鱗禍
そのパチンコ屋のトイレの壁は妙な形のタイルで装飾されていた。つながり方を目で追ってみたが、横を向いたり斜めになったり複雑な配置でよく分からない。こんなのどうやって施工するのだろうなどと思いながら用を足す。開け放された小窓から外気が流れ込んできて体が震える。息が白い。夜明けが近いのだろう。山の稜線がよく見える。矢沢基地の近くだからなのか、夜間訓練の戦闘機が飛んでいる。二十四時間営業のパチンコ屋なので、最近また流行っているらしい軍艦マーチの音が聞こえている。
ハンカチをくわえて、鏡の前で手を洗う。冷水の痛みが体の芯から眠気を追い払う。鏡を見ながら髪をなでつけ、運送屋のキャップを被り直す。マスクを着けて、作業服の襟を整える。これなら、どこから見ても公安警察官には見えない。
変装を提案したのはS県警警備部外事課長の高峰警部だ。違法な捜査こそしないものの、いつも高峰はまるでルールに縛られてなどいないかのように自由自在に見えた。国家の犬と呼ばれる公安のなかで狼のように異質な存在だった。今回、その高峰と同じチームで任務に携われるのがレンは嬉しかった。鏡の中の自分の表情にぐっと気合が入る。
駐車場のワンボックスに戻ると、強面の高峰は後部座席でひとりナイトスコープを覗いていた。運送屋の格好をしていてすらアウトローなオーラがにじみ出ている。どちらかというと公安に取り締まられる側の人間に見えた。ドアを閉めて「お疲れさまです」と声を掛ける。が、後輩の米田の姿がない。「あれ。ヨネ。まだ帰ってきてないんですか」
「ああ、どこをほっつき歩いてるんだかな」高峰はそのままの姿勢で返事をする。
「だって、もう何分になります。コンビニなら目と鼻の先なのに」
「さあ」
「お待たせしました」はつらつとした女の声がしてドアが開く。大きな紙袋を抱えた米田が立っていた。「はい、これ、警部。ブラックのボトルコーヒーと桜屋のあんぱんです」
「悪いな、置いといてくれ」高峰が顔を動かさず、手で合図する。
「了解です。で、こっちが羽鳥警部補の分です」有無を言わさず、牛乳とクリームパンをレンの手に押し付けてくるので、仕方なく受け取る。
「今までどこで何やってたんだ」
「クリームパンを探していました。コンビニになくて困ってたんですが、あったんですよ。パチンコ屋の景品に。警察手帳を見せたら、たくさんおまけしてくれました」
頭が痛い。勤務中にパチンコなんて、始末書ものだ。
「あのなあ」クリームパンを持つ手が震える。怒鳴りそうになって、あわてて深呼吸をする。「いいか。次からは、困ったら困った段階で相談してくれ」
米田が不満げに「はい」と小さな声で返事する。
「待て待て。自分で考えて解決したんだろう。立派じゃないか」と高峰がスコープを外し、振り向いて米田をフォローする。「困ったとき、相談すべき相手に連絡がつかないこともある。どうやって相談したらいいか分からなくなる時だってあるだろう。それにな」高峰がコーヒーを飲む。「本当に大事なことっていうのは、自分ひとりで決めるもんだ」
米田の顔が明るくなる。やわらかな声とうらはらな狼のような高峰の眼光に射すくめられてレンは後頭部を掻いた。
「ま、警察手帳は余計だったかもしれないけどな」と高峰があんぱんをかじって、車中に笑いがこぼれる。
「それで、なにか動きはありましたか」と米田が高峰にきく。
「いや、この時間だ。ふつうの人間なら寝ているところだろう」高峰はまたスコープを覗いている。外が明るくなってきたので、暗視はオフにしたみたいだ。
「ふつうの人間なら」と米田が復唱する。
「ノーベル化学賞を取るような人間だ。ふつうじゃないかもしれないだろ。だから見張ってるんだよ」レンが合いの手を入れる。
「ところで、そもそも何でそんな偉い人が監視対象なんでしたっけ」と米田が言うので、椅子から転げ落ちそうになる。
「おいおい。いまごろ、それをきくか。ヨネ、お前資料読んでないのかよ」
「読んだけど、難しくて分かんなかったんです。私、文系だったんで」
「それならそれで、早く相談を」と言い掛けて、レンは口ごもってしまう。相談するばかりが能じゃないと、たった今たしなめられたばかりだった。
「まあ、待てよ。せっかくだから、おさらいしておこう」高峰はスコープを動体検知モードに切り替えると、ふたりの方に向き直った。
「北川アヤ、七十歳。二十年前にペンタグラフェンの合成でノーベル化学賞を受賞。この女がおれたちの監視対象だ」と高峰がタブレットで写真を見せる。
「あら、上品なお婆さん。お婆さんだったら、早起きの可能性もありますね。それで、その、ペンタグラフェンって何ですか」
「二〇一五年に存在の可能性が示唆された、夢の新素材ってやつさ。そうだな。グラフェンってのは知ってるか」米田が首を横に振る。
「炭素だけでできたシート状の化合物ですよね。炭素が六角形に繋がった奴」レンが口を挟む。
「そう。正六角形を平面に敷き詰めたときに、その頂点のところに炭素が並ぶんだ。ひとつの炭素は隣り合う三つの炭素と結合している。イメージできるか」
「はあ、まあ」米田が首をかしげている。
「ペンタグラフェンは六角形じゃなくて、五角形を平面に敷き詰めたような構造をしている」
「五角形を、隙間なく?」
「正五角形じゃないぞ。正五角形は敷き詰めようとしても隙間ができるからな。少しつぶれた五角形だ。こいつはカイロタイリングと呼ばれる幾何学模様と同じ構造をしている」
「カイロタイリング」
「むかしむかし、エジプトのカイロ市にそんな敷石があったからそう呼ばれているらしい」
「敷石の模様が夢の新素材になるんですか。なんだかファンタジックな話ですね。それで、そのペンタグラフェンがどうかしたんですか」
「まあ、落ち着けよ。ペンタグラフェンは、ノーベル賞をもらうくらいだから、透明半導体になったり、超伝導体の原料になったり、負のポアソン比を持っていたりと不思議な性質が目白押しで、むろんこれだけでもすごいんだが、北川の研究はそこで終わらなかったんだ」高峰はコーヒーを飲む。
「何かまた新しいものを開発したんですか」
「ああ。それが幾何学的自己複製子。レプリケーターと呼ばれるものだ」
「デュアルユース技術なんだよ」レンが補足する。
「レプリケーター? デュアルユース?」米田が混乱している。
「レプリケーターの詳しい作動原理は分からないが、ペンタグラフェンと同じくシート状でな、電気を与えると空気を原料に自己複製して増えていくらしい。北川本人は地球温暖化対策の切り札と言っている。たしかに大気中の二酸化炭素を減らすこともできるんだが、こいつは軍事利用が可能だ」
「軍民両用技術。それをデュアルユースっていうんだよ。それで僕たちは、北川がおかしな奴らと付き合ってないかどうか監視しているって訳さ。分かったかな、ヨネダくん」
米田が口をひらいて何か言いかけたとき、スコープから動体検知のアラームが鳴った。
「米田。交代だ。お前が見て報告しろ」高峰が米田をスコープの前に座らせる。
「は、はい。ええと、あの窓が市松風に並んだ建物が北川の自宅なんですよね」
「ああ」
