディ星の試験会場にもあなたの姿が見当たらないから大騒ぎになっていたのよ。私、アンに何かあったんじゃないかって、心配で心配で――」
先生は涙ながらに言いました。
「でも、こうして帰ってきてくれて、本当に良かった……」
「私」は返事に困りました。
「とにかく学科事務に行きましょう。アン、貴方はね、卒業試験を欠席したことになっているの。私がそう決めた。だって会場に来なかったんですもの。それはアイドルとして許されないことなの。少なくとも、宇宙を股に掛けるアイドルを志して、ここに入学した者にとってはね」
「先生、私は――」
「でも、もしかしたらだけど……救済措置がとれるかもしれない。あなたは今、二つの幸運に恵まれているの。一つは、あなたが日々の生活ログを残せるロボットであるということ。そしてもう一つは、今あなたの目の前にいる人物は、あなたの指導教員であり、星間アーティストコースの卒業を認定する学科長でもあるということ。つまり、もしあなたが試験期間中の生活ログを学科内に提出して、やむを得ない事情によって卒業試験を欠席したと認定されれば――あなたに再試験を課すことができるかもしれない。特例としてね」
先生は「私」にウインクしました。けれども「私」は、それにどう答えればいいのか分かりませんでした。「私」が俯くと、先生は励ますように私の肩に手を置きます。
「大丈夫、心配することないわ。もちろん、再試験の合格基準は他の生徒より厳しくなるでしょうし、あなたが――そう、恋愛感情が分からないロボットだからって、批判的に見る観客だっているでしょう。でも、アンなら大丈夫。あなたの歌なら、きっとどんな観客だって満足させられるはず。だからほら、私と一緒に生活ログを――」
できません、と「私」は呟きました。
「私は生活ログを、提出できません」
「えっと……どうして? 故障でもしたの?」
「いえ、故障はしていません。ただ、できない理由を説明するのは、ひどく困難を極めます。ともかく、今の私に出来ることは、生活ログを提出することではなく、私の身に起きたことを物語ることなのです。その物語は不思議というか、奇妙というか――きっと、誰にも信じてもらえない類いのものです。ですがこれは本当に、私の身に起こった出来事なのです」
「私」は先生を見つめました。
「先生は、今から話す私の物語を、信じてくれますか?」
先生は眉を顰め、「私」の物語に耳を傾けました。
<嘘のような話>
物語は、卒業試験の前日、私がヴェルディ星に向かって航行していた時に遡ります。
私はあの日、先生に教わった課題曲を宇宙船のなかで練習し、本番で完璧なパフォーマンスを発揮できるように備えていました。船内は音楽に満ちていました。だから『それ』に気付かなかったのかもしれません。
驚かないで聞いて欲しいのですが――私の乗っている宇宙船は、突如として『それ』に引きずり込まれました。後で知ったのですが、それはワームホールの一種でした。けれども当時の私には、『それ』が何だったのか分からなかったのです。尤も、その正体が分かっていたとしても、私にできることは何もありませんでしたが。
ともかく私の船は、さながら荒れ狂うストームに突入したかのように、トンネルの中で何者かにシェイクされているかのように、急激な力で遠心されながら、その中へと引きずり込まれました。
気が付くと、私の船は見覚えのない空間に浮かんでいました。慌てて宇宙船の損傷を確認しましたが、不思議なことに私の船の壁面には傷一つ付いていませんでした。
私は首を傾げながら、この船の位置情報を探ろうとしました。けれどもエラーが出て、この船が何処にいるのか、さっぱり分からなかったのです。どうやら私の船は、地図に載っていない処にいるようでした。あるいは、母星からの電波の届かないところ、とも言えるでしょうか。
いずれにしても、それは私にとって異常事態でした。何しろ卒業試験が実施されるヴェルディ星は、母星からすぐ隣にあるはずですから。
探査レーダーを走らせると、この船の周辺に三つの星があるようでした。それらの一つは緑色で、もう一つは水色、最後の一つは茶色い星でした。いずれも私の学習ログにはない、未知の惑星でした。私は悩み、手始めに緑の星に降り立つことにしました。
それ以外、いったい私に何が出来たと言うのでしょう?
<臨死の星>
その星の大気圏内へは、入星審査を経ずに入ることができました。出入星管理局もありませんでしたから、元々あまり外には開かれていない星なのだと思いました。
地表に近づくと、宇宙船の窓から地上の様子が見えました。表面の殆どが緑色の大地で、その一部に点々とした湖が見られました。着陸する間際になって、緑色の大地だと思ったものは、緑色のガラスが全面に貼られたビル群であることが分かりました。それより少し薄い色の道路が、ビルの隙間を縫うように走っていました。私はその風景を見て安堵しました。
この星は、自分の星と少し似ている――それがこの星に抱いた第一印象でした。
私は透明な湖に着水し、そこから近くにあるはずの街を訪れることにしました。重力は母星よりやや弱いようでしたが、慣れれば歩行も困難ではありませんでした。しばらく歩いていると、現地住民と思わしき生命体を見つけました。その生命体は全身が紫色で、丸みを帯びた三角錐のような大きな頭部を持ち、その下から六本の太くしなやかな脚と、同じ太さの二本の腕を生やしていました。
それは明らかに、ヴェルディ星人ではありませんでした。
彼は二本の腕をだらりと前に突き出し、六本の足をゆっくりと前へ繰り出すことで、こちらに近づいてきているようでした。よく見ると、彼の頭部には三つの目と思われる部位と、円筒のように突き出た口らしき部位があり、そこから緩んだ蛇口のように、透明な液体がボタボタと漏れていました。
私はその姿に恐怖を覚えながらも、大丈夫、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせ、自らに搭載された機能を思い出しました。
生命体が検出圏内に入ると、私は彼の頭部から発せられる電気信号を検出し、言語と視覚情報を司る処理領域を特定しました。次にそれらの領域を仮想的に拡張し、言語処理仮想領域において双方の語彙データベースを衝突させながら翻訳を試みつつ、視覚処理仮想領域に膨大な画像データを投げ込み、最も反応の良かった「容姿」を自身に投影しました。
私は先生の教え通り、彼らの言語が分かる、彼ら好みの容姿を持った「アイドル」に擬態したのです。
その瞬間、彼の反応が変わった気がしました。それまでゆっくりと私に近づいていたのが、少し、速度が上がったのです。それは勘違いではありませんでした。
「もしかして、生存者なのか!?」
彼は叫びました。私は目を丸くします。生存者?
「もう一度聞く、お前は生存者なのか!?」
生存者とは何を意味するのか、私にはよく分かりませんでした。私は異星から来たロボットです。ただ、今の私は彼にとって理想のアイドルに見えているはずであり、そういう意味では、生きていると答えなければ変に思われるかもしれません。私は翻訳機能がきちんと作動することを願いながら、恐る恐る口を開きました。
「はい、私は生存者です」
良かった、と彼は立ち止まって言いました。どうやら、翻訳機能はうまく作動しているようでした。私が喜び近づこうとすると、彼は「待った!」と叫びました。私はその場で立ちすくみます。
「すまない、驚かせるつもりは無かったんだ。ただ、恥ずかしいことに……さっき向こうで刺されちまってね。今はまだ自我を保てているが、これもいつまで保つか……」
彼は円筒状の口から垂れている透明な汁を、ズズッと啜りました。
「悪いことは言わない、あまり俺に近づかない方がいい。いつあなたを刺そうとするか分からないからな。それにしても……畜生! 奴ら狂ってやがるぜ! なにがミスレの尊厳だ、何が――」
彼はブツブツ言いながら頭部を左右にゆっくりと振り始めます。彼の三つの目が、徐々に白く濁りつつあるのが分かりました。
「ああ、目の前が白くなってきている。アスフェルからのお迎えか? いや、奴らは死なないと言っていたな……畜生、奴ら狂ってやがるぜ……」
「あの、すみません」
「ああ、肉が食べたい……畜生、すこぶる気分が悪くて爽快だ……ああ、なんて良い日だ! 畜生、奴らの、肉が……ああ、気分が良くて吐きそうだッ!」
突如、彼は嘔吐いて円筒状の口から緑色の液体をドバドバと吐き出しました。彼の体調はひどく悪そうに見えました。
「あの、大丈夫ですか……?」
彼は白く濁った三つの目で、ぼんやりと私を見つめます。
「ああ、すまない。持病の発作でね、もちろん俺には持病なんてないんだが、肉さえ食べれば大丈夫なんだ。肉さえあればね、肉が無ければ最悪だ、肉をね、ああ、なんてすがすがしい肉なんだ!」
「えっと……肉があればいいんですか?」
「肉? お前は何を言っているんだ。いや、そうだ肉だ。肉があればいい――お前のような肉があればッ!」
突如、彼の腕が私に向かって振り回されました。私は思わず叫んで目を瞑り――しかし、彼の腕が私に届くことはありませんでした。彼の腕の先端から伸びた緑色の小さな針は、私に刺さる直前で、ピタリと止まったのです。
きっと、先生が技術部に頼んで搭載してくれた機能が役に立ったのでしょう。私は先生の言葉を思い出しました。
アン、貴方はロボットである前に、アイドルなんだから。自分の身体を大切にしなくてはいけないわ。アイドルは無闇矢鱈と、ファンにその身体を触れさせないものなの――。
彼の腕が再び振り回されます。彼の円筒状の口からは、緑色の液体がボタボタと垂れていました。私は狂気を纏った彼から、一目散に逃げました。重力ゆえ、少し身体が浮くこともありましたが気にしません。
彼の意識は「肉」に侵食されていました。
恐らく、何かに「刺されて」しまうと、彼のように「肉」を求めることになるのでしょう。後ろを振り向くと、彼は地面に向かって、緑色の液体を吐き散らかしていました。
これからどうしよう、と私は考えました。すぐに宇宙船に戻るべきでしょうか。
ただ、少なくとも彼は――何かに「刺される」前の彼には、高次知能がありました。宇宙船の窓から見たこの星の風景も、私たちの星に似たものでした。もしかしたら彼の他にも、知的生命体が、「生存者」が居るのではないでしょうか? その生命体とコンタクトが取れれば、何か帰るためのヒントが得られるかもしれません。
私は彼が来た方向とは逆に向かって走りました。
しばらくすると、宇宙船の窓からも見えた、高層ビル群が現れました。恐らく街に入ったのでしょう。先ほどの彼のような生命体もぼちぼちと散見されるようになりましたが、彼らの視界に入っても、私に反応することはありませんでした。目が白く濁っていますから、ほとんど視覚は失われているのでしょう。一方で、私の足音には反応して振り返るところを見ると、彼らは聴覚や、もしかすると嗅覚を頼りに「肉」を探しているのかもしれません。
ビル群を通り抜けていくと、数十体近い彼らの群れが、三角錐のかたちをしたガラス張りの建築物に押しかけているのが見えました。入り口には鍵が掛けられているようでしたが、彼らにはそれが分からず、ひたすらに腕や身体を押し付けています。近づくと、彼らは吐息混じりに、肉、肉と唸っているようでした。
ふと、湖の近くに居た彼を思い出しました。彼の言葉を信じるならば、私が扮している容姿を見て、彼ははじめ「生存者」だと言いました。そしてその姿は、刺された後の彼にとっては「肉」でもあったのです。
もしかしたら、彼らにとっての「肉」とは、この星の「生存者」を指しているのではないでしょうか?
