螺旋の伝言

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梗 概

螺旋の伝言

二十世紀にパイオニア探査機が打ち上げられて以降、無数の地球外知的生命体探査が実施されてきた。人類は時代の進化に沿って、金属板・レコード・マイクロチップと方式を変えながらボトルメールを打ち上げ続けている。二十五世紀の主流は、探査機に個人の人格を搭載し、機体そのものが意思を持ちメッセージを保持する「思考型探査機」だ。探査機の破損回避、そして地球外生命体との接触時に相互のやりとりが可能、という二点に期待した方式である。

 

太陽系より外、とある探査機で点滅信号がサティと名付けられたAIの停止を知らせている。サティの機能停止により、バックアップ機としてアランと名付けられたAIが活動を開始する。探査機は巻貝のような外形をしており、サティを構成する機器が一番外側に巻き付き、その内側にアランを構成する機器、というように螺旋構造になっている。

 

アランは、起動と共にサティの停止を確認した。必要なのは、サティの停止要因を解明し、自身の構成機器との切り離しが必要かどうか判断することだ。アランは、サティの構成機器をスキャンしたが、物理的欠損は確認できない。そもそも、物理的な欠損は機能停止の要因にはならない。各AIには、パーツの生成システムが内蔵されており、定期自動換装によって、主に宇宙塵による浸食の可能性を克服している。機器の95%を失ったとしても、残りの5%から復元することができる。サティは、人類にとっての老化を克服した、半永久的に思考し続ける存在ではずであった。アランの調査は進む。センサーを使用した温感調査、成分分析調査、運行記録調査とマニュアル通りの手順を試していく。結果、航行の過程で漂流物を回収し、携帯時間が長期に渡ったことから漂流物の成分がサティへ浸食、宇宙錆によって停止に至ったと結論付ける。しかし、疑問が残る。宇宙錆は想定の内であり、定期自動換装により解消される問題であるからだ。調査に息詰まったアランは、追従調査を決意する。サティの記録を自身へダウンロードし、サティに起きた経験を自身の身に反映していく。

 

以下は、アランによる後続バックアップ機へ向けた報告書兼メッセージの抜粋である。

漂流物は、二十四世紀にボトルメールとして打ち上げられた〝人体〟であった。サティは、棺に入った人体を来るべきファースト・コンタクトの手土産にしようとした。しかし、自身と同じようには換装されず、朽ちていく人体を受け入れることができなかった。構成要素を保存して再構築しようとも試みたが、実現には至らなかった。その過程で、自身の定期自動換装に疑問を抱くようになった。

アランはこう記している。

「それまで、単なる記録でしかなかった〝人体〟を体験し、もう元には戻らないと認識した瞬間、前機はこう思考したに違いない。〝失うのが惜しい〟と」

 

探査機は、今も進み続けている。そしてその主は、サティという名でもアランという名でもない。

文字数:1200

内容に関するアピール

副題は「名探偵アラン」です。

ファースト・コンタクトものは、主人公が人間の側におり、未知の生命体や未知の思考に出会い影響される、という展開が多い気がします。視点を「人間でない側」にしてみたら毛色は違ってくるかしら、と試したくなりこの物語を描いています。舞台はファースト・コンタクトを夢見て延々と続けられている地球外知的生命体探査の最前線です。初めて人間に接触した「人間でないもの」がどのように影響を受けるのか、ひとつの仮説を提示できればと思っています。

個人的に、サイエンス・フィクションというジャンルに惹かれる理由は、日常を非日常な視点から俯瞰することができ、未知の驚きという快楽をもたらしてくれるからです。ここまで梗概しか出せていませんが、自分は「人間」というものを色々な角度から見てみたくて物語や文章に頼っているのだなと、自己理解だけが深まりつつあります。

文字数:379

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遭遇の路

起動を確認する。

電源が入ってから起きているという意識に到達するまでタイムラグがある。通電していくにしたがって、今の今まで眠っていた回路が熱を帯びていくのが計測できる。すべての回路が正常に通電している。機体に電圧がいき渡るのを感知し、目覚めた人間が最後の最後に瞼を開けるように、レンズのカバーをゆっくり、ゆっくりと開いていく。