「で、玄関先のあの人が。あれ。最近のノーベル賞受賞者って、あんなにオシャレなんですか」
「そうか。言ってなかったな。北川が化学者に転向したのは四〇歳のときだ。それまではデザイナーをしていたらしい」
「それはまた思い切った転身ですね」
「幾何学模様専門の図案家をしていたんだそうだ」
「そういえば、そんな経歴でしたね」とレンは資料の該当ページをめくってみる。
「化学者として分子設計の分野で成功できたのは、模様についての経験と知識を活かせたからだと受賞時のスピーチで語っていたみたいだな」
レンはそのとき、パチンコ屋のトイレのタイル模様のことを思い出していた。もしかしたら、あれはデザイナー時代の北川の手によるものだったのではないか。
「しかし、なんていうか。ド派手なガラのパッチワークジャケットと黒のパンツ。白髪ロングにピンクフレームのサングラス。ふつう、あんなの着こなせないですよ」
気になって、レンもスコープを覗いてみる。異質に思える要素同士が呼応して、大胆な中に不思議と静かな調和が生まれているようだった。
「あ、車に乗り込むみたいです。ヨネ、エンジンかけて」
「了解」
「待て」と高峰がさえぎる。
「追わないんですか」
「ああ、この時間なら通勤のはずだ。行き先は北川ケミカルリサーチ。おれたちが用があるのは、こっちの方だよ」と高峰は北川の自宅を指差した。
数時間後、米田の運転で、北川の自宅前にワンボックスを横付けする。バックミラーを見ながら、運送屋のキャップをもういちど目深に被る。
「羽鳥、説明した通り頼むぞ」
「了解です」
ワンボックスのハッチバックをあけて、高峰が段ボール箱を玄関先まで運び込み、インタホンを押す。羽鳥はその背後に待機する。
「主人は留守にしております。ご用件をどうぞ」留守番AIが応答する。
「宅配です」
「サイン不要であればそこの宅配ボックスに入れておいてください」
「了解です。あ、あれ。これ、入らないですね」
やり取りしている高峰にさえぎられたカメラの死角で、羽鳥は配電盤の蓋を開けて北川邸のネットワークに物理ハッキングを開始する。このタイプの電化住宅なら、セキュリティの要がどこにあるかは大体決まっていた。高峰が時間稼ぎをする間に、数分内でハックボットがシステムにバックドアを仕掛ける。往時なら違法捜査とされていただろうが、今や改正盗聴法のおかげで我々公安には強力な捜査権限が認められていた。
作業の終了を合図すると、高峰がとぼけたように言う。
「ああ、ごめんなさい。番地をひとつ間違えてました。宛先違いです。失礼しました」
ふたりで段ボール箱を抱えて、ワンボックスに引き返す。
「首尾はどうでした」と米田がきく。
ハイタッチしながら「ばっちり。うまく行ったよ」とこたえる。これで情報が取れるようになる。シロならシロで一安心だ。でも、クロだったら。捜査本部で多面的な分析をして尻尾をつかむ。それで事件にしなければならない。
S県警本部のサイバー犯罪対策課長に「またですか、いいかげん自前で用意してくださいよ」と文句を言われながら、オペレーションルームの端末を借りる。本来なら専門の分析官が担当する業務なのだが、慢性的な人手不足で、猫の手として借り出されるのが常だった。指のストレッチをしながら、羽鳥は端末の前に座る。
「何から探りましょう」
「カネの流れを知りたい。調べられるか」高峰が言う。
「了解です」幸いにもパスワードは北川邸の端末に保存されていた。ネットバンキングの履歴を引っ張る。
「個人の口座と会社の口座を管理していたみたいですね」
「会社の口座で大きめの入金を洗ってみてくれ」
「分かりました。しばらく時間をいただきます」
「頼んだ」哀愁の漂う高峰の背中を見送ると、レンは引き出せるものをすべて引っぱり出すべく端末にかじりついた。
データの海と夢中で格闘していると、編み物をしていたころのことを思い出す。毛糸と毛糸が絡み合って、かたちが生まれていく。「ほら、また数え間違えてる」というやさしいお袋の声が蘇る。気が付くと顔と画面の間に青いリボンのついたクラフト紙の包みがぶら下がっていた。
「あんまり根を詰めると体に毒ですよ」レンが顔を上げると、米田がいた。
「なんだこれ」何時間経ったのだろう。窓の外はすっかり暗くなっている。
「バレンタインだから、チョコレート持ってきました。何か分かりましたか、羽鳥警部補」
「さっぱりだ。せっかくだから頂くよ」チョコレートのほろ苦い甘さが疲れた脳細胞にしみていく。「とりあえず、指示通りリストアップしてみたが数が膨大でね」
「高峰警部の指図ですか。私、今回はじめてこのチームに入りましたけど、なんだか高峰警部って、おっかない感じの人ですよね」米田が耳打ちするように言う。
「いや、厳しくない訳じゃないけど、優しい人だと思うぞ」
「いつからなんですか」
「ん」
「高峰警部と仕事をしてるのって」
「ああ。僕が警察学校を卒業してすぐの頃だから、ええと七年前か。まだ巡査部長だった高峰先輩に、尾行のイロハから監視術まで、必要な技術は全部教えてもらった。公安に配属される前から、高峰さんの仕事の腕は超一流だったんだ」
「ふうん。そうなんですね」
「高峰先輩がいなかったら、今ごろ僕はどこでどうなっていたか」
「なんだか羨ましいな、そういうの」
「あっ、なんだこれ」レンは端末の画面に違和感を覚えた。
「どうしたんですか」
「ちょっと待って。やっぱりそうだ」
「なんだか大変みたいですね。ではでは、そういうことで。おじゃま虫は退散いたします」
米田が何を言ってるのかよく分からなかった。レンは息をのみ、画面を食い入るように見つめた。
会議室に呼び出された高峰警部は「どうしたんだ、こんな遅くに」と言って、コートのまま立ち尽くしていた。
「これを見てください」入金記録を見せる。去年の十二月十六日グリーンアームズ社から、北川ケミカルリサーチの口座に三千万円が振り込まれている。
「金額がそれほどでもなかったので見逃していたんですが、定期的に入金があるんです」
「グリーンアームズってのは何の会社だ」
「ペーパーカンパニーでした。代表者は甲蟹四平」
「硬貨に紙幣か。ふざけた偽名だな。マネーロンダリングか」
「はい」
「このカネがどこから来たのか徹底的に洗う必要があるな」と言われて、レンが答える。
「そう思って、すでにデジタルトレイルで追跡調査してあります。黒幕はアゼオン大公国のレセイオン社でした」
羽鳥は高山に肩をつかまれる。「さすがだな。よくやった、お手柄だ。レセイオンと言えば、世界トップクラスの軍事会社、俗に言う死の商人って奴だな」高峰の口の端が片方だけ持ち上がる。
「はい、とくにこのレセイオンは無茶苦茶みたいですね。敵味方問わず武器を売って、儲かりさえすればいいと戦争が長引くのを喜ぶような奴らだそうです」
「レポートにまとめてくれ。県警本部長の南雲警視監に報告する」
報告を受けた南雲は警察庁へ情報共有の上で捜査会議を招集する。
「我が国の安全保障上、重大な懸念が持ち上がった。警備部外事課の第一係長、羽鳥レン君に報告してもらう。羽鳥君頼む」
会場には米田の姿もあった。