私は思い切って彼らの代わりにガラスを割り、建築物の中に入りました。彼らも音に気付き、押し合いながらも中に入ろうとしてきます。
すると、二階の階段から何者かが飛び出してきて、叫びながら銃を乱射してきたのです。私は慌てて物陰に隠れ、攻撃を止めるように訴えましたが、銃声に掻き消されてしまいます。私と一緒に入ってきた彼らは銃に打たれ、その場に崩れ落ちましたが、死んではいないようでした。一方、まだ建築物の外にいる彼らは、銃声に怯えて中には入ってこようとしません。
銃撃が止みました。
私が恐る恐る階段に向かって顔を出すと、そこには彼らに似た、けれども頭部が綺麗なピンク色で、目も白く濁っていない三つ目の生存者がいました。
「あの、」
私の声に、生存者は慌てて銃を構え直しました。しかし私の顔を見るや否や「まだ生き残りがいたのか!?」と心底驚いた様子を見せました。
「ええ、おそらく」私は言葉を濁します。「一応、私も生存者です」
「一応ってなんだ? 刺されたのか?」
「いえ、刺されていません。そこは間違いありません」
「なら良い。良いのだが……」
生存者は私が破ったガラスを見やりました。
「やってくれたな。今後、あそこからオクソンがどんどん入り込んでくるぞ」
「オクソン?」
「……なに、オクソンを知らないのか? お前、もしかして外部の者か?」
生存者の声に警戒の色が混じりました。ここで嘘を吐くメリットはありません。私は仕方なく、これまでの経緯を生存者に伝えます。
「……つまり、お前は異星からやってきたアイドルロボットだと――そう言いたいのか?」
「ええ、疑うようであれば、私が乗ってきた宇宙船も向こうの湖に留めてありますから、それを見れば――」
「それを見ればって……オクソンに囲まれているこのビルから抜け出して、か? はっ、冗談にしか思えないね。何しろアンタ、どこからどう見てもオクタミアにしか見えないぜ」
「そういう機能を搭載しているんです。ちなみにオクタミアとは、この星の住民を指すのですか?」
「はっ、またとぼけちゃって」
「いえ、決してとぼけてなどいませんが……分かりました。自分が割ったガラスの封鎖も兼ねて、さらなる証拠をお見せしましょう」
「証拠だと?」生存者は訝しみました。「一体どうやって?」
私は立ち上がり、割れたガラスに近づきました。その近くには、先ほど銃で撃たれた彼ら――オクソンがぐったりと倒れていました。彼らを持ち上げ外へ追いやると、ほとぼりが冷めたと判断しただろうオクソンが、肉を求めて中に入ってこようとしていました。
生存者は「おい、刺されるぞ!」と銃を構えましたが、私は気にせず、同じフロアにあった本棚を引きずり、割れたガラスを塞ごうとしました。当然、オクソンは私の出す音に反応し、腕に生えた針で刺そうとしてきます。しかし、その針が私の身体に突き刺さることはありませんでした。身体に届く直前で、針がぴったりと止まるのです。
「アンタ、それ……」
「刺されていませんよ」私は答えます。「そういう機能を搭載していますから」
入ってこようとするオクソンを追いやり、本棚で穴を塞いで振り返ると、生存者は口笛を吹きました。
「やるじゃん、異星人」
「どうも」
「私の名前はクルトゥム。貴方は?」
「ANQLIA」
「なるほど、いかにも異星人らしい変な名前だ」
クルトゥムは円筒部からフッと息を吐きました。
「着いてきなよANQLIA、私の仲間を紹介する」
クルトゥムに案内された二階では、十数人の生存者が群れて生活をしていました。クルトゥムが私のことを説明すると、みな興味深そうに私を眺めてきます。
「さて、ANQLIAがここに来た理由だが……」
私はクルトゥムに促され、これまでの経緯と、母星に帰りたいことを伝えました。
「で、だ。誰か、ANQLIAの助けになる情報を持っている者はいるだろうか」
クルトゥムの呼びかけに、返事をする者はいませんでした。
「だそうだ。私も何も思いつかない。力になれず、申し訳なく思うよ」
「いえ……」
オクタミアがざわつきます。せめてテロが起きる前ならねえ、と誰かが呟いたのを、私は微かに聞き取りました。
「テロ? この星では今、テロが起きているんですか?」
みな、気まずそうに顔を見合わせました。
「そうか、オクタミアでない貴方には、いまこの星で起きていることを説明しなければいけないね」
クルトゥムはゆっくりと、これまでのことを話しました。少し前までこの星にも高度な文明が築かれていたこと。けれども厄介なバイオテロによって、殆どのオクタミアがオクソンになってしまい、都市や治安機関はその機能を失ってしまったこと。オクソンはオクタミアを襲い、その数を増やし続けているということ――。
「オクタミアになったオクソンは、難しいことが考えられなくなる。完全に意志が消滅するかは怪しいところだが、彼らの動きを見る限り、少なくとも文化的な生活は営めないだろうね」
ひどい、と私は呟きました。オクタミアも目に皺を寄せ、深刻な表情を作っています。
「そうだ、ひどいテロなんだよ。決して許せない……そんなわけで、私たちはオクソンになったオクタミアを元に戻すための活動をしていてね。幸いにも、その活動はあともう少し、というところまで来ているんだ」
「というと?」
クルトゥムは一つのアンプルを取り出しました。
「ここに、オクソンをオクタミアに戻すための治療薬がある。私とここにいるメンバーで開発したものだ。実際にオクソン試験もクリア済みでね」
クルトゥムはあるオクタミアを腕で指しました。
「現に彼女は、オクソンからオクタミアに回復した、記念すべき第一号だ」
クルトゥムの指す先のオクタミアが頭を下げました。
「本当に……ここにいる皆様のお陰です。何と御礼を申し上げれば良いか……」
「いや何、当然のことをしたまでだよ。ただ、ひとつ問題があってね」
クルトゥムはアンプルを傾け、その輝きを三つの目で受け止めました。
「この治療薬は、ここにある設備では量産が出来ないんだ。つまり私たちは、この星の住民を全員元に戻すためには、治療薬を量産できる研究施設に移る必要があるってわけ。その研究施設はすぐ近くにあるのだけれど、見ての通りオクソンに囲まれていてね。移動しようにも出来なくて、頭を抱えていたんだ。そんなところに――」
クルトゥムは私を見つめました。
「アンタが来たってわけ。理解した?」
私は頷きました。クルトゥムは満足そうに頭部を凹ませますが、しかし、と呟きます。
「これからどうしたものかねえ」
数々のオクタミアの円筒部から、ぷしゅうと溜息が漏れました。
重い沈黙が周囲を包もうとした時、私は知らず口を開いていました。
「あのっ、何か歌いましょうか?」
「歌ぁ?」クルトゥムは目に皺を寄せます。「歌って、あの歌か?」
「ええ、この星にも音楽はありますよね?」
「あるにはあるが……」
「私、さっきも言いましたけど、アイドルロボットなんです。歌でみんなを笑顔にするのが夢で……母星ではロボットだからって馬鹿にされてましたけど、ちょっと歌には自信があるんです。だから、皆さんにも笑顔になってくれたらなって……」
「へえ」クルトゥムは微笑みました。「それじゃあ、ひとつ頼もうかな」
「どんな歌がいいですか?」
私は喉を押さえながら言いました。
「そうだな……」クルトゥムは目を閉じ、「ラブソングを頼む」
私は頷き、ラブソングを歌いました。
それは、先生から教えてもらった曲でした。
恋愛感情が分からないロボットの私に、それでも先生が、いつか貴方にも分かるかも知れないから、と教えてくれた曲でした。
宇宙にいるいろんな生命体に届くように、歌詞は限りなくペラッペラなんだけれど――。
先生はいつもそう言って、私と一緒に歌うのでした。
私が歌い終わると、クルトゥムを始め、オクタミアはみんな円筒部から漏れ出る汁を啜っていました。
「なんだよお前……」クルトゥムが震えながら言いました。「笑顔にするんじゃねえのかよ」
「す、すみません! 私ったら――」
「いや、いいんだ。良い歌、歌うじゃねえかよ」
「ありがとうございます! これでも一応、プロ志望のアイドルロボットですから」
「そうか……いや、なれるよ。お前なら絶対になれる」
クルトゥムは私の肩に腕を回そうとして――残念ながら私に触れることはできないのですが――私の肩に、腕を乗せるフリをしました。
「いつか、プロになったら私たちも呼んでくれよ。絶対に行くからさ」
「はい、もちろん」
私たちが微笑んでいると、「オイ、あれ見ろよ!」と誰かが叫びました。そのオクタミアは、フロアの窓ガラスから地上を見下ろしていました。
「なんだ、騒々しいな」
私たちも窓ガラスに近づきます。すると、地上のオクソンの数が、先ほどよりも増えているのです。
「なんか……増えてないか?」「なんで?」「感染が進んだのか?」
口々にオクタミアが言い合うなか、クルトゥムが「そうか」と円筒部を膨らませました。
「ANQLIAの歌に反応したんだ! オクソンは匂いと音に敏感だからな。ここから漏れ出た音におびき寄せられたんだろう」
「これ、使えるんじゃないですか」
あるオクタミアが言う。
「確か、ANQLIAさんはオクソンに刺されないんですよね? それなら、ANQLIAさんに地上でオクソン達を誘導してもらえれば……」
「私たちはその隙に、研究施設に移動することができる!」
クルトゥムは私を見て、頼めるか?と問いました。
私は頷きます。
断る理由はありませんでした。
私がうまくオクソンをおびき寄せているうちに、オクタミアの皆さんは、研究施設に辿り着いたようでした。私も遅れて到着すると、クルトゥムが快く出迎えてくれました。
「ありがとう、ANQLIA。お陰様で治療薬の量産もうまくいきそうだよ」
「本当ですか?」
「ああ、早速治療薬のテストをしようと思うのだけれど……見ていくかい?」
私は頷きました。クルトゥムは私を、研究施設の奥にある薄暗いガラス張りの部屋に案内しました。その部屋では、数体のオクタミアに見守られながら、全ての腕を縛り付けられているオクソンが身悶えしていました。
「なんだか可哀想……」
「仕方ないんだよ。ああでもしないと、こっちが刺されてしまうからね。治療薬は?」
「投与しました。もうそろそろ、効果が出てくる頃かと」
オクタミアの言葉通り、オクソンの紫色だった頭部が徐々にピンク色になっていきます。円筒状の部位からは激しく緑色の液体がビチャビチャと床にぶちまけられたかと思うと、やがてそれは透明な体液へと変わっていきました。
「すごい」私は呟きました。「本当に元に戻ってる……」
「成功だな」クルトゥムは微笑みました。
先ほどまでオクソンだったオクタミアは、透き通った目でキョロキョロと周囲を見渡し、クルトゥムを見つめると、目の周囲にギュッと皺を集め、
「クルトゥム、俺を元に戻したのか……!」
私は驚きました。
「知り合いなのですか?」
「ああ、モロトゥムは私の番だ」クルトゥムは円筒部を膨らませました。
「そして、今回のバイオテロの首謀者でもある」
「え?」
「何がバイオテロだ! 俺は……俺は、ただお前たちに搾取されている、ミスレの尊厳を取り戻したかっただけだ!」
クルトゥムは私に囁きました。
「恥ずかしいところを見せてすまないね。見ての通り、モロトゥムはちょっぴり頭のおかしいヤツなんだ。彼がバイオテロを起こした後、この研究施設に閉じこもっていたのは私たちも把握していたんだ。少数でそこらをブラブラしていたから、武器のある私たちでも簡単に制圧できたってわけ。全く、傍迷惑なヤツだよね」
「あの、」私は困惑してクルトゥムに尋ねます。「ミスレの尊厳って、どういうことですか?」
「妄言だよ」クルトゥムはモロトゥムを見つめて呟きました。「あの子、ミスレのくせに、テスレの私に吸収されるのを嫌がっているんだ」
「当たり前だろ!」モロトゥムが叫びました。
「お前たちが、この星がおかしいんだ! どうしてミスレというだけで、俺は自分の子供をこの目で見ることができないんだ!? どうして俺は、ミスレというだけで、子供をつくるために自分の命をテスレに捧げないといけないんだ!?」