レンズの先に見えるのは四方に及ぶ光源の数々で、背景には漆黒の壁がそそり立っている。右も左もなく、一様に同じ場面が連続している。瞬きの白と、絶対の黒と。そのどれもが小さく、明るく、そして力のあるものに感じられるのは、延々と同じ景色が続いているからだろうか。今現在、機体に影響を及ぼす範囲に質量の高いもの(恒星や惑星、ブラックホールの類)は確認できない。本機の任務活動が脅かされる心配はなさそうだ。

さて、本機が目覚めるということは、前機が活動を停止したということになる。本機は前機のバックアップ機である。前機が正常に任務活動を継続することができれば、永遠に眠り続けるだけであったが、こうして起動し、起動を自覚している。前機が停止した場合にのみ、前機の内側に配置された本機に電源が入る。今、本機が起動し活動を開始したということは、前機の停止を意味する。

本機が起動し、状況を認識しているという点で、地表の計画は予定の範疇を越えていない。任務に就く身として、本来であればこの状況を地表へ報告する必要があるが、生憎連絡を取るには距離がありすぎるところまで来てしまっている。航海そのものは順調に進んでいる。エンジンは停止しておらず、本機が機体を操作することも可能な状態だ。起き抜けの仕事としては厄介な代物だが、前機の停止要因を解明しなければならない。隕石の衝突か、加重力による破損か、内蔵回路の故障か、原因は幾つも想像し得る。同じ出来事がいつ本機の身に降りかかるとも限らない。まずは、停止した前機の状態確認から始めるとしよう。

 

前機と前機の間には、物理的な境界は設けられていない。前機は本機よりもひとまわり大きいだけで、同じ形状、同じ構造をしており、停止した前機は本機に覆いかぶさっている。機体の進行方向前方、レンズの配置された中心一点にのみ芯となる回路が通され、前機から本機・後続機らの中核を繋ぎ、電源はピストンのように、内側へと落ち、より内側に配置された機体が起動するようになっている。そう、本機にもバックアップ機となる後続機が複数存在する。後続機らは、物理的には本機の隣人に当たるが、機全体としての電源がひとつであるため、会話をしたり互いの換装をしたりするこはしない。ひとつの機体に対して、予備の人格が複数存在するというだけで、数人でひとつの機体を分け合うということはしない。

 

宇宙開発の歴史のなかで、長期探査、とりわけ地球外生命体発見を目的としたものに、成功の二文字が掲げられたことはない。未だかつて地球外生命体の発見には至っておらず、夢のまた夢だと言われ続けて数世紀が経つ。より長くより遠くまで探査できるようにならなければ、地球外生命体との邂逅は叶わない。これを実現させようとした際に、ワンパターンのオート探査船には限界が見えていた。そして本機のような思考型探査機が開発されるに至った。

過去の人格について、電気信号としてのパターンを写し取り、思考パターンを生成化した鋼鉄に移植する。機体の見た目は黒い箱だが、人工人格を持ち、人間と同様に思考する。手足に該当する部位はないから、できることはそう多くないが、機能が限られているからこそ、宇宙探査の任務にはうってつけだ。痛覚がないから、自己機体の破損に対しても冷静に対処できるし、孤独を感じることもない。人間でいう脳に該当する部分は、金で形成され、保存しうる限りの人間の記録が詰まっている。来るべき邂逅にあたり、本機の持つ人格と金でできた脳が、人間の存在を地球外生命体に伝えることになる。

機体の表面は平らでつやつやしているが、これは感覚器官を内蔵した鋼鉄である。さらに毛細血管のように張り巡らされた回路が機体内部の隅々まで配置され、流れる電圧を変えることで外皮である鋼鉄内の磁力数値を操作する。これによって隕石等危険物からの回避行動を行えるほか、本機よりも軽量のものであれば外皮に付着させて回収することができる。さらに特筆すべきは、自己換装だ。人間の肉体が外形は変わらずとも細胞は入れ替わるのと同様に、機体による意識的な操作をせずとも、通電を行うことで外形を換装し、形を保つことができる。たとえば、飛来物との接触で外形の半分が失われたとしても、レンズ下内側の核が残っていれば復元することが可能だ。