「被疑者はノーベル化学賞受賞者の北川アヤです。地元芥川市の名士ですが、軍民両用技術のレプリケーターを開発し、海外の研究者とも関係が深かったため、監視対象になっていました。今回の捜査で軍事会社のレセイオン社、つまり武器商人から資金提供を受けていたことが分かりました」会場がざわつく。「問題はレセイオン社がカネの見返りに何を得ていたのかです。その内容如何によっては、北川は外為法違反の他、多くの罪に問われることになるでしょう」
「既に捜索差押許可状は取ってある。捜索対象は北川ケミカルリサーチ。決行は明日の十時だ。現場の指揮は警備部外事課長高峰マコト君が執る」南雲が檄を飛ばす。
「高峰だ。早い話がガサ入れって奴だな。質問はあるか」
「あのう。芥川署の梅本です。そのレプリケーターっていうのは何ですか」
「見た目は十センチ角の白い正方形のシートってところだな。電気を与えると、空気から化学合成して成長し、二十センチ角まで育ったところで四枚の正方形に分裂する。これを繰り返して、電気と空気の供給がある限りは無限に増殖するって寸法だ。詳しくは資料を見ておいてくれ。現場では間違っても触るなよ。無害そうに見えるが、とんでもなく危険な代物だ」
ふたたび会場がざわざわし始める。
「質問がなければ、これで解散する。明日の九時四十五分、現場近くの公園集合だ。よろしく頼む」
北川ケミカルリサーチの外観はプラネタリウムのようだった。円筒の天辺に半球状の屋根がついている。殺風景なようだが洗練された建築で、とても研究施設のようには見えない。周囲は里山のような森と林に囲まれていて、住宅街や商業施設からは離れていた。
「みんなはここで待機だ。合図を待て」低いが、よく通る声で高峰が言った。レンが双眼鏡を外すと、運送屋の扮装をした高峰が「羽鳥、要領は分かっているな」と言う。
「はい、大丈夫です」とレンは段ボール箱を抱える。
「またその運送屋作戦なんですね」と米田が笑っている。
ふたりだけ公園を離れる。
北川ケミカルリサーチの呼び鈴を鳴らすと「はい」という男の声が応答した。高峰が「宅配です」と告げると「ああ、鍵を開けるので入ってください」と声が言い、ドアの鍵がカチャリと外れた。ドアを半開きで保持し、合図して捜査員を呼び寄せる。
「よし入れ」と高峰が指示を出し、二十数名の捜査員が一気に建物に雪崩れ込んだ。廊下の先で吹き抜けの広間に出る。オフィスと実験室が混然一体となったような不思議な空間だった。
「何ですか。あなたたちは。関係者以外の立ち入りは」と白衣の男がわめいている。
「警察だ。動くな」と高峰が運送屋の格好のまま警察手帳を見せる。「で、これが捜索差押許可状だ。いわゆるガサ入れって奴だな。抵抗はするなよ」
「ちょっと待ってください。実験がめちゃくちゃだ。いったい、どういうことですか」
「北川アヤに外為法違反の疑いがある」高峰が帽子を脱ぐ。「悪いが、手を上げておいてくれ。抵抗すれば公務執行妨害で逮捕させてもらう」高峰がふり向いて捜査員に言う。「証拠を確保する。片っ端から持ってってくれ。まずは書類からだ」
米田ほか白手袋の捜査員たちが段ボール箱を持って、ファイルを詰めていく。研究員たちはホールドアップのまま、顔をしかめている。レンも作業を始めようとしたとき、吹き抜けの二階から「勝手に触るんじゃないよ」と女のしわがれた声がして、みんなの手が一瞬静止する。
階段の上から、長身の女が白衣のポケットに手を突っ込んで降りてくる。白衣の間から鮮やかな赤いワイシャツが見え隠れする。「所長」と研究員が叫ぶ。北川アヤだった。
「やれやれ、物の価値の分からない奴らというのは、まったく」
「北川アヤだな。物の価値か。もしかして死の商人だったら、物の価値を分かってくれるのかな」
「何のことだい」
「あんたに外為法違反の疑いが掛かっている。グリーンアームズって会社から資金提供を受けているだろう」
「それがどうかしたのかい。地球温暖化対策に理解のある会社だよ」
「というのは隠れ蓑で、黒幕はアゼオン大公国のレセイオン社。武器商人だ」
研究員が「嘘だ。そんなはずが」「本当ですか、所長」と口々に騒ぎ始める。
「知らないね」
「申し訳ないが、逮捕させてもらう。逃亡または罪証隠滅のおそれって奴があるからな」高峰の指示で、レンは北川に手錠をはめる。抵抗はなかったが、あんまり堂々としているので、こっちが委縮してしまいそうだった。ふり向くと、高峰が「ほう、これが例の」と独り言を言いながら、壁際の真空グローブボックスを眺めている。
「だから言ったろう。勝手に触るんじゃない」北川の声に捜査員がたじろぐ。
「分かってるよ。こいつがレプリケーターなんだろう。そこに突っ立ってて貰ったら、やりにくいな。米田、先生を拘置所までご案内しろ」
「はい」レンは米田に手錠を預ける。
「ふん。どうなったって知らないよ」
「いいから連れていけ」
「先生、こっちです」米田が北川を引き連れていく。女性の勾留ができる留置施設は、県下でも数か所。最寄りは野間警察署の留置場で、現場からは三十分、県警本部からは一時間の距離だった。
「よし、再開だ。ほらほら、みんな手が止まってるぞ。証拠を集めろ」
腰の引けている捜査員に高峰が活を入れる。
書類の整理があらかた終わった頃、高峰が「よし、今日はこんなところだな」と言って一息つく。冬場だというのに汗だくになって、水を飲んでいると米田の「戻りました」という声が聞こえた。
「お疲れさま。勾留の手続き、意外と時間が掛かったみたいだな」とレンが声を掛ける。
「お疲れさまです。収穫はどうですか」
「詳しく調べてみないとなんともだけど、かなり怪しいな。グリーンアームズ社との通信記録も見つかったよ。どうも確信犯のような気がする」
「みんないい報せだ」端末を見ていた高峰が声を張る。「今日のガサ入れの成功を祝って、あのけちんぼの南雲本部長が祝宴を開いてくださるそうだ。海鮮居酒屋海燕亭をポケットマネーで貸し切りだそうだぞ」
「本当ですか」「めっずらしい!」「やったー」
こんな大舞台滅多にあるものじゃない。本部長のねぎらいに、みんな本気で喜んでいるのが分かった。みんなに背を向けて証拠の段ボール箱を眺めている高峰の背中も心なしか嬉しそうだった。レンが高峰に耳打ちする。
「高峰警部。行かないつもりでしょう、宴会」
「ん、どうして分かった」
「現場の保全はおれに任せておけとか言い出しそうだなあなんて思って。それ僕がやっておきますから、行ってください。宴会」
「いいんだよ、おれは。南雲には嫌われてるからな」
「そんなことは」
「ないと思うか。キャリアの連中とは意見が合わないんだよ」
「主役不在じゃ宴会が盛り上がりません」
「主役ならお前がいるだろう。お前がいなかったら今日の成功はなかった」
「よしてください。僕なんかまだ、そんな」
「なーに内緒話してるんですか。ふたりとも」と米田が割り込んでくる。「あれでしょう。いくら高峰警部だからっても現場の保全なんて一人じゃ無理でしょう。私も残ります」
「そうか、助かる」と高峰が言う。