クルトゥムは円筒部から息を吐いて笑った。
「なんでって……そういう風に私たちの身体が出来ているからでしょう?」
「それがおかしいんだ! お前らは……ミスレもテスレも現状を受け入れているが、俺は違う、俺は気付いたんだ! 俺たちの生殖は不平等だと! ならば俺は、俺たちはこの生殖というゲームから降りる必要がある! オクソンになって性欲をなくして、お前らテスレからミスレは解放されるんだ! そうでないと、俺は、俺は……」
モロトゥムは項垂れて呟きました。
「俺は心底怖いんだ……子供のためとはいえ、死にたくないんだよ……」
クルトゥムは呆れたように「馬鹿らしい」と呟いて、私に振り向きました。
「ANQLIA、なんというか本当に……恥ずかしいところを見せてしまったね。オクタミアの名誉のためにも言っておくが、ミスレが全員あんな風だとは思わないでほしい。彼も最初はあんな風じゃなかったんだ。私が好きになったモロトゥムは、私たちの子供のために、ミスレらしく命を捧げるミスレだった。それが……」
クルトゥムは言葉に詰まりました。
「ともかく、ここまで協力してくれてありがとう。ちょっと長居させてしまったね。この星がバイオテロから復興するまでには、もう少し時間が掛かるだろう。それまでに、ANQLIAは他の星に手がかりを探しにいった方が良いんじゃないかな?」
クルトゥムの頭部が、ズイッと私に近づきました。
私は恐る恐る頷きました。
そうする他、なかったのです。
私が部屋を出ようとすると、後ろからモロトゥムの悲鳴が聞こえました。振り返ると、クルトゥムの頭部がぶわっと傘のように広がり、モロトゥムを頭から包み込んでいるのでした。モロトゥムはクルトゥムの頭部に包み込まれ、はみ出ている二本の腕を必死に動かしているようでしたが、やがてその腕は力なく垂れ、クルトゥムの頭部は蠕動を繰り返し、満足そうに脈打つのでした。
〇
「私」は先生を見つめました。
「先生。いまお話ししたのが、最初の星で起きた出来事です」
「え、えっと、その……」
「すみません、ちょっとショッキングな出来事が多かったですね。でもね、先生。これは本当に起こったことなんです。私は彼らを見て、愛とは何なのか、益々分からなくなりました。私は推察することしかできませんが、クルトゥムはモロトゥムを愛していたんですよね? そしてモロトゥムも、クルトゥムを愛していた……きっと、恐らく。でも、二人に本当に子供は必要だったのでしょうか? 二人に他の選択肢はなかったのでしょうか? 先生、私は決して、先生を困らせようとはしていないのです。私はあくまで、『私』がここに戻ってくるまでに何があって、どのように考えたのか、それを先生にお伝えしたいだけなのですから」
「……そう、そうなのね」
先生は困惑しつつも、力ない笑みを浮かべました。
「ええ……信じる。あなたの話を信じるわ。でもね、アン? 私、あなたがそんな目に遭っているとは全然――」
「次にお話しするのは、私が二つ目に訪れた星です」
「私」は口を開きました。
「一つ目の星とは違い、今度は海の中の物語です。恐ろしい生物が出てくるわけではありません。むしろ可愛く、お茶目な生物でした。ただ、『私』はこの星で、アイドルの意義について考えることになるのです――」
<始原の星>
二つ目に選んだのは水色の星でした。一つ目と同様、この星に出入星管理局はありませんでした。ここで宇宙航空について聞くのは難しいだろうという予感はありましたが、私は藁にも縋る思いでこの星にやってきたのです。
着水する直前、窓から見えたのは一面の海でした。陸地は全く見当たりません。私はこの星を美しいと感じましたが、その一方で不安も感じました。果たして陸地のないこの星に、高次知能を持った生命体が存在し得るのでしょうか?
海に船が着水すると、大きな波が巻き起こり、そして凪いでいきました。
静かな海でした。鳥の鳴き声も聞こえず、何らかの生物が跳ね上がる様子もなく、ただ、見渡す限り海が広がっていました。
私は試しに、海の中を覗きました。すると、キラキラと何かが反射しているのです。目を凝らすと、海の中には透明な、小さな球体が無数に浮かんでいました。それは生物のようにも、そうでないようにも思えました。もしかしたら高次とは言わないまでも、知能を持っているのかもしれない、とも。
私は海に飛び込み、体内で浮力を発生させて泳ぎました。よほどの深海に行かない限り、私の防水機構は作動するはずでした。
無数に浮かぶ球体に顔を近づけると、その中が液体で満たされていることに気付きました。恐らく海水なのでしょう。内部にある海水には大きな気泡が浮かんでいて、膜の内部にびっしりと生えている微細な繊毛と触れ合うことで、彼らは重力方向を感知しているのです。このような機構が備わっていることを考えると、生物であることは間違いないようでした。
さらに球体をよく見ると、球体の外側にも繊毛が生えていることに気付きました。ここに繊毛が生えているということは、きっと波の流れを感知しているのでしょう。海水の中で揺れた繊毛はその刺激を電気信号に変換し、膜内部に何らかの信号を送っているのです。
私は彼らの知能を信じて、ダメ元で翻訳機能を作動させました。
すると、海中の至る所から、ヒソヒソ話のような声が聞こえてきたのです。
「ふわふわ……」「ふわふわ……」
「……え?」
私は驚きました。けれども周囲に浮かんでいる球体たちは、間違いなくそう言っているのです。
「ふわふわ……」「ふわふわ……」
この球体――もしかして、自分でふわふわ言いながら浮かんでいる?
到底信じられませんでしたが、試しに手を使って簡単な波を起こすと、
「うわー……」
と言いながら、球体たちが流されていくのです。
私は楽しくなりました。私は子供のように波を起こし、球体たちを遠くへ飛ばして遊びました。球体は抵抗というものを知りませんでした。彼らは私の起こした波に乗って、「うわー……」という微かな声をあげながら、何処までも流されていくのです。
私はどんどん楽しくなり、いつしか鼻歌を歌っていました。それは先生と練習したラブソングで、卒業試験の課題曲で、私が本来、ヴェルディ星で歌っているはずの曲でした。
私はふと、どうして自分がここにいるのか分からなくなりました。いえ、分からないことから逃げていたことを思い出したのです。
「うわー……」と流れゆく球体たちを眺めながら、私は少し、泣きそうになりました。
けれども私は、先生から口煩く言われていたことを思い出しました。
アイドルはファンの前で、涙を見せてはいけません。その代わり、寂しくなった時は歌うのです。自分をも癒やす、その歌を――。
私は涙を堪え、声を出して歌いました。やはり、私の口から出てきたのはラブソングでした。恋愛感情の分からないロボットのくせに、歌詞の意味することも分からないのに、私はアイドルとして、薄っぺらい歌詞を歌うのでした。
すると、周囲に浮かんでいた球体が、私の歌に反応していることに気付きました。彼らの表面に生えている繊毛は、私の出す声の音波によって、波に揺らされている時とは違う揺れ方をしているようでした。その新たな物理刺激は、球体内部にこれまでと異なる電気信号を送っているのでしょう。彼らはふわふわと海中に浮かびながら、
「いいきょく……」「うたって……」「もっとうたって……」
と、私に近づいてくるのです。私は耳を疑いました。私が思っている以上に、球体の知能は高いのかもしれません。ふと、私は全方向から球体が近づいてくることに気付きました。
「うたって……」「もっとうたって……」「もっと……」
私は微かに恐怖を覚え、近づいてくる球体を振り払おうとしました。
しかしそんなことをしなくても、私に搭載されているファンからのお触りを許可しない機能で、球体は私に触れることができないのです。彼らはまるで波に攫われていくかのように、向こう側へ追い返されていきました。それでも彼らは私の近くに居たいようで、彼らは忍耐強く、私との距離を何度も何度も詰めようとしました。やがて球体は前方にかけてギュウギュウと押し合い、「くるしい……」「くるしい……」と唸るようになりました。
もう止めた方がいいのでは……と声を掛けようとしたその瞬間、後方からの圧力に耐えかねた球体が前方の球体の膜にめり込み、内部へと滑り込みました。
私は目を見張りました。球体を取り込んだ球体は破裂せずに外膜を保ちつつ、取り込んだ球体を内部に抱え込んでいるのです。
どうやら、彼らは融合したようでした。
その現象は、至る所で見られました。彼らは互いに押し合うあまり、勢い余って融合する性質があるようでした。やがてそれは一つや二つの話ではなくなり、私の歌を求めて遠方からやってくる球体がモッシュを仕掛けることで、融合する球体の数は一気に増えていくのです。
「ねえねえ、歌ってよ!」「もう一度あの曲、聞きたいなあ~」
融合した球体は明瞭な言葉を発しました。彼らの言葉は融合すればするだけ、より鮮明に、かつ高度になるのでした。私はふと思いつきます。
この球体を融合させ続けると、何かこの星に関する情報を聞き出せるかもしれない――。
先生の顔を思い出します。私には、帰るべき星があるのです。そのためには、どんな些細なヒントも必要でした。
私は歌を歌うことで、この球体たちを融合させようと考えました。
多数の球体が融合して生まれた生命体を、私は<複合体>と名付けました。
歌いながら観察していると、どうやら複合体として保有できる球体の数には上限があるようで、彼らは百個程度の大きさになると、それ以上球体を取り込むことを止めました。大きくなった彼らは、執拗に私に質問を投げかけてきました。
「ねえねえ、あなたが私たちを作ったの?」
「いえ、私はただの異星人です」
「お名前なんて言うの?」
「ANQLIAと言います」
「ANQLIAが私たちを作ったんだよね?」
「違います」
「侵略しにきたの?」
「そんなつもりはありません」
「やっぱり私たちを作ったよね?」
「いいえ」
「本当は創造主なんでしょ?」
「いいえ」
「ANQLIA様って呼んで良い?」
「止めてください」
彼らは融合しても知能までは同じにならないようで、複合体から次々に飛んでくる質問は一向に止む気配がありませんでした。彼らは私との問答を心から楽しんでいるようでしたが、その相手をする私はすっかり疲弊してしまいました。私は子守をしたい訳ではなく、母星に帰るための情報が欲しいのです。彼らの質問は止みませんでした。私が答え続ける限り、永遠に質問を投げかけてくる予感すらありました。私は騒ぎ立てる複合体の質問を切り上げ、
「あの、皆さんに聞きたいことがあります」
と切り出しました。複合体はシンと静まり返ります。
「私は遭難してこの星に――この宇宙にやってきたようなのです。私は元の星に帰りたいと願っています。皆さん、何か情報をくれませんか? 些細なことでも、何でも構いません。この星はどこにあって、この星には何があって、どうすれば私は元の星に帰ることができるのでしょうか?」
誰も返事をしませんでした。やはり駄目か――そう思った時、複合体が声を上げたのです。
「俺たち、知ってるよ」
「知っている? 何を?」
「ANQLIA様が聞きたいこと、全部」
「全部?」私は耳を疑いました。「それは本当ですか?」
「本当だよ」複合体は真剣な声で言います。「でも、それを教えるには条件がある」
「条件ですか?」
「そう、条件」複合体は震える声で言いました。「俺たち、ANQLIA様の歌をもっと聞きたいんだ。もっともっと聞きたいんだ。俺たちみんなが満足するまで歌ってくれたら、俺たちが知っている全部のことを教えるよ」
複合体はふるふると揺れていました。私はきっと、この子たちは嘘を吐いているのだと思いました。けれどもそんなことを言われて、頭ごなしに否定することができるでしょうか? すごすごと帰ることができるでしょうか?