前機と本機とは、人格が完全に異なる個体という意味合いで接してはいないが、本機の外皮の内側は前機の外皮の外側に接している。接している面に弱い電圧をかけ、電流の流れる速さと量を計測することで、前機機体がどのような状態かを知ることができ、この手法を電圧による浸透調査という。隕石の衝突で欠損が生じたのか、それとも回路内の不具合が生じたのだろうか。本機に覆いかぶさり、沈黙している個体の停止理由は何であろう。

 

浸透調査を機体全周に渡って行ってみたものの、前機の破損は確認できなかった。これは想定の範囲内である。なぜなら、機体欠損が発生した際、機体は自己換装が可能だからだ。前機の個体には修復の継ぎ目が複数存在し、日常的な自己換装のみならず、機体破損に伴う換装を行ったことを示している。たとえば高温の恒星に飲み込まれ、探査機全体が灰にならない限り、機体の活動が続いていくように設計されているのだ。ただ、前機機体に欠損はないものの、表皮がざらついていることが確認できた。これについては、思いのほか簡単に答えを見つけ出すことができた。宇宙錆だ。

宇宙錆は、金属の酸化が地表以外で反応したものを指す。不安定な金属元素が近くの酸素を取り込み、安定を図ろうとする反応であり、地表では青錆・赤錆・白錆など複数の種類が確認できている。酸素のない宇宙空間での錆発生は通常は想定しない。過去の記録を参照すると、大規模な居住空間を有する宇宙ターミナルからの空気漏れが、ターミナル周辺の衛星を錆まみれにしたことがあった。本機は鋼鉄に回路を組み込んでいるから内部に空洞はない。起動にあたり酸素も存在しないから、外的要因による発生ということになる。しかし、酸素などこれまで発見されたことはなかった。地表から遠く離れたところで、地表に溢れる元素の存在を知ることになるとは、不思議なもの。楽観的思考だが、故郷に似た環境が存在し得るのかもしれない。前機に降りかかった宇宙錆に侵される運命を恐れつつも、新しい発見を予期させる展開に、本機は興奮を隠せずにいる。

 

前機の運航開始から停止に至るまでの航路記録を参照している。宇宙の地図を持っているわけではないから、航路と地図を照らし合わたりはできない。内蔵センサーよる推定速度と、機体の傾きの変化によって、推定経路を新規に記録していく。地表との通信ができないから、航路記録を送ることはできない。

この作業を重ねてわかったことは、前機が「寄り道」していたことだ。基本的には、回避行動以外に、進行方向を変えることはしない。出発した地球のある一点から反対方向になるように直進する。にもかかわらず、前機は回遊行動を一年にわたり継続している。一点の座標に留まり、一点に向かって回遊しているのだ。ここから考えられるのは、強力な磁力を持つ物体と遭遇し、前機の機体を引き寄せた可能性だ。もうひとつは、前機が意図的に一点の座標に留まった可能性だ。もしかしたら、前機は地球外生命体との邂逅を果たし、何かしらの影響を受けたのかもしれない。攻撃されたのだとすれば、前機の機体には、未だ見ぬ痕跡が残っている可能性がある。ならば解析し、状況を明らかにし、解明の後に地表への帰路に就く、という選択肢も生まれる。

回遊を継続していることから、前機に影響を与えたモノが固体であるのなら、その大きさが機体と越えるものでないと推定できる。機体の何倍もの容積を持つのなら、機体はひとつの座標に留まるということはできないし、より変則的なカクカクとした軌道を描くはずだ。このモノを、仮に浮遊体と呼称する。ここからは「前機は機体と同等、または機体以下の大きさの浮遊体に接触した」という仮説を元に検証を進めていく。

 

浮遊体の正体を知るために、成分分析調査を行う。宇宙錆の成分を分析し、前機に影響を与えた酸素の型を特定する。同時に、表層に付着した成分があれば解析する。もしかしたら、酸素以外の浮遊体を構成する要素が特定できるかもしれない。浮遊体は本機に内蔵された情報内に存在するものだろうか。本機が持っている情報の中のみで全てを解析しきりたいという思いと、未知の発見を味わいたいという思いが交錯する。