「だから、羽鳥警部補、ちゃんと宴会の主役、務めてきてください」と米田に背中を押されて、レンは北川ケミカルリサーチの建物から追い出されてしまう。覆面パトカーに乗せられて、落ち着かない気分で宴会に向かう。夕焼けが矢沢基地に並ぶ戦闘機を赤く染めていた。
海燕亭は県警本部の真正面の通り沿いにあった。靴を預けて座敷に上がると、すでに県警の狸親父が待ち構えていた。
「羽鳥君。ご活躍だったそうじゃないか。こりゃあれだね。出世も近いね。高峰君なんか追い抜いちゃうね。いやあ、楽しみ楽しみ」何がどう伝わったのか不安になってくる。
「買いかぶらないでください、南雲本部長。高峰警部の指示に従っただけです」
「またまたあ」と肘で小突かれる。「本日の殊勲賞だからね。あとでヒーローインタビューするからよろしくね。あ、羽鳥君、ビールで大丈夫だった?」
「あ、はい」
「はいはい、みなさん、ビール以外の人は挙手してね」調子よくにこにこして、すでに酔っ払っているようにさえ見えるが、本部長は案外抜け目がないので油断できない。
「あ、わたし飲み物の注文取ります」と立ち上がったのは警備部長の大場だった。
狭い部屋だと思ったが、コートをハンガーに掛けて掘りごたつに入ると身動きできないほど隣の人間と密着してしまう。台の上には刺身の盛り合わせや鍋が並んでいる。
「みんな、飲み物はそろったかな」と南雲自ら会を仕切る。「えー、本日は討ち入りお疲れさまでした。お陰で、社会の癌を早期発見し、見事摘出することができました。本部長冥利に尽きるとはこのことです。その発見と摘出を担った本日のMVP。羽鳥レン第一係長の今後ますますの活躍を祈り、その他大勢の健闘を祝して乾杯したいと思います。乾杯!」
「乾杯!」
のっけから頭が痛いほど主役にさせられてしまい、逃げ出したい気分だった。みんなの頑張りの手前、面目ないような気にさえなる。隣に座った芥川署の梅本が「お疲れさまでした」とジョッキを合わせてくるので、やむを得ず笑顔で乾杯する。
冬とはいえ、汗をかいた後なのでビールが美味い。イカとマグロをつまんで、刺身のツマであるところの大根もわさび醤油でいただく。酔いが回ってきたところで二杯目は熱燗を頼む。現場の二人は寒くないだろうかとふと心配がよぎる。
「何だと。何を言っているんだ」と上座から怒声がした。見ると、南雲が真っ赤になって電話に怒鳴っている。「危険だから気をつけろって、お前が言ってたんだろうが。うるさい、だまれ」
居酒屋が水を打ったように静まり返る。
「米田? 米田がどうしたんだ。はあ? 政府? ぐ、軍隊?」南雲は台から焼酎の水割りを取って一気に煽るとふたたびどっかりと胡坐をかいた。「そんなに危機的な状況なのか」青くなって震えている。「ああ、うん、分かった」と蚊の鳴くような声で言う。みんなが息をのんでいる。「警察庁に動いてもらう。あとは県知事だな。ああ、くそっ」南雲が顔をなでおろす。「すまん。宴会はお開きだ。それどころじゃなくなった」南雲が会場に告げる。まだ開始から三十分も経ってなかった。
レンの胸で電話が震えた。「羽鳥、出ろ。高峰だ」と南雲が言う。
「えっ」
「ああ、いいから電話に出るんだ」
最悪の事態を覚悟しながらレンは高峰からの電話を取った。
レンは赤色回転灯を覆面パトカーの屋根に乗せ、赤信号を突っ切って国道を東に向かっていた。
「まずいことになった」という高峰の声が耳元で蘇る。
「大丈夫ですか」
「あんまり大丈夫じゃないな。レプリケーターが暴走したんだ。あっという間に大広間が飲み込まれた」高峰の息が荒い。
「飲み込まれたって、いったいどういう」
「こいつはな、物の表面を覆ってしまうんだ。そこらじゅうが方眼紙みたいになっている」
「どうして。どうして、そんなことに。そうだ。米田、米田は無事ですか」
「米田なら、死んじまったよ」
「えっ」心臓が止まるかと思った。
「米田がな、ああ、くそっ。米田がレセイオンのスパイだったんだ。撃つしかなかった」
「そんな、まさか」混乱で脳が沸騰しそうになる。
「見抜けなかった俺のミスだ」
「嘘ですよね。公安に配属されるとき、みんな身元調査されるじゃないですか」
「あんなのは形式だけだ。何の意味もない。おれが嘘を吐いたことがあるか」
「あ、ああ、そんな」体中の力が抜ける。
「米田も利用されていただけなのかもしれんな。何か弱みを握られていたとか。落ち着いたらちゃんと調べてみよう」
「そんな米田が」
「すまんが、感傷に浸っている時間がない。羽鳥、お前にしか頼めないことがある。聞いてくれるか」
「いやです」
「困ったな。とりあえず状況を報告する。増殖は爆発的だった。とっさに研究所のブレーカーを落としたから、いまはペースが落ちてるがな。増殖は止まっちゃいないんだ。電池やらサーバーの無停電装置やらの電気を食ってるらしい。南雲には映像を送って政府と連携を取るように伝えた。二時間以内に緊急事態宣言が発令されるだろう」
「それで。それで、僕に何の用なんですか」
「北川の婆さんを連れ戻してきてほしいんだ」
「はい?」
「政府にしろ、軍にしろ、レプリケーターの止め方は知らんだろう。いまは専門家の知恵が必要なんだ」
「いや。だって、北川はレセイオンとグルなんでしょう。味方になんてなってくれるはず」
「そこなんだが、考えてみてくれ。どうして米田はレプリケーターを起動したんだ」
「わかりません」
「わかるはずだ。レセイオンが欲しかったのはなんだ」
「それは。たぶん新兵器の製造技術」
「しかし、おれたちのガサ入れは成功した。米田は、つまりレセイオンはガサ入れの日時を知りながら、北川を助けようともしなかったことになる。これの意味するところはなんだ」
「技術は、すでにレセイオンの手中にあるということですか」
「おそらくな。そうすると、北川の婆さんにはレセイオンの行動がどう見える」
「すでに貰うものは貰った。お前は用済みだ。そういうことですか」
「ああ、利用されていただけだったと気付くはずだ。そして新兵器はいきなり日本で使われてしまった。犯行声明こそ出ていないが、これはレプリケーターの威力を世界に知らしめるためのテロと見ていいだろう」
「ふざけてる。そんな非道が」
「新製品のデモンストレーションだよ。お前が開発者なら黙っていられるか」
「いいえ。北川の協力が得られるかもしれないということは分かりました。でも、お前にしか頼めないっていうのはどういうことですか。高峰警部の方が留置場には近いはずです」
「おれはあれだ。スパイを見抜けなかった責任を取る必要がある。しばらく謹慎処分だろう」
「そんな」
「そうでなくても、米田に撃たれた腹の傷がけっこう痛くてな。間抜けな話だが、とりあえず救急車の厄介になる予定だ。羽鳥」高峰の声色が変わる。「お前がやるんだ。頼んだぞ」
「高峰せんぱ」言い掛けたところで電話は切れた。かけ直しても出ない。レンは目をこすり、「くそっ」と言い捨てて、同僚から覆面パトカーの鍵を借りた。先輩はいつもそうだった。自由で、勝手で、無茶なことをさせる。大場警備部長に南雲への伝言を頼み、レンは観念して野間警察署の留置場に向かった。
一九時二〇分、官房長官の会見をカーラジオが伝えた。