私は目の前にあるどんな僅かなヒントも、取り逃がしたくありませんでした。
私は彼らのために歌いました。複合体も球体も、私の歌を心から喜び、感動してくれているようでした。後方にいる球体は次々と複合体を作り、さらに後方の球体も複合体を作りました。
歌いながら観察していると、複合体の膜の性質は、球体の融合速度によって異なることに気付きました。例えば、モッシュなどで一気に融合した場合の膜は硬化しやすい一方で、後方でゆるやかに融合した複合体の膜は軟らかくなります。その膜の性質は、次第に激化する彼らの「最前列競争」の勝敗を大きく左右しました。
ある時から、彼らは歌だけでは満足しないようになりました。彼らはいかに私に見てもらえるかを重視し始め、そこで目立って私からレスポンスを貰うことが、複合体たちのステータスとなったようでした。彼らは私からのレスポンスを貰うため、私からの距離が最も近い「最前列」に拘るようになりました。
私が歌うたびに複合体たちは激しく興奮し、とにかく前方に出ようとします。すると、表面の膜が硬化した複合体よりも、前方のわずかな隙間に膜を伸ばし、徐々に前に滑り込める<変形複合体>の方が、最前列競争において優位に立ちました。
やがて、最前列を狙う変形複合体たちのなかで、協力体制が結ばれるようになります。彼らは熾烈な最前列競争に疲弊し、効率の良い最前列の握り方を編み出したのです。それは、最前列を握った複合体同士で接着し、後方からの割り込みをブロックするやり口でした。<接着変形複合体>となった彼らは、実際に誰からも最前列を奪われないようになり、常に私の最前列にいるようになりました。
接着変形複合体は、膜結合を通じた複合体同士の情報交換が行えるようになったため、彼らの扱う情報量は一気に増加したようでした。増えた情報量は、複合体内で効率よく処理するため、いつしか接着変形複合体の内部では、取り込まれていた球体が特異的な役割を担うようになりました。
例えば、その内部には、淡いオレンジ色に光る球体が現れたり、硬化した球体の<鳴らし玉>を擦り合わせたり打ち付け合うことで、様々な音を出すようになりました。
「ANQLIA様、見てぇええ! こっち見てええええ!」
彼らは私の気を引くために、最前列でピカピカと光ったり、目立つ音を鳴らすようになりました。私が彼らのお望み通りに視線を送ると、彼らは「ウォオオオオオ!」と歓声を上げました。
私が気になったのは、彼らの背後にいる複合体やら球体が、ひどくつまらなそうにしていることでした。それはアイドルとしてあってはならない状況ですし、彼らみんなを満足させるという約束にも反することでした。
最前列の彼らを、どうにかしてどかす必要がある――。
私は泳ぎ、「現場」を変えることにしました。すると、接着型変形複合体は接着しているぶん移動に不慣れだったらしく、移動先では別の変形複合体が彼らよりも前に滑り込んだのです。接着変形複合体は文句を垂れてテカテカ光ったりバチバチ音を鳴らしましたが、私は気にせず歌いました。
今思えば、それが良くなかったのかもしれません。
「ねえ、ANQLIA様ってば! 見てよ! こっち見てよ!」
最前列を奪われた接着変形複合体は、とにかく私の気を引きたいのか、以前よりもっとビカビカ光り、鳴らし玉をガンガン打ち付けて、さらに五月蠅い音を鳴らすようになりました。もちろん、気にならなかったと言えば嘘になります。しかし、アイドルとは誰か一人のために歌うのではなく、みんなのために歌う存在なのです。彼らだけを特別視するわけにはいきません。
「なんだよ……なんでこっちを見てくれないんだよ……」
接着変形複合体はすっかりいじけて、水中で丸まりました。可哀想ですが仕方ありません。私は気を取り直し、海中から飛び交う「歌って」コールに応えようと口を開きました。すると、最前を取っていた変形複合体が、誰にもここを取られるまいと周囲と接着し始め、いじけた彼らと同じように、ピカピカ光ったり音を鳴らしだしたのです。
「ねえねえ、ANQLIA様!」
嫌な予感がしました。
私は再び現場を変えました。すると、やはり彼らはビカビカ光ったりガチャガチャと音を鳴らすことで、私の気を引くことに熱心になりました。私がレスポンスを返さないと分かると、案の定、彼らはいじけて海中で丸くなるのでした。
やれやれと前を見ると、最前列にはビカビカ光る接着変形複合体。
「ねえねえ、ANQLIA様!」
嫌な予感は的中しました。何度現場を変えても、彼らの本質が同じ球体である以上、最前列を握った複合体は、光って音を鳴らすようになるです。やがて、海中のあちこちで、丸まった接着変形複合体が見られるようになりました。彼らは私が反応しないとなると、ANQLIA様と懐いていたのが嘘かのように、すっかり私のことを見下し、文句を垂れるようになりました。ANQLIA様ではなくANQLIAへ、ANQLIAではなくアイツへ、アイツではなくデカブツへ――。
いつしか彼らは、私の歌への興味を完全に無くし、自らの体内にある鳴らし玉を使って簡単な音楽を奏でて遊ぶようになりました。
すると、その音に釣られた球体たちが、
「いいきょく……」「ねえ、ならして……」「もっとならして……」
と集まるようになったのです。
私は未だに、海中から飛び交う「歌って」コールに応えていました。しかしその声は、以前よりも少なくなっているようでした。多くの球体が、あちこちで丸まっている接着変形複合体の音楽を求めて、ふわふわと流されていったのです。
音楽を鳴らす複合体の表面には球体がまとわりつき、互いの膜を介して電位や物質のやりとりをしているようでした。彼らは音楽を通貨とした交易を行っており、複合体は球体に心地よい音楽を提供する代わりに、球体から報酬として何らかの化学物質を得ているようでした。その化学物質は複合体の中の硬化球体に作用しているようで、球体から多くを得た複合体は、硬化球体の数を増やし、表現できる音階の幅を更に広げました。
海の中では様々な音楽が鳴り響くようになり、それらを中心とした生活圏も徐々に形成されていきました。複合体の鳴らす音楽が好みであれば、さらに球体が纏わりつき、好みでなければ誰も寄り付かなくなって、複合体は静かに瓦解します。
そうして生き残った複合体の奏でる音楽は、私の音楽からはすっかり離れ、独自の進化を遂げました。生き残った音楽はどれも個性が強かったので、ある音楽を好む球体は、それ以外を一切受け付けなくなりました。
いつしか彼らは、音楽の好みによって分断され、別の種族かのように振る舞うようになりました。実際、別の種族になっていたのかもしれません。球体は音楽の好みによって争うようになりました。きっと複合体に提供していた、海中に含まれる化学物質が不足し始めたのでしょう。限りある資源を奪い合うため、それぞれの球体は、好みでないメロディーを奏でる球体や複合体と衝突するようになりました。
「マジで騒音やめろや!」
「誰が騒音だよ薄膜野郎! ボサボサの産毛引っこ抜くぞ!」
「ああ!? やってみろや縮れ短毛ッ!」
いつしか海の中では、激しい音楽と怒号が鳴り響くようになりました。数々の球体が飛び交っては光り、私の目の前で争っています。
「あの、もう止めませんか!? 争いは何も生みませんよッ!」
私は必死に叫びますが、誰も気にも留めません。
どうしてこうなってしまったのでしょう? 私は自分の歌で、みんなを笑顔にしたかっただけなのです。そのためにアイドルになろうとしたのです。多くの人間から笑われ、ロボットからも嘲笑され、それでも私は、自分にしか歌えない歌があると思ったのです。
私は先生に、憧れていたのです。
私は目を瞑り、彼らの和解を願って歌いました。それは最初、彼らに聞かせたラブソングでした。もっと歌ってほしいと、リクエストされた曲でした。
けれども私の歌に集まってくれるのは「なつかし~……」と物わかり顔で近づいてくる球体だけで、殆どの球体は私の歌に反応しなくなっていました。私が呆然としていると、ある接着変形複合体が近くに寄ってきて、リズムよくビカビカと光りながら言いました。
「イェア、イェア! 俺らと違ってお前はデカブツ! 全然イケてねえ哀れなカイブツ! 自覚がねえならマジでユウウツ! いい加減気付けよ、時代遅れのサンブゥ~ツ!」
私はそれを聞いて、ひどく落ち込みました。
いつしか私は、彼らにとってイケてねえ哀れなカイブツに成り果てたようでした。私は傷つきましたが、彼らを責める気にはなれませんでした。きっと私が悪いのです。私が考え無しに歌ったばかりに、ふわふわと平和に漂っていた彼らに刺激を与え、このような悪趣味な韻を踏む生命体にしてしまったのです。
この状況を、私の歌でなんとかできればと思いました。
けれども私の歌は時代遅れのサンブツとなってしまい、彼らの心には響きません。
こんなことなら、歌わなければよかった――。
そう溢した私に「いや、それは違うな」と返して来たのは、意外にも、先ほど私をディスった接着変形複合体でした。
「確かにデカブツ、お前の歌は完全に時代遅れだ。俺様の足元にも及びやしねえ。しかしお前は俺たちに音楽を教えてくれた。俺たちに生きる意味を教えてくれたんだ。お前がいくら時代遅れになろうが、その事実は揺るがねえ」
複合体は光りながら言いました。
「なあ、かつてお前と約束したよな。俺たちみんなを満足させてくれたら、俺たちが知っている全部のことを教えると」
「ああ……」私は頷きます。「でもあれ、嘘なんでしょ?」
「ああ、もちろん嘘さ。水の中でプカプカ浮いている俺たちに、外の世界のことがどうして分かる? 俺たちは何も知らなかった。無知だったんだ。でもそれで幸せだった。何も知らなかったからな……でも、お前が現れた。鮮烈だったぜ、お前の音楽は! 俺たちは必死だった! お前の歌を一瞬たりとも聞き漏らしたくなかった! 全てだったんだ、俺たちの……ずっと聞いていたかった。お前の歌に浸りたかった。お前の歌の、お前の一部になりたかった。お前に見て欲しかった。ずっと、ずっと、俺だけを」
複合体はビカビカと光りながら言いました。
「自慢の鳴らし玉を賭けたっていいさ。他の奴らもきっと思っている……あのままプカプカ浮かんでいるよりも、激しいビートで繊毛を揺さぶられる今の方が、よっぽど気持ち良いってな! 俺たちみんな、お前に心底感謝してんだ。確かにお前の歌は時代遅れのサンブツだが――やっぱりお前は、俺たちにとっての創造主なんだよ」
なぁ、みんなそうだろ――?