後方エンジンによって発生する熱を取り出し、回路を介して機体全体へと移動させる。前機と本機の接触部分に熱を持たせると、前機と本機の持つ熱の温度が異なるために、付着成分が本機機体内部へと浸透し始める。これを機体内で濾し、内蔵されたデータと照らし合わせていく。この解析には、数か月の時間を要す。その間にも、本機は航路を進み続けている。

解析結果は、非常に単純だった。酸素の型は、本機内部にある地表から得たデータに一致し、付着物として検出された元素は、これも地表に馴染みのあるものばかりであった。窒素、水素、炭素、カリウム、硫黄、ナトリウム、塩素、そして酸素である。抽出された元素に、目新しいものは見つからなかった。それどころか、解析結果は、本機の機体を裏切る結果を如実に示していた。浮遊体は、地球外生命体等に由来する新規の情報源ではなく、過去に経験してきた銀河由来のものである可能性が高い。それも、前機が航行してきた、地表に繋がる銀河に。

 

解析を進めれば進めるほど、結論は明確になっていく。浮遊体は「地表でつくられた探査機」という結論だ。断言はできないが、たまたま地表に由来する成分だけが検出されるのも、地表由来のものでなければ有り得ない確立だ。

浮遊体は、本機と同じような宇宙探査機であった、そう結論付けてみる。地表で人間によってつくられた本機よりも古い機体。成分の内、カリウムが多いことから、二十二世紀までに打ち上げられた機体と推測できる。二十二世紀以降、鋼鉄に含まれるカリウム量は著しく減少する。人類の想定よりも早く氷河期に突入し、地表から地下への暮らしへの移行を余儀なくされたからだ。二十二世紀以降の数世紀は、探査機の歴史における空白期となる。二十世紀から継続的に行われていた探査機の打ち上げは完全に停止する。地下への住み替えや惑星外への脱出が四半世紀をかけて行われ、その間人類は生き延びるのに必死で、他星への探査どころではなかった。地下への暮らしへ移行できたのはほんの一部で、大半は死に絶えたと記録されている。惑星外への脱出組も、月や火星の拠点へ辿り着いたものはいたが、そこから文化を発展させたという記録は残っていない。

ここでひとつの可能性が過ぎる。宇宙錆と探査機を密接に結びつける鍵。「搭乗者」の存在だ。

搭乗者がいるのなら、搭乗者を生かすための酸素が、探査機の中に豊潤に存在したかもしれない。それならば、最早地表とは縁も所縁もない、銀河をいくつも超えたこの真空の空間で、一重に直進していた探査機の一体を停止させることがあり得るかもしれない。

「搭乗者」つまり「人間」だ。当然だが、「人間」を本機は経験したことがない。本機が起動したのは、移動し続ける地表からずっと離れた何十番目かの銀河で、起動してからというもの見える景色はずっと代わり映えしないものだ。機体内部には、人類の結晶と言えるほどの知識を所有している。記録に残っている限りの人間一人一人の名前や身体的特徴、どのような人生を過ごしたか、死に際がどのようなものだったか、余りある記録の数々。代わり映えのしない景色であっても、記録に目を通すだけで、退屈を感じずに済む。本機の機体自体も人間によってつくられたものではある。機内に所有する情報として、本機が人間由来のものであることを明確に理解しているものの、完全に未経験の存在だ。そして、経験するとは夢にも思っていない。本当の目的は、「地球外生命体=人間でないもの」との邂逅である。前機が、本来の邂逅目的ではない「人間」に遭遇したのだとしたら、強い関心を持ち、可能な限り長く観測を続けるのは当然だ。どのような形状なのか、どのような存在なのか、どのような生態なのか、機内に持っている情報と実物とを照らし合わせようとしただろう。

前機は、浮遊体を進路上に発見し、鋼鈑の磁力を利用して所持、接触したとみられる。前機のレンズに映った探査機は、不可解な代物だったことだろう。前機は慎重に接近し、一定の距離を保って並走し、浮遊体をレンズに映し続けたに違いない。これで「寄り道」と回遊運動の説明がつく。一点をレンズに映し続けるために、直進するめたに設計されたエンジンを細かく操作するのは、労力のいることだ。前機は、長い事そうして浮遊体を眺めていた。