「本日一七時四〇分頃、S県芥川市西区の研究所、北川ケミカルリサーチで爆発事故がありました。事故は小規模ですが、今後数時間で放射性物質が漏洩するおそれがあり、避難が必要です。近隣住民はただちに」これが高峰の言っていた緊急事態宣言か。やはり政府もまだ事実の公表には踏み切れないようだなと思いながら、駐車場に車を停めて、受付に向かう。
担当官に「面会は十六時までですよ」と言われ、警察手帳を見せる。
「連絡していた羽鳥だ。今日拘留された北川アヤに接見したい」
「ああ、話は聞いています。こちらで少々お待ちください」と面会室に通される。
内と外とを隔てるアクリル板の向こうのドアが開いて、みすぼらしい灰色のスウェットに身を包んだ北川が現れる。飛べない鳥のように物憂げにパイプ椅子に座る。急に老け込んだように見えたが、威厳は少しも損なわれていなかった。立ち合おうとする担当官に「外してくれ」と告げる。
「しかし」
「いいんだ」
担当官が去った後で通声穴に話しかける。
「公安の羽鳥だ。きいているかどうか分からないが、北川ケミカルリサーチでレプリケーターが暴走した」
「あはは。だから言わんこっちゃない。あたしは警告したはずだよ。勝手に触るなってね」あきれたように北川がため息をつく。
「警察内部にテロ組織のスパイがいたんだ」
「おどろいた。そんなことにも気づかなかったのかい。日本の警察はおめでたいねえ」大げさに目を見開いている。「まあ、あたしを捕まえるような能無しじゃ仕方ないか」
レンは「だまれ」とアクリル板を叩いたあとで、しまったと思う。高峰を侮辱された気がして冷静さを失ってしまっていた。
北川はにっこりと笑う。「それで、この老いぼれに何の用だい」
「レプリケーターの止め方を教えてくれ」
「あははは。あんた面白いねえ。あんたたち、あたしのことを犯罪者だと思ってるんだろう。犯罪者っていうのは、はいはいと素直に警察に協力するものなのかしらねえ」北川の一言一言がレンの神経を逆なでした。どうも高峰に聞いていた話と違う。
「県警本部長の南雲が政府を通じて法務省を動かし、勾留執行停止の許可が下りた。あなたはレセイオンに捨て駒にされたんだろう」
「だからそんな会社知らないよ」あくまで冤罪を主張するつもりらしい。
「大勢の人間が被害に遭っても平気なのか」
「はん、あれにそんな大した力はないよ。ただ、物の表面をちょっと覆うだけでね。そりゃ信号が見えなくなったり、交通標識が見えなくなったりして少し混乱はするかもしれないが、生物にはくっつかない。たいした害はないんだよ」
もしそうならば、なぜあれほどに高峰は危機を煽ったのか。いや、騙されてはだめだ。
「もしそうだとしても、あなたでなければあれは止められない。違うか」
「どうしても、というなら教えてやらないでもないがね。条件がある」
条件というのは、現場へ向かう前に自宅へ寄り、ノリとハサミを持ち出すことと、着替えることだった。勾留中は自傷を防ぐため刃物禁止だったが、勾留はとけたのだ。この際、了解することにした。
北川を乗せて北川の自宅へ行く。
「あんた、何が楽しくて公安なんて仕事をやっているんだい」
「楽しくなんかないさ。義務だから、責任があるから働いている」
「自分の楽しみはないのかい」問われて、一瞬編物のことが浮かんだが、もうずいぶん長いこと触ったこともなかった。
「ない。そのかわり目的がある」とこたえる。
「どんな」
「いつか先輩みたいな仕事をしてみたい」
「そうかい。あたしは目的なんか何もなかったね」
「目的もないような人間がノーベル賞なんか取れるのか」
「あたしのモットーは興味本位なんだ。賞とかなんとかは、たまたま偶然のおまけだよ」
途中、森の陰からケミカルリサーチの建物が見えたが、ほとんど変わった様子はないように思えた。暗いので少しくらい色が変わっていても分からない。パチンコ屋のライトが間欠的に照らしても、よく分からなかった。
ひとつだけ大きく違っていたのは、ガサ入れの待機場所にした公園に戦車が並んでいたことだ。空には軍用ヘリが哨戒している。このまま放っておけば何が起こるのか。不穏な空気が張り詰めていた。
北川邸の前に車を横付けする。
「ちょっと待っといておくれ」と北川が車を降りるが、
「ひとりにはさせられない」とレンがついて歩く。
「あんまり他人を家に上げたくないんだがねえ」
「そうは行かない」
玄関に入ると巨大なオブジェが目を奪った。複雑で多様な模様に覆われている。
「なんだこれは」とレンは呆然とオブジェを見上げる。
「かっこいいだろう。側錐球形屋根っていう名前の十七面体だよ。ジョンソンの立体のひとつさ」
「とても玄関から入るような大きさに見えないが」
「そりゃそうさ。最初にここに基礎を打ってね。これを置いた後で家を建てたんだ」芸術家というのはとんでもないことをするものだ。いや化学者だったか。いずれにしてもふつうの人間ではない。
「ジョンソンの立体というのは」
「全ての面が正多角形で全ての辺の長さが等しい凸多面体のうちで、変な奴らのことさ。全部で九十二種類ある。ほら、これも正三角形十六枚と正方形一枚でできているだろう」
「なるほど。この表面の模様は」
「これかい。これはね」幾何学について話すときの北川は、子供のように無邪気で、人が変わったように生き生きとして見える。「周期的な模様、つまり繰り返し文様ってやつは、対称性で分類すると十七種類に分類できるんだよ」
「十七種類?」
「ああ、どんなヘンテコな模様を持ってこようとも、それが繰り返し模様である限りは十七種類のどれかに必ず当てはまる」
「ということは、これは」
「そう。ひとつの面に一種類ずつ、その模様の代表選手を貼り付けてあるんだ」
意味を知るとまた違って見えた。思わずミッションを忘れ、見入ってしまうほどに美しかった。
「こんなので驚いてちゃ、この家から出られなくなっちまうよ」と北川が笑う。
見れば、家じゅうのいたるところに模様が展示されていた。階段を登ると、廊下の壁には額縁が並んでいて、そのひとつひとつに幾何学模様が入っている。
「いったい、模様の何がそこまであなたを惹きつける」
「そりゃ難しい質問だねえ」
「だって、十七種類しかないんだろう」
「いや、そいつは誤解だよ。対称性という切り口で分類するから繰り返し模様が十七種類になっただけで、別の切り口で分類すれば別の見え方をするものなのさ。たとえば、イソヘドラル・タイリングなら九十三種類に分類されるし、平面充填可能な凸五角形タイルなら十五タイプに分類される。それに、世の中には繰り返し模様でないような模様だってある」
あの模様を見たことがなかったら、なにか出鱈目な、ランダムな感じの模様を思い描いていたかもしれない。
「もしかして、あそこのパチンコ屋のトイレのタイル模様とか」
「ほおっ。あいつを知ってくれていたのかい。あれは二〇二三年に発見されたスペクターって名前のタイルなんだ。世界で初めて見つかったアインシュタイン問題の解だよ」
「アインシュタインって、あの相対性理論で有名な物理学者のアインシュタインか」