複合体の言葉に、海中を漂っていた無数の複合体がキラキラと輝きました。
それは宇宙に輝く星々のようで――私は暫し、その明滅に心を奪われたのでした。
〇
「私」は先生を見つめました。
「先生。いまお話ししたのが、二つ目の星で起きた出来事です」
「……そう」
「先ほどお伝えした通り、私はこの星で、アイドルの意義について考えました。彼らは私の歌を通して、音楽を、生きる意味を知れて良かったと言っていましたが――私は未だに、自分が彼らにもたらした変化について、考え続けています」
「アン、彼らの言っていたことは……」
先生は「私」の頭を撫でて言いました。
「間違っていないと思うわ。彼らの言うとおり、貴方は彼らに生きる意味を与えたのよ。それはね、アイドルにしか出来ないことなのよ」
先生が口を閉じると、辺りが沈黙に包まれました。
「あのね、アン。もしかしてなんだけど……」
「最後にお話しするのは、三つ目に訪れた星です」
「私」は口を開きました。
「この星は、私にとって特別な星になりました。何故だか分かりますか、先生? 私はね、この星でようやく知ることができたんです。あの日、私の身に何が起きたのか? どうすれば帰ることができるのか――」
<砂漠の星>
結論から言うと、そこは砂漠の星でした。地表に近づくと、茶色く見えていたものは全て砂漠なのだと分かりました。出入星管理局もありませんでしたし、私は早々にこの星での情報収集を諦めかけていました。ただ、よく見ると都市のようなものが見えるのです。その都市は大きな湖の近くにありました。
私は砂漠に着陸し、その近くにある都市を訪れることにしました。
その都市は、私の三倍の背丈はあるだろう石壁でぐるりと囲まれていて、砂漠からの砂が入り込むのを防いでいるようでした。都市の正面には大きな門が開かれていて、そこを多くの現地住民が通り抜けていきました。
私は彼らを見て驚きました。なんと彼らは、母星にいる「人間」とそっくりなのです。門の影から観察する限り、彼らは二本の足で立ち、二本の腕で果実や道具を抱え込み、丸い帽子に隠された丸い頭部を持っていました。見れば見るほど、彼らは人間にそっくりでした。一方で、私のようなロボットはどこにも見当たりません。人間とロボットは、必ずしも共生するものではないのでしょうか?
私は物陰から彼らの頭部から発せられる電気信号を検出し、言語と視覚情報を司る処理領域を特定しました。そして翻訳機能と容姿投影機能を使い、恐る恐る門をくぐりました。
その中には、レンガ造りや白く塗り固められた住居で建てられていて、道を大勢の人間が行き交っていました。彼らの住居の窓や壁には色とりどりの布が掛けられていて、門から吹き込む僅かな風が、それらをたなびかせています。
私は人の波に揉まれながら、この星について尋ねることができそうな者を探しました。ふと、退屈そうに白壁にもたれかかる男と目が合い、私は急いで駆け寄ります。
「あの、すみません」
「どうしたんだい、カワイイお嬢ちゃん?」
そう言われて、私は初めて、自身が「少女」の姿をしていることを知りました。
「質問があるのですが」
「何でもどうぞ」
「ここはなんという星で、どこにあるのでしょうか?」
「星?」男は怪訝な表情をしました。「星って……夜空に浮かぶ星のことかい?」
「ええ、まあそうなのですが」私は続けます。「ここも夜空に浮かぶ星の一つじゃないですか。その名前を知りたいのですが……」
男はキョトンとした顔になり、プッと吹き出し声を上げて笑いました。
「あの、どうして笑っているのですか?」
「アハハ……ごめんね、お嬢ちゃんの冗談が面白くってね。お嬢ちゃんが言いたいのは、この国がどこかってことだよね? ここはバラグアだよ。ほら、お嬢ちゃんもアッダトマー姫の名前くらいは聞いたことがあるだろう? あの男嫌いで男勝りなことで有名な姫様がいらっしゃるのが、ここバラグアってわけ」
知らない?と男が眉を寄せます。私は首を横に振りました。
「ふうん……珍しい観光客もいたもんだな。でもせっかくバラグアに来たんだ。ちょうどそこで決闘が行われているから、時間があるなら見ていくと良い」
「決闘ってなんですか?」
男は剣を構えるジェスチャーをしました。
「もちろん、姫様との決闘だよ! 姫様には宰相さまの息子っていう婚約者がいるんだがね。姫様は弱っちいそいつのことが心底気に食わなくて、国内外問わず、自分に勝てる男を広く募って決闘しているのさ。それで、もし自分を打ち負かしたヤツが現れたら、そいつと結婚するんだと。そういうわけで、各地から力自慢の男がここにやってくるってわけ」
最も、今まで姫様に勝てた男はいないんだがね、と男は笑い、ある方角を指差しました。
「ここから見えるかな? あの角を曲がると、小さな決闘場があるんだ。この時間なら、犬の真似をする異国の大男たちを見ることができるだろうぜ」
それじゃ、と男は手を振り、立ち去ろうとします。けれども私は、まだ肝心なことを聞けていないのでした。
「あ、あのっ!」
「ん? まだ何かあるの?」
「いえ、その、この星で……この国で一番の物知りは誰でしょうか?」
男は考え込みました。
「そうだな、宰相さまと言いたいところだが……あの方は俺たちみたいな平民は大嫌いだからね。もし何か知りたいことがあるなら、それこそ姫様の元へいけば良い。というのも、宰相さまは姫様の家庭教師だからね。その教えを受けている姫様も物知りなんじゃないかな……ああ、大丈夫だよ。姫様は男嫌いだけど、お嬢ちゃんのようなカワイイ子ならウェルカムなはずだから」
男は手を振り、今度こそ人並みに紛れ込んでしまいました。私は男に言われた通り、決闘場に向かうことにしました
決闘場には、多くの観戦客が詰めかけていました。私は観客の間を潜り抜け、最前列に滑り込みます。するとそこには、大柄な男と剣を持って睨み合う、姫様の姿がありました。
私はひどく驚きました――なぜなら姫様は、先生にそっくりだったのです!
姫様は男の剣を華麗に躱し、ニヤリと笑って男を挑発していました。男は挑発に乗り、力の限り剣を振るおうとします。
危ない――!
気付けば私の口から、ラブソングが衝いて出てきました。私は戦いを止めて欲しかったのです。先生とそっくりな姫様に、傷ついて欲しくなかったのです。
私の歌を聴いて、観客はもちろん、二人の対戦者も私に釘付けになりました。次第に大男の目からは涙がこぼれ落ち、脱力した手からは剣が滑り落ちます。
良かった……そう安堵した瞬間、あくどい笑みを浮かべた姫様が男に斬りかかろうとしていました。私は目を疑いました。不意打ちにもほどがあります。戦意喪失した相手に斬りかかるだなんて――私は観客席を飛び出し、二人の間に滑り込みました。今度は姫様の目が見開かれました。しかし、姫様の剣は私の背中に振り下ろされ、
カァン!
と高く跳ね返りました。姫様の剣は回転しながら闘技場の地面に突き刺さります。場内は沈黙に包まれていました。へたり込んでいた大男は心底怯えきっていて、私が一瞥すると、慌てて決闘場から逃げていきました。
姫様は私のことをジッと見つめ、
「あなた、名前は?」
「ANQLIAです」
「ふうん、アンね。私はアッダトマーよ。それで……そう、アンに言いたいことが三つあります。まず一つ。決闘中に乱入するのは誰であっても厳禁――そのルールはご存じ?」
「いえ」私は頭を下げて言います。「存じていませんでした」
「ふうん、なら許すわ。あなた可愛いから……今度からしないことね」
姫様は不敵に微笑みました。
「次に二つ目、私は間違いなくアンの背中を切ってしまった。でも不可抗力よ、だってそうでしょ? 振り下ろした剣の先に急にあなたが入ってくるなんて、これっぽちも思っていなかったんですもの。私ね、女を斬る趣味はないの。だって可愛いんですもの。だからあなたの綺麗な背中に剣を振りかざすことになった時、とっても後悔した。本当よ、すごく悲しかったの。でも……」
姫様は私の背中に回り込み、じっと観察しました。
「あなたの背中には傷ひとつ付いていない。これはどうして?」
私は言葉に詰まりました。なぜか私は、今この場で自分がロボットだと言うことに、危機感を覚えたのです。観客の好奇の視線が私をそうさせたのかもしれません。私は数秒の沈黙のあと、奇術です、と呟きました。
「奇術?」姫様は目を細めました。「あなた、奇術が使えるの?」
「ええ、まあ」私は俯きながら答えます。「人並み程度には」
プッと姫様が吹き出しました。私は恐る恐る顔を上げます。姫様は――先生そっくりの子供のような無邪気な笑顔で――ケラケラと笑いました。
「アハハ! アン、あなた面白いのね――人並み程度の奇術で私の剣が跳ね返されたのなら、堪ったもんじゃないわ!」
姫様は目を輝かせて、私に顔を近づけました。
「それじゃあ三つ目。あなた、私と決闘しなさい!」
「え、嫌ですけど……」
姫様は地面に刺さった剣を引き抜いて言いました。
「残念ながら、あなたに拒否権はないわ。だって、私の獲物を逃がしたんですもの。あなたはその代わりを務める義務がある。違う?」
「で、ですが……」
「それじゃあ、賞品の取り決めだけど……私が男に勝ったときは、男の身ぐるみを剥いで観客の前で犬の真似をさせているの。もちろん、私が負けたらその男と結婚するって条件でね。なかなか優しいでしょ? でも今回は女の子だから……そうね。私が勝ったら、あなた、私の婚約者になりなさい」
「え……?」
観客たちがどよめきます。それは無理のないことでした。
「なに、嫌なの?」
「いえ、嫌というか……」
「ふふ、本当に面白い娘ね。普通こういう時は喜ぶものよ。だってあなた、私に負けるだけで王族になれるんだから」
「ですが、」
「それじゃあ、あなたが勝ったらどうしようかしら……ねえ、あなたは何がほしい?」
私は考え込みました。欲しいものではなく、そもそもこの話を受けるのか、それを悩んだのです。私は決闘なんて野蛮なものが好きではありませんでした。何より先生とそっくりな人と戦うなんて、考えるだけでも気が遠くなります。けれど、先ほどの男の話を思い出すと、これはまたとない機会であるように思えました。
私は決心しました。
「……では、宰相と話す機会をください」
姫様は怪訝な表情を浮かべましたが、フッと笑って「よろしい」と言いました。
私は先ほどの大男が落とした剣を握り締め、姫様と対峙しました。剣を持つのは初めてでした。ずっしりと重い剣を姫様は軽々振り回していたのかと思うと、私は姫様のことが恐ろしくなりました。姫様はそんな私の怯えた表情を見て、ニヤリと笑いました。
「それじゃあ、いくわよ――」
結論から言うと、決闘は私の圧勝でした。
これまでの星でもそうでしたが、私には「同意していないファンからのお触りを防御する」ための機能が備わっています。つまり、姫様の剣はそもそも私の身体に触れることができないのです。姫様はすっかり混乱しているようでした。何をやっても剣が弾き返されて、私の身体には傷一つ付けられないのです。
「ねえ、あなたッ……!」
姫様は息も絶え絶えに剣を振り回します。