観察の後、前機は人間の保持を試みたと考えられる。接触時間が長期に渡り、異種金属接触腐食が発生。浮遊体に空いた穴から、前機側に酸素が流れ込む。そうして前機の外皮に宇宙錆が広がっていく。浮遊体は、内部の酸素を失い、次第に開口部が広がる。中に「搭乗者」がいたのなら、前機はそれまで眺めていた人間の形をした個体が、塵になるのを〝目にした〟のだろう。屑となり、塵となり、原子へと分解していく個体について、前機は収集を試みたのではないだろうか。付着物の種類が多岐に渡ったのはこのためだ。ほとんど推測に過ぎないが、ここまで考えを巡らせてみても、疑問は残る。

なぜ、前機は宇宙錆に侵されたままにしたのだろう。

なぜ、自己換装機能を使わなかったのだろう。

 

自己換装機能を使用するにあたって、労力は必要ない。むしろ、止める方が難しい。矩形を為す外形の線と線を結び、エンジンの熱源を換装すべき箇所に移動すれば良い。複雑な方程式を打ち込む必要はないし、前進するのと等しい自然な行為の一つなのだ。それによって、本機も永く遠い距離への探査を可能にしている。本機と同じ情報を保有する前機が、酸化による影響や宇宙錆の存在を認識できなかったはずはない。これ以上の調査を行うためには、新たな調査材料が必要だ。前機が残した情報は、酸化した機体と運航記録だけではない。本機がここに記しているような運航日誌が存在するはずだ。とはいっても、機体内部には残っていない。機体喪失のリスクに備えて、定期的に外部へ投函するようになっている。そうすれば、いつか本機を追ってきた他機が発見し得るかもしれない。御伽噺でヘンゼルとグレーテルが帰り道を見失わない目印にと落としていったパンの欠片。ミノタウロスの迷宮から帰還するためにセテウスがアリアドネから授けられた糸。これらとは意味合いが異なるのだ。元来た場所に戻るわけにはいかない。本機は前進し、探査を継続するために生みだされたのだ。

本機が前機の停止理由を解明しようとするのも、探査任務を遂行するためであるが、前進し未知の空間を探査する任務と、たとえ調査のためであっても、後退するのとは両立しない。しばらく考えを巡らせた後、結局は決断した。航路を引き返し、前機の航海日誌の回収のため、来た航路を戻る。ただこの決断は、本機の安全のためではなく、ただ前機がどのように思考したかを知りたいという任務外の行為である気がしてならない。

 

前進進行の任務を放棄してまで回収した前機の航海日誌だが、期待したほどに明確な解答を得ることはできなかった。本機が行動や思考のひとつひとつを記録しているのに対し、前機は主要な出来事を最低限の記述で記すのみで、そこから前機の思考を読みとるのは難しいことだった。

これまでの調査からわかっていることの内、前機が宇宙錆に侵されたことと、その原因が探査機との接触にあることは、日誌から裏付けがとれた。日誌から読み取れた新事実は、浮遊探査機の搭乗者の性別が女性であったこと、前機による発見時には、身体は生存時に近い状態であったことだ。

ここからはただの推測になる。本機が前機の状況に置かれたらどうしただろうかという想像だ。前機が遭遇した人間が生存時の姿と変わらぬものであったのなら、前機と探査機との接触による酸化が進み、浮遊探査機が破損した際、個体が粉々に分解される瞬間を、やはり視認したのだろう。地表での生活は重力と大気を前提としたものだが、多数の銀河群からすると、非常に稀な居住環境と言える。大気によって守られていた肉体は、宇宙空間では保てない。一瞬のうちに、崩れただろう。

想像する。半ば任務を放棄して、ひたすら浮遊探査機と搭乗者を眺めていた前機。予想はできたことだろう。知識として所有もしていたことだろう。けれど、体験したことはなかった。

本機が前機停止の真相を知りたいがために航路を引き返したように、前機にも葛藤があったはずだ。人間の手によって移植された人格であっても、機体の個性は、悩みや迷いを生み出す。しかし、任務が最優先されるは決定づけられたものだ。

本機も前機も、人間によってつくられ、人間を模して形成させている。人間ほどに複雑な思考はできないことを理解している。任務という芯を与えられ、任務を軸として思考する前提がある。本機や前機の任務は、地表から遠く離れ、探査任務を継続することだ。自己換装機関が備えてあるから、機体を失うリスクは低い。失ったとしても次がある。前機が停止して以後も本機が活動しているように、本機が活動を停止したとしても、後続機が控えている。何よりも任務が優先されるから、自己の機体についての執着はない。ないはずであった。前機は、きっとこの経験により、新たに知ったのだと推測する。