「いや、ドイツ語でひとつの石って意味さ。あのタイルはね。同じ形の一種類のタイル、つまりアインシュタインを隙間なくならべていくと、どうやっても非周期的にしか並ばないっていう不思議なタイルなんだ。しかもタイルの裏返しなしにそれができるんだよ」
「非周期的っていうのは、つまり」
「模様全体を平行移動したとき、どう動かしても自分自身にぴったり重ならないっていう意味さ。逆にぴったり重なるような平行移動があるなら、それは周期的な模様ってことになる。こいつが見つかるまで非周期タイリングはペンローズタイルってのが有名だったが、タイルが二種類必要だったんだ。分かるかい。それが一種類にできたんだ」
あのときの変な模様がそんなすごいものだったなんて思いもしなかった。意味が十分に分かった訳ではなかったが、北川の興奮だけは十二分に伝わってきた。模様には人を虜にするような、それほどまでの力があるのだ。レンはため息をつく。
「あはは。感動してるみたいだね。みんなデザインって色しか見てないだろう。あたしは模様にしか興味がなかったから、デザイナーとしては苦労したんだよ」
「でも、それが化学の役に立った。あ、そういえば、着替えは」
「忘れてたよ。ちょっと待ってな。逃げやしないから覗くんじゃないよ」と部屋の中に消えていく。まさか二階の窓から七十才の女性が逃げるようなこともあるまいと、ドアの横でレンは待った。南雲から連絡が入る。公園に隣接するスポーツセンターに対策本部が設営されたのだという。指揮は陸軍の鮫嶋大佐が取っているらしい。すぐに行くと答えてレンは電話を切った。五分後、北川はツナギの作業服に着替え、両手に何かを持って部屋の中から現れた。
「お待たせ。じゃあ、行こうか」
「なんだ、それは」
「言っただろう。ノリとハサミだよ」
「ノリとハサミって、ええっ。これのことか」
北川は超大容量のグルーガンと、いかついスチームアイロンのようなハサミを携えていた。これがレプリケーター対策の要になるのだという。
「あとで説明してやるよ。いいから、現場に行こうじゃないか」
二一時半。スポーツセンターの競技室に入る前から声が聞こえていた。
「アゼオン大公国からの攻撃らしいな。公安は何をやっていたんだ」と女の声。
「警察内部に軍事会社レセイオン社のスパイが潜り込んでおったのです」南雲の声がする。
ドアを開けると、軍服を着た女が長机を並べた中央奥に座っていた。肩章からすると大佐だろう。対策本部長は軍部の人間か。歳は五〇歳くらい。北川とどっちの背が高いだろうと思っていると「誰だ。名乗れ」と大佐が言った。
「県警警備部外事課第一係長の羽鳥です」
「しかし、まさか公安のミスを軍が尻ぬぐいしなければならんとは」
「いや、鮫嶋大佐。まったくお恥ずかしいことで」と南雲がハンカチで汗を拭く。
「公安は、高峰警部はミスなんかしていません」高峰を馬鹿にされると反射で動いてしまう。
「だまりなさい」と南雲がレンをたしなめる。「レプリケーターの開発者、北川を連れてこさせました」
「これはこれは先生。次は何をたくらんでおられるのかな」と大佐が言う。
北川は返事をせず横を向いてしまう。
「北川はレプリケーターを止める方法を知っています」とレンが言う。
「大佐、聞くだけ聞いてみましょう」と南雲がフォローする。大佐は腕時計を見る。
「ふん。よかったな。住民の避難完了まで、まだ時間があるみたいだ」
北川の要望でホワイトボードが運び込まれ、講義が始まる。
「レプリケーターは正方形だ。正方形には特別な性質がある。自分自身のコピーがいくつかあると、ひとまわり大きな自分の形を作ることが出来るという性質だ。ソロモン・ゴロムという数学者が命名したのだが、こういう性質をもつ図形はレプタイルと呼ばれている。爬虫類(reptile)の語呂合わせだが、replicating-tileの略称だ。日本語なら自己複製タイルというところだろう。レプリケーターの増殖はこの数学的な性質を利用している」
「そのレプタイルというのは正方形以外にもあるのか」とレンがきく。
「たくさんある。そのそれぞれがオリジナルのレプリケーターのように増殖可能だ。レプリケーターが生物かどうかは議論が分かれるところだと思うが、もし生物だとしたなら、形状そのものが遺伝子であるような特殊な生物と言っていい」
「あなたの考える対策は」
「いくつかの正方形をこの特殊なのりでくっつける。それでレプタイルでなくしてしまえばいいんだ」とグルーガンを見せる。
「なんだ、そんな簡単なことなのか」と南雲がつぶやく。
「そう簡単でもない。たとえばテトリスというゲームがあるだろう。あれは正方形四つがくっついた形のブロック五種類を使うが、あの中でレプタイルでないのは一種類だけだ」北川がマーカーを走らせて図形を描く。「どれだと思う?」
■■
■■ と ■■■■ は明らかにレプタイルだな。とレンは考える。
■
■■■ は二個あれば、二掛け四の長方形ができる。それがふたつあれば元の相似形ができる。
■ ■■
あとは ■■■ と ■■ か。これはどうやるんだ、と思案する。
■
■■■ が四つあると何ができる? と北川が問う。あ、渦巻状に並べれば正方形ができる。正方形を作れるのなら、その正方形を四つ並べることで元の相似形を作れる。ということは
■■
■■ が正解か。
「ご名答」と北川が拍手する。
「じゃあ、何か。この膨大な正方形のシートをのりづけして回って、ぜんぶその形にするっていう訳か」南雲がうめき声を上げる。
「ぜんぶ、じゃなくていいよ。いちばん外側の境界のところだけで大丈夫。それ以上外には広がらなくなる」
「それでも相当な量になる」
「まだ、このサイズなら人海戦術で対応可能と思うがね」
「どうやったら信じることができるのか教えて欲しいね」いままで無言で聞いていた鮫嶋があきれたような声を出す。
「北川はレセイオンに裏切られたんだ。いまは味方だと思っていい」とレンが擁護する。
「その女じゃない。お前がスパイでない証拠はあるのかと聞いているんだ」
レンが言葉を詰まらせる。
「スパイじゃない証拠だって。そんなものがあれば、それはスパイによく売れるだろうね」と北川が笑い飛ばす。
「時間だ。住民の避難が終わったらしい。攻撃態勢に入る」
「待つんだよ。あれは生物には無害なんだ。ただちょっと物の表面を覆うだけで」
「無傷で国土を手に入れられる、恐ろしい兵器だ。掩蔽壕破壊弾を使う。発射用意」
「待ちなって」
「捕まえておけ。秒読み開始、五秒前、三、二、一、発射」
数秒後、窓の向こうの北川ケミカルリサーチに向かってミサイルが落下し、屋根を貫通するのが見えた。衝撃とともに建物の破片が吹き飛ばされる。
「ああ、ああなんてことを」と北川がスポーツセンターの床を叩いている。
「目標は消滅しました」と鮫嶋の部下が報告している。
「あと二三発撃ち込んでおけ」
「はっ」部下は敬礼で応じる。間欠的に衝撃が体育館を揺らす。そのたび北川が顔を引き攣らせる。
「ははは。これだけやっておけば電気も何もないだろう。念のため、明日の朝現場を確認する。それまでしっかり休んでおけ」
「承知しました」