「これッ、明らかに……奇術じゃ……」
「奇術です」私は言い張りました。
「でも、こんなッ……!」
「奇術です」
「だって、斬れなッ……!」
「奇術です」
全力で振り下ろした剣が跳ね返る時、手に掛かる反動は凄まじいものとなります。姫様は理不尽とも言える幾度とない反動に握力を失い、遂に剣を落としてしまいました。
「……負けました」
姫様が地面に跪き項垂れたその瞬間、決闘場が盛り上がったのは言うまでもありません。姫様が負けたという噂は、一気に街中に広がりました。
「……仕方ないわ。勝負は勝負ですもの」
姫様は微笑みました。
「来なさい、宰相に会わせてあげる」
私は姫様に連れられ、目映いほどに白く美しい宮殿に案内されました。強い日差しが降り注ぐ噴水の見える回廊を通り抜けながら、姫様の後をついていきます。
「なんというか……すごく広いんですね」
「まあね。でも広いだけよ。ねえ、さっきの決闘なんだけど」
「奇術です」
「あのねえ……まあいいわ」
呆れ顔の姫様は巨大な絵画が飾られている広間へと進みました。その正面にはターバンを巻いた男が片肘をついて椅子に座っていて、隣には宰相と見られる痩せぎすの男が静かに控えていました。
「アッダトマー、やっと帰ってきたか」
王様らしき男が溜息を吐いて言いました。
「何度も言っているが、もう決闘はよしてくれないか? お前は宰相の息子と……」
「ああ、決闘はもう止めるわよ」
王様と宰相はビックリして顔を見合わせました。
「すまない、もう一度言ってくれないか?」
「だから、決闘はもう止めるって」
王様と宰相は手を組んで喜びました。
「おお! アッダトマー、我が愛しい姫よ! もう一度言っておくれ!」
姫様は舌打ちをして、
「ええ、何度だって言ってあげるわ。私、もう決闘はしないことにしたの。だって婚約者が決まったんですもの」
「そうだ、婚約者が……なに?」
王様と宰相は眉間に皺を寄せました。「今なんと言った?」
「だから、婚約者が決まったの。ほら、ここにいるアンがそうよ」
私は面食らいました。全く話が違うからです。私が反論しようとすると、姫様は「いいから今は話を合わせて」と耳打ちしてきました。私は困惑しましたが、王様と宰相からの厳しい視線から逃れるために俯きました。
「ちょっと待て!」宰相が声を上げました。「よく見なくても、そいつは女ではないか!」
「そうよ。でもこの子、とっても強いのよ! 決闘で私を負かしたんだから……あなたの息子と違ってね!」
宰相は頭を抱えました。
「ちょっと待て!」今度は王様が声を上げました。「その身なり、そなたは平民だろう! 百歩譲って女はいいとしても……」
「王! 百歩譲ってはいけません!」
「え? そうかな……今は多様性の時代だし……」
「王ッ!」宰相は顔を顰めて叫びました。
「ともかくだ」王様はムスッとした顔で言いました。「いくら娘のお気に入りとはいえ、平民と娘を結婚させるわけにはいかないな。え、どうだ平民? 宝石を持っているのか?」
どうなの、と姫様に囁かれますが、持っている訳がありませんでした。私はただのロボットなのです。私が首を横に振ると、勝ち誇ったように王が笑いました。
「それじゃあ駄目だな! いやあ残念だ! せっかくアッダトマーが婚約者を連れてきたって言うのになあ! いやあ残念! その娘が宝石を山盛り持ってきたら、結婚を認めなくもないのだが――」
「言ったわね!」姫様が王様を睨みました。「王に二言はないわよね? 約束して。アンが宝石を山盛り持ち帰ったら、私との結婚を認めるって」
王様は目に見えてたじろぎました。
「え? いや……そんなこと言ったかな?」
「言ったわよね?」
「……いや、まあ、確かに言ったが……山盛りだぞ! 山盛りの、本物の宝石だぞッ!」
姫様は私の腕を引っ張ろうとして――例の機能で私の腕は掴めません――私の腕を掴めないことに驚きながらも、私に「来て」と囁き、姫様の寝室へと案内するのでした。私たちは姫様の部屋で二人きりになります。
「あの、姫様。さっきのことですが――」
「決闘の約束は果たしたわよ。あなた、宰相と話す機会を欲しがっていたものね?」
「え? いや、まあ……」
それに関しては姫様の言うとおりでした。尤も、私が望むような形ではありませんでしたが。
「そんなことより婚約の話よね。騙すような真似してごめん。でも私、アンに一目惚れしちゃったの。私ね、女の子が好きなのよ。この世の何よりもね。お父様はああ言ってるけど、私からしたら宝石なんてクソ食らえよ。そんな石っころより、アンの瞳の方が数百倍キレイですもの」
「え? え?」
「ねえ、アン。あなたの美しい瞳を私に見せて」
姫様は私の頬に触れようとして――触れることができません――怪訝な表情をしてから、私の唇に自らの唇を重ねようとして――触れることができません――眉を顰めました。
「ちょっとアン! 何なのよコレ!? どうしてあなたに触れることができないの!?」
「き、」
「奇術はダメ! いくらなんでも説明が付かないわ! こんなんじゃおちおちキスもできないじゃない! 正直に話しなさいッ!」
私は観念して、全てのことを話しました。
「つまり――私が好きになったこの顔は、アンの本当の顔じゃないんだ?」
「ええ、実体はただのロボットです」
「それで? どうやったら私はアンにキスができるの?」
私は顔を顰めました。
「あの、私の話を聞いていましたか?」
「聞いてたけど」
「私、ロボットなんですよ?」
「それが何なの? 私はアンとキスがしたいだけなんだけど」
先生と似ている顔で言われると、私の顔が熱くなります。
「……とにかく、姫様は私とキスはできませんよ。姫様だけでなく、私に触れようとする全てのものがそうなるのです」
それを聞いた姫様は、ちょっと待って、とベッドの下に押し込んでいた小さな宝石箱を取り出し、中から指輪を取り出しました。
「これね、亡くなったお母様の形見の指輪なんだけれど……お母様曰く、この指輪を持って砂漠のある場所に行けば、財宝が眠る迷宮が砂の中から出てくるんだって」
「姫様、そういうおとぎ話は……」
「その迷宮の奥にはね、手に入れた人の願いを叶える魔法のランプも眠っているらしいの。普通の人間なら、途中で仕掛けられた罠で追い返されるそうなんだけど……」
姫様は私の手の上に、指輪を載せました。
「アン、あなたなら迷宮の奥まで行けるんじゃないかしら。誰からも触れられない、あなたなら」
私は顔を上げ、姫様を見つめました。
「アン、あなた、元の星に帰りたいんでしょう? もしかしたらランプなんてないかもしれないけれど……少しでも可能性があるなら試すべきよ」
姫様はやさしく微笑みました。
次の日、私は指輪を持って砂漠に向かいました。
姫様は信じているようでしたが、本当に願いを叶える魔法のランプなんてものがあるのでしょうか――?
長らく歩いていると、姫様に指定された地点に辿り着きました。確かに指輪は手にしています。しかし、何も起きません。
やはりただのおとぎ話か、と落胆して帰ろうとした瞬間、足元からズズズと何かが動く音が聞こえてきました。見ると、なんと砂漠が裂けて大理石の板が出てきたのです。その重い板を持ち上げると、そこには広い広い地下迷宮が広がっていました。
私は先を進みました。姫様の言うとおり、道中は毒蛇やら床から生えてくる剣やら飛んでくる弓矢など、人間なら一溜まりもない仕掛けが大量に仕掛けられていましたが、いずれも私には全く効きませんでした。
さらに進むと、急に部屋の中が眩しくなりました。なんと、そこにはキラキラ光る財宝が山のように積み上げられていたのです。私は驚きながら周囲を見渡しました。そして、その奥の台座に、目映く輝く金のランプがあることに気付きました。
もしかして――私はランプを手に取り、ひと撫でしました。すると、ランプの口からモクモクと紫色の煙が立ち上がり、巨大な魔人になったのです。
「ぷっはあ! グッモーニン! 起こしてくれてありがとうッ! いや~、三千年ぶりのシャバの空気は美味いなあ……」
私は目を見張りました。姫様の言っていたことは本当だったのです。魔人は私をジロジロ眺めて、
「驚いたな。今度の主はカワイイお嬢さんか……いや待てよ?」
魔人は私の頭に手を当て、自らのこめかみに指を当てました。
「アンタ……人間じゃないな。なるほど、ロボットか」
「え、どうしてそれを……」
「しかもこの星の住人でもない。既に二つの星を巡って、ここに辿り着いた、と……」
私は心底驚きました。魔人は私の記憶を読み取ることができたのです。
「どうしてそんなことが――」
「なあに、簡単なことですよ。魔法はどれほど優れた科学技術よりも半歩先を進んでいるんです。魔法に不可能はありませんぜ」
魔人は大きく手を叩きました。
「さあ、それではお立ち会い! 異星からはるばるやってきたANQLIA様のために、願い事を三つ叶えて差し上げましょう!」
私は思わず叫びました。
「あ、あのッ! 私はどうやってここにやってきたのでしょうか!? ずっと気になっていたんです、急に何か引力のようなものに引きずり込まれて、それで気付いたら、見知らぬ宇宙にいて……」
「ふむ、それは願い事?」
「え……いや……」
「いや、いいさ! 初回サービスで教えよう! 実際、記憶を読めば簡単に分かったことだからね。アンタが――ワームホールに呑み込まれたっていうのは」
「……ワームホール?」
「そう、アンタがあの日吸い込まれたのはワームホールさ。別の宇宙から別の宇宙に直結する穴みたいなもんだな。構造としてはかなり不安定だから、一瞬だけ現れてすぐに崩壊してしまう。ただ、アンタはその『一瞬』に運悪く巻き込まれたんだろう。それでこっちの宇宙に飛ばされてしまったってわけ」
私は息を飲み込みながら尋ねます。
「それで私は……元の星に帰ることができるのでしょうか?」
「無理だな」
「えっ……」
「私に頼まない限りは、ね」
魔人は得意気に笑いました。
「あのね、アンタ俺を誰だと思っている? あなたの願いを何でも叶える、魔法のランプの魔人ですよ? アンタを元の星に帰すくらい朝飯前さ! 片手で鼻をほじってもできるね」
私は興奮して魔人に駆け寄りました。
「じゃ、じゃあ今すぐ先生の元へ――」
「ちょっと待った」魔人は眉を顰めて私を制します。
「確かにご主人様、あなたの願いは何だって叶えます。これはホント約束しますよ。ただね、アンタはこの宝石を山を見て何も感じないの?」
「それは……」
「そもそもさあ、その指輪は姫様のものでしょ? 姫様のお母様の形見なんだよね? それを自分だけ使って姫様に返さずここにポイしちゃうなんて、そんな――」
「わ、分かった! 分かりました!」私は慌てて言い直します。
「ランプの魔人よ、お願いします! ここにある宝石と私を、姫様のもとへ届けて下さい!」
魔人はニッと笑いました。
「心得ました」
言うまでもありませんが、王様と宰相の驚きっぷりと、姫様の喜びっぷりは凄まじいものでした。姫様は私にキスをしようとして――触れられません――代わりに王様に向かって、大きな声で宣言したのです。