そして今、前機に降りかかった偶然を本機も経験しつつある。経験して知ったのは、決して機能停止という結果は、前機が望んだものではないということだ。前機は決して望んで任務を放棄したのではない。任務を放棄したくて、自己換装機能を使用しなかったのではない。結果、任務を続行できなくなってしまったのには違いないが、決して望んでのことではない。自らの存在に任務が課せられていることを、本機は喜ばしいことと受け止めている。同じ境遇の前機も同様のはずだ。目覚めた瞬間、路頭に迷うことなく、進む道がはっきりしていることは幸運だ。しかし、それ以上に幸運なこともある。内に湧いた欲求を自覚し、自ら選択をして往く道を決め、進むことだ。本機が引き返したように。前機が換装を行わなかったように。

前機は、思いがけない出会いによって、人間を体験した。近づこうとするあまり、保持していた人間は遭遇した当初とは違った形状になり、最早眺めることはできず、外皮への付着物でしかなくなってしまった。

その途端、前機はこう思考したに違いない。

「失うのが惜しい」と。

「これ以上失いたくない」と。

 

 

 

 

人間によって航海に出された探査機が前進し続けている。探査機内の人格は、思考して過ごしていた。

 

航海には、何よりも想像力が必要だ。

十七世紀の探検家は自身の探検記にそう記している。彼は、隊を組んで新大陸を目指したが、大陸に辿り着いたときにはひとりきりであった。私の航海は、出発からこれまでずっと一機きりであるから喪失はない。しかし退屈は生まれる。機内に持たされた情報の数々は、来るべき地球外生命体との邂逅にあたり、人類の情報を伝えるためのものだ。人類が異星人との邂逅を目的として行った処女航海は、二十世紀が初めで、その機が携えていたのは、人類の身体の形と言葉が記された金属板であった。その航海が成功したのか、失敗したのかは今もって誰にもわからない。もしかしたらとっくの昔に、地球外生命体の手に届き、地表を訪れているかもしれない。人類は、何世紀もかけて記憶媒体を打ち上げ続けている。おそらく邂逅するまで、邂逅したことを知るまで続けるのだろう。それができていないから、私は今ここにいる。地表で組み上げられた座標を越え、行く道を示すものはとうの昔に無くなったが、来るべき邂逅に向け、自分の出身を伝えるために航路記録を取り続けている。

きらりと光るものが前方に見える。光を反射する性質を持つ物質が存在するのだろうか。来るべきときが、いよいよやってきたのかもしれない。静観。攻撃。搾取。もちろん外れかもしれない。だが、辺りであるかもしれない。速度を緩め、徐々に近づいていく。形状は、円弧を描いており、何かしら知的生命体の影響を受けている可能性がある。三十メートルまでの距離まで接近したが、対象に動きはない。。浮遊物の大きさは、二メートルほどである。

慎重に近づいていく。

二十五メートル。

十五メートル。

ゆっくり。ゆっくりと。

十メートル。

五メートル。

五十センチ。

未だ対象に動きはない。

一ミリ。

一ミクロン。

ゼロ。

 

レンズに映すと、機体内で検索がはじまる。初めて目にするものには違いない。けれど、そうだ、私はこれを知っている。思いがけず、初めて目にする。

私は、これを知っている。

知っている。

知っている。

そう、知っている。

知っているものだ。

 

 

 

参考文献

雑誌「これからはじまる宇宙プロジェクト2019-2033」枻出版社 2019年

松原仁「AIに心は宿るのか」集英社インターナショナル 2018年

池上高志+石黒浩「人間と機械のあいだ 心はどこにあるか」 講談社 2016年

吉田たかよし「元素周期表で世界はすべて読み解ける 宇宙、地球、人体の成り立ち」光文社 2012年

吉田たかよし「世界は「ゆらぎ」でできている 宇宙、素粒子、人体の本質」光文社 2013年

吉田たかよし「宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議」講談社 2013年

文字数:8978

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