簡易ベッドで仮眠を取る。軍の連中より早くに起きるつもりだったが、疲労がたまっていたのだろう。揺すって起こされると、もう十一時を回っていた。「レプリケーターは無事消滅したそうだ。もういちど北川アヤを留置場まで送るんだ」と南雲がレンに告げる。北川は少し先に目を覚ましていたが、消沈しているようだった。
「途中でなにか美味しいものでも食べよう」と北川に手を差し伸べる。
パトランプは出さずに国道を東に向かう。街は平和そのものといった風情だ。避難も解除されたようで、人が戻ってきている。途中で北川が「あっ」と声を出す。
「どうしたんだ」
「ノリとハサミ、持ってきちまった」
「はは。あとで自宅に返しておくよ」
「しかし、まあ、骨折り損のくたびれ儲けって奴だったな」
「本当だな。あ、あそこ。おでん専門店ってのがあるけど、どうだろう」
「よさそうじゃないか」
瓦屋根の庶民的な感じの店だった。車を停めて暖簾をくぐる。テーブル席に向かい合って座り、壁のメニューを見る。
「店長のお勧め盛り合わせが五百円だってさ」
「あたしはそれにしよう」
「いいのか。最後くらいおごるけど」
「年寄りは小食なんだよ」
「じゃ、ぼくもおなじの」
「若いんだからたくさん食えばいいのに」
「健康のために腹八分目」
どんぶりのふちに黄色い練りからしが乗っていて、それに厚揚げとてんぷらをつけてかじる。玉子の黄身を汁でといて、よく煮えた大根をそれにつけて頬張る。
「なんとなくお袋の手料理を思い出すな」
「おでんなんかどれも似たような味だろう」
「思い出したんだからしょうがないだろう」
「べつにけちをつけるつもりはないよ」
「前にあなた自分の楽しみはないのかって僕にきいただろう」
「ああ、そうだっけ」
「落ち着いたら、編み物を再開してみようかなと思っている」
「編み物かい。いいじゃないか。それなら力になれるかもしれないよ」
「小さい頃、お袋に教えてもらったんだ。うまくできなかったけど、楽しかった」
「そうかい。そりゃ楽しみだ」と北川がどんぶりの汁を飲み干す。
そのとき壁のテレビから「臨時ニュースです」と声がした。
「S県芥川市にある安達総合病院で謎の巨大シートが増殖を続けるという事態が起きています。シートは病院の内外、至る所を覆い、侵食を続けているようです。なんらかのテロの可能性があります。入院患者が数十名病院内に取り残され、懸命の救助活動が行われています」
「なんだ、このニュースは。インチキか」と店の親爺がチャンネルを変えようとする。
「待って」とレンがさえぎる。「これは」
「間違いない。レプリケーターだね」
「新たなテロだろうか」
「いや、昨日の爆破で生き残った欠片がなにかのはずみに電源を得てしまったのさ」
「戻ろう」
「ああ、急いだほうがいい。病院だろう。入院患者が人質になっちまってる。非常用電源は切れないから、こいつの成長は早そうだよ」
「お勘定、ここに置いとくね。親父さんも早く逃げた方がいいよ。おでん、ごちそうさまでした」
国道を西に戻る。道中で、模様に包まれたビル群が見えてくる。変異で構造色を獲得したのかきらきらと七色に光っている。
「レプリケーターっていうのはこんな勢いで広がるものなのか」
「軽いからね。あんた、グラフェンの比表面積って知ってるかい」
「いや」
「1グラムで二六〇〇平米さ。テニスコート十面分くらいだね。薄いけど、ダイヤモンドの親類だから丈夫なんだ。レプリケーターはもう少し厚みがあるけど、似たようなもんだね」
交通が麻痺していたので、車を降りて近寄ってみると、窓もモニタも鱗のような複雑な模様で覆われて、街はパニックに陥っているようだった。
「あんた見てごらん、街中が模様に覆われちまってるよ。この模様。分かるかい、セルフタイリングタイルセットだ。レプタイルとおなじ置換タイリングの一種だが、タイルの種類が複数あるんだ。こんな模様がひとりでにできるなんて、突然変異ってやつはすごいもんだね」北川は子供のように目を輝かせている。「この四ピースに注目するんだ。それぞれ形は違うが、この四ピースを使えば、どのピースの相似形も作ることが出来る。それを繰り返すことで平面全体を覆うことが出来る」この状況で北川は平然と模様の観察を続けている。どういう精神をしているのだろう。
「爆撃でタイル形状がひしゃげたせいだろうね。カンブリア爆発みたいに一気に模様の世界が多様化してしまってるよ。正方形ベースだけじゃない。三角やら、六角形やらが陣取りのように勢力範囲を競い合っている。模様同士はぜったいに重なり合わないんだ。面白いね」
「急ごう。対策本部の状況が心配だ」徒歩でスポーツセンターを目指すことにした。
さっきは通れたはずの道路が機動隊に封鎖されている。警察手帳を見せて事情を聞く。
「この先へ行きたいんだが、通れるかな」
「こっちは模様に侵食されていて通れません。どうも模様が生物も襲い始めたみたいです」
「人間も襲われるのか」
「はい。体表を覆うだけでなく、鼻や口から模様が侵入し、窒息してしまうそうです」
「なんてことだ」無害どころの話ではなかった。
「避難済み区域から順に軍が掃討作戦を行っていますが、焼け石に水という感じです」
「この先のスポーツセンターが対策本部になっていたと思うんだが」
「撤退したんじゃないでしょうか。いま防衛ラインはこの辺りのはずです」機動隊員が見せてきた地図の防衛ラインの先は半島になっていた。
「そうか、くそっ。この半島の先には原子力発電所がある」
「どういうことだい」
「原発の稼働を止めることはできる。だが原子炉を冷却し続ける必要があって、完全に電源を喪失させる訳にはいかないんだ。電源を喪失した原発はメルトダウンしちまうんだよ。その自家発の規模は病院の比じゃない」
「こんどは原発事故を人質に取られてるって訳かい」
「ここへ行くことはできるか」
「いえ、道路が寸断されていて無理です。こっちの方に仮設の避難所があるので、そこまで移動をお願いします」
南雲に状況を問い合わせようとしたが、停電の影響か電話が通じない。政府も衛星写真でしか情報を取れなくなっていることが推測できた。停電していても模様はどんどん広がっていく。電源というのはそこらじゅうにあるのだ。
「なんだか大変なことになっちまったみたいだね」さっきまではしゃいでいた北川がしょんぼりしている。
「仕方ないさ。できることをやろう」
「あ、ちょっと待っておくれ」
「どうした」
「この模様」
「また模様の話か」
「いや、これまでと違うんだ。平面充填可能タイルではあるけれど、置換タイリングできるタイルじゃない。どうしてこれが増殖できるんだろう」
とうとう北川は蟻の行列を観察する子供のように、道端にしゃがみこんでしまった。引っ張っていく訳にもいかず、しばらく水でも飲んで待機することにする。
見ていると、タイルが浮き上がって、模様の上をすべるように移動し始めた。
「こいつは大発見だよ。この新しいレプリケーターは上下に分裂するんだ。それで、何も教えないのに、すべって移動して、ちゃんと隙間なく平面を埋めていく。脳みそもないっていうのに賢い子だよ」
北川はまるで我が子を慈しむように模様に接していた。