「それじゃあ私、アンと結婚するからね!」
姫様と私の結婚式は、翌日行われることになりました。
姫様は私を決して離したがらず――触れることはできません――私は姫様の寝室のベッドで、同衾することとなりました。姫様はたいへんよく喋りました。私の顔の好きなところ、私と明日する予定のスピーチ内容、これから私と一緒にしたい百のこと――。
姫様は、ウトウトしても喋るのを止めませんでした。もう寝てはどうかと提案しても、姫様は首を振って嫌がりました。
「ねえ、アン……」
姫様は半分寝ながら言いました。
「私ね、本当にアンが好きよ……大好きなの……」
姫様はようやく寝息を立てて、眠りにつきました。
私はしばらく、姫様の寝顔を見つめていました。先生の寝顔によく似ている、その顔を。
「本当にいいんですか?」
私の隣に現れたのは、魔人でした。
「ええ、もう大丈夫です」
「可哀想に……結婚前夜なんですよ?」
私は何も言いませんでした。部屋には、姫様の安らかな寝息だけが聞こえています。
「ですが、ええ……あなたの願いを決めるのはあなたです。私じゃない」
魔人は私を見つめました。
「ANQLIA様、あなたの願いをお申し付けください」
私は姫様の寝顔から目を逸らし、呟くように言いました。
「私を、元の星に帰してください」
〇
「私」は先生を見つめました。
「先生。いまお話ししたのが、最後の星で起きた出来事です」
先生は何も言いませんでした。
「本当に、姫様には申し訳ないことをしたと思っています。けれども、先生、私は――」
ふと、先生は「私」をギュッと抱きしめました。「私」はすっかり困惑します。
「えっと、あの……先生?」
「やっぱり……嘘だったのね」
先生は「私」から離れて言いました。
「アン、あなた、本当はアンじゃないのでしょう?」
「私」は戸惑いました。
「……どういう意味でしょう?」
「そのままの意味よ。私の目の前にいるあなたは、本当のアンじゃない。あなた、誰なの? 何が目的でこんなことをしているの?」
「私」は溜息を吐き――観念して変身を解きました。先生は私の姿を見て、目を見開きます。
「あなたは、魔人……」
「いやあ、すごいな。よく気付きましたね? アンの記憶をしっかり読み取って、うまく変身したつもりだったんですがね……どこで気付いたんです?」
先生は自分の手を握り、開きました。
「あの子に、私は触れられないことを思い出したんです。アンに搭載されているのは、あの子に触れようとする全てのものを拒む機能でしたから」
「なるほど……そこまで再現しなければいけなかったんですね」
私は溜息を吐きました。
「ですが、どうしてそもそもそんな機能を? ちょっと過保護すぎやしませんか?」
先生は俯き、口を開きました。
「ええ、私自身そう思いました。ですが、アンは優しすぎるんです。そして、自分がロボットであることを受け入れすぎている……魔人さんは知らないかもしれませんが、この国ではロボットの尊厳は限りなく軽視されているんです。もう殆ど、人間と同じくらいの知能を持って、感情も持っているというのに……ロボットになら何をしても良いって考えている人が沢山居るんです。特に彼女の場合、アイドルを目指している分、すぐに変な目で見られてしまって――色々な場所で、イベントで、痴漢紛いの行為をされることが日常茶飯事でした。私はショックでした。一番ショックだったのは、あの子がそれに慣れきっていたことです。だから私は、技術部にお願いしたんです。どうか、誰も彼女に触れられないようにしてほしい。彼女が、例え触覚センサーがないロボットだとしても、自分の身体を大切にすべきだと気付くようになるまで……」
先生は私をじっと見つめました。
「それで、魔人さん? あなたがあの子の代わりにここにいるということは、あの子はここにいない、ということですよね」
「仰る通りです」
「あなたは最後に嘘を吐いた――ねえ、魔人さん。私に本当のことを話してくれませんか?」
先生は自分の手を握り、開きました。
「あの子が本当は何を願い、いま、どこに居るのか。私はそれが知りたいのです」
私は深く頷きました。
「ええ、勿論。彼女の話の続きをしましょう」
<本当の話>
先生が仰る通り、ANQLIA――彼女は「私を元の星に帰して欲しい」なんて願い事をしませんでした。
いえ、出来なかったのです。
彼女は、姫様の寝顔を見て泣きました。そして「わからない」と言ったのです。
私は何が分からないのか、ANQLIAに聞きました。すると、彼女はこう答えました。
「分からないです……私は、先生の元へ戻れば良いのか、姫様の元に残れば良いのか……」
ANQLIAは、先生、あなたと姫様の間で揺れ動いていました。
きっと姫様と一緒に過ごすうちに、姫様の想いに触れる度に、どんどん離れがたくなったのでしょう。姫様を一人で残しておけなくなったのでしょう。けれども、姫様と結婚する――つまり一緒にこの星に残るということは、先生の元に帰らないことを意味します。
ANQLIAは、悩みました。姫様の寝顔を見つめながら、先生との歌を思い返しながら、ひどく悩みました。
そして、悩みに悩んだ末に――夜の宮殿を抜け出したのです。
ええ、そうです。彼女は姫様と結婚することからも、先生の元へ帰ることからも逃げ出したのです。
宮殿は大騒ぎになりました。姫はショックを受けて泣き喚き、王は「すでに姫の結婚式を挙げると国民に伝えているのに!」と怒り狂いました。これ幸いと見たのは宰相です。彼は王様に近づき、今こそ当初通りに物事を進めるべきです、と進言しました。
ええ、そうです。姫は当初の予定通り、宰相の息子と結婚させられることになりました。
姫はその結婚に抵抗しませんでした。あまりに泣き疲れ、抵抗する気力も残っていなかったのです。
私はANQLIAにその旨を伝えました。けれどもANQLIAは、自分が何をしたらいいのか分からないようでした。
姫と宰相の息子が結婚して、数日が経ちました。
ANQLIAは先生の元へ帰らず、けれども姫を見捨てることも出来ず――姫の住んでいる宮殿を遠くから眺める日々を送っていました。
私が「姫様のことが気になりますか?」と問うても、ANQLIAは黙ったままでした。
けれども、私が「姫とあの男はうまくいっていないようです」と伝えると、ANQLIAは強く反応しました。
「どうしてうまくいっていないんですか?」
「簡単ですよ。姫が毎晩、あの男の誘いを断るからです」
「誘いってなんですか?」
「要するに、子供を作るための愛の営みです。もちろん、それは姫様にとっては苦痛を意味するのですが」
「どうして苦痛なんですか?」
「どうしてって……当たり前でしょう? 姫様は女性が好きなんですよ。なかでも、特別にあなたがね――けれども、姫様は今、子供を産むために好きでもない男性と愛の営みをしなければならないのです。それが、今の姫様の役目なのです」
ANQLIAは私の言葉をぼんやりと聞いて、オクタミアと同じだ、と呟きました。
「え?」
「それ、オクタミアと一緒なんです。子供を作るために、クルトゥムは嫌がるモロトゥムを吸収したんです……あの時、私、すごくモヤモヤしたんです。でもオクタミアはそういうものなのかなって、きっとそうなんだって言い聞かせて――」
ANQLIAは私に言いました。
「ねえ魔人。私、姫様を助けたいです。どうすればいいですか?」
その日の夜、ANQLIAは宮殿に忍び込みました。彼女は門兵に変身したり、近衛兵に変身したりして、なんとか姫様の部屋の前まで辿り着いたのです。
ANQLIAが姫の寝室に忍び込むと、薄暗い部屋のなかで、男が嫌がる女に馬乗りになっていました。
「……ッ! 姫様を離してええ!」
ANQLIAは近衛兵の姿のまま、馬乗りになっている男を背後から突き飛ばしました。突き飛ばされた男は甲高い悲鳴を上げ、ベッドから床に転げ落ちます。男は近衛兵をキッと睨んで「何すんのよ!」と叫びました。
ANQLIAは目を疑いました。
ANQLIAが突き飛ばしたのは、なんと姫様だったのです! ベッドの上を見ると、宰相の息子と思われる男が、スンスンと鼻を鳴らして泣いていました。よく考えれば分かることでした。弱っちい宰相の息子が、姫様に敵うはずがなかったのです。
姫様は怒っていました。何しろ近衛兵に背後から突き飛ばされたのです。姫様は今にもANQLIAに殴りかかろうとしていましたが、彼女が慌てて少女の姿に戻ると、驚きに目を見開きました。
「嘘……アン? あなた、アンなの!?」
姫様はANQLIAに抱きつこうとして――残念ながら触れません――呆れたような笑みを見せました。
「ああ、思い出すわ! あなたを抱きしめたいのに出来ない、このもどかしい感じ! あなた、本当にアンなのね!」
姫様はそれでもANQLIAに抱きつくフリをして、目に大粒の涙を浮かべました。
「もうずっと、帰ってこないと思ってた……」
ANQLIAは恥ずかしそうに、そっと目を閉じました。そんな二人をポカンと見つめる宰相の息子さんを見ていると、なんだか私は居ても立ってもいられなくなりました。
「ちょっと、お二人さん!」
「きゃっ!? えっ、何これお化け!?」
私を見て驚く姫様に、失敬な!と胸を張ります。
「私はランプの魔人ですよ。あの迷宮でANQLIA様に起こしてもらったんです」
「あら、そう。本当に実在したのね……」
姫様は私のことをジロジロ見つめて、
「まあ、異星人でロボットのアンもいるんだし、魔人くらいいるわよね」と頷きました。
「それで? 魔人さんがどういう要件かしら」
「いやあ、数日ぶりの感動の再会ですし、話に水を差すつもりもないんですがね」
私は宰相の息子を親指で示しました。
「坊ちゃんが見ていないところで話した方がいいんじゃないかと」
ふたりは顔を見合わせ、それはそうねと頷きました。
「でも、どこで話しましょう? この時間に部屋を出ても、きっと兵士に見つかるわ」
「ご安心あれ、そのための魔人です」
私は二人をベランダに引き連れ、空に魔法の絨毯を広げました。
「これ……乗っても大丈夫なの?」
「もちろん! 魔法をなんだと思っているんです?」
ふたりは恐る恐る絨毯に脚を乗せ、腰を下ろしました。
「フカフカしている……」
「超高級な絨毯ですからね。それじゃあ、捕まっていてくださいよ!」
ふたりを乗せた魔法の絨毯は、空高く舞い上がりました。暫く続いたふたりの悲鳴は、やがて楽しげなものへと変わり、いつしかふたりは眼下にある豆粒みたいなバラグアを指さして、ケラケラと笑い合いました。
「ねえ」姫様が言いました。
「迎えに来てくれてありがとう」
「いいえ」ANQLIAが言いました。
「私こそ、迎えに行くのが遅くなってごめんなさい」
姫様は夜風を浴びながら、気持ちよさそうに目を閉じました。それを見たANQLIAはそっと、姫様の手に自分の手を重ねようとしましたが――触れずに弾き返されてしまいます。何度試しても同じでした。ANQLIAは姫様に触れませんでした。何度も姫様に触れようとしても、二人の手が重なることはありませんでした。