避難所は小学校の体育館に敷物を並べてあるだけだった。人であふれて惨憺たる有様だった。入口に呆然と立ち尽くしていると、北川に向かって石が飛んできたので、レンが庇う。
「お前だろう。街をこんなことにした犯人は。みんなが噂してたぞ。お前のせいで、おれの父ちゃんは。父ちゃんは。うわああ」めちゃくちゃに石を投げてくるので、たまらず北川を連れて逃げ出す。神社の裏まで逃げたところで、追手が見えなくなった。
「どうも大勢の人間から恨まれちまったようだね。こうなっちまったら、もう、あたしの手には負えそうにないね」北川がうなだれている。
「なんだか津波みたいだよな。いや、鱗の波だから鱗波か。軍は当てにならないだろうし、なんというか防波堤でもあればいいんだが」
「あんた、いま何て言った」
「あ、いや、防波堤があればいいなって」
「それだ」北川が額に手を当てて、考えを整理している。「よし、ちょっとそこの棒っきれを取ってくれ」北川が何やら地面に図を描き始める。
「なんだいそりゃ」
「防波堤の卵だよ。あんた、ヒーシュの問題って知ってるかい」
「知らないよ」
「平面充填できないタイルにも面白いのがあるんだ。ひとつのタイルの周りを何重にも取り囲むことができるけれど、平面全体を隙間なく覆うことはできない。はたして何重まで覆えるだろうかって問題さ」
「それがどうかしたのか」
「いまから平面充填できないタイルを設計するんだ。円環上の領域は隙間なく覆えるが、それ以上並べようとすると隙間ができちまうようなタイルをね」
「それができたら、防波堤になるのか」
「ああ、たぶんね。さっき見ただろう。模様は模様の上を越えられないんだ」
「そんなもの簡単に設計できるのかよ」
「簡単じゃないだろうね。でも、がんばってみるよ。芥川市全体を覆えるくらいの大円環が作れるようなタイル形状の設計をね。一世一代の大勝負だよ」
七十歳の婆さんが神社の地面に木の枝を使って死に物狂いで絵を描いている。避難所から飲み食いできるものを調達して、北川に差し入れる。
「一休みしたらどうだ」
「こうしてる間に防衛ラインを突破されちまったらどうするんだい」
「しかし」
「無理は承知だよ。でもね、もしそんな模様が作れたらって思ったら、わくわくして、こんな老いぼれにも不思議と力が湧いてくるのさ」
夕方近くなって「できた」と北川が叫ぶ。このタイルを作ればいい。それは長細い、不思議な形をしたタイルだった。
「こんなのが防波堤になるのか」
「なる」
「じゃあ、作戦開始だな」
「あとは、レプリケーターからこいつを採取しなくちゃね。体にも貼りついちまうらしいから、どうしたもんかね」
「それなら、いい考えがある。さっきこの辺りを調べていて見つけたんだ。ホバーバイクのシェアリングサービスを使おう」
屋根付きのピザ屋のバイクが四つ足になったような、四つ足の先に扇風機がついているような格好のホバーバイクを起動して、パトランプを乗せる。模様の上を滑走してみるが、思った通り浮いているものは襲ってこない。
「あの模様、ベースは六角形だったよな。このあたりに六角形の模様はありそうか」
「いや、見つからないね」
「あっちはどうだ」
「ああ、そこ右へやっておくれ。よし、そこでホバリングだ」北川はスチームアイロンみたいな大ばさみから蒸気をふき出しながら、模様の端をはさみでつまみ上げる。そして地面を走りながら一気に切り裂いていく。なるほど、これならはさみにも模様は貼りついてこない。
「エアシザーっていうんだよ」元デザイナーだけあって、はさみさばきが堂に入っている。迷わず大きな模様の欠片を切り抜いて束ね、ホバーバイクの上に舞い戻った。
「とりあえず、ざっくりだね。あとで綺麗に整形しよう」
「手で持って大丈夫なのか」
「ああ、通電してなければ平気だよ。死んでるのとおなじさ。このままホバーバイクで防衛ラインの手前まで移動しよう」
「了解」風の中をふたりは滑走していく。
「地図のこの辺り、高圧の送電線があった気がするんだが」
「あれのことか」
「あれだあれだ。よし、そこで降りよう」
牧場に隣接した道路の上にサンプルを広げる。道路の反対側は崖になっていた。
「この写真の通りに切ればいいんだな」
「切るのはあたしに任せて、あんたはグルーガンでタイル同士をつなげておくれ」
「わかった」あたりが暗くなってくる。日没までに間に合わせなければ作業が続けられなくなる。
「よし、できた。そっちはどうだい」
「こっちもそろそろ終了だ。どうだ。いっちょ上がりだ」
「助かったよ。で、これにどうやって電気を流すかだけど」
「お疲れさん、羽鳥。手伝ってやるよ。そいつをこっちに貸してくれ」
「高峰さん。どうしてこんなところに」
「探してたんだよ。手助けできないものかと思ってな。ちょうどいいときに見つけられた」
「渡すんじゃない」と北川が叫ぶ。
「これはこれは。お二人そろってどうされました」高峰の後ろから鮫嶋大佐が現れる。
「こいつらやっぱりスパイだったんだよ。あの手に持っているサンプルが証拠だ。武器商人に売りつけようって魂胆なんだ」と高峰が言うので、世界が歪んで見えた。どういうことだ。
「そりゃ大変だ。テロを阻止しないとな」と言いながら鮫嶋の銃がレンを狙った。
「ぼーっとしてるんじゃないよ。そっちがスパイだったってことさ。いいから電気を流すんだ」北川が老骨に鞭打って、鮫嶋の方に突進していく。
牧場の柵から有刺鉄線の一端をホバーバイクに結び付け、エンジンを最大出力にして飛び降りる。バイクは高圧線に引っかかって、放電の青い光が地上に降りてくる。有刺鉄線のもう一方の端は例のサンプルにグルーでくっつけてあった。電気を得て、防波堤の卵が爆発的に増殖し、大きな両腕を広げていく。この角度なら街を囲めそうな気がする。
一瞬の隙をついて高峰を制圧する。ところが、北川が模様に包まれてしまう。高峰がざまあみろと言う。目を離したあいだに、模様でぐるぐる巻きの北川が崖から転落する。
防波堤の円環が閉じる。模様は上手く囲まれて、内部の模様達は行き場を失って皺ができていく。街の上に模様の気球のようなものができる。レプリケーターは電源を喪失して枯れる。
枯れたレプリケーターの下から、死んだはずの北川がはさみで模様を切り開いて出てくる。死んだのは鮫嶋大佐だった。模様に覆われたせいで、正体不明になっていたのだ。裁判で高峰に死刑判決が出て、北川の容疑は晴れる。街は復興を始めるのだった。
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内容に関するアピール
時間がなくて、さいご駆け足になりました。
セルフタイリングタイルセットについては、こちらを。
https://j344.exblog.jp/21841992/
ヒーシュの問題については、こちらをご参照ください。
https://en.wikipedia.org/wiki/Heesch%27s_problem
よろしくお願いします。
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