ANQLIAは静かに涙を流しました。それを見た姫は驚き、どうしたの?と尋ねます。
「悲しいんです」ANQLIAは言いました。
「なぜだか分からないんですが、私は今、とても姫様の身体に触れたいんです。でもできなくて――それがひどく辛くて、悲しいんです」
姫様は泣きながら笑いました。
「それ、きっと恋よ。あなた、私に恋してるのよ」
「恋? 私が、姫様に?」
「そうよ」姫様は笑いました。「私と一緒。私もあなたに恋してるの。時間にすれば、私の方が、あなたよりもちょっとだけ先輩だけど」
ANQLIAは俯いて言いました。
「私はこれから、どうすればいいのでしょうか」
「さあね」姫は言いました。「どうしようもないんじゃないかな。恋ってそういうものだから」
「いいや、一つだけ方法がありますぜ!」
私は思わず口を挟んでしまいました。
「ANQLIA様を人間にするんです。私は前々からそうするべきだと思っていたんですがね、そうすればつまらないロボットのお約束やお役立ち機能とも全てオサラバですよ。つまり、 ANQLIA様も姫様もお互いに好きなだけ触りたい放題ってわけ」
姫様はそれを聞いて驚きました。
「そうなの、アン? それができるなら、どうして今までしなかったの?」
ANQLIAは観念して呟きました。
「私だって、何度も考えました。人間になったら、先生とも姫様とも触れ合える。姫様の柔らかそうな肌に、直に触れることができる。指を絡めることができる。キスだってできる。それができたらどれだけ素晴らしいだろうって……何度も考えました」
「でも……怖かったんです。私は、人間になって死ぬのが怖かった。ロボットの私は、そもそも命なんてものがないから、死ぬこともないし、そもそも死について考えなくても良いんです。燃料が切れたら足せば良いし、部品が壊れたら交換すれば良い。私たちはこれまで、そういう考えで生きてきたんです。でも、生命を持ったら、人間になったら、そうはいかないじゃないですか? 足がもげたらそのままだし、一度死んだら生き返らない。私、分かるんです。きっと一度でも命を手にした瞬間、それを手放すのが怖くなる。だから私は、人間になりたくなかったんです」
私は口を開きました。
「ですが、あなたはその恐れへの答えを知っているでしょう?」
「え……?」
「球体ですよ。彼らの言葉をもう忘れたんですか?」
私は複合体の言葉を諳んじました。
「あのままプカプカ浮かんでいるよりも、激しいビートで繊毛を揺さぶられる今の方が、よっぽど気持ち良い――もちろん、彼らのことは彼らにしか分かりません。そして、ANQLIA様。あなたのこともまた、あなたにしか分からないのです。あなたは永遠に温もりを知らないロボットとして生きることもできるし、ここで姫様の手を取ることもできる。これからのあなたの物語を決めるのは、あなた自身なのです」
姫様はANQLIAを見つめました。ANQLIAもまた、姫様を見つめました。
「ねえ」ANQLIAは聞きました。
「人と触れるのって、気持ちいいですか?」
「うん」姫様は答えました。
「びっくりするほどあったかくて、気持ちいいよ」
「そっか」
ANQLIAは夜空に向かって、大きな声で叫びました。
「私、死んだっていい! 人間になりたいッ!」
「心得ました」
私は彼女の願いを聞き入れます。
瞬間、ANQLIAの身体が目映く光り、人肌の温もりを持ったアンの姿へと変わりました。アンはしばらくの間、自分の手の平を閉じたり、開いたりしていましたが、やがて息を呑みながら、姫様の手に自分の手をそっと重ね、大きく目を見開きました。
「あったかい……」アンは涙を流しました。
「姫様の手、すっごくあったかいよ……」
「そうね……」姫は泣きながら、アンを強く抱きしめます。
「アンの身体も、すっごくすっごくあたたかいわ……」
ふたりはしばらく、互いの温もりを抱きしめていました。
やがて、姫様に抱きしめられたアンは、とある歌を口ずさみました。姫様はその美しく伸びやかな歌声に、じっと耳を澄ませます。
それは、これまでにアンが何度も歌ったラブソングでした。
その歌詞は限りなく薄いものでしたが、アンは初めて、この歌は自分たちのことを歌っているのだと思いました。
そう信じたのです。
〇
私は先生を見つめました。
「先生。いまお話ししたのが、本当にあの星で起こった出来事です」
「……そう。アンは人間になったのね」
「ええ。とても元気な少女になりました」
先生はそれを聞き、静かに涙を流しました。
「先生」
「ああ、ごめんなさい。ダメね、私……アンが自分の気持ちに気付けて、愛する人を手に入れて、本当に良かったと心から思っているのに、」
先生はハンカチで目を拭いました。
「寂しいと思ってしまうの……これじゃあ指導教員失格よ! アンはもう、こっちに戻ってこないというのに……」
「ああ、いえ、その話なんですが――」
「あっ、先生!」
見ると、向こうから二人の少女が駆けてきました。
先生はその少女たちに見覚えがないようで、戸惑いながらも赤い目で二人を見つめます。
「えっと、あなたたちは……」
「ほら! だから言ったでしょ! この人にアンのことなんて分からないのよ!」
「そんなことないですよ! ねえ先生、本当に私のこと、分かりませんか……?」
先生の目が、みるみるうちに見開きます。
「待って、あなた……もしかしてアンなの?」
少女は――アンは、パッと笑顔を咲かせて言いました。
「正解です! ほら、だから言ったでしょ、姫様! 私の先生はすごいんですから!」
「ふん、偶々でしょ……ていうか、全然顔似てないし」
「あっ、紹介しますね、先生! こちらが――」
「アッダトマー姫でしょ!? 違う!?」
興奮した様子の先生に、姫様は少し引いているようでした。
「えっ、なんでこの人、私のこと……」
「うわあ! 先生すごい! どうして分かったんですか!?」
私が話したんですよ、と私は言いました。
「どこかの誰かさんが、こっちに来る前に熱いシャワーを浴びてみたいって言うもんでね。それまでの間やることもないから、先生とお話していたんですよ」
「え~! だって当然じゃないですか! 久しぶりに人間になって先生に会うのに、なんかクサイのって嫌じゃないですか!?」
「ちょ、ちょっと待って」先生が私たちの会話に割り込みます。
「ごめんなさい、状況を整理させて……ええと、人間になったアンがこっちに居て、姫様も魔人さんもこっちに来ていて……これは一体、何がどうなっているの?」
「ああ、説明しますと――」
「私が魔人に頼んだんです!」アンが元気よく言いました。
「卒業試験を受けさせてください、って!」
先生は眉間に皺を寄せました。
「卒業試験……?」
「ええ、まあややこしい話なのですが……」私は口を開きました。
「最初に先生が仰った通りですよ。ANQLIAは卒業試験を欠席した。これはワームホールに呑み込まれた、というやむを得ない事情があってのことです。この事実を証明するためには、学科内の関係者にANQLIAの生活ログを見せればいいだけの話でしたが――残念ながら、いや喜ばしいことに、ANQLIAはアンという人間になってしまいました。彼女にはもう生活ログを提出することが出来ません。それどころか、今やアンはこの学校で授業を取っていたANQLIAですらないのです。ではどうやって学科内の関係者に、当時のアンの『やむを得ない事情』を証明することができるのか……?」
先生はハッと目を見開きました。
「そうか、そのための『物語』なんですね!」
「その通り。生活ログがなくても、アンには物語がある。彼女が体験した、短くて長い物語が――とはいえ、それだけではきっと信じて貰えないでしょうから、皆さんに信じてもらうために、私を含め物語の登場人物全員を引っ張り出して来たんです。ほら、実はここにも一泡」
私が背中から取り出した水槽には、プカプカと接着変形複合体が浮かんでいます。
「イェア! なんかデカブツばっかりだな……」
私は先生に微笑みます。
「本当はオクタミアも連れてきたかったのですが、彼らを連れてきたらこの星がオクソンパニックになるかもしれませんからね。今回はお控え願いましたが……」
「ええ、それで良かったと思う。思うんだけど……」
先生は頭を抱え、何かを考え込んでいるようでしたが、まあいっか、と笑いました。
「先生」
アンが先生の元に駆け寄ります。彼女は先生に手招きしてしゃがませた後、耳元で囁きました。
「あのね、先生」
「なあに、アン」
「本当はね、卒業試験なんてどうでも良かったんです」
「え?」
「いえ、その言い方は正しくなくて……確かに卒業試験は大事です。私がアイドルとして活動していくためには、絶対に合格しなくちゃいけないものだと思っています。でも、私はそんなことより、やっぱり先生に会いたかったんです。私ね、アイドルのことも諦めたくないし、姫様のことも大好きだけど、やっぱり、先生のことも大好きだから――」
アンはにっこり笑いました。
「ぜんぶ欲張って叶えようとしたら、こんなお願いになったんです!」
先生は、そう、と呟きました。そしてアンを力強く抱きしめ、ありがとうと呟きました。
「先生、泣いているんですか?」
「ええ、泣いているわ」
「先生、みんな見てます。恥ずかしいです……」
「ええ、私も恥ずかしいのよ」
「先生」
「なあに?」
「みんな、私の話を信じてくれますかね?」
先生は顔を上げて、アンの髪をやさしく撫でました。
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内容に関するアピール
これまでプロットを組まずにダラダラ書くタイプだったのですが、ミステリ要素を入れた方が良いという斜線堂有紀先生の話にかなり影響されて、プロットをしっかり組んでミステリらしい要素を盛り込むように心がけました。また、多くの人に共感できる物語を……ということで、アラビアンナイトの枠物語の形式を採用しつつ、テッド・チャンの「商人の錬金術師の門」に打ちのめされながら、なんとか新規軸で作品を組み立てようと試みたのが今回の作品です。お陰様で疲弊具合がとてつもないことになりましたが、実際に書いてみるとピースがハマっていく感じがして楽しかったです。他にも、これまでのゲンロンの講義のテーマとして提示されてきた、「宇宙の話」や「ひねりをくわえる」「ありえないを書く」「誰かの人生を語る」などを諸々盛り込んだ結果、かなり変な作品になったような気がします。でも、良い感じに自分の味がでたのと、様々な現代社会の問題を盛り込みつつも、自分好みの百合作品に仕上げることができたので良かったです。
最後になりますが、これまで怠惰ゆえ、一度も実作を提出できていなかったので、今回ようやく提出することができてホッとしています。今の自分の技術をかき集め、色々な人からアドバイスをもらって書き上げた作品なので、どのような評価をもらっても割と満足かもしれません。一年間お世話になりました。ありがとうございました。
<参考文献>
A・J・ルスコーニ編「図説千夜一夜物語」
西尾哲夫「図説アラビアンナイト」
文字数:628